南無阿弥陀仏と唱えてみれば 作:ハレテルン
正義実現委員会の監視下という形で置かれる事になった、鬼殺隊士の石見金吾。
しかし、その実情は完全に彼の行動を制限するようなものでは無かったりする。
というのも、彼を止めようと思うなら剣先ツルギに出てもらう必要があり、それ以外の委員会の面々では数を増やせども、ソレは負傷者の増加にしか繋がらない。
という訳で、基本的には通信用の端末を持たせた状態で放逐。必要な時に呼び出す形をとっていた。
さて、そんな金吾だが完全に正義実現委員会のヒモと化しているのかと問われれば、ソレも否。
というのも、ここキヴォトスには賞金首の制度がある。よっぽどの悪童や、企業に恨みを買った、などなどその理由は様々だが、この賞金首を捕縛してヴァルキューレ警察学校へと連れて行く事で一定の懸賞金を得られる。
これを利用した。
お陰で、今の彼の白羽織は裏界隈では有名だったりする。
そんな金吾は現在、トリニティ総合学園の学区を離れて砂と風の街へとやって来ていた。
理由は一つ。
「ほい、紫関ラーメン大盛一丁!」
「いただきます!」
このラーメンである。
今や国民食とも呼ばれるラーメンだが、その日本への伝播は明治時代にまで遡るのだとか。更に続けるなら、ラーメンは最初からラーメンではなく太平洋戦争時点では、志那そば、南京そばと呼ばれてもいた。
金吾がこの店。紫関ラーメンを見つけ訪れたのは偶然だった。
適当な賞金首を探して動き回るついでに、このキヴォトスにおける地理状況を頭の中に叩き込んでいた折に偶々空腹感を覚え良いニオイのするこの店に足を踏み入れた。
それからは虜だ。週四のペースで足を運んでいる。
替え玉六回にギョーザを食べて、スープまで飲み干す。確かな満足感。
「兄ちゃんは、よく食うな。その紋章は、トリニティだろ?態々こっちにまで来て食ってるのかい?」
「ま、そっすね。でも、旨い物を食べるのに割いた労力は手間じゃないでしょ」
血腥い夜を駆け抜けて、明るい朝がやって来ると同時に食べる朝食というのは格別だった。
それは多分、生きているという実感を与えてくれていたからかもしれない。
(あの時は、食えなかったからな……)
空になった丼を置いて、金吾が思い出すのは最期の瞬間。
少し思い出して、そして目を見開く。
「……おっちゃん、おあいそ」
「おう?客も少ないから、少しはゆっくりしても構わないよ」
「んー、ちっと嫌な予感がな」
手早く払って、足早に金吾は店を後にする。
砂と風の地区、アビドス。
勘に任せて、石見金吾は駆けだした。
*
砂漠化という現象には幾つかの理由が存在するが、その一つとして元から存在する砂漠の砂が風に運ばれて降り積もる事により砂漠の範囲が広がるというものがある。
アビドス地区の場合は、砂漠より発生した砂嵐の結果街の大部分が砂に覆われてしまい、更にオアシスが枯れてしまった事が更なる打撃となって多くの人々にその土地を見捨てられる事になってしまっていた。
そして、その砂漠において今まさに一人の命が終わろうとしていた。
「ハァ……ッ!ハァ……ッ!」
荒れる息。日差しの中で、汗と共に血が流れ落ちて砂の中に飲み込まれていく。
携えた盾はまだ機能しているが、目の前の怪物の巨体には余りにも無力だった。
(銃は弾切れ……再装填は出来ても、決定打にならない……!)
