「…ん…?」
…後頭部に柔らかな感触が伝わる。それに左腕あたりにも温もりを。眼を開ければ知っている天井と…視界を半分ほど支配する何か。
「目が覚めたかしら。主人様。」
覗き込むのは幻想郷の賢者、八雲紫。柔和な笑みの奥では何を考えているかわからない。…しかし、なんだこの状況は。
「私の膝枕…あまりお気に召さないのかしら。」
「…記憶にないが。」
「釣れないわね。こっちがサービスしてやってんのに。」
…おそらく、半分閉じた目で此方を見ているんだろうが、八雲紫の顔は胸で見えん。それに動くにしても霊夢を起こしてしまう。…八方塞がりだな。
「…汝には余に対する攻撃の有無しか弄っていないはずだが。」
魔眼は眼を通じて妖力を放ち、相手の脳を惑わす。『洗脳』、『魅了』、『幻覚』…三つの効果を妖力の濃さによって変えることが出来るのだが、この女にかけたのは魅了…というよりも洗脳よりで更にはあまり強くしていない。間違えれば脳を焼き切り、脳死させるのも可能だ。
「…それに…当に汝との契約は解けている。」
「あら。習慣って怖いわね。…貴方のことをいつでも殺せるようになったのに殺さないなんて。」
霊夢を見ながら八雲紫とは視線を外す。健やかな寝息を立てる霊夢は黄昏の空明かりによく似合う。帰ってきたばかりなのだ。かなり疲れただろう。
「倒れた貴方を霊夢が心配してた。だから、私がここまでやってあげてるのよ。お布団敷くのも面倒だし。」
「いや、汝は布団が畳めぬから触らぬ方がいい。」
「…この状況でそれを言う?」
…此奴の自堕落な生活にはほとほと呆れる。呆れた声も出るというものだ。
「飯も作れぬ、洗濯もできぬ。…よくもまぁ、一家の主人が務まるものよ。」
「…このままスキマで落としたいんだけど…霊夢いるしなぁ…。」
「事実だろう。」
ため息を吐く八雲紫だが、ため息を出したいのは此方だ。マヨイガの家事は八雲藍が、博麗神社での炊事は余がやっている。此奴が一度動けば台所が焼け野原になりかねぬゆえ。
「…正直、貴方には感謝していますのよ。主人様。」
「なんだ。藪から棒に。」
…いつもは殻で自身を覆うように胡散臭さを纏う八雲紫だが、今回の言葉には何も纏っていないように聞こえた。ただひたすらに凛と澄んだ声が耳に残る。
「私はこの幻想郷を愛している。…だからこそ、最初は貴方がこの郷を壊すものだと思っていたわ。でも違った。貴方はこの幻想郷を『変えた』のよ。良い方向に。だからこそ、幻想郷は貴方を迎え入れた。良い風は迎え入れないとね。」
「…余はそのような為にこんな辺境まで来たわけじゃない。」
…簡単な話だ。東洋の地に面白い何かを発見した。今思えば、此奴や鬼、風見幽香などを含めた大量の妖力だったのだろう。血湧き肉躍る戦い…根っからの戦闘者たる余を満足させてくれた。…そして、長く生きる我が妹たちにも土産話ができた。退屈もせぬだろう。
「…結果がついてきただけだ。」
「貴方は博麗の巫女に好かれた唯一の妖怪。…だけど、もう行ってしまうのね。」
「…あぁ。一家の主人があまり家を空けてはならぬからな。」
200年。…それは妖怪にとっては短い時間だ。だが、兄に何か言いたいことぐらいはあるだろう。成長したあの子らと会うのは楽しみだ。
「できれば、幻想郷にいて欲しい。…と言ったら貴方はどうする?」
「…残念ながら汝は余にとって何の魅力もない。この子も人間だ。肩入れすれば後悔するならこちらだ。」
…まだ眠る霊夢の頭を撫でれば、少しだけ眠りながらも微笑む。如何に傲慢な己とて取捨選択ぐらいは出来る。博麗の巫女や幻想郷の賢者妖怪よりも血のつながった妹らの方が余には大事なのだ。
「そうね。…人間はすぐに死ぬもの。でも、何の魅力もないは酷くないかしら。」
「事実だ。…何の理由もなく殺されかけた女に憎悪以外のものは持たぬよ。」
「ふうん。まぁ、私も貴方は憎いんだけどね。頭までいじられて…こんな感覚不愉快以外の何者でもないわ。」
…ここで出会った奴らとは何もない。
家族でもなく、友でもない。今いる此奴らも利用価値があるだけ。すでに血は凍っている。八雲紫の冷たい声色はそれを明らかにしていた。
「…でも、貴方はまたこの幻想郷に戻ってくる。…違う?」
…明らかに優しいその声色は本音に近かったかもしれない。
「…くだらん。…それを決めるのは余だ。」
「あら。じゃあ、期待しても良いのね。ほら、なんだかんだ貴方は良くしてくれたし。…霊夢のためにもね。」
前言撤回だ。この女は余を道具か何かと勘違いしている。利用価値だけで見るのは同じ妖怪か。口から出るため息に八雲紫は笑っていた…気がする。何度も言うが、顔が見えぬゆえ。
「…玄天。」
…流石にこのままでは格好がつかぬ。懐にあった玄天を僅かに抜き、風を起こす。その風は微風よりも優しく吹き付けるそれは霊夢を起こさぬように上へと上げ、己の体から退ける。そして、霊夢の頭を八雲紫の膝へと乗せるように運び、何よりも丁重に下ろす。
