でもだんだんと高価なものを欲しがるようになる。
本質的な価値はまた別のところにあるのに。
基本的に英梨々は経済とは切り離されたところにいるお嬢様なので、その辺の価値観を見失わない。
というのが、全体を通してのテーマかもしれない。
ひょんなことから始まった婚約指輪作りを中心に生活が回っている。新しいことをするのは楽しいがその分、時間とコストが取られる。
発注した3Dモデリングで作った樹脂製の指輪が早速届いた。小さなダンボールの中には5つほどの類似した指輪が入っているはずだ。
英梨々のアトリエまで届けに行く。アトリエは澤村家の屋敷の広い庭の片隅建てられた小さなログハウスだ。それでも俺の部屋二つ分ぐらいの広さがあり、さらにトイレと小さなキッチンがついている。
もう昔のようにチャイムを鳴らして執事が出てくることもない。俺もカードキーを持っていて勝手口から入ることができるようになった。そして中庭を横切ってアトリエに向かう。
夜も更けていて時刻は20時を回っていた。大学から戻り、課題と仕事を一段落させ、食事や風呂を済ませたらこれぐらいの時間になる。
昔のような自由で怠惰な時間はなくなってきている。アニメをすべてチェックすることもできないし、アニメだけを集中して観ることもなくなった。何か他の作業をしながら観ている。学業、ゲーム制作、指輪作り・・・いろいろ忙しい。
アトリエの木のドアをノックすると、英梨々が開けて出てきた。
英梨々は幼稚園児が着るような水色の大きなスモックを着ている。それはカラフルに油絵具で汚れていて年季を感じる。下はベージュのチノパンだが、こちらもところどころ汚れていた。
英梨々は髪を後ろで1つに束ねて、大きな丸いメガネをかけていた。絵を描いていたのだろう。
「こんばんは。届けに来たぞ」
「こんばんは。待ってたわよ」
靴を脱いであがる。ここには他に出入りする人はいない。脱いだ靴をお手製の小さな下駄箱にしまった。その上にケータイ電話を置く。英梨々のケータイもそこに置いている。
小さな流し台とトイレがあり、その先にもう一つ扉があり、そこが作業場だ。
中は換気されているとはいえ油絵具独特の匂いが広がっている。
部屋の角には2人用の小さなソファーが置いてある。ベージュ色のカバーがかぶせてあり(もちろんこれもところどころ絵具がついている)、座り心地もいい。その前には丸い小さなガラスのテーブル。
「もう少しで一段落するから待っててくれる」
俺は小さな冷蔵庫を開けて、中から冷やしてある各種ドリンクからレモン水を選んだ。英梨々は大きなキャンパスに夏休みの課題の絵を描いていた。
英梨々の作業をぼんやりと眺めながらレモン水を飲んだ。この部屋には余計な電化製品は少ない。音楽も流れていない。
俺も英梨々と同じように電子機器から少し離れるようになった。ケータイもノートPCも持ち込み禁止だ。
するとどうだろう。ゆったりとした時間が流れる。部屋には時計もなかった。
車も通らないような立地だし、奥まった中庭に建てられているのでとても静かだ。ここだけ隔絶した世界のようになっている。雰囲気は森の中に佇む英梨々の別荘に近いかもしれない。
英梨々が少し待っていてと言ったが、それがどれくらいかはわからない。邪魔をしないように話しかけたりしない。
ただ何もしないと脳がリラックスするのか、俺は大きなあくびをかみ殺し、それから少し目を瞑った。
※ ※ ※
カチャカチャと片付ける音がしたので、俺は目を覚ました。どれくらい寝ていたのか分からない。英梨々は筆を洗い終えるとスモックを脱いだ。軽くたたんで丸いイスの上に置く。
「待たせたわね」
英梨々が冷蔵庫からペリエを出して蓋を開けながら隣に座った。エジプト綿の白いTシャツを着ていた。小さなロゴが胸元にはいっている。
俺は箱のセロテープを剥がして開ける。中にはピンク色の樹脂製の指輪が支えと一緒に入っていた。これはプラモデルみたいなもので、ここからニッパーなどでプチプチと切って指輪を取り外す必要がある。
英梨々が1つをつまみ上げて眺めている。それから1つづつ確認している。
「これ、最低限の加工しないとダメね」
「そうだな。してきた方がよかったか?この状態も見てみたいだろうと思ってな」
「うん。ここにニッパーないのよね」
「俺がもってくればよかったかな」
「もってくるわよ」
英梨々は立ち上がって本宅の方へ取りに行った。しばらくすると道具セットを持ってもどってきた。
「あたしが切っていいかしら?」
「どうぞ、ご自由に」
英梨々がニッパーでプチプチと接続部を切り取っていく。支えから外れると指輪の形になる。宝石をはめ込んでいないし、爪のためのトゲトゲが無数にでているので奇妙な形になっている。全部で5つある。
