風呂は我慢できるが、トイレがね・・・
なので、英梨々のトイレ事情を長々書いたら実に変態的になったの大きく割愛した。
10月の中旬になって、スリランカの南部は雨季にそろそろなるらしい。今日は快晴でリゾートらしい青くて綺麗な空が広がっていた。
ラジャと一緒に英梨々を空港まで迎えにきている。英梨々を呼んだら翌日に来るといういうので準備する時間がなかった。それでも村のみんなに協力してもらえることになった。
夏から始まったこの旅の目的は、英梨々へ贈るエンゲージリングを作ることだ。スリランカでガリンペイロの真似事をして過ごすとは、当初は思いもよらなかった。何よりも英梨々が挫折したことも想定外だった。
俺は英梨々には立ち直って欲しいと思っている。この表現は大袈裟かもしれない。英梨々は日本の美大に通っている健全な学生だ。絵の才能を磨き、将来も明るい。その本道に対しては妥協もしていないし、挫折もしていないのだ。
ただ、世界を飛び回って宝石集めるのを諦めてしまっただけなのだ。
スリランカで2か月程がんばって、俺はここで信頼を勝ち取ることに成功した。ラジャの村でなら、英梨々が最初に空想していたような宝石探しができるのだ。泥にまみれて宝石を探しても、もう英梨々の身に人為的な危険が及ぶことはない。
※ ※ ※
ゲートからキャリーバックを引いた英梨々が、あたりをキョロキョロと見て俺を探している。
久々に見る英梨々は美しかった。
いつまでも子供っぽいツインテールの美少女ではなかった。この2か月離れただけで、印象がだいぶ変わったと思う。
英梨々は律儀にもツインテールにして、ネイビーブルーのリボンをしていた。夏らしいノースリーブのワンピースはデニムの生地で、大きなボタンは木製でオシャレだった。動きやすい運動靴を履いている。
英梨々が俺を発見できないので、「英梨々っ!」と、こちらから声をかけた。
英梨々は俺の方を向き、目を凝らして眉間に皺を寄せ、それから顔が少しひきつっている。それはそうだろう。
「はぁ?あんたバカなの?誰よ?」
「俺だよ、俺」
「はぁ・・・なんで、そんなんなっちゃっているのよ」
「成り行きでな・・・」
「もう完全に現地人じゃないの」
そう、俺は焼けていた。
色白いひ弱なパソコン少年の俺はここにはもういない。サンオイルで紫外線対策をしたのは最初の数日だけだった。オイルが無くなり俺はその効果を身をもって知った。クビが焼けて真っ赤に腫れた。それでも濡れタオルを首に巻いて、俺は来る日も来る日もガリンペイロとして砂利と格闘していたのだ。
そりゃ、真っ黒に焼けるさ。
「なんで髪の毛も切ってないのよ・・・ボサボサじゃない」
「どう?いい感じだろ?」
「ただの野生児ね・・・」
「ワイルドじゃない?」
「・・・ワイルドっていうか・・・ただのホームレスよね」
「ひどくない!?」
英梨々がクスクスと笑った。
この笑顔だ。笑うとちょっとだけ見える八重歯が最高に可愛い女の子。俺が守りたかった取り戻したかった笑顔だ。
コロンビアから帰ってきてから、憂いたように沈む英梨々をみたくなかった。夢見る事を諦めて、現実的に解決しようとする大人の英梨々は魅力が欠けていた気がする。バカげたわがままを言ってこそ英梨々なのだ。
東京での生活など聞きつつ、ラジャの待っている駐車上まで移動した。今やこのトラックもエアコンが付いている。タイヤも新調し車検済だ。とりあえず道中で故障やパンクの可能性は少ない。
もう少し鉱床の方が軌道にのって安定すれば、新車を買うの夢じゃない。あるいはこんな買い出し用の作業車でなくて、乗り心地のいいセダンや、かっこいいスポーツカーも買えるかもしれない。
「やぁ・・・」と呟いたきり、口をあけてラジャが驚いてる。
ふっふっふっ・・・そうだろう。俺は英梨々の話はたくさんしたが、英梨々が金髪のハーフということは秘密にしていた。写真なども見せなかったのだ。
『だって、写真見せたら信じてくれなくなりそうだから』
