赤クソ(ガイア)と白クソ(メシア)とクソ(他)   作:イリノイ州の陰キャ

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 一つあれば事足る鍋の米をとぐ

(種田山頭火『草木塔』)




輩風やんごとなく

 

「まずァ、お前のことを紹介しとくか。部下共に」

「それいる?」

「いるって。一日や二日で終わる仕事じゃねェだろ?」

 

 あからさまに乗り気ではないエツリの肩を、アグイズが馴れ馴れしく叩いた。

 正直、必要でもなければガイアの連中とお近付きになるのは勘弁願いたい、というのがエツリの本音であった。みんながみんなヒバチのような話の通じる相手ならばいいが、二言目には自由とか混沌とか言い出す手合いが何人もいるところを想像すると、額に青筋が浮かぶようであった。

 

「しかしなァ、お前、貧相な武器だね〜」

 

 アグイズ達の事務所を離れ、彼等はアシズ派アグイズ管轄の詰所へと向かうところであった。というか、部下の寝床と言うべきか。

 

「金なしなんだよ」

 

 エツリは縦に体を揺さぶって、高圧的に刀の鞘の元を持ち上げた。粗製濫造の鉄クズ固めだが、どうやら力任せなら何とか無理やり潰し切ることが可能なので、腰に揺らしているだけでも脅しにはなる。

 

「それにしちゃアよ、お前から預かった服、中々いいモンだったけどな。軽装だが、刃物の類は通らねェモンだ」

「何でもいいだろ」

 

 当然だ。武器は討伐隊支給の数打ち物だから粗悪に見えるし、服はMが用意した品だからエツリには過ぎたシロモノだった。どちらも、この男には話していないこと。話すべきではないことだ。特に前者は。なぜ身分を詐称しているのか、という話になりかねない。現在討伐隊では行方不明として扱われてます、なんて言える訳がない。

 エツリとしては、こんな無駄話はさっさと切り上げて事を済ませ、叶うならばMと合流したかったし、それにあの少女のことも少し気になっていた。

 アグイズに曰く、

 

 逃げやがったあのクソガキ。

 

 だそうだ。

 

 どんな事情があるにせよ、エツリ達も必死だ。扶持をつなぐだけなら何とでもなるが、身分を偽っている身で、下手人をほっぽり出したまま依頼主は殺されました、なんて、今後の活動の信用に関わる。無論、Mもだ。

 だからこそ、あの少女の動向が気になっていた。おそらくはこの連中、アグイズ達も知らないようなことを何か……。

 

「ちょイちょイ」

 

 アグイズに手招きされ、路地裏に身を隠すと、入れ違うようにしてチンピラみたいな服装の男達が通り過ぎて行った。その後を追いかけるようにして、アグイズと同じ赤いスーツに身を包んだ連中が走り去っていく。

 

「……ガイア」

 

 エツリは苦虫を噛み潰したような顔で一団を見送った。池袋周辺も、前は討伐隊と人外ハンターが最大勢力で、ガイア教の付け入る隙はなかった。痩せ衰えていく東京の資源に引っ張られるようにして、全ての巨大派閥が弱体化していく中で、じわじわと市民と戦闘職の間隙を縫って入り込んできた。

 エツリがまだ小型ダンプのタイヤよりは身長が高いくらいの、幼い子供だった頃は、ガイア教徒はほとんど新宿に集中しており、外で見かけることはなかった。

 

「奴等はただ追いかけっ子させてるだけじゃねェぜ? 分隊を三つに分けて、縄張りの周辺を等間隔で円状に動かしてる」

 

 アグイズは自慢げに指を三本立てた。獰猛な笑顔は、その長い毛髪と相まって獣のようであったが、二の句は己の策に酔う陰険な悪魔共にも似ていた。

 

「基本は巡回だがな……たまァにあンな風に、俺等のシマにちょっかいかけてくる奴がいンのさ。そいつ等を上手いこと追跡して誘導してるワケ。前の分隊に追い付かせるようになァ」

 

 路地裏を出たエツリは、一団が消えていった方向を突っ立って睨んでいた。

 

「実際はもっと細かく手ェ回してンだけどな。そこントコはま、企業秘密ッてな」

 

