赤クソ(ガイア)と白クソ(メシア)とクソ(他) 作:イリノイ州の陰キャ
前回のあらすじ
エツリ「ガイア教の制服ザコすぎー♡ そんなの着てて恥ずかしくないのー? 隣歩くとか絶対無理ー♡」
上司「ガイア教と協力してメシアぶっ潰して来い」
エツリ「え……」
メスガキ(オスガキ)かぁ……。興奮してきた。こうして見るとエツリって名前もなんか女の子っぽいし。
(ガイア教と合同、とかいう時点で、もうロクでもないよなぁ……)
自由とか混沌がどうとうとか謳っているが、幹部より下の連中は単に力を制御する理性のないだけの能無しばっかりだ。それというのも、エツリが討伐隊に拾われる前、過去に同じような試みが二、三度あったようだが、最終的にはどちらかが反発(ロクでもないのは討伐隊もそうだった)し、作戦の終わりか途中かで内部分裂が起きている。なのでエツリはガイアの連中と同じ持ち場だけは嫌だと、いるなら恐らく悪魔呼ばわりされているであろう何かしらの神に願い、今日日神に祈るなどという奇特な行いをする彼の信心深さをその神様は甚く気に入ってくれたのか、晴れてガイア教の奴等との混成部隊となった。しかもやたらと息巻いてる連中で、何かとメシア教を引き合いに出しては「必ず誅滅する!」とか何とか叫んでいる。
「救済を騙る悪神の手先共!! 必ず討ち果たしてくれよう!!」
ほらなんか言ってる。
しかしまさか作戦が発令されて僅か二日で決行されるとは、エツリは作戦を成功させることより、どのようにして生き残るかということばかりに気を揉んでいた。そもそも己の実力で戦力になると思えるほど自惚れていないので、ことによっては逃亡も辞さないつもりだった。
豊洲周辺は救世使徒連率いる天使の軍勢によって完全に占拠されており、悪魔は勿論のこと、人間もメシア教の信徒を除いて全て追放されている。付近の街道には天使の巡回が複数名おり、奴等は豊洲に施された謎の巨大魔法陣によって、テレパシーで仲間と交信するので、一匹にでも勘付かれると豊洲内の全天使にバレる。そこで、もうバレちゃってもいいから物量で押し勝って返してもらおう! という作戦である。銀座に物資を集めているのも、そこを拠点にするガイアの連中に各種必要な品を提供し、代わりに人的資源を貸して貰って戦争をしかけようという腹づもりのためだ。
もう頭のいい奴は全員死んだ。東京に生き残っているのはお利口さんから恩を受けてそのまま踏み倒すようなゴミ野郎ばっかりだ。当然そんなゴミ野郎は自分以外の人間をゴミ野郎だと思っているので、こんな人命を人命と思わない作戦を立て、実行に移せる訳である。そんなゴミ溜めの中でも更にゴミみたいに弱いエツリは、討伐隊とガイア教の混成隊の末尾に身を置き、勝鬨橋を渡っていた。彼等の役目は渡橋してから程なくして見える場所にある施設への攻撃。メシア教の連中が建てた駐屯基地に正面からご挨拶に行く役だ。正面突破をしろなどという無理難題を押し付けられたりはしない。騒ぎ立てて囮になれ、と捨て駒にされているのだ。最初から解っていたことだが、討伐隊本部は隊員を使い潰しの消費物のようにしか見ていない。あるいは戦略ゲームの雑魚ユニット。
討伐隊員達は著しくやる気を低迷させているが、ガイア教の連中はそれに加えてガラが悪い。混沌を信奉し自由を重んじる彼等にとって、自分の利や快楽が全てに優先される第一義的な行動理由であり、それ以外を斟酌しない。赤い装束は情熱と闘争、血濡れの赤だ。特に下部の連中は輪をかけて酷い。強い信念の下に行動し、ある程度分別の付く上位のガイア教徒に比べ、連中は暴力を匂わせて市民から使えるものを巻き上げるか、自由のスローガンを笠に自堕落な生活を送っている。