俺の遠大な計画、「フィアンセに最高のサファイアを届けたい」という野心のためにも、嘘っぽい話は除外していた。普通は写真をみせた方が信用があがるが、英梨々のような美人すぎる場合は信じてもらえなくなるのだ。
「彼女が君の・・・?」
「俺のフィアンセ」
「違うでしょ。フィアンセになるための指輪を作っているんだから」
「そうだな。俺のガールフレンドだ」
「はじめまして」
英梨々はにっこりと作り笑顔をして、ラジャと握手をした。ラジャはまだ夢でもみているかのように英梨々を眺めている。
「はじめまして・・・これは驚いた」
「驚かせたかったんだ。けっこうな美人だろ?」
「いやぁ・・・」
ラジャは言葉がでないようだ。助手席に乗っていたラジャの恋人の雑貨屋の娘も出てきて、英梨々と挨拶をしている。
せっかくのコロンボなのでドライブがてら一緒に乗ってきたのだ。女性がいた方が英梨々も安心すると思ったので連れてきた。
ただ、このトラックは2人乗りなのだ。
荷台が後ろについている。しかも作業車なのでけっこう汚れていた。昨日の今日なので対して掃除ができていない。
「それでだな、英梨々・・・スリランカは安全なんだがな、俺らのアジトを通るには敵の敷地を通らないといけなくてな・・・これを身に着けてくれ」
「はい?」
俺は英梨々に防弾チョッキを渡した。
「はぁ?なによこれ」
「防弾チョッキだ。念のためな」
俺も防弾チョッキを着る。これは中古品だが本物だ。政府がぐらついていて軍も統制がとれていない。軍需物資を横流ししているものがいて、裏社会では当たり前のように取引がされている。銃も簡単に手に入る。ラジャの村でも軍備は多少あるのだ。
コロンビアのように強い縄張りがあるわけでないが、マフィアはいる。いない社会はないだろうが。村が宝石で潤ってくれば摩擦も起きるのだ。早めに対策をしていた。
英梨々に防弾チョッキを着せる。それから迷彩柄のヘルメットをかぶせた。なかなか似合うのは元がいいからだろう。いっそうことレディースの迷彩服でも用意すればよかったか。
「ちょっと・・・ほんとに大丈夫なんでしょうね?」
「たぶん、平気だ」
ラジャと恋人は苦笑いして、こちらの様子をみていた。これも俺なりの演出なのだ。まさかコロンボの街やラトゥナプラがこんなに観光地として発展しているとは思わなかった。多少は緊張感があったほうがいいだろう。
それに都市部ではそれなりに道交法も厳しくなってきていて、堂々と荷台に人が乗っていると捕まる可能性もあるかもしれない。隠れて乗る方が無難だ。
「荷台に乗ってくれ」
「冗談よね?」
「残念だが、冗談ではない。一応マットレス引いておいたから」
「あんた・・・いくら我慢できないからって、あたしトラックの上はいやよ!?」
「あのな・・・そうじゃねぇよ。ガタガタ揺れるからな。クッション変わりだ」
英梨々を荷台に乗せて、俺も乗りこんだ。ラジャが後ろアオリをロックした。それから、英梨々を積んであったダンボールの間に寝かせてシーツをかぶせて隠した。
俺は隣で膝をかけて座っている。一応スコップを抱えて作業者風を装った。これなら見つかってもだいたいは許されるようだ。スリランカの工事関係者はこんな風に乗っていた。仕事している人を警察も取り締まりなどはしないのだろう。
ガタガタガタとトラックが揺れながら街中を走っていく。コロンボの観光は明後日ぐらいにできるだろうか。今日はラジャの村に泊ってもらうが英梨々が何日も耐えられるかどうかはわからない。
水洗トイレの工事までは間に合わなかった。水道関係は素人だけでは難しく自費でやってもコストがかかる。だからといって英梨々が川のトイレで用を足すとは思えない。
そこで簡易トイレを用意した。未使用の英梨々専用トイレだ。一応、ベニヤの壁で囲ってある。
トラックの荷台で英梨々はおとなしく体を丸めて隠れている。素直なやつだ。俺の手をギューッと握っているのは、怖いのか、ひさびさに会ったからだろうか。
