赤クソ(ガイア)と白クソ(メシア)とクソ(他)   作:イリノイ州の陰キャ

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 一話ちょっとだけ改訂しました(2024年9月1日に)。
 以前にもご指摘いただいておりましたが、地の文が多すぎて目が滑るのが原因と考え、セリフを中心に文字数を増やしました。内容に大した変化はありませんので、既に読んでいただいている方は再読の必要ありません。

※追記
 一話と二話のアクセス数が大きく開いていたことに関してです。何が問題かも言ってないのに「〜のが原因と」じゃないっすよね。すみません……。




†暗黒魔界†的コモンセンス

 

 ほんの少しだけ贅沢をして、カタキラウワの肉を小麦の生地に包んだとかいうミートパイを食べ終わった頃であった。調理方法の違いなのか、いつものガチガチの肉よりは歯切れが良くて食べ易かった。それに、久しぶりにまともに炭水化物を摂取したように感じる。嗜好品の少ない東京では、デンプンの含まれる食品は甘味とのたまう者までいる。そこまでとは言わないが、確かにニンゲンの味覚にはこれがかなり上位に位置する喜びであろうことは間違いない。

 

「聞いたぞ。一昨日、不忍池を狂乱に陥れた暴虐なる巨人を見事討ち果たしたと」

「…………なんでいる」

 

 久々に満足いく食事ができたかと思えば、エツリは再度げんなりしたいつもの感情に戻された。イモータル・ユルゲンが彼の隣の席に座り、まるで旧知の仲のように話しかけてきたのだ。

 こいつは会うなりシルフの存在を看破したり、腐った酒やらクスリやらをやってたりで信用ならない。本人の言を信じるならば、後者に関してはあくまで調査の目的らしいが、怪しいものだ。風采からして怪しいのだから。今解るのは、少なくとも性急に敵対しようという意思が彼にないということだけ。そもそも討伐隊管轄の地下街で隊員に喧嘩を売るのがどういうことか、知らない者はいないが。

 

「それで、質問の答えは」

「俺じゃない」

 

 巨人にトドメを刺したのは隊長だった。ああいう雑魚隊員共ではどうにもならないような強力な悪魔は、結局は隊長が処理することになる。エツリがやったことと言えば、その隊長が到着するまでの時間稼ぎだ。そのおかげで被害があの程度に留まったのだから、矮小な隊員一人の責任くらいは果たせたはずだ。

 直前まで一人で戦闘していたことを加味され、グレンデルの後処理にまでは駆り出されなかった。というか傷病者扱いで周りに倒れていた中毒者共と一緒に、担架で地下街まで運ばれたので、その後のことは知らない。ただ、グレンデルの一件から、周囲の視線が増えたことを考えると、どうやらそれなりに知れ渡ってしまったようだ。どのような伝わり方をしているのかもまた、彼は知らない。知ろうともしていないと言うべきか。

 

「しかし己れが巷間に聞いた話では、恩賜公園に台風が直撃したかと見紛うほどの暴風が見えたと。そしてそれが貴様の業であるとも」

「あんたなら見当付いてんだろ」

「それを言うな。多少事実と違えど、堂々としているがいいさ。少なくとも不利益ではあるまいよ」

「どうかな……」

 

 全部まぐれとはいえ、最近立て続けに功績を挙げているためか、隊長からの覚えがよく、若干(本当に若干)羽振りがいい。前よりも遺物の発見が見込める場所の警備に配置され、少なくとも悪魔の死体処理なんかは(以前よりは)任されなくなった。それに関してはメリットだ。ただ……。

 目敏い先輩隊員なんかは、すぐに金に余裕のある雰囲気を嗅ぎつけて酒をたかりに来るので、昨日今日は飯時すらもタイミングを考えなければならないようになってきた。まさか金で困ることが減ったかと思えば、更に別の厄介事が付いて回るとは想像していなかったエツリは、ままならない日常に不満を募らせている頃だった。

 そういう事情もあってか、ユルゲンを相手にする時の態度はかなり淡白だった。最も、無碍にされている方であるユルゲン自身は、あまり気にしていない様子であるが。

 

「そんなこと聞きに来た訳?」

「そう言うな。どうにも話を急ぐ性質のようだな、貴様は」

 

