梅雨が明けて夏らしい爽やかな7月の初旬。キャンパスの片隅にある木陰で、俺は加藤と一緒におにぎりを食べながら昼休みを過ごしている。加藤は白いノースリーブにスカーフで首元を巻いている。水色のロングスカートで女子大生らしい落ち着きがあるのに、可愛い。
加藤に焼きそばプロポーズの顛末を話した後、「まぁーそうだよね」と実にさめた加藤らしい返事があった。
「なかなか面白いアイデアだったと思うが」
「面白いかどうかじゃなくて、安芸くんが真面目にプロポーズしているかどうかが大事なんじゃないかな」
「いたって真面目なつもりなんだが」
「結婚したいって気持ちがちゃんと伝わらないと。安芸くんは結局のところ英梨々に甘えてしまってるんじゃないかな」
「・・・そう思う?」
「うん」
長閑な時間が流れる。今日は加藤がおにぎりを作ってくれた。その時は素直にごちそうになる。そうでない時は俺が学食でランチを奢る日もある。持ちつ持たれつで関係性は良好だと思っている。いつまでもこんな日が続けばと思う。
「まいったな・・・」
「ただでさえ、ゲーム制作の進捗が滞っているのに安芸くんも大変だね」
「そんな他人事みたいに言わないでくれ・・・スライム娘もダメ出しされたしなぁ」
「ゲームは安芸くんが作りたいように作ればいいと思うけど」
ゲーム作りに関しては加藤は協力的だ。妥協しないようなこだわりがある一方で完成させるという執念も強い。その点では実に頼もしい。
「次のプロポーズどうすっかなぁ」
「プライベートまであまり口をはさみたくないけど。安芸くんさぁ・・・」
「うん?」
「大事なもの忘れているよね」
「大事って?」
「エンゲージリング」
「エンゲージ・・・リング・・・婚約指輪か!」
「そんな驚くようなことじゃないと思うけど」
「あれだろ?左手の薬指にする金のリング」
「それ、結婚指輪」
「跪いて、箱をパカッと開けて、輝くダイヤの指輪か」
「うん。まぁそう。それ」
「給料三か月分?」
「それは商業的な宣伝文句だとは思うけど」
「婚約指輪といわれてもな・・・アクセサリーのことなんてぜんぜんわからないぞ」
「しょがないよね。安芸くんだし」
加藤はおにぎりをモグモグと食べている。いまいち表情が読み取れない。俺は無言でおにぎりをバクバクと食べて、お茶で流し込む。焼き鮭の量と強い塩加減が絶妙だ。固すぎもろすぎないおにぎりの握り加減もいい。ノリの香りもいい。日本の味だ。
とりあえずケータイで『エンゲージリング』を検索にかけてみたが、情報量が多すぎて意味がわからない。だからこそ俺は直観的にわかったことがある。
『英梨々は俺が選んだ指輪を受け取るが、あまり喜ばないだろう』
ということだ。価格はあまり関係ないのは言うまでもない。
それはセンスの問題とはちょっと違う。うまく考えが整理できない。
「じゃ、安芸くん行こっか」
「どこに」
「指輪をみに」
加藤はゴミを袋にまとめてカバンにしまった。それから立ち上がってスカートについた埃を手で払う。俺は理解がまだ追いついていない。
「えっと・・・加藤が一緒に選んでくれるのか?」
「選ぶのは安芸くんが選べばないと。わたしは店を少し案内するだけ。早く終わらせてくれないと仕事に支障をきたすから」
「いや・・・まぁ・・・うん」
午後の講義を受けた後、俺と加藤は一緒にキャンパスを出て池袋のデパートへと向かった。
※ ※ ※
加藤と2人で買い物をするのはひさしぶりな気がする。高校生の時には『メインヒロイン』の名目で無理矢理連れまわしたことがあるがゲームが完成してからはない。いや、英梨々と付き合い始めからはない・・・の方が正確かもしれない。英梨々に気を使っているのだろう。俺からももちろん誘えないし。
デパートに入り、ジュエリーショップのパンフレットを貰いながらアクセサリーを見て回った。
「価格帯は無理してもしょうがないし、3万から10万くらいのものでいいと思う」
