宴は終わり、咲夜も眠れるようになった。
人の時は永久ではない。休む時に休み、仕事する際には仕事をする。働き蟻のような生き方をする…と学んだことがある。探求とは、永劫の時を持つ我々妖怪には程遠く…或いは人にだけ許されたことなのかもしれん。とはいえ、それが余に当てはまるかは否である。
「貴方の興味にもほとほと嫌気がさしますわ。」
館のベランダ。咲夜の手がけた花々に彩られた花の庭園に小さな丸い白机。そこにただ椅子を並べ、咲夜の淹れた紅茶に舌を包む。余にとって至福のひとときとはこれのことを言う。さて、本日の相手は口うるさい賢者様だ。向こうもなにやら、2匹従者を連れてこちらを見ているようだが。
「ティーブレイクに雑音は御法度だぞ。礼儀作法もなく生きてきたのか?」
「五月蝿いですわよ。主人様。自分の興味のためなら目の前の女を洗脳する。そんな貴方に礼儀作法など教えられたくはありませんわ。」
咲夜が殺気めいた目で客人を凝視するので手を上げてやめさせた。無論、言ってやったりと目を細め笑う貴婦人と喧嘩しない為、ではあるまいが。片方、稲荷の従者の方はされども頭をこくこく頷く。頭が取れてしまうのではと思わんばかりに。
「…で?なんだ。釘でも刺しにきたのか。」
「おっしゃる通りで。…まさか、鬼を従者にするなどと。貴方は私の想定を大きく上回る。ただの阿呆ですの?」
「あまり言ってやるな。そのうち、喉を噛み切られるぞ。」
…今なお、ナイフを構え、目の前の女の首を捌かんとするメイド長。彼女を見ても幻想郷の賢者は狼狽えも怒りもせず。ただ柔和な笑みで静観していた。その気になれば、紫1人で咲夜なんぞ殺すことは可能である。明らかに実力に差を感じる。…そのようなこと余が寝ていても許さぬが。
ティーカップの淵に口元をつけ、中身を喉に通す。
「…余の性格は汝ら2人なら痛いほどわかると思うが。」
目を閉じ、ゆらゆらと九尾を揺らす狐。紫も扇子で口元を隠している。表情はまるで読めぬが、胸中で渦巻いているものはなんとも穏やかではないだろう。
「傲慢かつ、無鉄砲。強欲かつ、無慈悲。残酷なほどまでの力。この幻想郷で博麗の巫女以外は貴方という存在には勝つことが難しいのではと。ただ面倒なのは貴方はその力を過信しない。その超越した力を持ってしてまで、貴方はさらに力を欲している。探究心を忘れておらず。陳腐な言葉ですが、化け物ですわね。」
「褒め言葉として預かっておこう。さて、腹の探り合いはここまでだ。…紫、汝の意見を聞こう。」
…元来、我ら2人ならば話は早い。紫の眼光は鋭く、その胸中に去来するものを察することは容易であった。紫とて包み隠していない。…だが、咲夜がいる。
「単刀直入に言いますわ。幻想郷のパワーバランスがそれだけで崩れてしまう。管理者としては郷全体の崩壊を招かねない軽率な行為である…というしかない。」
「しかし、此度の伊吹萃香の行為はまさしく我々が招いたことである。…違うか?」
言葉に詰まった様子も見せず、ただただ、紫は扇子で口元を隠し、此方を見る。その眼光は鋭く、そして、柔和なようにも見えてしまう。
「腹の探り合いは止めるのではなくって?」
「鬼は確かに実在した。それは汝も知っている通り、この身を持って証明できる。重要なのは鬼が去ったのも事実であること。文に聞き、自身で見た妖怪の山はもはや天狗の天下。我々が願った場所は忘れられし者の楽園。…鬼を守れなかったのは我々の落ち度だ。」
…鬼は人間に落胆した。その信念と共に。
そして、鬼は山を降りた。全ては仮定に過ぎないが、鬼は素直すぎる生き物だ。その中で、伊吹萃香は異端そのもの。
「あら、意外ね。自分の仕事に落ち度なんて認めるタマじゃないかと。」
「無論、余の行い、余の判断に間違いはない。結果としてついてきたまでだ。だからこそ、余はかの者を従者として手綱をつけた。問題は汝らのように心の底から平伏させた…というわけではないことだが…。紅魔館ならば余を超えることは不可能だ。」
少々、紫達の目が鋭くなる。心の底から平伏させた…という言い回しが気に障ったのだろう。事実なのだから気にすることはない。
「貴方は本当に…例外中の例外、異端中の異端ね。どこまでも悪い方向に此方の想定を超える。」
「想定通りの生き方など面白くもなんともない。余は余のやりたいようにやる。それだけよ。」
その言葉を皮切りに茶会は終わりを迎えた。
「申し訳ございません。ご主人様にあのような言動を許してしまいました。私に力があればあのスキマ妖怪の首を刎ねるのに。」
真っ赤な余のジャケットを手に持ち、余の数歩後ろを歩く咲夜。その目は鋭く冷たかった。
「自惚れるな。汝と紫ではまるで勝負にならん。」
「…失礼致しました。」
