一夜明けて12月29日。牧場経営の朝は早かった。
5時に起こされ作業を手伝った。まずは厩舎の掃除だ。それから牛を外に出してやる。夜の間に厩舎にいれているのは、襲われることがあるかららしい。
えっ?牛って襲われるの?何に?
深く聞くと怖そうだから、俺はまずは指示通りに仕事をする。効率がぜんぜん関係ない。ひたすら体を動かして仕事をして片付けていくしかなかった。ザ・肉体労働である。
乳しぼりは搾乳機があって楽だった。取れた分は自分たちで飲んだり、近所に配ったりする。お金はとらないのは持ちつ持たれつだからだろうか。牛は3頭しかいないし、1頭は子供だ。この子もミルクを飲んでいる。けっこうカワイイ。
それからやっと朝食を食べる。朝食は昨日の夜とそんなに変わらない。トウモロコシがパンになったぐらいで同じシチューだった。
畑仕事を手伝う。日中は暑すぎるので休憩して、日陰で野菜をダンボールへいれる梱包作業をする。他の黒人もみんな陽気でよく働いていた。日当は3ドルらしい。約420円といったところか。食事つきなので問題ないらしい。だいたいこれが相場らしいし、物価から考えても少し安いかな?ぐらいだ。
軽トラックを使って市場に野菜を卸しに行く。売り上げから逆算すると日当3ドルもうなずけた。軽トラいっぱいのトウモコロシが全部で30ドルにもならないようだ。俺の泊ったホテル代にしかならない。金銭感覚が狂う気がする。
ちなみに俺は現金をあちこちに隠し持っていて、全部で300ドルはある。それでも不安なぐらいだ。街にいけば銀行があるし、ネット決済できれば何も問題はないが・・・ここで100ドルを支払うようなものは日常的には何もなかった。
そもそも農場で篭っている分には何も関係ない。
日没まで一生懸命働いたら、シャワーをささっと浴びて、食事を腹いっぱい食べる。俺はぐったりして眠たいのに、隣でンポトの夜の営みの声が今日も聴こえた。あと夜泣き。それでも気にせずに目を瞑って眠った。
※ ※ ※
街で新聞を買ってきてくれるので、それが貴重な情報源になった。あとは食事の時に見るテレビのニュース番組だ。
「ずいぶんと日本人は熱心にニュースをみるのね。だから賢いのね」とおばちゃんは言ったが、こちとら誘拐された少女と逃走している身である。感覚は俺が間違っているとは思えない。やはりどこかのんきだ。
情報を集めて分かってきたは、エルザについてだった。彼女はテロで誘拐された少女で身代金は1000万ドル(14億円)という破格の要求がされた存在だということだ。桁1つ多くね?マハラピエの街全部買えちゃうんじゃね?だってジャガイモ一個2円だよ?と思いつつも事実らしい。
エルザ・ベナセラフは、『ヨハネスブルク・ダイヤモンド取り所』の経営陣の1人娘だったのだ。
・・・ということはアニメ好きのヤハンも当然知っていただろう。ヤハンは会社の中にも被害者がいると言っていた。まさかそれが経営者側の大物とは思わなかった。
マハラピエではマフィアが必死にエルザを探しているらしい。裏では彼女に1000ドル(14万)円の懸賞金がかけられたいるそうだ。これはこの国の年収に匹敵する金額である。日本で言ったら400万円ぐらいの懸賞金だろうか。14億円要求しているわりにはセコイと思う。
俺はエルザを一刻も早く南アフリカに戻してあげたかった。ここがずっと安全とは思えない。しかし、ンポトの家族はのんびりしているし、俺はすごく役立っているようだし、エルザは子供の世話が楽しいようなのだ。悲壮感がぜんぜんないから、俺も慌てていない。
この農場だけ切り取れば平和そのものだった。
俺はンポトに、いつ頃南アフリカに戻してくれるのか尋ねたが、すぐに話をはぐらかされてしまって答えてくれない。農繁期のいい人手だとでも思われていそうで不安だ。
そんなこんなで、俺はこの名もなき場所でまさかの年越しとなった。冬コミュにいけないことが無念であったし、英梨々はたぶん怒っているだろうなとそれが心配だった。
ネットが通じない場所なので、毎日、英梨々宛の手紙は書き貯めておく。
※ ※ ※
新年は日常と変わらず、俺は1人で牛の世話をした。こたつでお雑煮を食べるなど夢のまた夢である。料理は相変わらずクリームシチューや、香草のはいったボツワナ料理である。それに、パンかトウモロシかトウモロコシ粉をつかったパンだ。変り映えはしない。単調で健康的で素朴な料理が連日続く。
もしかして俺って軟禁されているんだろうか?こんなに一生懸命働かない方がはやく脱出できたのでは・・・
