赤クソ(ガイア)と白クソ(メシア)とクソ(他)   作:イリノイ州の陰キャ

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私は、あるいは「神の御業(God’s ship)




People also called me as……

 

 Mの痕跡を追って辿り着いたのは、首都高速1号線。エツリが見つけたユルゲンによる隊員殺しの事件現場の真上だった。道路上は所々で火が上がる地獄のような風景が作り出されており、人やら悪魔の死体が散乱していた。

 

「うぁっ! 熱っ!!」

『生人結界……!?』

「生人……ガイア教徒の仕業か……?」

 

 これほど大きな道が崩落せず残っているというのに、現在ここをルートにとる者は誰もいない。というかできない。どこかのガイア教分派が張った生人(しょうにん)結界のせいで、江戸橋からの台東区進入が不可能になっており、実質的にはデカくて長い行き止まりだ。

 生人結界は上空をめがけて発する巨大な炎の壁であり、燃焼には空気ではなく生体マグネタイトが使われている。神秘を知らない常人にはその区別など付かないであろうが、魔法ではない。形式は禁忌の実体化であり、随方毘尼の概念に近似している。実際の作用は神田川に沿っておよそ100m幅の爆炎を何もない空間に生み出しており、これが現在、一時的に中央区方面からのアクセスを著しく低減させているようだ。

 

「南は空気がどうとかってのは、こういう……」

『言った本人が言うのもアレだけど、私もびっくりしてる』

 

 エツリはシルフが以前呟いていた警告を思い出していた。南は風が悪いとかなんとか。まさかこんなデカい〝律〟が二日三日で突如として爆誕するとは、夢にも思うまい。

 察するに、密かに流通させた〝ラムネ〟とユルゲンによる撹乱で、じわじわと城郭を削られつつある上野に、別の勢力が侵入するのを防ぐ目的だ。ついでに中から脱走するのも叶わなくして、情報を遅延させようとしているのかもしれない。

 爆炎を煽る風が肌に当たって二分される度に、エツリの体から大量の汗が噴き出す。あの炎はあくまで生体マグネタイトによって無可燃物、無酸素状態でも燃焼できているというだけで、実態は単なるでかい炎の塊だ。つまり普通に熱い。しかも規模が規模なので、壁の真下は釜茹で状態だろう。

 

『この先に行くの……?』

「だってほら、これ見よがしにMの魔力が……」

 

 まるで天蚕糸を垂らされているかのような気分だった。エツリ達の目にはしかとその痕跡が映っている。彼女の雰囲気を醸す一筋の生体マグネタイトの線が、あの巨大な炎壁に向かって頼りなさげに伸びていた。

 

『君には関係ないでしょ? 殺されるかもしれないのに……!』

「どっちにしろ命令だし」

『そんなに気になるの? あの人のこと』

「…………」

 

 誰かに説明できる感覚ではなかった。親近感とも違う。人殺しに明確な忌避感を感じているエツリと、実際に人を殺しているMとでは、その正義の向いている方向は同じであれ、道のりは全く違うものだ。あるいは彼女に対するこの義務的意識を、運命とでも言えばロマンチスト達は満足だろうか。

 ただ一つ彼が腹に決めているのは、とにかく彼女に会って、自分がどうしたいのかを確かめることだけだった。

 

 

 

 エツリの脅威的な視力は、橋の上のずっと先、より炎壁に近いところにある死体の様子を見極めてしまった。それは纏っている衣服が黒く、眼球が白く変色していた。まだここから遠い場所だが、あそこまで行けば近くにいるだけでタンパク質が凝固するほどの熱量になっているらしい。

 だからこそ、この水際に人が集まっているとも考えられる。人というにはほぼ死体だが……。

 

「ま、待て!! 私を殺す気か!?」

「それ以外の何だと思う?」

「本気か貴様!? この、この私を殺そうなどと……おいッ!? だっ、誰か!? 女を殺せッ!! 誰かいないのか!?」

「金で従う輩は、みな死んだ」

 

 Mは風船のように肥えた、髪の薄い小男を追い詰めていた。男は腕を火傷し、両足の腱を切られ、片腕で何とか這って逃げることしかできなかった。必死の形相で芋虫のように逃げ惑う男の様子を見下ろしながら、Mは安っぽい爽快感に酔いしれていた。

 

「よ、止せ!! 止めろっ……!」

「〝止めろ〟?」

「やっ……! 止めて……! 止めてくださいッ……!」

「難しい言葉を知っているじゃないか。お前が殺した人々がそう言っていたか?」

 

 男の醜態を見下ろすことで、Mは溜飲を下していた。その肩に少しずつ軍刀を食い込ませ、痛みによって恐怖を増大させる。彼女はこの圧倒的な力関係を楽しんでいた。正義や復讐といった大義の前に、理性は不要だった。

 

「お願いッ……! お願いしますッ!! ぅ、あぁ、嫌ッ……!? やめうぇぁあ――――」

 

 大きく振り上げられたMの腕を、エツリは横から掴んで止めた。決して強い力ではなかったが、Mはそれだけで素直に刀を降ろし、驚いた風に目を見開いた。

 

「M……」

「生きていたのか。これは、思わぬいい知らせだな」

 

 Mの足下に転がっている死体は十や二十ではなかった。苦悶の表情のまま筋肉が硬直した市民やら討伐隊員達、それに大小の悪魔。もはやこの世界の生存者はここにいる三人だけなのではないかとすら思わせる。

 殺された隊員の中には、以前見たことのある顔があった。どっかのエリアから逃げてきた女を騙して身包みを奪い、一通り楽しんでから売り捌く、とか得意げに仲間に話していた男。無惨にも右手の指が全て斬り落とされており、酷い拷問の末に殺されたのだということが見て取れる。同情心は湧かなかった。ただいろんな体液でぐちゃぐちゃになった死体の顔が、哀れにも永遠の苦しみを訴えていたから、エツリは不要な悲しみに襲われた。

