日当たりのいいベッドの横で、俺はリンゴをウサギカットにしていた。
スペインから帰ってきた英梨々は、体調を崩してそのまま風邪を引いた。毎度のことなので慌てることもないが、18歳の大人になった今も体は弱い方だ。
「ほらよ」
「下手ね」と枯れた声で英梨々が言った。
「あんまり上手くなりたくねぇな」
英梨々にウサリンゴを刺したフォークを渡したが受け取らず、口を間抜けに「あーん」している。しょうがないので口元に運んだ。英梨々はリンゴをカシュリと小さく噛んでから、「あとは倫也食べていいわよ」と言った。
英梨々は傾けたベッドにまた背中をつけた。髪は結っていないので長い金色の髪が少し邪魔そうに見える。左手には痛々しい点滴の管が入っている。二本の点滴は藥の名前がマジックで消されていた。
じっくりと観察すればわかるだろうが、あまり詮索はしない。
英梨々は話したいことがたくさんあるだろうに、喉が痛いので我慢している。そういうわけで近くにいるのにケータイをいじっていた。俺のケータイに逐一届く。
加藤からもスペインでの旅の話は聞いた。あんなに冷静でフラットな加藤が多少なりとも興奮気味に話しているのは面白かった。本当に良い石が見つかったと思う。
「これで6つだな。ほんとよくここまでがんばったと思うよ」
『ボツワナ・・・ほんとにいくつもりかしら?』
「ああ、言ってくる。後悔したくないからな。行けばなんとかなるもんだ」
『でも、大学休んだら留年するわよ?』
「だから、冬休みまでは準備期間にあてる。それにこっちの真冬は向こうの真夏だからな」
『ごめん。ボツワナがどこにあるか知らない』
「俺も知らなかった」
英梨々は東欧だと思いこんでいて、「それはたぶんボスニアだ」と言ったら、『それそれ』といっていた。いろんな才能があってマルチリンガルだけど、常識的というか、クイズみたいな雑学はあまり知らないタイプだ。別にそれでいいと思う。
「あとな、細川さんが職場復帰されただろ?それで澤村邸まで通っていろいろ師事しているんだ」
『倫也も物好きよね・・・』
教えてもらっているのは、実戦的なサバイバル術だ。本当になんでも知っている。俺も本のサバイバル術なら頭に入っている。しかし、実際に火を起こすのは大変だった。訓練してコツを覚えればだんだんと素早くできるようになる。火を起こすだけではない、救急医療や非常食、万能ツールの針金の使い方も教えてもらった。旧い錠なら簡単に開けてしまう。車は鍵などなくても回線をいじってエンジンをかけてしまった。ドライバー1本の活躍ぶりは驚かされる。
「なんにせよだ。すぐには行かないから心配すんな。それよりも早く治せよ」
『別に心配はしてないわよ』
少し話過ぎたか、英梨々がしんどそうなので俺は病室を出た。元気で退屈しているならいくらでもいてやるが、英梨々は治療と療養目的にで入院しているのだ、あまり邪魔はできない。
※ ※ ※
「倫也先輩って、賢いけどバカですよね」
忌憚のない意見を聞かせてくれたのは出海ちゃんだった。俺は出海ちゃんに愚痴を聞いてもらっていた。
英梨々が戻ってきた最初の土産話は、スファレライトのことでもなく、料理のことでもなく、サッカーのことでもなく・・・加藤のおっぱいについてだった。手を広げて俺に大きさや弾力などを興奮して話すさまは、美少女に転生したエロオヤジそのものである。
しかも創作意欲に火がついたらいく、猛烈な勢いでネームを描いていた。その後すぐに体調が悪化し入院してしまったが・・・
そういうわけで、俺が加藤とあった時に、どうしても意識は胸にいってしまう。英梨々と違ってふっくらしているのだ。もちろん大きい胸なら見飽きている。美智留がだいたい裸同然のかっこうで俺の家をうろついているからだ。