「それぐらいなら助かるなっ。給料三か月分ってそれぐらいだから」
「そんなに少なかったっけ?」
「アフェリエイトの稼ぎだとそれぐらい。それが俺の自由になる小遣いだと思ってる。ブレッシングソフトの方は、次のゲーム作りの資金だし使うのはまずいだろ」
「どっちも安芸くんのお金だと思うけど」
高3での冬コミュに出した作品は、霞詩子と柏木エリのコラボ作品として事前に話題になったこともあり売り上げがかなりあった。しかも、2人は報酬を受け取っていない。大学に無事に進学してからは、英梨々や加藤と相談して小さな会社を設立した。税金対策もある。
加藤はディレクター兼、プログラマー兼、会計と総務を担当している。もはやいなければ成り立たない。
この会計を加藤が担当しているところが重要で、俺としては公私を分けたい。英梨々に贈るエンゲージリングのためにブレッシングソフトの予算を使うわけにはいかない。
10万程度の予算があると、宝石は小さいが名前入りのリングが作れる。店の人は加藤が買うものだと思って接客している。
加藤もいちいち事情などは説明しないで、その方向で話を聞き、必要な情報をパンフレットに記入していく。
この辺のドライな感じは実に加藤らしい・・・
デパート二つ回ったので、喫茶店に入ってケーキセットを2つ注文した。
「安芸くんどうだった?」
「さっぱりだな」
「真面目に見てた?」
「ああ、真面目に見てたよ・・・途中からは同じに見えてきたけどな」
「それ、興味がないからじゃないかな」
「そんなこともないが・・・加藤はけっこう楽しそうだったな」
「そりゃあまぁね・・・不機嫌そうに指輪を選んでも店員さんが困るだろうし」
「なるほど・・・加藤はどれが気に入った?」
「わたしは・・・」
バックからパンフレットを2つほど出した。該当するページを開いて赤ペンで丸をする。
「これか、これがカワイイなと思ったけど・・・」
1つはリングが細くてねじれている。その分小さな宝石が目立つ工夫がされていた。もう1つは正当でシンプルなリングで、宝石が目立つように台座に支えられている。
「ああ、どっちもいいよな。3月の誕生石だとアクアマリンだから多少は大きくできそうだけど、9月のサファイヤだと申し訳ない程度の大きさになってしまうよな」
「9月は関係ないから」
「でも、加藤も聞いてただろ」
「一応ね・・・それに安芸くん。普通はダイヤモンドじゃないかな」
「ダイヤモンド・・・」
英梨々は3月生まれで、加藤は9月生まれだ。
英梨々は宝飾品はあまり身につけない。プレゼントでもらった品などもあり、種類はあるものの指輪はつけたことがないと思う。パーティーの時に首元のカットインされたドレスでネックレスをするぐらいだ。
その点では加藤の方が女の子らしく、小さなアクセサリーを身につけていることが多い。
「どちらもカワイイと思うし、一長一短あるのだろうけど、俺としてはやっぱり金属の多い方がしっかりしてていいな。最初のは華奢すぎて」
「うん。それは最終的に安芸くんが決めたらいいんじゃないかな」
「よし。じゃあ買いにくいか」
「もう決めるの?」
「悩んでも結論はそんなに変わらないし」
「しっかり考えたほうがいいんじゃないかな」
店員さんがケーキを運んできた。俺は加藤が貰ったパンフレットにもう一度目を通していく。
漠然と思っていた『英梨々のためのエンゲージリング』はこの中にはない。たぶん、どんな高級ブランドショップを巡ったところで見つけることはできないだろう。
その理由が途中でわかったが、加藤には言わなかった。
加藤も無口に戻ってパンフレットをみながら考え込んでいる。もしかしたら加藤も途中で気が付いたのかもしれない。
俺はケータイで検索をかけて、フルオーダーで指輪が作れないか調べていた。
・・・英梨々なら自分でデザインして発注するはずだ。もしくは自分で作ってしまうに違いない。その確信だけがある。あいつは本質的にデザイナーでありクリエイター側なのだから。