「エツリ! 行ったぞ!」
頷きを返したエツリは、突っ込んできた天使に合わせて、身を屈めながら天使の下半身に体当たりを繰り出し、顔から地面に転がすと、エツリに声をかけた男がそれに槍で止めをさした。同じような要領で殺害した天使が二体。天使は首に槍を突き刺されようが、心臓を突き刺されようが、血を流さない。腐ることのない死体が散乱と転がっていた。その中に一人倒れていた討伐隊員の遺体は、雑に蹴り転がされ、道端に追いやられていた。仮にも仲間の遺体を蹴る連中の軽薄な笑いを見たエツリは、面の下で顔を顰めながら、エンジェルの残骸を横に寄せた。足で転がすのではなく、しっかりと手で持ち上げて。
「悪くない出だしだ。大事ないか」
「あぁ……うん。ヒバチ」
彼はガイア教の信徒であることを示す真っ赤な装束に身を包み、身の丈に迫る長い槍を携えていた。つい先程知り合った彼の人となりについて、エツリは単純な情報だけで評価を下すことを躊躇い、彼に関しては暫定「会話が成り立つタイプのガイア教徒」とした。
彼も他の連中に漏れず天使の亡骸を蹴飛ばすと、その上にどっかりと座り、息を整え始めた。豊洲内の本施設までにある関門の一つ目、それを制圧して直ぐだった。奇襲によって先手を取り、混乱しているうちに各個撃破という、極めて単調な作戦。既に敵の本施設や別の関門には襲撃の通達が届いているであろう。奴等の連絡網は東京の中では一、二位を争う迅速さを誇る。基地局が無事であった頃なら、無論携帯を使えば即時の連絡が可能であったが、残念ながら東京は外界から遮断された上、基地局は軒並み悪魔に破壊されてしまった。そのため、遠隔で尚且つ急ぎの通信となれば、専ら魔法陣を利用した魔術的な方法に限られる。
「しかし、これが天使か……」
「見るのは――――」
「初めてだ。銀座の周辺に天使は近付かんからな。姿は人間によく似ているが……」
陶器のように割れた天使の顔を見下ろしながら、ヒバチは心底不愉快そうに顔をしかめた。天使は恐怖しない。顔の覚えには無表情か微笑みしかない連中だ。彼が気分を害するのも無理はない。それも、このように斃された後の遺骸となると、一層不気味な雰囲気を醸すようになる。彼はこれ以上目にも入れたくないといった様子で目を逸らすと、打たれたように顔を上げ、周囲を見回した。建物に隠れて途切れ途切れに見えるコンビナートの丸い頭、その手前でぽつぽつと闇を散らかす赤い点滅。一騒動起きたというのに、辺りは怖気を覚えるまでに静まり返っていた。
「天使とはいえ雑兵か……然程の損耗ではないな」
「一人死んだだろ」
エツリは雑談を交わす混成隊の後ろで、端に転がされた死体を盗み見た。見たことのない顔だ。九段下の隊員だろうか。へこみのなかったヘルメットは剥ぎ取られ、懐も荒らされていた。勿論生きている者等が生き残ることが優先されるが、いつまで経っても嫌悪感が拭えなかった。それまで普通に動いていた者が、殺された瞬間、ゴミ同然に……。
「一人で済んだのだ。それに、私は生きている」
「お前は――――!」
「解っている。しかし今は死者を省みるな。お前も死に引きずられるぞ。そうなれば、死者を弔うことも叶わん」
「……」
視線を交わしたのは一瞬だった。思わず見開いた目を逸らすのを、ヒバチは不思議そうに見つめていた。それもほんの僅かの間で、エツリからの返事がないと見ると、直ぐに興味を失い、天使の硬い体を貫いた槍の刃こぼれに構いだした。