「エルザはここが楽しい?」と聞いたら。「うん、問題ないわ。学校もないし、習い事もないし、うるさい家庭教師もいない。とっても快適」と笑顔で答えた。
いい環境で育っているようだが、彼女の奔放な性格は都会のお嬢様生活よりもここが合っているのかもしれない。だいたい肝が据わっていて、あのスーパーマーケットでも迷わずに俺の方へ走ってきたのだ。7歳らしいが頭はとてもいい。
とはいえ、ここで永遠にすごせるわけではない。なんとかしないと。そう思いつつも今日も炎天下で農作業を続けた。
こういう肉体労働の生活は別に嫌いじゃない。牛は懐いてくれてしぼりたてのミルクはうまい。しかしだ・・・なんというか猛烈にネットサーフィンとか、アニメ視聴とか、カタカタとタイビングをしたくなるのだ。このままここで人生を終えるわけにはいかない。
変化が起きたのは、1月3日だった。
※ ※ ※
ここにきて、1週間がたつ。新しい生活にも慣れてきた。俺が午前中に牧場で働いていると、珍しく多くの車が農場の前に停まった。俺は嫌な予感がしてすぐに裏口から家の中へと戻った。
「エルザ!こっちにきて」
エルザはすぐに靴をはいて駆け寄ってきた。
「ンポト、来客だ。気をつけて・・・」
「わかったわ」
「俺はエルザと隠れる」
「OK。気をつけて」
玄関のベルがなった。俺は裏口からリュックを背負って、向こうから見えないように物陰に隠れながらトウモロコシ畑の中へと向かった。こんな早朝から大人数でくるなんてただ事でない。車は3台で10人ぐらいの男がいたはずだ。
畑を抜けると、干し草が積み上げられている場所にでる。畑の中とどっちが安全か考えたが干し草の中に隠れることにした。エルザは楽しそうである。
「クイズ。なんで、ここがマフィアにわかったのだと思う?」
「裏切りものがいるから」と、エルザは即答する。
「正解!」
まったく賢い子なのだ。あるいはンポト達が正直すぎるのだ。ンポトの家族だけの小さな経営だったら何の問題もなかっただろう。エルザはほとんど外に出ていなかったのだから。
それでも彼女の存在がバレたのは5人の貧しい雇われ農夫がいたからだと推測される。彼らのうち誰かが密告しても不思議は何もなかった。わずか日当3ドルの生活なのだ。1000ドルは魅力的だろう。賢いならマフィアとなど関わらないだろうが・・・そんな感じの人達でもない。人はいいが目先の利益に目がくらんだのだろう。
「じっと静かに過ごそう。寝ててもいいよ」とエルザにいった。
「おやすみ。ダーリン」とエルザが返事をする。眠いのは俺か。
「はははっ」
俺は干し草の中で目を瞑った。いい香りがする。妙に心は穏やかに落ち着いていた。見つかったら俺が殺されるかどうかはわからない。たぶん大丈夫な気がする。いやダメかな?でも、それはどっちでもいい。
どの道、俺はエルザのために戦わないといけない。相手が武器を持っててくれればいいが・・・
こちらの武器はこの隠して置いたナタ一本あれば十分だろう。武器になりそうなものは農場のあちことに隠してある。少なくとも最初の1人は不意打ちで倒せるはずだ。銃が奪えれば早い。
じっと時間がすぎて行くのを待つ。エルザも賢くてずっと静かにしていた。
「トーヤ、エルザ出ておいで」と声が聞こえた。ンポトが俺たちの名前を呼んでいる。声のトーンからして無理矢理言わされている感じはしない。
俺はエリザにはそのまま隠れているように言って、様子を見に戻った。
「まったくひどい話。家の中をさんざん荒らされたわ」
「すまない」
「トーヤは悪くない。でも、どうしてバレたの?」
「おそらく、農夫の誰かが裏切ったからだよ」
「・・・ほんと、バカげている」
「とにかく、ここはもう危ない。俺たちは出てくよ」
「そうね・・・ごめんなさい。でも何もしなかったわけじゃないのよ。エルザを呼んできて、家にきてくれるかしら?」
「わかった」
俺はエルザのところに戻って、彼女を干し草から引き出した。たくさんのゴミクズがついているのを払いのける。太陽の位置から2時間ぐらいはたっているようだ。
「グッドゲーム」と彼女は言った。「はははっGG」と俺も言った。
家の中はひどい荒らされようだったが子供たちも無事だった。おばちゃんは子供抱えている。ンポトの旦那はショットガンを手に持っていた。発砲した気配はない。
どうやら裏切りものが出てことが許せないらしい。気持ちはわかるが仕方のないところもあるだろう。「俺らがいなくなればまた日常が戻る。誰かわからない雇われ農夫を解雇しても・・・大変になるだけだ」となだめた。
「トーヤ、マハラピエの街には戻らない方がいい。さらに北部の街へ案内してもいいけれど、途中の検閲や、ガソリンスタンドで待ち伏せされたら見つかると思うの」