 

「気になるか? これが」

 

 Mは死体を足で雑に払うと、皮肉っぽい嘲笑とか、怒りとか、普段通りの真顔とか、いずれとも思えない表情で、まるで十年来の友人にでも話しかけるような声色でエツリに問いかけた。

 

「私の趣味じゃない。領袖の居場所を聞き出すために問い正したんだ。君が心を痛める必要はない。殺されて然るべき連中だよ」

 

 ユルゲンの話から推察するに、彼等はドネコの命令で〝ラムネ〟を流して悪魔と取引をしていた連中、助けを求める人々を騙して、自らの懐を肥やしていた悪人達だ。

 だがこんな世界にあって、善悪は何を拠り所にしてそこにある? 神様も天使も助けてはくれない。力を貸してくれるのは常に悪魔だ。彼等の悪心を咎めるための舌触りのいい正論ならばいくらでもある。それを持つ自分の手、彼等を叩く自分の手を見た時、彼等を非難できるほどに清浄であるだろうか?

 

「以前、日暮里で下手を打った時のもそうだ。私が殺した隊員は皆、人身売買に手を染めていた。同族を殺し、子供を拐って売り飛ばしては、汚い懐の肥やしにしていた」

 

 日暮里隊が突然応援要請を出してきたのも、隊員をわざと誘き出して殺すのが目的だったのかもしれない。それが誰だかは知らないが、隊員を殺すだけでマッカを積む者がこの世にはいるのだ。今回で言えば〝ラムネ〟の首謀者は、少なくともそれを望んでいるようだった。

 本部から離れるほど、隊員達は凶暴性を増し、また裏切りの数も増えていく。彼等を動かすものは隊や平和への忠誠ではなく、明日の自らを生かすに足る要脚に他ならないのだから。

 

「とはいえ、それを証明する術もない……余計な話だったな」

 

 彼女が今更弁解めいた嘘を言うとも思えない。何の足しにもならない無知で非力な子供を相手に、嘘まで使ってご機嫌伺いをして、彼女に何の徳がある? Mの言葉が全て偽りで、本当は善性やら正義とは無縁の性格であるならば、エツリなど殺せば済むことだ。

 

「……それはそれとしてだ。いい加減、そこをどいてくれないか?」

 

 エツリはMの前に立ち塞がるようにして、背後でうごめく丸い影を守っていた。それこそが、Mが追いかけている仇の一人である、今は亡きユルゲンの雇い主であるらしい。

 エツリがMの下に辿り着いたのは、この男の手下が皆、彼女によって惨殺され、残すは首魁にとどめを刺すのみという瞬間だった。

 この男の息のかかった上野周辺のチンピラ集団を、片っ端から殺して回るとかいう原始的かつ残忍極まる方法で、Mはここ以外の逃げ道を全て潰し、都合よく誰かが展開した生人結界の方へと、この男を誘導したのであった。

 

「おっ、おい! そこのお前! お前だよお前!! 討伐隊員なんだろうッ!? 何を馬鹿みたいに突っ立ってる!? さっさとその女を殺せっ!!」

 

(こいつが、Mの言ってた……)

 

 フェリックス・ドネコ。今回の騒動の仕切り役にして、Mの仇。確かに彼女の言う通り、醜い太り方をした非力そうな男だ。身なりこそ、そこらでは見ない肌触りの良さそうなスーツ、意味があるのか解らない腕時計、戦闘を考えていない革靴と、金を持っていそうに見える。

 しかし、この男がMほどの実力者の周囲を害する戦力を持っているとは到底思えなかった。そして、何か奸計を以て狡猾に欺けるような知性にしても、毛程も感じられない。

 全く拍子抜けもいいところだ。これがユルゲンの雇い主であり、連続殺人や〝ラムネ〟の無許可販売を裏で仕切っていた人物とは考えられない。人は見かけによらないというべきか、しかしその態度はエツリからしても意気地がなく、この状況にもかかわらず横柄で、そして往生際が悪かった。

 

「何をしているこのウスノロ!! 耳が聞こえんのかクソガキめ!」

「あー……あの、今大事な話してるんで……」

「黙れッ! 私が誰だか解っているのか!?

 お前のような使い捨ての小汚い小僧が逆らっていい存在では――――」

 

 我慢ならなくなったのはエツリではなく、Mだった。彼女が撃った弾丸は、エツリの背後に庇われているドネコの手の甲に硝煙を上げた。ドネコは滴る血を掬うようにして手を押さえながら、痛みのあまり絶叫した。

 

「あぁあああぁッ!!」

「耳障りだな……この瞬間、まだ生きていられるのが誰のおかげが、よく考えるといい」

「ぐっ、んんぅ…………!」

 

 木端の隊員などいくらより集まっても到底止められない怪物が、この子供を前にしては何故かすぐに手を出してこない。いくらドネコが俗悪に溺れた愚物であるとはいえ、命惜しさが最低限の気をはたらかせていた。

 

「全く理解し難いことばかりだ。善良な誰かの幸せを蹴り壊せる下衆共……人の幸せを奪いながら自分は助かりたいという勝手な考えも、君がその男を庇うのも…………」

 

 Mはエツリの体が揺れて、その背後にいるドネコが視界に入る度に苛ついていた。

 

「その血の一雫すら汚らわしい。何人の血税の下に許される贅肉……いや、許してはならない。許せないんだよ。私は、この男が」

 

 感情が強く乗り出した。彼女は思っていたより気分とかコンディションに振り回されるタイプのようで、そういう人達に共通して振れ幅の絶対値が大きい。突然無作為に飛散する殺気はエツリ達を突き刺すようにして、彼等の一瞬の身じろぎをも見逃さぬ迫力を備えていた。

