スロースタートな話だが、ようやく土台ができた感じか。
今日は指輪工房へやってきた。職人の街である御徒町は上野から歩いてアメ横を通り過ぎるとある。戦後の雑踏が今も色濃く残っている地域だ。
英梨々がいったいどうやってそのような工房を見つけてきて、どのように予約を取るのかはわからない。ここは一般向けの指輪制作の体験工房ではないらしい。
思ったよりもずっと広くて近代的な作業場だった。パソコンや3Dプリンタもあって金d内的な施設だ。
いかにも職人と言った感じの白髪の小柄な男性が1人と、白衣をきた愛想のある若い男が1人いた。
俺は持ってきた3D樹脂リングをみせた。白衣の人は1つずつルーペを使って確認する。
「いい出来だね。本当に初めて作ったの?」
「はい。作ったというか発注しただけですが」
「へー。データはある?」
「あります」
英梨々は俺と男のやり取りを途中まで聞いていたが、職人さんの研磨作業の方に興味がすでにいっている・・・。目がキラキラと輝いているあたり、ほんと創作が好きなのだとわかる。
「英梨々、こっちはやっておくから」
「そ・・・そう?」
「ご自由にどうぞ」と白衣の人も答えた。
英梨々はいそいそと職人の爺さんのところにいって、黙って作業見学をはじめた。無駄に声をかけないあたりが流石だ。
ちなみに今日の英梨々の恰好は、黄色ベースのチェック柄のシャツに、デニムのオーバーオールだ。英梨々の作業用戦闘服みたいなものだ。
ツインテールはネイビーブルーのリボンで結ばれている。
俺は3DデータをPCの方に転送した。白衣の人がデータ上の数値を確認していく。英梨々のスケッチもみせて、不安だった爪の部分を重点的にみてもらった。
「ギリギリよりも少し長めに作っておけばいい。削るのは簡単だから」
「なるほど」
俺は隣でデータが修正していくのを見ていた。
「あと、この裏の部分は空白を広くして・・・横も少し穴をあけようか。光が取り込まれた方が宝石は綺麗に輝くから」
「ふむふむ・・・」
「こんな感じで」
すぐにサイドにデザインカットがされた。この複雑な模様をすぐに3D上に落とし込めるのは流石の職人技だ。
「5つ作るのかい?」
「いえ、そういうわけでもないのですが、よくわからなかったので・・・」
「でもまぁ、5つなら一回戦で作れるからちょうどいいかもしれない」
「一回戦?」
「石膏一回で5つ分ぐらいは作れる」
「なるほど。これってサイドのデザインは変えられます?」
「もちろん」
「なら・・・こんなのとか」
俺はもってきた英梨々の他のデザインの指輪をみせた。どれも綺麗で捨てがたい。白衣の人はそれを確認しながらうなずく。
「どうせなら、どれも3Dデータにしてしまえばよかったのに」
「そこまでの余裕は・・・ただこの7つの宝石の指輪が良かったので」
「ならデザインの一部をとりこもうか・・・」
手慣れたものでカチャカチャとPCにデータを打ち込みつつ修正していく。俺が作った3Dデータがベースとはいえ、素人と玄人ではこうも違うのかと驚かされた。
特にサイドの穴の模様を、跳びはねる猫のようにしたり、鳥を連想させるファンタジーな感じにしたりと、英梨々の発想を3Dデータに落とし込む。
英梨々本人にもこのデザイン作業をを見ていた方がいいと思ったが、すでに爺さんの隣で実物を研磨し始めていた・・・恐ろしい適応力である。
「じゃあ、こんな感じでプリント始めるけどいいかい?」
「お願いします」
「だいたい2時間ぐらいでできる。その後は洗浄と焼きしめ」
「はい」
データが転送されて、3Dプリンタが動き始めた。テレビや動画でみることはあったが、実物で見るのは初めてだった。印刷風景が見られるというのが非常に興味深く嬉しい。飽きる事はなさそうだ。
英梨々の方はすでに爺さんをたらし終えているのか、笑い声すら聴こえる。リングをぶっつけ本番で磨くのでなく、練習できるのはありがたいことだ。
俺は3Dプリンタの進行具合と、3Dプリンタの説明書を読みつつ、時間が過ぎるのを待った。
※ ※ ※
「見て見て倫也~」
英梨々の声でうとうとしていた俺は起きた。英梨々は金のリングを持っている。
「これが、こうなるのよ」
「すげぇな!」
同じ形のリングだった。片方は鋳造したままの物だろう。もう一つは磨き上げられたものだ。
