朝に成田へ到着した。澤村家の車で自宅まで送ってもらった。車から降りて玄関までの短い距離でも東京がうだるような蒸し暑さなのがわかった。蝉の音もやかましい。
自分のベッドに倒れこむように寝ると懐かしい匂いがして落ち着く。少しの時間目を閉じて体を休めることにした。
昨日は鉱山の後、クヌヌカの空港まで戻りそこで海部さんとは別れた。彼女は一足先に東京へと別ルートで戻っていった。俺と英梨々は飛行機でパースまで戻り、それから電車でパース郊外にあるコアラ保護区を目指した。
ここには100頭以上のコアラが保護されて飼育されている。そこでコアラと触れ合うことができるのだ。英梨々はやっと希望どおりにコアラを抱っこして記念撮影をした。満足そうに満面の笑顔だった。
※ ※ ※
午後は波島家へお土産を渡しに行った。美智留も来ていたので、アボリジニーの笛のような楽器『ディジュリドゥ』を渡した。美智留がその場でなんとかなく吹いて試すと、適当に演奏できてしまうあたりが天才なのだろう。それともアボリジニーの血でも混ざっているのだろうか?
伊織には何種類かあったブーメランから好きなのを選んでもらった。お気に入りでいくつか買ってきたのだ。けっこう迷った末に一本選んだあたり、やはり伊織もこういうのが好きらしい。
「出海ちゃんには、このコアラのぬいぐるみか、ブーメランなんだけど」
「なんですか、その2択は・・・」
「好きな方を選んで貰おうと思って」
出海ちゃんがコアラのぬいぐるみを迷うことなく選ぶ。本当はこういう少女趣味のことを押し付けるのはよくないのかもしれない。
「意外とさわりごこちがいいですね」
「一応ランクがあって、オーストラリア産の上質な商品なんだぞ」
「ありがとうございます。倫也さんだと思って大切にします」
「そりゃどうも」
「トモ、それって仕事で無茶ぶりされた時に、コアラが代わりに被害を受けるってことじゃないの」
「・・・そんことないよね?」
「ソンナコトナイデスヨ」
がんばれコアラ。
※ ※ ※
続いて詩羽先輩のところへと行く。詩羽先輩は大学生になってから1人暮らしを始めたが生活能力が絶望的に足らないことを露呈した。一ヵ月を立たずしてゴミ屋敷化したのだ。
アシスタントを雇ったり、人と共同生活したりできるようなコミュ力がないので、改善の兆しはみられない。不死川出版の町田さんが最低限の面倒はみてくれているようだが、掃除まではする気はないらしい。
詩羽先輩はすでにマンションに篭ってタイピングを打ち続ける都市伝説のお化けみたいになっている仕事人間だ。一応大学生なのだが。
売れっ子作家なんてそんなものらしいが働かせすぎじゃないだろうか。既存の連載に、エッセイ。読み切り。さらにブレッシングソフトからの依頼も受けている。仕事を頼んでいる俺がいうのも変だがいつもフル稼働している。
使い道もないから金は恐ろしい勢いで溜まる一方で、将来悪い男に騙されないかだけが心配だ。
「というわけで、おみやげです」
「家のチャイムぐらい押してもらえるかしら?いつからあなたはそんな不倫理君になったのかしらね」
「何度も押しましたし、カードキーを渡したのは詩羽先輩ですよね」
「それはこのセキュリーティーの高いマンションで、倫理君が夜這いをかけてきてもいいように渡した女心なのよ。昼間から使うものじゃないわ」
万事、こんな調子である。
俺はオーストラリアで出版されている小説と資料本を渡した。これは詩羽先輩からリクエストされていたもので、パースの書店で購入しておいた。
「あら、ありがとう。冗談でいったつもりだったのに本当に探してきてくれるなんて」
「邦訳されていない本ですけど」
「別に問題ないわよ。むしろ、私の邦訳がうまくいったら仕事になるかもしれないじゃないの」
「これ以上仕事増やすんですか!?」
「だって恋ができない以上、女なんて仕事するぐらいしかないわよ?猫でも飼おうかしら」
「猫はまだやめておきましょうか・・・」
独身のキャリア女性がマンションを買って猫を飼い始めたら詰みである。何が詰んでいるのかは言及しない。
俺はゴミ袋を広げて片付けを始める。本や雑誌などの資料は適当に積み重ねて隅に寄せておく。こんな汚部屋なのに詩羽先輩は優雅にインスタントコーヒーを飲んで寛いでいた。
「それでオーストラリアはどうだったのかしら?」
「ええ、とても良かったですよ。慌ただしい日程だった気もするし、ずいぶんとゆっくりと過ごしたような気もします」
「澤村さんは幸せね」
「そうだといいですが」
詩羽先輩は英梨々の良き理解者で交流も深い、俺と英梨々がオタク仲間だったとしたら、英梨々と詩羽先輩はクリエイター仲間でお互いをリスペクトしている感じだ。
※ ※ ※
もう夜になってしまったが、加藤の家までお土産を渡しに行く、何か理由をつけないとネットだけのやり取りで終わってしまって顔を直接見る機会がなくなる。
玄関まで降りてきた加藤は風呂上りだったらしく髪が少し濡れていた。薄いピンクのルームドレスをゆったりと着ていて、しかも素足である。英梨々に見慣れると加藤の胸の膨らみも、豊かな太もももずっと女性らしいセクシーさがある・・・
