「…よくもあれで生き残ったものだ。」
紅魔館の一室。病室として貸し出している場所に霧雨魔理沙とルーミアが居た。ルーミアの顔はひどく泣き腫れていて、あの後もピィピィと泣いたのだろう。ギュッと布団を握りしめていたのが見える。…うちのメイドの仕事をあまり増やすものでは無いと思うが。
「なんだ?お前も魔理沙さんが死んじまったら困るってか?」
霧雨魔理沙は屈託のない笑顔でそう言った。
「何処ぞの愚か者のせいで幻想郷に居られぬところだった故…確かに後悔はしていた。」
「…。」
泣き腫らした目でこちらを睨みつけるルーミア。よくも先ほどの今でその態度を示せるものだ。室内にあった椅子に腰を据え、肩を回す。
「まぁ、生きていてくれて助かった。フランのこともある。…それに暇つぶし相手が減るのは此方としても困る。」
「なんだよ、それ。…あ、フランのやつ何してんだ?」
…霧雨魔理沙が倒れたと知れば一直線で向かってきそうなものだが。このところ、宴会やらなにやらで出ずっぱりだったからな。フランドールも疲れてここ数日は眠ってしまっている。
「疲れているのだろう。今日は布団の中だ。」
「ふぅん。疲れ知らずって感じするけどな。」
「あれでも、小さい頃は苦労した。あんなに活発的なのは幻想郷に来てからだ。」
長らく地下室に閉じ込められていたら、誰だって精神がおかしくなる。ましてや、心は移り変わっていく年頃。…そばに居なかったのはレミリアや美鈴を心の底から信頼していたから。だが、全て…妄言だ。
「無知は罪なり。」
「あ?…そういやよ、咲夜はどうしたんだ?」
…その名前は何処となく今耳にしたくなかった名前である。反応が早かったのはルーミアだ。心の底から湧き上がる劣等と闇を感じ取って…だったか、ルーミアの顔が少し青ざめる。
「仕事にでも行っているんだろう。常日頃、主人の後ろを付き従うのが従者ではない。」
最も幼少はそうではなかったが。
幼子は親という器を満たすように、余について回った。…そういえば、久しく何もしてやれてない。だが、変に気を持たせるのも良くないだろう。これは傲慢かもしれんが、あれは依存だ。心の拠り所を失ったところに己というピースが当てはまった。次第に縋るようになっていた。それで今の今である。
愛情か、はたまた恋情か。なんにせよ、寿命の違う生き物は愛し合うべきではない。
「それにしちゃあ、酷い顔してるぜ?」
「…ッ。」
…寝耳に水だった。寝具に横たわり、にやけ面をしている霧雨魔理沙をしかと見る。心のうちで何処か、それを感じていたのだろうか。隣を見れば、ルーミアは鼻で笑っていた。誠に遺憾である。
「話してみろよ。魔理沙さんが聞いてやるぜ?」
「…人間というものは、よくわからん。拾ってからずっと見てきた。我らにとっては食事か家畜か…それ同然。家族というそれも…ただの馴れ合いに過ぎん。だが果たしてそこに愛情を見出すものか…。」
「よくわかんねえけどよ。お前、咲夜になんて言われたんだ?」
…話を聞いておいてこれとは…。全く骨が折れる。ぽかんとする霧雨魔理沙と話を知ってか知らずか、どこか憎たらしい笑みを浮かべるルーミア。…果たしてこれが精算になるかはわからない。
「ただ一言…大好きだ…と。」
「それは家族としてじゃねえのか?」
その疑問は最もだ。ここからの話は仮定であり、全ては自惚れ…ただ、先ほどの咲夜の目はレミリアやフランとは何か違った。おそらく…雌雄としての何かを見出している。
「自惚れでなければ…違う。あの目は熱を帯びていた。信頼なんてものではない。」
熱を帯びた目、赤みを帯びた顔、そして、酔わせるような甘ったるい血の匂い。涙に潤んだ目に奇しくも美しさを見出した。
「…恋情か、愛情か。その心の名前はわからない。甘やかし過ぎたのかもしれない。はたまた、厳しくし過ぎたのかもしれない。ただ、あれは…己には依存に見えた。」
「恋情だって。アンタからそんな言葉が聞けるなんて…。」
少し口が過ぎる。
ただ…ほくそ笑みながら口を開くじゃじゃ馬娘を睨む元気すらもないのかもしれない。吐き気がする。殺意や嫌悪は向けられ慣れている…人間からも同族からも…だからこそ、心地いいまである。だが、なんというか…今回のは獣の牙を折る所業だ。
「…私が知ってるのは。」
ルーミアが口を開く。