赤い服を着ただけのゴロツキとは違う。生きることを優先しながらも、死者を貶めるような言動は取らなかった。内心で彼がどう思っていようがそれは別に何でも良かったが、とにかく言動を自制しようという意思が垣間見えた時、面の下でエツリのまなじりが窄まるように垂れた。
「援軍だ!」
図ったかのように同じタイミングで、混成隊の全員が顔を上げた。破壊した関門の奥から天使の隊が押して来ていた。元々こういう役割なので、特に驚きはない。だが、心なしか隊員の表情はげんなりと沈んでいた。また天使が殺せる、とか息巻いてるガイアの連中を除いて。エツリはヒバチの肩を勝手に借りて立ち上がり、折れた刀の柄に手をかけた。鞘に収めているので、折れた刀身のことを知らない相手にはこけおどしくらいにはなる。それに、無手よりは幾らかマシだった。急所にでも突き立てれば、工作ばさみよりは楽に刺さるし、何より精神的な安定のために武器が必要だった。
天使隊は勢いを殺し、大きく間合いを離した所で停止した。奴等はほぼ完璧に統制された陣形を組んで戦い、遠距離から魔法で攻撃する天使と、突撃して近距離で槍を振るう天使に分かれる。比べて全く連携が取れていない混成隊が天使等相手に勝利を収めたのは、召喚アプリのお陰で、悪魔を使役していない者でも身体能力を増強できる上に、相手が最下級のエンジェル達だったからだが……今度の増援にはエンジェルのものではない帷子の鎧がチラホラと混じっていた。その上数がずっと多い。先の先頭では敵の戦力はこちらとほぼ同数であったとに対し、ざっくり目算すると援軍はその倍だ。
「忙しない……いや、当然だな」
「……」
「先陣を切るあの天使は……先の天使共とは容貌が異なるな。アークエンジェルという奴か」
「よく知ってるね。花丸」
「……貰っておこう。返さないぞ」
空中でぐるぐる花丸を描いて笑うエツリの軽薄な態度に対して、ヒバチはため息混じりの返答によってこれを流した。彼等の身体には口先よりも緊張を醸す汗が滲んでおり、他の隊員達もまた同様だった。血気の熱を以て息巻くガイア教の下っ端達も、ここにおいてはあえて怒声をあげて士気を高めようとはせず、ものの十数秒後に始まる戦闘のために、集中を凝らしていた。
「さて、ここからが正念場か……準備はいいな?」
エツリは声を出すのも惜しむような緊張の中で、かろうじて頷きだけは返し、だらだらとした動作で、彼と共に混成隊の最後尾の位置に陣取った。天使達はもはや警告も不要とばかりに生体磁気を集め、魔法攻撃の準備をしている。同様に、混成隊の前方を務める数人の隊員が、エツリの知らない魔法の準備をしていた。
混成隊は一塊に集まると、誰が先んじてか疎らに歩き出し、そのまま全員で天使の軍勢に向かって走り出した。天使達はほんの一瞬だけ動揺を見せるが、すぐに持ち直して魔法攻撃が展開される。天使が攻撃に使うのは大体、ハマとかいう、ピカピカうざったい魔法だ。エツリには効果が薄いので、彼にその脅威は今一つ解っていないが、一部のガイア教徒がこれを非常に危険視している。これを凌ぐためだけの魔法を覚える程度には。
混成隊の前方を成す九段下の隊員が、走りながら生体磁気を集積して防護壁を作る。防壁に当たった光の玉が柱となって一瞬にして立ち上り、酷く甲高い音をあげるが、混成隊員は怯まず突貫する。頭上の閃光が彼等の恐怖を刺激していなかった訳ではない、むしろこれを速やかに突破するために、彼等はとにかく急いで敵に接近する。これによって完全に防ぐことは適わなかったが、僅かに負傷を生む程度に損耗を押さえ、混成隊は天使の陣形に全員で肉薄した。
『魔法攻撃やめ!』
『小癪な……刺し殺せ!』
「今だ!」