 別に連中が全員気に食わないという訳ではない。問題は、奴等に生産性がないということだ。

 討伐隊は戦えない生産階級の人々を守り、防備を以てエリアに貢献している集団だ。人外ハンターはより仕事に幅のある個人事業主達と言い換えてもいい。

 ではガイアはどうか。彼等は自由と混沌を第一とする主義のため、市民の守護に然程積極的ではない。いや、全てのガイア派閥が戦えない者を捨て置く非情なニンゲンの集まりであるとは言わないが、その比率が高い。何なら教義もよく解っていないただの略奪者が、彼等の名を騙る時もある。印象が悪くなって当然だ。特に、戦う力のない者等には恐れられ、嫌悪されている。

 

「ご自慢の兵隊でマスゲームに興じるのもいいけどね。池袋はアンタ等の遊技場(ドッグ・ラン)じゃない……討伐隊の管轄だ」

 

 明らかに挑発的なエツリの物言いに、アグイズの表情が変わった。

 

「だろォな。東京の上から下まで大体討伐隊のシマだってのはジョーシキだぜ。で、それが何だ? 俺等に関係あンのか? よく考えてから〝喋れ〟よ。俺等が今、何モンで、お前が今、何モンなのか……」

 

 アグイズはエツリの肩を掴んだ。

 

「忘れンなよ人外ハンター。てめェは取引きがあるから生かしてやってンだぜ? つまんねー軽口叩く前に、自分の立場をよォく思い出せや」

 

「解ったら大人しく――――」

「あんたこそ解ってないらしいな」

 

 エツリは静かにアグイズの手を肩から引き剥がすと、

 

「お望みなら、その馬鹿みたいな服の色に相応のやり方でやってみろ。別に俺は構わない。まだ何も〝喋って〟ないからね」

 

 Mにそっくりの強烈なアイロニーで彼を牽制した。個人と複数人を束ねる締め役という圧倒的な優位関係の下、取引きが成り立つのは、エツリにまだ見せていない手札があるからだ。

 下手人の顔。炎の壁で分断された中で、〝商人〟が殺された瞬間を(生体マグネタイトをだが)見ており、死因を言い当てたことは、アグイズの中でエツリの発言の信憑性を高めていた。

 

「悪くねェじゃねーか。度胸だけはな」

 

 彼は策謀など微塵にも考慮に含まれていない野蛮な笑みで、エツリを見下ろした。

 

「いいぜ。まどろっこしィのはナシだ。必要なモンだけ取りに行ったら、すぐに取りかかるぞ」

「最初からそう言えよ」

 

 エツリの声色に喜色はなかった。まるで当然だとでも言いたげに、彼は意趣返しのように、アグイズの肩を馴れ馴れしく叩いて先行を促した。

 

 

 

 Mとベルフェゴールの戦力は拮抗していた。

 

「涼しいな」

 

 より正確に言えば、〝破敵剣を使っていないM〟と、ベルフェゴールの戦力は拮抗していた。

 

『頭が高いッ!!』

 

 下から空気を掬い上げるような動作で、ベルフェゴールの周辺から不愉快な冷気が放漫にも噴き上げる。マハブフーラによって周辺の瓦礫は一気に凍結し、脆いところから崩れ落ちた。

 Mは軍刀を返して目にも止まらぬ二連撃を繰り出すと、その刀の勢いで身に迫る冷気を振り払ってみせる。かれこれ数十分もの間、Mはこうして防戦に徹していたが、疲労の色が見えるのはむしろベルフェゴールの方であった。

 

『ぬ、むぅ……』

 

 彼女は軍刀以外の武器を使っていなかった。銃も、仲魔も、あるいは魔法でさえ必要ないと言いたげに、じわじわと、水を染み渡らせるように悪魔の力を侵食していく。

 

『面白い。この〝魔王〟を前にしてかくも不遜な気構え、高慢な力……』

 

 ニンゲン一人を倒し切れない、それどころか傷すら付けることができていないのに、ベルフェゴールの態度には全く焦りがなかった。

 

『ニンゲン風情には過ぎたる業だ。女、名を名乗ることを許す』

 

 座したまま手掌を揺らすベルフェゴールにもまだ、余裕らしき余裕があった。というべきか、ベルフェゴールはこの瞬間において敗北を喫することに然程恐怖を感じていない様子であった。