「それって完成?」
「これに宝石をいれたら完成ね」
「ちょっと貸してくれ」
俺は近くにあったルーペで爪の部分を中心に確認する。実に細密な作りだった。
「いい感じだな。磨くのはできそうなのか?」
「筋はいいって褒められたわよ」
「そっか、良かったな」
「まだ練習しているから、できたら言いなさいよ」
「わかった」
英梨々が爺さんのところに戻っていく。こうしてまた職人の後継者候補として期待されるんだな。罪な女だ。
白衣の人はPCに向かって作業をしている。これなら俺でも手伝いできそうだが、生憎と 俺は向上心の強い人間ではない。英梨々みたいにあちこちに興味をもって取り組むことはできなかった。
ピィーという機械音がなって、3Dプリントができあがったことを知らせた。
「このまま30分以上冷ます」
PCに向かったまま白衣の人が言った。俺はうなずく。こっちはマイペース組だな。英梨々は楽しそうに他のリングも磨いている。まったくもってどうなのだろう?たぶん金を払ってこの工房に参加しているが、一方で英梨々は教えてもらっているのか、仕事を手伝っているのか・・・
爺さんの方は最初に会った時もよりも柔和な表情で英梨々を見ている。
俺はカバンの中からペットボトルのお茶を出して一口飲んだ。それからトイレを借りて時間をつぶす。
30分は何かをしているとすぐだが、ぼんやり待つにはいささか長い。
※ ※ ※
出来上がった3D樹脂のリングをニッパーで切り落としていく。それから薬液につけて洗浄し、専用の紫外線の機械で焼き固める。
すると柔らかかった樹脂がけっこうな硬度を持つようになった。色は灰色でいかにも原型といった感じだ。
「これに塗装すると雰囲気がわかるけど、このまま石膏にしてしまうけどいいかい?」
「はい」
「そしたら次はこの樹脂をつけて、ツリーみたいにしていく」
「はい」
「やったことは?」
「ないです」
「自分でする?」
「いえ・・・お願いします」
白衣の人も職人ではあるらしい。俺は英梨々とちがって不器用なので作業は直接的には関わりたくない。英梨々があっちで研磨に夢中な以上はこっちはこっちで進めておこう。
出来上がった樹脂リングに、樹脂の棒をつけていく。これが通り道になる。一本の樹脂から枝分かれして木のようになった。リングツリーだ。
「固まるまでの間に石膏粘土を作るよ」
「はい」
「この分量の粉をいれて・・・次に水を・・・」
俺は言われるがまま容器に石膏の素をいれて、水をいれながら混ぜ合わせていく。それを専用の機械で振動させて中の空気を抜いていった。
「次はいよいよ石膏で固めるから。ここで空気がはいったり、密着度が甘いと台無しになるから気をつけて」
「お願いできますか?」
「簡単だから彼女の為にもがんばりなよ」
「・・・はい」
石膏液に樹脂ツリーをつけてまとわせる。それから専用の容器にいれて流し込む。それをもう一度機械にいれて振動させて無駄な空気を抜いていく。
作業は意外と細かい。
「次は焼いていく」
「はい」
「これで挟んで、落とさないように」
「はい」
こっちの場合はたどたどしい弟子と親切な兄弟子といったところだ。やる気がない弟子で申し訳ない気分になる。
英梨々は、こっちの様子は気にならないぐらい集中している。
電子窯に専用の道具ではさんで容器ごといれる。蓋をしめてタイマーをセットすればあとは機械がやってくれる。
温度は500度。石膏が焼き固まって、中の樹脂は焼けて落ちる。そうして空洞ができるわけだ。
※ ※ ※
「次は金属を溶かしていく」
「はい」
「そしたら・・・」
これがなかなかすごい。缶の中に無造作に金の延べ棒が複数入っている。1つ1つは大きくない。他にも銀やプラチナなどもある。
「ピンクゴールドだったね?」
「はい。比率はこれで・・・」
俺は白衣の人にメモを渡した。それは通常のピンクゴールドの比率だ。金、銀、銅、そしてパラジウムが少量。
銅が入ることで金は赤味を帯る。そこに銀を足すことでやわかなピンク色になる。そしてパラジウムで硬さと安定性を加える。理屈はわかるが試行錯誤の末に発見された配合比なのだろう。
もう、これは現代のオリハルコンといっていいのではないだろうか?
