アメリカは広い。けれど、飛行機を利用しているだけではその広さはあまり感じられないだろう。大陸という点でいえば、空から観光したクヌヌカの方が広さを感じた。日本ならちょいと山に登れば海が見えるが、オーストラリアでは見えなかった。海がなくて果てしなく大地が広がる光景とは奇妙なものである。
英梨々がこの素晴らしいB&Bを名残惜しそうにチェックアウトした。少なくとも英梨々が妊娠の嘘を認めてしまうぐらいには素晴らしい宿だった。
宿を出るとSUV車の青いUberが待っていた。初日にお世話になって鉱山まで連れ行ってくれたドライバーが立っている。隣にも女性がいる。英梨々が雇ったドライバーで2人は夫婦らしい。
「僕は、ジャック・テイラーよろしく」
「私は、テディ・テイラーよ。よろしくね」
アメリカらしい握手付きの挨拶をした。昨日さんざん話し合ったのだが、英梨々が車で移動したいという。そうは言っても俺は免許をもっていなかった。いや、持っていないはずだった。そしてこの人を雇うことになった。そこまでいい。それぐらいの無茶なら俺もいちいち驚かない。対価を払えば人は働いてくれるのだから。
でも英梨々が、ショルダーバックをゴソゴソやって・・・
「倫也の免許ならあるわよ。はい」
そう、まるでティッシュでも渡すかのように『国際免許証』を俺に渡した。
「どういうことだ?わかりやすく説明してくれるか?」
「車に乗りながらするわよ」
俺と英梨々が後部座席に乗った。運転手はジャックで、助手席にはテディーが乗っている。ジャックはアメリカ原住民とイギリス移民とのクオータで少し浅黒い肌をした好青年でまだ若い。結婚しているのが不思議なぐらいだ。テディーはオレンジ色の髪がウエーブしていてそばかすが多い。丸いメガネを欠けている。スパニッシュ系の移民を先祖に持つらしい。
「それ、本物だから心配ないわよ」
「国際免許証って、日本の免許証がないととれないだろ?」
「はい、これも渡しておくわね。日本の免許証」
「おい・・・偽造するなよ」
「本物だから安心して。あんまり細かいこと考えるとハゲるわよ?」
「そういう問題なのか。だいたい免許があっても運転ってできないだろ」
「そのために雇ったのよ」
ソルトレイクシティーの南にはユタ湖があり、その東部も発展していた。市街地は信号もあるし交通量も多かった。かれこれ2時間ぐらいかけて、ユタ湖を超えると、道路は2車線で交通量も落ち着いてくる。街を出た所に大きなガソリンスタンドがあり、そこで給油の他に車両チェックなどをしてもらう。アメリカは街から街までが何百キロと離れていて、途中にはガススタしかないなどということもある。
「じゃあ、変わろうか」
何事もないかのようにジャックが言った。もちろん英語である。俺は運転席に乗せられて、ジャックが助手席になった。
実際に運転といってもゲームマシーンなどである程度はわかる。問題はそこなのだろうか?交通標識とかルールがよくわからないのだが。いやいや、そういう問題だろうか?
