「…いつ来ても煩わしいな。ここは。」
…耳が良い分、祭囃子が余計に騒がしく聞こえる。人里で行われる夏祭り。あらゆる場所で屋台同士が客呼び合戦をしていた。歩けばソース類の焼ける匂いがあたりに充満し、食欲をそそる。普段ですら活気ある人里だが、祭りの時は別である。
花火は妖怪を呼び込むため、今年は禁止とされていたが、結界の強化と鬼などの危険な妖怪の地底落ち。更には護衛として天狗たちを使うことで今回は花火を実現させた。全ては霊夢のためである。
「あれ食べたいっ!!」
指を指すのは焼きそばの屋台である。
「ふむ。」
霊夢は煎餅だのなんだのしょっぱい物を好む。この歳の娘…という先入観は無しにしよう。
…祭りの屋台というのは他の場所よりも値段が高い。魔力の消費を対価に金を生み出す魔法の持ち主たる余なら全くもって渋るほどの値段ではないが、楽しみを買いに来てる分、高いのであろう。
ソースの染みた小麦麺は下の上に塩味を残す。上に乗った目玉焼きは塩味を卵黄がまろやかにしてくれる。悪くはない。
「お待たせ。主人様。」
歩いていた我らに近づくは下駄の音。カランコロンと言う音と共に現れるのは幻想郷の賢者さまである。腰まで伸びる長髪を頭で編み込み、団子のようなものにかんざしを突き刺している。元々のドレスとは同じく、紫の浴衣は花の模様を描かれていた。
「どお?」
「…重そうだな。その頭。」
その言葉に八雲紫の笑みは消え、頬を風船のように膨らませ此方を睨む。褒めてもらえるとでも思ったのだろうが、正直どうでも良い。
「浮かれてるんじゃないか。」
「なによ。自分も浴衣のくせに。」
「いつもの格好では浮くではないか。こういうものは郷に入っては郷に従えだ。」
…余に相応しい真っ黒な浴衣。送ってきたのはこの目の前にいる女だ。長く一緒にいたからか、この女は此方の背丈を完璧に把握している。おかげで服を買う手間も省けたというわけだ。
「霊夢も髪の毛結ってもらってるじゃない。良かったわね。」
「うんっ!!お兄ちゃんがやってくれたんだっ!!」
そう言って笑う霊夢の頭は三つ編みに結われた髪が彼女の黒髪に更に編み込んでいた。折角の浴衣だ。出来るだけ綺麗にしてあげた方がいい。
「手先は器用なのだ。」
「…貴方、なんでも出来るわね。」
「なんでも?…出来ることだけだ。」
女の髪は命だと。昔の本で読んだことがある。一度間違えば本当に命を刈りかねない腕。血塗られた手で無垢な少女の髪を触っているとは、我ながら恐ろしい。
「鬼童は。」
「あの人はまだ研鑽を続けているわ。…今日は来ないでしょうね。」
…あのクソ真面目が。このような時ぐらい羽目を外しても良いものを。
「…しかし。良い時代になったものだ。」
博麗の巫女がいるとはいえ、幼く、まだ人里の住民は彼女を期待していないだろう。のにも関わらず、このように妖怪が跋扈しても憎まれ口を叩かぬのだからな。
「…貴方が怖いんじゃないの?」
ため息混じりにそう言う八雲紫。
人里の人間は稗田阿夢の幻想郷縁起に語られる余の姿は人心を解すものの、殺戮に容赦のない怪物。それを人々は学び、余に吹っかけては来ないのだと。
「不敬は妖怪も人間も同じだ。そこに種族も歳も関係ない。余は優しくはしてやっているはずだ。」
…不要な殺傷は避け、人間に一切の被害は被らん。そのはずである。まぁ、人間が身の程を知り、襲ってこないのは吉兆。人里での行動がしやすい。
「人間の血で余の衣服が汚されては困る。それに立場を理解しているのはいいことだ。」
「そう。…この郷に妖怪と人間の隔たりはないわ。最も畏怖の対象としての生物である話の聞かないタイプの妖怪なら別だけれど。霊夢が大きくなったら、もっと無くなるでしょうね。」
…今、余の傍でりんご飴を頬張る幼き巫女様はこの郷の希望である。八雲紫の母親の如き優しげな笑みはその期待の現れか或いは親愛か。何にせよ、余の妹分だ。最強になってもらわねば困る。
「さて、そろそろ場所取りと行きましょう。良いお酒を持ってきたの。」
くすりと笑う八雲紫。
いつもなら扇子で隠しているのだろうが、その顔にいつものような胡散臭さはなかった。
「…語らうことも無かろうに。汝は余の手駒として頭を弄られているのだ。」
「あら。その件に関してはお話は済んだと思いましたけれど。」
…何処までが本来で、何処までが余の都合良く改竄されているかは余にもわからん。霊夢を天狗から救い出した最近ではよりこの女は笑うようになった。阿呆の一つ覚えのように。