 彼はエツリの前にあったピッチャーを取ると、そのまま居座るつもりなのか、コップに自分の水を汲み入れ始めた。面の裏で小さくため息を吐いたエツリは、観念したかのように体を開き、話をする体勢になった。

 

「さっさと言ってくれ」

「……あぁ、なるほど。では本題を話すか」

 

 ここに長居したくなさそうな雰囲気を感じ取ったユルゲンは、底意地の悪い笑顔で水を飲み干すと、乱暴に口許を腕で拭った。これから一息に本題を話してしまおうという腹づもりのようだ。エツリはようやく態度から険を取り払い、彼の方に顔だけを向けてみせた。

 

「端的に言えばこれは、警告だ」

「警告?」

「杞憂であればいいが、一応、な……」

 

 最近同じようなことがあったな、と、彼はユルゲンの真面目腐った顔をぼけっと眺めていた。特に物騒になってきた最近のことを思えば、彼等の心配もあながち的外れということはないだろうが、こうして改まって言われるのは肝に悪い。特に彼のような小心者にとっては、あまりいい気分ではなかった。

 

「小耳に挟んだ話だが、貴様はあの 御伽話(Gossip)と交流があるそうだな」

「ゴシ……? あぁ、Mさん?」

 

 初めて会った時、彼女自身が自分のことをそんな風に言っていた覚えがある。ゴシップなんて通り名も大概だが、イモータル・ユルゲンに比べれば印象も薄れるか……と、エツリは一人納得していた。

 同時に、警告なんて物々しい言葉を使っていた割には、随分ソフトな導入だな、とも思った。彼自身この話に対して懐疑心というべきか、念のため程度の心づもりなのかもしれない。

 

「己れも半信半疑だがね、何やら良くない噂を聞いた……北千住エリアのことは知っているか?」

「……少しは」

 

 北千住駅の周辺には人が住み着いていない。討伐隊も、ハンター協会も、他の派閥も一切あそこに近寄ろうとはしていないらしい。なんならあの周辺には一部を除いて悪魔も寄り付かない。どうやら作為的ではない特殊な魔術壁が周囲を阻んでいるようだ。

 魔術壁が構築された直接の原因は判明していない。その前に悪魔の仕業かはたまた別の要因か、何か恐ろしい事件が起こり、北千住エリアは数日で壊滅してしまった。それから殺害されたニンゲン達の強烈な怨念と、防衛目的だった魔術的な防壁がせめぎ合い、人が近寄れるような環境ではなくなってしまったということだ。

 

「それが何?」

「いやな、地下街に流れる風言など信じ難いものであるが……どうやら北千住の一件には、あの女が関わっているらしい、と」

 

 話半分の姿勢であったエツリの体が若干前のめりになる。知ってる名前がそんな怪しげなものに関わっているかもしれないとなると、少しは警戒心も湧いてくる。ただこの警戒心なるものは無差別で、この男が嘘を吐いているかもしれないと囁く声があった。

 

(……何のために?)

 

 そんな嘘を聞かせる理由は思いつかなかった。あるいはMと敵対していて、悪評を流すことで相手に不利な状況を作り出そうとしているのだろうか。それこそ無意味だ。彼女の強さの前には、いくら有象無象が敵に回ろうと、路傍の石ほどの障害にもならない。悪評を流した程度では彼女の精神を貶めることもできないだろう。フリーのハンターという立場上何にも頼れないが、世間の評判に縛られないという強みをも持ち合わせている。

 ではユルゲンの話は本当であろうか? 果たしてそんなに簡単に彼を信用していいものか。あるいは彼自身に騙すつもりはなくとも、彼の言う通り信憑性の低い噂であるとも考えられる。現在の判断材料では、どちらとも言えるのがエツリを混乱させていた。

 

(馬鹿々々しい……)

 

 素人が探偵の真似事をしても、得られるものは思考の袋小路それのみだ。エツリは未成年に特有の無思慮であるかのように演出し、あえて何も誤魔化さずに直接ユルゲンを問い正しいてみることにした。

 

「……何でその話を俺に?」

「顔見知りのよしみ、という奴さ。己れと普通に話そうなどという奇特な奴は少ないからね」

 

 ユルゲンはそう言うと、話は終わったとばかりに立ち上がった。

 

