赤クソ(ガイア)と白クソ(メシア)とクソ(他)   作:イリノイ州の陰キャ

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 そういえば『モードの迷宮』重版するそうですね。中高で受けた模試だったかあるいは何かの過去問か、現国の論説文で読んだ時に名前を知りました。クソガキクソバカ中坊の俺でも唸ったほどの〝読ませる〟文なんですよねアレ。カーライルの『衣服哲学』を彷彿した向きもいるのではないでしょうか。




左回りしか知らない少女

 

 アグイズと一旦別れ、Mの隠れ家で休息を取ったエツリは、またアグイズのいる事務所へと戻ってきた。

 

「おォ。早かッたな」

 

 もう三回目だ。そろそろ見慣れ始めた事務所の中は、昨日とはうって変わって無臭だった。流石に慣れたものだが、ネクタイを締めてここに立っていると、エツリはいよいよヤクザ者のフロント企業に勤めるチンピラみたいな気分になっていた。

 

御伽話(Gossip)はいねェのか。あの女とは普段から一緒ッて訳じゃねェのか?」

「どうかな」

「ま、いいけどよ。いねェなら報酬はお前の分しか払わねェぞ」

 

 Mがマッカに困っていたり、執着しているはずもないので、別に気にしないだろう。最悪エツリは自分の受け取った報酬を折半すればいいかと考えていた。実際、彼女には向こう10年を地下で享楽に沈みながら暮らしても、まだ余りあるくらいの蓄えがあるらしい。どうやってそこまでの額を稼いだかは定かではないが。

 

「つかよ、その、襟だよ襟。折れてンぞ」

「あ……」

「お前それ、スーツッて安物でも結構ォ高ェんだぞ。わざわざお前の変装のためだけに貸してやッてンだからよォ、しッかり着こなしてくれや」

 

(と、言われてもね……)

 

 エツリに生まれた時の記憶はないが、少なくとも10を超えた頃からの記憶はある。その時には既に討伐隊に混じって悪魔の死体の処理に駆り出されていた彼にとって、正装は馴染みのないものであった。

 学も追いついていない子供にそこまで期待しないでくれ、と、内心で情けないことを考えながら、エツリは折れ曲がった襟と、ついでに僅かにズレているような気がしていた面を整えた。

 

「あれから半日以上、あの結界の入り口を部下に監視させてッけどな、奴等は出てきてねェ」

「すり替えにまだ気付いてない?」

「あり得ねェな。あそこまでの瘴気を放ッてるブツがなくなれば、スライムでも気付くだろォぜ。知ッてッか、奴等自分の体からちょびッとずつ蒸発する水分をセンサー代わりにしてるらしィな」

 

(スライムのくだりは何だよ……)

 

 スライムの感知力云々はどうでもいいとして、確かに何もしなくてもあの禍々しさだ。どれが本物かの見分けが付いていなくとも、遅かれ早かれ、なくなったことには気付くだろう。その時が〝専属〟と(推定)彼等を操っているであろうミトバラ派の対抗措置が発動する時であると考えてもいい。つまり場合によっては、既にそれが始まっているかもしれないということだ。

 

「オレ等が偽モン掴ませてやッたことに気付くのがいつなのか、ッてのは問題じゃねェ。〝専属〟の奴等、あン中閉じこもッてッからなァ。ンなモンは最初から知る由もねェことだ」

 

 アグイズは机に上げた足を組み替え、手元に置いていたタバコに火をつけた。

 

「そもそも〝偽奥義書〟が盗まれた話からして寝耳に水だッたンだ。報復の準備も、予想される奇襲への防衛準備もできてねェ」

 

 アグイズはガリガリと頭を掻きむしり、その長い髪の毛を振り乱した。上司に命令をされつつ部下を束ねるという板挟みの位置にいるだけあって、その重責も人並みではないということらしい。

 よく見ると彼の目の下には昨日はなかった影があった。6時間は脅威を忘れて休養できたエツリと違って、起きれば激務が待ち受けているという事実が彼を満足に眠らせてくれなかったのだろうか。

 

