赤クソ(ガイア)と白クソ(メシア)とクソ(他)   作:イリノイ州の陰キャ

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 最近、食後の眠気がすごい。これが単にリラックス状態にあるからなのか、噂の血糖値スパイクとかいうものを体感しているのか定かではありません。ちょっと食生活見直そうかな……。




陳腐なマジックの応酬

 

 池袋駅へと伸びる生体マグネタイトを追って走るエツリ達が、最初に立ち止まったのは道玄坂を逸れた少し西、裏通りの辺りだった。

 死ぬほど見覚えのある魔力壁が左右に広がっている。魔力の質こそ違うが、これはグソインの奴がやっていたものと同じ、外界と内部を切り離すための結界だ。

 

「アグイズ、これ」

「ア? おォ……すげェな。もう見つけたのか」

 

 感心するアグイズを放って、エツリは外周を探り始めた。物理的な壁がある場所まで、歩いて回り込む。現世における大体の規模は見えたが、異界と化した内部の縮尺は全く違うだろう。横にも縦にも、小さい方にも大きい方にもあり得る。

 

「まさか駅の方向とはね。奴等、人をコケにするにも程があンだろ」

「同感だ……」

 

 入り口は……すぐに見つかった。こういった結界にありがちなことだが、術者はそもそも存在を見破られないものとたかを括っており、入り口の偽装を怠っていることが多い。当然、抜かりない者はその辺りにも対策を講じているが、まさか目視で見破る者がいるとは、誰も思わないのだろう。

 

「で、実際はどンな感じよ」

「これを見ろ」

 

 入り口に手を触れながら、エツリは生体マグネタイトの衝突によって空間に波紋を作り出すことで、結界の場所がアグイズにも視覚的に解るように示した。

 

「なるほどネ……」

「どうする?」

「すぐに侵入する……と言いてェとこだが、今、部下に連絡を入れた。少し待ッてろ。何、連中は常に巡回させてる。5分と待たせねェよ」

 

 アグイズは片手に携帯を持っていた。よく見ると彼の足下に魔法円の痕跡がある。プログラムを介して悪魔を召喚したのだろう。おそらくは、足の速い悪魔を。

 

「ところでお前、ホントにそンな貧弱な装備で突ッこむワケ?」

「だからうるせーよ。ほっとけ」

「ふーン……ま、俺は構わねェけど」

 

 Mにも言われたが、刀が合っていないというのは自分でも解っていた。しかも渡されたものは粗悪品。というか、依頼を受けたのはこの貧弱な装備を何とかするための資金を工面するためでもあった。

 それも叶わぬ夢となってしまった訳だが、その辺りは、また依頼を受けるなり、他に取れる手段を探すよりない。

 

『アグちゃんッ!! 見つけてきたわよッ!!』

「おー。早かッたな」

 

(クイックシルバー……)

 

 役割を終えるなり消えて行った悪魔の姿を、エツリは見逃さなかった。女性の相貌が弾ける様は、悪霊というよりは騒音というべき眩しさであった。

 そんなクイックシルバーが連れてきた部下数人は、エツリの方を一瞥し、一様に疑問符を浮かべつつも、アグイズの前で後ろに手を組んで背筋を伸ばした。

 

「アグイズさん……見つかったんすか。〝商人〟のダンナ、ハジきやがった連中」

「あァ。これ見ろ」

 

 顎で促されたので、エツリは先ほどやったように入り口に手を触れ、空中に波紋を作り出した。それを見たアグイズの部下達にどよめきが浸透する。

 

「こりゃあ……」

「あァ。結界って奴らしい。俺も初めて見る。中の様子は知らねェ」

 

 彼等は物珍しそうな目で、歓声でもあげそうな表情で波紋を眺めていた。面倒になったエツリが手を離すと、一部は落胆するかのような表情になった。

 実際、常人が結界を認知できた時などは、その結界内に取り込まれ、内部の悪魔に殺される時だけだ。そうなれば無論、結界の位置や内部の様子を伝える者はいなくなる。珍しがる向きがあっても不思議ではない。

 

「して、勿論乗り込むんですよね」

「そォだな……ま、少人数がいィな。中じゃ音を立てずに動きてェ」

 

 アグイズは生返事をしながら、自身の武装を確認し始めた。

 

「今から侵入する。俺と、こいつで」

 

 エツリは「は?」と言わなかった自分を内心で褒めた。何を言い出すのかこの男は。

 アグイズの宣言を聞いて、どよめきが大きくなった。10人に満たない部下連中は何かを相談するか、文句を言いたげにエツリを睨みつけていた。

 