「用心しろ。背後に立つ者は当然、そして両隣にいる者をも、己れ等の敵だぞ」

 

 彼の持つ見事な剣から放たれる迫力が途絶えた時、協会バー内部の雰囲気があからさまに弛緩した。上野の弱小隊員や人外ハンター達は、名称不明のアーティファクトに内心ビビり散らかしていたようだ。その隣にいたエツリは巧妙に隠していたものの、面の裏で額に僅かな汗を付着させていた。

 

(あの男)

 

 恐らく相手には伝わっていないであろう気まずさが足を押さえたので、既に食事を終えて長居する理由もないのに、少しだけ間を置いてから協会を出ることにした。

 殺人鬼の捜索も、いよいよ行き詰まりの感を隠せなくなってきた。あれから新たな殺しや情報は発見されず、浅草方面の調査も難航しているらしい。どうやらエツリがその身で体験したように、上野にはほぼ姿を見せない種類の悪魔が跋扈しており、掃討に苦戦しているようだ。

 隊長に提出した〝ラムネ〟については、即時摘発対象に定義され、隊員達に同様の薬物は全て押収しろと周知させられた。あるいは隊員の中にいる〝ラムネ〟の服用者は、内心で戦々恐々としていることだろう。服用したことを知っている他の隊員が、小遣い稼ぎのために密告する可能性すらあるのだから。

 

(…………暑いな)

 

 地下街の人々の関心はもはや、連続殺人になどは向いていなかった。彼らは専ら、最近新たに始まった〝商売〟にご執心でいるようで、それが非戦闘民の活気を維持している様子であった。

 相変わらず上野に以前の辛気臭さが戻る様子はない。往来は未だ雑踏を分けなければ前に進むことも叶わない様相で、以前からここを根城にしていた身としては、相当に不便な思いをしていた。隊員というだけで少し人が分けていくので、他の非戦闘民よりは過ごしやすいとはいえ。

 

「うわっ……」

 

 エツリはユルゲンと別れてから、今日はもうさっさと休むことにした。その道すがら、プラットフォームまでの露天並びで彼はその〝商売〟の一端を横目に捉え、思わず不快感を声に表してしまった。

 露店を開く男が涼しい顔をして商品に並べていたものの一つに、干上がったニンゲンの手が置かれていたのだ。売り文句はこう。「お守り、召喚用の触媒、ジョークグッズ、お好きなように!」だそうだ。どの用途にしても非常に趣味が悪い。

 最近はこの手の店がLEDの明るみを恐れなくなってきた。こうも堂々といかがわしい商売をされては、討伐隊としては面子も何もないので、悪質なものは即摘発する体制ではあるが……正直厳しいものがある。事件のせいで人の出入りが増え、いくら潰しても効かないのだ。

 

「マットマーケット直卸し、ね……」

 

 商品に付いていた証明タグを見ながら、エツリは物憂げに呟いた。渋谷雨水貯留浸透槽、通称マットマーケットのタグだ。

 マットマーケットとは渋谷の地下、地下と言っても更に特殊な方、雨水貯留施設のあった空間のことを指す。数人の卓越した悪魔召喚士によって地下空間が改造され、かなりブラックな物品を売買できる市場として開かれたらしい。

 既に会員である者三人の紹介を得てから、特殊な電子許可証を発行してもらわなければ進入できない構造だという。ただ最近はキーの配布が多くなったのか、あそこから流出したヤバい品が各地に漏れている。

 

「冷やかしすんなクソガキ。しっしっ」

「…………」

 

 滅多にお目にかかれない(趣味が最悪な)品物をまじまじと眺めていると、ミイラみたいにガリガリな露天商が手の甲を振って払い除けようとしてきた。冷やかしと決めつけられたことが癇に障ったが、実際何を買うつもりでもなかったので、彼は大人しく退散することにした。

 それに、あの一瞬さえあれば、どのようなものが売られているかは確認できた。

 

(…………また〝ラムネ〟か)

 

 その商品列に見覚えのある薬物があることを、彼は見逃さなかった。

 ここであの露天商を取り押さえるのは簡単だ。しかし、あれほど堂々と〝ラムネ〟を売り出している様子を見るに、同じような輩はあの男だけではないはずだ。露天商を一人捕まえたところで、経由したニンゲンや元締めは解らない。それに他の露天商が危険を察知して逃げてしまう恐れもある。彼は個人的な悪感情も相まって、〝ラムネ〟の売買を潰そうという試みには大いに協力的であった。