「そうですね」
何しろ主要道路はそんなにないのだ。網を張るのは簡単だろう。
「それで、このまま東にいって南アフリカに戻ったらいいと思うの。このまま東に20キロも進めば小さい山ある。その山を所有している親戚がいるから、そこまで案内するわ。まずまず頼りなる人だから」
「わかった」
身を任せるのがいいだろう。土地勘が俺にはないのだから。地図でみたら東側はあまり発展はしていない。川があれば農業をしているぐらいだ。道路も当然整備されていない。サバンナのよく車の走る場所が道らしくなっているだけのようだ。
「詳しいことは車の中で話すわ」とンポトが出発の準備を始めた。
旦那はショットガンから弾を抜いてポケットにしまった。それから棚の中にしまった。
引き出しの鍵を開けて小型の拳銃を取り出して俺に渡した。『ベレッタ』だ。コンパクトで扱いやすい。弾丸の装填数は6発。弾の入った箱もくれた。
「貸すだけだ。詳しいことはンポトが説明する。部下の統制もとれずすまなかった」と旦那が謝罪した。俺はたくさんのお礼を言った。
エルザは子供たちと別れを惜しんでいる。また来るつもりのようだが、そんな機会があるだろうか。
車のトランクに水と食料を詰め込んだ。それから俺とエルザを乗せて出発した。
「ごめんなさい。こんなことになるなんて」とンポトは車を運転しながら謝ってきた。
「それは俺のセリフです」と答えるしかない。状況はシリアスだった。
「この道の先に山があるのよ。川もあるから少しだけ発展している。そこにイザーク叔父さんがいるの。でもなかなか電話も通じなくて、3日後に落ち合う約束だったの。彼なら東経由で南アフリカまで届けることができると思うの。ボツワナにすごく詳しい人だから」
「なるほど。頼りになりますね」
「それで3日後までは・・・約束の場所で待っててもらうことになるわ。わたしも一緒にいてあげたいけど・・・」
「いやいや、仕事も忙しいし、これ以上は迷惑かけられません」
連絡が取れる相手なら早く迎えに来てもらえるが、連絡が取れないなら待つしかない。それはもうしょうがないだろう。
「2人で平気かどうか心配で」
「なんとかなりますよ」
どうやら、俺とエルザは見知らぬ場所に放りだされるらしい・・・
「その銃は最後に叔父さんに返してくれればいいわ」
「わかりました」
「途中で猛獣に襲われてら迷わず使ってね」
「わかった・・・えっ?」
猛獣の名前はなんですかー?
「小屋は電気も水道もないから・・・気をつけて。もし3日たってもイザーク叔父さんがこなかったら・・・山を東側におりて、道なりに東を目指せば小さな集落にたどり着けるわ。そこに酋長がいるから、その方をこの紹介状を渡してくれれば。きっと助けになるわ」
「わかりました。何から何まですみません」
俺はンポトから紹介状を受け取った。第二案まであるのは心強い。なんだかんだずいぶんと逃走方法を考えて用意してくれていたようだ。1週間は長い気がするがそれぐらいの時間が必要だったのかもしれない。
道はガタガタしていて厳しい悪路だ。それでも車が往復はしているらしく、土が走り固められて道路のようになっている。セダンで走るには辛い。
日がだんだんと昇り始めて暑くなってきた。気温は最低気温で22度。最高気温は連日30度を超えてくるのだ。熱中症になるような温度だ。ただ空気は乾燥しているので不快な熱さではない。
目的の山が見えてきた。山はぜんぜん高くなくて、せいぜ500mもあるかどうか。丘と表現した方がしっくりくる。それでも木々も多く生えているようだ。近づくにつれて木が多くなり、ちょっとした林のようになってくる。
山の麓に車が停まった。中天に太陽がギラギラと輝いて、正午になっていた。
山の入り口は杭が立っていて、チェーンがしてある。周りこめば誰でも入ることが可能なので所有者がいることを主張しているのだろう。
車から荷物を下ろした。ダンボール箱3つ分である。けっこうな重量があるのは水が大量に入っているからだ。
「道なりに昇っていけば小屋があるわ。中の物は自由に使っていいから。イザークおじさんはけっこういい加減で・・・」
「大丈夫です。なんとかします」
「私はこれで・・・ほんとごめんなさい。あと、これ・・・」
俺はンポトから封筒を渡された。中を確認すると21ドル入っていた。
「ごめんなさい。うちの日当は3ドルなの。少ないけど七日分」
「冗談でしょ?」
「冗談じゃないの。それが精一杯」
「そうでなくて、これは受け取れません。俺は・・・」