「馬鹿ァ言わんでくだせぇ! 頭が鉄砲玉する組織がどこにあるんですかィ!」

「そっすよ!! それに、誰すかそいつは!? 俺等そんな奴聞いてないっすよ!」

 

(そらそうだ……)

 

 エツリも、彼が部下を呼び出すと言った瞬間に、まさか自ら侵入する訳がないと思っていたので、部下等と同じように面食らった。

 

「るせェよ。お前等は俺の言うこと聞ィてりゃいいんだ。つか、俺に意見すンな」

「し、しかしですねぇ……」

「ア? 俺が決めたことで今まで失敗があッたか? 黙って命令だけ聞けよ。え?」

「…………」

 

(なんつー暴虐……)

 

 部外者のエツリから言えることはない。人の見聞を信じる気などさらさらないので、エツリ自身も中に入るのは、彼の中では規定事項だった。ただ、アグイズの方から出す人員は、てっきり部下達だと思っていたので、ならなぜ呼んだのか、という疑問が浮かぶ。

 

「てめェ等はここで待て。この入り口を固めろ。それから、外から誰も近付けンな。いいか? 誰もだ。 一人でも通しやがッたら……」

「お、おッス!!」

 

 所詮部下でしかない彼等は、命令されればその通りにするしかない。悔しそうな表情でエツリを睨む者もいた。お門違いだと言いたいところだが、彼等には一部声を聞かれている可能性があるため、無闇に喋れなかった。

 

「さて……問題ねェな?」

 

 アグイズの合図に対して、エツリは無言の首肯で既に準備が終わっていることを示した。

 

「よし……行くぜッ!!」

 

 彼等は同時に結界へと突入した。まるで光学的なしかけがそこにあるかのように、彼等の姿は不自然に途切れ、消えて行った。

 

 

 

 エツリ達が出たのは、鉄筋で組まれた立体駐車場のような場所だった。

 

「おォ? 何か、変な景色だなァ……」

 

 アグイズが拠点に使っているのとも違う。アウトレットパークにあるような、3階も4階もある大きなヤツ。彼等はその一階部分と思わしき場所に出てきた。

 

「何つーかよ、思ッたより現世風だナ?」

「元は現実のそれだったんだろ。多分、どっかの駐車場を切り離したんだ。現世から」

「ほェ〜〜〜」

「聞いてんのかよ……」

 

 そう言いながら、エツリは目敏く視線を左右に走らせつつ、身を屈める。アグイズは既に姿勢を低くしていた。近くに誰もいないことを確認しながら、彼等は念のため物陰に身を隠した。

 

「それで、偽奥義書ってのは何?」

「ン? あァー、そーいヤ説明してなかッたっけな」

「先に教えろ」

「いいぜ。つッても、見た目は俺が持ってきたあのふざけた雑誌に同じだ。単なる動物誌にしか見えねェはずだぜ」

「偽装か……?」

「そ。性格の悪ィ奴がいたモンだよなァ」

 

 運搬したり、あるいは隠し持つために、魔導書やら経典の見た目を俗っぽい週刊誌に変える手法がある。表紙を見ただけではそれが何なのか、真に判別することはできないという訳だ。また、トラップとしても機能する。あからさまに魔導書、という見た目の本ならば、余程の馬鹿でなければ不用意に開いたりはしない。しかし、普通の雑誌の見た目をしているとなると、警戒心は薄れる。知識のない相手にはかなり効果的な方法だ。

 

「で、あれの使い道が何なのかッつーのはだな――――」

 

 言うより早く、二人は同時に左右に身を転がした。彼等のいたところには、黄色味がかった半透明の液体が煙を上げている。超強酸性の何かしらの毒液と見るべきか。

 

「バジリスクだァ……!?」

 

 特徴的なビビッドの体表は、毒と石化で有名な邪龍のものであった。エツリは大いにため息を吐き、アグイズは目を剥いて激昂する。これからという時に邪魔が入った。

 

「クソがッ……! 敵の悪魔か……!?」

「いや、多分、野良」

「あァ!? ますますクソだぜッ!」

 

 バジリスクは今見えているだけでも四体はいる。しかも、不意打ちで毒液を吹っかけてきたことから察するに、交渉どころか会話の隙もない。

 

