赤クソ(ガイア)と白クソ(メシア)とクソ(他) 作:イリノイ州の陰キャ
前回のあらすじ
超絶美形イケメンおねいさん。ドネコの手下を殺し回った挙句、死に損ないのエツリ君を誘拐する。
不満足なエピローグ
Mはいくつかある秘密の隠れ家の一つに来ていた。以前は酒を提供していた店であろう場所、裏路地の外階段を降った地下にある目立たない空き空間だ。
彼女が使役する仲魔に〝律〟を顕在化させ、外部からはその一室には意識しても注意が向けられないようになっている。中はMの趣味とは違う無装飾のソファが一台と椅子が二脚あるだけで、後は武器やら薬品が置いてある非常に殺伐とした雰囲気の場所だ。
彼女は慣れない手つきでなんとか止血をしたエツリをソファに寝かせ、彼の体を締め付ける隊服を緩めた。動悸と発熱、そして不整脈。どれも一般的だが、薬物中毒者にも確認される症状だ。戦闘能力を有していない地下街の住民に比べれば、この量の薬物の乱用にも耐えるであろうが、どちらにせよ休養が必要なのは確かだった。
あれほどの出血だったというのに、ほんの少しずつ血色が戻りつつある。一体どんな体質なんだと考えていると、彼の数少ない荷物である雑嚢を取り落としてしまった。
「…………軟弱者め」
使用形跡のあるシレットが複数本、エツリの雑嚢から転がり出てきた。同時に未使用のチューブもポケットの中からいくつか出てきて、Mは呆れたようにため息を吐いた。
つまり、ブラックサバスの他に、Mを相手に這う這うで食い下がったタネの一つはこれだ。彼は無理やり痛みを忘れることで、彼女との根比べを制してみせたようだった。
「薬物に頼るなど、馬鹿な真似を」
Mはエツリの顔を隠す面を解き、その顔を明かした。何ということはない、自称する歳の割にはあどけない顔立ちの少年だ。討伐隊の慣習とでも言うべきか、隊員等は特に悪魔に対しては慎重で、徹底して容姿を秘匿している。中には変わり者や脛に傷がある輩がいて、そういう奴はほとんどの隊員が戒めを解く地下街でも、フルフェイスを被ったままで歩いていたりする。
ただ、彼の顔は特に隠すような秘密、目立つ傷があるとか、呪いの印があるとか、あるいは何か重要人物で、素性を知られないために顔を隠している訳でもない様子であった。
「幼いな…………」
Mは彼の顔に垂れる黒い前髪を避け、苦しみで顔が歪む度に、頬に鬼えくぼが浮かぶのを眺めていた。冷えた手で額に触れ、熱に喘ぐ頬を包んでみると、彼の表情が幾分か和らいだ。時折寝息に苦悶の声が混じるのを慰めるかのように、彼女はその柔い髪に触れたり、頬を撫でていた。
悪魔召喚プログラムには、使用者の含有する生体マグネタイトを消費することで利用可能になる、いくつかのプラグインが存在する。召喚に際して使用される消費電力を削減するものや、悪魔や召喚者を強化するもの、ニンゲンには聞くことも理解することもできない何種類かの魔界の言語を翻訳するもの……多岐に渡るが、大抵の場合誰でも、自力で生き残るために身体強化は最低限取得する。エツリも例に漏れず少しは自身の身体を強化しており、それが普通のニンゲンと比べて薬物への耐性や代謝が高水準であるカラクリだ。
『ワンッ!』
「帰ってきたか」
幅の小さな階段を降りてきたのは、彼女の使役する悪魔の一体であるガートドッグだった。その背には、あの戦闘で弾き飛ばしてしまったシルフが捕まっていた。彼女は非常に不服そうな顔をしており、Mが笑いかけてみても、つーんとそっぽを向いてしまう。
「遅かったじゃないか」
『悪い?』
「そうは言ってない。ただ、あの距離を戻るにしては時間がかかったのが気がかりでね」
