赤クソ(ガイア)と白クソ(メシア)とクソ(他) 作:イリノイ州の陰キャ
※死にません
もうそろそろこの話も佳境なんですけど、ちょっとここまでは展開がつまらんな……こっから色々転がってくんでどうか。
見下ろす東京は闇に横たわる蛍火の花畑だ。見てくればかりは美しくとも、その中でおこなわれる所業の悍ましきこと。色付く光の一粒は地表に堆積する有機デトリタスのようなもので、眼下の営みには恣意的な生命の連鎖が伴い、ニンゲンの美的感覚には合わない混沌めいた生死の連続が起きている。しかも自然なものではなく、悪意による。
「全てって何?」
倒れかけのビルの最上階まで連れて来られたエツリは、天井が壊れて空が見える場所に立って、壁が壊れて景色が見える場所で振り向いた。上下左右に何もない開けた様子の場所だが、かつてアラビアの王が砂漠に迷宮を見出したように、誰にも手を出せない空間とはすなわち壁に等しい。エツリの中には開放感よりも息が詰まるような気分ばかりであった。あるいは、春を忘れてしまった東京の暗闇がそう思わせるのかもしれない。
「いい景色だ。座下はまだこれを知らんのだろうな……」
ユルゲンとエツリの感性は反るすものであるようだ。エツリにはこの景色が醜悪で仕方ないといのに、彼はこの悍ましい東京の姿を見ながら、恍惚とした表情を浮かべている。その仄暗い顔の影が何となく気持ち悪くて、エツリの態度はさらにトゲを増した。
「おい、ユルゲン……」
「急くな。時間はあるはずだ」
隣に立たれると、妖しげに照るユルゲンの剣から、底知れぬ恐ろしさを感じてしまう。エツリは体を開くようにして彼から距離をとって、悩ましげに景色を眺めながら一人言を呟くその横顔に苦言を投げた。
「ラージクロックとは何か知っているか?」
「知らない」
むしろそれを知りたくてここに来ているのだ。全てを教えてやるなんて言いながら、どこか勿体ぶったユルゲンの振るまいが、数時間前までグソインに振り回されていたエツリの疲れた精神をつつき、余計に苛立たせた。
「そうか。まぁ、今となってはどちらでもいい……」
「あ……?
彼の眼差しは途端に、自身の持つその恐るべき威光に包まれた剣の方に流れた。その柄を握っては、放し、何かを確認するような素振りは、今までの雲のような態度とは違う意味で掴みどころがなく、不気味だった。
「ラージクロックとは、あぁこれは……言うまでもないだろうが、すなわち隠語だ」
「だろうね」
「
つまり、だいとけいを大時計と読み替えた訳か、と気付いて、エツリは頭を叩かれたような気分になった。つまらない親父ギャグの語感を借りて、人々に恐れられていたらしいのであるから笑い種である。
「そのうち一本は、これのことだ」
「は……?」
「三公闘戦剣、破敵剣、呼び名はどちらでもいいが……これは立派な〝レガリア〟だ」
「〝レガリア〟……?」
その時エツリは、迂闊に口を開いたことを後悔した。激しい胸鳴りが彼に危険を伝える。危険の方向から頭に釘を突き立てられるかのような感覚が震え出し、不愉快な冷たさが肌を伝う。
ユルゲンから尋常ではない覇気が溢れ出す。エツリは全身の汗孔を針でこじ開けられたかのように発汗し、跳躍して大きく距離をとった。迷彩の裏で肌が布地に張り付く。迫力を隠しきれていなかったMとは違う。この男は今敵意を以て威圧してきている。
「ど、どういうことだよ……!?」
「解らんか? 上野で起きている殺しの下手人は全て、己れの仕業ということだ」
突然の告白は、エツリの頭の中にうまく入ってこなかった。なぜ自分が不利になるようなことをわざわざ教えるのかも解らない。どんな狙いがあるのか、とか、それをバラすということは口封じするつもりなのか? とか、色々と考えが巡っていくが、どれも思い付いた端から忘れてしまう。
エツリは混乱して語気が強まるのも抑えられないまま、彼の発言と整合の取れない疑問をぶつけ始めた。