彼女の装備は、盾に後ろに仕込める拳銃。同じ生徒や、傭兵ならば相手するには問題ないが、しかし乗用車以上に大きさのモノを破壊するには向かない。
今目の前に居る相手とか。
少女が砂漠を訪れたのは、元々ここアビドスで行われていた砂祭をもう一度行えないか、と考えての行動だった。
オアシスを中心としたこの祭りは、アビドスのみならず多くの学区から生徒や観光客を呼び込める一大イベント。
中止となってしまったのは、砂嵐の被害と中心地となっていたオアシスが干上がってしまったから。
砂漠のオアシスとして成立させる水源は幾つかあるが、多いのは地下水が湧き出ているポイントだろうか。裏を返せば、その部分が枯れてしまうという事は地下水が枯渇したか、もしくは地下水の流れが変わってしまう程の何かが起きたか。
一人で来たのは、先輩として頼りになる後輩たちに少しでも報いたいと思ったから。
だが、
「ホシノちゃん……」
その声も、最早届く事は無い。
迫る巨体に目を閉じて、そして――――
盛大な破砕音が鳴り響く。
「ッ!?」
諦めの底から急に持ち上げられて、少女は顔を跳ね上げる。
見れば、巨体は彼女から見て左の方へと大きくその体勢を崩しているではないか。
その左側頭部辺りには、何故だか根から引き千切れた道路標識が僅かに突き刺さっている。
何が起きたのか分からない少女だが、その体を何か途轍もない力を持った何かによって攫われる事になった。
砂を巻き上げて少女を抱えるのは、白い羽織の黒髪の少年。
「あ、え……?」
「俺の嫌な予感も、まだまだ捨てたもんじゃねぇな。つっても、そんな鉄砲一つで戦うような相手じゃねぇだろ」
少女を砂丘の影に隠し、少年は腰の左側に提げた得物を手に取った。
本来の得物である大鉈では少々分が悪いと判断して選んだもの。
ジャラリ、と鎖を鳴らして石見金吾は、右手に片手斧を、左手には鎖を握ってその先端に付いた棘付きの鉄球を回転させ始める。
「下がってな。久方ぶりの大一番だ」
*
戦う義理は無い。助ける義理は無い。
況してや、機械の大蛇とも言うべきビルをも越える巨体をたった一人で相手取るなど自殺行為だ。
それら一切合切の理性からの警鐘を、金吾は無視する。
左手の鎖を回して鉄球を回しつつ、前へと駆ける。砂の地面も踏み込みさえ間違わなければ、足を取られる程ではない。
狙うべきは、
(あの標識か)
全力投擲で投げつけた結果僅かに刺さった道路標識。
表面装甲のみで欠片もダメージは与えられていないかもしれないが、それでも基準にはなるだろう。
要するに、
岩の呼吸 壱ノ型 蛇紋岩・一極
全力をもって戦うだけ。
左手が振るわれ、棘付きの鉄球が錐揉み回転を描きながら機械の巨体へと突き進む。
如何に上質な金属を使った人の頭ほどもある鉄球だろうとも、金吾の相対する巨体はビル並みだ。寧ろ、そんじょそこらのビルは凌駕しているだろうし、装甲強度は鉄筋コンクリートなど目ではない。
だが、
『……!』
ガゴォン!!!と重い金属のぶつかり合う音共に、巨体の頭部が揺らされる。
石見金吾の肉体は、少々特殊だ。筋肉の密度と骨の密度が常人の数倍から十数倍。故に、服の上からでは分からないが体格以上の怪力と肉体強度、そして重量を持ち合わせていた。食が太いのも、燃費が悪いからだ。
加えて、全集中の呼吸という特殊な呼吸を常に行う、“常中”という技法を体得してもいる為、その身体能力は宛ら“鬼”の如し。
ヘイローも無い人間。敵とすら見なしていなかった相手に驚かされた事で、巨体は本格的な攻撃行動へと移り始めた。
「……っとぉ!」
開かれる口から放たれる砲撃。単発で狙いも甘いが、しかし一撃受ければまず間違いなく手足が飛ぶか胴体に風穴があく。
鎖を引き戻し、敵を中心とした円を描く軌道で、金吾は砂漠を駆けていた。
(手応えはあるが……あの表面をカチ割るのは難しい、か?)