『関係ないでしょ』
プログラムによって電子化され、即その場に喚び出されるならまだしも、あの熱風に逆らいながら十数分かけて飛ぶのは、暑さをあまり得意としない彼女の体には堪えた様子である。とはいえそのことを馬鹿正直に答える彼女ではなかった。信用ならない相手に自分の弱点を教える悪魔などそうそういない。
帰ってくるなり寝ているエツリの顔を舐め回すガートドッグを諌めながら、Mは彼の隣をシルフに譲った。彼女は当然とでも言いたげにその場を代わると、苦しみに眉間を寄せるエツリの傷を癒し始めた。
『全くもう……人の意見なんてどこ吹く風よね、君は』
「同感だな。これほどの頑固者は、私の知り合いにもいないよ」
『聞いてないわ』
取り付く島のないシルフの態度に肩を竦めてみせると、彼女はカウンターの奥からワインボトルを取り出して、そのネックを手で折った。中身は単なる水だが、容器に密封されていたというだけで、気休め程度には信用できる。つまり、摂取しても比較的害が少なそうだという安心が。
Mはそれを自身の水筒のコップに汲むと、エツリの傍らにある小さなテーブルに置き、自らはボトルに残った分を一気に飲み干した。あの炎はMと言えど暑いと感じていたようで、彼女は心地良さげに口元を拭いた。
「ゔ……ぅ…………」
痛みに呻きながら、エツリは数時間の眠りからおもむろに目覚めた。薬物によって過剰に弛緩した血管が収縮し、不愉快な頭痛が視界を妨げる。しかしあの意識を削り落としてくるかのような熱風がないというだけで、幾分かは気が楽だった。
『おはよう。大丈夫?』
「あぁ、何とか、生きてる……みたい」
『なら大丈夫ではないわね。痛むところ教えなさい。治してあげる』
「悪いね……シルフだって残りの魔力、心許ないだろうに」
『ちゃんとした契約結んでない私に非があるから。へーき』
彼は重い頭を振りながら雑嚢を漁り、シルフに献上する魔石を取り出すついでに、一組の錠剤を取り出した。人体に危険性のあるものではない。単なるイブプロフェンだ。それを飲もうとして、雑嚢の中に水筒がないことに気が付いた。最近のゴタゴタで無くしてしまったかと頭を捻っていると、彼の横顔にMが声をかけた。
「目が覚めたようだね」
顔をしかめたまま痛みに耐えていたエツリであったが、Mの声にはすぐに反応した。M個人に対する警戒心からではなく、寝起きの情報の少ない時間、無防備でいるその間をなるべく減らそうという、東京で戦闘職に慣れた者に共通の動きであった。
「それを飲むといい。心配は無用だ。たった今私が毒味したからね」
「…………あ、の」
「話ならいくらでも聞くよ。君も、舌の根を潤しておいた方が喋りやすいんじゃないか」
彼女の調子は見慣れた余裕のあるものに戻っていた。これを普段通りかと判別できるほどに長い時間を同じくしていた訳ではないが、少なくともエツリにとっては知っている方の彼女になっていた。
「結局、あのフェリックスという男は、直接の仇ではなかった。いや、仇の一人に過ぎないというべきか」
シルフの治癒魔法によって、体を起こせる程度には回復したエツリは、ソファを一人で広々と使ってしまうことで、連日殺されかかった体を労っていた。
「大ボスは他にいる?」
「あぁ。フェリックス・ドネコは私が追う男の部下に過ぎないようだ。とはいえ奴も、到底許しておけるような輩ではないが……」
彼女が一体どこから情報を掴んできているのか、それを聞き出すのは何故か恐ろしかった。ユルゲンから聞いた彼女の黒い噂が嘘か本当かは知らない。どちらにせよ彼女が正義のために全くの清廉潔白を諦め、少なくない数の人を殺しているということは確かだ。
