「殴り殺してあげるわッ!!」
そう言うと鬼…伊吹萃香は拳を握り、こちらへと飛んでくる。胸を逸らし、避けるも足刀が跳ね上がる。
「…くだらん。」
眉間まで引きつけ、この身は霧散。
夜の闇に溶け、萃香の背後に現れる。
「へぇ?やるわね。」
「…ここだ。」
玄天の切先が伊吹萃香の背を捉える。斜めがけに振り下ろされる刃。確実に伊吹萃香の肉を喰む。…そう思った。
「…けどやり返されるとは思わないわけ?」
「…ッ。」
…伊吹萃香が消えた。いや、此奴はそうだ。ずっとずっと。霧になって我々を高みから見下ろしていた。…霧になるのも必然。
迫り来る左拳。余は左手を入れ、受け止めるも後ろに飛ばされる。…嗚呼、この痺れるほどの感覚。骨に響くほどの一撃。
「よっと!!」
そのまま伊吹萃香は前に出る。放たれるのは蹴り。純粋なる右膝による跳ね上げ。だが。
「…余にそんなものは通じぬ。」
刃を間に入れる。鬼の足を両断せんと待ち構える横向きの刃に足が向かっていく。
「そんな馬鹿正直にやるわけないでしょ?」
「道化めェ……!!」
右足は直前で静止。即座におり、左足が余の顳顬を撃ち抜く。そのまま神社の周りの林へと墜落する。
「ははっ。なんだ。口だけじゃない?」
…石段へと降りてくる伊吹萃香。勝ち誇るかのように手に持っている瓢箪から酒を杯に注ぐ。誰もその様子に驚きはしない。…博麗霊夢は一部始終を空から眺めていた。空中を蹴り、伊吹萃香の前へと出る。手にはお祓い棒と針。
「はあっ!!」
「あらぁ、人間が勝てるかしらね〜、アハハっ!!」
振り下ろされるお祓い棒をひょいっと躱わす伊吹萃香。即座に拳を握り、地面を蹴り、霊夢へと迫る。
霊夢は冷静に針を飛ばす。
「見えてるわよッ!!」
…なんと。拳の巻き起こす風でその針の軌道をずらした。霊夢と伊吹萃香の間には遮るものなし。霊夢は背後に飛ぶと虹色の光弾を周りに展開する。
「霊符『夢想妙珠』」
「くっ。」
伊吹萃香は止まらない。目の前の驕った人間を屠るため、進み続ける。その行手を阻むはまばらな大きさの光弾。鬼を滅せんと追撃する。
鬼は器用に杯の酒を溢さずに背後に跳び、光弾を掻い潜る。
…しかし、目の前の敵に集中しすぎた。
「っ!?」
鬼に吹くそよ風。直後その頬がわずかに切れる。急に…だ。頬だけではない。腕も足も少しだけ切れ、血が滲む。
「…道化はどっちだか。」
「この程度で沈むならば、余は幻想郷の管理者なぞしておらぬ。」
伊吹萃香はニヤリと笑う。背後に現れた影を横目で捉え、ただ笑う。
「…汝は博麗の巫女すら謀った怪物である。賞賛に値する。だが…。」
玄天を振り上げ、地面を蹴る。霊夢は援護で針を投げる。
伊吹萃香はそれを空中に跳んで回転することで躱わす。切先が地面を這う。それすらも鬼の分厚い体躯が邪魔をする。犠牲に出した右腕が両断できずに終わった。
「…わからぬか。あまりに疲弊する者が多いことを。貴様が行ったことは…。」
「悪いことじゃないわよ?いいじゃない。宴会は楽しいでしょう?」
「…あまりにも多すぎるのだ。褒美を与え続けられた者はそれに飽き、飢える。貴様のように、あまりに多くを求めすぎる。周りを見ずに。」
「関係ないわよ。ただ私は花見をしたかっただけだものっ!!」
直後、顎下を狙う右膝が跳んでくる。
そんなものが当たるわけもなし。霧散し、消える。
「何が花見だ。すでに桜も散り、緑が覆い尽くしている。もう見るものもない。貴様だけだ、時間が止まっているのは。」