号令役の声に合わせて、全員が真横に開け、そのまま陣形に攻撃を加えながらばらばらに離脱していく。その際に何匹かの天使を誘き寄せ、奴等の陣形を崩した。そのまま隊員は集合せず、各々街道や海沿いの大通り、入り組んだ裏路地に潜り込んでいく。
『な、何を……!』
『逃すな! 追いかけろ!』
普通に戦って勝てない相手ならば、普通でない方法で戦うべきだ。ネズミのように暗い東京の隅を、地下街を潜み歩いてきた討伐隊にとって、暗闇と迷路染みた裏路地は得意な環境だった。特に、光に慣れている天使等はこれに弱い。以前ここに依頼で潜り込んだ人外ハンターを炙り出すために、とある高名な天使が豊洲全域を隅々まで魔法で照らすとかいうとんでもない方法を用いたらしいが、そうでもしなければ見つけられなかったということでもある。当時それを偶然上野から見ていたエツリは、あの時の光は凄かったな、とか、のんきに考えながら、ヒバチに続いてシャッター街の路地裏に滑り入った。
「気を抜くなよ。追っ手が来ているぞ……!」
背後から鉄が擦り合わさるような音がする。よりにもよって追っ手にアークエンジェルが混じっているのは厳しい所だ。こうして少数の天使を釣り出して少しずつ撃破するのが作戦とはいえ、正面切って肉弾戦をしようものなら軽く捻られる。というかエツリも含めた常人が普通に戦って勝てる悪魔なんてのは、豚やらタヌキの食用悪魔くらい。特に白兵戦に慣れているアークエンジェルを一人で捌きたくはない。
彼等は体躯の大きなヒバチを先導にしてルートを選ばせ、エツリをしんがりにして裏路地を左右に曲がり抜けていく。途中でゴミの山を倒したり、フェンス扉を閉めたりして時間を稼ぎ、追っ手の数を減らしていくのはエツリの仕事だった。全員が長物を持つ天使等は障害物の影響を大いに受け、途中で詰まったり分岐で迷ったりを繰り返した。最終的にエンジェルが一体、アークエンジェルが一体となった所で、逃亡者と追跡者共に体力が尽き、海浜の開けた遊歩道に出た。彼等は肩で息をしながらも機敏な動作で振り返り、天使等に注意を向けながら得物に手をかける。天使等も走る速度のまま突っ込んでようとはせず、彼等の突然の停止に警戒を強め、両者の睨み合いが始まった。
「はぁっ……はぁ……」
「もっと、体力を付けんか。軟弱、者、め」
「……」
面をずらして口元を拭いながら、エツリは視線を天使等からヒバチに移した。お前も息を切らしているじゃないか、と言いたかったが、呼吸が落ち着かない上に、酸素の足りない頭では、文句の一つも出てこなかった。彼は天使等に対して醸していた殺気をそのままヒバチに当て付けることで抗議の意を示し、ヒバチはそれを相手にもせず、ただ肩をすくめるだけであった。
そんな下らないやり取りで時間を浪費する訳にはいかない。もたもたしていたら他の天使等が追い付いて合流してしまう。エツリは何とか膝に付いていた手を離して上体を起こすと、両足の前後をずらして戦闘の体勢を整えた。
「……うぅむ。エツリよ、最下級の方の天使ならば、一人でも倒せるか?」
「侮るなよ。野良猫の喧嘩より見るに耐えない泥試合の末、俺が負けるね」
「侮るなとはお前ではなく敵のことか……では帷子の方を相手に時間稼ぎをしろ。すぐに片方を倒して数的有利に持ち込む」
「いいけど、その前に終わってるかもよ」
「奴を倒す自信があるということか?」
「その逆」
「……どうしたさっきから。急におかしなことを言い出すようになったぞ」
ヒバチは頭を抱えそうになって、敵前であることを思い出した。全く頼りにならない相棒と息を合わせ、互いに左右へと歩いて幅を開ける。