「……それにしても、君のせいで当面の目標がなくなってしまった。ドネコは討伐隊に連れ去られ、奴の口から漏れた〝座下〟についての調べは擦りもしない」
あの男は討伐隊でも幹部級しか知らないような場所に連れて行かれたことだろう。悪魔を使えば口を割らせる方法などいくらでもある。しかもあの男本人は悪魔を召喚して対抗する素振りも見せなかったことから、プログラムの適性はないようだ。魔法に対する対抗手段など持ち得ないだろう。
問題は奴がいくら口を開こうが、その情報がエツリのところまで届きはしないということだ。Mについては、彼女の情報網がどの程度かを把握していないので何とも言えないが、少なくとも平隊員に重要な情報を握らせることはないはずだ。
「しかし学んだよ。今度からは、怒りに任せて口を聞く前に殺すのは止めよう。私も未熟だな。すっかり奴が黒幕だと思い込んでいた」
その口振りだと、殺しを止めるつもりはないんですね、と聞きたかった。彼女は、あるいは甘ちゃんのエツリよりも感情的だ。それも輪をかけて。口ではこんな風に言っているが、仇を目の前にすれば頭に血が昇ってすぐに刀を抜くだろうことは間違いない。
彼等は少しの間、無言でお互いを見つめた。Mは涼しげな表情で、エツリは難儀な顔で。エツリからすれば、彼女の晴れやかな表情に合点がいかなかった。彼女としては不本意な結果に終わったであろうということ、そして今の言動を鑑みるに、この落ち着きは腹落ちしない。
「立ち入ったことを聞きますけど、あの、あなたはその……」
高架橋の上で戦っていた時は、アドレナリンやら痛みやら薬やらのせいで、彼の冷静な部分は沈黙していた。しかしこうして頭が冷えてからでは、彼女のパーソナルな場所にズケズケと足を入れることに抵抗感がある。その冷静さが余計に彼を苛んだ。つまり、いくら仕事とはいえ、失礼なことを色々ほざいてしまったという後悔だ。
「君が何を聞きたいかは察しがつくよ。本当は私は、人殺しなどしたくないのでは、ということだろう?」
「…………まぁ、はい」
言い淀むエツリに代わって、質問されている彼女自身がそう言ってしまったので、彼としては頷く他なかった。
「そうだな。君の考えている通りだ。うまく誤魔化していたつもりだったんだが、見事に言い当てられてしまったよ」
そう語るMの表情に影はない。俯き加減の告白には自虐めいたメランコリーが見え隠れするも、それ自体に否定的な雰囲気は含まれていなかった。
「それでもやらなければならない。でなければ、誰が罰を降す?」
「…………」
白目がちなエツリの眼差しが、折しも決まり悪そうな軌道を泳いだ。止めろなどと横槍を入れたはいいものの、代替案はない。
Mが殺害をとどまったのも、エツリに対する手心のためだ。つまり本気を出せば2秒とかからず殺されるところを、何故か彼女の良心に生かされ、しかも偶然やり取りが彼女の琴線に触れたことで止められたという、彼自身の実力には何も起因しない結果だ。
正直ここで彼女を納得させられる答えはなかった。そういう場合に東京で使われる手段の、つまり〝実力行使〟とかいうものは、当然通用しない。力の差は嫌になるほど教えられた。するつもりもないとはいえ。
「……ただ、そうだな。今回のような急進的なやり方はやめるよ。私のせいで討伐隊の捜査にも余計な混乱を生んでしまったようだしね」
Mは一応、まだお尋ね者だ。彼女の言葉を信じれば、日暮里の隊員達は殺されても文句は言えないような奴等だったが、隊からすれば所属する構成員を突然抹殺した危険人物に変わりない。彼女をどうにかできる者がこの世にいるかというのは甚だ疑問だが、少なくとも今後、上野エリアの地下街の数箇所には立ち入りが難しくなる。