トラックが街中を抜けて海岸線に出た。リゾート地域で建物も新しいものが多い。ここまで来れば道路も混んでいないので頃合いだろう。
「英梨々、もう大丈夫だぞ」
「ほんとに?」
俺は英梨々にかけていたシーツをとってやった。常夏の強い太陽の光が英梨々の金色の髪を輝かせた。英梨々は眩しそうにしていた。もう16時を回ったが太陽が明るい。
「ようこそ、スリランカへ!」
一面に広がるインド洋。セーリグンして楽しんでいるヨットがたくさん浮かんでいる。
海岸には人が大勢いる。道路は凸凹している。あと電線がやたら多い。そんなところがアジアらしいと言えるかもしれない。
コロンビアのカルタヘナの方がずっと綺麗に発展していた、スリランカの方が観光地としては貧しいからだろう。どちらも魅力的な部分はある。
「いいところなのね・・・なんか思っていたのぜんぜん違う」
「だろ?」
「あたしはもっと汚くて雑踏にまぎれるような場所だと思ってた」
「そういうところもあるけどな。アジアらしい混沌とした地域もスラムももちろんある」
「ここはずいぶんと発展しているのね。スリランカなんて紅茶畑しかないのかと思ってた」
「それは日本に忍者がいるのと同じぐらいの偏見なんだろうな。あとな、スリランカは仏教の国であちこちに立派な寺院があるぞ」
「そうなの?」
「何も知らんよな。俺なんて宝石が採れることも知らなかったし」
広々とした海岸線をトラックの荷台に乗ったまま走るのは新鮮で良かった。なんだかヒッチハイクをしている気分になる。ただ日中なので太陽が真上にあって暑い。英梨々と2人で途中からシーツをかぶって日陰を作った。英梨々が近くに来るといい香りがした。
ラトゥナプラは東にあるので、トラックは途中で内陸方面へ進路を変えた。
主要道路は舗装されているが、道路の外側は地面が剥き出しで土埃が舞っている。ほとんどが平屋で、物置みたいなバラックの家が多い、たまに二階建ての家がちらほらとある。自然は多く残っていて大きな木は生えている。田んぼや畑が延々とつづく。どこも人が多くて道路脇でなにやら作業しているのが見える。
「のどかな田舎って感じね」
「穏やかな人が多い印象だな。のんびりしているというか、日本みたいにきっちりしていないし、こだわらない。流石に繁華街なんかは商魂たくましいけれど、それでも雰囲気はだいぶ緩いと思う」
「倫也もこういうところで暮らしていたの?」
「俺はもっと田舎で、秘密の隠れ里みたいな所だな。未開の土地に家建てて、井戸は掘りましたみたいな」
「ネット通じないものね」
「たぶん、この辺の田園でもネットは通じないぞ。都心のコンクリートとか鉄塔が見えたらようやく使える感じだ。俺のいた村は水道もガスもなかった」
「どうやって生活しているのかしら?」
「なければないでなんとかなるよ。常夏だしな。風呂なんかわかさなくても川の水で十分だし・・・」
「それって倫也が適応しただけじゃないの」
「そうかもしれん。一応プロパンガスのボンベを買って使えるキッチンも一か所あるけれど、基本は薪を燃やすカマドで生活している。でも風呂はどこにもなかったな」
「汚いわね。でもそんなに臭わないわよね」
「いつでも川に入れるからな。でも、俺は村に風呂が無かったから作ったよ」
「はい?」
どこまで似たような風景が続いているので、俺は飽きてきて横になった。マットレスを持ってきて良かった。英梨々も隣で横になった。
日が傾きかけている。直射日光が当たらないだけマシである。
「カマドで薪を直接燃やすからさ、あれって効率が悪いんだろ? 砕いた岩と砂利と泥は腐るほどあるからさ・・それで炭を作るでっかいカマドを作ったんだよ。陶芸とかもできそうなやつっていえばわかるかな?」
「イメージはわくわね。でもあれって難しいわよ」
「そうなんだよ!ぜんぜん炭ができなくてさw」
炭焼き職人がいるぐらいなのだ。思いつきで修行もしていない俺がすぐにできるわけがなかった。炭ができる理屈がわかっても実践は難しい。