「奴の動き、よォく見とけよ。〝邪視〟を喰らッたら動けなくなるぜ」

「〝見れば〟解る」

「あァ? だから見ンのは……あぁ、そォかよ。へッ。羨ましいね」

 

 邪視の前兆として、目の当たりに魔力が集中する。普通の魔法の予備動作ならともかく、煩わしい儀式を無視した肉体による呪いなど、そこに使われる魔力の量も露骨になってくる。それこそ、エツリのような者からすれば一目で解るほどに。

 生体マグネタイトが見えない多くの者にとって、目が合うだけで体を固められる不可避の呪いは恐るべき脅威だが、彼にとってはむしろ、敵の足が止まる攻撃のチャンスだ。アグイズはそれを察して、面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 

「できれば前は任せてェとこだ」

「あぁ」

「じゃ、まァ……やるかッ!!」

 

 アグイズの放ったアギを皮切りに、エツリが弾かれるようにして飛び出した。

 

「おらァ! 〝ジオ〟ォッ!!」

 

 続けて、体表で火球を弾いたバジリスクに、アグイズがジオで追撃する。丁度エツリの突進より2秒早いくらいの瞬間に、二匹のバジリスクが感電した。

 

「せッ……!」

 

 刀を引き抜くと同時に横薙ぎに振るう。ギリギリで感電から復帰した一匹は後ろに跳ねて避け、もう一匹に当たる。

 

 ガチッ!!

 

「うぇっ……!?」

 

 鱗に挟まった刃が、金属の擦れるような嫌な音を立てた。エツリは慌てて刀を降ろし、バジリスクの爪の振り下ろしから逃げる。

 

「だァから言ったじゃねェか。ンなボロ切れでどォすンだってよ」

「…………」

 

 返す言葉もないエツリは、無言でじわじわと後退しながら、せめてもの八つ当たりでバジリスクを睨む。今度は四匹が横並びに彼等を押し詰め、そのうち二匹が飛び出してきた。

 

「来ンぞッ!!」

 

 後退をやめたエツリが、不意を狙ってバジリスクの突撃に合わせて前進した。一匹は空中に毒液を吐くが、彼はスライディングでその下を潜り抜け、先行するバジリスクを刀の柄頭で殴りつける。四つん這いのまま体を回し、片足だけを振って、怯んだところをすかさず蹴り飛ばした。遠心力の乗った蹴撃は肥えた豚ほどの体重もあるバジリスクの矮躯を突き飛ばし、後ろに残った二匹の方まで後退させた。

 

『ギュエエエエエ!!!!』

 

 通過させてしまった一匹が、アグイズに向けて爪を振り下ろしている。しまった、とエツリが思った時には、既にバジリスクの体を電流が突き抜けていた。

 

「舐めンな雑魚カスがッ!!」

 

 バジリスクの身に逆方向に伸びる木のような赤い字が一気に伸びる。その身に走る未知の激痛に我を忘れ、激しく絶叫した悪魔の次なる行動は、力任せに爪を降ろし切ることだった。

 

「代われッ!」

 

 アグイズは咄嗟に横に倒れるようにして転がった。その頭上を爪と毒液が通過する。エツリは彼と入れ替わるように後ろへ走って滑り込み、風の魔法を纏わせた刀を下から振り上げた。

 

『ギュキュイィィィッ!!』

 

 喉に突き刺さった刀からザンが炸裂し、毒腺と共にバジリスクの頭が吹き飛ぶ。そのスプラッタな光景に慄き、残りのバジリスク達は二の足を踏んだ。

 

「おォーおォー。結構ォエグいことすンのね。意外とそッち系の趣味か?」

「そんなに魔力はかけてない。単にこいつ等、衝撃に弱いんだろ」

「だろォな。知ってるぜ」

「じゃあ聞くな……」

 

 軽口を叩くアグイズは、片手をポケットに突っ込んだままだった。手の内を隠しているのはお互い様なので、エツリは何も言わない。しかし、今の一連で彼の余裕を読み取り、背後を気にするのはやめた。

 

「衝撃が使える手駒はいねェ。任せるぜ」

「あぁ……右から行く。引き付けろ」

「あィあィ。おっさーるっさーんっだっよォ〜ッてなァ」

 

 戯言を抜かすアグイズを背に、エツリは揺れる帆のように右に体を倒し、倒れる体を支えようとする身体反射を利用して、前方に急加速した。

 

「潰せッ!! フォーモリア!」

 