 

 

 

 あの後、プラットフォームで休めたのは精々一時間と少しだった。日暮里の調査隊から瓦礫撤去作業の応援要請が届き、急遽手の空いている隊員が駆り出されることになったのだ。応援の総勢は十四名。全員がエツリと同じように待機という名の休憩を取っていた頃だった。

 日暮里は以前、マッハなる鳥(女神?)の悪魔が大暴れして不毛の大地にしてしまった場所だ。彼等応援隊の行軍は文字通り消し炭の上を路順に含んでいた。

 

「ん……? おかしいぞ」

「あ? どうした?」

 

 前の方で数名の隊員がどよめき始める。後ろをひょこひょこ付いて回っていたエツリは、突如足を止める行軍を前に慣性を殺し切れず、前を歩いていた男の背中に面をぶつけた。

 立ち止まってみると、焦げた建物やざらざらしたアスファルトから立つ苦い匂いがひどく鼻につく。マッハに殺された死体は粗方掃除したのでマシとはいえ、ここまで歩いてきた隊員達の気分は良くなかった。そのせいで異変に気付くのが遅れたのかもしれない。

 

「予定じゃ合流地はこの辺りだ。誰もいない……」

「ンだそれ。てめぇの記憶違いなんじゃねぇのか?」

「そう思うなら自分で確認してみろ!」

「るせぇな……耳の近くでデケぇ声出すなよ」

 

 出発前に渡された紙を見ながら口論している前方と対比的に、エツリ達は欠伸でもするか、余所見をしているような有様だった。単独行動が基本の討伐隊員にとっては、こうも人数が多いと普段の緊張感が薄れる。今悪魔にでも襲われれば、統率を失った烏合の衆は容易く分断され、術なく殺されることになるだろう。

 しかし、周辺に悪魔の気配はなかった。それどころか人の気配もない。紙を盗み見た時、合流場所として確かにこの辺りを指し示していた。よりにもよって救援を望んでいた方の到着が遅れるなんてことがあるだろうか? 応援隊より遥かに日暮里の地形に詳しいであろう連中が、まさか道に迷って遅刻などということはあるまい。

 

「とにかく探すぞ! 散って辺りの様子を探れ!!」

「へーい」

「面倒くせぇ……」

 

 分隊のリーダーがそう指示すると、各自非常にやる気のない様子で散会した。リーダーはこの場に残って報告を待つつもりのようだ。正直こんな薄気味悪い状況で分散行動など悪手であるように思えるが、協力もできないならず者の集まりといるよりは、誰もいない方がシルフを頼れるか、と、考えを肯定的な方に寄せた。

 エツリもサボりだ何だと疑われる前に、他の連中がいないであろう方を探しに歩いた。

 

『どっちに行くの?』

「んー……駅」

 

 目指すはここから近い日暮里駅。それなりにある原型の残っている建物の一つだ。3階は所々潰れるなり天井を失うなりしているが、その下は無事のまま残っている。

 ただ、拠点として利用するには、総勢六名の日暮里調査隊(応援を頼んできた連中のこと)には広すぎる。駐屯している場所は別にあるようだ。というかだからこそ駅を調査しに行くことにした。その方が面倒事に巻き込まれずに済みそうだから。

 

『酷い空気…………』

「ダメそうなら戻ってもいいよ」

『そういう訳にもいかないわ。悪魔に見られてる』

 

 炭化した木造の建物や焦げ付いたアスファルトが、景観における強烈な悪材料になっていた。人がいないということそれ自体は、エツリにとっては好ましい状況だが、生物がこの場所を嫌うのも解る。ただ自然界の生物とは根本的な構造が違うのか、悪魔の雰囲気だけは段々と周辺に感じ始めた。

 

『今のところ、人の気配はないかな……』

「適当な理由つけて放り出したかっただけか……?」

『口減らしのために? もしそうなら、最悪ね』

 