「だから、そのカマドを改良しつつ、薪を燃やしている時の意熱がもったいないだろ?だからカマドの上でお湯を沸かしてさ・・・それを流しいれて露天風呂は作ってみたんだよ」
「面白そうではあるけど・・・」
「川の水がもともと泥を含んでいてさ、綺麗な露天風呂はやっぱりできなかったな」
「何もかも手作りなのね」
「そういうこと。試行錯誤の連続だけど、それはそれでけっこう楽しい。囲いもなくてまったくプライバシーが守られない環境だけど、入りたいなら沸かしてやるぞ」
「村のみんなは入ったのかしら?」
「もちろん入ったぞ。けっこう喜んでくれて、今も日々改良されている。でも泥水だから入浴後は川でドロを洗い流していたけどな」
「馬鹿らしい」
岩を敷き詰めてだんだんと綺麗な露天風呂になりつつある。川の水を電力をつかってポンプで汲み上げる。その水で土砂を洗って選別する。溜まった水を利用してザルでさらに選別にするのに使う。
その水を再々利用して沸かしたのでドロ水なのだ。井戸の水は貴重なので飲食用にしか使わない。後はカメに水を貯めて顔を洗うぐらいだ。
こうして、英梨々とは手紙に書ききれなかった話をしつつ、トラックに揺られていた。コロンボからラトゥナプラまではだいたい3時間ぐらいかかる。今回は海岸線の迂回ルートなのでもう少しかかるだろう。着くころには日は完全に沈むだろう。
※ ※ ※
ラトゥナプラの街は発展しているので電灯が灯る。名所の宝石博物館に駆け込んだがギリギリ間に合わず、受付にチップを払って無理矢理いれてもらった。この融通性はもはや日本にはないだろう。
「ここが一番安全に宝石が買える。他にも宝石店なら街にたくさんあるし・・・そこら中でバイヤー同士の取引しているよ」
「お買い得?」
「偽物も多く出回っていて、俺はまず買いたくないな。目利きができるなら100ドルもだせば良いものが手に入るし、5ドルとかでも面白い原石が買える」
「楽しそうだけど・・・」
ここが面白いのは、いろんな段階の宝石が手に入るところだろう。原石があって、軽く磨いたものがあって、しっかり研磨された裸石があって、加工された宝飾品もある。
英梨々は興味深そうに見学していたが、宝石そのものよりも職人たちの研磨したり、加工したりしている様子の方が気になるらしい。宝石博物館では工房も併設されて見学できるのだ。
ラジャの村では原石を採掘して売るだけだったが、現在は研磨する機械も購入して、試験的にクズ原石で練習している。軽くでも綺麗にした方が売りやすいのだ。それをできるだけ高く売りさばくなら、このラトゥナプラに店を持つのだいいだろう。しかしそれには資金やノウハウも必要だろうし、マフィアなどの裏社会との約束事なども必要だ。下手なトラブルはできるだけ避けたい。
「面白い人を紹介してやろう」
俺は中央公園の方へ移動した。ラジャと恋人は買い出しに行くので一度別れた。パラソルがいくつも並んでいて、テーブルの上で宝石の取引をしている。
英梨々にも次々に声がかかる。もう防弾ジャケットもヘルメットも脱いでいるので普通に観光客のお嬢様にみえる。この街では金髪は珍しいのでいいカモに映っているかもしれない。
英梨々は楽しそうに自前のルーペで、バイヤーが売りに来た原石や宝石などをみている。どれもキラキラしているが人工のものもあるし、ひどいのはただのガラス玉なのだ。
宝石っぽく加工された色付きのガラスはそれはそれで綺麗で見分けがつかない。偽物は偽物で工場があって職人が作っている。技術は日進月歩で発展しているから、素人目にはわからないのだ。
「倫也、これ安そうなだけど・・・」
英梨々が見せたのはアクアマリン風のガラス玉だ。わざわざ汚れが入っているところがなんともいやらしい。空気が含まれている粗悪品だ。天然のインクルージョンとはぜんぜん違うからルーペを使うまでもない。
「いくらだって?」