 いつの間にか、アグイズが召喚したらしい二足歩行の肥満の山羊みたいな悪魔が、虚空から突然バジリスクの群れに落ちてきた。逃げ惑ううちの一匹に目を付けたエツリは、その足下にザンを放ち、足を封じると共に転ばせた。

 

「やッ……!!」

 

 先程と同じ要領で、刀に衝撃属性の魔法を纏わせつつ刺突を繰り出す。バジリスクの胸に刺さった切先を捻って傷口を荒らすと、引き抜いた勢いで三匹目に斬りかかった。

 

『ギィィィ!!!』

 

 毒腺を寸前で転がって避けながら、自身の顔の真上に来たバジリスクの頭にザンを放った。衝撃に揺れた頭に、縦方向に強烈な慣性がかかり、無惨にも半壊した頭部が胴体と泣き別れとなる。

 残るは一体。他のバジリスクは全滅されられ、同族の血肉を周辺にして震える小さな邪龍を、彼等は同情心などかけらもない無味の眼差しで油断なく見つめていた。

 

「ほォ……意外とやるじゃン。部下の報告じゃ、隙だらけだったッて聞ィてたンだが」

 

 あの混乱の中で無理を言わないでくれ、と言いそうになったエツリは、アグイズとの馴れ合いに傾く自身の弱心に気付き、閉口した。

 

「ンじゃア、トドメ刺すぞ」

「俺がやる。あんたじゃ〝邪視〟の前兆、見分けられないだろ」

「頼もしィー限りだな」

 

 悪態を吐くアグイズと入れ替わり、彼は毒液を滴らせるバジリスクに片手をかざした。

 

 

 

 前哨戦を快勝で終えた彼等は、周囲を警戒しながら、車両用のスロープを一階分登り切るところであった。

 

「ここにも……何もねェか」

 

 バジリスクを含めた、使役されていない悪魔達が徘徊しているくらいだ。上がってくるまでにモコイを二体、バジリスクを一体退けたが、どいつも何らかの作為が背後に透けて見えたりはしなかった。

 

「ま、こういうのは一番奥ッてのがセオリーだよなァ」

「…………」

「ところでよォ、それ、お前の飼ィ猫か?」

「猫……?」

「ほれ」

 

 アグイズが顎で示したエツリの足下には、彼の靴に体を擦り付ける小さな白猫がいた。

 

「なッ…………!?」

 

 不自然なほどに毛並みが綺麗で、汚れもない真っ白な子猫だった。

 

(いつの間にこんな……!)

 

 バッ、と身を翻し、子猫と距離を取ったエツリは、隣のアグイズの呆れ返った眼差しを甘んじて受けながら、油断なく猫を見下ろした。

 懐に来るまで、全く気配を感じなかった。普通の猫ではあり得ない。特に、普段から神経を研ぎ澄ませる彼等のような戦闘職の者は、普通の野生動物ならここまで近付かれる前に容易に気配を察知する。

 

「ア? 悪魔か?」

「…………解らない」

 

 エツリに距離を取られてしょんぼりしている子猫は、彼の目にはあり得ない量の生体マグネタイトを体内に巡らせていた。自我の薄いニンゲン以外の動物が、これほどの活性生体マグネタイトを醸成しているのは不自然だ。

 すなわち悪魔か、それに類する何かということになる。

 

「…………」

「殺しとくカ?」

「いや……」

 

 下手に手出しをして、何らかの呪いを発動したら目も当てられない。それも、これから敵陣に偵察兼お礼参りに行こうという時に、余計なリスクを負う必要はない。

 

「どォすンだ?」

 

 エツリは後ろ足を上げて拙い毛繕いを始めた子猫を見下ろしながら、面の下で眉間にしわを寄せた。1分にも満たない逡巡の後、エツリが雑嚢から取り出したのは、品質に疑いなく食べられる貴重な缶詰めだった。

 

「もしかしてお前、それで気ィ引くッてか……?」

「…………」

 

 カパ、とプルタブが折れた瞬間に空気が割り込む音がする。小気味のいい音と、中から漏れる魚の匂いに反応して、子猫はその可愛らしい尻尾をピンと立てた。

 

「おォ。こンな原始的な方法で……」

「原始的とか言うな」

 

 エツリは蓋を完全に取り去ると、それを傍に捨て、容器だけを慎重に地面に置く。子猫はもう一目散に容器に駆け寄って、中身の魚に頭を突っ込んだ。

 

「〝畜生の心情〟に曰く、ニンゲン用の缶詰は塩分が多イから、犬猫共に与えンのはやめとけだとよ」

「知るか」

 