「あの〝専属〟共が、あるいはそのお上が出てくッかは知らねェが、近ェうち、確実に戦争を吹ッかけてくる」

「だろうな」

「オレ等みてェな緩ゥ〜い感じの〝自由〟でやッてるアシズ派傘下と違ってな、ミトバラの私兵はゴリゴリの〝混沌主義〟者の集まりだ。どンなイカれた手を打ってくるか、想像も付かねェッてのが現状」

 

 アシズ派がミロク派やミトバラ組とは違い、ガチガチの原理思想ではないというのは有名な話だ。それをこの緩いリーダーが言っていると思うと、説得力も増す。

 

「オレも部下共も、そッちの対応で忙しくなる。些事に構ッてらンねェ」

 

 些事と言い切るが早いか、エツリが痺れを切らすかのように右足のつま先で地面を叩き始めた。アグイズの方もいい加減本題を離す気になったようで、呆れ腐った風にエツリのつま先を眺めながらタバコを吹かした。

 

「そ、こ、で、だ。こッからがお前の仕事の話よ」

 

 長い前置きを聞き終えたエツリは、ようやくかと言いたげに、体重をかける足を左に変え、ポケットから出した左手を腰に当てた。

 

「ある人物の捕縛を任せてェ」

 

 ようやくそれらしい話になり、エツリは神経質な右足の貧乏ゆすりをやめて、また両手をポケットにつっこんだ。

 

「誰?」

「キスミー。ビラヴドの妹で、一応はオレの部下。〝商人〟の護衛にいただろ」

「一応?」

「まいいだろそこは。とにかく連れ戻して、勝手に動くンじゃねェッて忠告しろ」

 

 キスミーとかいう金髪の少女、どうやらビラヴドにとっての義姉妹らしいが、アグイズは彼女の名前を出す時に、心の底から面倒くさそうな表情を浮かべていた。普段から手を焼かされているようだ。

 そしてそれを彼の表情から読み取ってしまったエツリも、捕縛しようとした彼女との一悶着を想像して、げんなりした。

 

「ま、何だ。ビラヴドの頼みなンだよ。妹を連れ戻してきてくれッてよ。オレとしてはアイツの頼みはなるべく聞いてやりてェトコなンだが、緊急事態だからな」

「そこで俺か」

「そゆコト。報告によれば、池袋エリアから出てッた人影はいねェ。このエリア内にいるはずだ」

 

 ヒントが少なすぎる気もするが、それ以外にも潰していける選択肢があるはずだ。例えばアグイズの使うこの事務所付近や、ここから10分歩いた程度の位置にあるアグイズの部下等の共同生活区(というか駐車場)には近付かないだろう。逃げ出したと言っていたのだから。

 それとは別にあの女性、ビラヴドとかいう人物に話を聞きに行くべきか。キスミーの人となりを知れば、居場所を突き止めるのに役に立つかもしれない。

 

「やり方は好きにしろ。あ、好きにしろッつっても、手荒い方法は使うなよ。騒ぎも起こすンじゃねェぞ。怪我とかさせンなよ」

 

 どういう訳か、アグイズはキスミーに傷が付くことを懸念している様子であった。それも彼が入れ込んでいるらしいビラヴドへの義理立てなのか、あるいは他に思惑があるかどうかは知らないが、エツリはこの時思い出したことがあった。

 

「そういえばあの時の……」

「あァ、アイツ?」

 

 キスミーのことを乱暴に振り払っていた男。思えばあの男も、彼女を連れ戻しにきたのだろうか。

 

「ケジメつけさせた。キスミーに手ェ挙げようとしたらしい。その上結局逃しやがッたしな」

 

 あの時確かに、キスミーを乱暴に連れて行こうとして、抵抗した彼女が勝手に頭を打っていたのは見ていた。あるいはその後の連行の方法が乱暴だったのかもしれないが、それだけで部下を(武士とかが言う意味での)手打ちにしてしまったというのか。

 アグイズはまるで世間話でもしているかのような声色でそう言って、灰皿のない机の上にタバコを押し付けて雑に消化すると、それを背後の窓へと投げ捨てた。エツリは彼の手前であるにもかかわらず、面越しに眉間を押さえていかにも怠そうな振るまいを見せつけた。

 

 

 

 頭の端でMの痕跡がないかを気に留めつつ、エツリはキスミーとかいう少女をさっさと探し出すことにした。

 

「ビラヴド……は、いるか?」

 