 

「何故、罪なき人々が悪意に挫けなければならない?」

 

(全くだな…………)

 

「何故、彼等が甘んじて苦役に従わされ、奸物共がへらへら笑っているのを見過ごしていられるのか!! 答えろ! この場で私を納得させられるものなら!!」

 

 声に詰まった。彼女に今必要なものは論ではない。それが仮借ない完璧な論であったとして、彼女の精神の中心にある力学を否定する意味になりはしないだろう。彼女が求めているのは、この場に、即、世界平和が訪れることだ。悪人を全て消し去ることそれのみだ。当然不可能だし、エツリだってそうできるなら今すぐにでもしたかった。

 

「私は……この冒瀆を、いや……」

 

「道義を卑しむ兇悪の輩は全て、凡て許す訳にはいかない………………!」

 

 

 

 

「――――――凡てをだッ!!!!」

 

 

 

 

 Mの乾いた眼球に、折しも揺るぎない闘争本能が通うその瞬間を見た。体内で暴れ回る血液が四肢に浮き上がり、不揃いな殺気の先端が無差別に突出する。その瞬間、道路上の舗装された一面が所々と剥がれ、まるで彼女を恐れて逃げているかのように外側に反り上がった。

 

「なッ、に…………」

 

 エツリは首に斜めから触れる高熱の感触を知るまで、反応すらできなかった。その剣の閃きは一切無駄なものを斬らず、彼の首の皮のほんの僅かな薄い部分を撫で、一筋の薄い火傷跡を付けるのみであった。

 あの炎壁のせいでかなり気温が上がっているとはいえ、刀は直前まで鞘に収まったまま空気に触れていない。密閉状態でもないこの開けた場所、というか屋外でだ。Mの軍刀の切先は速さが引き起こした断熱圧縮により、赤熱していた。単純に考えれば、たった今繰り出された斬撃はマッハの速度を叩き出し、しかも彼女はそれをこともなく寸止めしてみせた訳だ。

 熱で火傷した首から数滴流れた血が、刀に当たって耳障りな音を立てた。火傷の痛みがヤケに遠く感じる。

 

「それでも私が間違っていると、そう言えるのか、隊員君」

「…………」

 

 エツリの沈黙は何の含みもない、単なる沈黙であった。その剣気に圧倒された彼の胸から、有意な言葉がこぼれることはなかった。

 

「答えてもらおうか。この期に及んで待ったは効かないぞ」

「俺には、あなたを責められない……正しいから」

「しかし、その上で立ちはだかると?」

「仕事なんで…………」

「今のを見てそんな軽口を叩けるとはね、君も本気という訳か」

 

 これほど気の乗らない仕事もない。だが殺してしまうのは簡単だ。悪魔を召喚するでもない太った男の始末など、倫理観にさえ目を瞑れば誰にでもできる。そしてその問題の倫理観だが、実はそんな言葉はこの東京では古文書に書かれた定義不明の謎の単語に等しい。

 それでもドネコを殺させる訳にはいかないのだ。彼女への反発心だとか、誰であっても人を殺してはならないとかいう見上げた高潔さからでもない。

 

(こいつを殺られたら、全部闇の中……)

 

 裏を聞き出す方法などいくらでもある。倫理観を代償に、拷問のやり方には事欠かないのもまた、東京。こいつ一人からでも得られる情報は多いはずだ。こいつの仲間の悪人達がどれだけ野放しになっていることか。

 ただ、それを今のMに説明しても、かえって火に油を注ぐだけだ。冷静さを失った手合いを前に、会話が通じれば困ることはお互いにないだろう。それはこっちが頭に血が昇っている時でも変わらない。瞬時に冷静になれる人がいるならソイツは間違いなく優秀だし、誰だってそうなりたい。なれるなら。

 

「では、最大限加減をした上で、君を無力化するとしよう」

 

 

(来るッ――――!)

 

 

 これ見よがしに残像を作りながら迫る彼女の軌道は、真円の中心点を線が通るもう一つの真円に等しかった。

 

「シッ……!」

 

 刃が立つ。地面と平行な刺突が正確無比な直線を突き進み、エツリの胸を狙う。戦いの教科書があればこれが載っているだろう。

 だからこそ読みやすい。単純な直線なら予備動作を見ていれば、その後の速さに関係なく容易に避けられる。

 

「いい目だ」

 

(俺でも避けられるようにしたんだろ……)

 

 なめやがって、と言いかけた。当然なめられているし、実力が劣っているのが悪い。

 

「気を緩めるなよ」

 

 次いで襲いくる刺突、斬撃、斬撃……一度振り抜かれる度にじわじわと剣先が速くなっていく。エツリがどこまでの速度なら反応できるのかを確認するかのように。

 力の差があり過ぎるので、そう簡単に剣を打ち合わせたりはできない。エツリはMと十分距離を取りながら、自らの刀の切先で相手の刀の切先を僅かに打って軌道を逸らし、何とか眉間に刃が届かないギリギリのところで避け続けていた。

 

「この辺りか……」

「んッ…………!?」

 

 突然剣の伸びてくる距離が変わった。一歩か二歩のタイミングの違いだけで、彼女は力加減をそのままにエツリの頬を捉えて切り付けた。切れたのは表面のさらに薄皮だけだとしても、彼に与えた精神的衝撃は大きいものだった。

 

「並みの討伐隊員程度だ。はっきり言うまでもないが、君に勝ち目はない」

「知ってるよ……」

「おかしいな。では何故まだそこに立ち続ける?」

 

 Mの動きが突如として変貌した。エツリは防戦を余儀なくされるが、背後に庇うドネコとの距離を考えると、後退できる歩幅はあまりにも短い。しかし中途半端な守勢が役に立たないのも事実。エツリは一か八か、正面からの斬り合いに臨む。生体磁気をも捉える彼の目が光とは別のものを反射した。

 

(違うッ!)