何だか思っていたより理性的な反応に、エツリは肩透かしを食らった気分になった。身構えていた割には衝突のショックが少なかったと言うべきか……。
「ところで……君は思っていたより若いね」
「え?」
「同い年はないにしろ、勝手に成人の顔を想像していたよ」
「顔……? あっ」
顔、と言われて、エツリはようやく自分が面を付けていないことに気が付いた。彼は恥ずかしいものでも見られたかのように赤面すると、さっさと白鬼面を見つけて面紐を頭の後ろに通してしまう。彼の慌てた様子を見ながら、Mは弟でも見ているかのように意地悪な笑顔を浮かべた。
「付け直してしまうのか? 折角かわいい顔をしているのに」
「………からかわないでください」
「嘘じゃない。こんな世の中だ。子供でももう少し険のある表情をしている」
「やっぱりからかってるでしょ……!」
「あははっ。いや、すまない」
Mの機嫌が良くなるのに対応してか、彼女の足下で毛繕いをしていたガートドッグがはしゃぎ始めた。その勢いのままエツリに突撃し、ソファと挟む形で彼にのしかかる。彼は毛むくじゃらで口と鼻が塞がれ、もがもが言いながら逃れようともがいた。
「こら。こっちに来るんだ」
『わふっ』
半笑いのMに諌められると、ガートドッグは弾むように歩いて彼女の足下に戻った。そのまま彼女のつま先を温めるように丸くなり、機嫌良さそうに尻尾を揺らす。たった今見せたエツリに対するダイナミックなじゃれ方とはエラい違いだ。
わんぱくわんこが引き返し、その隙に面で顔を隠すと、彼はようやく安心できるという風にため息を吐いた。
「あー、隊服が毛むくじゃら……」
「随分懐かれたな。前に言った気もするが、こいつは人見知りが激しいんだ。不用意に近付いてくる者は、子供でも噛み付いて威嚇するんだが……」
彼女はそう言うが、エツリには到底信じられなかった。なんせそう評価されている張本人(張本犬?)は、隙を見てまた彼にじゃれようと目を光らせている。ほとんど毛玉の塊のような見た目で、時折顔がどこにあって尻尾がどれかも解らなくなるのに、こういう時だけは不穏な気配を多分に醸し、獲物を前にした猟犬のように前足を屈めるので、一目瞭然だった。
その様子に内心恐々としながら、彼は服に付いた毛を丁寧に取り除き始めた。黒い迷彩に溶け込んで見分けが難しいが、ブラシでもかければごっそり取れそうだ。その毛を集めれば、指人形ほどの大きさのフェルト細工でも作れるかもしれない。
「……さて、話は変わるが、私から提案がある」
「提案、すか?」
「そう身構えないでくれ。君の不利益にはならないはずだ」
真面目な声色に一瞬だけ萎縮したが、彼女の柔和な表情を見て緊張は霧散した。どうやら何か物騒なことを言い出すつもりではないようだ。
Mはそうだ、と言い、一呼吸おいて足を反対に組み直した。彼女の精巧な顔立ちや、十分に鍛えられながらも女性らしい体が、世間擦れしていないエツリの気を惑わせる。彼はすっかり照れてしまい、Mが足を組み変える動作を直視できなかった。
「さっきも言ったが、当面、目標がなくなった。その間、暇が余ってるんだ。しばらくは人外ハンターとして依頼を潰して金を蓄えておくかとも思ったが…………」
そしてまた足を組み変える。Mは純情な青少年が紳士的かつ情けない反応を見せる様子を面白がっている様子だった。彼はその動作に魅了され、何か突拍子もないことをしでかさないように顔を逸らすので精一杯だ。彼女はたじたじになっている少年にペースを合わせるつもりはないようで、イタズラっぽい笑顔を浮かべたまま話を進めてしまう。
