静寂の中、スタートはこちらからだった。砂利を踏み、ダーインスレイヴを再び振り下ろす。
無論、それは空を斬り、地面に突き刺さる。そうなれば考えるのは周りだ。四方八方、全てが死角となる。
「浅はかだ。皮を剥がれて骨だけになって死ぬといいッ!!」
狙われるのは背後。振り落とされる袈裟の斬撃を無様にも転んで躱わす。
懐から投げるはナイフ。投擲を奴は軽々しく跳び、回避すると同時、懐へと入ってきた。
「終わりだ。」
そうだ。この距離だ。この距離を待っていた。
優秀な剣客は即座に胸から腹にかけ一文字に切り裂こうとする。余はそれを左手で掴んだ。
「そんなもの、根元でも断裂できる。」
その言葉通り、余の左腕は中指と人差し指の間で雄に裂ける。しかし、その振り下ろす瞬間こそがこの優秀な剣客に唯一ある隙そのもの。
「この間合いは余も得意よッ!!」
ダーインスレイヴを横一文字に振り翳す。
断ち切るのをやめ、背後に跳んで避ける老人。しかし、その胸にはわずかに赤い線がなぞられていた。
「『
地面に突き刺した大剣は呑まれるかの如く、自身の影に溶けていく。直後、再生した左腕と右腕に長さと形の少し違う二刀の剣が握られる。
「…二刀流。」
「ダーインスレイヴはただの剣に能わず。魂に傷をつけ、そのまま引き裂く。無論、その傷は使用者が癒すことを許さぬ限り…永遠に裂け続ける。」
「…。」
老人は目を閉じ、ゆっくりと息を吸う。そして、再びゆっくりと息を吐く。深呼吸…落ち着いているように見える。この優秀な剣客がただ死地に向かうだけではないだろう。
「…名も知らぬ悪鬼よ。お主は何故、儂に牙を向く。」
「先に牙を向いたのはどちらだ。余は余の通りで貴様を排除するのみよ。」
「ここは白玉楼。主君を守らぬ従者が何処にいるか。幽々子様の客人と聞いているが、見渡せばその魂すら漆黒も漆黒。一寸の光すらも閉ざすほどの…黒。斬らずしてその腑までわかるものか。」
老人はそのまま腰の刀に手をかける。もう一刀…つまりはお互い二刀の構えである。
「雨を斬るようになるまでに30年、空気を斬るようになるまでに50年。…そして、時を斬るようになるまでに200年。貴様は儂ら剣豪を愚弄するかのようにその洋剣を扱った。覚悟せよ…。儂の楼観剣に斬れぬものなど…ない。」
その言葉と同時、互いに地面を蹴り、スタートを切る。ダーインスレイヴともう二刀による斬撃の嵐。
老人の力は凄まじく、余だけが軽く斬られていく。だが、それすらも心地いい。何せ、目の前にいるのは余が探し求めた…バケモノなのだから。
「さぁ!!まだまだ撃ち合おうぞッ!!名も知らぬ剣豪よッ!!」
嬉々とした声が口から出る。痛覚が無いわけじゃない。斬られた直後に再生を繰り返す。庭は絵の具をひっくり返したかのように赤一色である。
「…程度の知らぬ悪鬼羅刹よ。何とも馬鹿馬鹿しい。その剣では儂には勝てぬ。」
「…剣では…な。」
「…?」
撃ち合いながら見ていた。この男は一級品の剣士だ。剣では逆立ちしても余は勝てぬ。ならその他ならどうか。…左手の剣を地面へ捨てる。
「ぬっ!?」
たった一瞬。奴の刀を片方弾き、もう片方は左手で受け止める。ぐさりと言う音と共に噴水のように血が吹き出している。
「そんなことをしても…左手を引き裂くまで…。」
「どうか…なッ!!」
狙うは一瞬。振り抜かれる刀。その軌跡は血によって塗られるが、痛みなど関係ない。狙うのは奴の頭。そのまま己の額を叩きつける。
「ぐっ!?」
お互いの額から紅い糸が繋がる。凹み、割れる頭蓋。視界が揺らぎ、初めて、老人から刀が落ちる。
「馬鹿…な…!!」
「くだらぬ一撃。実力者なら喰らうはずもない。実力者ならするはずもない。その潜在意識が…汝の唯一の隙だァ…!!」
そのまま怯んだ老人の腹に前蹴りを入れる。そのまま老人は砂利の上に線を作り、後ろへと吹き飛んだ。…だが、流石だ。蹴りを入れられる前に鞘でガードしたか。
「拾え。」
「なに…?」
老人に向かって余は刀を蹴り上げ、一つ返す。老人は刃の方向を向き、ダーツの矢のように飛んでくるそれを逆手で柄を握り、受け止めた。
「…なぜ返した…。」
「汝の力…本気、その全てを見たくなった。見て感じて…そして、上からねじ伏せる。それこそが余のなすべき業である。」
「…ふざけるなよ。小童。儂の剣の道を…否定する気か。」
初めて老人から鉄仮面が消えた。目は鋭く刀のように向かれ、殺気は先ほどよりも鋭く冷たく感じた。それでも余はやはり愉快で愉快で仕方ない。
「…まだまだお互い…青いな。」
すぅっと…刀を鞘に納め、半足引く。男が選んだのは居合い。しかし、距離はある。そこから飛んでくるとなれば…。
「隙が生まれただけだぞ?」
「…それを人は節穴と呼ぶ。この鉄の塊には儂の全てが乗っている。来る日も来る日も振り続けた。素振りをしていたら夜が空けた…なんてザラだ。…貴様が儂に刀を返したのは…自身から負けを認めたに過ぎん。」