 

 踏み込んだ足の角度が深い。体を回して強い斬撃を繰り出してくると見たエツリは衝撃を受け切れる位置を探りながら、刀を立ててガードの体勢を取る。

 Mの体が回り、その右腕が彼女の背の裏から振り回された時、来るべき筈の衝撃は来なかった。

 

「ぅあッ……!」

 

 ほんの一瞬の弛緩。ただしこの距離では命取りであるのは言うまでもない。合わせたかのように一秒遅れて、エツリが予想した通りの軌道を描いて斬撃が襲い来る。それも、先程よりも一歩踏み込んだ距離感で。

 

「く……シルフッ!!」

 

 これにはなす術なく、なるべく温存しておきたかったシルフの魔力に頼ることになった。彼女は言葉もなくエツリの意図を汲み、風を生み出す。

 相対する彼等の胴の間に生まれた横道が、小さなビル風を思わせる隙間風を作る。風がある場所においては、彼女は空間すらも操る大いなる詐欺師だ。Mはほんの1秒以下、まばたきにも満たない瞬間、強烈な錯覚に襲われた。その短い間に100メートルも離されたような感じがして、半ばまで放たれていた斬撃に迷いが生じる。合わせてエツリのザンが至近距離で発動し、両者はその衝撃で打ち飛ばされた。

 

「っ、ず……」

 

 咄嗟に刀を放ったエツリは、舗装が剥げて荒くヒビの入った1号線の上を転がった。炎壁の熱風に晒された舗装路は酷く熱い。フライパンの上を跳ねる油のように、彼は慌てて立ち上がった。

 

「精霊か……」

 

 不意の一撃を喰らったにもかかわらず、Mにダメージはない。むしろ攻撃を仕掛けた方が血を流している。結果としては肉を切らせて骨を庇った形となった。Mを相手と思えば上出来だが、ダメージはある。

 

「見切ったぞ……」

 

 一度喰らってタネは見えた。体を回転させる時に刀を隠し、右手から左手に持ち替えたのだろう。無手の右手の振りに気を取られると、力を入れるべきタイミングをずらされ、本当に刀を持っている左手の攻撃が来る。

 

「確かに〝仕掛け〟は見えたようだ。しかしそれを見切ったとは言えないだろう」

 

(何もかんもバレバレ…………)

 

 厄介なのは、Mからすれば持ち替えても持ち替えなくてもいいということ。右か左かをあの一瞬で確認するのは不可能だ。斬撃のタイミングを見極めるのが一層シビアになってくる。

 

『私がいても勝ち目はないわ』

「……ホントにごめん」

『別に。慣れてる。嫌いじゃないしね』

 

 事実、シルフはエツリの馬鹿さ加減を気に入っていると言っても過言ではない。彼はお人好しなシルフを戦力としてだけではなく、精神的な頼りとしていた。

 それにしても、Mは全くと言って良いほど力を発揮していない。あからさまにやっつけ仕事みたいな態度だ。おそらく彼女の信条と言うべきか、ユルゲンのようなただの殺人鬼ではなく、悪人以外を標的にしない美学がそうさせるのであろう。

 そしてそこに勝機がある……などと思えるほど、エツリは自惚れてはいなかった。さらに言えば彼女の慢心や先刻死にかけたことによって蓄積しているであろう疲労、シルフの助力などを加味しても、Mを捕縛せよなどという作戦は遂行不可能だ。今動ける上野の隊員を総動員しても、彼女を何分足止めできるか。

 

『気を付けてよ。あの女、いつ心変わりして殺しに来るか』

「解ってる…………」

「心外だな。君を殺害するつもりは毛頭ない。殺さずとも君を退けてみせよう」

 

 エツリ達の会話に割り込み、Mはさらに距離を詰めてくる。エツリには、彼女の斬撃を刀で受ける勇気は湧かなかった。ザンで瓦礫を吹き上げ、ほんの1秒でも相手の気を逸らし、意識外からの攻撃を狙う。彼女は四方に目があるのか、肘と手首を思いきり捻ったエエツリの奇妙なフェイントを、単なる一瞥で見切って弾き返した。

 

『ザンマ!』

「むッ――――」

 

 シルフのザンマを顔面に受け、流石に防御の姿勢を取ったMの顔に、さらにエツリの刺突が襲いかかる。シルフは巧みに風を操作し、エツリの攻撃と衝撃魔法が干渉しない空気の穴を作り出した。

 

「はッ…………!」

 

 そこをエツリが突く。思わずのけ反って避けたMに、彼等はここぞとばかりに畳みかけた。シルフの魔法に翻弄され、エツリの刺突を防御で凌ぐ余裕がない。あるいは二人を殺せばいいのなら、Mが防戦に持ち込まれることはなかっただろう。

 

『切り刻め……!』

 

 マハザンマの強烈な衝撃が空気を混ぜ返し、複数の竜巻がMを取り囲む。完全に作為的な暴風の軌道は激しく敵にぶつかりながら、エツリに道を開け、彼を守る。

 竜巻と鍔迫った軍刀が強烈な火花を上げ、Mの体を複数の方向から拘束する。衝撃魔法によって足下の安定は不確かで、どちらに体を逃れることもできない。

 

『今よ!!』

「当たれッ…………!」

 

 エツリの刀にシルフと同様の色の生体マグネタイトが宿る。風龍撃などと、白龍撃から名前を借用したあの技。マハザンマの対応に手を取られ、今なら他の攻撃にまで意識を回せない。

 衝撃が舗装路の脆い石材を突き壊し、乾いた旋風の中で粉々に砕け、砂嵐を巻く。エツリの半身を残して彼等の姿は煙の中に消え、風を操るシルフの目からも状況が一瞬わからなくなった。

 

『どうなったの!?』

 