 最近の上野は特におかしい。あの人数が放縦にひしめく地下街は、時間によってはほぼすし詰め状態になる。これ以上不良隊員を養う余裕はないというのも頷ける話だ。

 エツリは特に嫌厭される身だ。人に顔を見せず、いつ崩れるかも解らない不気味なプラットフォームに潜む得体の知れない子供。それが彼に関する風聞である。誰かが任務だと偽って貶めようとしても、不思議ではない。

 

『それにしても、ホントに悪魔しか――――」

「あれ……あ? 人……!?」

 

 エツリは自慢の視力で遠くに何かを捉えた。悪魔かと思い身構えていたが、それが近付くにつれて同胞の形をしていることに気が付き、頓狂な声を漏らした。確かに人の気配というか、ニンゲンに独特の生体マグネタイトの色は一切なかった。これはシルフも同意するであろう。

 しかしそのシルエットはますます近付いてきており、ニンゲンであることが更に疑いなくなっていく。しかも着ている服はエツリも慣れ親しんでいる黒迷彩の隊服だ。

 

「えぇー……こっちがアタリ?」

『討伐隊員よね。ふらふらしてる……とりあえず私、消えとく』

「そこのお前ー! 止まれー! 返事しろー! 隊員かー!?」

 

 エツリの声が道の奥まで反響していく。にもかかわらず、男はまるで無反応で、ゆったりと彼等の方に近付いて来る。

 

「あ……? 無視? つーか、何だ……?」

 

 様子がおかしい。ニンゲン同士とはいえ、初対面なら必ず警戒し合って、一定以上の距離を取って応対する。だが、男に止まろうという意思は見受けられない。

 隊員にしてはどうにも不自然な動きの男を訝しみながら、エツリが再度声をかけようと手を半端に持ち上げた瞬間、男は腰に差した直剣に手をかけながら突撃してきた。

 

「なにッ……」

 

 突然のことで全く反応できなかった。かろうじて足だけは反応し、直前で剣が引き抜かれないように柄頭を踏み止めた。

 だが男の突進はそれでは終わらず、剣が引き抜けない体勢のまま肩を尖らせて体当たりをしかけ、エツリと共にアスファルトに転がった。回るようにして揉み合いになりながらも、彼等は互いの隙に自らの武器を探り、一瞬でも先行するために上下の位置を奪い合った。

 体が男の斜め上に来た瞬間に、エツリは進行方向に向かって蹴り飛ばされる。彼は既に鞘ごと刀を引き抜いており、その中頃で蹴撃を受け止めた。互いの距離が離れ、今度こそ両者武器を引き抜く。別に珍しくもない。ニンゲン同士の殺し合いが始まろうとしているだけだ。

 

「お前……!」

 

 男はなぜかニヤニヤ笑っている。どこで失ったのかフルフェイスは装着しておらず、しかし黒迷彩の上に平隊員が購入できるような出来ではない上等な防刃ベストを装着しているなど、風采がちぐはぐだ。

 正面に刀を構えたエツリとは対照的に、男は懐を開いた独特の体勢で切先を引き、刺突の構えをとっている。エツリは様子を見る気で引き気味に切先を降ろすが、男はペースを過剰に先行させ、間髪入れずに刺突を繰り出した。

 

「くっ……」

 

 刀を左から巻き、刺突を下方向へいなす。突きをすかされ胴がおろそかになったのを狙い、エツリは刀を裏返して峰を隊員? の腹に振るい当てる。体が浮くほどの勢いで腹を殴り付けられた男の口から、苦しそうな空気の塊が漏れて、エツリの肩にかかった。

 しかし、男の表情には未だ変わりなく、エツリは底冷えするような嫌な感覚に襲われた。咄嗟に引っ込めた刀へと男の手が伸びてくる。武器を奪おうとした手はその勢いのまま空をかき、反動で男の体がエツリに大きく近付くと、更に手を伸ばしてエツリの手首を掴んできた。

 

「何だこいつ……!?」

『この変態っ!!』

 

 咄嗟のことで反応できなかった本人の代わりに、シルフが回避行動を取った。彼の手首を起点として風が巻き起こり、男を弾き飛ばす。非常事態のために隠匿を解いた彼女は、エツリの顔の前で静止し、すぐにでも追撃しそうな気勢を巻いた。

 

「変態って、別に俺……」

『いいの! というか見て、生体マグネタイトが……』

「ん? マグネタイトがどうか……うわ」

 