 こんな終末期の手遅れ都市で生きてる動物なら、どんな食い物だろうが食えれば諸手を上げるだろう。ニンゲン様すら健康に気遣う余裕などない世界で、塩分がどうとか細かいことに気を回してはいられない。

 

「おら、ペットとじゃれンのはここまでだ。さッさと行こォぜ」

「…………」

 

 後ろ髪を引かれる思い……ではなく、猫が何か変なことをしでかさないか警戒しながら、彼等はその場を離れた。猫の水っぽい咀嚼音だけが、2階の広々とした空間に薄ぼんやりと響く。

 猫は去っていくエツリの姿を見つめていた。猫が顔を上げた時、缶詰の中身は全く減っていなかった。

 

 

 

 3階に着くと、途端に彼等は背筋を刃物で撫でられるかのような寒さに襲われた。

 

「こいつァ……」

 

 スロープを登って右の方、アウトレットならそこから店内に入れるというところ、開かない自動ドアの手前。その辺りに二十冊程度の雑誌が散らばっていた。

 ただそれだけの光景なのに、エツリ達は酷く動揺し、一歩後退る。まるで目の前に巨大な怪獣を見せられたかのように、迂闊に足を動かせない脅威がそこにあった。

 

「やッべェな。噂通ォりのヤバさしてるぜ」

 

 思わず携帯に手が伸びたアグイズを、エツリは責められなかった。彼も、敵のいない虚空を睨みながら刀の柄を握っていた。

 

「つか……考えるこたァ……同じッてこと?」

 

 大量に散乱した動物誌、どれもアグイズが持ってきたものに同じ〝畜生の心情〟と書かれたものだ。

 その横にダンボールの空き箱が転がっていた。その中から出したのだろう。推測するに、ダミーのせいで本物の見分けが付かず、またその効果のほどは知らないが、判別のために中身を確認するのは不都合があるから、手をこまねいている、とかであろうか。

 そうだとすれば、この大量のダミーは〝商人〟の仕業と考えられる。死人の土産にしては上等なモンだな、と、アグイズが不謹慎なことを呟いた。

 

「めンッ……どくせ」

 

 思わずアグイズがため息を吐いた。彼はこの中から一つ、何とかしてアタリを探すつもりらしい。

 

「…………」

 

 エツリの目には、禍々しい魔力を放つ一冊しか目に入らなかった。

 

「あれだ……」

 

 軽々しい悪意と底の浅い害意を以て、ニンゲンの軽薄にして巨大な邪気が互いを貪り合い、より濃い毒気がそれを覆い尽くす。悪意がさらに強い悪意に征服され、重ね塗られていくかのような、円環状の魔力のうねりが一冊の雑誌を基点に巻き起こっていた。

 

「何お前、こンなンも見分けられンの?」

 

 むしろエツリからすれば、あそこまで露骨に「私はヤバいシロモノです」という魔力を放つ物体を見て、何も思わない方が不思議だった。どのような成り立ちかは知らないが、あの偽本を作るために、何人もの血が流れ、またそれを紙が啜ってきたのだろう。

 正直なところ、エツリは表紙を開くのはもちろん、素手でそれを触れることも、視界に入れることすら嫌がった。

 

「ンだよ。嫌なの? じゃー俺が拾ッてやっから、どれか教えろ」

「……やめといた方がいいかも」

「あァ? ンだそれ」

「下手に素手で触るのは危険だ。それこそ人体みたいな天然の有機物に反応して、対抗呪詛が仕込まれてるか、勝手にページが開くようになってるかもしれない」

「うゲッ。最悪だな、それ」

 

(全く同感だよ……)

 

 商人がどんな思惑であれを運ぼうとしていたのかは見当が付かないが、あんなシロモノ、売る方も買う方も、後ろ暗いものが一つもないということはあり得ない。必ず何か悪事に使われるものだ。アグイズが偽奥義書の露悪性に気付いているかは定かではないが、少なくとも彼の親分であるアシズには、この業を使いこなそうという魂胆があるのは間違いない。

 

「上さンの命令だしなァ。何とかして持ち帰りてェンだけど……」

「この場は俺が運ぶ。外に出たら、封印なり何なりできる部下を呼ぶか、厳重に箱詰めにしろ」

 