「息ぴったりだね俺等。ベストパートナーじゃん」
「戯言をほざくな」
「あまり強い言葉を使うなよ。泣くぞ」
「情けない……」
敵前であるというのに、エツリの表情には余裕が生まれていた。握る刀の軽さは頼りなさを通り越して滑稽とさえ思えるが、それでも天使等に負けることはないと確信していた。敵は自分より一回りも二回りも実力者であるということは、一合の鍔迫り合いもなしに解っているというのに。
「行くぞッ!」
ヒバチのかけ声に合わせて同時に飛び出した。天使等に動揺はない。想定の範疇であったかのように冷静に槍を構え、迎撃の体勢をして力を溜めている。
少しだけエツリが先行した具合で天使に接近すると、彼等はほぼ同時に天使に武器を振るった。エンジェルと槍の柄を削り合うヒバチを横目にして、彼は勢いよく刀を真横に振るった。
『むッ……』
防御の構えを取る天使の槍に、刀は当たらなかった。それもその筈、エツリの刀は半ばで折れているので、鞘に収められている時の見かけとは長さが全然違う。まんまと防戦に回された天使を槍柄ごと回し蹴りで蹴り飛ばす。かなりの力を以て繰り出された筈の彼の蹴撃は、敵を二、三歩を後退させるだけに終わったが、それを気にすることもなく、敵に槍を構え直す隙を与えずにその懐へと肉薄した。槍の穂先の間合いに入らなければ、刺突や斬撃を恐れる必要はない。その上防御の構えをさせることで、穂先を上に固定させればその長い間合いも怖くはない。勿論普通に振るだけでも槍は脅威であり、何なら槍を伴わない素手の攻撃も警戒しなければならないが、帷子鎧を着込んだアークエンジェルにエツリ程の機敏な動きはできない。そこに打開を見出した彼は、とにかく相手から離れないことに意識を集中した。
『ニンゲン、命が惜しくないようだな。斯様な遊具で、私を相手にしようとは』
「刺身包丁と迷ったんだ」
『ぬかせ!』
鎬を削り合ったまま、エツリは面の下で皮肉げに笑った。左足を大きく振り上げて跳ねながら右足で天使を蹴り飛ばすと、また接近して帷子と兜の切れ目を目掛けて斬り付ける。天使は俯くようにして刀を兜で受け、エツリを槍の柄で押して突き飛ばした。天使は一気に遠のく彼我の距離に合わせて槍を横に倒すように持ち帰ると、地面を転がるエツリに向けて刺突を放つ。当然反撃が来ることは予測していたので、彼は死に物狂いで転がって避けた。大きく距離を離して槍の間合いから逃れると、片手で刀を前に構え、腰を落として前屈みに体勢を変えると、もう一方の手で生体磁気をかき集めた。そのまま突撃するように見せかけ、一歩だけ鋭く足を突き出すと、次の一歩を進めずに停止して衝撃魔法を撃ち出した。
『読めているぞッ!』
天使はこれを意にも介さず、帷子に包まれた胴で受けると、接近して穂先の距離にエツリを捉えた。
「まっ……じか」
『呆けている暇などないぞッ!』
「あじゃっ……! なんてね」
変な声を出しながら薙ぎ払いを後退して躱し、今度は磁気を集めた手をかざしながら接近するも、魔法は撃たずに一気に穂先の距離を超えて近付いた。
『読めているというのが解らんかッ!』
しかし天使はこれにも冷静に対処し、槍の柄を振ってエツリを薙ぎ払い、体躯の小さな彼をそのまま押し飛ばした。柄とはいえ殴れば鈍器になる。エツリは咄嗟に腕を畳んで当たる面積を増やすことで骨折を免れたが、横に飛ばされた時に感覚を誤り、穂先の間合いで体を起こしてしまった。
『ぬかったな小僧ッ!』
「……ッ!」