 マハザンマの暴風が止んだ時、エツリは一歩も動けなくなっていた。

 

「なっ、あ…………!?」

 

 Mは素手で、エツリの刀を掴んでいた。衝撃属性の魔力によって微細かつ超高速で振動する刀を、彼女は素手で、しかも無傷で握り止めた。

 

「流石に厄介だな……」

 

 Mの目はエツリを向いていなかった。至近距離で刀を掴まれ、一転ピンチとなった彼を助けるべく追走してきたシルフこそ、本当の狙いであった。

 

「この際だ。二人きりにしてくれないか。少しの間、お仲魔には席を外してもらうことにしよう」

 

 嫌な想像がよぎったエツリは、体ごと刀を回してMの握り拳に空間を作り、握られた刀身を抜け出すと、その回転の勢いでMを蹴り付けた。

 Mの狙いがシルフだと気付いた時にはもう遅かった。彼女はその場に足を揃えた全く踏ん張りの効かない体勢のまま、軍刀の鞘でエツリの蹴撃を受け止めると、魔力のこもった軍刀を振り、その柄頭でシルフを殴り付けた。

 

「シルフ――――!」

 

 柄頭はシルフに直接ぶつかる訳ではなく、その寸前に不自然な魔力が発動し、シルフに炸裂する。本来なら風の軌道を操って、衝撃に飛ばされないように留まることもできたはずだ。しかし空気に押し出されるのとは原理が違う。シルフは得体の知れない魔力によって一瞬で何10メートルという距離を飛ばされてしまった。

 エツリの帰還措置も間に合わず、シルフはその勢いのままどこかへ飛ばされてしまった。攻撃の威力そのものは皆無に等しいが、命を取らず、確実に一人戦線離脱させられてしまった。

 

「何ッ、だ……!? 今の……!?」

 

 順当な方法で覚えられるような技ではないはずだ。悪魔に教えられでもしなければ、そもそもこんな技を知る由はないが、ダメージを与えず、かつ仲魔だけを弾き飛ばす攻撃など、〝アナライズ〟やら〝バッドカンパニー〟と同じく、悪魔が教えたがる訳もない。

 

「キャロルヒットというそうだ」

「何だそれッ……あっ、ぶ…………!」

 

 動揺しているエツリの鼻頭を、軍刀の切先が掠めた。横に血液の線が伸びて、赤い糸の形がゆったりと重力によって崩れる。

 

「さて、またしても、共に孤軍だな」

「くッ……」

 

 仲魔が、シルフがいても傷さえ付けられない相手だ。個人の技量でどうにかなるものではない。やぶれかぶれになりそうな心を何とか鎮めつつ、エツリは面の裏で奥歯を噛み締めていた。

 

「聞かん坊な君にも理解できたはずだ。私と君とでは、力の差が大き過ぎて、戦いにはならない」

「どうも。おかげで思い知らされたよ」

「解ったのであればそこを退いてくれ。何度も言っているじゃないか。君に危害を加えるつもりはない。強情にする理由はなんだ?」

「さあね……」

 

 適当な返事を繰り返すエツリに業を煮やしたのか、彼女は組んだ腕の先で指を立て、肘を指でトントンと叩き始めた。

 

「まともな問答をする気はないという訳か……仕方ない」

 

(何だ? 様子が――――)

 

 エツリは他人事のようにそれを見て、感じた。

 

「あ゛…………!?」

 

 思考が途切れるその瞬間。ブルースクリーンみたいな唐突な思案の分断。自分が反射で敵の攻撃を紙一重で避けたのだという事実を、出来事が起こってその後に自覚した。突然歯車にチェーンが噛み合ったかのように、彼女の動きが途端に知らない次元のものに変貌する。エツリは脳の命令系を介さない動物的反射によってそれを避けようとしたが、Mの袈裟斬りはそれを以てしても完全に避け切ることはできなかった。

 

「ならばこちらにも考えがある」

 

 服の上から斜めに切り付けられた自分の上体に触れ、またその傷に触れる。熱風が傷に強く沁みた。リアリティに薄い流血の感触が、殺されることはあるまいと、無意識に弛緩していたエツリの緊張の糸を張り直した。

 傷は浅い。表皮に切れ目を入れた程度だ。しかし、今まで刃を内側に倒していた彼女の剣気が、ここにきてエツリを目掛けている。

 

「少々手荒にすることにしたよ。どうやらまだ〝説得〟が足りないようだからね……」

 

 エツリが驚愕に目を見開いた時、その面に空いた二つの穴の中で、僅かに光の反射の具合が変わったことを、Mは見逃さなかった。彼女は貝が開くように微笑んだ。まるで旧来の友を見るかのような、不躾な気安さがそこにあった。

 

 

 

『痛ててて……あの女、よくも……!』

 

 シルフは1号線から大きく離され、上野駅公園口の広場で意識を取り戻した。不幸中の幸いか、彼女は文化会館手前の茂みに突っ込んだので、意識がない間も誰かに見られることはなかった。

 

『行かないと……!』

 

 気を失っていたとはいえ、そう時間は経っていないはずだと彼女は考えた。何故なら生人結界の雄々しい炎壁が未だ向こうに見える。その規模や効力を一日以上保つのは難しい。何より贄の数が足りないだろう。1号線の上に落ちている死人ではダメだ。生贄でなくてはならない。

 シルフは羽ばたきに支障ないことを確認すると、姿を消して一気に上空へと浮上した。

 

『え…………!?』

 

 その時上野駅公園口の様子をはっきりと肉眼で目視したことで、あることに気が付いた。というか見れば解るようなことだ。

 公園口前に一個小隊ほどの人数が集まっていた。数にしておよそ30あまり。考えてみれば当然だ。1号線の有様はどこから見ても異常だし、それによって上野隊もMの位置をあそこだと断定したのだろう。