 こういう名のある悪魔は、街中を徘徊する雑魚悪魔達とは異なり、たとえ現世で無惨に殺されようとも、その名を知られている間には真の破滅は訪れない。つまり、依代なり何なりがあれば何度でも現世に復活する。問題はその依代の方だが、悪魔達の方からすれば、これといって不自由という訳でもないのだろう。

 しかし、Mには別の懸念があった。

 

「お褒めに預かり光栄だが、自分より弱い悪魔に高いところから口を聞かれるのは、不愉快……ああ、不愉快だね」

『ほざくわ。ニンゲン如きが』

 

 悪魔の巨大な左腕がしなる。Mはここで初めて、刀に魔力を通した。

 

『ふむ……この辺りか』

 

 ベルフェゴールの頭上には、怖気のするような魔力が集まっていた。大気中の水分が瞬く間に凍結し、氷の粒となって両者の間にパラパラと振り始める。

 ブフダインと呼ばれる魔法だ。強力な魔法の語末形は全て〝ダイン〟となるが、魔王というだけあって、この悪魔もそれに比類するほどの魔力を軽々と作り出し、あまつさえ現世における己の力に「この程度か」とすら言ってのけた。

 

「今日は、冷えるな……」

 

 対してMの刀にも、東京人の常識にはあり得ない魔力が集まり、刀に不穏な振動を強いていた。

 

『試練を与えよう』

 

 神にでもなったつもりか。と、Mは口の中で文句を噛み潰した。冷気の津波が上から周辺にのしかかる。一瞬にして暗い東京の地表が白く凍り付いていく。

 

 キイイィィ――ィィィ――――……

 

 Mの体を残して、彼女の軍刀だけが凍結を免れていた。彼女自身はえも言われぬうちに凍りつき、物言わぬ氷像と化した。

 

『どうした? よもやここま――――』

 

 

 

「ジオ……イ……」

 

 

 

 しかし、突如として周辺を押し除ける巨大なエネルギーの奔流が刀をめがけて放恣な発散を始め、やがて一つの場所に収束していく。エネルギーは大きな光の筋となってM自身を穿ち、銀世界を黒焦げの瓦礫山に戻してしまった。

 

『ぬぅ……!』

 

 ベルフェゴールは、少しだけ驚愕を露わにした。それなりの魔力を解放した魔法が、個人に正面から打ち破られた経験など、この悪魔にはなかった。

 

「東京は冬か。彼が聞いたら嫌がりそうだ」

 

 Mは、寒いのが苦手な不祥の弟子のあどけない顔を思い浮かべ、場にそぐわない笑みを浮かべた。彼を早く見つけ出すためにも、決着を急がなければということを思い出すと、今度は最初から刀に魔力を伴って、余裕ぶった構えから動作を開始した。

 

 

 

 エツリが連れて来られたのは、車が40台ほど停車している立体コインパーキングだった。言うまでもなく、ここの利用には誰も、一銭も払っていない。というか機械も壊れ、管理者もいない駐車場にわざわざ金を払う意味はない。

 

「いいだろ。ここが俺等ン家。つーか寝床」

 

 動かないライトバンやファミリーカー……中のガソリンも抜け、最後に整備された日から久しいであろう車が動くはずもないが、車の中は、完全に車両としての使い道を期待されていないことを示すかのように、シートが全て抜き去られていた。代わりに前半分に布地のマットが敷かれ、後ろ半分には雑貨が取り留めなく広げられている。

 

「ここに部下を寝泊まりさせてるのか」

「こことか、他ン場所にもな」

「何か……」

「言いたいこたァ解るぜ。もっと他にあンだろっつー話だよな?」

 

 エツリは聞いていいことなのか解らず、曖昧に頷いた。彼に何かセンシティブな理由を掘り出そうという意図はなかったが、結果的に変なことを聞いてしまったか、と反省した。

 

「下手に家屋やら建物を寝床に選ぶとよォ、たまに崩落すンだよ。老朽化とか、悪魔のドンパチのせいでな。だから仲魔に車を運ばせて、並べて拠点にしてンのさ。鍵もかかるしな」

「あー……」

「合理的だろ? 俺も事前の試用で何日か使ってみたがァ、意外と悪くねェぞ。風は凌げるし、窓もテープやら段ボールで塞いじまえば中は見られねェし」

 

