燃え尽き症候群とでも言えばいいのだろうか。俺も英梨々も平和な日本でダラダラと春休みを過ごしていた。次のゲーム作りもそろそろ始めないといけなし、夏コミュへの同人誌作りもある。けれど何もかも手つかずで、英梨々は俺の部屋に入り浸り、2人でじゃれ合って過ごした。
ベッドの上で英梨々を激しく抱いていたら、
「ねぇ・・・はぁはぁ・・・倫也っ・・・」
「ん?」少しゆっくりにする。
「18歳のあたしと・・・19歳のあたしがどっちがいい・・・?」と聞いていた。
俺はよくわからず、そのまま腰を動かす。
ことが終わって、ベッドに仰向けで寝ていると、やっと言っている意味がわかった。いつのまにか日付が変わっていた。
「ああっ、そうか、お誕生日おめでとう」
「どうも。あんた、ぜんぜん気が付いていなかったわね」
「まったくな」
3月20。深夜0時を過ぎていた。英梨々は今日も俺の部屋に泊っている。別に誰も邪魔をしない。
ベッドから起きて、デスクの引き出しから買っておいたプレゼントを取り出し、英梨々に渡した。
「いつもと同じだけどな。そろそろもっといいものを贈るべきなんだろうか?」
「いいわよ別に」
英梨々がベッドの上で上半身を起こし、ブランケットで胸を隠した。赤いリボンを指で解いて包装紙を空ける。小さな箱にはワニのガラス細工が入っている。
「なんでワニなのよ」
「今回の一連の旅でそれが一番やばかったからな」
「大袈裟ね」
「いやぁ・・・信じられないものわかるけどな・・・」
英梨々がワニを箱にしまって閉じ、それからあくびをした。
「まっ、いろんなことがあったわよね」
「そして、これからもいろんなことがあるだろうよ」
19歳になり、新年度からは学年もあがる。俺も英梨々も少しずつ平和な日常を取り戻してきていた。
※ ※ ※
4月になってから、池袋の屋外巨大看板に英梨々がモデルの広告が掲載された。中々迫力がある。池袋以外にも主要な場所に掲載されているようだ。テレビではCMも流れている。
日本ではそこまで話題にはなっていないが、ネットの中ではそれなりに騒がれている。見事に誘導に引っかかってくれて、チェコのコスプレヤーサイトは大賑わいである。こうして俺と英梨々はオタク文化の普及にも一役かった。アフェリエイトの収入もでかい。高校時代ならウハウハで天下をとったような金額だったが、今ではそれがファーストクラスの飛行機代にすらならないことを知っている。
英梨々の周りでも、英梨々だと気が付く人もいたが、英梨々は否定している。そっくりさんじゃないの?と本人は意に介さないから、周りもそうなのかな?という感じらしい。さすがに現実と虚構が離れすぎているからだろう。CMも部分的にアップされたり、全身の後ろ姿だったりで、正面からはっきり映っていない。メイクの違うポスターだけではやはり特定できないようだった。
それにしても、俺たちが作ったエンゲージリングは今や虚構の物語とともに世界をめぐっている。イベントがあり販売会もある。誰もが欲しがった『パーフェクトカナリー』のエンゲージリングは逸話と共にその界隈で有名になり、取引の問い合わせは耐えない。推定300万ユーロの指輪の評価額は、オイルマネーの参入で0がさらに1つ増えた。
「英梨々、俺・・・売りたい」
「あんたねぇ・・・あたしとお金のどっちが大事なのよ?」
「そういう問題か?」
「そういう問題でしょーが」
「英梨々もあれ欲しいの・・・?」
「それも論点が違うわよね」
英梨々は譲る気がないらしい。俺は45億円の方が欲しいのだけど・・・
※ ※ ※
いつもの喫茶店の窓際の席で、俺は加藤2人で会って、次のゲームについて話をしていた。いや、そういう名目で会っていた。春休みで講義がないので口実がないと会えない。
「それはさぁ・・・安芸くんさぁ・・・」
「俺が間違ってる?」
「間違ってるとかそうことじゃなくて、英梨々にしてみれば自分の価値が上がるみたいな気分になるわけだよね?換金しようとしたら、自分を換金されるような気分になるんじゃないかな」
「そういうもん?」
「そういうもん」
「女心?」
「乙女心」
「加藤なら売らない?」
「絶対売る」
「だよな」
「だって、わたしは庶民だもん。そんなチャンスにNOなんて選択はできなし、そもそも300万ユーロの時点で売っちゃうんじゃないかな」