「あら。私のお膝はお気に召さなかったかしら。主人様。」
…当てつけのように余を主人と呼ぶ八雲紫。その顔はなぜか晴れやかな笑みだった。
「…母親ごっこなら子ども相手にやっていろ。」
その横に腰を下ろし、ため息を吐く。
残念ながら体力は完全には戻っていない。あの戦いは壮絶なものだった。過去類を見ぬ…というのは大層だが、どうせ、疲れて眠ったのだろう。
「汝の遊戯には付き合わぬよ。余は余だ。」
「…兄貴ごっこしてるのはどっちかしらね。…でも、幻想郷に居て欲しいのは本心よ。さっきも言ったでしょう。私はこの郷を愛してる。貴方がこの郷には必要だと判断したの。…まぁ、肩入れはしないけれど。」
そう言って八雲紫は霊夢の頭を撫でる。
優しく…正しく母親のように。いくつも顔を持つ奴が少しばかりでも本心を口走ったのは魔眼の影響か何かか。いや、確実に効果は切れている。
「汝は余を殺したいほど恨んでいると思ったのだが?」
「…ええ。私や藍を道具扱いしたことには虫唾が走りますわ。八つ裂きにしてもおかしくない程。けれど、貴方はそれ以外はしなかったじゃない。」
「…妖怪に肉欲はない。愛情もな。」
「なら、どうして貴方は霊夢を助けに行ったの?」
…八雲紫は此方を見てそう言い放つ。
そのアメジストのような目は何か…心を見据えているかのようで不愉快である。咄嗟に眼を逸らしてしまった。
「知らぬ。くだらぬ質問をするな。…それとも、霊夢が犯された方が良かったか。」
「…貴方、自分のせいで襲われた…そう思ってない?」
「…汝は余の何を知っている。」
燻っていた炎に油でも撒かれた気分だった。胸の奥の小音がだんだんと大きくなっていく。ザワザワとした感覚と相まって気分がすぐれない。八雲紫はただそんな余を見据えるのみ。平然を装っているものの、目に力が入る。
「何も。…ただ貴方は多分だけど…貴方が言うほど酷い男じゃないのよ。」
「…酒の席でもない。くだらぬ妄言を吐き散らかすな。」
…余は余だ。余のすること全ては余が決め、余が面白いと思うからやっていること。幻想郷に来てくだらぬことにも多々付き合ったが、全ては結果的に余に帰ってきている。
「…その気になればこの郷を壊すことも可能である。そんな怪物をここに縛りつけるな。余は紅魔館の主人だ。」
「そんなつもりは毛頭ないわ。ただ一つ…言うなれば。」
言葉を溜めて…一言。
「私は寂しいわ。」
八雲紫は微笑みながら、柄にもないことを言った。嘘も方便…だが、嘘をついていないことは百も承知だ。
「…くだらん。」
本気にするなど百害あって一利なし。
冗談が衣を着て歩いているようなこの女に胸が熱くもなんともならん。
「あら。照れてる?」
笑いながらそう言う八雲紫に反吐が出る。
ケラケラと笑い、此方を指す指をへし折ってやろうか…。
「貴方といたら毎日が退屈しなくて住むもの。…昔は誤解してた。今みたいに人間の為にボロボロになるなんて思ってなかったから。だから、殺したいほど憎んでた。脳みそぐちゃぐちゃにされる、その時までね。」
「…殺意まではいじっておらん。」
「手が出ないもの。すぐにやめたわ。…気持ち悪くて仕方ない。だからこそ、貴方がこうなったことは私は誇らしいのよ。吸血鬼の王様が1人の女の子のためにボロボロになるなんてね。」
…霊夢が余を拒絶していれば迎えになんぞ行かなかった。選択肢は色々あったろう。なのに、余は天狗を敵に回してでもこの少女を助けたかった。存外、甘いのかもしれぬ。この女の言うように。
「…これは余のケジメだ。連れ回した挙句に連れて行かれたのだから。」
「そうね。貴方の変に真面目なところ、悪くないと思うわ。」
…変にと言う言葉は余計だが。
遠く…神社の奥を見つめる八雲紫は変に絵になった。後ろから…右からくる陽光が影を生み、影のある美人を演出していた。絵が描けるなら思わず筆を取っていた…だろうが、余にそんな趣味はない。
「…汝に評価させる筋合いはない。」
「褒めてあげてるのよ?…全く。」
「どうでもいい。」
八雲紫はため息を吐き、頬に手をつく。
「少なくとも…明日はいる。この子が楽しみにしている夏祭りだ。」
「…ほんと、霊夢には甘いわね。いや、案外本質は変わらないのかしら。」
明日が終わればここには居ない。
最後の一日だ。急ぎではないが、そろそろ戻らねばと考えている。明後日は満月の刻。それは吸血鬼にとっては祭りのような時間。耽美なその刻に帰るのは必然とも言える。
「次は妹らも連れてこよう。」
「そう。…また騒がしくなるわね。」
どこか上の空の八雲紫を他所にただ息を吐く。
もうすぐ飯時だ。…霊夢のために用意をしておこう。
急にアンタのことが好きは違うだろうと。それは今作無しに。タグが増えるかも知らんなぁぁ…でも、ただでさえお兄様は女に興味ないしなぁ。