 それに、人が集まっていれば、有事の際の対応も画一的なものにできるだろう。たとえばここの車両の一つに悪魔が襲撃をしかけたとして、すぐ側に他の部下が眠る車両が並んでいる訳だから、対応は早い。

 

「俺等みてェなギリギリのスキマに差してる斜陽産業は、こーやって工夫を凝らしてやらねーと商売にならんって訳」

 

 エツリは興味なさげにフイと顔を逸らし、辺りを見回す動作に戻った。アグイズは気を悪くした様子もなく、いくつかの車の荷台を中にいる部下に開けさせ、必要な品を持っていく。

 

「で、ここに何がある?」

「ん? あぁ。この後必要なンだわ。ちょっとした曰くモンが……」

 

 そこで彼の言葉は止まった。というより、エツリとアグイズの問答が止まった。彼は仮面の下で目を見開いて、動けなくなった。

 

「おー。元気そうだな。」

 

 そこから、エツリは他に形容の術もない異様な自己反芻の口火を切らされ、またすぐに天幕が降りるのを体感した。

 

(何だ……)

 

 ――――その女は、商売女達が〝仕事〟の際に着るようなベビードールを、紫色のベビードールだけを着ていた。

 

「名前はビラヴド。俺達はそう呼んでる」

 

 肉置きの悪い頬は青白く、まるでクレーターのようなあばたが顔中で唯一の赤みであった。歯は黄ばんでおり、前歯の隙間から黒ずみ始めている。ブラウンの目は太い眉に上目を遮られながら大げさに窪んでおり、また荒涼な砂漠に砂を積む丘のような鷲鼻は、半ばから突然地面と垂直になる奇妙な形をしていた。長い毛髪は毛根から遠のくにつれて奇妙なうねりを始め、黒い瀑布の行く先は全く整わず、傷んだ毛先の方から色が僅かに抜け落ちていた。

 その体は細く、若木のうちから枯れた柳のようであるが、白い肌には静脈がくっきりと浮かび上がり、まだ中に息吹が流れていることを示していた。爪の先も不活性の血液で黒ずんでおり、手は荒れている訳ではないが、木目は大雑把でごつごつとしていた。

 透過したベビードールの下の肌は、漆のように青みがかっていた。その半端に白い肌に乗せられるようにして、形の悪い乳房は左右に垂れ、茶色気味に変色した乳頭だけが上向きに立っていた。真横に線を描くへその下で、やや内臓に脂肪の溜まった腹部が太ももと股関節の間に膨らみを作り、その間を肉で隠していた。

 凄絶な東京の様相にこれほど即した形の女性も、そういないであろう。Mのような完璧な容姿でも、地下街で見る厚化粧の商売女達のような豊満な肉体でもない。おそらくは年齢も、三十の半ばほどか。東京ではそこまで行けば、長生きとまでは言わないが、まぁ生きている方だ。

 

 

 

 彼女は美しかった。

 

 

 

「来てくれたのね。アグイズ」

 

 見た目に対して不自然に甲高い声。彼女からは、無理やり弦を張り詰めてピッチを上げたような声がした。

 

「あァ。丁度、立ち寄る用があってな」

 

 エツリはただ、親しげな彼等の様子を眺めることしかできなかった。

 彼女に触れてみたいという卑猥な欲求と、その醜い見目と四肢に嫌悪感を感じる傲慢さと、あるいはこの世に信じていなかった〝神〟なる者等の作為を深読みして、思わず身震いした。今日まで数えてきた何人もの常識者の戯言、己の中に根を許したいくつもの〝好ましい〟価値観は、彼女の前には誰かに使われたちり紙ほどの価値もなかった。

 

「後ろの方は? お友達?」

「あ…………」

 

 エツリは答えられなかった。声を聞かれたら困るとか、女性に照れているとかではなく、この後に何を言っても、彼女の関心を惹くことはできないであろうということに絶望し、またそうであることに安堵した。まるで己の手には余る果てしない財物と悪事、知性を不思議そうに覗く精神中枢、つまり本能とかいうそれと対峙させられたように、エツリは打ちひしがれた。

 本能? いや、ニンゲンに宿るそれは、進化の過程に捨て忘れた無駄な機能、高性能パソコンに備えられた無駄に七色に光る機能のようなもの、あるいは公序に有害な利己の精神に過ぎないが、そうではない。つまり……。

