カリブ海の綺麗な朝焼けを無事に見れて英梨々は満足していたが、大きく感動はしていないかった。1つにはこの一面の海や空に慣れてしまっていたこと。もう1つにはそれが絵手紙のように完璧な美しさで白々しかったからだ。あるいは眠くて頭がぼんやりしていたせいかもしれないが・・・
まだ誰もいない朝食ビュッフェに一番乗りをした。まだ余っているイチゴジャムを食べずに、新しいイチゴジャムの瓶を開けて焼きたてのパンにたっぷりと塗った。どうせ、どちらもすぐ空になる。そこそこ上等なコーヒーを飲みつつ、ありきたりな味のベーコンを食べた。
「ここからが問題なのよ、倫也」英梨々が地図をテーブルの上に広げた。
「コロンビアって治安が悪いんだろ?実際に鉱山まで行くのは無理っぽいけど、街で買う分には大丈夫なんじゃねーの?」
「『エメラルド・トレード・センター』があるから、そこで買って帰るのは可能でしょうけど」
「その辺が落としどころだろ」
「そうよね。倫也がそれでいいなら、それでいいわよ」
「それでいいよ・・・」
「なによ。いくじなし」
「いくじの問題でもないだろ・・・だってマフィアの国だろ?日本からも危険区域に設定されている場所が多くあるし、注意喚起もされている」
「ねぇ・・・現役の鉱山って見てみたくない?今までみてきたアーガイルは工業化し過ぎていたし、ソルトレイクシティーも閉山していたわよね」
「あー、現役の鉱山なのか」
「掘ればエメラルドがザックザックでてくるらしいのよね。素敵よねー」
「原石買えばいいじゃないか」
「あたしは現物の話をしているんじゃないんだけど。観光の話をしているの」
「観光地じゃないよねぇ!?」
世間知らずのお嬢様はこれだから困る。『君主危うきに近寄らず』と諺もある。世の中には首を突っ込んで良いことと、悪いことがあるのだ。これは当然後者だ。
部屋に戻って、残りの時間をゆっくりと過ごす。到着予定時刻は15時だった。そこから入国手続きをして、まずは宿を探さないといけない。
コロンビアで野宿とか笑い話にもできない。余計なことを考えると余計なフラグが立ちそうなので、悪いことは考えないようにした。そもそも首都のボゴタからして安全な場所じゃないのだ。
このハッピーを体現したような、あるいは人間の欲望とエゴを凝縮したような豪華客船の最後の時間を楽しもうとしたが、英梨々はもう少し寝るといって、ベッドで不貞寝してしまった。何もかも思い通りにはさせてやれない。
英梨々は美智留みたいに健康バカな体ではないのだ。無理はさせられない。そろそろ旅の疲れも出てきているだろうし、日本に戻った方がいいような気がする。南米の旅を英梨々と2人きりでするのは、俺はとても不安だった。
※ ※ ※
カルタへナの港は世界遺産にも登録されている。カラマリ人というインディオ一族の街であり、昔はカラマールと呼ばれていた。カリブ語でイカという意味だ。だからといって別にイカ臭くはない。
金や銀。そしてエメラルドの出航地として栄えた。ここカルタヘナは観光地でもあり、街の中心と旧市街は治安も良い。
豪華客船の寄港地だけあって非常に綺麗な街だ。オレンジ色のレンガ作りの古い家もあれば、ペンキで黄色やオレンジに塗装された家も多い。明るいイメージの街で赤道に近いだけあって太陽を感じさせた。
まずはホテルを探しからだ。治安が良いとはいえ、格式と伝統のあるホテルで身の安全は守りたい。さすがにこの国で安宿に泊る気はしなかった。
「なんか、めちゃめちゃ近代的じゃないの」
「すげぇ開発されているな・・・。拍子抜けする感じだ」
「プール付きの豪華なホテルが並んでいるし、カリブ海を望むコテージもあるわね」
「土埃とマフィアのイメージだったんだけどな」
「なんか迷うわね。もうちょい汚い宿に泊る覚悟だったから」
「そうだなー。これなら安いホテルまでランク落としてもぜんぜん平気そうだけどな」
「ここにしましょ」