「レッツゴー!」と英梨々がニコニコ答えている。「レッツトライ!」とテディーも乗り気だ。
「もしかして俺がペーパードライバーなのを知っているのか?」
「ええ、全部話してあるわよ」
「だいたいどこを目指しているんだよ」
「ヒューストン。でも、今日の宿泊予定地は『アルバカーキー』よ」
「聞いたことねぇな」
「だいたいそのあたりが中間なのよ。ソルトレイクシティーから12時間ぐらいかかるから、あと10時間ね。急ぎましょ」
現在の時刻が午前11時を過ぎたあたりだ。到着予定時刻は夜の9時か。
俺はおそるおそる車を出発させた。料金のこととか、保険のこととか気になったが、たぶん気にしてもしょがないのだろう。ジャックは指で方向だけを示していた。
道路幅は広いし、信号機はすくないし、直線だけで合流ないし、運転はすぐに慣れてきた。このあたりは山岳地帯で荒涼としていた。景色としてはオーストラリアに近い気がする。走っても走っても荒涼としていた。西部劇で見るあの光景である。
車のラジオからは今は流行っている曲が流れていてやかましい。ジャックは窓から腕を出しながら陽気に歌っている。1時間ほどひたすら走ったところに寂れたレストランがあった。
「店構えは悪いが味は悪くない」
ジャックの指示で減速して駐車場に入った。駐車場といっていのかわからないぐらい広い。俺は適当に車を停めた。
「うまいうまい。すぐになれるよ」とジャックが言った。
「ええ、安心して乗ってられたわね」とテディーも賛同する。
「ね、習うよりも慣れろなのよ」と無責任な英梨々が言う。
そういう問題だろうか?と思ったが、もう運転している以上はグダグダいってもしょうがない。けっこう運転は楽しかった。
時刻は12時で真上に太陽がギラギラと輝いていた。
まさにアメリカといった感じのやたら広いレストランに入る。俺はハンバーガーセットを頼む。英梨々は悩んだ末にパスタにした。ジャックもテディーも適当に頼んでいる。会計は英梨々がした。
味は大味だった。味は悪くないといったが、良くもなかった。ずっとB&Bで良いものを食べてきたせいかもしれない。冷凍ポテトの味がした。
「自分で味付けするのよ」とテディがいって、バンズを開けてケチャップを足してコショウを振っていた。俺も真似をする。
「ごめん。倫也。変えてくれる?」
「どうした?」
俺は許可していないが、英梨々のナポリタン風のパスタの入った皿が目の前に置かれて、俺のハンバーガーとポテトは英梨々に持っていかれた。
パスタを一口食って納得がいった。これは英梨々が食える味じゃない。もうなんていうか麺がふにゃふにゃだった。妙にどぎつい甘味がある。食ったら車酔いして吐くかもしれないと考えたのだろう。こんなに不味い飯はずいぶんとひさびさに食った。
レストランを出て、「まだ運転できるかい?」とジャックが聞いてきたので、俺は「できる」と答えた。
ソルトレイクシティーからアルバカーキーまでは600マイル。約1000キロと言ったところだ。東京大阪の往復ということになる。ただ最高速度も85マイルでだいたい時速130キロオーバーで走れる。それでも俺の横を猛スピードで抜いていく車が何台もあった。
道路は順調で俺はハンドルを握りしめたまま車を飛ばしていく。助手席にはシートベルトをした英梨々が乗っていた。最初は4人で会話をして盛り上がっていたが、もう話題もそんなにない。テディーが後部座席でジャックにもたれかかって寝ていた。
2時間ほど車を走らせてガソリンスタンドで停車をする。一般道なのか高速道路なのかよくわからないが、信号機はなかった。おそらくハイウェイなのだろう。
ガソリンスタンドで少し休憩をする。「次は変わろう」とジャックが言うので、俺は交代してもらうことにした。けっこう緊張していたし、肉体よりも精神的に疲労していた。
「広くていいわね。なかなか素敵なドライブだったわよ」
「同じ景色で飽きない?」
「倫也の運転が新鮮だったし、あまり飽きなかったわね。もう少し次の時は話しかけた方がいいのかしらね」
「どうだろ。だんだん慣れてはきているけどな」
ほとんどが直線なのだ。もちろん緩やかに曲がっていたり、高低差があったりはした。回りの車もほとんどいないし、車間距離も十分あって快適なドライブで、速度がでているのでレースをしているような気分だった。