 つまり、理性とか本能とか、厚モノの本にあるような哲学とかいう理屈を捏ねている間には、彼女の心の何を手に入れることもできず、彼女を醜い女だと貶める卑賎な本心を自覚することしかできない。それを今、この瞬間に知った。

 

「こいつァ、最近入った俺の部下だ。ほら、挨拶しろや。ビラヴドだ。俺のオンナ」

「あ、あ……!」

 

 エツリは慌ててアグイズの言う通りにした。と言っても、口を聞くことはできず、ただ頭を下げるしかできなかった。

 

「ねぇあなた、彼をよろしくね」

「おィおィ。俺ァこいつ等の頭だぜ? むしろ俺がこいつ等をよろしくしてやってンだろォが」

 

 親しげに笑い合う彼等の間には、果てしない距離があるようにも、まるで不可分な繋がりがあるようにも見える。

 なぜこの女を美しいと思ったのだろうか? その目には俗習を知る普遍性が光り、無理矢理にでも叙情性や神秘を見出すことはできない。単なる、少し息の長い商売女、地下街に溢れ返る無思慮で無教養の娼婦共と何も変わりないというのに、なぜ……?

 

「それで、〝キスミー〟はどうしたの?」

「あァ? あのメスガキならな……」

 

 メスガキ、という酷い罵倒語を聞いて、エツリは我に返った。思い当たる人物は一人しかいない。あの時、自分達と同じように〝商人〟の依頼を受け、現在行方不明の少女。

 

(キスミーって言うのか)

 

 名前を知ることができただけでも、少しは何かの足しになるか、などとエツリが考えていると、

 

「逃げやがッたよッ!! えェ!? ナメやがって……!! キェェェーー!!」

 

 激昂したアグイズが前に戦ったラームジェルグの一匹のような奇声を発した。ギョッとして肩を振るわせるエツリとは違い、ビラヴドと呼ばれた女は、全く平然としている。

 

「捕まえたら今度こそ――――」

「アグイズ。ダメよ。私との〝約束〟でしょ」

「………………」

 

 約束とは何なのか、とは聞けなかった。お前には関係ねェと突っぱねられてしまうだろう。そして多分、本当に関係ないことだ。

 

「…………解ッてる」

 

 アグイズは長い沈黙の後、不承不承といった様子で矛を収めた。そしてエツリの肩を叩いてバシッといい音を鳴らすと、

 

「俺ァ目当てのモンを持ってくる。ビラヴド。新入りの話し相手になってやってくれ」

「おい、どこへ……!」

「いいから、待ッてろ」

 

 そのまま一人で奥へと消えてしまった。取引をして身の安全を確保しているエツリとしては、アグイズがいなければ話にならないので、どうしようもない。困り果てた彼はため息を吐きながら肩を落とした。

 

「あなた、お名前は?」

 

 ビラヴドは薄い微笑みのまま、暗闇の中でブラウンの目を僅かに揺らした。そうしてエツリの風采を上から下まで確認すると、何もかもを見透かしたかのように笑顔を深めた。

 

「…………〝コーエン〟」

「コーエン。そういう名前なのね」

 

 含みのある反芻に、エツリは面の下で眉間にしわを寄せた。

 

「そう……あなた、そう……」

 

 ビラヴドの目が不審な動きをした。

 

(見えてる……!?)

 

 エツリにはよく覚えがある。それは、生体マグネタイトを目視できる者にのみ特有の、瞳孔が完全に硬直した魔導の目……。

 

 その目が、エツリの体に流れる微弱な活性状態の生体マグネタイトを見極めていた。そしてそれを、見られている側のエツリが見破ってしまった。奇しくも、彼自身もそれができるというために。

 

「ねぇ」

 

 シンプルな呼びかけに体を打たれ、エツリは弾かれるようにして、強制的に目を合わせられた。その耳障りな甲高い声には、線の細い音の振動に比べて、常識には説明できないような有無を言わせない迫力があった。

 

「ねぇ、あなた、これから、私の妹に会うことになると思う。〝キスミー〟って言うの」

 

(妹……)

 

