…朧げに視界が映ろう。
酷く霞んだ視界でなんとも言えないが、そこにいるのは女であること。そして、その顔はどこかレミリアに似ていると言うことが伺えた。
…静かに鼻歌を歌う彼女はどこか…懐かしくも感じる。天蓋ベッドの天蓋は汚れひとつないほど真っ白である。視界に映る情報としてはここはどこかの屋敷の一室であり、余はベッドに寝かされていると言うことがわかった。
「本当によく食べよく眠るな。我が息子は。」
低い地鳴りのような声が耳に突き刺さる。
背の高い男であることはわかったものの…深くは分かり得ない。髭は生えているのか、髪は何色なのか、そして…顔の特徴ですら。モヤがかかったように、或いは黒く塗り潰されたかのように。
「ええ。…執事長が褒めてました。所作も戦闘能力も。まさにスカーレット家の最高傑作ですわ。これでお父様もお喜ばれに。」
「最高傑作…か。そのような言い方は好かんな。…この子は我が息子であり、私たちの子どもだ。それ以外には意味をなさない。」
そう言い、男は我が頭を撫でる。
いつもなら煩わしく感じるのだが、何故か胸の奥が温かく心地いいように感じる。
「…ルディウス。スカーレットを背負って立つのは当然ながらお前は…優しく強くあってくれたまえ。大事なものを守るために。」
…大事なもの…か。
深く考えずともわかっている。レミリアとフランドール。…我が妹らは今頃、兄の帰りを心待ちにしていることだろう。
…そこで記憶は途切れる。
徐々に視界は白くなり、真っ白になった後でポツンッと切れた。緊張していた糸が途切れたかのように。
「…ん。」
…背中が微かに痛む。
視界を広げれば、目の前には稗田阿夢が此方を見下ろしていた。
「お目覚めですか。ルディウス様。」
「……人の分際で、余を見下ろすな。」
「あ、いえ。す、すみません。…ただ…余りにもルディウス様が穏やかな寝顔をなさっているもので…。」
…何をそこでモジモジとする必要がある。
「…。」
不細工にも巻かれた腹の包帯。
血は少し馴染んでいるものの、腹の傷はすでに癒えているだろうが…こんなもの誰が…。
「…汝だな。この無作法な治療。」
「あ、え…は、はい。…その、守っていただきましたので…。」
…だから、何故、そこでモジモジする必要がある。
しかし、文と鬼童の姿が見えん。対峙していたはずの風見幽香の姿でさえも。
あるのは静寂に満ちた太陽の花畑と…戦闘の爪痕が残る森のみだ。
「…文たちは。」
「文様と鬼童様は木を集めてらっしゃいます。花の大妖は…「あら、お目覚めかしら。」…あ。」
噂をすれば…というやつだ。
現れた風見幽香はえらく無様なもので。爆傷に火傷多数、そして生々しく肩から右の脇腹にかけての切り傷が残っていた。
「ここまでボロボロになったのは久しぶりよ。いや、生まれて初めてかもしれないわね。」
…えらく清々しい笑顔だ。
「先ほどまで殺し合った仲だと言うに。」
「退屈だったのよ。私を恐れて向かってくる奴もいないし。…でも疲れちゃった。どこかで…そう、どこかで休もうかしら。」
「それがいい。…余と対峙したものは傷の癒えが遅いらしいからな。」
「…そうね。」
確かめるように胸の傷を触る風見幽香。
赤いチェック柄の服を着ているため、そこまで目立たず…されど、破れた傷から漏れる血液は確実にその衣服を染め上げていた。斜めがけにかかった赤黒いタスキは激戦の証だろう。
「そこの…子兎ちゃんは貴方の贄?」
「な!?誰が子兎ですかッ!!」
…好奇心は猫をも殺す。
今の風見幽香は穏やかに笑っているが、人間風情が風見幽香に顰めっ面で抗議など…肝が冷える人間しかいないだろうな。
「…贄などではない。ただ、そうなる可能性はないとは言えない。」
「は、へ?」
「軟弱な人間が。余を情報収集の兵として使うなどという阿呆な真似をしでかしたのだ。それに此奴の記憶は非常に面白く扱いやすい。…故に近くに置いているだけのこと。同情も好意もない。…力を持たない此奴は別の意図で役に立ってもらう。」
どうせ此奴はすぐに死んでしまうだろう。
それが今になるか、未来になるか…そんなものは分かり得ない。
「…貴方は人間が嫌いなのかしら。」
「…さぁな。だが、我らは人間に棲家を焼かれた。父や母を惨殺し、吸血鬼の歴史に消えることのない傷をつけた。恨みはあるが、持ち越すものではない。」
…隣の稗田阿夢の顔が暗くなる。
此奴は先ほど、余の力を目の前で見ている。眼に焼き付けたその力が稗田阿夢にどう映ったかは知り得ないが、その顔に現れる汗を見るに恐れているのは確かである。