とはいえ、美智留の胸は美智留だから健全なのである。健康的かつ安全だ。昔から見慣れているから、今更女性としての認識はない・・・はず。
一方で加藤は別だ。まず可愛い顔をしている。その割に男の気配がまるでない。そんな加藤は胸を強調するような服は着ない。いわゆる着やせするタイプだ。でも胸が大きいのは服の上からでもわかる。
そんな加藤の胸を英梨々は豪快に揉んだという。俺だって揉みたい。土下座して揉めるなら頭を地面にめり込ませても構わないと思っている。だが、もちろんその夢は実現することはないのだ。
加藤の土産話を聞きながら、話があまり頭に入ってこなかった。それなのに胸の妄想はちらほらと頭をよぎる。加藤と目が会った時に思わず言葉に迷い「あれ、加藤・・・旅行から帰ってきて太った?」と言ってしまったのだ。
口をパクパクさせた後に顔を真っ赤にした加藤は怒ったわけだが、特に罵声をあびせるでもなく、無言で離れて行った。慌てて誤解を解こうとしたが、時すでに遅しである。
その話を出海ちゃんに聞いてもらったのだ。なんなら仲を仲介してもらいたい。
「恵先輩のダイエットが成功するまでは無理だと思います。」
「そういうもん?」
「その後も無理かもしれませんが。というか、倫也先輩のデリカシーってどうなっているですか!?」
「いや、考え事をしててな・・・」
だって『でかいな』とか、『大きいな』とか、『揉みたい』とか、口走るわけにもいかなかったわけで・・・代わりにでた言葉が『太った?』だった。どうなってんだ俺の脳内言葉チョイス班は。
出海ちゃん経由で猛烈に反省いることを伝えてもらい、加藤の機嫌が直るのを期待している。
※ ※ ※
自宅に戻って、スリランカと真面目なやり取りをし、スイちゃんのプリントの丸つけをし、ボツワナの情報を集めつつ過ごした。
「エッチしてねぇな・・・」と思わず口から漏れる。
スリランカの2か月、戻ってきてから久々に英梨々とヤろうと思ったのに、アレの日が重なるという不運。終わった頃にはスペインに旅立ってしまい、戻ってきたら入院している。
「トモ、だいぶ溜まってるねー」と、ニヤニヤしながら言ってきたのは美智留だ。
美智留は大学に通わずに芸能活動に専念している。地下アイドルとしてでなく、本格的な女性バンドグループとしても活躍を始めていて、今ではけっこう有名になっている。おまけに伊織がプロデュースしているだけあって、Vtuberも兼任していてそっちもファンが増えていた。
「そうだな・・・、頭の中はおっぱいのことだらけだ」
「トモ平気!?」
もう秋も深まってきていて、流石の美智留もTシャツ一枚というわけにはいかない。長袖のチェック柄の服を着ているが、胸元のボタンは3つもはずしていて・・・俺の前に谷間を見せつけてくる。
「あのなぁ・・・襲うぞ?」
「どうぞー」
「お前のその軽いノリはどうなんだ・・・」
「別に減らないし、トモならちょうどいいけど。ただあたしは正直ものだからなー」
「だから?」
「澤村ちゃんに秘密にできない」
「それは・・・困るな」
そういいながらボタンをかけて谷間を隠した。惜しい。
「で、なにがあったの?」と聞いてきたので、先ほど出海ちゃんに話したことを美智留にも話した。
「それは傷つくなー。加藤ちゃん立ち直れないじゃないの。トモにそんなこと言われたら」
「そんなに凹む?」
「もうトラウマものだと思う。あたしは今日、加藤ちゃんが首を吊ってもトモのせいだと思って納得するよ」
「そんなに!?」
俺は美智留に頼み込んで加藤のケータイに電話をかけてもらった。もちろん俺のケータイからでは出てくれない。
「あっ、もしもし、加藤ちゃん。ちょっと今いいかな?」