 何ら魔法的要素を使わない純粋な箱詰めにも、少しは封印の効果がある。というのも、箱に詰めて入り口を何かで塞ぐという行為自体が、一種の封印の儀式として成り立つのだ。無論こんなことは、普通の世界ではあり得ない。生体マグネタイトと悪魔による次元干渉で歪みきっている東京にのみ可能なことだ。

 

「さっさと拾って帰ろう」

「じゃアそンな感じで。ここは……ン?」

 

 アグイズが何かに気が付いた。偽奥義書の瘴気を喰らって感覚がおかしくなっているエツリより、彼の方が今は察知力が鋭敏なのか、その表情は強い警戒によって険しい固まり方をする。

 

「どうした、アグ……」

「――――避けろッ!!」

 

 アグイズに肩を押し出され、エツリは右側に、彼自身はエツリを押した反動で左に転がった。彼等がいた場所を火球が通り過ぎ、駐車場のコンクリの柱にぶち当たった。二人は焦げ付いた柱を驚いて見つめた後、立ち上がりながら振り返る。

 

「……何者だ。貴様等」

 

 そこにいたのは見知った武装の男達、自分達を〝専属〟と名乗っていたあの二人であった。彼等は既に武器を抜いており、すぐにでも飛びかかってきそうな怒気を発していた。

 

「おい! そこの赤スーツ見ろ! そいつはァ……」

「…………貴様等、アシズ派の犬共か」

 

 犬、と言われて、アグイズの眉毛が吊り上がる。貫禄には欠けるが、部下を束ねる身としては、初対面からナメてかかる相手が許せないのだろう。エツリのように、警戒心を抱きながらも気丈な態度を崩さないのではなく、彼等二人はアグイズを根本からナメていた。

 

「ミトバラの奴に使われてる三下共が、偉そォな顔しやがッて……」

 

 エツリが専属ハンター二人の戦闘の様子を見ることができたのは、たった一日だけだ。しかも、エツリ自身も敵の対応に追われてそこまで集中できていた訳ではない。そして奴等が力を温存していた、というのも十分あり得る。というか十中八九そうだ。

 それでも、エツリには専属の二人を脅威に思えなかった。それはMとかいう並外れた物差しが基準をぶっ壊してしまったからなのかもしれないが、あるいは……。

 

「アグイズ……」

「あン?」

 

 専属の二人を睨みながら、エツリは小声でアグイズに声をかけた。その表情には焦りが見えつつも、まだ諦めは見えない。この場を打開できる策を思い付いたようであった。

 

「本物は解ってる。タイミングを見て偽物とすり替えるから、陽動してくれないか。奪ったら苦戦してる芝居を打って、外に逃げよう」

「…………なるほどなァ。確かに、ブツさえ手に入ッちまえば、この連中の陣地で戦ッてやる義理はねェ。だがお前、アレ、どれかわかんねェけどよ、触ッていいモンなのか?」

「問題ない」

 

 エツリはそう言うと、Mが破敵剣を巻くのに使っている、何か呪言が書かれた巻布を懐から取り出した。備えあれば憂いなしなどと言って、彼女がエツリに押し付けたものだ。彼女が自ら、時間をかけて魔力を流しつつ書き連ねた呪言は、狙った効果それのみを発する正確さと、内部の魔力を完璧に密閉する見事な効果を兼ね備えている。

 まさか役に立つ日がこんなに早く来るとは思っていなかったので、彼は運命などと言う陳腐な言葉を思い起こさずにはいられなかった。

 

「いいねェ。そーゆーことなら、いただくモンいただいちまッて、さッさとトンズラすッか」

「方法は任せる」

「自由ッてワケね。俺のやる気の出し方解ッてンなァ。俺が一番好きな言葉だぜ、それ」

 

 だろうな、と言う代わりに、エツリはアグイズから遠ざかるように一歩後退した。

 

「よォよォよォ、ナメられたモンだぜッ!! こちとらアシズから直接指名を受けた〝ペンタプラ〟の一人だッつーのによォ!!」

 

 デカい声で存在感を示すアグイズに目を奪われているのを確認しつつ、エツリはじわじわと雑誌群の方に近付いていく。

 

「吠えやがってユリコの残党風情が……! おう! さっさとこいつ等やっちまおうぜ!」

「……そうだな。元はと言えば、我々の領地を侵犯したのはこの者共だ」

「盗人猛々しいとはよくいッたモンでェ」

「黙れッ!! その赤いスーツをさらに鮮血で染め上げやるッ!!」

 

 二人組の方の、語気が荒い方が先に釣れた。アグイズは笑いながら二人組の足下に向けてマハラギを放ち、さらに自身は懐で携帯を操作する。

 

