窓辺に席に座り、優雅に珈琲を嗜む。漆黒の水面に口をつけ、飲めば濃厚な苦味が舌の上を僅かに突き刺す。アテのように、隣に置かれた純白のショートケーキの先端をフォークで切り、甘みに飢えた口に放り込む。
「ご主人様。お昼ご飯ではなかったのですか?」
時刻的には11時半。今から何かを食べようとして、ケーキとコーヒーを選ぶなど阿呆も甚だしい。
「腹でも空いたか?」
「…いえ。」
咲夜が渋々こう言うのも訳はわかる。
個人的な見解だが、店の料理は悉く口に合わん。余は幻想郷の、咲夜はそんな余の料理を食べて育った。故に舌が肥えてしまったのだろう。栄養に美味いも不味いも無いが、せめて美味いもので腹を膨らませたいものだ。
「…そうだ。」
思い出したかのように胸元から小箱を取り出す。
ダイヤの指輪の後だと陳腐ではあるが、咲夜自身へのただのプレゼントとして昔購入した骨董品である。
「これを汝にやろう。プレゼントだ。」
「これは?」
「開けてみよ。」
咲夜はゆっくりとその小箱に手をかける。上箱を開けるとその目は輝いたものとなった。咲夜が箱から取り出したのは銀色の懐中時計だった。
「思えば汝には何もやれていなかったからな。一人前と認めた時、その懐中時計を贈るつもりだった。持っておけ。」
「…こんなにも…色々貰って…。」
そういう咲夜の目には涙が溜まっていた。
それでもドレスにかからないように自身の指で拭い取るのは流石だった。別に汚してもいい。似合うからという理由で買い与えたのだ。
「色々感謝している。汝は人間だがよくやっている。…その感謝の印だ。」
「咲夜には勿体無いお言葉です…!!」
目の周りが真っ赤だが、贔屓目に見ずとも咲夜は麗人と言える部類だ。笑っていた方がいいに決まっている。
「そろそろ出よう。」
「はいっ。…これ、大切いたします。」
噛み締めるように彼女は首にそれをかけた。
カフェから出れば人の波が少し収まっていた。皆、飯を求めてどこ吹く風の如く、散り散りになっていたのだ。咲夜の緊張感はもうない。絡められた手は彼女から握ってくる始末である。離れぬようにという意味合いも込めていたが、咲夜から握ってくるのは初めてなのだ。
「…少し、恥ずかしいですね…。」
「手などいつでも繋いでやる。…どうせ、妹達とも繋ぐのだ。」
…暖かい。そして、細く柔らかい。
力を入れれば音を立てて赤い血飛沫をあげて、壊れてしまうだろう人間の手。恐れずともそれを握る咲夜の手。昔の余が見れば大声をあげて笑っていただろう。
「私はルディウス様には子どもにしか見えないんですね。」
「当たり前だ。…人間など余にとっては短き命。」
人間と妖魔のそれは美談か。
人間は肩入れしてもすぐ居なくなる。肩入れすれば此方だけが損をするのだ。
「…私はルディウス様のためなら人間を捨てられます。」
「滅多なことを言うんじゃない。」
優しく指で彼女の額を小突く。
ひどく渇望しているように聞こえたからだ。言葉は実現を可能にする。
…人間を捨てるか。
咲夜には人としての幸せを渇望する。幸せに生き、幸せに結ばれ、幸せに死んでいく。そんな夢物語を抱くのだ。…幸せの押し付けではあるだろうが、咲夜にとってはそれがいい。
「人間である汝を家族として迎え入れた。その価値がなくなれば余は汝に興味を失う。あとはわかるな?」
「…はい。申し訳ありません…。」
「よい。謝るな。」
下がった頭に手を置く。
銀色に光る髪はシルクのような柔らかさだった。頭を撫でられ、はにかむように笑う咲夜。その笑みだけは幼い頃から変わらない。
「余を1人にさせぬ。その汝の優しさはこの身に沁みたぞ。感謝する。」
…柄にもないことを言ったものだ。
咲夜も言葉を失って笑うばかり。なにせ、この子のあと80年余りという人生は余が買ってしまった。…1人で死ぬことに咲夜も未練があるのだろうか。
「ご主人様。…少し1人になってもよろしいでしょうか。」
「ん?…何故だ?」
「その…お手洗いに…。」
内股を動かし、赤らめた顔で此方を見る咲夜。1人になると言われた時には少し心配したが、トイレに行きたいのなら仕方ない。手を離し、了承する。咲夜はトタトタとビルの中へと消えていった。…暴漢には少し心配だが、咲夜ならやれるだろう。
さて、咲夜がいなくなって暇だ。話し相手がいないのに離れているはずだが。このような往来で待たされるのは少し面倒だな。まぁいい。そういえば、レミリアにはブローチを買ったがフランには何も買っていないことを思い出す。ぬいぐるみでも買ってやろうか。…すぐに白い綿毛になって消えてしまうだろうが。その時にはまた買ってやればいい。