ジャックが運転している時はテディーが助手席になった。俺は疲れていたのか後部座席になったとたん、英梨々と手をつないだまま眠ってしまった。
次のガソリンスタンドで俺とジャックはまた交代した。予定時刻よりもずっと順調だった。途中にアイスクリーム屋があって立ち寄った。英梨々は俺にバニラアイスを買わせて、味見をしてからストロベリーアイスを注文した。
「アイスなんてそうそうはずれはないだろ」
「パスタだってそうそうはずれないわよ」
「まぁそうだな」
アイスを食べ終わった後、ジャックに教えてもらって、バックでの駐車の練習をした。広い場所で他にぶつける可能性もない。線にそって上手く停められるように繰り返した。
「うまいうまい」とジャックもテディーも褒めてくれる。
習うより慣れろとはよくいったもんだ。
そのまま俺は運転した。18時を回ったところで、『アルバカーキー』まで100マイルの看板を見つけた。あと1時間半ぐらいだろうか。
「もうすぐ街だから運転を変わろう。次のガススタで停まってくれ」とジャックが言った。
彼はとても感じのよい穏やかな青年だった。気遣いもあって優しい。『100マイル』をもうすぐと表現するのはいかにもアメリカらしかったでかさだった。
街に近づくと合流する車も増えてきた。西日も強い。速度を少し落とすように言われて俺は慎重に運転した。建物もだんだんと増えてくる。手頃なガソリンスタンドがあったので、俺はそこで停まった。
「宿泊はどうする?私たちは別に安いモーテルでいいけど」とテディーが言った。
「モーテル?」英梨々が聞きかえす。
「安い宿よ。若者向けのね。ホテルサービスなんて受けられないようなところよ。その代わりベッドは大きいわよ」と笑いながら説明していた。
「英梨々、ラブホみたいなところだよ」と俺は説明を付け加えた。
「ああ、そういうことね。ドライバーとしてそれでいいのかしら?しっかり休める?明日もずっと運転よね」
「ずっと座っているからな・・・疲れている気もすけど。俺もモーテルでいいよ。興味もあるし」
「そう。ならモーテルでいいわ」
ジャックが運転しながら、アルバカーキーの街についた。大都市といいがたいが発展している街である。観光地としても有名で、スパニッシュ系の街らしい。
「いい店を知っているから案内するわ」とテディーがいった。彼女はこの街の出身だった。
※ ※ ※
アルバカーキーはニューメキシコ州の州都である。ここから南に200㎞も行けばメキシコである。俺たちが目指すヒューストンはここから南東に位置する。カリブ海を臨む大都市だ。
テディーの薦めてくれたのはメキシコ料理の店だった。厳密にいうとスペイン風のアレンジも入っていて、ニューメキシコ料理ということになるらしい。サルサソースのタコスがあり、とうがらしがふんだんに使ってあった。
「いいのよ、ジャックもお酒を飲んで。あとは倫也が運転するから」と英梨々が酒を飲みたそうなジャックに気を使って言った。
「ノン!」とテディーが拒否した。「責任はホテルに届けるまであるのよ」と彼女は言った。「わかってるって」とジャックも承諾している。
英梨々は辛すぎる料理が無理で、「辛くないもの」を頼んだが、それでもけっこうスパイシーな料理だった。ただ、珍しいようでいろんなものを食べては笑顔で辛い辛いといいながらミネラルウォーターを飲んでいる。
店に来ていた人が歌い出した。他の席の客も歌っている。陽気な店だった。ぜんぜん知らないおっさんがビールジョッキ片手に席にやってきて、スペイン語で何やらまくしたてている。英梨々もテディーもスペイン語で話し始めた。俺とジャックはさすがにスペイン語はわからない。ガハハハハッと大きな笑い声たてて酔っぱらったおっさんが笑っている。立ち上がろうとして、椅子から転げ落ちて尻もちをついていた。
とにかく陽気な店でこんな感じのが0時を過ぎるまで毎日続いているらしい。途中で騒がしくなって奥の方で喧嘩が始まったので、ジャックが「そろそろ店を出た方が良さそうだ」と言った。会計を済ませて逃げる様に店を出た。
「喧嘩もストレス発散の一部なのよ」とテディーは何でもない事のように言った。