しかし今にして思えば、と後のエツリは思う。奸計を嫌う彼女の一種の策略だったのだろうか。すなわちこの後に続く話し合い(というにはほぼ決定事項だったが)を楽に主導するための。
「君を鍛えようと思う」
エツリは面食らった。全く予想だにしなかった角度からの申し出は、彼にまず疑問を抱かせた。鍛えるとはどういうことか。
「き、鍛える?」
「あぁ。君のことが心配でね。そのお節介加減だ。自分では気を付けているつもりでも、いつか悪人に騙されて憂き目に遭うことは容易に想像が付く」
「あの、そうじゃなくて」
彼女に何のメリットがあるのか。目的の邪魔になるかもしれない子供にわざわざ稽古を付けてやる必要は何だろうか。彼女に言わせれば心配だから、ということだが、まさか本当に言葉通りの意味なはずが……。
「エツリ、これは私のためでもあるんだ。君が強くなってくれれば、私も余計な心配を抱かずに済む」
「…………」
反応が絶え、一瞬の沈黙の間に聞こえた水音が酷く耳の中で波打った。Mは先程とは違う意味で様子の違う彼の面を覗き込んでみた。何か小さな衝撃を受けて、逡巡に耽っている様子であった。
「どうかしたか?」
「初めて名前、呼ばれたな、って」
「…………確かにそうだ」
Mは慮外の発見をしたかのように目を見開き、不思議そうな表情をした。エツリの記憶では、彼女にちゃんと名前を呼ばれた覚えはない。いつも隊員君と呼んでいたはずだ。
「よし、これから君のことはエツリと呼ぶことにするよ。構わないだろ?」
「は、はい……」
「考えてみれば、訓練を付けるならばそれなりの時間を共に過ごすことになる。君を〝討伐隊員〟という属性で呼ぶのは、いささか他人行儀だね」
改めて意識しながら名前を呼ばれると、気恥ずかしいものがあった。Mは得心がいったように頷いているが、エツリの方は照れてしまってまともに目を合わせられなかった。そんな彼の様子を、まだ気を許してもらっていないと判断したのか、彼女は俯く彼の顔を覗き込み、言い含むようにして続けた。
「これを言うのは二度目だが、私に敬語や敬称は必要ない。私の弱心を暴いてくれたんだ。もう気の置けない仲と言ってもいい」
「いや、あの」
「ほら、呼んでみてくれ。私のこと」
彼女は変わらず笑顔であったが、有無を言わさぬ強制力があった。名前を呼ぶまで許してやらないぞ、というような、頑固な一徹さに基き、彼は逃げられない立場に置かれてしまった。
面に隠した顔が熱くて仕方がなかった。
「あー、よ、よろしく…………? お願いします。Mさん」
「M、だ。敬語もなし!」
「えっ、ん、んん゛……M」
「よし」
満足そうに頷く彼女の笑顔を見ながら、反対にエツリは前途の障害を見咎めていた。敬語と敬称抜きで、というのは、照れもあってか慣れるのに時間がかかりそうだ。彼女がそれを待ってくれる性分ではないであろうことは予想が付く。
Mの隠れ家を仮宿として二日。シルフの協力によって傷は癒え、連日の疲労も和らいできた頃だった。エツリは雑嚢の中の品目を確認していた。使い終わった痛み止めを雑に放り込んでいたはずだが、空容器がなくなっている。
シルフはこのところ彼の回復でかかりきりだったし、懐から魔石を取っていくことはあれど、荷物に手を出したりはしない。となれば中身を整理した人物は一人だ。
(バレたなこりゃ……)
こういうやり方に対して、彼女はいい顔をしないだろう。使わないに越したことはないが、いざという時に困る。とはいえ、少なくとも彼女が予定しているらしい〝訓練〟を受けている間は、これの世話になることはないはずだ。