回避が間に合わないと見るや、エツリは武器を持つ腕を下ろし、あえて槍に近付いて左腕と面だけで払いを受けた。面の左上端に刃が当たり、衝撃で少しひび割れた面の下で、こめかみに近い部分の額から血が流れ始めた。エツリは脳震盪を起こして揺らぐ視界の中で、頼りない足を叩きつけるように一歩前に出ると、衝撃魔法を至近距離で天使に叩きつけた。鎧に守られた体に傷を付けることは敵わなかったが、最初の睨み合いの位置まで天使を後退させる。
『……直撃を避けたか』
彼は自ら槍の間合いに入ることで、穂先の先端ではなく、根元で攻撃を受けた。先端と根元では、力の量が違う。もし切先に近い部分で攻撃を受けていれば、面は容易く割られ、頭を斬られて死んでいただろう。そのくらいの脅威があったし、酷く乱れ出したエツリの呼吸音も、緊張の場面が一つ過ぎ去ったことを物語っていた。
右腕を使わなかったのは、利き腕を使えなくなることを恐れたからだった。今の攻撃を防いだところで、片腕で槍の振りと打ち合って拮抗することは不可能だ。一合と持たずに刺し殺されてしまうだろう。
『口数が減ったな。もう限界か?』
「…………」
『他愛ない。所詮はニンゲン……我々に敵う道理はなかったという訳か』
天使がヒバチの方を向くのにつられて、エツリも彼の戦いぶりを横目で確認した。未だ決着とはいかないが、エンジェルは確実に追い詰められている。ヒバチの勝利にもはや疑いはなかった。であれば自らの仕事は、彼がエンジェルを倒すまで、何としても生き残ることであると、エツリは弱腰になりかけていた心気を改めた。
「やっぱ包丁にしときゃ良かった。手羽先調理するのに刀じゃちょっと」
『何の話だ』
「自分の背中に付いてるもんが何か知らない訳じゃないだろ」
『…………ほざいたな。ならば覚悟はできているということか』
尋常ならざる怒気を放つアークエンジェルの威容を前に、エツリは冷や汗を止める術を失った。ちょっと肩を小突いてみたら、相手が懐から拳銃を取り出したみたいなちぐはぐさがある。
(天使って……)
煽り耐性低いのかな、と、この期に及んでのんきなことを考え始める癖は止められず、ただ体は無意識に迎撃の構えを取る。かなり強く殴られた筈の頭は、そこまで痛まなかった。早まる鼓動に伴って変な角度の万能感に全身が支配された。これがヒートアップした精神の作り出すまやかしであることには気付いていたが、生死の分岐を敵と分け合う身で、過分に冷静さを重んじるつもりはなかった。
『ハァッ!』
攻防入れ替わって天使の薙ぎ払いから始まる。エツリは回避がてら少し多めに取った距離から槍の間合いの工合を見極めようと、天使の一挙手にまで目を光らせ始めた。柄を持つ位置の次第で間合いにかなり自由の効く武器である槍の攻撃範囲は、懐と背後以外ほぼ全てであると言ってもいい。エツリは間合いを読み取ってもすぐには突貫せず、折れた刀を先行させて、手持ちの武器を含めた間合いの内側までの距離を目算し始める。
五合、六合と刀で受ける。と言っても刃先で敵の槍の穂先を擦り、ギリギリの距離を保つだけの、剣戟とは到底呼べないようなやり取りであった。間隔が解ってくると、今度は武器を持った手を下ろし、一歩近い距離で敵の攻撃を誘った。
『臆したか小僧!』
縦に大きく振りかぶって、一息に近付いて振り下ろしてきた。エツリはこれを読んで横に転がりながら回避を試みるも、天使は更にそれを見越して振り下ろしのタイミングを一拍ずらしていた。
『それで避けたつもりかッ!』
エツリは起き上がってすぐに振り下ろされる槍に対応すべく、また身を低めて後ろに転がった。直撃は避けられるも、背に浅くない斬り傷を作った槍は勢いを得て、更に刺突で首を狙ってきた。今度はしかと刀を構えて首を守り、槍を掴み返した。