 エツリが最初にやってきたのは、アグイズの部下達の生活区である駐車場だった。行きそうな場所でも性格でも、身内に聞くのが手っ取り早い。

 ビラヴドは駐車場の奥の方にいた。前にアグイズに案内された場所と同じ車両だ。

 車の扉をノックすると、一糸纏わぬビラヴドが扉を開いた。丁度男の相手をしていたようで、彼女の髪は乱れ、車内には汗とは別の酸っぱい匂いが立ち込めていた。その背後にはニヤニヤと下卑た表情をした男が寝転がっており、後ろから片手を伸ばして彼女の乳房を揉みしだいていた。

 

「えぇ。少しの間だけ待っていて。片付けるから」

 

 彼女と入れ替わるように出てきた男が、エツリの肩を軽く叩いた。男はエツリが自分と同じように、彼女に情をかけてもらうために来たのだと勘違いしているようだった。

 エツリは男が去ったの確認してから、叩かれた肩を手で払うと、反転して車の扉に寄りかかり、ぼんやりと駐車場の区画を眺めた。

 

(結構、人いるな……)

 

 背中にわずかな振動を感じて、エツリは車体から体を話す。ビラヴドが扉を開いた時、彼は微動だにしなかったが、その姿を見て少しだけ動揺した。彼女は体に付着した汚れや車内を掃除しただけで、今の準備の間に衣服を着ていなかった。

 

「待たせてごめんなさい。さ、入って」

「ここでいい」

 

 性欲を発散する目的ではないし、そう長い間話すつもりもなかったので、エツリは申し出を断った。

 というか、彼はビラヴドと密室空間に入ることに躊躇いを感じていた。何も服を着ていない女性を見るのが気まずいとかではなく、彼女自身に対して必要以上に踏み入ってはならない気がしていた。

 

「そんなこと言わないで、ほら」

「キスミーの居場所を知らないか?」

 

 腕を引こうとする彼女の手をするりとかわして、エツリは冷たい態度でいきなり本題を提示した。

 

「妹の連れ戻しを任されたのね」

「あぁ」

 

 エツリに過剰に構うのを諦めたのか、彼女は中に乗り込むためのステップに座った状態で、話を聞く体勢になった。

 

「何か知らないか?」

「ごめんなさい。居場所までは知らないわ。あの子、時々は私に会いに帰ってきてくれるんだけどね、行き先は教えてくれないの」

「…………」

 

 口振りから仲が悪いということはなさそうだが、動向は把握していないようだ。

 

「行きそうな場所は?」

「それも……ごめんなさい。池袋の外には行かないと思うのだけれど……」

 

(アテが外れたか……)

 

 既にアグイズから聞いたような情報しか出てこなかった。あるいは定期的に彼女に会いに来るというのなら、姿を潜めてここで待っていれば、会いにきたところを押さえられるかもしれないが、キスミーの安否も解らない現状では、そこまで成り行き任せの方法に頼りたくはない。

 

「……悪かった。仕事の邪魔をして」

「あっ、待って!」

 

 用済みとばかりに踵を返したエツリの腕を、ビラヴドがすかさず掴んで引き止めた。

 

「これを持って行って」

 

 渡されたのは、何の裏紙でもない綺麗な便箋を使った手紙だった。しっかりと封がされており、茶封筒はピン札のように真っ直ぐで、端も折れていなかった。

 

「もし言うことを聞かなかったら、私からこれを預かった、と」

 

 もし、なんて言いながら、ビラヴドは自分の妹が他の誰の言うことも聞かないであろうということを、半ば確信しているような表情だった。

 

「……ありがとう」

 

 今度こそビラヴドは止めなかった。エツリは簡単に礼を言うと、彼女の顔も見ずにその場を後にした。ビラヴドは次の客が来るまで、去っていくエツリの後ろ姿を見送り続けていた。

 

 

 

 アグイズは招かれざる客を前にして、五割り増しのシニカルな笑顔でタバコを吹かしていた。

 

「報告を聞いて笑ッちまッたぜ。裏切り者のミトバラの太鼓持ちだッたてめェが、今やオレと同じ〝ペンタプラ〟とはなァ」

 