 顔は似ていない。目の色も違う。というかあの少女は金髪に金色の目をしていて、目の色だけを見ればむしろアグイズに似ている。

 だが、血のつながりがなくとも兄弟姉妹を名乗ることも、なくはない。特に時折東京には似つかわしくない善意を宿した人が、庇護下に置くニンゲンを自身の血縁者だと言って牽制する場合がある。あるいは野卑な好事家が、一応体裁を保つために、そのような言い訳を用意している。

 ビラヴドと、キスミーとかいう少女に関しては、どちらとも思えなかった。というのも、どう見てもビラヴドに戦う力はない。そして、子供を囲って慰みものにしようという意思もまた感じられなかった。

 

「きっと迷惑をかけるわ。あの子、少し意地っ張りだから」

 

(何が言いたい……?)

 

「あの子をお願い。あの子は、全部私のために……私があの子を苦しめている」

 

 いつでも口を挟める。ゆったりとした落ち着きのある口調。大声で強い言葉を浴びせれば、内容の如何にかかわらずそれだけで黙らせてしまえるような、か弱い声色に、エツリは何も答えられなかった。全身に筋交の鉄筋を組まれたかのように、彼は一本の若木のように無言で立ち尽くし、押し黙った。

 

「ごめんなさい。いきなりこんな話をされても、困っちゃうわよね?」

 

 ビラヴドは震えて動けないエツリの手を取ると、両手でそれを包み、彼を見上げながら懇願した。まるでこれが規定事項のような、すなわち絶対にエツリが約束してくれると確信した振るまいで、彼女は自らの両手に包んだ、ささくれだった彼の手を撫でた。

 

「でもね、それでもお願い。あの子を、お願いね?」

 

 非力な女の、身勝手で一方的な要求など、エツリに聞いてやる義理はない。そんなことにかかずらっている場合ではない。Mの安否と己の安全が第一だ。

 

(ない、はずだ…………)

 

 彼は断れなかった。否定や了承の返事をするでもなく、その柔い手に包まれた冷たい感触が、大気のように自然に触覚へと溶け込んでいく決まり悪さに、不用意にも放心し、ただ彼女を見下ろすことしかできなかった。

 

 彼女の手がするりと離れた。生絹がすれるような感覚が失せていく。これでまた我を取り戻したエツリは、自らに近付いてくる足音に勘付いた。

 

「おゥ。待たせたな」

 

 エツリはまるで逃げ道を得たかのように、慌ててアグイズの方を向いた。彼は手に何か紙の束を持っており、それをはらはらと頭の上で振って音を出していた。

 

「探すのに激昂手間ァかかッちまったぜ」

 

 アグイズが持ってきた雑誌の表紙には、横書きで〝畜生の心情〟と書かれていた。

 

「何だそれ」

「ン? 気になるか? ン? ン?」

「…………気になる。気になるから教えろ」

「ン〜〜? これはなぁ……教えな〜イ!」

 

 思わず刀に手が伸びた。もうシルフも呼び出して一気にカタを付けてしまおうか。と、エツリはどう考えても気の迷いと言うべき念に傾いていく。どうせ近い将来、この男達が敵になることだけは確かなんだし。

 

「わァッたわァッた。そうキレンなよ」

「さっさと言え」

 

 それでもエツリが全く刀から手を離さないのを見て、アグイズは「冗談の通じねェ奴だな」とぼやいた。

 

「こいつは〝ダミー〟だ」

「何の?」

「そらお前、あれしかねェだろ」

 

 アグイズは本当に当たり前であると思っていそうな表情で、丸めた雑誌で自分の膝を叩いた。

 

「〝偽奥義書〟」

「は?」

 

 

 

 偽奥義書が何かも解ってないうちからダミーがどうのこうのと言われても、全く意味が解らないので、エツリはもうそれ以上話を聞くのを止め、とっとと仕事に移ろうと提案した。

 

「そォだな」

 

 彼等は現在、中継地であった〝商人〟の殺害現場にまで来ていた。二人は乾いた血溜まりを見下ろしながら、無感動に今後の方針を話し合っていた。

 

「偽奥義書はまァまァ繊細なシロモノでな、雑に扱ッちまうとォ……ドカン!! ってなモンよ」

 