「へっ。舌の乾かない男ね。」
いつの間にかそれは周りにとって酒の肴になっていた。もっとやれとやじを飛ばすもの。酒に溺れるもの。…酒池の宴席。妹たちがおらず良かったとさえ、思える。
「好きにするがいい。宴会を作るも、酒を飲むも。…だが、我が従者が巻き込まれるなら別である。」
「来なければいい話じゃないっ。」
現れた余に三度拳が振り下ろされる。
境内の石壇を破壊する拳。後ろに跳び避けなければ少々危なかったか。
だが、ただでは起きぬ。伊吹萃香の胸に一閃。赤い帯がかかる。
「…くっ。」
…この時初めて伊吹萃香の顔から笑みが消えた。驚いた様相でこちらを見る。
「…それが、それがどうしたの!?楽しければ楽しければそれでいいでしょッ!!」
声を荒げ、咆哮を上げる伊吹萃香。
地面を蹴り、何度目かの拳を余に向けてくる。嗚呼、そろそろ煩わしくなってきた。本気で仕留めるとしよう。
「狂ってるな…貴様の我儘で、我が従者を使うな。」
「アハハッ!!」」
「…余はただ余の所有物たる咲夜が貴様のエゴに踊らされてるのが心底気に食わぬ。故に屠る。それだけだ。」
向かってくる拳の連打をさも当然のように避けていく。小さい拳、されど巨大なる拳。
「くっ…私は…私はただッ!!」
「もうその慟哭すらも、妄言である。」
「ッ!?」
…攻撃が単調になった。
伊吹萃香のその拳はなんとも読みやすく、玄天の返しが胸にバツの字を刻み込む。小さく血が吐かれた。
「つまらん。」
「…なんで…なんで!?辛いことも酒なら流せる、忘れられるッ!!なんで邪魔するの!?なんで人間の味方するの!?」
「…辛さがあるからこそ、楽しさは際立つ。それに…余は人間の命なんぞに興味はないが、人間が我々を越えようとするその力の奔流には…俄然興味が湧く。」
唖然とする伊吹萃香。自身の手を見つめ、口角が上がる。石壇の上は血液で赤黒く染まっていた。
「人間が?…人間が鬼を越えるわけないでしょ。そんな浅はかな。アイツらは…アイツらはッ…騙し討ちでしか勝てないんだよッ!!」
「…それもまた戦略である。」
「…我らは誇り高き鬼だ。人間なんぞ敵ではないッ!!」
酔いが覚めたか。
伊吹萃香の持つ手には大岩。その質量が…余ではなく、咲夜を狙う。
「…ッ!!」
…しかしすでに咲夜はそこにいなかった。爆散する瓦礫。…疲労がなかったわけではないだろう。咲夜は止めるタイミングを…間違えてしまった。
「くっ。」
…彼女の足に少しの瓦礫が刺さっていた。おそらく2度目が遅かったのだ。その場にゆっくり倒れる。
「アハハッ!!どうよ!!たかだか、小間使い。誰も貴女を守ってくれないッ!!アンタも守れないッ!!次で終わりよッ!!」
「…そうか。」
「ん?…ごぶっ!?」
…直後、伊吹萃香の口から血が流れ落ちた。拳が彼女の腹に突き刺さっていた。
「なにし…ガッ!?」
伊吹萃香の首を掴む我が腕。だんだんと彼女の顔が青白く染まっていく。
「なぁに。…死にはしないさ。」
「ガァ…アッ!?」
伊吹萃香の身体に一撃、また一撃と風の刃が余の腕ごと侵食していく。伊吹萃香の身体は徐々に血に染まり、その身から鮮血の雨を撒き散らしていた。
「…こ、この程度で…勝った気…!?」
「…。」
我が右手はすでに骨すら見えている。伊吹萃香に至っては左眼が見えていない。服もボロボロだ。
「…何?怒ってるの?…ガッ…!?小間使い、1人…消されッ…かけたくらいで…!?」