英梨々が決めたのは最高級の☆5ホテルで、世界ベストホテルにもランクインしていた。伝統ある建築様式の建物と、最新の設備。港沿いのオーシャンビューで・・・旧市街も近く観光にも最適な立地だった。ここカルタヘナを象徴するホテルだ。
ネットで予約状況を確認して大丈夫だったので一泊だけ予約した。スイートでもないのに、ヒューストンの一流ホテルの倍の金額がした。コロンビアなんて物価が安いと思っていたのにびっくりだ。
キャリーバックをゴロゴロと石畳の上を転がしながら、旧市街を通ってホテルへと向かう。宝石ショップも多くて店の外からも緑色の宝石が確認できた。金とエメラルド。かつてスペインが支配した街は、現代でも尚、人々の欲望を飲みこもうとしているようだった。
長い間船に乗っていたせいか、まだふわふわしていて、陸地なのに揺れている感じがした。船酔いならぬ陸地酔いだ。
綺麗に整備された庭園を通ってホテルの入口に着いた。英梨々はフロントで交渉していた。さんざんカリブ海を見てきたのでオーシャンビューよりも旧市街の夜景の方が観たいらしい。部屋を変えたいのだ。
ロビーは白塗りの壁で広くてとても明るい。窓がどこも大きく解放されていた。堅苦しい恰好の人は少なくて、みんなラフな恰好の観光客が多い。ホテルマンだけがしっかりとネクタイをしていた。
ギョッとしたのは、ホテルのラウンジでもテーブルの上にエメラルドをゴロゴロと置きながら交渉している人がいたことだ。映画の撮影でもしているような雰囲気にも見えるが、殺伐とした雰囲気はなくて笑顔だった。
「あまりじっとと見ない方がいいです」と、ホテルスタッフの男性が近寄ってきて英語で言った。俺は慌てて目線をそらす。
「彼らはマフィアですか?」と小声で聞くと「シークレット」と言って口を閉じた。
ホテルの部屋は素晴らしかった。まず解放的。白と青の基調で絨毯も分厚い。ベランダも広く椅子とテーブルがある。ペンキなども新しく剥げているところはなかった。バスルームも広く最新型の設備で、ジャグジーもミストシャワーもついていた。極め付きはトイレで、ウォシュレット付きの日本製。ビバ!メイドインジャパン。こんな場所にも日本のトイレとは・・・日本人であることに誇りを持ちたい。
ベッドルームもとても広かった、俺の部屋の倍以上ある。調度品も品がよくシンプル。それでいて現地の木の彫り物が飾ってあっても違和感がない。見ただけでわかる触り心地のようなそうなベージュのブランケッドがたたんで置いてある。
案内してくれたホテルマンにチップを渡す。「何かドリンクをお持ちしましょうか?」と聞いてきたので、俺と英梨々はコロンビアコーヒーと軽くスイーツを頼んだ。
まもなくして部屋にワゴンに乗せて運ばれてきた。銀食器のポットサービスのコーヒーと、プチケーキとフルーツの盛り合わせだ。見た目も鮮やかで鮮度がいいのがわかる。
窓辺に運んで英梨々と軽くティータイムをして過ごす。3階のこの部屋からは旧市街方面がよく見える。手入れの行き届いた中庭が見下ろせる。あちこちに綺麗な華が咲いていた。海の景色もいいものだが、陸地もすばらしい。部屋を交換していもらったのはナイス判断だったと思う。海はもう見飽きたのだ。
「ホテルの食事も評判いいみたいだけど、旧市街でなにか庶民のものでも食べにいきたいわ」
「コロンビア人って何食うんだろ?」
英梨々が銀のポットからカップへコーヒーを注いだ。香りがとてもいい。英梨々が一口コーヒーを飲んだ。
「あ~、コーヒー美味しいわねぇ」
「まじで?」
俺も一口飲んだ。
コロンビアはコーヒー豆でも有名だ。プラシーボ効果もあるのだろうが、コーヒーは確かに香りが高くて美味しかった。ほのかな甘味も感じる。ブラックだが濃すぎず、ミルクも砂糖もいらない。
「ケーキ・・・まずっ!」と英梨々が言った。