 そこにはアグイズと同じヨーロッパ風の彫りの深い表情の、人工物のような均整の顔をした男が立っていた。ワイシャツまで赤い悪趣味なガイア教徒のスーツと、くすんだ長い金髪。混沌の雲から降り落ちてきたかのような不安定な生体磁気の発散が、アグイズの体を刺すようにして殺気を放っていた。

 

「久しぶりだね。アシズの弟さん」

「…………」

「そう睨まないでくれよ。アグイズ」

「ソメガミ、誰が対等な口を聞いていいッつッたよ」

 

 訪問者は、〝破敵剣にも勝る迫力を伴った刀を下げた〟ソメガミであった。その得物もさることながら、彼自身の放つ勢威もまた、以前のそれとは全く別のものに変じていた。

 アグイズは、彼がその力を得るために、人道にもとるおこないに手を染めたであろうという推測に確信を感じていた。如何なる邪道においてここまでの力を得るに至ったかなど想像も及ばないが、少なくない数の悪行、それも悪魔絡みのことをしでかしたであろうことは間違いない。

 

「人は変わるものさ。地位も、強さも、既に僕は、あなたに上から指を差される立場ではないんだ」

「おととい指名されたばッかの新参者だろォが」

 

 傲慢な元後輩に見下ろされながら、アグイズは不機嫌を隠そうともしなかった。彼はまだ火のついているタバコをソメガミに投げつけると、ガン、と音が出るほどの勢いで踵を机に叩きつけた。

 ソメガミにとって火は呼吸にも等しかった。彼はタバコが体に触れる前に手掌を振り、それだけでタバコの火を空中で鎮火させた。そしてアグイズの目を見つめながら、音もなく事務所の床に転がる吸い殻を踏み躙って笑った。

 

「アシズの〝弟であるというだけで〟この任を拝命する幸運に授かれたあなたと、完全に実力で選ばれた僕。どちらがより優れているか、確認するまでもないと思うけどね」

「全くだ。オレがてめェより〝上〟なのは明白だからなァ」

 

 両者とも、この場で事を荒立てるつもりはなかったようで、すぐにでも武器を引き抜き合うような剣呑な雰囲気は、一旦はなりを潜めた。ため息を吐くアグイズとは対照的に、ソメガミは終始上機嫌で、その表情に染み込んだ笑顔を崩すことはなかった。

 

「僕は行くよ。ようやく面白くなってきたところだ」

「お得意の〝混沌主義〟ッてヤツかよ」

「それ以外に何があると言うんだ? あなたも大概、自分の立場を忘れるようだね。ガイア教アシズ派幹部のアグイズさん?」

 

 およそ挨拶らしくない挨拶で、ソメガミは慇懃にらお辞儀をして、まるで華族のような振るまいで体を返した。ようやく面倒なのがいなくなってくれるか、と、アグイズは露骨に疲れの見える表情で息を吐いた。

 

「そうそう、先輩相手に手土産の一つもなしは失礼だし、面白いことを教えてあげるよ」

 

 そして歩き出そうという瞬間に、ソメガミは何かを思い出した素振りで立ち止まり、唇に人差し指を当てて考えるふりをした。

 

「面白いコト、だァ?」

「あの結界の場所、どうやったかは知らないが、よく突き止められたものだ。入り口周辺に見張りの部下を配置する徹底ぶりもあなたらしいね」

「センスのねェ前書きをこれ以上垂れてンなよ。何が言いてェンだ」

 

 迂遠な言い回しに痺れを切らしたアグイズが、机に乗せた踵を上げて勢いよく降ろした。鈍い衝撃音の威嚇に怖がるふりをして戯けるアグイズは、これから語る言葉がおかしくてしかたがないとでも言いたげに、抑え切れない笑い声を歯の隙間から漏らし始めた。

 

「その部下達だが、くっくく……全くかわいそうに。あれじゃ悪魔のエサにもならない」

「…………お前」

「教義に誓って弁解するが、下手人は僕じゃない。わざわざお教え差し上げた理由をよく考えてみたまえよ」

 

 今度こそソメガミは事務所を出て行った。部屋に残されたのは、椅子を蹴り飛ばして立ち上がったアグイズだけだった。

 

 

 

『おうおう兄ちゃん!! ここがアリカント様の縄張りだと知って……お?』

 