英梨々は加工しながら1つずつ、ガラステーブルの上に並べていった。こういう作業が好きなんだな。俺も切り出されたものを確認していく。8号なので俺の小指ぐらいにしか入らない。
「3Dデータとはやっぱり雰囲気が違うもんだな」
「そうね。思ったよりも指輪の形は見分けがつかないわね。やっぱり上部に視点がいくせいかしら」
「そうだろうな」
リングの土台などの厚みや形はそれぞれ違うはずだが、そこまで印象は変わらなかった。
「つけてみていいかしら?」
「もちろん」
英梨々が1つをつまみ上げて、俺に渡そうとした。
「なんだ?」
俺はそれを受け取る。
「なんだ?じゃないわよ。なんで婚約指輪を自分でつけなきゃいけないのよ」
「これ・・・婚約指輪なのか・・・」
ピンク色の安っぽい樹脂だ。型を作るために焼かれて消えていく運命にある。
英梨々は左手を差し出し、指を広げている。
「・・・緊張するなぁ・・・」
俺はソファーから立ちあがってから、床に片膝をついた。
「この指輪が消えてしまっても、俺の想いは消えないから」
左手で英梨々の指を軽く支えて、右手でリングを英梨々の薬指にはめた。サイズはぴったりだった。
英梨々は口をもごもごとさせてニヤけるのを我慢している。こんな玩具でも嬉しいものなのだろう。その辺の幼い正直さがとてもカワイイと思う。
それから指にはめられた指輪を眺めている。
「せめて塗装ぐらいすれば雰囲気もでるんだろうけどな」
「これはこれで可愛くて好きよ」
「そういうもんか?」
「だって、これでも一応自分のデザインしたものが3Dモデル化したのは事実じゃない」
「そうだけどな・・・」
「あとは素材が変わるだけでしょ」
「それってけっこう大事じゃね?」
「大事よ」
英梨々は自分で指輪とって外した。
「はい。次」
そういってテーブルの上の指輪を取って俺に渡した。
「次って・・・お前。同じことをしろと?」
「嫌ならいいわよ。受け取らなくてもいいんだからねっ。ふんっ」
「はははっ」
俺は照れ臭いのでソファーに座り直した。
「ちゃんとやりなさいよ」
「この指輪が燃えてなくなっても、データは消えないから」
「バカ」
俺は2つ目の指輪を英梨々にはめた。英梨々はそれをニヤニヤしながら受け取っている。何がそんなに嬉しいんだか・・・
「そんな変わらなかったわね」
「そうだな。研磨で変えられるレベルの変化なのかもな」
「今度の休みで予約とっておくわね」
「鋳造のか?」
「うん」
「いよいよかぁ・・・」
英梨々が俺に3つ目のリングを渡した。どれもピンクの樹脂製だ。見た目だってそう変わり映えしない。
「ちゃんと気のきいたこと言いなさいよ」
「1つぐらいは燃やさずに残してもいいかもな。憐れな運命の指輪に祝福を」
英梨々の指にはめてやる。耳まで赤くなる要素がどこにあるのだろう?なんだこの儀式・・・と思いながらも、俺の耳も赤いに違いない。
「そうね。これはこれで残してもいいけれど・・・なんだかこれが本物の指輪みたいになるのは嫌ね」
「オリジナルか」
「そそ。なんか未練がましいじゃない」
「まぁそうだな。それで今のところどれがいいんだ?」
「正直あまりわからないわ」
「だよな」
英梨々が外して、4つ目を俺に渡した。
「でも、このリングって既製品のシルバーリングよりはコストかかってんだよな」
「そういえばそうね」
「そう考えると燃やすのももったいねぇな」
「それはしょうがないわよね」
「さてと・・・セリフが見つからないんだが・・・」
「シンプルに」
俺は英梨々の手をもって、指輪をはめた。
「英梨々。結婚しよう」
「ああん。もうっ!」
英梨々が急に俺に抱き着いてきた。狭いソファーの上で抱き着かれても逃げ場がない。そのまま唇を押し付けられるようにキスをした。
一応、ここではエッチなことはしない約束だ。2人きりになれる場所でエッチしてしまったら、アトリエはアトリエでなくなる。
「ちゃんと、断りやすいか、ボケをつっこめるものにしなさいよ!」
「いや、お前がシンプルにっていったんだよねぇ!?」
「ほんと、もう少し空気読んでもらいたいわ」
「どんな空気だよ・・・」
英梨々が最後の指輪を俺に渡した。
「5つも作らなくてよかったな」
「そうね・・・」
「ふたつぐらいでよかったかもな」
「自信があるなら1つでもいいのよ」
「1つじゃなぁ・・・失敗するかもしれないだろ」
「でも、これって失敗するとしたら上部の爪のところよね」
「そこはデータの流用もしているから大丈夫だと思うぞ」
「ぬかりないわね」
英梨々の左手に手を添えて、俺は最後のリングを薬指に通した。
「幼稚園で初めて会った時からずっと好きだった。英梨々。結婚してください」
英梨々の顔が真っ赤になって、もうニヤニヤもしなくって、固まった。
(了)