「でも……おかしいだろ! 上野で隊員が殺された時、シルフは下手人の魔力を見た! あんたの魔力がそれなら、すぐに気が付くだろ!?」
「貴様も大抵愚かだな。己れが手ずから殺したなどと思うか?」
「あ……?」
ユルゲンがそう言うと、砂袋が落ちるような音を伴って、彼の隣に新たな気配が加わる。エツリは絶句した。それは確かに先程、エツリ達が取り逃した悪魔だった。
「グソイン……これは己れの契約する悪魔だ」
グソインは目を背けたくなるような拷問……虐待を受けていた。毛皮を剥がれ、露出した赤白い肌には何度も鞭を打たれた黒いあざが斜線を浮かべている。四肢と指は奇妙な方向にへし折れており、普通に足で立つことは叶わず、膝立ちで何とか痛みを堪えていた。そんな様子でもまだ死んでいない。悪魔らしい生命力が、グソインをさらに苦しめている。
「そうかよ……」
ユルゲンに命令されているのだろう。黙って立てと。痛みに悶え、寝転がることも許されていない、そんな様子だった。
血だらけの凄惨な姿からは目を逸らしつつ、エツリは内心で一応の納得を得られていた。確かにこの悪魔の力を使えば、自分以外に殺しをさせることもできる。補助魔法でもかけて身体能力を向上させてやれば、それなりに実力ある戦士として使えるということなのだろう。
「察しの通りだ。これに〝囁かせ〟て支配してやれば、己れ以外の人間を操って殺人を起こすのも、造作ない……」
「痛め付ける必要は?」
「仕事を損じた挙句、ラージクロックの名前を漏らしたからな。当然の罰だ。何せ人心を支配するのに使うのは声のみだ。余計なことをさせないためにも、腕やら足はない方がいいまである」
「…………」
「まだ、疑問はあるだろう? この際だ。全て聞いてみろ」
まるで生徒に知識を教授する講師のような立ち居振るまいだった。それが甚く堂に入っている。おそらくこれが初めてではない。今から殺そうという相手にネタバラシをするのが、この男の癖なのだろう。エツリは自分の命運がどん詰まりにひっかかっているこの瞬間を実感して、血の塊でも吐き出しそうな気分になった。
「Mが日暮里で殺しをしてたのは? あれはアンタ等と関係ない単なる虐殺だったってのか?」
「M……あぁ、
(ゴッズ……?)
「奴等の役割は、日暮里まではぐれてきた者を拘束し、身包みを剥がしてからそこの堕天使のエサにすることだ。そうやって結界を維持している。大方、あの女はその瞬間を目撃するかしたのだろう」
「じゃあ何、日暮里の連中はむしろワルモンで、Mは殺人鬼共を止めようとしてたってことか?」
「あの女が義憤に駆られて何人同業を殺そうと、己れは感知しない。暴力でしか正義を成し得ないところを見るに、所詮は己れと同じ穴のムジナであるようだがね」
エツリは一瞬Mの呼び名に引っかかったが、それ以上に彼女が上野で起きている連続殺人とは関係なさそうだという話が衝撃的だった。ここにきて更に紙が裏を向くというのか。この男の気まぐれな開示によって?
しかし思えばそう考えるのが自然であるのかもしれない、エツリはそんな風に思えてきた。あの時Mは彼を見つけた時点で、口封じに殺してしまえたのだ。もしそれが悪い目的であるなら尚更、Mはエツリを殺すべきであったし、そして彼女はそうしなかった。
「アンタ程の腕があれば、殺しだって自分でできるだろ。何でそんな遠回りなこと……」
「その方が足が付かないからさ」
そう言われると、エツリは黙るしかなかった。実際シルフによって魔力の質が感知されていたのだ。もしもユルゲンによる殺しの現場を見ていたら、エツリ達がこの男の接近を許すはずがない。
エツリは一度呼吸を整えると、決心したかのように一つの疑問を述べた。これを聞くために遠回しをしたような気もするが、信用ならない男との気の休まらない問答は、これが最後だ。
「何で、人殺しなんかしてる」
結局一番の疑問はそれだ。話の発端はそれに尽きる。真意がわからない。快楽殺人などという低俗な……狂気を履き違えた愚かしい理由が彼を動かすだろうか?