 

『あっ……急がなきゃ……!!』

 

 隊が到着してからでは遅い。Mの力量を考えれば、彼女がその気になりさえすればエツリは1秒で殺される。あの人数では移動にも相当時間をかけなければならないはずだ。やはり自分しかエツリの助けにならないと思い至ったシルフは、羽ばたきに応じて粉末のように細かな燐光を散らしながら、張り詰めたピアノ線のように直線を飛んだ。

 

 

 

 Mは立ち尽くしていた。この世に理解できないもの多しと言えど、人類史の中で説明の付く現象や物体においてはその限りではないと思っていた。それがどうだろう? たった一人の蛮勇を理解できないでいる。

 彼女はこの時、普段は完全に外界との接触を禁止させた巫女に、酋長の糞尿を塗り付けて宿曜を唱えさせるという、とある部族の逸話を思い出していた。異国の見聞録には、時折同じニンゲンの発想とは思えない通念がある。

 

 

「何という……」

 

 

 血みどろの真ん中で、肘が立った。のろのろと足手を動かし、血で滑りながら、酷く緩慢な動作で膝を起こした。地面に吸われるようにして胴体が揺らぐが、その面は微動もせずに持ち上がっていた。

 

「君が……君がそこまでっ、そこまでする必要がどこにある!! 〝それ〟を庇ってやることに何の意味がある!!」

 

 彼女は声は怒りに打ち震え、そして恐怖によって時折凍り付いた。この世のものとは思えない均整の取れた面立ちが、彼の前では理解の及ばないものを見るかのように引きつった。

 エツリは文字通り死にかけだった。秒数を刻むごとに苛烈になっていくMの攻撃に耐え続け、どれだけ痛ぶられようと、Mに道を開け渡そうとはしなかった。そんなエツリの強硬な態度に彼女も焦り始め、致命傷になり得る刺突を彼の腹部に的中させてしまったのだ。

 

「ゔ……くっ………」

 

 血を失い、過剰な報酬系が頭の中を満たし、ほとんど体の感覚はないだろう。それでも彼は立ち上がった。上から糸で吊られるかのように。

 

「私には解る! 君がいくら命をかけてあらゆる危険から守ってやろうと、そいつは君に何の恩も罪悪感も感じやしない! 君を都合の良い弾除けくらいにしか思っていないんだ!!」

「ま、待て! い、いや待ってくれ! 奴の言うことに耳を貸すな! わ、私は、私は勿論、恩を忘れたりなどしない! お前が望むなら金でも物でも……お、女でもいいぞ! 私の所有物の中で好きな女を――――」

「黙れッ!!!」

 

 怒声と共に火薬の爆発するような音が響く。容赦なく撃ち出された鉛弾は、かろうじて片膝を立てたエツリの刀の振りによって弾かれた。鞘の端に生まれた弾痕から立ち昇る煙が、ビル風に巻かれて消えるほどの僅かな間だけ、彼等は互いに感じていた共通意識のようなものを吹き飛ばされた気分になった。

 エツリは死にかけとは思えない俊敏な動きを見せたかと思えば、すぐさまその場に膝から崩れてしまった。地面に手を突いた時、同時に頭から血液が一塊に落ちる。自らの体から垂れ落ちる尋常ではない量の血のりを眺めながら、彼はどうして動けるのか自分でも解らないという様子だった。

 

「何故だ……何故だ、隊員君……君が後ろに庇っているのは、世界が平和にならない理由を体現するような、東京の病巣そのものだぞ……それを――――」

 

 背後で無様に震えてへたり込む男を振り返って、ようやくそれらしい惨めっぽい態度で命乞いをする様子を見ると、エツリは溜飲が下がる思いだった。

 彼女の気持ちはよく解る。ここでこの男がMの手にかかって死んだとして、誰が不利益を被って、誰が悲しむだろう? 彼と結託して悪事で贅を肥やしていた他の悪人? 彼等は苛立ちこそすれ、悲しんだりはしないだろう。むしろ利益が独占できると言って喜ぶかもしれない。然るべき聞き取りによって、然るべき情報を得なければ、連中はその姿形すらも見えないまま野放しだ。だからやっぱり、この男をここで感情のままに殺させる訳にはいかない。

 

(…………)

 

 エツリは何となく自分を納得させられそうな言い訳を思い付くと、しかしそれが刀を握る手にだけは何故かしっくり来ていないことに気が付いた。

 本当はなんで彼女の前に立ちはだかっている? 彼女のことを思えば、殺させてやるべきだ。仇を取らせ、今まで苦しめてきた人達の分だけ苦しみを返報し、殺させてやればいい。

 …………本当に?

 

 

「嫌なんだろ……」

 

 

 場にそぐわないそよ風が吹いた。温風とまではいかないが、肌に厳しくない程度の緩い風が吹き、それがエツリの覚束ない足取りを後押しする。

 人殺しがしたくて悪党を殺し回ってるのではないということには、何故だか会って一言か声を聞く前に気が付いた。周囲の誰が何と言おうと絶対に、Mはしたくて人殺しをしている訳ではない。喩えそれが彼女の正義を為すためであっても、必ず心を痛めている。このような、いなくなっても喜ぶ奴しかいないような、それこそエツリでも同情できないような男を殺す瞬間にも、彼女は傷付いている。誰かの仇、憎しみを抱かれ、死を喜ばれて然るべき相手だというのに。

 

「もう、殺すな……あなたは……」

 

 時折自分のことが嫌になることはないだろうか? 誰にでもあり得る些細な俗っぽさでさえ、まるで酷い罪であるかのように感じる時がある。僅かな悪心すら抱くことを許されないかのような気分にさせられて、そういう日に限って人に辛辣になってしまう。しかし空回りした正義感が有意義である瞬間は一度だってない。いや、誰かにとってそれが役に立つことがあるのかもしれないけれど、それでは煮え立つような怒りを払拭できない。

 

「こんな奴等の、ために、傷付くな……!」

 

 この世にたった一人でも卑劣な悪党が残っていると思うと、全てを台無しにされたような気分になりはしないだろうか。そうなると考えが覚束なくなる。どこにどんな悪人がいるかもしれず、またそれを咎めるためにできることは何もないから。いつも屈辱とすら言えよう耐え難い怒りに……そう、屈辱感に苛まれる。自らの正義心の程度では、全ての悪心を取り除くことはできない。それを思い知らされる度に、膝を突いて絶叫するほどの屈辱感に苛まれはしないだろうか……。

 

(まだ動けるのか!? これほどの出血で……!?)