金属というのは不思議なもので、俺でも触っているとテンションが少しあがる。配合
比率通りに天秤で正確に測っていく。
それを専用の容器にいれた。5つ分と支柱の分もあるので結構な量になった・・・おいくら万円なのか考えたくない。
「じゃあ、そろそろ始めようか。手順なんだけど・・・」
俺は白衣の人の説明をうなずきながら熱心に聞く。動画も見て予習している。焼きあがった石膏は上下を逆にしておく必要がある。また熱いうちに行わいといけないらしい。
ガスバーナーを着火して陶器の上で金属を溶かしていく。金属はスライムのようにみるみる溶けていった。
「どうかしら?そろそろよね」
「わぁ・・・突然話しかけるなよ・・・」
「ふふっ、めずらしく真剣ね」
英梨々も作業を一段落させたようで見にきていた。陶器の棒で金属を混ぜていく。
次に焼きあがった石膏を専用の場所にセットする。
指示に従いながら十分に溶けた金属を石膏の中へと流しいれていく。持っているのはヤットコという熱いものを持つ道具だ。緊張する。
その後はガラスの蓋をする。さっきは専用の機械で振動させたが、今度は専用の機械でガス圧縮して金属を隙間なく押し込んでいく。隙間とか気泡とかが品質に大きく影響するのだろう。こんな機械があることなんて知らなかった。
タイマーで時間を測っていく。当然なのかもしれないが、金属の方がさきに冷えて固まっていく。石膏はまだまだ熱い状態だ。
「いよいよね・・・」
「俺がやるんだな」
「あたしがやってもいいけど、誰がやっても同じよね」
「そうだけどな・・・危ないし俺がやるよ」
最後にこの熱い石膏を水の水槽にぶち込んで終りだ。そうすることで急激に冷やされた石膏はボロボロに割れて砕けて、金属だけが残るという寸法だ。
大きなヤットコで筒状の石膏を挟んで、水槽の中に入れた。
ジュゥー。シュババババッと音がして、あっという間に水が白く濁っていった。
「もっと振って」
「はい!」
中でヤットコをふって、石膏を落としていく。穴の開いた金属ガイドで石膏を支えていたが、それ以外は崩れ落ちた。
「もう手をいれて大丈夫」
「はい」
俺はおそるおそる手を水槽にいれた。熱くはなっていないが少し温かくなっているような気がする。
石膏は粉々で原型をとどめていない。金属ガイドの中には、鋳造された指輪が入っていた。
「できた・・・」
「いい感じじゃないかしら?」
「どうだろ・・・」
まだ石膏などが細部に詰まっていてよくわからない。無事に型がとれただろうか。
「次は分解するよ」
白衣の人に案内されて作業台へと移った。見事な金属ツリーができあがっていた。
「これで接続部分を切断する。あとから削れるからそんなにギリギリでなくても大丈夫」
「はい」
英梨々が立ったまま見ている。この辺の作業ならもう英梨々でいいような気がするが、変わるタイミングを測り損ねた気がする。
電子カッターを使う。これは先端が丸い円盤上のカッターだ。保護用のメガネをかけて、金属を削っていく。甲高い音と火花が散った。なんか俺も職人っぽい。
カチャンと指輪が台に落ちた。
続けて2つ目、3つ目と切断していく。
「あ・・・あたしもやる」
「あっ?うん。変わるよ」
俺は作業を止めた。こんな作業でも英梨々はやりたいらしい。何がそんなに嬉しいのか、青い瞳を大きく見開いていた。保護メガネをして英梨々が4つ目と5つ目の指輪を落とした。残った支柱はまた溶かして使うことができる。
ジャラジャラと台の上で5つの指輪を触っている。満足そうだ。
「少し休憩しませんか?」
白衣の人の声掛けで休憩することになった。午前中からずっと作業をしている。
今はもう2時を過ぎていた。腹も減る。
ランチ休憩をすることになった。白衣の人はコンビニで済ますといった。爺さんは近所の蕎麦屋に案内してくれるという。俺と英梨々はそれについていくことにした。
そこは老舗ではあるが格式のある店構えではなかった。もっと庶民的な店だ。内装もこってはいない。爺さんの行きつけの店なのだろう。店員さんとも顔なじみだった。そこでソバ定食を頼んで食べた。
爺さんには御徒町の発展の話とか、バブル期の豪快な注文の話などを楽しそうに話していた。英梨々が上手く話を聞いたり、笑ったりしている。質問の方向性がやや職人的なのがいいのだろうか。それともジジィになってもスケベなだけか、俺にはわからない。
俺は隣で話を聞きながら、カツ丼を食べつつ、そばをすすった。味は特別美味いというわけでもないが、どこか懐かしい。