もうすぐ幻想郷に行くのだ。友達は多い方がいいだろう。レミリアには少し幼稚すぎるしな。…2人の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
「もし…そこの…若旦那。」
…余の崇高なる想像に横槍を入れるのはしゃがれた老婆の声だった。老婆というには少し澄んでいるようにも聞こえたが、それでも老婆は老婆だ。聞こえたのは路地裏。そこに居たのは無様な布に身を包んだボロボロの老婆だった。
しかし、その顔には見覚えがあった。今しがた、トイレヘと行った余の従者にそっくりなのだ。
艶かしく、足を重ね、こっちに来いと手を招く老婆。皺は刻まれているが、確かに綺麗な部類だろう。だが、相手は妖怪だ。人間如きのそれでは欲情なんてするわけがない。
「私の体買っていかないかい?安くするよ?」
「くだらん。断る。」
「ふふっ。若い男はみんなそう言うさね。…兄さん、イケメンじゃないか。」
シワの刻まれた目を開ける。
真っ赤な目まで醜悪なまでにそっくりだ。…だからこそ。
「その歳で男漁りか。…汝、子持ちではあるまいな?子供ができて旦那との夜に水を刺された口か?」
鎌をかけた。
口角が上がる余に対し、老婆は少しムッとする。
「子どもなんていないさ。…昔には居たけれど死んだよ。吸血鬼に攫われてね?」
「ほう?」
「大金を払って助けに行ってもらったのに…その末路が残滅さ。こりゃ、死んだと思うしかない。哀れだろう?」
…怒りに歪んだ顔がニヤリと歪んだ。
老婆は嘲笑うように言ったのだ。…人間というものは賢く醜い。少しはその舌に油を垂らしてやろう。
「その子のこと、どう思ってる?」
「あぁ?…化け物だよっ!!アレの力のせいで男も寄ってこないわ、アレが消えたせいで夫の苛立ちがこっちに向かってきて私が殴られるわッ!!…そのクソ男も戦地で死んで残ったのは借金だけッ!!娘に私の世話をやらせようと思ったら頼りのヴァンパイアハンター協会は戦死だよ。…全く、私が何をしたって言うのさ。」
女はそう言い放つと得意げに小さな胸を張った。
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「我ながらなんて酷い嘘を…。」
ほくそ笑みながらそう言う。
手にあるのはご主人様に似合うと思って目をつけていた赤色のイヤリング。あの人は赤が好きだから、急いであの宝石店に向かった。毎日の家事のお駄賃とやりたいことがないおかげでお金だけはたらふくあったからだ。
あの日…拾われた頃と街並みは変わらない。
冷たいアスファルトはあの雨でさらに冷たくなり、子どもながらに死ぬかと思ったあの日。…私にとっての神様に出会った。
…その日から少しずつ幸せというものを噛み締めていた。暖かいご飯、暖かいお風呂、新品の服…暖かいベッドでルディウス様の横で眠る。それが大好きになった。
「早く行かなきゃっ。」
柄にもなくワクワクしている。
あの人はまた撫でてくれるだろうか、褒めてくれるだろうか。あまり笑わないけどそれでも優しいあの人の声が好き。だからこそ、今、急いで足を動かしている。喜んでくれるといいなぁ…って。
「お待たせしま…。」
…上がった口角が少しずつ下がっていく。聞こえた言葉、聞こえた声は深層心理に刻まれていたもの。聞こえてしまった…の方が近いかもしれない。プレゼントを入れた袋を持った手が自然と下がる。
その声はとても…懐かしくて聞きたくなかったその声に体が震えていた。それは母親の声だった。私を産んだ人の声。
「あぁ?…化け物だよっ!!アレの力のせいで男も寄ってこないわ、アレが消えたせいで夫の苛立ちがこっちに向かってきて私が殴られるわッ!!…そのクソ男も戦地で死んで残ったのは借金だけッ!!娘に私の世話をやらせようと思ったら頼りのヴァンパイアハンター協会は戦死だよ。…全く、私が何をしたって言うのさ。」
…化け物。
その言葉によって私はあの家から追い出された。暴力を振るお父さんよりお母さんが大好きで、お母さんの食べたかったりんごを持ってきただけなのに。…瞬間移動がお気に召さなかったみたい。心がズキリと痛む。本心なんて知らなくてよかったのかもしれない。逃げ出したかった。…いや、逃げ出せなかった。足がすくんだから。
お母さんにバレないように物陰に隠れて話を聞く。
「あんな子は産まなきゃよかったよ。飯代だけでもバカにならないってのに…。」