そして英梨々のいうようにケーキは・・・甘味がたらない?生焼けのナッツクッキーといった感じで口当たりが悪かった。生クリームも固くてバタークリームみたいだ。「まずっ!」と顔をしかめるほどのものでもないが、見た目から想像したものとは違っていた。素朴な味わいで、どことなく駄菓子にも似ている気がした。こういうクッキーとケーキなのだと思う。
「果物は安定ね。大味だけど」
「果物は日本のがどれも甘いよな。本来はこういう味なのかな?って外国で食べると思うんだが」
「メロンもスイカも『キューリがちょっと甘くなりました』みたいの多いわよね。でも、この南国フルーツは美味しいわね」
俺も一口食べたが瑞々しいのでフルーツはどれも美味しかった。
英梨々が答えてくれなかったのでコロンビア料理を調べる。トウモロシが主食で、あとポテトも食べられる。スペインの影響も大きくてパエリアなどが食べられる店も多いようだ。港街なので良いパエリアが食べられそうだ。なんだかんだいって俺たちは米が好きなのはしょうがない。
「俺、ここがいいな」英梨々にサイトを見せる。
「スペイン料理?別にいいわよ。あまりかしこまったレストランは選ばないでくれる?」
「贅沢に飽きたか」
「もっとこう・・・コロンビアを求めたいたのよ。ワンディッシュにチョリソーとコーンと山盛りのマッシュポテトがのったような。わかるかしら?」
「わかるよ。あとは現地のホットドックみたいのだろ。美味そうだけど腹壊すかなぁ~みたい」
「そうよ。それそれ」
早い話、豪華客船疲れをしていた。たったの3泊4日でこの疲労感である。旅慣れない年金暮らしが半年間の世界一周旅行・・・感想が「疲れた」になるのもうなずける。
※ ※ ※
近くに有名な寺院があったのでとりあえず観光する。太陽が陰り始めると街は暖かい街灯に包まれた。どれもオレンジ色の光で暖かい感じがする。
いくつかのジュエリーショップをのぞいた。金額はそこそこするし観光客相手の値段といった感じだ。
「アメリカよりは少しは安い感じね」
「なんか俺もだんだん分かってきたよ・・・」
英梨々が椅子に座っていくつかのエメラルドを見せてくれるように頼んだ。店員のおばちゃんは上から下まで品定めするように俺を見ていた。どちらも若造で金のもっていない観光客にみえるのかもしれない。それでも英梨々の細い腕に輝く時計を見て納得したようだった。ハイブランドのものである。
英梨々が自前のルーペでエメラルドを確認していると、観光客がお土産や記念品を買うというよりも、宝石のバイヤーっぽく見える。俺も隣で見せてもらった。最初は興味もなかったがポイントを抑えれば宝石の価値もたんだんと分かってくるようになった。
まずは感性なのだ。綺麗かどうか。次に知識だ。
「ルースは扱っているかしら?」と英梨々は店の人に聞いた。店員は首を横に振った。それから英梨々は店の人と交渉して、お手頃価格のエメラルドのイヤリングを購入した。何も買わずに出るほど英梨々は図太くはない。
かくして、加藤やみんなへのおみやげが確保されていくのである。
旧市街を歩いていると、小さな店があってホットドックやタコスのようなものを売っていた。コロンビア料理とは書いていないが、現地で親しまれているものらしい。
「あれがいいわ」と英梨々が決めた。
トウモロコシ生地に野菜と牛肉が挟んである。辛いものと、妙に甘ったるい2種類にソースあった。それぞれ1つずつ買って、英梨々とシェアして食べる。
「甘すぎと辛すぎ。なんで程好いのがないのかしらね?バカ舌なのかしら?」
「国民性もあるんだろうけどな。俺はけっこう好きだぞ。食べつけると慣れるものだしな」
「そうかも・・・」
だいたい安い物を食べて文句言う方が間違っている。これはこれで体験で、不味い物があるのでなくて、口に合わないものがあるだけだ。
中途半端に食べてしまったのでレストランに入ることはせず、タクシーで街の中心まで移動した。観光地のタクシーは安全だと一応下調べ済みで値段交渉は先にする。