「あー、そうかも」
「だとすると安芸くん・・・」
「ん?」
「将来において、それが3000万ユーロを超えてくる可能性もあるわけでしょ?」
「おおっ・・・そうなのか?」
「知らないけど」
加藤はケータイでCM動画を見ている。
「実はね安芸くん。わたし・・・英梨々の追っかけだった時期があるんだ。中学の時だけど」
「おっかけ?」
「安芸くんは知らないだろうけど、英梨々って地元ではすごく有名だったんだよね。嫌でも噂が耳に入るというか。それでね、どんなすごい芸能人がいるのかなって、安芸くん地元の商店街まで見に来たり、あの写真館の子がそうなのかな?って思ったり・・・」
「まぁ、外面はいいもんな」
「モテててたでしょ?」
「そうだな・・・」
加藤は俺が知らないだろうけどと言ったが、俺は嫌になるほど知っている。それで英梨々が不快な思いをしたことだってある。
「それでね、今はネットで英梨々探しが始まっているよね。検索していくと、この・・・チェコのコスプレヤーに誘導されるけど」
「なかなかナイスなアイデアだろ?」
「うん。この子が実は実在するんじゃないかな・・・なんて思っちゃうんだよね」
「いやいや、架空の名義だ。何しろそのサイトの運営は俺だからな」
「知ってる。それでも、やっぱり英梨々の幻影を追いかけてしまうし、そういう子がいるのもよくわかる気がする」
「幻影か・・・そうかもな」
加藤がケータイをいじって、スペイン語のSNSを見せた。
「だからね、実はわたしなりに英梨々をネット上で追跡してみたの。ほら、チェコの子が偽物だって知っているし、本物の『澤村・スペンサー・英梨々』に到達しないのかな?って」
「ほうそれで」
「スペインでは真実に少し近づいていて・・・サッカーの試合観戦した時、英梨々はVIP席にいたから、カメラでぬかれて何度もテレビに映っていたんだけど」
「そうなんだ?」
「うん。あっちの放送では劇的なゴールシーンとセットで英梨々もよくテレビに映ってた。それでその子と、このモデルが一緒だってことも噂されているみたい」
SNSには画像比較がされていた。「有名な画家らしいけど、誰か知らないか?」と呟いている。その後はリツイートで拡散されているが真相は闇のままだ。吸い込まれるようにチェコのサイトにつながる。
「本当は英梨々のことを知っている人もいるんじゃないかな」
「そういう人は無暗に情報を流さないから」
「英梨々の周りが上流階級すぎるんじゃないかな」
「なんでだ?別にそんなこともないだろ」
「だって、わたしは今・・・猛烈に我慢しているんだよ?『みてみて、ほらわたしは英梨々の友達だよ!』って写真付きで投稿したい」
「あのな・・・」
「そしたら拡散して、フォロワー増えて、わたしにもアフェリエイトが入るんだよねぇ?」
「入るけど、微々たるものだぞ・・・」
「うーん。でも庶民のわたしにはそういうのって少し憧れる」
「わからんでもないけどな・・・」
「もちろんやらないけど」
加藤はそれからつまらなそうにケータイをしまった。
こんな感じで世界は少し騒がしかったが、当の中心の俺と英梨々は無風状態だった。まるで台風の目にいるみたいだ。
カップ焼きそば食べて、アニメをだらだらテレビに流しながら、落書きみたいなネームを描いているオタクの子は俺の部屋にいる。そして、貧乏とも、銃とも、ワニとも、世間の噂とも隔絶された世界で、今日ものんびり生きている。
※ ※ ※
時間は過ぎ去って7月の中旬になった。また暑い日本の夏が来た。
英梨々に呼ばれてアトリエまで行った。アトリエはますますごちゃごちゃしていて、本格的な作業場になっていた。
「届いたわよ」
「何が?」
「指輪」
「あ~指輪」
その頃の俺はすっかり忘れていた。もう巨大看板の広告はなくなったし、CMも流れていない。俺の英雄譚も飽きられているし、英梨々の話題もネットではもう沈静化している。ブームは過ぎ、コンテンツは消費されたのだ。世間の人はもう別の事に夢中になっていた。
「そこにあるわよ」
英梨々の示す壁際にジェラルミンケースがあった。懐かしい質感である。俺は置くテーブルを探したがどこも空いてないので、床に座ってジェラルミンケースを開けようとした。