「100ドルを80ドルまでまけてくれるって」
「そっか。1ドルでも俺は買わない」
「偽物?」
「ああ、粗悪品だな」
俺は声をかけて追い払った。この場所にも毎週末何度も来ている、真剣にバイヤーをやっていたせいか、もう宝石をみなくてもバイヤーの様子で本物か偽物かわかるようになってきている。基本的にこやかに観光客に声をかけているのが偽物を取り扱うバイヤー達だ。
本物のバイヤーはパラソルのところで悠然とカモをまっている・・・それはそれでなかなか深い世界なのだ。
「ハロー」と、俺は小太りのアロハシャツのおっさんに声をかけた。これぐらい日が沈んでからの方が賑わい始めていた。手土産に缶ビールを渡した。流石に俺の顔を覚えてくれている。何しろ二ヵ月だ。週末しか顔を合わせていないとはいえ、俺からすると師匠みたいな人で大変お世話になっている。
「彼女が俺が話したフィアンセです。サファイアを贈ろうとした・・・」
「はっはっはっ。イッツジョーク」と言って、信じてもらえない。写真では冗談としか思われていないが、実物をみせても否定される確率も高い。
俺は英梨々の肩をグイッと抱き寄せた。「本当だよ」というと、3度確認し、英梨々が認めたので、渋々納得していない様子で受け入れてくれた。
「このおっさんはとても信用できる。もし、おみやげを買いたいなら彼のところがいいよ。値段は交渉すればだいたい半額になるから、1/3程度の金額をふっかけてから交渉を始めるといい」
「倫也もだいぶ慣れているのね・・・」
「彼女が何かおみやげに手頃なものを買いたいらしいのだけど、店へ案内してくれる?」
「OK 着いてきな」
アロハシャツのおっさんはテーブルの上の原石を麻布にすばやくしまった。彼がここにいるのはバイヤーから原石を仕入れるためだ。ここが一番市場的に活気があり流通している。しかし確かな目利きが必要だ。みんな海千山千で騙そうとしている。一番の狙いどころは不正をしたガリンペイロの掘り出し物らしい。要するに採掘現場からの盗品だ。
盗品はなかなか店に売りにいけないので、ここで安く売りさばく必要があり、その受け口としてアロハのおっさんの存在価値はある。彼らは顔を覚えられたくないので、交渉もあまりしない。バカみたいな格安の値段で良い原石が手に入る時もある。
以前その話を聞き、気になった俺は休日に半日ほどコーラを飲みつつ人の様子を伺ったことがある。観光客はすぐわかる。偽物バイヤー、信用できる仲介業者、外国人の買付けバイヤーなどなど、だんだんと分かってくる。
そんな中に挙動不審な若い貧乏そうな子がいたら、まず間違いない。彼らはコソコソと声をかけ、お金を受け取って走り去っていく。
鉱山の村で育ったラジャですら宝石の価値がはっきりわからなかったのだ。現場で土砂にまぎれているような少年がわかるはずもない。見つかれば殺されて文句いえないし、ひどい仕打ちを受けるのは間違いない。そんなリスクを侵して手に入れた宝石を100ドルにも満たない金額で売ってしまうのだ。それでも彼らの1か月分の給料以上だが。
一攫千金の夢もあるが底辺の仕事なのも事実だった。それがガリンペイロだ。成功するには運と賢さが必須だった。バカだと騙されるだけだ。
話を戻して、英梨々がアロハのおっさんの店に入った。この店はメイン通りよりも1つ裏通りにある。看板も派手に出ていない。表通りの宝石店ほど派手に営業していないのは、それなりの戦略なのだ。掘出物があるようでない。それがアロアのおっさんの商売方法だった。
店の右側の棚には無駄に0の多い商品が並んでいる。巨大な原石がそうだ。大事なものはレジ横の綺麗なショーケースに入っている。値段も強めの設定にしてある。左の棚は気楽な金額で100ドル以下の物も多い。観光客の手土産用だ。今ではラジャの村で加工したプラスチックに入った原石も扱ってくれている。なかなか人気の商品らしい。