「中々に大口を叩くな?…負け犬の遠吠えにならぬよう精進せよ。」
「…口を慎め。若造。」
そう言って老人は息を大きく吐いた。重々しく開けられるその目からは圧倒的なプレッシャーを感じる。ダーインスレイヴを手に戻し、再び二刀流となる。…居合いならばわかる。猛進ならば、すぐに叩き切るのみである。
「…失せよ。」
そう言って老人は…進むことなくただ剣を振るった。その場で。居合い抜きをだ。
伸び切った腕は完全に隙だ。だが、この男がそんなおままごとをするだろうか。余と彼奴の距離はダーインスレイヴでも届かぬほど…目と鼻の先ではない。斬撃が届くはずも、飛んでくるはずもない。…何も考えず突っ込むのは得策ではない。
「…何をしたかは知らぬが、ガッカリしたぞ。」
胸のざわめきを抑え、老人の背を取る。老人は一切動かない。そのままダーインスレイヴを袈裟に落とすが…。
「必要ない。既に切れておる。」
「やはり…。」
何の前触れもなく、ダーインスレイヴは地に落ちた。いや、ダーインスレイヴだけじゃない。血の滝に巻き込まれ、肉がポトリポトリと…落ちていく。余の右手の人差し指から小指である。この男、まさにこの身体を両断しようと剣を振るった。…この男が斬ったのは…。
「さて。」
「…チッ。」
再び老人が地面を滑り、距離を取る。
この男に距離を取られるのは心底まずい。もう斬り合わない方がいいな。
「指ぐらいなら何度でも蘇る。」
「ならばこれはどうかな?」
老人が刀を袈裟に落とす。無論、何もない空間だ。落とされる前に魔法陣で上空を埋める。
「『サラマ…」
直後、噴水のような血が余の視界を塞いだ。
近づいていないのに何が起こったか…。
「ぐっ!?」
首筋から胸板を通過し、左脇腹にかけて斬傷が作られていた。集中が途切れたからか、空中の魔法陣がガラス片のように弾け、降り注ぎ、消える。
「…何が…起こった。」
「だから言ったろう?…儂に刀を渡すこと即ちそれは…お主の負けを表すと。」
傷をなぞるように指を這わす。
男の斬撃は見えているのに、避けられなかった。斬撃がそこに居合わせたのか、或いは余がそこにいくのを見ていたのか。申し合わせたそれに虫唾が走る。そのどちらかなら…何とかなるかもしれん。
「くくくっ。」
「…何を笑っている。」
「なぁに?貴様の200年とやらを打ち破る覚悟が出来ただけのことだ。」
…この男は先の発言において『時を斬るのに200年かかる』と述べた。つまりはそれを実現させただけに過ぎない。老人の戯言かと思ったが、こうまで見せられると合点がいく。
「何を言うかと思えば、見えぬ斬撃を前に貴様は裁き切れると言うのか?」
「御託はいい。さっさとしろ。」
「…減らず口の絶えない小童よ。…いざ。」
間合いなど気にせず、詰める余に対して男が選んだのは突き。それは正確に心臓を狙い、そして、またしても届かぬ位置で動き始める。
「ハァァッ!!」
そして、数秒後…地面を滑る。心臓を狙って撃たれた斬撃は余の頬をざっくりと斬るのみであった。
「…近づくなら斬り伏せるのみだ。」
「もう汝の刀は届かぬッ!!」
距離を詰める余に老人が選択したのは右上からの袈裟。
下からそれを勝ち上げる。それによって火花が散るものの、反動は少ない。老人は即座に袈裟から横薙ぎに変えるが…。
「遅いッ!!」
「ッ!?」
今度は逆に余のもう一刀が老人の身体を袈裟にとらえた。胸が裂け、鮮血が空中に噴き出る。…それでも。
「ヌォォォォッ!!」
老人の横薙ぎは止まらない。
迫り来る刀を弾き止める手段はない。片方を引っ込めても間に合わず、右手は左から来るそれに対して距離がある。ならば…。
「前進あるのみだァァッ!!」
脇腹を焼き付けるような痛みが走る。が、根元に近いゆえ、両断はされない。そのまま狙うは老人の顔面。鼻骨を折りに拳を振るう。
「くっ!!」
老人との距離が離される。手応えはあったが軽い。老人の鼻から血が垂れる。実に不細工だ。お互い血だらけ、紳士の喧嘩などという免罪符は確実に使えない。
「時を斬るが何を意味するかは知らぬが、来るとわかっているなら汝と斬り合っているも同然。その切先と刃の軌跡は絶対にブレぬ。ならば、やりようは幾らでもある。優秀な剣術家でもだ。」
「…久々に自身の鍛錬の足りなさを感じた。この程度で斬られるとは。…だが…。」
老人の刀を握る手に力が入る。それによって感じていた圧力は…より一層鋭いものとなった。手負いの獣ほど…か。
「剣を極めるとは…振ってきた一刀一刀と同じ数ほど…斬られ続けたということ。…依然として儂とお主の住う次元は違うのだ。」
「それはどうかな。…2度と汝の剣は余に届かぬ。」
そう言って睨み合う。
…この戦いの決着は近く、そして、これからであった。