会計を済ませて店を出た。
※ ※ ※
加藤の選んだ店まで2人で戻った。
「なぁ加藤。本当に変な話で・・・怒らないで聞いて欲しいのだが・・・」
「怒る」
「怒るのかよっ!?まだ何も言ってないんだが」
「だって約束できないし」
「うーん・・・女心って複雑だからさ。ただ俺の素直な気持ちとして・・・」
「わたしにこの指輪をプレゼントする?」
「・・・だめかな」
「ダメじゃないかな」
加藤はいつだって、こっちの心を読み通す。まるで隠し事ができない。俺が途中で気が付いていたんだ、加藤が気が付けないわけがない。もしかしたら最初から気が付いていたかもしれない。
英梨々なら自分で作る。
では、なぜここまで連れまわしたのか?・・・俺には加藤の心理までは読み抜けなかった。
「ほら、加藤は高2の時の売り上げも、高3の時の売り上げも受け取ってねぇし」
「それはだってわたしはお手伝いしただけだし・・・」
「今もダウンロード数は増えているし、売り上げはあがってるだろ」
「それはちゃんと・・・一部受け取ってるし・・・」
「確かに俺が送るのは変なのはわかるけどさ」
「帰ろ。安芸くん」
店まで戻ってきて、加藤が「帰る」と言い始めた。このまま返したら行けない気がする。けれど、俺が加藤に指輪を買うのはお角違いなのもわかる。
「なぁ加藤。資料として・・・あるいは、俺の練習として買うのはどうだろう?」
「苦しい理由じゃないかな。それに何の練習をするの?」
俺は首を振る。そんなに大層な金額の指輪じゃない。大学生なら一ヵ月もバイトすれば十分に届く金額だ。給料三か月分なんてうそぶく必要もない。
ピンクゴールドに小さな宝石をあしらっただけのカワイイアクセサリーだ。『エンゲージリング』なんて代物じゃない。
恋人が一周年記念や誕生日に送るような・・・そんなリングだった。
「友達として・・・贈りたい」
「自分で買うよ」
「なぁ加藤・・・」
「それ以上はダメだと思う」
「理由はあとから考えるから、とりあえず発注しようぜ。段取りもわかるし」
「・・・そういうのってずるい」
ポリポリと頭を書く。話がめちゃくちゃなのはわかる。
「俺・・・加藤にも指輪を贈りたいんだ」
デパート内ではサマーセールの案内放送がされていた。けれど内容は耳には届かない。
「・・・にも・・・ね」
加藤はそう呟くとフゥーと息を大きく吐き出した。
「じゃ買おう。安芸くん。隣に座っててくれる」
「ああ。うん」
「サインだけしてくれればいいから」
「わかった」
お店の人に加藤が声をかけると、テブール席に案内された。その場で購入して現物が貰えるものではないらしい。もちろんサイズが合えば買うこともできるが、セミオーダーシステムで細かいところはカスタマイズできる。
「ニ連リングのこのSSタイプ・・・」
「金属はピンクゴールドで・・・」
「ピンクサイファイアで・・・」
「サイズはこの〇カラットで・・・」
俺は言われた通り隣で黙って座っていた。「えっ?」「えっ?」「何?」「どゆこと!?」と加藤がオーダーを追加するたびに心の中でツッコミをいれておく。
店員さんはテーブルの上には実物のサンプルを並べていく、それから完成予想図をノートPCに映し出した。
・・・俺がさっき喫茶店で確認した可愛らしいリングと違うような気がする・・・
加藤はときどき笑顔を見せながら、店員の話に相槌を売っている。「いい彼氏さんですねー」と言われても、俺は苦笑いしかできない。
商談がまとまると見積書が作成された。加藤がそれを見てうなずくと店員さんがプリントアウトをする。
「じゃ、安芸くんお願い」
そういうと店員からボールペンを受け取った加藤は、俺にペンを差し出した。
「えっと・・・」
「ヤサシイ カレシデ ウレシイナー」
「加藤!?」
見積書の桁1つ多い。さっきの予算の5倍以上するんだが!?