…咲夜はわずかに暗い顔をするもすぐに鉄仮面へと戻る。言葉の真意に気づけば容易にわかるものを。咲夜が八雲紫に敵わぬかと言われればイエス。ただ勝負にならないかと言われればノー…いや、わからないと言っていい。ただこうでも言えば十六夜咲夜はさらに精進するだろう。
「さて。」
…足はとある一室の前で止まる。
用心棒兼客人、更には従者にする者に与えた一室である。扉を開けると突如、破砕した木片が後ろの壁に突き刺さった。
「ルディウス様ッ!?…くっ!!」
…今にでも食ってかかりそうな咲夜を手で静止する。ただ悔しそうな顔と共に咲夜は後ろで控えている。
「その風体で随分と…元気が有り余っているものだ。」
「死ななきゃ負けじゃないのよ。わかる?」
…包帯だらけの小鬼は強かに笑う。その隣の椅子だったものを握り、こちらを睨む。ただ…今のこやつを痛ぶってもなんの価値もない。ただただため息が出る。
「それで?私はここで何をされるのかしら。」
「…まずは感謝の言葉でも言わぬか。余が会った鬼族はいずれも誇り高き戦士だったのだが…。」
最後の言葉に伊吹萃香の顔はムッとなる。このひょうきんものはどうやら、鬼のプライドだけはあるようだ。だからこそ、笑って言ってやる。
「貴様はどうやらその誇りすら砕いてしまったか。」
「…なんだと…。吸血鬼風情が…この私をコケにしやがって…。」
声に怒気が、眉間に皺が、視線に殺気が混じる。声は低く腹の底へと響くかのよう。腐っても大妖怪だ。格だけは全くもってそこらのものとは違う。
「品性に欠ける。いいか、その気になれば…余は貴様を殺せるのだぞ。」
「へっ。なによ。脅し?その程度でこの私が震え上がるとでも…。」
「…ハァ…。」
口角が自然と上がる。その直後、伊吹萃香の胸が横一閃に裂けた。室内に血を撒き散らす。
「…なっ…!?」
「脅しだと思っているならそう考えておけばいい。最も脅しだと思っているそのチャチな頭ごと飲み込み、喰らうがな。」
尻餅をつく伊吹萃香をただ見下ろす。伊吹萃香は少しだが震えていた。
「良いか。貴様は此度よりこの紅魔館の所有物だ。」
「は?」
「先日の一件、貴様の憤怒…とても理解した。故に紅魔館の最終決定意思たる余が貴様の強さを求めた。それだけでこの紅魔館で雇うに値する。」
…全くもって阿呆な顔をしているな。
まるで理解できないという顔だ。
「鬼が幻想郷から姿を消した。その一端は余にある。」
その言葉に伊吹萃香は黙ってこちらを睨むのみ。重圧と殺気はその部屋にいる全てを押しつぶそうとする。言葉では言っていない。だがわかる。
…わかったような口を聞くな。
己が推進力とする鬼の威厳が。
伊吹萃香を怒りのままに動かそうとする。
「我らは人と妖怪を結びつけた。その生き方の違いが、居場所を消したも同然。だからこそ、貴様の暴走は人間である博麗霊夢ではなく、余が引き受けた。憎め、恨め。貴様が憎むべきは我ら管理者よ。」
…まだまだその身体は先の戦いのダメージを残している。立ち上がらんとしながら生まれたての子鹿かのように震えている。そんな身体で余に楯突くことなど不可能。それはかの鬼もわかっている。だが、臆さずこちらを睨みつけている。
「余はこの紅魔館が主人にして幻想郷の力の王。支配と統治は違う。我々は貴様の誇りそのものをへし折ってしまった。その罪を貴様の主人となることでこの身に背負う。」
「…罪だと…?」
「約束は違えぬ。…必ずや元ある鬼にとっても優美な都を作り出す。余にできぬことはない。」
…唖然としている。本心かどうか見極めているのだろう。鬼は虚言を嫌う。
「…嘘、吐くんじゃないわよ。そんなこと、不可能…!?」
「何度も同じことを言わせるな。余にできぬことはない。」
これはこの女に同情しているから…ではない。鬼を幻想郷に呼び戻す。それこそがこのルディウス・スカーレットを更に高める試練となりうる。そして、この女だ。動揺している。瞳孔が震えている。されど、その目からは殺意が滲み出している。
「嘘だったら…殺すわよ…。」
「やれるものならやってみろ。ただし、これは虚言などではない。謀りなどではない。」
その言葉を咲夜共々最後に部屋から出た。
伊吹萃香の真意はいずれ知れず、されど紛うことなき鬼の使者はただひたすらにその現実を憂いていた。
「どうして、あの鬼にそこまで。」
長い長い回廊。沈黙に耐えかねたのか、後ろの咲夜がそう言った。目だけで後ろを向く。
「し、失礼しました。不躾なことを。」
頭を下げる咲夜。
「初めて会ったあの鬼に同情するほど…余は甘くはない。」
「…っ。」
言葉を遮ることはしない。ただ咲夜はこちらを見るのみ。
「紅魔館としてもあれはいい戦力にも刺激にもなり得る。…ただそれだけだ。」
…それだけ言うと咲夜は静かに微笑んでいた。