「生物として遥かに下位に立つ人間に復讐しようなどという気も湧かぬ。己の地位を下げるような真似はせんわ。」
「気高いわね。」
「それこそがスカーレットに生まれしものの真意。」
スカーレットの名を受け継ぎし余は常に完璧でなくてはならぬ。最強、無敵などというチープな存在ではなく、至高…万物の王でなくてはならぬ。
「…じゃあ、私のことを守ってくれたのは…。」
「何度も言っている。無駄死にするくらいなら役に立ってから死ねと。…そういうことだ。」
「…なんか複雑ですね。」
顰めっ面で口を窄み、横を見る稗田阿夢。
彼女にとっては自分は道具か何かと間違われ、使われる。使っている側の理論で言えば、役に立てば切って捨てず、役に立たなければボロ雑巾のように捨てる。酷いだのなんて言葉は此方にとっては聞く耳も持たない。
「それに…気には食わんが永久に余に従わせる術だってある。風見幽香、汝ほどの力の持ち主でも掻い潜れんほどのな。」
「馬鹿にされてるのかしら。」
「その代わり、隙が大きい。」
…これは…その時になったら考えればいいが。
一定時間、余の目を見る必要がある。30秒から1分ほど。その間、動けない為、隙だらけ。実戦に向かないどころか、出力を間違えれば物言わぬ傀儡となり、正真正銘の道具と化す。
「汝に使うこともできるが、その際に鼻骨を粉砕されてもおかしくないということだ。」
「…ふぅん。」
興味がないなら最初から聞くな。
「何喋ってるのよ。人がせっかく野宿用の木を集めてきたってのに。」
…少し時間が経ったか。
森の方から鬼童と文がやってくる。手にはいくつかの小枝と振れるサイズの枝も数本持ってきていた。
「誰が火をつけるんだ。」
「そんなもん、アンタに決まってるでしょ。アンタ以外は火、つけられないんだし。」
「…余を火種扱いか。」
これでは格好がつかぬな。
まぁいい。どうせ、余がやらねばならぬのだ。少しぐらいの不敬は許そう……。
「…鬼童。」
「え?俺、なんかやっちゃいました?」
「…そのようだ。」
この太陽の花畑は周囲を森に囲まれている。まさに隠されし美というもの。だが、それ故に背の高い森は格好の隠れ家となる。…そう、その森の中にいくつかの気配を感じるのだ。
妖力ならば確信が持て、確実に感じ取ることが可能。だが、それ以外は難しい。
「妖怪相手に夜討ちとは。阿呆もいるものだ。」
その言葉の答えとして返ってきたのは霊力の帯びた札であった。
見え見えの攻撃に引っかかるものはいない。容易く躱わすと襲撃者は姿を現す。…随分と頭数をそろえてきたようだ。
見たところ…2、30。その中には異質の衣服を纏うものだっている。襟が丸く袖が広い…白と赤の服装の人間がいくつか混じっているがそいつらからは妖力とは違う霊力の匂いを感じる。
「…野盗です。」
「…鬼童よ。もう少し周囲に気を配ることだな。」
これで余の弟子を買って出たとは…怒りを通り越して呆れてしまうな。
「ヒッヒッヒッ。花の大妖とその他の妖怪ども…。私たちはさるお方の勅命により、貴様達を討伐しにきた。大人しくしていれば死に方ぐらいは選ばせてあげましょう?」
そう言う男は手に金色のナイフを二本携えていた。顔には痛々しく斜めがけに走る爪。…服装から察するに奴が野盗のボスだろう。下卑た笑みがよく似合っている。
「私は稗田家当主、稗田阿夢ですッ!!このお方達は私のお客人ッ!!勝手は許しませんよッ!!」
「勝手してるのはどちらですか。…それよりも妖怪に殺された…となれば稗田家の従者達も納得いくでしょうなぁ。なんてたって、勝手に飛び出したのは当主様なのですから。」
「…ッ!?まさか…!?」
堂々と稗田阿夢を消すとの宣言。
それに雑多どもがニヤニヤと笑いながら、広がっていく。半分は妖怪を討伐する名目の陰陽師、もう半分は野盗。奴らの目的は恐らく…。
「汝らの目的は女か?」
…消去法だ。
金品なんてこんなところにはない。食い物も我らは山や川の生き物を狩り、生活している。つまり、ここにあり、奴らのような愚者が狙うのは女しかいない。
「人聞きが悪いですねぇ。…まぁ、負けた方はなにも言えますまい?女は生け捕り。男はぁ…殺します。」
「…愚かだ。…なんとも愚か。」
こんな奴らに殺気を向けるのも憚られるが、なめられてはスカーレットの名に傷がつく。それにいつもは冷静な文も、甘い鬼童ですらも殺気を向けていた。
「そんな頭数で我らをやれると思ったのか?…なめられたものだな。博麗の巫女も居なければ、殆どが弱々しい。余一人でも蹂躙できる。」
「はっきり言いますねえ?この銀蘭。双刀の錆にして差し上げましょう。…やれ。」