「どうしたの?氷堂さんが珍しい」
「えっと、トモの失言のことなだけどー」
「あーうん。そこに倫也くんいるんだ?」
「いるいる。すごーく反省してる」
「それは出海ちゃんからもさっき聞いたけど。そんなに怒ってないんだけど」
「そう、なら良かった。もしかしたら加藤ちゃんが自殺しちゃうじゃないかって心配してた」
「そんなにわたしの命は安くないけど・・・ただ、太ったことは自覚してて、3キロだよ。3キロ」
「うわぁ・・・」
「なんで3泊の旅行で3キロも太るかな?1日1キロっておかしくない!?食べた分そのまま太ってるんだよー」
「落ち着いて加藤ちゃん・・・体重計のミスかもしれないし」
「つまめるお腹のお肉がそれを否定するの・・・」
「お・・・お大事に」
「倫也くんには、明日から学校で話しかけてこないでって伝えておいてくれるかな」
「わかった」
電話が切れた。
「良かったねトモ。加藤ちゃん死なないって」
「そりゃそうだろ・・・でも、怒ってないって言ってたな」
「それ、怒ってるって意味じゃないの」
「マジで!?」
女心がいまいちわからない。
翌日、講義の時に加藤はいたがマスクをしていた。服装もゆったりめな物を着ている。目立たないように端の後ろに座るあたり、徹底して人を避けていた。
俺は出海ちゃんを信じて、加藤がダイエットを成功するまで話しかけるのを我慢することにした。
※ ※ ※
大学帰りに詩羽先輩のマンションに寄った。英梨々と加藤から聞いた話をレポートにまとめて文章化したのだ。これも練習である。
「そう。良かったじゃないの」
「ええ、英梨々にしてはがんばったと思います」
「あら、そんな風に澤村さんを下にみれる立場なのかしら?」
「別にそんなつもりじゃなかったけど、あの英梨々がずいぶん頑張ったなと」
「倫理君ってけっこう過保護よね」
過保護か・・・そうかもしれない。英梨々の両親よりも俺の方が心配してそうだったのだ。
「これでいよいよあと1つなわけね?」
「はい」
「どこに行くのかしら?」
「ボツワナ」
「・・・バカなのかしら?」
「でも、回りが思っているほど、きっと危なくないですよ。ボツワナはダイヤモンド産業でうるおっていますし・・・」
「確かに偏見はあるわよね。でも、ボツワナの鉱山までいったからといって、ダイヤモンドが買えるわけじゃないのでしょう?」
「はい。集散地で許可のある業者だけが取引可能です」
「なら、言っても意味ないじゃない」
「ところがですね・・・ボツワナは政府も協力的で、大手企業が国際的協調しながら鉱山開発しているんですが、それ以外のところでも採掘しているみたいなんです」
「それで?」
「そうやって違法で採掘されたダイヤモンドで何を買っているかわかりますか?」
「食べ物とか、車とか・・・あとは豪華な家を建てたり・・・」
「もちろんそういうことにもお金は使われているとは思いますが、裏金ってやっぱり裏のマーケットで暗躍するみたいなんです」
「それって現地のマフィアとかね?」
「ええ、ゲリラ軍の軍事資金として武器を購入しているらしいです」
俺の話をきいて詩羽先輩は顔を口で隠して考え始めた。いつもは軽口を叩くタイプだが思索に沈むと静かになる。たまにそのまま寝てしまうが。
俺としてももちろんそんな危険な場所には行きたくないし、取引だってしたくない。ただそういう実態もあるという話だ。
「行くのはやめた方がいいんじゃないかしら?」
「俺もずっと迷ってますよ。でも・・・」
「澤村さんのため?」
「いえ、あいつに釣り合うような男になりたいだけです」
「ずいぶんと歪な価値観に感じるけど・・・」