英梨々が店をぐるっとみて、ショーケースの前のイスに座った。この辺の感覚は確かなのだ。さっきは路上のバイヤーに騙されそうだったが、本物がずらりと並ぶと良さげなものがわかる。嗅覚みたいなものだろうか。
「倫也、このルビーとかサファイアは本物なのかしら?」
「ああ、本物だよ。その価格でも表通りの価格よりも2割は安い。けれどスリランカ価格とはいいがたいな」
「ほんとに半額になるの?」
「最大限交渉したらな。3~4割引けたらいい方だろう」
「そう・・・」
俺は英梨々を見守る。好きに買えばいい。ここなら損はしないし偽物を掴まされることもない。宝石博物館の次ぐらい信用できる。アロハのおっさんのモットーは本物を安く仕入れて安く売ることなのだ。阿漕にはぼったくらない。
アロハのおっさんも、まさかこの小娘が何万ドル単位を即決で買う金持ちとは思うまい。
せいぜい1000ドルぐらいの物が売れたら良客だと思っているはずだ。実際、小粒のルビーやサファイアを勧めている。上質なもので価格帯は1500ドル。交渉して1000で売ろうとしているのだろう。小粒といっても日本で買えば30万クラスの良質な宝石だ。半額で買えると考えれば各段に安い。
けれど英梨々はそんなものには興味がなかった。ひときわ大きなキャッツアイにさっきから目線がいっている。
キャッツアイ。
線上にインクルージョンが入ることで縦に綺麗な模様がはいる。クリソベリルは黄緑色の石が上質とされているが、完全な透明でなくて少し乳白色に濁っている。俺には難しすぎて正しい査定ができない。希少性がわからないから、転売には手を出す気はしない。『DBS』に売った原石の査定額もまちまちだった。驚くような価格の時もあれば、おや?という安値の時もある。難しい石なのだ。
それでも真実があるとすれば、やはり綺麗な石が高いということだろう。
英梨々が見ていたキャッツアイはプラチナ製の指輪だ、8000ドルだった。かなりでかい。6カラットはあるだろうか。こんなでっかい宝石の指輪は成金しかつけないだろう。周りのダイヤの細工も凝っている。
「これ見せてもらえるかしら?」
アロハのおっさんは、やれやれという風に俺の顔を立ててか、ショーケースからキャッツアイを取り出した。英梨々はそれをじっと見ている。
「おいくら?」
「8000だけど、お嬢ちゃん可愛いから7500でいいよ」
「けど、このキャッツアイ。線が少し歪んでいるわよね?」
「それぐらいは歪むものさ」
「色も大きさもいいけれど、そこだけが残念ね」
「7000でどうだい?」
アロハのおっさんが俺の方をみている。俺は目をそらした。英梨々はまだ値段を口にしない。おっさんはまさか買うとは思っていないのだろう。お嬢ちゃんの相手をしてくれているのだ。
「4000なら今即決で買うわ。それ以上ならいらない。他に気になるものはないし・・・」
「ちょっとまってくれ・・・そんなに引いたら店がつぶれちゃうよ」
「そう、残念ね」
英梨々は立ち上がって「倫也いこ」と言った。「おっさん困ってるだろ、直球すぎるだろ」「倫也が言ったんでしょ。半額になるって」
「本当に4000なら買うのかい?」とアロハのおっさんが言った。
「ええ、買うわよ。カードでいいのよね?」
「いやぁ、半額は無理・・・5000でどうだい?」
英梨々は首を振って、俺の腕に腕をからめた。「面白いわね。ほんとにどんどん下がるのね。2000ぐらいならないかしら?」「ならない」と俺は答えた。正直4000で売ってくれるかどうかは怪しい。
英梨々が座って、「4000」といって、クレジットカードを出した。そのカードの信用はピカイチである。金持ちしか持っていない。
「・・・いやぁ・・・4500」アロハのおっさんが困っていた。売りたいが利益がでるのかどうか。
「4000」
こいつ直球勝負しかしない。妥協がない。1/3ぐらいから始めろといったのに。しかし実際おっさんが困っているのをみると、4000は安すぎるのだろうか。並んでいる商品の中では高価そうだ。キャッチアイの中では一番高い。