隠しポケットから100ドル札を一枚だした。もう少し崩して持ち歩けば良かったと思うがしょうがない。現地通貨だとかさばってしょうがないのだ。
「これ、俺から匿ってくれたお礼です」
「ほんとうに?」
「余り気にしないで、ほら日本人は金持ちだから・・・」
嫌な言葉だ。自分たちの裕福さは彼女たちの安いコストの上に成り立っている。100ドルはここでは月収だが、日本なら一晩働けば稼げる。でも、お金を受け取ってもらうなら、そういう言い方がいいだろう。
農場の経営は楽ではなさそうだった。100ドルは貴重だ。
「なら、有難くいただくわ。でも21ドルは受け取って頂戴」
「ではありがたく」
封筒を受け取る。頭を下げる様子がおかしいようだ。頭を下げるのは東洋の文化で、ここでは誰も下げない。
名残惜しかったがここでンポトと別れた。偶然の出会いだったけれど、最大限の善意を俺たちに施してくれた。容姿が綺麗な黒人さんで、ボンキュンボンとスタイルがよく、エッチな声が大きい女性だった。
無事にエルザを届けたら、別な機会でまたお礼を言いに来たい。
※ ※ ※
荷物は全部を持てないので、まずは何ももたずに山を昇った。あまり無駄な体力は使いたくない。木の下の草むらに隠しておけば問題ないだろう。野菜なのでインパラとか来たら食べられてしまうだろうか。
エルザは7歳でそんなに無茶はさせられない。リュックに2リットルのペットボトルを一本と、果物のリンゴとオレンジとチョコレートをいれた。まるで遠足気分だ。
山を昇って20分ほどで小屋らしきものに着いた。木の小屋で屋根がトタン板だ。そのペンキが落ちて錆びていた。はっきりいってボロ屋だ。中は物置ぐらいの大きさしかない。木のベッドらしきスペースとノコギリなどの道具、それから金属のコップと皿が3つずつ置いてあった。カメには水は入っていないので空だった。
ただ戸棚には缶詰が何種類かおいてあった。個数も多いから水さえあれば当分ここで過ごせそうだ。
布団はないが、折りたたんだボロボロの毛布のようなものがある。虫が心配なので、とりあえず天日干しにする。
幸いなことに小屋の中からは鍵がかけられる。どの程度の効果があるかわからないけど、心理的にありがたい。
「よし、ここで3日待てばいいんだと。エルザはいい子にできる?」
「もちろん」
「じゃあ、まずはこのリュックを守っててくれ。俺は荷物を運ぶから」
「いっしょに行く」
「それでもいいけれど・・・ここで待っててくれた方が作業が早く終わる」
「・・・そう・・・うん。待つわ」
俺はリュックからスマホを渡した。予備の充電器は2個あるとはいえ、できれば電池の消耗は避けたい。でも・・・俺はミニゲームをつけてエルザに渡した。
「これで遊んでて。それとも算数にする?」
「これでいい」
「すぐに戻ってくるから。必ずここで待ってて。中かから鍵がかかるから忘れずに」
「わかったわ。気をつけて」
ものわかりがいいのは助かる。ゲームを持たせたのは、何もしないと時間のたつのが遅く感じるからだ。1人では心細いのもわかる。でも俺を探しに外に出られても困るのだ。迷子が一番危険だ。
俺は拳銃だけをベルトに差し込んで、山を降りた。
全部で3往復した。無理したくはなかった。ダンボール3つを同じぐらいの重さに分けて運んだ。作業は休憩をしつつ3時間ほどかけた。
トイレはないので外で穴を掘って簡易トイレを作った。トイレットペーパーは1巻きだけ持ってきているので問題はないだろう。
食料も水も十分にある。
何よりもこのエルザという少女が利巧で驚いたのは、ゲームをしていなかったことだ。電源を切っていた。
「だって電池がもったいないでしょ?ここ電波も通じないし」と言ったことだ。
電池があれば非常用のライトになる。確かに無駄に使わないに越したことはない。
小さなカマドがあったので、そこに拾い集めた薪をいれて火を焚いたが、煙がひどくって直ぐに消した。
小屋の外で焚火を作って、その焔で料理をして2人で食事をした。暗くなったら小屋からあまり出ないほうがいいだろう。桶があったので緊急時のトイレはそこでしていいルールにしておいた。
暗くなってくると、窓からでも夜空の星がとてもキレイに見える。
ここに俺とエルザが知っているのは世界中で数人しかいない。イザーク叔父さんがほんとに迎えに来てくれるのか不安だった。
毛布は折りたたんで、エルザの下の敷いた。俺はその隣の木のベッドで眠りについた。朝からいろいろありすぎてひどく疲れた。エルザが寝息をたてるのを確認して、俺は目を閉じて眠った。
今夜はとても静かだった。
(了)