金吾は冷静に状況を俯瞰する。
彼は自分が最強などと思った事は無い。彼の中の最強は、彼の師匠なのだから。
「――――南無阿弥陀仏」
故に、唱える。
反復動作。肉体に一定の動きを学習させて、いかなる状況でも実力を十全に発揮するためのルーティンだ。
放たれた砲撃を躱して、金吾は一気に距離を詰めていく。
当然、迎撃として尻尾が振るわれたのだが、これを跳躍して回避。寧ろ、その尻尾を足掛かりとして巨体を駆けあがっていく。
同時に両手の掴みを緩めて鎖を走らせた。
一定の所で鎖を掴みなおし、跳躍。
岩の呼吸 伍ノ型 瓦輪刑部
鉄球と手斧を鎖で操り、四か所を攻撃する大技。跳躍する事で落下エネルギーを上乗せし、威力を地上で放つよりも上げるのだ。
四か所の衝撃に巨体が揺らぐ。
もっとも、
「あっぶね!?」
お返しの尻尾ビンタを鉄球をぶつけた反動で回避して砂地に着地する事になってしまったが。
「あー、くそっ!攻撃通らねぇな、オイ!」
その場から飛び下がりながら、金吾は考える。
このままならば千日手だ。そして、まず間違いなく持久力負けをするのは自分の方だろう。熱がこもり始めた体に反して、彼の脳は冷たさを保っていた。
勝つ為に、考える事を止めてはいけない。
とはいえ、やはりこのまま引っ張っても意味が無い。
この現状をひっくり返すには、
「ッ!」
金吾は嫌な予感と共に一目散にその場を離れていた。
直後に、機械の巨体に着弾する複数の砲弾。そして、ミサイル。
巻き起こる衝撃と、それから爆炎、砂煙。
それから、
「え、ちょっと……!?」
「潰しきれる気がしねぇから逃げるぞ!」
砂埃を突き破って少女をお姫様抱っこで抱き上げた金吾が砂原を駆け抜ける。
何やらドンパチし始めたのを背景に、彼は振り返る事もなく街の廃墟が広がる方へと駆けていく。
機械の大蛇をぶっ倒すには、今の金吾では足りなかった。オマケに、この少女を庇うような立ち回りも必要ともなれば、三十六計逃げるに如かず。勝てないのならば、負けないまでだ。
腕の中に抱えられて、少女は目を白黒させている。
つい先ほどまで、死を覚悟していたというのに今もこうして息をしてちゃんと生きている。
その事実が、彼女の胸中に波を起こした。
「ふぇ……ひっく……」
「……」
メソメソと泣き始めた少女に眉を上げる金吾。しかし、何も言わずに抱え直すとほんの少しだけ駆ける速度を緩めた。
彼も覚えがあった。
命のやり取りというのは、緊張の坩堝だ。それが不意に緩むとき、人は涙を流す。
それは安堵であったり、遅れてやって来た恐怖であったり。人によって様々だが、そこには共通して生への実感と喜びがあった。
金吾の胸板に顔を押し付けて泣く少女を抱えて走る事、数分。大きな建物が見えてきた。
同時に、そちらから駆けてくるピンク頭の小柄な人影も。
「ユメ先輩!!」
オッドアイの少女は駆け寄る中で金吾に気付き、背負ったショットガンを引き抜きその銃口を向けた。
「お前ッ!!ユメ先輩に何をした!!」
「おおう、元気だな。ちょっと待ちな」
銃口を向けられているというのに、当の向けられている側の金吾は軽い様子を崩さない。
腕に抱えた少女に少し声をかけて下すと、両手を上げて数歩下がった。
「そっちの水色髪の子は、治療してやってくれ」
「……その肩の紋章。何で、トリニティの正義実現委員会がアビドスに居る訳?」
「ラーメン食ってたからだな」
「……」
「おいおい、睨むな睨むな。戦う気は……うん?」
言い訳を続けようとする金吾だったが、その言葉を遮る着信バイブレーションが響いた。
音の出所は、彼の羽織った白い羽織の内側から。
「出て良いか?」
「…………っ、ユメ先輩」
「はい、大丈夫です」
己のショットガンの銃口を下げさせる先輩へと非難の目を向けるピンク髪の少女だが、曲げる気が無い事が分かると肩から力を抜いた。
その姿を確認し、金吾が羽織の裏から取り出すのは頑丈性と通信性にのみ主眼を置いたゴツイ通信端末。
振り返って二人に背を向け、耳へと押し当てた。
「あい、こちら石見」
『金吾、今どちらですか?』
「ラーメン食ってた」
『直ぐに戻ってください。仕事ですよ』
「了解。ツルギは?」
『既に出動済みです』
電話口から聞こえてくるハスミの静かな声と、そのバックミュージックとして響くのは爆発音と悲鳴。それから狂った様な笑い声。
成程大盛り上がり。金吾は頷くと現場の位置だけを聞いて通話を打ち切った。
そして、首だけ振り返る。
「という訳で、俺は仕事なんでな。それじゃ!」
そう言い残して、彼の姿はその場より掻き消える。
慌ててピンク髪の少女が目で追えば、空き家となった家々の屋根の上を飛びながら一気に離れていく白い背中が見えた。
この邂逅が意味を持つのは、これから一年後の事。