とはいえ、殺害された人同士に関連性や親交上の因果関係はない。討伐隊が他のエリアの隊まで動員して散々洗い出した上での結論だ。またユルゲンとの関係も、当然ないものと考えていいだろう。殺害された当人同士に関連性がないのに、その関係ない一人一人に別々の恨みをユルゲンが持っていたというのは、あまりにも奇想天外だ。
「己れの目的は単なる陽動だ。〝ラムネ〟を回しやすくするためのな。殺人のインパクトには勝らんさ。どれだけ危険なシロモノだとしても」
合点がいったとも言えないが、こういう理由があるかもしれないというのは、エツりのの想定の中にもあった。ユルゲンに殺しをさせ、下手人を捕らえるために討伐隊が出払う瞬間を見計らって、非戦闘民に紛れて地下で直接捌く。騒動のせいで人が集まり、皮肉にも地下街の露店は活気付いていた。見慣れない売人や商売女がいても、誰も不審がらない。
単なる麻薬ならまだしも、問題は〝ラムネ〟がその単なる麻薬どころではないほどに危険なシロモノであることだ。エツリはどんな構造式かなど、あるいはどのような魔図式が組み込まれているかなどは全く門外漢だが、あれの何が危険なのかは解る。
服用者に悪魔を引き寄せるのだ。理由は知らない。ただ服用した者はすぐに悪魔に嗅ぎ付けられ、麻薬で白む意識の中、牙を突き立てられ、生き血を吸われる。実際にそんな現場を見たこともあった。遠巻きにだが、目の良いエツリは一度見ただけで気が付いた。悪魔が殺到する彼等の表情が、全く正気ではなかったことに。
「それがあんたの〝副業〟?」
「副業とは言い得て妙だな。とはいえ、直接ルートに関わる訳ではない。己れがやったことは精々、唆すくらいのものだ」
「そいつか……」
グソインの特性を利用して、誘惑に弱い隊員達や戦う術を持たない地下住民達にクスリを勧めたのだろう。魔力に少しでも耐性のある隊員やハンター、あるいはエツリのように外からきつけをしてくれる第三者があれば抵抗できる。だからそうでない弱くて孤独な連中を狙った。そうして少しずつ、紙にじんわりと水が染みていくかのように、クスリを流通させようと画策していたようだ。
「一通りの疑問は払拭できたようだな。貴様も、これで満足だろう」
「…………シルフ!」
不穏な気配を感じ取ったエツリは、シルフを喚び出して地上への風に彼女を乗せた。何かしらを叫ぶ彼女に、一つだけ言伝を託すと、エツリは彼女が決意して去っていくのを背でユルゲンから庇った。
「いい判断だ。貴様は上野のたわけ共よりは考える能がある」
「どうも」
明らかに集中を割いていない返事に、ユルゲンは微笑みを表情に絶やさないまま肩をすくめてみせた。
「実に惜しい。グソインの〝囁き〟が効いていれば、生かしておくつもりだったよ」
「嘘だね」
「本心だとも。少なくとも精霊には利用価値がある。精霊が魔力に、ひいてはグソインの支配にも多大な耐性があるというのは誤算だったよ」
この男に勝ち目はない。シルフのいないこの状況……いや、シルフがいたとしても、万に一つも軍配は靡かない。だからこそ彼女を送り出したのだ。風の精霊には姿を消して風聞を操ることすら容易い。噂は公然の事実となって、ユルゲンは討伐隊から捕縛対象とまではいかずとも、あるいは危険視されるくらいにはなる。
「本隊が来てる。ここで俺を殺れば……あんたも無事じゃいられない」
エツリは隊員に面が配られることをありがたく思っていた。顔を見られれば、このような安いハッタリは一文字目でバレる。
任務外ならまだしも、任務中に隊員が一人死ぬ程度のことなら、討伐隊は問題視しない。ただ、内情にそこまで詳しくないハンター達にとっては、上野討伐隊の隊長が近くにいる、というだけで身が引き締まるはずだ。少なくとも敵性因子を放置するような甘い人物ではない。
「なるほど……恐ろしいか。己れが」
「…………」
「貴様は精霊の存在を隊にも隠しているだろう。本隊に伝令を送ったという脅しのつもりだろうが、己れには通じない」
(大当たりだよ……)
舌打ちが出そうになるのを寸前で止め、エツリは手をかけていた刀をゆっくりと引き抜いた。風に少しの揺らぎでも起これば、この男に狂わされつつある全ての感覚を失ってしまいそうで、彼の行動の一つ一つは慎重、いや臆病になっていた。