 キスミー捜索の最中のこと、路地裏を抜けようとしたところを、上から降ってきた影がエツリの前に立ち塞がった。

 灰色の羽根にきらめく疎らな輝き、色とりどりの宝石をのぞかせる尾羽。それからハスキーで調子のよい声。生体マグネタイトを伴った悪魔の声。落ちてきた悪魔はアリカントだった。

 

『兄ちゃんもしかして、あのおっかない姉ちゃんと一緒にいたガスマスクか!?』

 

 おっかない姉ちゃんというのは十中八九Mのことだろう。そうなるとこのアリカントは、以前交渉して道を譲ってもらったあの個体ということになるか。

 

「よく解ったな。面が違うのに」

『キキッ! ナメてもらっちゃあ困るぜッ! 目利きに関しちゃ、このアリカント様の右に出る奴ぁいねぇって寸法よぉ!』

 

 無類の光り物好きであるアリカントは、審美眼には自信がある様子であった。身分と名前を詐称中のエツリは、これがニンゲンじゃなくてよかったな、なんて思わずにはいられなかった。

 

『で、どうしたんでい? この先に用があんなら、アンタは顔馴染みってことで通してやるぜい』

「人を探してるんだ」

 

 エツリはダメ元でアリカントにも聞いてみることにした。悪魔ならば、ニンゲンの情報網から漏れた手がかりを知っているかもしれない。特にこの悪魔達は一定の縄張りを持っているようだから、少しは期待できる。

 

『人探しぃ? アレか? あのおっかない姉ちゃんか?』

「そっちも探してる。あと、キスミーとかいう金髪の女の子」

 

 今のところ、どちらの足跡にも辿り着けていない。とりわけMに関しては噂のレベルでも全くのゼロだ。この面を付けたまま池袋駅構内に入るのはなるべく避けたいところだし、アグイズ達ガイア教団の連中にMの不在を悟られるのも得策ではない。そういう意味でも、アリカントに対しての方が話を聞きやすかった。

 

『あっちのおっかない姉ちゃんは見てねぇが、金髪の女は仲間が見たって話してたぜ』

「本当か?」

『キキー! あたぼうよ! こちとら嘘は言わねぇ性質(タチ)だ』

 

(聞いてみるもんだな……)

 

 自慢げに飛び跳ねる姿は何だか愛嬌がある。エツリの腰あたりにも届かない小さな体躯がそう思わせるのかもしれないが、振るまいに邪気がない。

 エツリは面の位置を整えながら(最近この動作が癖になりつつある)、アリカントに目線を合わせるようにしてその場にしゃがみこんだ。

 

「教えてくれ。どこにいる?」

 

 

 

 アリカントの情報によれば、キスミーらしき金髪の少女は、駅の近くにある目を引く形をした建物に向かったそうだ。

 

『ねぇ君、臭いよ。タバコ吸った?』

「知り合いがね。ごめん」

『止まって。そこに立って……えい』

「うわ……お?」

『タバコの粒子だけ飛ばしちゃった。君も嫌いでしょ?』

「おぉ、すごいね。ありがと」

 

 シルフと緊張感に欠ける談笑をしながら、エツリは駅の周辺まで来ていた。

 ここまでくると人外ハンター達の目に留まる可能性もあるが、駅の中まで入らなければ、大抵は見向きもされない。というのも、当然だが同業者が多数この辺りを拠点としているので、多少の人の出入りが怪しまれることはそうそうない。

 

『あの建物よね、多分』

「多分ね」

 

(目の引く形と言えば……)

 

 Mに連れられて池袋エリアの地形把握(という名の放恣なお散歩)をした時に、彼女に紹介された建物を覚えていた。

 東京藝術劇場。中に四つばかりのホールと、ちょっと威圧感すら感じる巨大なパイプオルガンがある劇場だ。

 

『パイプオルガンかぁ……』

 

 シルフは、道中で拾った色褪せたパンフレットを、エツリがパラパラとめくるのを横目に眺めながら、裏表紙の大ホールの写真に熱視線を送っていた。独特の形状と白いパイプの枠がどこかSFチックだが、エツリとしてはこれから探索しなければならない劇場の大きさにばかり気が向いていた。

 

「気になる?」

『少しだけ。ねぇ、見に行ってみない?』

「そうだな……見学するくらいはいいかもね」

 