「鍵かかってるな。番号は?」
「0320」
「誕生日とかダメだろ・・・」
ダイヤルを合わせて、ケースを開けた。7種類の指輪が入っている。どれも個性的でまばゆい。
「でけぇなぁ・・・触ってもいいか?」
「あんたの指輪でしょ」
「俺のなのか!?」
「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?」
「手袋ないか・・・素手で触るの緊張するんだが」
「別に気にしないでいいわよ」
俺はおそるおそる『パーフェクトカナリー』の指輪を手に持った。
「3000万ユーロなんだから、気をつけなさいよ」
「おまえ、わざとプレッシャーかけてるだろ・・・」
まじまじで近くで見ているとヤバイ。もうこれは神器や呪物の風格がある。
英梨々は水色のスモッグを着ている。大きくなった幼稚園児みたいな感じだ。だいたい筆もって油絵具まみれなのだ。クレヨンや水彩まみれの頃とそう変わらない。
英梨々がそっと左手を前に差し出した。油絵の具で汚れているんだが・・・
「えっ?ここで?」
「あたしもいやなのよ。そんなものをいつまでも置いておくのは」
「ひどい言いようだよね!?」
左手で英梨々の左手を支え、俺は跪いて英梨々の薬指に、ぷるぷるぷるっと手を震わせながら指輪をはめた。
「倫也、震えすぎ」
「落としたら大変だろ、こんなのは緊張するだけだなっ!」
「ほんとよね。あと、プロポーズの言葉忘れているわよ」
「結婚しよう英梨々」
「真面目にやりなさいよ」
「お前も真面目なかっこうじゃねぇじゃねぇか」
「そういうこと言う?そう?」
「いや・・・あの」
いったんプロポーズは中止になった。
※ ※ ※
部屋の外で英梨々の着替えを待つ。メイドさんがバタバタと出入りしている。1時間ぐらいまたされる。正直いやだ・・・。さっきのところでプロポーズ終わらせておけばよかった。
メイドが扉を開けて中へ案内した。
「あのなぁ・・・」
「なによ」
CM衣装の英梨々がいた。黒いドレスだ。金髪ツインテール。メイクまでCMと一緒だった。ややツンとした雰囲気があるばっちりメイクだった。
「倫也、これ以上だと環境が変わるわよ?」
「いや、これでいいです。がんばりますです」
「言葉が変になってるわよ」
「ふぅ・・・」
俺は大きく息を吐き出した。
「子供頃からずっと好きでした。結婚してください!」
「それ、聞いたやつ」
「優しい英梨々が好きだよ・・・」
「使いまわしは良くないと思うのよね」
「一生側にいてください」
「それはいいわよ」
「なら結婚しよ?」
「もっとこう・・・伝える事があるでしょ」
あんまり照れ臭いから言いたくないんだよな。
「一度しかいわないからなっ」
「一度で十分よ。でも一生守りないと承知しないんだからねっ」
「ああ、わかったよ」
大きく息を吸い込んだ。
『愛してます。結婚してください』
英梨々は小さく、「うん」とうなずいた。
なんでもない、暑い夏の日のことである。
※ ※ ※
※ ※ ※
プロポーズから一ヵ月、日常生活ではあまり変わったところはない。俺は講義を加藤と一緒に受けている。どこにでもいる普通の大学二年生で、たぶんあんまりいない大金持ちの大学生でもある。
「えっ?売ったんだ・・・」
「ああ。あれは持っているようなもんじゃねぇーよ・・・」
「英梨々はそれでよかったの?」
「あんまり気にしてないみたいだな。結局自分で作った最初の指輪が普段使いにはちょうどいいってよ」
「あれはあれで高価だよね・・・」
「加藤は身に着けないな」
「いろいろね・・・落としたら嫌だし」
「そのサファイアは?」
「これは落とさないから」
「そういうもん?」
「そういうもん」
「乙女心だな」
「女心だよ、安芸くん」
「わかねぇなぁ・・・」
英梨々は会社を通して中東の王族にあっさりと指輪を売った。相手の言い値は3000万ユーロだったが、スペンサー家が交渉し、他の6つの指輪の『エゴスティック・リリィシリーズ』もつけることで、4000万ユーロで成立したらしい。約60億円。ちょっと何言っているかわからないかもしれないけど、俺もわからない。
「日本に持ち込むと税金で半分持ってかれるから、サウジアラビア銀行に貯金したままなんだ。あっちいったら豪遊できるぞ」