「本当ならば、己れ自ら手を下すつもりはなかったが……」
優雅な素振りで引き抜かれたラージクロックこと……破敵剣は純粋な光の中から現れた。浄不浄によらない単なる威厳の光が、その刀身に赤めく人殺しの覇道を縦に煌めかせていた。
その威容は確かに〝レガリア〟に類するものだ。切先はゆらめいて、エツリという獲物を探して首を回す蛇のようであった。刀身は完全な直線を伸ばす反りのない剣であるにもかかわらず、その周囲だけ空間が歪んで見える。
「死ぬ気で凌いでみせろ。何、死ぬ間際なのだから、あながち無茶でもないさ」
唐突な宣言から繰り出されるたった一度の斬撃が、エツリの心を諦めさせてしまった。いや、確かにそれを避けることには成功した。成功したものの、背後でビルの壁が両断され、滑り落ちて東京の景色に埋もれていく音がした時に、あるいはそれよりずっと前から勝敗は決していた。
ただ、生存本能だけが機械的にエツリの体を動かして、何とか斬撃から身を守ろうとする。防御して合わせた刀からびりびりと悲鳴が伝わってきた。無生物すら恐怖を禁じ得ない絶対的な存在としての質の違い。組成に使われる金属がどうこうとかの問題ではない。背後に録した歴史の重みで負けていた。
「く、そッ……!!」
全ての斬撃を受け切ることはできない。服を掠める程度のものは無視して、折角治ってきた切り傷がまた全身に増えることにも耐えなばならなかった。鍔迫り合いになどはなりもしない。鎬を合わせた途端に押し込まれ、床を転がされる有様だ。
「さて……小さな討伐隊員に、我々流の〝判じ絵〟を一つ紹介しよう」
遊ばれているエツリの方に、ユルゲンの言葉にこれ以上皮肉を返す余裕はなかった。その重過ぎるラージクロックの剣光に耐えながら、剣戟の間に睨み付けるくらいのことしかできない。ここまで何とか、刀がいつへし折れるかと恐々たる思いで打ち合い続けているが、ユルゲンの表情には全く疲れが表れていない。この争いは当人等の技量など問題ではなかった。偏に持つ得物が違い過ぎる。それを扱い切れる時点で、エツリとこの男の力量差は歴然だった。
「貴様にとっての〝楽園〟とは何だ?」
「ぐッ……あ…………!?」
ユルゲンの戯言に付き合いながら戦う余裕はない。エツリは全くの無言だったが、頭の中にはこの場で撒き散らしてやりたい悪態がいっぱいだった。楽園などと、それが何だというのか。この連中の目配せを知ってどうする? とにかく刀の峰裏に体を隠すのが精々で、ユルゲンに返事はできなかった。
「不可逆的かつ可能的存在というこれは単純なパターンだ」
二度と戻れないからエデン。不可逆的、遡及不可能だから楽園。造られたからそこにあるのではなく、ただそこにある。
エツリは無意識のうちに、ユルゲンの問いに対する答えを頭の中で模索していた。何かで聞いたことのあるような、誰かの考え。ユルゲンはそれをなぞっているだけに過ぎないと気がついた時、その思考の探索が致命的な隙を作ってしまったことにも同時に気が付いた。
「あっ……!?」
刀を弾き飛ばされてしまった。刀は壊された壁の方に飛ばされ、東京の闇夜の中へと消えていった。無手となったエツリは、じわじわと追い詰めるかのように斬撃が大人しくなったことに、明確に見下されていることへの憤りを感じながら、頭上で僅かに反射するユルゲンの眼光を睨み付けながら、身を低めたままじりじりと後退した。
「それは死、生に対する死という不条理がこの世には許されているのさ。生死の順番は必ず死を後にする。丁度、貴様のようにな」
突如ユルゲンの姿が霞のように消える、その瞬間、胸に冷たい痛みが真っ直ぐに通過して、体の内から出ていきつつある血が他人のもののようによそよそしく感じた。
「……か、ゔっ」
胸を貫いた剣が横に倒される。傷口を抉られたエツリの口から苦悶の血が流れ、面の隙間から首を伝い、隊服に赤い縦筋が伸びていく。
「グレンデルも己れの駒だ。まさかあの程度の被害で討たれるとは思いもしなかったがね……」
「ユルゲン……!」
「最期に一つ教えてやろう」
幅広の直剣がゆったりと、極めて緩慢な動きで引き抜かれていく。エツリは柄の近くまで差し込まれて近くにあったユルゲンの手を掴み、抵抗した。