 キスミーの明確な現在位置が解らない以上、どうせ内部をかなり歩かされる。討伐隊の任務でもなし、少しくらいの物見遊山も許されるはずだ。

 

『それにしても、キスミー……で合ってる? その女の子は、あんな場所に何の用なの?』

「分からない」

 

 入り口の前が瓦礫で塞がれており、進入するのにも苦労しそうだが、アリカントの話によれば、中に入るところまでを目撃しているらしい。

 どんな理由があって劇場に向かったのかは知らないが、エツリの仕事は連れ戻すまでだ。周辺の事情に余計な気を巡らすのは彼の仕事ではない。

 

「うわ……でか」

 

 菱形と二つの三角形をくっつけたような形の建物の入り口前は、崩落した瓦礫によって塞がれていたが、その上に伸びる建物の全容を全く遮れていなかった。

 ガラス張りの劇場入り口の天井はところどころが破れており、その間から暗闇が口を覗かせていた。

 

『ここ、よね?』

「結構労力が、要りそうだな……」

 

(とにかく、入るか……)

 

 瓦礫を軽く登ってみると、すぐに鋭角の出入り口に差しかかる。ガラス扉は枠を残してバラバラに砕けており、誰でも入り放題の様相であった。

 

 

 

 入り口の惨状からして中は予想通りと言うべきか、悪魔の巣窟だった。見慣れた悪魔も知らない悪魔も、暗闇の中で夜目を利かせてそこらをうろついている。

 

(この中を探せって……?)

 

 劇場の全容としては、下は地下二階から上は(客席のみとはいえ)九階まである。ここを一人で探すのは骨だ。道中で悪魔の目線を掻い潜り、いざとなれば交戦し、さらに暗闇で目を凝らして人を探すなど、エツリでなければ早々に投げ出していただろう。半ば〝目がいい〟ことが不可能でなくしている。自身の少ない強みを恨んだのは初めてだった。

 

『確かに誰か、ここに入ってきてる』

 

 誰かに踏まれたらしいガラスの破片を見ながら、シルフが純粋ニンゲン由来の生体マグネタイト視認した。エツリには見えない。というのも、あまりに悪魔がうようよしているので、その気配に感覚が引っ張られていしまっていた。

 

「こうも悪魔が多いと、魔力を辿るのが難しいな……」

『私も完全には捉えられてない。慎重に行きましょう。それから、パイプオルガンもね!』

 

 シルフは珍しいものが見れることに期待しているのか、上機嫌だった。

 

『あ、そういえば』

 

 彼女は突然思い立って空中で体を捻りながら縦に一回転すると、エツリの身なりを下から上まで検分するように眺めいった。

 

『よかった。前に言ったでしょ? 真っ赤なスーツとかやめてねって。覚えたんだ』

「覚えてなくても着ないよ。あんな悪趣味なの」

 

 赤一辺倒の壊滅的な服飾について、彼女が少なからずネガティブな言及をしていたことを思い出し、エツリは重ねて着用を否定した。一部のヨーロッパ的美的感覚で言うところの美男美女にしか似合わない類の服だ。

 彼は自分にアレを着こなせるほどのファッションセンスがないことを自覚していたし、たとえそうでなかったとしてもあえて自分から選ぶことはない。アグイズから提供された黒スーツがなければ、Mの隠れ家まで戻って彼女の軍服の外套でも借りて何とかしなければならないところであった。

 

『似合ってるわ。格好いいよ』

「……………………やめてくれ」

 

 

 

 駅に近い場所にあって、しかも内観も相当の広さなので、悪魔を排除すればニンゲン生活区にできるかもしれない、というのは素人の考えだ。

 

「地下は完全に埋もれてるのか……」

『気を付けてね。そこ、危なそうよ』

 

 ここまでの大型建築ともなると、上はいつ崩落してもおかしくない。拠点として利用するには安全性的な意味合いで大きな懸念がある。その上、中の悪魔を全て排除するなど、それこそ建物を爆破でもしない限り不可能だ。それでは本末転倒だし、あまりに大量の悪魔を一度に殺害し、要らない恨みを抱えれば、池袋駅の地上が一夜にして戦場に変わるかもしれない。

 

「上から見ていこうか。分かりやすいし」

 