「ほい、これが加藤へのおみやげ」
「・・・ありがと」
俺は小さな箱を渡した。
「開けていい?」
「ああかまわん」
「・・・あっ、これ。例のやつ?」
「まさか。例のやつはまだ届いていないみたいだ。こーんなに小さいダイヤモンドなんだぞ」
俺は指で5ミリほどの幅を作った。
「500万だっけ」
「700万円だ。ただの綺麗な石なのに、ほんとわからんもんだよ」
「で、これは?」
「大学生が友人に送るには手頃な値段のもの」
「そっか。ならありがたく受け取ろうかな」
加藤に送ったのはピンクダイヤのついたネックレスだ。値段もそんなに高くない。あれだけピンクダイヤをみてきたから、この小さな薄いピンクの石にはそこまで価値がないのはわかる。もちろん鑑定書もつかない。ネックレス部分はホワイトゴールドだ。
「英梨々には報告するよ?」
「ん?」
「むしろ英梨々が選んだんだ・・・って感じかな」
「なんでもお見通しだな」
「そんなに気を使わなくてもいいのに」
その時、家の中からケータイの音が聴こえた。玄関先でいつまでも話をしていてもしょうがない。加藤の元気そうな顔もみれたし、そろそろおいとましようとする。
「じゃ、俺は帰る」
「うん。またね」
玄関を閉めて駅へと歩き始める。日が沈んでも東京は暑い。とりあえずみんな元気そうでよかった。俺も無事に帰ってこれたし、明日から普通の夏休みがはじまる。
「安芸くん!」
振り返ると遠くに加藤が立っていた。サンダルを履いている。あまり外を出歩く恰好ではない。
「どうした?」
「さっきの取り消す」
「何が?」
「さっきの『気を使わなくていい』っていうの取り消す」
「なんぞ!?」
「英梨々から連絡があって、明日から安芸くんのこと借りるって」
「・・・どういうことだ」
「今度はアメリカだって」
「はい?」
「もう少し考えて行程表作ってくれるかな?」
「ちょっ・・・それ俺のせいじゃないよね」
「どう考えても安芸くんのせいだと思うけど」
「・・・何か良さそうなもの見つけてきます・・・・」
「うん」
加藤は無表情だったが、少し笑いをこらえているのが分かった。
※ ※ ※
俺の家の食卓で英梨々が鮭茶漬けをすすっている。
「やっぱご飯よね。生き返るわ~」と、およそ金髪らしからぬセリフをしゃべりながら、満足そうにお米を食べていた。
「そうだな。米食うとやっと日本に返ってきた感じがするよな」
もっとも俺は空港でおにぎり買ってすぐに食べて、昼も牛丼を食べたのだが。英梨々はカップ焼きそばでも食ったのだろうか。
「今度は『サイトウのゴハン』でももっていこうかしら」
「荷物は軽い方がいいんだろ。って、それだ。なんでアメリカなんだよ」
「アメリカ行きたいから」
「・・・そりゃ、明解だな・・・」
オーストラリアの次はアメリカか。アメコミもあるだろうし、楽しみではある。西海岸ならそう遠くないが、やはりニューヨークまで行くのだろうか。
「それで、アメリカのどのあたりに行くんだ?」
「両方」
「はっ?両方ってなんだよ。西海岸と東海岸か?」
「なによそれ?普通は東西じゃなくて、南北でしょ。あんたアメリカの歴史も知らないの?」
「南北?普通はラスベガスとかニューヨークとかだろ」
「なんでそんなとこ行かなきゃならないのよ。あたしがいっているのは北アメリカと南アメリカよ」
「南北戦争関係ねぇな!?」
「なにそれ?」
「アメリカ史だよっ」
やれやれ、南半球だと季節が逆転することを知らないようなやつに、何をムキになっているんだ。
それにしても、このメジャーなインスタントお茶漬けの素は美味いな。炊きたての御飯をわざわざ茶漬けなんて大袈裟だと思ったが、これがなかなかどうして日本人の心を癒してくれる。
「倫也って、赤い宝石って何を思い浮かべる?」
「ルビー。だって紅玉と書いてルビーなんだろ?」
「じゃあ、ルビーってどこで取れるかしってる?」
「いや、知らね。確か・・・東南アジアじゃね?」
「そうなの?」
「お前も知らないのかよっ」
「なんかね、あるらしいのよ。アメリカにね。紅い宝石が」
「へぇ・・・」
「倫也、ユタ州って知っている?」
「名前ぐらいは」
「そこにいくわ」
「さようで・・・」
もう驚くこともないだろう。また鉱山なんだろうか。アメリカなら近代的な施設だったりするのかな。それにしてもユタ州ってどこだろう。
「じゃ、そろそろしめるわよ」
「何を?」
「ほら、プロポーズしなさいよ」
「それって強制されることなのか・・・。まぁいいや。そうだな、こういうのはお茶漬けと同じだよな」
「お茶漬け?」
「どちらも、ノリ(海苔)が大事です」
「上手い!(美味い)」
「結婚しよ。英梨々」
なんか金髪の絶世の美少女が100均のプラスチックレンゲを使ってお茶漬けを食べては、満足そうに微笑んでいた。
(了)
この全方位に気を使いながら進める話は、あまたのボツ原稿の上に成り立つとはいえ、興味深い。
個別にもっと掘り下げてもいいのだろうけど、先にすすめることにする。