「フェリックス・ドネコ。それが己れの雇い主の名だ」
エツリの目が見開かれる。フェリックスとかいうのは、Mの口から聞いた名だ。面の中に隠れ、彼の表情の変化はユルゲンには見えなかった。
「さらばだ。死にゆく哀れな討伐隊員君」
胸に突き刺された剣を引き抜かれる瞬間、ユルゲンはエツリの胸を蹴り付け、思い切り後ろに飛ばされた。背後は壁が破壊されており、彼の体は何にもかすることなくそのまま宙を切っていく。ユルゲンに向かって伸ばされた手が虚しく空隙を掴んだ。
急速に血の気を失っていく寒さに凍えながら、彼はビルの下の地割れに吸い込まれるようにして落ちて行った。
Mはフェリックスにつながる証拠を追って、文京区と台東区の境目の辺りにまで来ていた。彼女の調査の中では優先順位の低いものであるが、上野での連続殺人の嫌疑をかけられている彼女としては、動きにくい場所に近いところの調査を先に終わらせたかったようだ。
途中何度も討伐隊員に見つかりそうになりながらも、〝グソイン〟とかいう悪魔がこの件に関わりあることを突き止め、周辺までやってきていたのだった。
「何だ、この音は……」
丁度、彼女のいる場所からそう遠くない方向で、建物が壊れる音がした。何か揉め事がある時に来てしまったかと内心歯噛みしたが、あるいはグソインに関係することかもしれないと考えた彼女は、様子を見にいってみることにした。
道中はヤケに静か……誰もが息を潜めて生きる東京で、静かなことは珍しい訳でもないが、ここにおいては不自然だった。何せたった今あのような轟音が響いたのだ。少しくらいは困惑して出てくる気配があってもいいのに、それすらもない。実際のところ、グソインの起こした騒動によって周辺の人が一箇所に集まっているから、というのが真相なのだが、事情を知らないMには奇妙だった。
『あ、アンタは……!!』
その道中で出くわしたのがシルフだった。シルフはMの姿を見て止まり、彼女をしかと睨みつけた。ユルゲンの話を知らないシルフからすれば、Mは快楽殺人容疑者であり、警戒しなければならない相手の一人だ。
「君は、隊員君の仲魔の精霊……一人か?」
『そ、そうよ……一人だからって、アンタに殺されたりなんか……!』
「彼はどうした?」
『言う訳ないでしょ……!』
シルフは今にも魔法を撃ってきそうな構えで、対話ができるような態度ではない。エツリが近くにいないのも不自然だった。それこそが彼女を頑なにさせている原因かもしれないと考えたMは、自分が疑われている自覚は大いにあるため、というか日暮里の隊員を殺害したあの場で弁解をしなかった自分に一切の責任があると理解しているので、シルフを責めることはできなかった。
彼女は内心の困惑を完全に隠して、シルフに余計敵対心を抱かせないためにも冷静を演技した。
「……では一つだけ質問を許してくれ。グソインという悪魔を知らないか? 私の仇に関係しているかもしれないんだ」
「アンタなんでその名前を知って……!」
「知っているのか!」
シルフはしまった、という表情をした。彼女もあの呆けた隣人に感化されたのか、嘘や隠し事を苦手としている。
「教えてくれ。奴はどこにいる? 大切なことなんだ」
「絶対言わない……! というか、アンタに構ってる暇はないの!」
シルフとしても、グソインの、ひいてはエツリの場所を教えて殺人鬼かもしれないMを送り出す訳にはいかなかった。
話の分かる上野隊長なら、あるいは助けにきてくれるかもしれない。そんな一縷の望みにかけ、自身の存在がバレることも厭わずに人を呼ぶつもりであるシルフには、とにかく一分一秒が惜しかった。
押し問答をする彼女等の後方で、さらに何かの音が続けて鳴り響く。物が落ちるような音がしたと思ったら、壊れたビルの方から異常な存在感を投射する一つの光の束が立ち現れ、彼女達の方へと近付いてくる。
「ほう。思ったより近くにいたようだな。精霊」
『お前……!!』
目を剥いて怒りを噴き出すシルフと、突如現れた一人の男を前にして、Mは疑問符を浮かべた。男の姿には見覚えがある。巷ではイモータル・ユルゲンを名乗る奇妙な男が、何やら良からぬことを企んでいるという噂がある。彼女はあくまで噂であろうと思っていたが、シルフのこの反応を見るに、腹に良くないものを抱えているのは本当らしい。