「私も藍もその件に関しては貴方を許してはいませんの。ただどうせ殺すことが出来ないなら…諦めるしかないでしょう?」
「…なるほど。」
その言葉は自身に言い聞かせるようにも聞こえた。はっきり言って魔眼にはそれほどの効力はない。前にもこの女にもう効果は切れていると言ったはずである。それは催眠や幻覚でもなければ、そこまでの妖力を入れたものではないため。
「今はこの瞬間を楽しみましょう。ほら、あんなにも月が綺麗なのだから。」
…天頂に向かっていくのは一片の翳りも見せぬ巨月。八雲紫は何処からか敷物を取り出すと其処に敷く。少々人里から離れるものの結界内で静かな場所であった。
「霊夢はお茶にしましょうね。」
「はーい。」
「余はワインを所望する。」
「そんなもん無いわよ。日本酒ね。」
…呆れられた声でそう言われた。この女のスキマは便利だ。荷物が少なくて済む。渡された盃に月が映る。満ちたそれは漆黒の空にしっかりと存在感を表していた。
喉を通る甘さ。舌を突き刺し、喉を焼く痛みには慣れぬが、これはこれで悪くはない。勿論、満月の夜には紅茶にケーキ、或いはワインなら乙なものだが。
「…どこで見ても変わらぬ。月の青さだけは。」
青白色に明るく光を灯す翳りのない月。いつか行ってみたいものだ。余にとっては母親のようなもの。心の奥底から月には敬拝する。
その宵闇の静寂を掻き切るが如く、空へと上がる一輪の大火。普段ならば邪推であると破壊するところだが、今宵ばかりは許してやる。
「わぁっ!!わぁ〜!!」
霊夢もキラキラとした眼差しで空を眺めていた。耳が幾分か良い分、此方としては騒々しいことこの上ないが、これも悪くはない。
「…明日だ。明日旅立つ。」
「…急に何よ。」
思いついたようにそう言うと八雲紫が此方を睨んだ。
「霊夢は寂しがるわよ。急に消えたら。」
その言葉は花火に釘付けな幼巫女には届いていない。
「言葉をかければそれこそ辛いだろう。わかっているものには何もできない。」
「…でも、何か一言言ってあげたらどう。…きっと何も言わない方が悲しがる。」
少々悲しげなその声は花火の轟音の隙間を縫って聞こえた。夏の穏やかとはほど遠い生温い風が身体に吹き付ける。
「…幼く…そして、純粋。幾度とも別れを体験するだろう。余は苦しめる為に何も言わぬのではない。帰ってくる為に何も言わぬのだ。」
「帰ってくる?」
「…阿呆はどちらか。存外、この郷での暮らしは楽しかった。」
その言葉と共に最後の一輪が空へと咲く。
終幕を終えた花火は音を静かにすると共に空へと散る。酷く穏やかな心だ。ざわめきもなければ、ノイズもない。
「お兄ちゃん!すごかったね!」
「…あぁ。」
何の話も聞いていない無邪気な幼巫女は微笑みながらも近づいてくる。その柔らかく細い黒髪をくしゃくしゃに乱すかの如く、頭を撫でる。真意を知ってもなお、八雲紫は此方に別れの言葉を催促するが如く、睨みつけていた。
「…霊夢。」
「ん?」
純粋無垢な宝石のような真っ暗な瞳には余の姿はどう映っているのだろうか。腐っても殺すことを躊躇わぬ凍血の持ち主だ。…こんなにも純粋なものを理解はし難い。
「…少し遠くへ行ってくる。」
「え?」
「…約束しよう。必ず帰ってくる。故に…さよならは無しだ。」
理解に時間がかかっているのか、その頭は結論をすぐには出さない。幼子は目を丸くして、余を見据えるのみ。
「お兄ちゃん…。来年は花火見られないの?」
…時間がかかって出てきたのはそんな言葉だった。何かのきっかけで糸が切れれば彼女は豪雨の如き涙を流すだろう。
「…あぁ。少し時間がかかるのでな。…だが、いつか見よう。約束だ。」
口から出たのは己でも聞いたことのないほど穏やかな声だ。霊夢は目に微かに涙を溜め、此方を見る。口から出たのは…。
「約束…だもんね…!!絶対だもんねっ!!…破らないでね…!!破ったら許さないから…!!」
「余が約束を破ったことがあるか?」
「…ない。」
「そういうことだ。」
…少々鼻声なのは涙を堪えているからだろう。別れが寂しいのはいつの世の人間も同じである。
「…思い立ったが吉日。…行ってくる。」
これ以上人間に情が湧かぬよう。翼を広げあの日のように飛び去る。
「お兄ちゃーんッ!!絶対ぜーったい!!帰ってきてね〜ッ!!」
…大声で叫ぶ霊夢に返すのは無言の背中。さようならを言わない限り、縁は絶えることはない。空は純黒そのもの。花火の余韻も消え、民衆は家へと入っていく。祭りの賑わいは無くなり、その姿は幻想の夜そのもの。…さて、我が愛する妹たちの元へ今一度帰るとしようか。