俺たちはいそいそと車まで戻った。夜はもう更けている。21時を回っていた。そろそろ危なくなってきて夜に女性が出歩く時間ではない。観光地だが、そこまで治安もいい街ではないようだ。ジャックは車が荒らされていないことを確認して、みんなを乗せ出発させた。
酔っぱらった連中が車の前に立ちはだかって車を停めた。それから何かを叫んでいる。ジャックは車をバックさせて逃げて急激なUターンをして、車を別の出口から走らせた。
「あまりいい場所じゃないな」とジャックは言った。「ニューメキシコの日常よ」とテディーは別に恐れている様子はなかった。
「このままアルバカーキーの街を出て、街道沿いのモーテルに宿泊する」と言った。ジャックは機転が聞いて正確な判断をする。Uberなどをさせておくのがもったいないぐらいだったが、陽気なところもあるので合っているのかもしれない。
そこから一時間ぐらい走らせた。街道の電灯は日本ほど点在していない。道路があるのを申し訳ない程度に知らせている灯りで、電球が切れて点灯していないところもけっこうあった。ほとんど闇の中に沈んで、あたりは静まり返っている。
煌びやかなピンクのネオンサインがあり、そこにはいくつかのモーテルが集まっていた。そういう場所なのだ。
ジャックはそこに車を駐車させた。俺でも一目でわかるぐらいの娼婦も立っている。外なのに音楽がガンガンと流れていて、踊っている連中もいた。テントも立ち並んでいる。
「できるだけ目を合わせないで、からまれても無視して」
ジャックの指示に従って、俺たち4人は固まった。英梨々は顔を下にして俺の腕にしがみついている。
モーテルのロビーに入るとおっさんが受付にいた。しかも酔っぱらっている。ライフル銃が立てかけてあるのが、本物か偽物かわからない。ジャックが話をして並んで二部屋をとった。
203号室と204号室。館内に階段はなくて、外階段を使った。途中で娼婦が声をかけてきたが俺はそれを無視する。なんか下の方では叫び声が聴こえるが、気にしない事にした。
騒ぎたい人はこのまま外で騒ぐらしい。これもアメリカの自由の1つなのだろう。別に毎日殺傷事件があるわけじゃないけれど、こんな風に騒いでたら喧嘩も耐えないだろうし、ときどきは事件にもなるのだろうなと思った。
203号室の鍵を渡されて中へと入った。ホテルの一室というよりは、アパートの一室のような作りだった。
玄関があって、小さなキッチンがある。ユニットバスは小さくてタイルの間はカビだらけ。
「うへぇ・・・」と英梨々は言った。
「一転して、今夜は最下層だな」と俺も飽きれてしまう。その分値段だって格安だ。あのB&Bの1泊でここなら10日は宿泊できる。
テレビがあって、プレステーションがあって、小さな冷蔵庫があって、でっかいベッドがあった。そんでもってピンク色のキラキラした光沢のあるシーツがかぶせてある。
窓は鉄格子がしてあって、外は灯りが点在しているが暗かった。こっちは裏通りのようだ。
「空は星がきれいに見えそうだけどな」
「外に出る気はしないわね」
「まったくだ」
別に外に出たって大丈夫なのだろう。でもまぁ無駄なトラブルを避けるに越したことはない。英梨々はバスルームにお湯を貯めた。
「キャリーバックを車に忘れたきたわ」
「あー、俺もすっかり忘れてた。雰囲気に飲み込まれてしまったな」
「どうしよう。クリーニング出せないわよね」
「無理だろうな」
「服は同じでもいいけど、下着は嫌ね」
「取ってきてやってもいいが・・・お前、ここで1人で待てる?」
「嫌よ」
英梨々がふてくされているがしょうがない。英梨々がバスルームで入浴している時に、部屋のドアがドンドンと叩かれた。マジ怖い。麻薬中毒患者とか銃持って乱入してきそうな雰囲気がある。
「へい、トモヤ!」とジャックの声がしてほっとする。
俺は扉を開けた。「キャリーバックが必要だろう?」と言って、届けてくれた。マジイケメン。
「テディーも忘れててさ。ハハハッ、じゃあまた明日」といってドアを閉めた。
俺は英梨々にジャックがキャリーバックを届けてくれたことを伝えた。
「良かったわ。倫也、下着とってよ。同じ下着を履くなんて考えられないわよ」
「いいだろう。とってやろう。下着をとってやるかわりに結婚しよ」
中でガタンと音がした。
「あんたね、ほんとサイテーの場所でサイテーの言葉よく思いつくわねっ!」
英梨々が飽きれた声がバスルームから聴こえた。
(了)