 男の周囲にかかる生体磁気の色は、明らかに悪魔のそれだった。骨ばった頬には人ならざる気色が彩を立ち、その体の裏に充足しているものが悪魔による魔の気であることを知ったエツリは、驚愕して刀を降ろした。

 

「悪魔が擬態してるのか!?」

『違う……! アレ! ディブクだよ!!』

 

 人の目には……というか訓練していない人の目には見えない悪霊。悪魔召喚プログラムの恩恵として、技量次第では通常なら肉眼では見えない悪魔も人間の目に捉えられるようになる。生体マグネタイトを目視できるエツリにとっては造作もないことだが、こういう悪魔を視認できるかどうかが、悪魔召喚士としての技量を測る指標になることがある。

 ディブクはその中でも相当レベルの低い部類だ。悪魔召喚プログラムを使い始めて日の浅い素人でも、素質のあるものなら見ることができる程度のもの。だが、人に取り憑くこの悪霊は、見えないという一点において、非戦闘民にとっては見慣れた雑魚悪魔よりも更に厄介な存在であるようだ。

 

「どうすんのこれ……悪魔祓い?」

『私には無理だよ』

「そうだよな……」

 

 取り憑いた相手は貧弱な本体とは違い、どっかのエリアの討伐隊員だ。ぬるま湯に浸かっている上野隊員とは訳が違う。殺さずに制圧して、悪魔祓いの術を心得ている者に引き渡そうにも、シルフがいなければ彼の方が危ういくらいだ。

 ディブクだけを引き離すには破魔の魔法が一番手っ取り早いが、生憎エツリはハマの魔法を知らない。あるいはエツリの悪魔祓いの術でも取り除けるだろうが、取り憑かれた主に一定の理性が残っており、せめぎ合っている程度の段階でしか効果がない。というかその取り憑かれている本人の協力がなければ成功しない。完全に意識を操られているこの隊員に悪魔祓いを試みるには、ある程度役を分けられる人数が必要だ。今この瞬間にディブクを剥がす方法はなかった。

 

『どうするの?』

「殺さずには……無理、か……」

『こういう時は〝アレ〟でしょ』

「やっぱ〝アレ〟……?」

『得意でしょ。こういうの』

 

 シルフが無駄に含みっぽい言い回しを選んだのに合わせて、エツリも悪戯な笑みを浮かべた。

 こんな時の彼等の常套手段だ。余程自信があるのか、二人は揃って肩を上下させながらくつくつと笑い、今すぐにでも飛びかかれるような低い体勢になる。

 彼等がここまで自信ありげに、しかももったいぶる切り札というのはつまり――――。

 

 

 

「――――とんずらだッ!!」

『てったいてったーい!』

 

 エツリが選んだのは、お得意の敵前逃亡だった。元来争いを好まないシルフも異議はなく、彼女は風の魔法によって砂や煤を巻き上げ、悪魔憑きの視界を妨害した。

 こういう時の逃げ足は早いのか、エツリは魔法を行使した彼女の一瞬の隙をも潰すべく、先に走って逃げながらプログラムを起動していた。

 

「シルフッ!」

『あっ、きゃあ――――』

「セーーーフッ……!!」

 

 視界を奪われた悪魔憑きが見境なく暴れるのに巻き込まれる前に、彼女を帰還させる。その美しい羽が安物の刀に傷付けられようとするスレスレのタイミングで帰還させることに成功し、エツリ本人も砂煙の中に紛れると、彼等は完全にその場から逃げ仰せたのであった。

 咄嗟に道を曲がってみたりと、悪路を選んで通りながらも、その足並みはしっかりと駅の方角へと流れていた。喩え追い付かれようとも、建物の中の方が開けた道路のド真ん中よりは隠遁できる。いつでも頭の片隅に〝逃げる〟の選択肢を残している彼は、自分達に都合の良い逃げ方というのも理解していた。

 

「見えてきた……!」

 

 元々の目標、というか逃げ先の駅が建物の間に見え隠れし始めた。尾久橋通りに出たエツリは、近くの悪魔に気取られる恐れを無視して一気に大通りを駆け抜けた。

 上野駅に引けを取らない大きさの駅。三階部は潰れているが、その下は未だ形状を保っている。彼等は足取りを緩めると、大通りに沿って北上し、東口に辿り着いた。煤と化した瓦礫のせいで、もはや以前のような視界の開放感はないものの、崩壊した町並みに慣れているエツリにとっては、その程度のものは障害にもならなかった。