おっさんは手をあげて降参した。
「いいよ。それで」
「そう、ありがとう。なら、この1500ドルのトパーズも貰うわ」
「・・・」
「それは値引かなくてもいいわよ」
英梨々は5500ドルを一括で支払った。
「トモヤ、君は何者なんだい?」と、アロハのおっさんが聞いてきた。
「マンガ家のアシスタントで、彼女がそのマンガ家」
「・・・だから金はあるんだな。まいったよ」と、おっさんは納得していた。
英梨々は店に出てから、ホクホク顔だった。俺には半額でも5500ドル支払う神経がわからない。欲しかったわけでも、探していた石でもないからだ。
「ママへのおみやげにちょうどいいわよ。確かこの色のキャッツアイはもっていなかったし」
「そうかい。それは良かったな」
「お買い得なのよね?」
「だいぶな・・・」
「何よ、倫也を信用して買ったのに。これで安物だったらどうするのよ」
「それは日本で鑑定してから違ってから言ってくれ。トパーズも欲しかったのか?」
トパーズは黄色い石で比較的手に入りやすい。ダイヤ、サファイヤ、ルビーなどに比べると少しランクが下がる。大きさはないが質のいいトパーズだなと俺も思っていた。
「だって、可哀想だったでしょ。これも粘れば半額になったんでしょうけど」
このあたりの匙加減が英梨々らしいと思った。店で情報を集めるだけで商品を買うようなところがある。それはもうプライドというよりはマナーみたいなものなのだろう。
その後、ラジャたちと合流して村へと向かった。
※ ※ ※
ラジャの恋人を雑貨屋まで送り、その後も少し話し込んでいた。別れがたいのだろう。近いうちに結婚するだろうが、今はラジャも仕事が増えて忙しいのだ。落ち着くまでは難しいかもしれない。
英梨々はトラックで寝そべりながら夜空を見るのが楽しかったようだ。俺も隣で見ていたがどんどん星の数が増えていく。
隣にいる英梨々がみえないほど、あたりは真っ暗になっていった。この当たりの街だと街灯があまりついていないからだ。
ラジャの村に戻って車を停めた。そこから少しの距離を村長の家まで歩いた。ラジャは真っ暗闇だがなんとなくわかるのだろう。俺は懐中電灯がないと無理だ。
村長の家に挨拶をした。村長夫人は食事の支度をしてくれていた。俺は英梨々を紹介し、英梨々にも2人を紹介した。
英梨々はキャリーバックから油絵を取り出した。この夫婦の肖像画である。俺が画像データを送って英梨々に仕事として発注しておいたのだ。
「お世話になったお礼です」
俺が英梨々から受け取って渡した。額に入っているが重厚感はない。気楽に飾ってもらえるだろう。村長夫妻はとても喜んでくれていた。
俺のイメージは校長室に飾ってある歴代校長の写真である。ここは学校も兼ねているので飾って欲しかったのだ。
英梨々が美大生であることを話したら納得していた。
歓談をしながら食事をした。村長夫人のスリランカ料理は美味しい。何よりも野菜などが採れたてなのだ。変に手間をかけていないのであっさりとしている。香辛料が各種とりそろっていて、なかなか刺激的なものが多い。ご飯もターメリックなどをつかって黄色く炊いている。いろんなカレー料理といった方がわかりやすいかもしれない。
加熱した料理で腹を壊すことはないのだが、実は辛いので水を飲んでしまう。その水で俺は腹を壊した。今はもう井戸水をそのまま飲んでも平気だが、最初はひどかった。英梨々にはミネラルウォーターを用意して、それを飲んでもらった。
英梨々も料理には満足してくれたようだ。辛い辛いと言いながらもよく食べている。お米があるので食べやすい。
英梨々は時間が気になったようで「今夜はどこに泊るのよ?」と途中で聞いてきた。「ここ」と俺は答えた。
この村長の家のコンクリート二階建てが一番マシな建物なのだ。一階の教室兼会議室の部屋で寝る予定だ。寝袋だけ二つ置いてあるが、暑いのでほぼマットレスのように使うだけだ。