「あぁ。…あの子はご飯を美味そうに食べるからな。」
…次に聞こえてきたのは低いけれど優しい声だった。何を言われるか、少し怖い。いけないことだけど聞き耳を立てる。
「はぁ?アンタ、あの子の何を…。」
「…ここでは見せないつもりだったんだが。」
そう言うとルディウス様の影が大きくなる。鎖骨からは彼の綺麗な真っ黒な羽が生え、目は黒から赤へと変わる。それと同時にお母さんの顔が青ざめていく。
「あ、アンタ…吸血鬼ッ!?」
「ご明察。…人間のいざこざなんざ知ったことではない。男が死のうが女が路頭に迷おうが、余の知る範疇ではないが…家族の罵倒は別だ。」
…いつもと声のトーンは変わっていないけれどそれだけでわかった。ルディウス様は怒っていた。チラリと見たら、お母さ…女はそれを見て目を見開き、震えていた。怯えていた。
「ば、化け…。」
「…あの子はいい子だ。時には自己を犠牲にして、守りたいものを守りたがる。貴様のことだって最初は迎えに来ると信じていた。…裏切った貴様の人生を腹を痛めて産んだ実の子に押し付ける…貴様の方が化け物だろう?」
背中だけで…見ていたわけじゃないけれど、ルディウス様は笑っていたと思う。その…ルディウス様のはなった言葉に…なぜか視界が歪んだ。頬に暖かい感触が伝わる。…地面は何故か濡れていた。
「な、アンタごとき何がわかるって…!?」
「…さぁな。貴様のことなど理解に苦しむ。…ただし、一つだけ。あの子に家族がいなかったことは理解した。汝はあの子になにか買い与えたことはあるか?」
「返しなさいよッ!!あの子はウチの…!!」
「ウチの家族だッ!!」
…バンッという音と共に、ルディウス様の足元に亀裂が走る。感じるのは荒々しく吹き付ける殺気のようなもの。…ルディウス様は普段、声を荒げない。どんなことがあろうと冷静だった。そんな彼が人間相手に声を荒げ、殺気を出している。目の前の女はその勢いに縮こまっていた。
「よ、妖怪が人間を家族にするなんて…聞いたこともないッ!!アンタは…あの子を殺すつもりなんだろうっ!?」
「どの口が。…貴様はそのまま飢え死にさせようとした。」
「仕方ないだろッ!!化け物がいたら私の価値が…!!」
直後、ルディウス様の手が老婆のしゃがれた首に伸びた。手を動かすだけでその首は千切れてしまう。加減をしているのだろう…。
老婆は目を見開き、口から血を流して、もがいていていた。
「…貴様の価値など知ったことか。あの子の名前も呼んでやらない屑が…。余は妖怪だ。人の血など通っておらぬ…凍っている血の持ち主だ。だがなぁ…家族を愚弄するものに…慈悲などないッ!!」
「あ…ぐっ…アガァァァッ!?」
…そう言うとルディウス様の手から炎が上がる。その炎は女の身体を炭化させる。悲痛な声をあげながら灰になる。できた灰色の山は風に巻き上げられ、その場から消えていってしまった。
「…貴様に咲夜の何がわかると言うのだ。」
ボソリと呟いたその言葉は悲しそうに見えた。ルディウス様が此方へと迫ってくる。
「ルディウス様。」
「…なんで泣いている。」
ルディウス様の言葉にハッとする。
そうか。私は泣いていたんだ。その場に立ち尽くして、鼻を啜って泣いていたんだ。母親が死んだから悲しいのか…いや、家族と言われたのが嬉しかったのだろう。胸に去来するのは暖かな気持ち。ルディウス様はその涙を指で拭う。
「…ん?それは?」
「えっと…今日の…お礼です…。」
涙を拭って、ルディウス様に買ってきたイヤリングを渡す。…はこはちょっと不格好になっちゃったけど…受け取ってくれるかしら。
「…ありがとう。」
ルディウス様は少し口角を上げるとその箱を受け取った。ルディウス様がそれを開けると紡錘型の赤い宝石がぶら下がったイヤリングを見て、微笑んだ。一つ取るとルディウス様はそれを耳につける。
「似合うか?」
歯を見せ微笑むルディウス様。
左耳に光り輝く紡錘状の宝石が揺れる。
「ええ…とてもお似合いです。」
そう言うとルディウス様は私の頭を撫でてくれた。本当にそれだけでとても愛おしくなる。ルディウス様は私を家族にしてくれた。…この方のためなら命すら惜しくない。
「帰ろう。」
「…はいっ!!」
胸に想いを秘めながら、ルディウス様の手を握り、帰路へとついた。
次回、紅霧異変、開幕。
咲夜のお母さんの話とかは書きたかったところ。お兄ちゃんと咲夜さんの絆の強さがよく伺えるかと思います。もうちょっとしっかり書きたかった感もあるかな。
次回からようやく幻想郷へと思ってるけどレミリアで一話書くかもしれない。では。