新市街はもう近代的な都市と変わらず綺麗な高層ビルが立ち並んでいる。それでいて公園や緑が多いのも特徴的だった。中心から少し離れるとそんなに高い建物はないので、広々とした印象を受けた。ここでも宝石店は多い。今度は店の人の説明を受けずにぐるりと回って相場を調べた。
「なんか、あたしの思ってたコロンビアと違う」と英梨々が今日何度目かの同じセリフを言った。俺もそう思う。もっとカオス的で貧民街があるような国だと思っていた。アメリカの地方都市ぐらい発展している。見渡しただけではコロンビアらしき景色はまったくない。
日が沈んでも危ない感じはまったくしなかった。タクシーでホテルまで戻ることにした。安全なタクシー会社と危ない個人運営の白タクがあるらしく、そこは気を付けた。
ホテルのレストランでトウモロコシスープとチョリソーとディナーディッシュを頼んだ。英梨々とふたりで食べる。流石一流のホテルだけあって、ディナーディッシュに入っていた香草のステーキは美味かった。スープの味も悪くない。どちらも素朴で余計なことはしていない。
チョリソーが特に美味い。基本的にシンプルなのかもしれない。ソースが各種ついていて、自分で好みに合わせてつけて食べる。サルサソースにだんだんと慣れて美味しさがわかるようになってきた。辛さの中にも甘味がある。
※ ※ ※
こうして、けっこう気負って上陸したコロンビアの一日目は終りを告げようとしていた。
部屋に戻ってスペイン語のテレビを見る。ニュースではゲリラ軍の動向と、事件や事故が放送されていた。そこには俺らのイメージするジャングルのような場所や、貧しそうな現地の人や、迷彩服で銃を持った人が映っていた・・・
コロンビアの中でも、ここカルタヘナが特別な場所なのだと分かってきた。
テレビを見ながら、今日はどんな風に英梨々にプロポーズしようかなっとそろそろ考えていたら、部屋の電話のベルがなった。英梨々が出て応答する。
「海部さんが来たわよ」
「ほえっ?」
「まったく・・・過保護なのよ。倫也追い返してよ」
「いやいや、話ぐらい聞こうよ・・・」
海部さんは現在のスペンサー家の執事だ。アラサーの女性で、黒いスーツがとても良く似合う。でも佇まいに隙がない。メガネをかけた頭の良さそうな人で、そのイメージ以上に頭の切れる人だ。そんな海部さんがわざわざ南米までくるということは、よほどの用事があるのだろう。
部屋がノックされたので、俺は鍵を開けて海部さんを出迎えた。いつものスーツではなくて、半袖のネイビーブルーのスーツで胸には勲章らしきものがついていた。何かの制服だろうか?軍服のようにも見える。
「こんばんは」
「こんばんは、安芸さん。こんばんは、お嬢様」
「こんばんは。何しにきたのかしら?」
「あっ、まずは・・・中へどうぞ。コーヒー美味しいですよ」
「ではお願いいたします」
海部さんは中へ入った。英梨々は窓辺のイスに座っている。リモコンでテレビを消した。俺はルームサービスでコーヒーを3つと、来た時とは違うスイーツをお願いした。
2人の雰囲気が怪しい。英梨々は最初から喧嘩越しだ。海部さんが就任してきた時も英梨々は非常に態度が悪かった。前任者の爺ちゃん執事に懐いていたからだ。それでも時間がたって今は仲がいいとはいわないが、海部さんを信頼しているところがある。
「海部さんも座ってください」
「では、失礼します」
この固さだ。英梨々が苦手なのもわかる。
やれやれ・・・と思いながら、俺は扉側の方に立って様子をみていた。2人は会話をしない。まもなくルームサービスのコーヒーが運ばれきた。ワゴンに銀ポットが置かれていた。ボーイにチップを渡す。
綺麗なカップに3つにコーヒーが注ぎ淹れて、俺が給仕した。
「メルシィー」と海部さんが言った。
それから一口飲み、大きくうなずいていた。余計な感想は言わない。テーブルの中央にスイーツの皿を置いて、2人のフォークをセットした。