 悪魔に気取られないように声量を絞って、エツリはシルフに耳打ちで話しかけた。彼等の通ってきた通路を悪魔の足音がなぞって消えていく。それを聞き漏らさなかったシルフは、返事を急ぐより、ひとまずはその場をやり過ごした。

 

『ね、それより先に見に行かない? パイプオルガン』

「え? 上から見ていく方が良くないか?」

 

 ここまで二人は生体マグネタイトを見分ける目を存分に発揮して会敵を避けてきたが、奥まった場所に入るにつれて、悪魔の数も増えていく。エツリとしては入り組んでいて悪魔の数も少なそうな上の階から慎重に索敵を始めたかった。

 

『だってその階まで行けば、九階までの客席は全部見えるでしょ。同じ空間なら、物陰に隠れていても見分けられるから』

「あー……そうかも」

 

 エツリよりさらに感覚の優れたシルフがいれば、どの階からでも一瞥すれば気配を完全に把握できるだろう。

 

『それに折角のパイプオルガンだもの。近くで見たいわ』

 

 そっちが本音か、と、エツリは面の裏で苦笑した。いや、気持ちは彼にも理解できていた。というのも、彼も未見の巨大楽器に少なからず興味があったから。

 

 じゃあ行ってみようか、ということで長い階段を上る。階層を一つ上る毎に、屯する悪魔の種類が変わっていた。下の方には地霊や悪霊がグループを作っていたが、上にはもう少し大型の、邪竜や魔獣がそぞろに歩いていた。

 

『騒ぎになるとまずいかも。この数は……とにかく下の階に音が響かないようにして』

「解ってる」

 

 少し息を切らしながら、八階の大きなホールの扉にさしかかる。中に悪魔がいるかもしれない危険を考慮して、エツリは慎重に扉を開いた。

 舞台を見下ろすように並べられた千では利かない数の客席と、扇の羽が客席側に広がる形の舞台、その上の一段高い場所にあるパイプオルガン、壊れたライトが一つだけオンオフにかかわらず点灯しており、パイプオルガンを奏者の座る足下から照らしていた。

 

「おぉ〜……」

『本物は写真より大きいね』

 

 巨大な客席の奥に奇妙な形状の白枠が立ち、その中にくすんだ銀色のパイプが収まっていた。手鍵盤と足鍵盤がスクリーンのように中心を埋め、何かしらのボタンが鍵盤を囲むように円弧な配置でずらっと縦に並んでいた。

 

「弾けたりするの……ん? 誰だ……?」

 

 劇場の舞台上に二つの人影が見えた。一方は女性……少女で、もう一方は背の高い男。

 天井に空いた穴から伸びる直線状の光の形に、舞台上の人影二つがくっきりと輪郭を立て、その終端から一際黒い影を伸ばしていた。

 光の側に添う影は、周囲にぼんやりとグラデーションを作る暗闇よりも、ずっとはっきりと黒を呈する。舞台に立つ二人とその影を含めて、まるで四人の役者が劇を演じているかのようだった。

 

「人……? あれ、キスミー、か……?」

 

 何か言い争っているようで、静かに扉の隙間から侵入したエツリに、彼等は全く気が付いていない様子であった。ただその内容までは聞こえてこない。

 

『気を付けて……アレ、悪魔だよ』

「悪魔……!?」

 

 エツリの目を以てしても、同じニンゲンにしか見えない。余程高度な偽装を施しているようだ。シルフがいなければ、普通のニンゲンに対応するのと同じように接近していたかもしれない。

 

「ごめん。まだ帰らないで」

『解ってる。透明になるけど、近くにいるから』

 

 彼は客席の裏を経由して、全く光の付け入る隙のない場所を歩き継いで少しずつ接近することにした。前方に注意を払わなければならない彼の背後を、シルフが代わって警戒する。そうして視界が開けた通路の部分を避けつつ、じりじりと距離を詰めていく。

 

「約束は守ったでしょッ!? 護衛に志願して、ミトバラの部下を手引きしたら、もうお姉ちゃんに酷いことしないって……」

 

(ミトバラを、手引き……!?)