 

「誰かー……いますかー……?」

『なんでそんなに小声なの』

「い、いやっほら……ちょっと、ね」

『もう……見てくるわ』

 

 変なところで照れ屋を発揮する頼りない契約主に先んじて、透明になったシルフが改札を抜けて中の様子を探りに行った。彼は服を瓦礫に引っ掛けないように、慎重に瓦礫を避け、その山を利用して一気に二階部分へと飛び乗った。壁が割れて露出した部分があり、彼の軽業を以てすれば一階をスキップするのは容易であった。

 

「…………」

 

 エツリは到達した瞬間に携帯を取り出した。召喚機能を用いて先に行ってしまったシルフを帰還させる。突如として強制帰還させられた彼女は、混乱する暇もなく端末を通じて帰っていく。

 その理由は簡単だった。血の匂いがするのだ。入った瞬間に気付くほどに充満した、いつまでも慣れない不愉快な匂いが奥からただよってくる。

 

『――――いきなりどうし……これ』

 

 すぐに勝手に出てきたシルフが、すこし怒り気味でエツリを問い詰めようとするが、彼女もすぐに気が付いた。邪悪な雰囲気が立ち込める二階の奥。あるのは死者だ。一人や二人では効かない数が、奥で殺されている。

 

「逃げた先がこんなんかよ……」

『どうするの? 引き返す?』

「………………行く。誰かいるかもしれない」

 

 生存者か、犯人か……前者であれば、まだ手遅れでなければ処置を施さなければならない。エツリは床が人間の体重に耐えるか、刀を杖のように使って確認しながら、慎重に歩を進めた。こんな場所で生き埋めになったら誰にも助けてもらえない。当然、一緒にきた救援の隊員達などは論外だ。あてにするものではない。

 ぽつぽつと新しい血痕が導となり、より仄暗い方へと彼等を誘導する。エツリは単一電池二本ほどの小さな懐中電灯で、逐一足下を確認しながら、その痕を辿って行った。

 血痕が途切れたのは構内に入り、壊れた改札を過ぎた頃だった。元は開けていた場所であるようだが、崩落してきた三階にスペースの半分を埋められ、まともな足場となっているのは東側の残り半分程度だった。

 嫌な予感が頭の底のほうから這い上がってくる。後頭部がざわついて、エツリは不愉快そうにかぶりを振った。

 足下を照らしてみると、一際大きな血の溜まり場……が乾いた跡があった。それから、刀で斬られて飛んだ直線の血の筋や、明らかに飛沫状の血痕が目立ち始める。どうやらこの周辺で、戦闘かそれに準じる行為がおこなわれていたようだ。

 だからこそ、エツリにはいる程度の覚悟ができていた。というのはつまり、こういうことだ。

 

「討伐隊員、か…………」

 

 懐中電灯が遺体を照らした。エツリや、先ほどのディブクに操られた男と同じ、隊員に特有の黒い迷彩服を着ている。頬に跡があることから、この男もしっかりと何らかの顔を隠すものを付けていたはずだが、暴かれていた。

 同じような様相の遺体が一つではないことには、ほどなくして気が付いた。全て首を斬られている。外頸動脈の位置で決まっており、その他には一寸の刀傷もない。相当な手練による犯行だ。しかも、隊員の方には動き回った跡がある。この人数を一斉に相手にしたのだろう。そしておそらく、下手人は全くダメージを受けずに殺しを完遂した。

 またしても隊員殺しが起きてしまった。それも今度は一人でいるところを暗殺したのではない。報告されていた分隊の構成人数は七人。うち一人は外を徘徊しているあの悪魔憑きだと仮定して、ここにある遺体は総勢六名分。つまり数が一致している。ほぼ全滅だ。

 エツリは無力感に打ちひしがれながら、遺体を長い間見下ろしたまま立ち尽くした。殺された者達からすれば、他人の悲しみなどというものは、何の慰めにもならない独りよがりな感傷だ。彼は発散する場所を見つけられない憤りを、拳の中に握り固め、言葉を排して遺体を眺め続けた。