 

 幽鬼のように力ない足取りは、突如として出所不明の力を発し、当然のように気配なくMに肉白する。

 

「なにッ…………」

 

 彼女は完全に油断していた。むしろこの出血で動けるのがおかしい。悪魔ですら、高次の信仰対象でもなければあり得ない話だ。

 エツリのナマクラがMの腕を切り付ける。切り付ける、などとは言うが、カッターの刃の先で軽く撫でたほどの、か細く短い傷しか付いていない。それなのにMは一瞬、ほんの一瞬だけ倦怠感に襲われた。

 あるいは刀に毒を仕込んでいたとしても、Mの超人的な身体は大抵の毒素を中和してしまう。一隊員が調達できる程度の毒など、彼女には虫刺されほどの意味もない。

 

「ブラックサバス……!!」

 

 わざとらしく切り付けられた腕を押さえて、Mは思わず心当たりを声に出した。相手の傷から血を奪い、自らの体力を回復させる面妖な技だ。

 確かに完全な斬り合いに発展してから、一箇所か二箇所には小さな切り傷、紙で指を切る程度の本当に小さな切り傷を付けられたが、無論そんなものは、彼等の戦力差を並ばせる痛手には到底ならない。

 しかも吸収できたとて、小指の先ほどの量にも満たない。たったこれだけの状況判断で、まるで無尽蔵なエツリの生命力をどう説明すればいい?

 

「あ゛……なに、ぶら……?」

 

(気付いていない……? 無意識に使って、いや、そんなことがあり得るのか……?)

 

 Mは初めて背に走る戦慄を自覚した。これで余計にはっきりした。ブラックサバスを意図的に使っている様子でもないということは、この少年は、何か朧げでも勝算があって立ち向かっているのではなく、戦力差に絶望して捨て鉢になる訳でもなく、極めて自然な思考の結論として、自らに挑みかかっている。何より奇妙な生物だ。

 

「いい加減にしろ!」

 

 エツリの体からはまた力が失われ、全く無防備に両腕を垂らしている。Mがそんなあからさまな隙を見逃することはない。彼女は刀を返して峰を向けて振りかぶった。

 

「くッ…………! 何故だ……何故………!?」

 

 エツリに当たる瞬間、軍刀はピタリと空中で止まった。彼女の腕は震えている。自分のことすら信じられなくなっていた。どれが本当なのだろうか。ドネコを殺したい復讐心か、この少年を煩わしく思う気持ちか……刀を振り下ろすことを躊躇っている自分?

 

(違う! これは私の意思ではない……私の、意思では……!)

 

 彼女は頭の中に何人もの自分がいるような感覚に苛まれた。考えを振り払うのと同時に、咄嗟に刀を引っ込めて回し蹴りを繰り出す。エツリは防御もできずに胸を蹴り付けられ、力なく蹴り飛ばされた。彼の形に血の判が路面に付く。彼は踏まれた蟻のように、血溜まりの上で無様にもがいている。Mはそれを見下ろしながら、震えた。

 

(お前は何なんだ…………一体……!!)

 

「あっ…………」

 

 思わず、Mは刀を取り落とした。

 エツリの威勢など、どうということはない。彼は死にかけで、刀を落とした隙を突く力は残っていないし、そもそも彼女は素手でデュラハンの斬撃を受け止められる。それも全くの無傷でだ。エツリが万全であろうと、ここで急に主人公っぽく急成長しようと、彼女はその攻撃を軽くいなしてしまうだろう。

 それどころか、腰には鞘に収まったままの破敵剣が、そして左手には完全にフリーで撃てるガバメントが握られている。この状況で彼女が負ける要素など、一かけらもない。

 それなのに彼女は大刀契を抜くことも、銃を向けることもできなかった。ただうろたえて、血みどろのエツリの接近を見ていることしかできなかった。

 

「も、いい、だろ……」

 

 エツリにはそれ以上、攻撃する意志はなかった。彼女の動きを止められれば、それでいい。自分自身に嘘をついて、傷付く良心を無視し、やりたくもない人殺しをさせるのを、ただ止めるだけでよかった。刀を放棄した彼女にこれ以上戦意は感じられなかった。

 

「…………」

 

 胸にどさりと倒れてきたエツリを、彼女は無意識のうちに受け止めていた。彼はもはや死に体。これでドネコ殺害を邪魔する者は全ていなくなった。

 

(どうして…………)

 

 怯えた表情でMの顔色を下から窺うドネコを、彼女は虚ろな目で見下ろしていた。血液と共に体温が失われ、意識を失いながらも小刻みに震える少年の感触が、不思議で仕方なかった。何故自分はこの少年をさっさと振り払い、振り払うまではしなくともその場に寝かせ、ドネコを殺さないのだろうか。

 

 

「どうして、君は――――」

 

 

 

 

 バシュッ!