「…悪酔いが…過ぎたようだな。」
血まみれな顔で…左眼も潰れ、口からは血反吐を吐いている。それでも誇り高き小鬼はこのルディウス・スカーレットに対し、笑っている。己がした罪を知らずに。風がお互いの中を食らっていく。
「…痛みで酔いも覚めるいい頃合いだろう。…貴様がやろうとしていたことは大方予想がつく。人に対して思うことはあれど、傷つける気はなかったろう。」
「なっ…。」
「本来ならば霊夢や霧雨魔理沙が収めるべき異変。余が出しゃばるのは筋違いなんだろうが、これは咲夜だけの問題に在らず。…鬼に遺恨があるのは余とて同じ。故に余が入ったまで。…謝ろう。汝の享楽を邪魔したことを。」
伊吹萃香は驚愕の表情で固まった。
風も吹き荒んでいた嵐が、そよ風へと変わり、次第に肉の侵食をやめた。朽ちた余の腕は伊吹萃香ごと、地面に落ち、再びぐちょぐちょと耳障りな音を立てて、骨から肉から再生した。鬼の傷は変わらない。
「…鬼がこの地を追いやられたのは賢者たる我々の不覚だ。八雲紫共々、汝の孤独を癒すことは不可能。」
「わかったような口を…!!」
「その不平不満すら飲み込もうとも思った。だが、鬼の嘘を嫌う矜持すら杯に映る月を砕くかのように闇に葬った貴様はあろうことか、余の家族たる咲夜を傷つけた。故に貴様は余の手で裁かねばならん。」
胸中を燃える何か。
だが、目の前でボロ雑巾のように血反吐を吐き、ふらふらの鬼には万に一つも勝てる見込みはない。左手に握る玄天が鬼の姿を刀身に映し出す。騒がしかった宴会はいつしか、無音。目の前には怯える鬼1人。
「…余は英雄ではない。余は神ではない。この手は聖者を救い、邪を祓うものではない。目的の為なら怯える小鬼にすら屠る。我が誇りに砂埃をかけた貴様にかける情などない。」
「…へへっ…。来なよ…!!」
…それでも奴は…笑って見せた。
玄天を握る手が振り下ろされる。鬼の拳が余に振るわれる。玄天は…その拳を真っ二つに裂き、鬼を斜めがけに切り裂いた。
「…ごふっ…!?」
「その一撃を贖罪と見るといい。」
伊吹萃香は自ら作りし、血の湖に沈んだ。
「…お兄ちゃん。」
その結末に霊夢は悲壮な顔をする。楽しかった宴は、まるで通夜のように。静かに幕を閉じようとしていた。…誇り高き鬼がこの程度では終わらないことを知る、そんな者たちを残して。
「悪いが咲夜の手当もある。今日の宴はここでお開きだ。美鈴、その鬼を連れてこい。」
「いいけど、何をするつもり?」
そう言いながらも美鈴は伊吹萃香の身体を担ぎ上げる。余は咲夜の身体を抱き上げた。
「ひゃっ!?ごひゅ!?」
「傷は浅くなかろう。…今は我が腕で。」
赤くなっている咲夜の脚の下へ腕を通す。咲夜の首の後ろと脚で抱き上げる。目は呆れた様子の美鈴へ。
「自由にさせておくのも忍びない。…その女は紅魔館のメイドにする。」
「…は?」「え?」
…咲夜と美鈴の目が丸くなる。
「おかしなことでも言ったか?」
「ちょっ。だって…鬼よ!?この…妖怪は…!?」
明らかに美鈴が狼狽える。それがなんだ。余とて広く言えば鬼だぞ。
「だからなんだ。…紅魔館は絶対。鬼の強さは折り紙つきだ。余はそれが欲しい。それだけだ。」
「ご主人様の聡明なお考え…咲夜には何処までも想像がつきませんわ。…とても素晴らしいお考えでございます。」
ため息をつく美鈴と対照的に咲夜は余の胸板を撫でうっとりとしていた。