「もう傷はいいみたいだね」
階段の上からMの声が近付いてくる。相変わらずガートドッグは好き勝手に動き回っており、彼女に伴って外を散歩していたようだ。悪魔の跋扈する地上の行軍を〝散歩〟と認識できるのは、悪魔やそれを使役する召喚者の実力があってこそだ。
「Mさ……M」
「そろそろ始めよう。あまり休んでいても体が鈍るんじゃないか?」
「そうですね」
「〝そうですね〟?」
「い、いや、うん。そうね」
エツリは机に広げて確認していた物品をさっさと片付けると、言うだけ言って先に地上へ出て行ってしまったMを、文字通りおっとり刀で追いかけた。
ところ変わって地上、隠れ家から少し歩いた場所にある街路。瓦礫に囲まれて人気も悪魔の気配もない場所だ。周囲をガートドッグが走り回って索敵を兼ねており……というかある程度知性のある悪魔は、Mに迂闊に近寄ってこない。
「そうだな……色々と確認しておこう。君の弱点とか」
「弱点、ね。弱点ばっかりだけど」
「卑屈になるな。そのための訓練さ」
彼女はそう言うと、懐から携帯を取り出した。軽く画面を触れるだけの操作。次の瞬間彼女の足下に魔法円が展開され、その横で生体マグネタイトの流れが偏り始める。魔法円の正体は、術者を悪魔の暴走や魔法の暴発から守る護身方陣だ。彼女は悪魔を召喚しようとしていた。
「デュラハン」
『――――あらぁ? 今日のお相手はこの子かしら?』
「うぉっ……」
突然現れた強力そうな悪魔に驚いて、エツリは思わず後ろにのけぞった。デュラハンは剣に手をかけ、舌舐めずりをしながら彼を見下ろし、臨戦体制に入る。Mは出鼻から頼りなさそうな彼の様子に不安を抱きながらも、デュラハンを手で制してみせた。
「やめろ。彼は味方だ」
『あら、そうなの。じゃあ今日はいつもみたいにお話相手になってあげればいいの? やっぱり寂しがり屋さんねぇ』
「黙らんか!!」
今度はMが動揺する番だった。非常に何とも言えない、気まずそうな表情で目を逸らすエツリの方を振り返って、顔を赤くしながら咳払いをする。これから訓練をしようというのに、最初からこれでは先が思いやられる。
「あ、あの、俺もシルフとよくお喋りしてるし、別に全然……」
「要らん気遣いをするな! 訓練に関係ないことは忘れろ! いいな!?」
「お、おっす」
肩を上下させるMの気迫に、彼は今まで使ったことのないような返事をしてしまった。彼女の中性的な顔立ちは完璧な線対象により構成されており、それだけに迫られた時の威圧感は普通より強い。その美形に少し照れながらも、エツリは何とか平静を保とうとした。
「気を取り直して……まずはそうだな。一通り魔法を受けてみてくれ。それで君の得手不得手を図ることにしよう」
「すっ、スパルタだ…………」
『恥ずかしいところ知られたからって意地悪しないの』
「お前は、余計なことを、言うなっ!!」
「Mさぁ、知ってる? 恩賜公園に残ってるさぁ、まだ絶滅してないやつ、あの、あのーあれ、名前わかんないセミみたいな虫ィ、あれ食ったことある? 結構うまいんだわ」
「…………」
「知り合いがなんだけどぉ、すっげぇ勢いのくしゃみ我慢したらさァ、鼓膜と喉の中が破れちゃったみたいで、自分の血で窒息して死んじゃったんだよね!」
「笑い事じゃないだろう」
ケラケラ笑うエツリの頭をペシっとはたくと、Mは非常に難儀であるという顔をしながら頭を抱えた。魔法干渉に対する抵抗力はMの想定外だった。無論想定を下回る意味で。
まず四属性を試し、エツリが寒さに弱いということを確認した後、次は精神干渉はどうかということでデュラハンに命令し、かるーくハピルマをかけてみた結果、この有様。耐性がないとかいう域ではない。
