数年ぶりの人の街は汚れた空気に満ちていた。昔ほどではないが、大気は汚れている。森の館で過ごしていたからだろうか。
「る、ルディウス様…。」
咲夜はずっと俯き、顔を赤く染めている。慣れない服で大衆の目を向けられるのが得意ではないのだろう。握っている手がギュッと強くなるのを感じる。繋がった手からは咲夜の熱が伝わる。
「あ、あのっ…。」
「さて、どこから回ろうか。」
「その…おて、おてて…。」
震えながら譫言のように呟く咲夜。
そう言えば、最近は手を繋ぐことはしてなかったか。幼い時は肌身離さず…というのはおかしいかもしれないが、ほとんど出かける時はいつも握っていたはずだ。どうせ、大きかろうが小さかろうが、咲夜は咲夜だ。どうでもいい。
「小さい頃はこうして手を繋いだろ。…そんなことは気にするな。」
「うっ…はいっ…。」
…もじもじとする咲夜を他所に周りを見渡す。人が跋扈するビル街。正直言って人が多すぎる。昼前では足場がない。そして、咲夜を男が見る目。…肉欲に正直すぎる。何故か、咲夜は俯いてその視線に気づいていないが。
「咲夜。」
「ひゃっ…。」
咲夜の目の前にあるのは側溝だ。
そのまま行けばせっかくの純白が泥だらけになる。今は手繰り寄せて咲夜が落ちるのを阻止したが、次はこちらを歩くか。
「注意散漫だ。気をつけよ。」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
胸の中の咲夜は顔が真っ赤になっていた。陳腐だが、リンゴのように。…風邪でも引いているのだろうか。いや、ちゃんと毎日、風呂上がりは髪を乾かせ、夜中も12時には寝かせているつもりだ。風邪を引く要因など…ないはず。人間の身体の構造はよくわからん。
「何を驚いている。大袈裟だぞ。」
「だ、だって…!!ルディウス様、今日は何かと近いのでぇ…!!」
「はぁ…。これだけ人がいるのだ。距離感など自然と近くなる。…疲れたなら少し休むか?」
ちょうどカフェを見つけた。
昼飯にはちと早いが、ティータイムは時間を選ばない。咲夜が疲れたのなら入るわけだが。
「だ、大丈夫…です…」
「ふむ。…ならば、少し行きたい場所ができた。」
「い、行きたい場所…ですか?」
レミリアやフランドールにプレゼントがしたい。
生まれてこの方、あの子らには本当に迷惑をかけた。それにもうレミリアは500歳だ。淑女と数えられてもいい歳である。スカーレットの女というのは高潔であることが絶対だ。だからこそ、宝石でもプレゼントしよう。見た目の豪華さと共に虫除けになる。
「宝石店に行きたい。レミリア達にプレゼントがしたい。」
「お、お嬢様たちに…。そうですね。いいと思います。」
レミリアたちの話題を出すと咲夜の顔の赤が消える。従者として連れてきたわけではないが、責が彼女を元に戻したのだろう。柔和な笑みは正真正銘、彼女のものだ。だが、何故かその前に少し落胆を見た気がする。
宝石店はいくらでもある。
イギリスの金持ちのステータスになるからだ。石ころがとんでもない値段になるのだから、世の中というのは末恐ろしい。たまたま入った宝石店ではアメジストにルビー、サファイアにエメラルド…品揃いは悪くない。
「いらっしゃいませ。」
上品な男性店員が出迎える。立派な髭を生やした翁だ。…貫禄も少々感じるが、コソ泥を撃退できるとは思えない。
「妹らにプレゼントがしたいのでな。少し見させてもらう。」
「ごゆるりと。」
…さて。レミリアには何が良いだろうか。あれは宝石の価値がわかるだろう。フランは…何も言うまい。羽根が宝石のようだが、まるでそれを理解していない。文字通り、宝の持ち腐れだ。あれは壊れないぬいぐるみの方がいいか。
「で、では。私は外でお待ちしておりますね。」
「何故だ?…汝の意見も聞きたいのだが。」