「ナメてるのはテメェだぜ血のりカス野郎!! こんなガキの火遊びで、俺達を倒せるかよッ!!」

 

 帯状の火炎が切り刻まれ、その中から煤けた専属達が出てきた。語気の荒い方が抜いた長剣によるものだ。成人男性の身長ほどもあろう刃渡りを、男は軽々と振り回していた。

 しかも二人は見た目は黒く焦げつつも無傷だ。しかし、それを見て動揺するアグイズではなかった。

 

「出番だッ!! フォーモリア!! クイックシルバー!!」

 

 彼の両隣に出てきた二体の悪魔が、彼に近付こうとする男の前に立ちはだかる。ただ、悪魔達の表情に緊張感はなかった。

 

『アグちゃんッ! 最近仲魔使いが荒くないかしらッ!? もっとおばさん達を労わってちょうだいよッ!!』

『ブメェェ〜』

「あァ〜うるせェうるせェ、聞こえな〜イ。いいからキリキリ働けや」

 

 出てくるなり不満を垂れる二体の悪魔の背に命令文で鞭打って、アグイズは不敵な笑みと共に魔力を収束し始めた。

 

「雑魚が何匹出てこようが、何も変わりゃしねぇんだよッ!!」

 

 専属の一人が振り上げた長剣がクイックシルバーを狙う。しかし、その銀色の悪魔は折れ線の軌道で長剣の周りを一周して避けつつ、専属ハンターの胸に突撃した。

 

『アグちゃんッ!!』

「食らえやッ! 〝ジオ〟ッ!!」

 

 クイックシルバーによって指向性を得たジオの雷撃が、一分のエネルギー損失もなく専属ハンターの胸に突き刺さる。

 

「がはッ……!」

 

 男はジオの直撃を食らい、感電と高熱によって悶絶する。膝を付いた彼の胸部の布が真っ黒に焼け焦げていた。

 

『ブメェェェェッ!!』

 

 すかさずファーモリアが追撃ののしかかりを試みる。男の体をすっぽりと覆い尽くす巨大な影が真上から手を振り上げ、重力に任せて体を倒した。

 

「なんッ……!」

「愚か者がッ!!」

 

 その場に跪いて動けない男を、もう一人の専属ハンターが蹴り飛ばして回避させた。睨み合いをするニンゲン三人を放って、硬いコンクリの上に落ちた腹を、痛そうにさするフォーモリアを、クイックシルバーが心配そうに励ましていた。

 

「待っている敵に無闇に突っ込むな!! 思う壺だぞッ!!」

「す、すまねぇ……」

「言われてンぜ、ばァ〜〜〜〜か。サマナー向いてねェよ、お前」

 

 ここぞとばかりに口撃を挟んだアグイズは、舌を平たく放り出して、ベロベロと上下に振った。彼のふざけた顔芸に、専属の語気が荒い方の顔がますます赤くなる。

 

「てんめぇぇッ……!!」

 

 ばーかなんて低俗なワードを選ぶアグイズもだが、それで顔を真っ赤にする方もどうなんだろうか。ただ陽動自体はうまくいきそうな雰囲気がある。

 

「まだダメだ。奴等の視界を完全に奪ってくれ。すり替えの瞬間を見られる」

「注文の多いヤツ。しゃあねェ。も少し出血してやるか……ねッ!!」

 

 アグイズが前に出た。彼が何をするか見ものだが、エツリの方にも役割がある。黙って見ているだけにはいかない。

 

「こいつで燃え尽きなァ! 〝マハラギ〟ィ!」

 

 アグイズの両手から先ほどのような帯状の火炎が吹き出し、男達を襲う。しかも先ほどよりずっと火勢は強く、完全に燃え切らなかった生体マグネタイトが黒煙を上げ始めた。

 

「馬鹿の一つ覚えみてぇに……そんな花火が通用するか――――」

「クイックシルバー!!」

 

 アグイズが何かをやろうとしていることを察知したエツリは、彼が味方の悪魔を呼ぶ声に乗じて走り出した。

 

『はいよッ!!』

 

 マハラギの炎帯に合わせて、クイックシルバーがその上をよぎった。弾ける火花がさらなる火の隆盛の契機となり、一瞬にして火に吸い込まれた空気が爆発する。

 

(今だッ……!)