俺はベッドルームから丸いイスをもってきて、2人とは離れた壁側に座った。英梨々がこちらを睨んでいる。『追い返せ』を実行しろということなのだろが、もちろん無理である。
海部さんがここにくるだけでも何十万円とコストがかかっているはずだ。場所が分かったのは何かからくりがあるに違いない。おそらくは英梨々のケータイのアクセス記録からだろう。
・・・あるいはケータイアプリにGPSでも仕組まれているのかもしれない。俺がチェックしただけではそのようなアプリは入っていなかったが。精査しているわけでないので裏で動作しているのかもしれない。
「で?話は何かしら?」
英梨々が言った。もう最初から喧嘩腰である。俺として穏やかに過ごしてほしい。
「言わなくてもお分かりと思いますが。日本へ帰国していただきます」
「いやよ」英梨々が即答する。
うん。知ってた。たぶんそんなところだろうと思った。コロンビアのような危険な場所は許せなったのだろう。それでわざわざ迎えに来たのだ。英梨々だってわかっているはずだ。
エメラルドが欲しいなら、ここカルタヘナにも売っているし、東京でも売っている。コロンビアで買ったという事実をつくるのは簡単だ。明日、旧市街の店で買えばいい。ルースだって探せばあるだろう。
英梨々は即答で断ったし、海部さんはお願いでなく決定事項のように言っている。話は完全に決裂していて・・・俺は逃げ出したい。
「倫也、何か言ってよ・・・」英梨々が顔をうつむいて泣きそうな声である。あんまりこういう弱い演技しないので、案外心細いのかもしれない。ただ、自分で悪いこと・・・とは言わないが、危険なことをしようとしているのは分かっているだろう。
「とにかく、海部さんの話をきこう。理由もあるだろうし。海部さんフルーツも美味しいです。よろしければ」
「では、失礼して」
銀食器のフォークを使ってぶどうを1つ粒口に運んだ。真顔で食べる人も珍しい。人前で食べないので緊張しているのかもしれない。
「旅の記録からすると、このままコロンビアのエメラルド鉱山へ行きそうなので、止めにきました」
「それって、あたしの自由よね」
「いいえ、自由ではありません。それは無謀というものです」
「でも、海部さんには関係ないわよね?」
「大ありです。澤村家の執事長としてはお嬢様を支えてあげたいと、ここまで陰ながら見守れせていただきました。が、SupenserのButlerとしては認めるわけにはいきません」
スペンサーのバットラー・・・執事という意味だ。意味的は同じじゃね?と思うが、前任者の細川さんも自分のことを「スペンサーに仕える身としては」と前置きすることがあった。スペンサー家は名門なので、しがらみもあるのだろう。
「あなたがスペンサーの家の仕事をするのは構わないけど、あたしはもう18歳よ?大人なのだから自由でしょう」
「法的に大人でも精神的には子供でしょう。大人ならこのような無計画な旅行はいたしませんし、もう少しご自重なさいます」
丁寧語を使いつつも、海部さんも辛辣である。英梨々を『お子ちゃま』と言っている。まぁそうなのだけども。
「ちょっと、倫也も何か言い返しなさいよ!」
もう八つ当たり甚だしい。俺こそ関係ない・・・とは言えないが、けっこう巻き込まれている側な気がしないでもない。とはいえ、英梨々に言われた以上はしゃべろう。
「海部さん、そのクッキーもどうぞ。どうもコロンビアのお菓子は口に合わなくて」
「では、失礼して」
指でつまみ上げて口に放り込んだ。口元を隠して真顔でポリポリと食べている。感想は言わない。これはこれでなかなか面白い。
「確かにあたしはスペンサー家の人間だけど、倫也と結婚した関係なくなるわよね」
「さようですね。結婚できればですが」
「するわよ。ねっ?倫也」
「いずれな」
「何よー。あんたちょっと状況わかってるのかしら?」