「最初に約束したよね。サインだけするって」
「あっ・・・はい」
俺はよくわからずサインをした。ニコニコ現金払いできるような金額ではない。
「でも加藤・・・俺・・・持ち合わせないぞ」
「カード」
「限度額10万までなんだけど」
「そう」
「そうって・・・おまっ」
加藤が自分のサイフからカードを出して清算した。
「あとで会計処理しておくから心配しないで」
「あっ、はい・・・」
なんか人生で初めてめちゃめちゃでかい買い物したんだけど・・・これを超えるのは車を買う時ぐらいじゃないだろうか・・・
英梨々がコミュケで爆買いしてもここまでの金額にはならない。
でも加藤は表情も崩さずに会計を済ませて店から出た。
店員さんはにこやかに笑って深くお辞儀をしていた。
※ ※ ※
「倫也。ずいぶん奮発したわね」
えっ?何のことだ?と俺は戸惑った。
家に帰ると部屋には英梨々が遊びに来ていた。クッションに座って足を抱えて体育座りをしている。テレビには録画したアニメが映っていた。
ピンクのミニTシャツには自分でデザインしたコミカルなレッサーパンダが描かれている。小さな胸の膨らみがはっきりとわかり、ちとエロい。最近してないせいだろうな。英梨々をみただけで悶々とするんだが・・・
「恵に指輪買ったでしょ」
「ああ・・・うん」
「なんであたしが知ってるんだ?って顔しているわね」
「どういうこと」
「恵は隠し事したら、あたしたちの関係性が破綻することぐらいわかるわよね?」
「いや、わからん・・・」
「倫也は男で、恵は女でしょ」
「いや、まぁそうだが・・・別にやましいことはないぞ?」
「指輪を贈ること自体がやましいことだとは思わないのかしら?」
「正直、思いました。でもさ英梨々。加藤って・・・」
「何よ」
「加藤・・・あいつはいつも報酬受け取ってなかっただろ」
「だから?」
「何か理由をつけて・・・渡したかったんだよ」
「どうだか。それに別にあたしは怒ってないわよ?勘違いしないでよね」
「そこは『勘違いしないでよねっ!ふん!』じゃないのか?」
「別に今ツンデレ必要ないわよね」
「やっぱ、怒ってね?」
まったくもって意味がわからん。俺は英梨々のケータイをみせてもらって加藤とのやりとりを見た。
そこには淡々と報告が書いてあった。
『安芸くんから指輪を貰った。金額は〇〇〇,〇〇〇円』
「誤解招きそうだな!」
「誤解も何も事実でしょ」
「そうだが・・・一応経緯だけ弁明していいだろうか?」
「構わないわよ。必要ないけど」
「必要ないのか?」
「だって、恵が受け取ったという事実の方が重たいのよね」
なんかこじれてそうだったので、洗いざらい今日あったことを英梨々に話をした。
「うん。だから、恵が受け取ったことの方がでかいのよ」
「・・・どういうことだ?」
「謝礼って、受け取らないのが一番特別なの」
「・・・ん」
「その金額って、過去の売り上げから恵の分の取り分としては妥当でしょ」
「・・・言われてみればそうだな」
「そういうことよ」
「えっ?どういうこと」
「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?」
「いや、ぜんぜんわかんねぇよ・・・」
英梨々が深くため息をついた。
「もういいわよ。とにかくあたしが怒るようなことじゃないし、嫉妬するようなことでもないのよ。それがわかったならそれでいいわよ」
「ふむ・・・問題ないんだな?」
「ないわよ」
なら良かった。そうなのか?
「じゃあさ、次は英梨々のリングについてなんだけどさ」
「うん」
俺はどういっていいのかわからず、頭をぽりぽりとかきながら、
「プロポーズに結婚指輪贈りたいから、結婚指輪作ってくれ」と言った。
英梨々がポカーンと口をあけてパクパクしている。どうも声がでないらしい。
「いろいろ考えたんだけど、それが一番良さそうだと思ったんだが・・・俺間違ってるか?」
「間違ってるけど、間違ってないわね」
「だろ?」
「それに、倫也。そのセリフは中々好きよ」
「どのセリフだ?」
英梨々がニヤニヤしていた。
変な日だった。加藤は指輪を受け取ったし、英梨々は怒ってないどころか機嫌がいいし、俺にはさっぱりわからなかった。
(了)
ちなみに、恵に贈った指輪の想定価格は、30万円程度(約2000ドル)。
ハイスペックPCも上にキリがないが、倫也としては初の高額のお買い物だ。
英梨々の欲しがるエンゲージリングの対比としては妥当な金額な気がする。