「人間と住む妖怪なんて変わり者しかいないってこと。利用する知性がないか、或いは人間を脅威に思ってるか、友好的に思ってるか…。それも知性がなきゃ、できないこと。妖怪にとって人間とは餌以外の何物でもない。」
「その相当な変わり者が目の前にいる。」
…長らく人間の血など口にしていない。かつて、咲夜がその血を飯に混ぜ、提供してきたことがあった。それが妙案だとは…余は思わなかった。気に食わなかった。ただ主人の命を待たずにその身を傷付ける愚行を叱りつけた。だからか、人を見ても喉が鳴らなくなった。腹がならなくなった。
…ならばあくまで己にとって人とは何か。
愛玩?…弱い生き物に対しては何も感じない。友人?…莫迦な話だ。そう認めているのは数少ない。恐らく…夏の涼しさよりも感じないほどに。
「…人を知るのも悪くないのかもしれん。」
自然と頬が綻ぶ。
人は脆弱…故に群れる。寵愛を求め、繁殖する為にそれを恋愛と名づけた。嗚呼、興味が出てきた。何故、咲夜は余を好むのか。何故、この世は愛を求むのか。血の繋がりとは別に家族とはなんなのか。その答えが最も脆弱で最も愚かで最も卑しい生き物である人間にある。それに対しては余が妹らに感じるそれと同じかもしれん。
「おい、どこに行くんだ。」
霧雨魔理沙が問う。少しやつの声が明るい。
「邪魔をするな。答えを探しに行くだけだ。」
…扉を開け、廊下へと出る。先ほどよりかは短く感じる。頭の痛みは引いた。
「咲夜は。」
単調な足取りで…戻った。扉の前には門番が目を閉じて、腕を組んで待っていた。
「…啜り泣いていた。貴方がこれから何を言うかは知らないけれど、その心を踏み躙らないことね。」
「…ふん。」
開ける扉の音がどこか重々しく聞こえた。自室というのに嫌な匂いが立ち込めている。悔やみと悲哀。この世で最も嫌な匂いだ。カビ臭い。紛れもなく目の前で縮こまって座っている女のものである。そこは余の寝床だが…野暮なことは言わん。
「答えよ。求むものを。」
「…いえ、なにも。」
上げられた咲夜の顔はそれはそれは酷いものだった。泣き孕んだ顔、落ち窪んだ目に真っ赤に充血した瞳。ただ心がざわつく。
「まぐわいか、或いはこのルディウス・スカーレットをたった1人手懐けたという名誉か。大人になったならば答えを言え。汝はこの数年で何を得て何を求め始めた。」
「…なにも…要りません。」
掠れた声が耳に響く。片膝をつき、咲夜の頬に右手を添える。酷い顔にしては親指でなぞる唇の感触は…とても柔らかく、震えている。
「己は犬ではない。従者と主人は一蓮托生。主人が死ねば従者は死ぬ。逆も然り。常に我らは共にある。…それでも貴様は納得せず、求めていた。果たしてその想いは…ここで唇を重ねれば弔われるのか。」
「…ご主人様は…何故そうも優しいのですか。」
再び、咲夜の目が潤む。嗚呼、これを見るが人間なれば…歪んでいると言うのだろうか。人間の思うそれとは違うだろう。これこそが依存であり、共存。
「これを優しさと捉えるその脳、尊敬に値する。己は悪鬼。貴様らが疎み、畏怖すべき存在。されど、今はなんの因果か、汝の作る飯に全てが委ねられてしまう。…全ては己のため。」
「…。」
「…咲夜。」
小さく声が漏れる。歳にしては少々艶やかな声だ。だが、咲夜にそんな感情は持たない。こんな小さな躰では…壊れてしまいかねない。
「余の寵愛は等しく平等。汝も妹らも家族も。優劣などはつけぬ。許されてはいけない。…傲慢な己にとって一つの籠に収まることはできん。」
「…ご主人様…。」
「もしも余を狂わせたいのであれば、諦めてはならん。ただ犠牲とはなるな。無用な死を遂げるな。…家族を失うことを余は最も嫌悪する。その命は己のものではない。余の命も余のモノではない。汝も己も…共に生き、共に死ぬしかあり得ぬのだ。…それが不満か。」
…恐ろしいほどに、嗚咽の出るほどに…柔らかな声が己の喉を通って出た。手に暖かな感触が…透明な水が伝って落ちる。刻が来て、落ちる花びらの如く…ゆったりと…時間をかけて落ちていく。ただ唇に伝わる答えは…己の望んだものか、或いは彼女も望んだものか…わからぬが。
「…はい。私は…ご主人様と共に…。」
人の恋情など微塵も興味はない。ただ、咲夜の笑顔は雨明けの虹よりも美しく見えた。