「サウジアラビアってなにがあるんだろ?」
「砂漠とラクダと石油じゃね?」
「たぶん、それ偏見だよね」
「サソリもいるかもな」
実はネット銀行が使えるので好きに買い物ができたりする。ただし取引通貨はサウジアラビア・リアルだ。税金と『DBS』の手数料などいろいろ引かれて残高は10億サウジアラビア・リアルほどある。とりあえず移動はサウジアラビア航空のファーストクラスでも使わないと使いきれなそうだ。
なんだかものすごい大金のようで、そうでもないのかもしれない。俺個人で自由に使うというよりは、スペンサー家の方で運用してもらう。アメリカのトーヤ・アクィナス名義の口座も同じだ。
だとすると、英梨々と結婚するというこは、スペンサー家に仲間入りするということになって、基本的な生活費からは解放されることになる。経済力というよりは権力をともなう。責任ある立場にいる人間は責任ある力の使い方を求められる。
「結婚したら安芸くんってスペンサー家に婿入りするの?」
「いや。英梨々が安芸を名乗るって」
「それって庶民になるってこと?」
「もともとあいつは庶民だけどな・・・日本では」
そう日本では庶民。身分制度はない。
「結局さ、俺は自由にはなれないんだと思う。別に英梨々に束縛されているってわけじゃないけれど・・・英梨々だって自由になれない。お金がいくらあっても自由になれないないどころかしんどくなる。だから、英梨々は戸籍上だけでも安芸家がいいんじゃねーかな」
「それはわかる気がする」
「次はいよいよ結婚に向けて準備しないといけないだろ・・・もうスペンサーのおじさんを変なおっさんとして扱えないしな」
「もしかして安芸くん・・・マリッジブルーなんじゃ」
「そうかもなー」
こうして、加藤に愚痴を聞いてもらうことだけでもありがたい。今や一番儲からないゲーム事業が趣味みたいになっている。なんとか加藤には人並以上の給料を出してあげたい。英梨々が売り上げ報酬を受け取らない理由もわかってきた気がする。
「加藤もいろいろありがとうな」
「しょうがないよ」と加藤はフラットな顔のまま言った。
※ ※ ※
英梨々の部屋にはショーケースがまた増設された。今後は強化ガラスの特殊なものである。中身の見える金庫といったらいいだろうか。
その中には、俺が幼稚園の頃に初めて贈った安物の猫のガラス細工からはじまって、毎年贈ったもの、そして今回の旅行で集めた原石や宝石が飾られていた。
「だって、加工するのもったいなかったからしょうがないでしょ」
オタクらしくコレクション性にこだわってしまう気持ちはわかる。
オーストラリアで出会ったアーガイル鉱山のピンクダイヤモンド。
アメリカのソルトレイクシティーのレッドベリル。
コロンビアのムゾー鉱山のエメラルド。
ブラジルのリオで買っただけのアレキサンドライト。
スリランカで自分で採掘したと思い込んでいるディープブルーサファイア。
スペインのアストゥリアス公爵のスファレライト。これは鎧と王冠もやっぱり贈り届けてきたので、王冠とその脇に小さいスファレライトが飾られている。
『パーフェクトカナリー』だけは代替できなかったので、ここにはない。俺がアフリカで買ってきたカナリーダイヤは指輪に加工してみんなに配ってしまった。
「こうみると、やっぱり売るとコレクションが欠けている気がするな・・・」
「あんた、出世して買い戻しなさいよ」
「無茶いうなよ・・・」
「でも、これで予算もできたし、次はいよいよね」
「ん・・・?いよいよなんだ?」
「はぁ?あんたバカじゃないの?死ぬの?プロポーズ受けたんだから、次は結婚式に決まってるでしょ」
「おお・・・そうか・・・って、おい!?」
「予算、使い切るわよ」
「いやいやいやいや・・・何言ってんだ?10億サウジなんちゃらだぞ?日本円でまだ40億円ぐらいの価値だぞ?」
「足りるかしら・・・」
そう言って、英梨々は笑った。笑うと八重歯がちらりと見えてとても可愛い。
(了)
これにて終り。後日談みたいのはなくてもいいような気もする。
そろそろ冴えカノの卒業して終わりでいいような。
長い間お付き合いいただきありがとうございました。
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