俺が詩羽先輩とよく英梨々のことで相談をする。この二人は気が合うみたいで仲がいいからだ。英梨々と加藤も今回の旅行で仲はだいぶ深まっているとは思うが、クリエイター同士で話も合うのだろう。
「誰も背中を押してくれなくて」と俺は苦笑いをした。
「それはまっとうな人があなたの周りには多いってことよ」
確かにそうだと思う。
※ ※ ※
12月になった。もうすぐ冬休みになる。
英梨々が無事に退院してからは、アトリエにこもって絵をずっと描いている。なんでもアストゥリアス公爵夫人に贈る絵だそうだ。スファレライトに匹敵するものが描けるといいが。
美智留はアイドル活動が忙しいし、出海ちゃんは受験勉強が本格化している。変わらないのは常に忙しい詩羽先輩ぐらいか。
講義ではようやくマスクをとった加藤が隣に座った。
「ねぇ安芸くん。3日で太ったのを落とすのに1ヵ月かかるって理不尽だと思わないかな」と俺に非難がましくいった。そんなこと言われても俺は困る。
どう回答すれば地雷を回避できるのか分からない俺は、「スペイン料理が美味かったんだろ?よかったじゃん」と話題をそらしつつ明るい方向へもっていく。
「まぁそうなんだけど・・・」
「それに俺はちょっとふくよかな加藤も良かったと思うぞ」
「そういうこといいうかなぁ・・・」
「あと、ちょっと痩せすぎじゃね?」
加藤はすっきりしたが頬が少しコケているような気がしなくもない。
「そういうこと言うかな・・・ちゃんと理想的に痩せるのって難しいし、だいたい女性にそういう話題はよくないと思うよ?」
「加藤がふってきたんだよね!?」
加藤はフラットな表情のまま講義を聞き始め、我慢しきれなくなったのか口を押えて声も出さずに笑った。
ランチの時間には、加藤からゼロカロリーコンニャクゼリーを一袋渡されて、2人でそれを食べながら、冬休みのことを話した。冬コミュは予定通りゲームができている。
当日販売するDVDはいわばファン向けのサービスみたいなものだ。霞詩羽と柏木エリのコラボ作品として注目されている。ブレッシングソフトはいわばその中継役にしか過ぎない。その後、話題になればダウンロード数などが増えてひと儲けできるという寸法だ。
今年の作品はボリュームを抑えて作られていて、ファンサービス用のグッズも外注している。販売は英梨々の親のところと併設することでスタッフも流用する。
俺がいなくてもなんとかなるはずだ。
そう、俺は当日いない可能性が高い。
「ほんとにいくの?ボツワナだっけ?」
「ああ、冬休みにいかないとチャンスがないからな。下手したら留年するし」
「そういって自分で作った会社をほっぽり出すのもどうかと思うよ?」
「俺さ・・・来年も加藤と一緒に並んで講義を受けたいんだ」
「はいはい。同人ジゴロおつ」
「もうちょい、感情込めて言おうか」
加藤は背中を押すわけでもないが、引き留めもしなかった。みんなそんな感じだった。
「あと、ひとつだけ頼まれてくれるか?」
「うーん。断ろうかな」
「話ぐらいは聞いてください」
「だって、ろくでもない話ってわかるから」
「・・・これ」
俺は1通の手紙を渡した。
加藤はそれを受け取って、じぃーと眺めてから破った。
「ちょ・・・加藤!?」
「万が一の時に渡す英梨々への手紙の仲介なんてしないから」
「なんでもお見通しだな」
「余計な死亡フラグは立てない。分岐はシンプルでいいんじゃないかな。安芸くん」
かつて、これでもかというほどフラグを立てて管理した加藤は、物事を簡潔にすることを好むようになった。良い作品とは複雑な作品ではないのである。
「そうだな・・・じゃ、いってくるから」
「うん。ちゃんと戻ってきてね」
19歳。大学1年の俺はイエローダイヤモンドを求めて最後の秘境アフリカに行く。けれど、成算がないわけではない。
(了)