「あれ・・・お風呂は?」
「露天風呂のことか?みにいくか?」
「あんたねぇ・・・どこにあるのよ」
「さっきの暗闇のどこか。懐中電灯つければわかるぞ」
「クマとか出ないわよね」
「クマはみたことないな。野良鶏がいるのと、野良犬がいるな。猿はよくみかける。案外、夜は猿が入っているかもしれないな」
「いいわよ・・・我慢する」
「その方がいい。どうせ、明日も汚れる」
「そういう問題なのかしら?」
「明日わかるよ」
村長はひさびさの酒をたらふく飲んだせいか先に寝てしまった。村長夫人は話が長い。学校の先生はどうしてこう話が長いのか。英梨々も最初は愛嬌があるが、この手の人物が苦手なタイプだ。日本語は通じないからニコニコしながら、俺に文句を言っている。
「そろそろ長旅で疲れているので・・・」と俺が言って帰ろうとした。話を切り上げてからも、また話がはじまって、3度目でようやく逃げられた。
歯をペットボトルの水で磨いた。そして英梨々が不安そうに、「トイレは?」と聞いた。
「ああ、英梨々のために特別に用意しておいたぞ」
「あたしのため?」
俺は懐中電灯をつけて外に出た。この建物の脇に作ったのだ。英梨々のために用意したトイレは未使用なのでまだ綺麗である。
※ ※ ※
英梨々がぶつぶつと文句を言いながら寝袋に入った。「暑くて無理ね・・・」と言った。
「寝袋を開けば布団みたいにはなるから。それを敷いて寝たらいいと思う」
英梨々は今日何度目のかの「本気?」と確認したが、諦めて横になった。
「なぁ英梨々。不満に思っているだろうけどさ」
「うん。不満だけど」
「ここが村で一番いい家だからな」
「・・・」
「他は密室ですらないから、寝ていると虫が・・・」
「いやぁ・・・やめてよ・・・」
「でもさ、ここで寝たことないからわからねぇけど、ここも大した密室じゃないし、多少は出るかもな」
俺も寝ている時にムカデが落ちてきた時は驚いた。あれはヤバイ。ゴッキー系は日本でも見慣れていたので平気だった。
だいたいヤモリみたいのはどこにでもいる。クモもいる。最初は気になったがその内なれる。そんなもんだ。
「ずっと起きているわよ・・・」
「起きてても出る時は出るだろ。窓は閉まっているし、入ってくるとしたら、あのドアぐらいだから平気だぞ」
「倫也、どんだけ適応しているのよ」
「外じゃないだけマシだろ」
英梨々は溜息をついた。ちなみにパジャマは持ってきていない。ホテルはナイトガウンなどが用意してあるところしか利用しないからだ。
「あーあ、ひさびりにしてあげようと思ったのに」
「そうだな・・俺もそれを思ったよ。もう少し早く到着して川で汗流せたのにな・・・」
「バカ」
「でも、別にできなくはなくね?」
「しないわよ!風呂もはいらないなんて、記憶にないわよ。こんな汗だくなのにできるわけないでしょ」
「そうかなぁ・・・どっかのホテルに泊ればよかったかな?」
「あんたいったいどういう生活していたのよ、そんなの考えればわかるでしょ」
「ここが一番いいところなんだよ・・・」
「もうほんと、野生化しすぎ。日本に戻る前に髪の毛切らないと恵に嫌われるわよ」
「加藤は潔癖なとこあるもんな」
懐中電灯の光を消した。俺は床が硬くても眠れるが英梨々はどうだろう。
「汗だくっていうけれど、ちゃんと英梨々の匂いがするな」
「あたしも倫也の匂いがするわよ」
「しない?」
「しない。だいたいここ学校でしょ。上に村長夫妻もいるし、鍵もかからないし」
「そういえばそうだな」
「どんだけ感覚ずれてるのよ」
「だって村の家は鍵ねぇもん。盗めるようなものがないんだな。村長の家は原石保管しているから鍵も金庫もあるけどな」
「おやすみ。もう寝るわ」
「おやすみ。風呂に入ったら結婚しよ」
「2か月振りにあったプロポーズがそれって、泣けるわね」
外ではフクロウのような鳴き声が聴こえていた。
そしてキスも我慢した。どこで止めていいかたぶん2人ともわからなくなるからだ。
(了)