 

 捕縛用の網がドネコを包む。エツリに気を取られていたMは、普段の彼女では考えられない位置まで小隊の接近を許していた。

 

「討伐隊……」

 

 彼等は一目散に所定位置へと着くか、数人はドネコを無理やり立ち上がらせて拘束する。予め命令をインプットされている動きが、白昼夢のような迷妄に惑わされていたMの精神を急速に冷え込ませた。

 

「お、おい! やめろ!! 私に手を出してタダで済むと思うなよッ!? このような無礼を座下は決して――――」

「ソノ座下ハ、貴様ナド知ラナイソウダ」

「なっ……!?」

 

 座下、と聞いて、ドネコの顔が凍り付く。ほとんど意識が残っていないエツリも、ほんの少しだけ指を動かした。串刺しにされる前、ユルゲンが呟いていた敬称だ。それを最後に、エツリの意識は完全に途切れた。彼の体重を事もなげに支えるMの表情からは、冷や汗が全て失せ、合成樹脂のような、見る者に恐怖と慕情を抱かせるあの表情に戻っていた。

 

「名乗れ」

 

 Mの底冷えするような声に、隊員達は揃って身を竦ませたが、聞かれた本人である上野隊隊長は、あまり堪えた様子でもなかった。

 

「残念ナガラ、人様ニ名乗レルヨウナ名ハナイ。上野討伐隊ノ隊長、自己紹介ハソレデ事足リル」

 

 ジジジ、と、フルフェイスの内側に付けられた変声機のテープを巻くような音が、彼が口を開く度にヘルメットの中で反響していた。エツリは殆ど意識が失われている状態だったが、その特徴的な変声機の駆動音だけはしかと聞き分け、それから完全に意識を手放した。

 

「私を捕らえに来たか?」

「殺シノ件デカ? 確カニ貴女ヲ今ココデ捕縛スベキカモナ」

「他にどんな理由がある」

「目的ハコノ男ダ。連続殺人ノ黒幕ガハッキリシタ以上、貴女ト交戦スル意思ハナイ。貴女ニハ、オ引キ取リイタダキタイ」

「断る。私に命令するな」

 

 にべもなくMが斬り捨てると、武装した討伐隊達が一斉に銃を持ち上げた。四方から向けられる筒状の殺意を、まるで温いシャワーでも浴びるかのように受け流す彼女の立ち姿に、誰も先制攻撃をしかけることはできなかった。

 

「私に、敵うと?」

「サテ……一人デハ当然、敵ワナイダロウナ」

「…………」

 

 Mは三十人を超える討伐隊員に包囲されていた。上野駅前で編成された、本部からの援軍だ。当初はMを、現在はドネコとその一派を捕縛する目的で、かつその目的遂行を阻害する者を排除するために、ここまで呼ばれてきた。

 それでも、やはり軍配はMの方に上がる。彼女とまともな戦いを演じることができるのは、隊長その人のみであろう。他の隊員達が弱いという訳ではない。だが、所詮人の規格に留まる。

 

(この際…………)

 

 Mの手は破敵剣に伸びた。ドネコを始末することが最優先事項だ。どうしてかこの少年に手を下すことはできなかったが、奇妙なことに、他の隊員達には驚くほど自然に殺意を向けることができた。

 

 

 

「――――なっ……!」

 

 

 

 ほとんど、というかおそらくは完全に意識がないはずのエツリであったが、彼女が破敵剣に手をかけた瞬間、その柄頭を手で押さえた。そしてすぐに手が地面に落ちる。Mの内心が訴える悲哀に応えるようにして、彼はただその美しい横顔が翳るのを嫌った。

 

「馬鹿か、君は……」

 

(いや、本当の馬鹿は……)

 

 彼女はもはや微動だにしないエツリを支えながら、希望を奪われ、また与えられたような気分を味わっていた。自身を囲む討伐隊員の姿などは、全く認識していなかった。

 彼女は上野の隊長を名乗る男が、フェリックス・ドネコを連行するためにその腕を持ち上げ、奥に下がったのを確認すると、銃を腰帯に固定してから、握り損ねた刀を拾い、鞘に収めた。エツリの刀も彼の傷を刺激しないようにして、腰帯の鞘に器用に戻してみせた。

 

「な、何のつもりだ!!」

「隊員を人質にしたところで、我々は躊躇わないぞ!!」

 

 数人の隊員達が弱腰ながら吠え立てる。その銃口はMを標的にして、エツリに誤射することを躊躇していなかった。確かに討伐隊となこのような組織だ。それは情によって作戦に支障が出ないという意味では合理的と言える。

 

「…………愚かな発想だ」

 

 彼女はエツリの荷物ごと彼を肩に担ぎ、取り囲む隊員達を威嚇しながら、走りもせずにゆったりとした足取りでその場を去った。隊員達は仮にも同じ組織に所属する仲間であるエツリが、彼女に誘拐されていくのを見守るだけで、それを咎めようともしなかったし、あるいは即座に見捨てて帰ることもできなかった。

 

 





・キャロルヒット
 物理小ダメージの敵専用技。仲魔が食らうとたまに吹っ飛ばされて迷子になる。正直勘弁してほしいけどお土産持って帰ってくる演出はかわいいからすこ。

・ブラックサバス
 バーミンガムのロックバンドの方ではない。新世界樹で追加されたクラスであるハイランダーのスキル。斬撃や刺突によって出血させ、武器を介して敵の血液を吸収する。エツリの体のヒミツその1。

・生人結界(しょうにんけっかい)
 中国系のガイア教分派で、主に重要財産を守るために厳守されてきた律。高僧が人身御供(勿論だが、不殺生戒に反する)によって律を顕在化させ、炎上する巨大な壁として構築している。


 God’s shipとGossipをかけたネーミング、当初はめちゃくちゃセンスいいな俺とか思ってましたけど、見返すとなんかダジャレ全開で寒いな……。
 つーかこれ「世界樹の迷宮」タグ付けた方がいいのか……? なんならデビサバのタグとか半ばタグ詐欺になってるし消したほうがいいのか……?
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