 

 接近したことで段々と、その会話の内容が聞き取れるようになってきた。少女は目を剥いて激昂している。今にも空気が暴発しそうな風船のように、怒り狂うギリギリの声がホール内に響いていた。

 

「失敗したんだよ、君達は。我々が手に入れるはずだった〝偽奥義書〟は、アシズの草履持ち共にまんまと奪われ、御伽話(Gossip)を超えるなどと豪語していたあの二人は、早々にアルゴスを召喚した挙句戦果もなし。どう責任を取る?」

 

(つーか、すり替えはやっぱもうバレてたか……)

 

 どうやらあの男……というか悪魔は、ミトバラの手下かあるいは第三勢力か、〝専属〟の二人を操って〝偽奥義書〟を奪取しようと企ていた中の一人(一体?)であるようだ。

 

「そんなの、私は関係ないッ……! ズルいよそんなのッ!!」

「それが悪魔との取引だ」

 

 じわじわと距離を詰めつつ、エツリは段々匍匐前進の様相で体勢を下げていく。体を上げれば舞台上から丸見えだ。両側にある傍の入り口から入ればよかったと後悔していた。

 何とか目を盗みつつ接近していく。エツリはいよいよ舞台から一番近い席列の中央部にまで到達すると、腹這いで姿を隠しながら悪魔と少女の会話に耳をそばだてた。

 

「だって私はちゃんと――――」

 

 

『言い訳はもう結構』

 

 

(何だ……? 確かに声が、悪魔に……)

 

 悪魔の声色が変わり、エツリにもそれが悪魔であると判別できるようになった。

 そしてその瞬間、パイプオルガンから体の根幹を揺らすような低い和音が響く。エツリは思わず顔だけを上げてオルガンを確認したが、そこに奏者はいない。

 

「……!? ッ……!! 〜ッ……!!」

 

 そこでエツリは、男が手をかざしているキスミーの頭の辺りに、巡る不自然な生体マグネタイトを発見した。

 

『対価は必ず徴収する。それが〝偽奥義書〟でも、魂でも、どちらでも構わない』

 

 大脳皮質以下言語野とか呼ばれるであろうどっかしらの脳の部位に干渉して、声を出せなくする類の呪いがかけられている。悲鳴をあげられないから助けも呼べないという寸法らしい。

 

(これは、まずいか……!)

 

 エツリの仕事は、少女を連れて帰ることだ。連れて帰るというのはつまり死体ではまずい。というか、どういう訳があったとしても、目の前で悪魔に人が襲われているのを見て見ぬふりをする彼ではなかった。

 

「……〜〜ッ!! 〜〜〜〜ッ!!」

 

 エツリはまだ男に気付かれていないことをいいことに、持ち前の身軽さを活かして音を立てずに男の背後を取る。少女と目が合った。彼女の顔は血液が溜まって真っ赤に染まっている。呼吸まで止められつつあるようだ。

 少女は涙の溜まった目でエツリにSOSを発信していた。そのためにここに来た。エツリは少女を安心させるために頷くとか、そんな1秒未満の動きすら時間が惜しいと考え、舞台上に一足で飛び上がりながら魔法を唱えた。

 

「〝ザン〟ッ……!」

『何ッ…………!?』

 

 無防備な背中にザンが直撃し、少女に向けて翳していた手が降りる。その瞬間男の姿は人のそれから、人の形に近い何らかの悪魔の姿に変貌しつつあった。

 

「立てッ!!」

 

 エツリはその変貌を待ってやるつもりもなく、悪魔の横を通りすぎると、へたり込んで咳き込む少女の手を強引に掴んで立たせ、その進行方向のまま傍の出口へと走って行った。背後で膨れ上がる異常な魔力にも気付かずに。

 

 





・ペンタプラ
 ガイア教最大派閥であるアシズ派に属する五人の幹部。全員がアシズより直接指名を受けたガイア教徒であり、アシズと(かなり一方的な)契約を結んでいる。
 選出理由は単純な武力ではなく、様々な観点からアシズの独断により指名される。任されている管轄内の支配の方法は委ねられており、またこの指名自体も強制ではない。


 池袋駅のとこにある劇場、名前出していいか分からなかったので、「芸」の字を「藝」に変えてます。
 それから、タグ調整しました。いつだったか本文中で「ミロク派」について言及したと思いますが、そういやミロク派ってⅣじゃなくてⅣ FINAL要素だったなということを思い出しました。デビサバはほぼ要素なかったね。ホントにごめん。
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