英梨々よりは分かっているつもりだ。まっとうな大人が駄々っ子をあやしにきたんだろう。
「結婚するまではスペンサー家のお嬢様です」
「いやよ」
もはや話は平行線。このまま英梨々が駄々をこねるとどうなるのかちょっと興味もあるが、海部さんがチラチラとこちらに目線を送ってくる。俺はどちらかというと英梨々の味方をしたいが、無謀なことは止めたいので考え方としては海部さんよりだ。
「英梨々、ちょっと寝室で席を外しててくれるか?」
「なによー、当事者抜きってどうなのよ」
「お前いるとややこしいからな」
「・・・ふん」
英梨々が寝室に入って、バタンと大きな音を立てて扉を閉めた。
俺と海部さんは目を合わせてから大きくため息を一緒についた。英梨々のわがままに振り回されるのはそれはそれで楽しいのだが、生命に危険が及ぶとなると話は別だろう。
「妥協案ですが、エメラルドのメッカでもあるボゴタまでは許してもらえないでしょうか。首都ですし、そこまで政情が不安定ではないようなので・・・」
「その辺が落としどころでしょうか。ですが、鉱山は流石に無理です」
まぁそうだろう。だが、俺にも考えはある。
「英梨々はボゴタに残して、俺だけで行こうと思って」
ボゴタには日本人が設立に関係している『エメラルド トレード センター』がある。そこまでいけば英梨々は満足するだろう。俺もそれでいいと思う。一方で英梨々も指摘していたが現役の鉱山を見てみたいのだ。このまま帰ったら後悔する気がする。
「俺のことは止められないですよね?」
「おすすめはしませんが・・・理屈から言えばそうですね。まだ安芸さんはスペンサー家に関係ないのですから。けれど、死ねばお嬢様は悲しみます」
「死にます!?」
「はい死にますね。でも、いいでしょう。できるだけサポートは致しますが、途中で中止にすることも踏まえて計画を練りましょうか」
「・・・はい」
『死ぬ』と断言するような場所が存在するのだろうか、にわかには信じられなかった。コロンビアも近代的な国家に成長しているように思えた。
海部さんは最後にもう一度クッキーを1つ食べ、コーヒーを流し込んだ。
「それではお嬢様への説得はお任せしてよろしいでしょうか?」
「もちろん。気苦労が絶えませんね。仕事とはいえ」と俺はねぎらったつもりだった。
「仕事・・・そうですね。ですが、私としてはお嬢様を守ることは『使命』ですね」
「・・・」
それから海部さんは何か考えてこむ様子で部屋から出て行った。どこに泊るか気になったが心配を必要とするような女性でもないだろう。
寝室のドアをノックする。「英梨々。話がついたぞ」と声をかけたが返事がなかった。
中へ入ると英梨々はぼんやりとベッドに座っていた。少し顔色が火照っているように見える。
「少し風邪気味か?」
「平気よ。ちょっと興奮だしただけ」
「そんなにツンケン怒るなよ。相手も仕事なんだからさ」
海部さんは『使命』といった。ずいぶんと重い言い回しの気がする。
「わかってるわよ。それでどうなったのよ?」
「ボゴタのエメラルドセンターまでは行っていいって。それで妥協しろ」
「そう。倫也がそれでいいなら、それでいいわよ」
「俺は良くないから、鉱山行ってみるよ」
「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?」
「死ぬらしいな。海部さんが言ってた」
「あんたねぇ・・・」
「なんか対策考えておくってさ。今日はもう寝ようぜ」
その後ののんびりバスタブに浸かって、それから歯を磨き、日本の加藤や伊織とやりとりをして仕事を少し進め、俺はベッドに横になった。
「エメラルドとってくるから、無事に戻ってきたら結婚しようぜ」
「それ、なんて死亡フラグよ?」
俺は笑ったが英梨々は笑わなかった。想像力が欠如していたのでなく、俺もまた英梨々と同じように世間知らずなだけだろうか。
(了)