『エツリは!? お前、エツリをどうした!? 答えろッ!!』
「ん? あぁ……」
シルフは半狂乱で、尋常ではない甲高い声でユルゲンに詰めた。彼はもはや遠い昔のことを思い出すかのような表情で、飄々とした笑みを浮かべてみせた。
「貴様の主……エツリとかいう討伐隊員は己れが屠った」
顔色を青くして音がした方へ飛び去っていくシルフを止める者はいなかった。ユルゲンは少し名残惜しそうであったが、目の前で常軌を逸した鋭さの殺気を散らすMを前にして、些事に構っている隙はなかった。
「それで? 貴様の方は己れに何の用だ? 見れば噂の
ユルゲンとしては身に覚えがなかった。彼の中には、エツリを殺したためにMが怒っているという発想はない。ただ突然現れた音に聞こえし腕聞きの女が、謂れのない殺気を自らにぶつけてきているのが不本意で、若干不機嫌そうに両手を持ち上げながら肩をすくめた。
そのちょっとした動作すらも、Mの癇に障るようであった。彼女は眉間にシワを寄せ、腕を組んだまま微動だにせず、道を譲るつもりがないということを暗に示していた。
「取らねばならない仇が増えた」
ユルゲンは今の発言がまるで外国の言語であるかのような、理解の及んでいないという顔をして、直様憎々しげに表情を変貌させた。何かが彼の期待を裏切って、そしてMはユルゲンに対して何の興味もなかった。
「仇?
「そも、それこそ私が上野に来た理由だ」
「冗談では、ないようだな。それが、貴様の目的だというのか……?」
ユルゲンの発言に、特に自らの異名を呼ばれた際に若干のニュアンスを感じたMは、鹿を見つけた獣のように目を細めた。
彼等の間を阻む瓦礫やら建物の倒壊はなく、どちらかがその気になればいつでも戦いが始められる状況だ。ユルゲンの方から事を構えるつもりはなかった。確かに彼女の力量を見極めたい気持ちはあったが、ここですぐに話を荒げる予定ではなかったので、彼は内心で面食らっていたが、同時にこれほど愉快なことはないと思い直していた。
「くくくっ……く、くくくくっ……」
不気味な引き笑いを始めたユルゲンを、不断の無感情で見つめ続けるのMの目には、もはや彼が映っているのか、それとも何も見ていないのか解らなかった。
ユルゲンの押し殺したような笑い声が段々大きさを増していく。彼にとって彼女は何らかの〝異世界〟にすら等しかった。自らに比肩するかも解らない実力者が、俗世に近い理由から憤慨する事実が、何にもましておかしくて仕方がなかった。
「くははははははッ!!
「随分嬉しそうだな」
「これを笑わずしていられようか!? 貴様ほどの女が情に左右されるとは……いや全く勉強になるよッ! 己れにはまだ想像だにしないものがこの世にはあるものだ!!」
彼女は当然笑わない。しかし表情を歪めもしなかった。この後は慣れきった殺し合いに発展するのだろうと思えば、ユルゲンがどれだけ侮辱的なことをのたまったところで、彼女にはもはや死人が喋っているようにしか見えないのかもしれない。
「よく笑うね。ヘレネスのユルゲン」
「…………貴様こそ、存外皮肉屋だな」
途端にユルゲンの表情から笑みが失われた。直接馬鹿にされるよりも、こんな風に冷静ぶった皮肉を返されるのが、彼にとっては余程の嘲笑であった。
既に引き抜かれている破敵剣を前に、Mは恐れをおくびにも出さなかった。いや、彼女の中には確かに恐怖などという冷静さの敵はなかったのだ。ただ殺すべき相手というのは、こんな風にして光って見えるものか、と、見当違いの考えが巡っていた。
・ラージクロック
大時計ではなく大刀契(だいとけい)の隠語。三公闘戦剣、日月護身剣のいずれか、あるいは両者を指す。護身剣は討伐体本部の隊長が所有しており、大規模な作戦で使用する時以外はとある場所に安置し、ナントセイクンに守護を任せている。
破敵剣こと三公闘戦剣はイモータル・ユルゲンが以前の所持者を殺害して奪取、所有しており、戦闘でも使用している。
サブタイトルに話に番号とか振ったほうがいいすかね。自分用に別途保存してる奴には管理のために番号振ってるんすけど、あった方がわかりやすいかな。