 

 エツリは素早く目当てのものを布越しに掴むと、そのままぐるぐる巻きにして雑嚢にしまいこみ、同時にアグイズの持っていた雑誌を同じ場所に転がした。これで、ここから離脱する間くらいは、専属ハンター達の目を誤魔化せる。

 

「クソ、共がァァァ!!!」

 

 横薙ぎに振るわれた長剣が炎を断ち切り、その間から突如として伸びた切先がアグイズの後ろ髪をかすった。

 

「ちッ……!」

 

 大暴れの鼻っ面を止められたアグイズは渋々後退しつつ、その実内心では他のことに気をやっていた。つまり、エツリが無事に職責を果たしたかについて気を揉んでいた。

 

「首尾はどォだ」

「ほら」

 

 エツリは背の雑嚢の紐を引っ張った。それだけで彼の意図は十分に伝わり、アグイズがご機嫌な笑顔を浮かべる。

 

「いい働きだぜ。部下に欲しイ」

 

 冗談めかして褒め言葉を送るアグイズに、彼は冷たい無言を以てそれを返答とした。

 ともあれ、この二人に奪われた偽奥義書は取り戻したのだ。ここに長居する理由はない。あとはいい感じに追い詰められた風の演技をして、折を見て逃げ出し、外で待っているアグイズの部下達と合流するだけ……。

 

「もう我慢ならねぇぜ……なぁおい、もう使っちまわねぇか!? 俺ぁもうこのカス共を許しちゃおけねぇぞッ!!」

 

 専属ハンター達が何か相談を始めた。一人は相変わらず激昂しているが、その表情は先程よりは和らいでいる。冷静さを取り戻されるのはよくない。怒っている者をあしらう方が余程簡単だ。

 

「…………逃がすよりはマシか」

 

 専属の二人は並び立って、一見非常に隙だらけの無手によって構えを整えていた。

 

(何を企んでる……)

 

 アグイズの高い背の陰に隠れながら、エツリも刀を抜いた。何を考えているか解らない相手の、最初の行動というのが一番神経を使う。というのも、いくら後の行動に警戒を払っていても、最初の布石を許してしまえば、後はなし崩し的に相手の有利な状態に持っていかれるなんてことが、盤上でも実戦でもよくあるのだ。

 

「…………」

 

(何だ、魔力が……これ……!)

 

 エツリはすぐに気が付いた。というのも、下の階でバジリスクと戦っていたことで、少しでも二人の目に対して意識が向いたのだ。

 

「アグイズッ!! 目だ!! 奴等の目を!」

「何ィ!? 目だァ!? 目をどうすりゃ――――」

 

 専属の二人の足下に広い魔法円が展開される。あれはそう、悪魔を召喚する時に、万が一の暴走から術者の身を守るためのケア的措置であり、すなわち悪魔召喚の前兆。

 

「手遅れだッ!! これこそが我等の目ッ!!」

 

 エツリが弾かれたように顔を上げた時、既に専属の二人の目が、左右片方ずつ〝贄〟として差し出され、潰されていた。片側の目から流れる血が滴り、魔法円の上に落ちて、魔力に弾かれる。生物由来の物質さえ、別の物体の侵入を許さない強固な魔法円は、ここに喚び出される悪魔の脅威度をも示していた。

 

「このクソ生意気なカス共をぶち殺せェ!」

 

 

 

「〝アルゴス〟ゥゥ!!」

 

 

 

 紫電を伴ってそこに現れた悪魔は、全身に無数の〝目〟が浮いていた。その禍々しい姿を支える浅い青肌は、まるで青銅のように冷たく、強靭であった。

 

 





・偽奥義書(Le Ignoble Grimoire)
 グラン・グリモワールの原本に扮した偽書。その名前から優婆尼沙土を連想させるが、関連性はない。これを用いて呼び出される悪魔は(悪魔学における)下級の精霊に留まり、またその対価に召喚者の生命を要求する。実際の大奥義書とは文脈や列記される悪魔名の順序、その綴り等に相違が見られ、支配三霊についての記述がない。

・畜生の心情P,4〜5
「憚りながらも申し上げますワン! 我々のような脆弱な畜生は、ニンゲン様より塩分の必要量も許容量も少ないですワン! ですから、そのご慈悲を賜る身で誠に恐縮ですが、塩分量の高いニンゲン様用の食品は与えないでほしいのですワン! 我々のような下賎の野獣如きには、精々ドッグフードがお似合いですワン!」


 なんかエツリよりアグイズの方がよっぽどデビルサマナーしてるな……。
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