 ドカンが何を表すのかは定かではないが、少なくとも容易に移動させられるようなものではないらしい。輸送隊は厳重な箱に入れて持ち運んでいたから、空気に触れたらまずいとか、あるいは一目に触れたらまずいとか、とにかく何かしら、運搬にも使用にも制限がつきまといそうなことは推測できる。

 

「じゃあ、まだそれを奪った奴等は……」

「あァ。少なくとも池袋内部にいる。つーかほら、さっきの巡回、アイツ等には巡回もかねて怪しい場所を捜索させてた。このエリアに入ってきた奴も、出て行った奴もいねェ」

 

 アグイズは生人結界で焦げた地面を足で擦りながら、まるで功績を自慢するかのように腕を組んだ。

 

「で、目星は?」

「わり。わかンね」

「意味ねぇじゃねーか」

「そォ! そこでお前の出番だ。解ッてるぜ。ビラヴドを見た時、お前も気付いたんだろ? お前もあいつと同じように〝見えてる〟はずだ」

 

(抜け目ない奴……)

 

 わざわざあのタイミングで二人にしたのは何故かと、エツリは疑問に思っていた。おそらくは、あの炎壁飛び交う中、部下も見ていない〝商人〟殺害の瞬間を見ていたという証言から、アタリを付けていたのだろう。

 あるいは、それを以て自分が確証に足る人物であるかを見極めようとしたのかもしれない。と、エツリは結論付けた。こういう裏回し的なやり方は、ビラヴドの理不尽さすら感じる直線的かつ、抗えない懇願と違って、彼にとっては好感が持てる方だった。

 

「まさか、ビラヴド以外にそんな芸当ができる奴がいたとはねェ」

「誰かにバラすか?」

「いや? 生体マグネタイトを〝見れる〟奴がいるなんて言ったら、じゃア他にも見れる奴いンじゃね? って思考の導線は自然だロ。 回り回ってビラヴドの身が危険になるよォなこたァしねェ」

 

 個人としては信じ難いが、今の言い訳には一応、筋が通ってる。それに、この場を切り抜け、(確認はしていないがおそらくは)急降下中であろう自身の池袋での名誉、人外ハンターとしての信用を、回復とまでは言わないものの、せめてここらで下落を止めておくために、どちらにせよ下手人の首がいるのは確かだ。出し惜しみをしている場合ではない。

 

「多分、辿れンだろ。あの後、ここには誰も近付けねェように部下を使って人払いをしておいた。魔力はまだ混ざってねェはずだぜ」

「そんなことまで……あの女から聞いたのか」

「そゆコト」

 

 となれば、ここからは自分の仕事だ、とでも言うように、エツリは一歩前に出て、血の辺りから立ち込める三つのマグネタイトを目で追った。

 

「おーイ。まだか?」

「黙ってろ」

 

 一つは既に不活性の、つまり殺された〝商人〟のものだ。それはエツリがアグイズの部下に連れ去られた事務所の方に伸びている。

 そして奴等、専属ハンターの(暫定これ以外に呼び方がないので専属とする)二つは、

 

「北東……つーかこれ、駅の方向……?」

「何ッ!?」

「間違いない、駅の方だ……!」

 

 目を凝らして二つの生体マグネタイトの糸を追うと、それはエツリ達が来た方向へと繋がっていた。

 

「マジか!?」

「でも、これは……?」

 

 エツリはアグイズには知らせず、密かにMの痕跡も調べていた。そしてその魔力の糸も、奴等と同じ方向に伸びており、突然途切れている。

 これが何を表すのかは、まだ誰にも解らない。しかしエツリの中に、Mへの心配などは一切なかった。というか、彼女を心配できる実力が自分にないことは、その身を以て理解していた。

 

 





・畜生の心情
 畜生共の卑しい心情を、憚りながらもニンゲン様にお伝えしようという形式の動物雑誌。一時期は「い◯のきもち」と呼ばれる同ジャンル雑誌の半分程度の売り上げまで上り詰めたとも、創刊号と最終号の二刊で打ち止めとも言われているが、現状、創刊号しか発見されていないので、真偽は定かではない。


 地味な話が続いてすまん。もっとキャラとか悪魔とか増やして目まぐるしくした方がいいのかもしれんけど、正直扱い切れる気がしねぇぜ。同ジャンルで頑張ってる他の作者さん達への尊敬の念が止まらねぇぜ。
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