 

「行こう」

『…………それがいいわ』

 

 他にも遺体があるかもしれないとか、あるいはここに犯人が潜伏しているかもしれないとか、そういうことは考えたくなかった。だとしても彼一人でできることはない。部隊に発見報告をすれば、後に然るべき調査隊が編成される。

 彼は隊員の遺体そこに放置したまま、踵を返して救援隊のリーダーが待つ広場へと戻ることにした。助けを求めてきた連中が全滅したとなれば、もう彼等には何も仕事はない。

 

「…………」

 

 シルフは空気を読んでと言うべきか、彼が取り繕う平静をあえて逆撫でしてやろうとは思わなかった。無言で戻る彼の背後につき、危険を探る役割に徹する。さして騒がしいのが好みという訳ではない彼女だが、沈黙には隠し難い苦痛があった。

 

『…………』

 

 いつもは会話が途切れない彼等だが、こうして無言でいると、嫌に周囲がうるさく感じてきた。風の音、瓦礫がきしむ音、それから剣戟の音……。

 

キィッ!

 

 金属がぶつかり合う音がする。しかも、さっきエツリ達が来た方向、つまりあの悪魔憑きがいる方面だ。

 

「これ……」

『誰かが戦ってる!』

 

 音を聞く限り二人程度、すなわち一対一のようだ。しかも相当一方的というべきか、片方が押しているらしい。このままでは何が起きているのか確認する間もなく、また死人が出るかもしれない。エツリの焦りに反応するようにして、シルフが彼の背を風で押した。

 道順は知っているので、現場まではすぐだった。エツリは激しい動きでズレた面を直しながら、物陰から慎重に顔を出す。そこには彼の予想通り、二人の人物がいた。一人は先程おいてきた悪魔憑き。そしてもう一人は……

 

「M、さん……? 何して……」

 

 エツリは思わず隠れるのをやめて、その人影に話しかけてしまった。つい最近会った顔を間違えるはずもない。もう一人は、Mだった。

 

「…………」

「な、何……? なんで黙ってるんですか」

 

 彼女は悪魔憑きを跪かせ、その髪の毛を鷲掴みにしていた。しかも手には刀が握られており、まるで今からおこなうことを暗に教えているようにすら見えた。

 

「待て……やめろッ!!」

 

 エツリの静止は間に合わなかった。隊員の首は一撃で切り離され、彼女が掴んでいた髪の毛を離すと、鈍い音を立てて地面に落ちて転がった。悪魔に感情すらも支配されていたはずの男の顔には、恐怖の表情が凍り付いていた。

 

「待てッ!!」

 

 彼女はエツリの姿を認めるなり、一目散に逃げ出した。風の精霊であるシルフをして身軽であると称されるエツリにすら、反応できないほどの速さだった。

 彼はその後を追いかけられずにいた。いや、今から追いかけたとして、彼女に追いつける訳もないが、追いかけようという素ぶりすらできなかった。

 こうなってしまっては、もう確定したものと思っていいだろう。まさかユルゲンの忠告が本当であったとは、思いたくもなかった。しかしこれをどう説明する? Mが人を殺した。これ以上にどんなことが言えるというのか。

 

「あんたなのか……?」

 

 殺人鬼の正体は。

 

 





マットマーケット(Matt’s market)(渋谷雨水貯留施設)
 渋谷地下鉄駅の更に下にある貯留槽。一大空間がそのまま巨大なマーケットとなっており、消耗品、衣料、装備、嗜好品は大体揃えられる。また呪的物品や依代、悪魔や人間の死体、危険薬物、人身売買等の取引もおこなわれている。更には傭兵等が「時間を出品」という名目で雇い主を探していたり、
 市場空間維持はガイア教諸派と数人のフリーハンターが連携して主導しており、全勢力が中立を確約させられる。メシア教関係者にも、人外ハンター協会に指名手配されている危険人物にも、一定数ここを利用する者がいる模様。入場には特別な電子許可証が必要。


 当初の設定ではマットマーケットを通常MMって呼んでた。ただ散々迷って登場人物の一人の名前を「M」にしちゃったので、この通称はボツです。同じ文面で「M」と「MM」が出たりしたら流石に紛らわしい。
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