『何……!』
エツリは柄を引っ張りながら前に飛び、浮かせた体を空中で横にする。その勢いのまま右足を引き、突き出すようにして天使の胸を蹴り付けた。天使に鳩尾があるかどうかも知らないが、とにかく息も一瞬絶える程の衝撃を与えると、槍を掴んだ手はそのままに、刀の柄頭を使って至近距離で天使の顔面を殴り付ける。しかし敵も然る者、一撃目こそ喰らいはしたものの、すぐに対応する。エツリを壁に叩きつけるべく、柄を話さない彼ごと槍を大きく振り回した。しかしそれを見越して既にエツリは手を離しており、そのまま肉薄して目を狙って折れた刀で顔を切り付けた。
『甘いッ!』
ギリギリで刃は目に届かなかった。天使は接近戦に対応するべく槍を深く持ち直し、空振った反動で地面から片足が離れたエツリの胴を下から斬り上げた。
「うッ、ず……」
内臓までは届かないまでも、袈裟斬りで斬りあげられた胴の傷は深い。エツリは動くと胴から真っ二つに分かれてしまいそうな痛みに悶え、先ほどまでの機敏な動きを封じられてしまった。それを見逃す敵ではなく、天使は槍から手を離すと、柄頭を掴んで止め、目と鼻の距離にいるエツリの顎をめがけて肘打ちを繰り出した。
「がッ……」
両手が塞がっていたエツリはこれをまともに受け、頭が揺さぶられたために足下の安定を失う。前後不覚に陥るも、直前までの方向感覚に従って本能的に防御の姿勢を取り、左右にふらつきながら後退する。天使はこの隙だらけの一瞬を見逃さず、彼を槍の薙ぎ払いで殴り飛ばした。
「…………」
『静かだな。舌でも噛んだか』
顎を肘で打ち抜かれ、頭部の出血していた箇所を殴られたエツリは、平衡感覚を失って手と膝を突き、刀を取り落とす。とにかく血が足りない。頭からも体からも血を流し過ぎた。体内で滲むように熱が放散され、それが指先や汗ばんだ部分から失せていくような感覚。体から熱が失せていくこの感覚が、死の前兆であるなどとは思いもしなかった。
『口程にもない。これで終わりかニンゲン』
なんとか逆手で刀を拾い直した時、頭上には槍の穂先の気配があった。未だに頭の中で血水が浸透するような感覚が取り払えず、思考が判然としない。漠然と四肢を動かそうとするも、意に反した方向へ身悶えするだけに終わる。現実感のない焦りと、なぜか自身が死ぬはずはないという逃避的な楽観視のせいで、頭と体の同期がうまくいかない。
『……死して審判を待つがいい』
全身にワイヤーを繋がれたかのように体が動かなくなった。エツリの脳中にあるのは強烈な焦りだけで、自分が次の瞬間に死ぬなどというのは、想像すらしなかった。
・テトラジャ
混成隊が張ってたバリアの魔法。即死系魔法を一回だけ無効にする。
・生体マグネタイト
生体磁気、とも。精神活動によって発生、消費されるエネルギー。魔法の発動や悪魔の使役にも必要となる。異界化した影響で東京は生体マグネタイトに溢れているが、魔法を使う際には自身のマグネタイトを使う。悪魔や人間は気付かぬうちに呼吸等で大気から吸収している。
・手羽先
天使のそれは肉が詰まってないので食えない。大方の家畜は全滅しているので、異界化した東京で手羽というとオンモラキのそれ。
なんか長くなったんで区切ります。敵を煽って怒らせた挙句普通に負けるクソバカが主人公だってことだけ覚えといてね。
ガイアの下っ端は基本的にチンピラ崩れです。たまに武人然とした人が混じってて、そういうのは日が経つと結構出世してるみたいな。自由であるからこそ強さが必要というような実力主義で成り立っていますので、自由と言えどやっぱりある程度努力ができる人の方が上に行けるんすかね。