「…しょ、承知しました…。」
咲夜は何かいたたまれない気持ちになっているようだ。…わからぬわけではない。上級階級の貴族御用達の宝石店のようだが、周りの女たちよりも咲夜は突出している。その男たちの目が彼女に突き刺さっているのだ。…誠に眼中にはないが。
「…なるほど。」
咲夜にも虫除けが必要か。
「もし。…これを2人分。」
「畏まりました。」
魔法で出した金を渡し、買ったのは指輪だ。
見栄を張ったダイヤモンド。小さいが大きすぎても咲夜には似合わない。
「手を出せ。」
「へ?」
間抜け面の咲夜の手を取り、左の薬指へと通す。場所の意味は知らんが、母上はこれ見よがしにここにつけていた気がする。
「そ、そこは…ルディウス様!?」
「虫除けだ。汝に別の男が寄り付かぬようにな。」
ただでさえ、人と話すのが苦手な咲夜だ。男のせいで、外に出たくないと思ってしまっては無意味である。手につけるのはナイフの使用感を変えるかもしれないが、仕方ない。しかし、先ほどから咲夜が騒々しい。顔を真っ赤にしては大袈裟に声を上げる。…何故だ。
考えても仕方ない。同じものをつけるのは所有物であると周りに見せるためである。レミリアたちには…イヤリングでも買って帰ろうか。付けたがらないだろうが。
「いい買い物をした。」
右手の薬指に光るダイヤの指輪。ブローチやネックレスの方がいいかと思ったが、掃除や洗濯の際に外せる方がいいだろう。それと目についたからだが。
「…る、ルディウス様…こ、これは…。な、何でお返しすれば…。」
成長したメイドも流石のことに戸惑っているかに思えた。耳まで赤く染め上げ、声が上擦っている。お返し…なんて言葉が出るのだ。律儀である。
「他愛無い。返す必要などないわ。」
「し、しかし…け、決して高くありません…!!私には勿体無いかと…。」
自身の手を押さえながら胸に手を置き、目を見開き言い放つ咲夜。謙遜しているのだろうか。…はっきり言って勿体無いとは思えない。
「…咲夜。」
「は、はい。」
「余は阿呆でな。物の価値などわからぬのだ。」
歩きながら口を開く。
先ほど見つけたカフェに向かいながらその手を握る。
「そんな…ルディウス様は素晴らしい方ですっ!!私を拾ってくれた命の…。」
「金は湯水のように沸く。魔力がなまじ多い分、使い方次第では歯車を崩す力となる。」
時間がかかればこのダイヤの指輪も作れないわけではない。目についたから買ったまでのこと。物とは余にとってその程度である。働き、金を手に入れたことなど生まれてこのかたない。小さい時も金はあった。…路銀がなくなってようやく金を作る魔法を見つけた。だから、金の価値はわからない。
「しかし、ルディウス様は当主様です。そんなこと知らなくても…。」
「金があることはどうでもいい。価値がわからぬことが問題なのだ。…だからこそ、そのダイヤも余にとっては石ころにしか見えぬ。」
咲夜の頬に触れると悲しそうな顔をこちらへと見せる。
「何人たりともルディウス様を愚弄することは許しません。…私は悲しいです。ルディウス様がご自身を否定なさるのは…。」
「…だからこそ、そのダイヤは汝が持っていろ。」
「…え?」
間抜けヅラにももう慣れたな。
頬を撫でると咲夜の目が僅かに閉じる。くすぐったいのだろう。大衆の面前ということも忘れるほどである。
「金の価値も物の価値もわからぬが、汝の価値を上げるのは確実ゆえ。…汝と共にスカーレットの家の名も上がる。」
「…あっ…。承知いたしました。ご主人様?」
髪をかきあげると彼女はにっこりと笑った。余も笑えているだろうか。口元は動いているのを感じるが…。周りの目も気にならん。ダイヤの指輪が咲夜を守ってくれるだろう。
「では、飯にしよう。」
「お供致します。」
…咲夜の顔も晴れやかになった。