『この子よく今日まで生きてこられたわね』
「同感だ……」
ハッピーになって延々意味の解らないことを喋り出したエツリに、彼女は集めておいたパトラストーンを使った。こうした魔法を作用させる石を必要とするのは、彼女にとっては初めての経験だ。魔法に対する抵抗力が根幹から違うので、あっても使わない。今までは存在を知っている程度のものだった。
「ここまでとは思わなかった。搦め手を使う相手には全くの無力だな」
『どう? ちゃんと正気に戻ってる?』
「あ、あぁ、何、とか……」
ハピルマにかかっていた瞬間の記憶は、ぼんやりと覚えている。普段なら絶対に言わないようなことをいくつも口走ってしまったことに後悔していた。いくら後悔しようが、また同じ術にかかればまた今のように口が軽くなるので意味はない。
グソインの〝囁き〟はともかくとして、直接的には精神に関係ないニーズホッグのバインドボイスですらクリティカルというのだから、展望は暗い。魅了や混乱も全てダメだ。せめて一つでも耐性があれば話は違ったが、現況はこのザマだ。
「しかしこうなると厄介だな。何か装具で精神干渉を補うとしても、全ての方法には追い付かない」
『もう追々ってことにしちゃえばぁ? この子の場合、順当に鍛えてあげるだけでも財産になるんじゃない?』
「それもそうだな」
蚊帳の外で匙を投げられている様子を見せられながら、エツリはあまりの情けなさに膝と手をついた。
『それで、鍛えるってどうするのぉ? まさか組み手とか言わないでよ』
「そんなつもりはないが、何故だ?」
『殺しちゃうでしょ。いくら手加減したって絶対事故を起こすわよ』
「お前な、人を何だと思ってるんだ……」
後が怖いから言うのは止めとくわ、と、デュラハンは微妙な表情で手をひらひらと振って流した。手加減されても殺されるというのが共通の認知であるのもエツリの自尊心を蝕むが、自分で否定できないのがまた辛い。
しかし鍛えるとは言うが手合わせができないとなるとどのようにするのだろうか。筋トレでもさせられるのかな、と呑気なことを考えていたエツリであったが、Mから出てきた答えは全く予想だにしないものであった。
「エツリ、協会に行くぞ。君には人外ハンターになってもらう」
(は?)
『は?』
エツリはともかく、デュラハンの方も寝耳に水であったらしい。彼等は顔を合わせて、この人はいきなり何を言い出すのかと首をひねった。
「ん……? 聞こえなかったのか? 協会に行くぞ。私と一緒に仕事をしてもらうからな」
「いや、そうじゃなくて……!」
「付いて来い。質問なら道中で聞くよ」
エツリの困惑も他所に置いて、彼女はさっさと歩き出す。彼は寄る辺なくして思わずデュラハンの方を見たが、デュラハンはデュラハンで『こうなってしまったら話は通じない』というような、何だか実感のこもった疲労感のある表情で首を横に振るばかりであった。
・ハピルマ
ハッピーになっちゃう魔法。拙作内での細かい設定を言うと、報酬系の受容体に作用するとかうんぬん。普通ならプログラムを使えない民間人や、弱い悪魔にしか通じないのだが……。
・なんでこんなに精神魔法に弱い?
肉眼で生体マグネタイトを目視できるレベルで感覚が鋭いのがアダになってる。
トリップが目的じゃないとはいえ、よりによって主人公が薬物の過剰投与でグロッキーなのはアレだったかな……。
という訳でやっとこさ、エツリの強化イベ兼新しい厄介事がスタートします。主人公なんだからもうちょい活躍させたい。今のところちゃんと実力勝負で、しかも討伐までできてる悪魔ってオニとメイダだけだし。