※ ※ ※
工房に戻って、英梨々は指輪を段階的に研磨していく。金属やすりでケバをとり、その後は荒い番号のやすりを専用の機械でかけていく。けっこう細かい作業で、英梨々は目が疲れたのかコンタクトをはずしている。メガネはおでこの上だ。なんか怪しい博士みたいになっているが、こうなると容姿はあまり気にしないようになる。
「変わった子だね」
「ええ、ただの残念美人です」
「はははっ、そうだね」
白衣の人が笑っている。こんなに直ぐに見破られることはあまりないのだが・・・こっちの方が素の英梨々なのでしょうがない。
英梨々が磨き終わるのにはまだまだ時間がかかりそうなので、俺はその間に3Dプリンタのソフトをいじらせてもらった。
「こっちのセンスはあるんだね」
「こっちが本職なんで」
「仕事かい?」
「将来の仕事にしようとは思っていて・・・でも3Dモデリングではなくってゲームのですけど」
「あー、その方が金は稼げると思うよ。この業界は厳しいから」
白衣の人と話をしながらコツを教えてもらった。3Dデータとはいえ職人技なのである。いつも動かして切磋琢磨しないと時代に取り残されてしまう。新しいものを取り入れるということは、新しいものを使いこなす必要がある。
英梨々の本職のイラストだって日進月歩だ。有名な絵師になるのはプロスポーツ選手になるように厳しい。才能だけでは到底無理で血のにじむような努力はやはり必要だ。
「倫也~ じゃん!」
英梨々がリングを俺に渡した。ピカピカに磨き上げられたピンクゴールドのリングは素晴らしい出来栄えだった。宝石がはいっていなくてもオシャレなデザインなのがわかる。樹脂の指輪とはぜんぜん違っていた。
「残りは?」
「まだこれからよ。でも手伝ってもらうから、そんなに時間はかからないわ」
「そうか。楽しみにしとく」
英梨々が鼻歌を歌いながら作業台に戻っていった。絵を描くことも好きだが、立体模型も好きなのだ。プラモデルなども作る。絵もアナログの油絵も描くし、デジタル画も描く。なんでも真剣に取り組むのはいいことだと思うし、頭の下がる思いがする。
※ ※ ※
帰りの電車で英梨々はホクホクだった。両手で指輪の入った箱を持っている。まさかここに手作りの出来立てほやほやの指輪が入っているなどとは誰も思うまい。貴重性としてはブランドの指輪よりもあるだろう。
「ちなみにいくらなんだ・・・?」
「実はそんなに高くないのよ」
「ほう?」
「ピンクゴールドって銅も入っているから金よりもずっと安いし、工房賃借料と授業料の謝礼金と原価代だけだから。普通に買うよりも半額以下ね」
「お得だな!」
「そうね。何しろデザイン料と3Dモデリング料がかかってないもの。当然といえば当然よね」
「いや、よくわかんね・・・でもあの白衣の兄さんは俺のデータをいろいろと改良してくれたぞ」
「ええ。そうみたいね。グッとよくなったのは流石よね。もしかして倫也は倫也の指輪のままが良かった?」
「いやぜんぜん。そんなこだわりはねぇよ。英梨々に内緒で変更してしまったけどな」
「いいのよそれで。あたしがいて、倫也がいて、いろんな人に手伝ってもらってやっとできるんだから」
「英梨々がいいならそれでいいけど」
英梨々は上機嫌で、よく笑うからチラチラと八重歯がみえる。
カバンの中から飴ちゃんを1つ出して俺に渡した。珍しくハッカだった。包み紙のゴミを英梨々は回収してカバンの中に入れた。
「いつも飴ちゃんごちそうさん」
「どういたしまして」
「もう何年もらってるんだろうな・・・」
指折り数えてしまう。幼稚園頃からお出かけのたびに何かしら貰っていた気がする。14~5年と行ったところか。
電車はゴトゴトと静かに揺れている。外は暗くなっていたがどこも電飾で明るい。
「なぁ英梨々」
「何かしら?」
「いつも飴ちゃんをくれる優しい英梨々が好きだよ」
「はっ?あんた突然何言ってるのよ」
「結婚しよ」
「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?なんでこんなところで唐突に言ってるのよ」
「だって、今日も5回プロポーズするの照れくさいだろ・・・」
「・・・」
とりあえず指輪は5つある。どれも良い出来栄えだった。ここから選ばないといけない。5つから1つ選ぶのはなかなか大変な作業だ。
「なんか4回分損した気分ね」
そう言いながら英梨々が笑った。メガネ姿の英梨々もカワイイ。
(了)