TSテロリスト系改造済み少女兵士(原作知識持ち) 作:ウニダコ
目測にして約800m。薄霧が立ち込める朝の街の中、標的は姿を現しました。
将校を意味する鍔付きの軍帽に、襟章や勲章が張り付いたグレイグリーンの軍服。それを身にまとい、部下に囲まれながら車を降りるその人物こそ、共和国軍第一軍総司令官グスタフ将軍でした。
カイゼル髭の目立つ顔を厳格に歪めながら、彼は兵舎へと歩みを進めます。まわりは武装した兵士たちが巡回し、猫の一匹でも入ろうものなら即座に射殺するであろう雰囲気を醸し出しています。
もし彼の命を狙うものが歩行者で、懐に忍び込ませた銃を近距離で使うことを考えているような人間だったなら、その警備はとても有効的に働いたでしょう。
しかしそれを見越していた組織は、私に長距離からの狙撃を命じました。
いわく、将軍は前線勤務を経験したことのない人間。塹壕から姿を見せた瞬間に撃ち抜かれる恐怖を、彼が知るはずもない、とのことでした。
私たちの組織が本格的な活動を始めてから、既に二か月が経過しています。
戦勝国の示した、敗戦国に課される条約。莫大な賠償金に、領地の大幅な縮小。その内容に国内、主に軍部からは、あまりに屈辱的に過ぎるとして猛反発が起こりました。
しかし、提示された条約を蹴って徹底抗戦を行う余力など、四年にわたる戦果で疲弊した旧帝国に残っているはずもありません。結局政府は国内の反対意見を押し切り、条約への批准を敢行しました。
それが原因で後に国家が混乱に導かれることになるのは、当時の目から見ても明らかなことでした。
締結された条約の中に、このような条文があります。
『共和国正規陸軍の戦力は、十万人以下に留めるものとする。それ以上は認められない』
旧帝国陸軍の戦力は、常備兵力だけで50万人。戦争末期に至っては、1300万人にも及ぶ人間が従軍していました。
生粋の軍人は元より、徴募兵にとってもその影響は大きいものでした。長年の戦争で不景気は決定的になり、戦前からの働き口を失った人が数え切れないほどいたのです。
当然、不満は高まります。
やがてとある元将校が、不満を抱く帰還兵へと秘密裏に声をかけ始めました。
『この国は間違っている』
『共和制など欺瞞の塊だ』
『我々は負けていない』
『敗北を招いたのは、国内に潜む社会主義者だ』
『もう一度、力強い帝国を。君主制の復活を』
『裏切り者に死を』
彼はありとあらゆる甘言で帰還兵を勧誘し、一つの武装組織を作り上げました。
それこそが今私が所属する、極右地下武装テロ組織『帝国突撃旅団』というわけです。
突撃旅団が本格的な活動を始めてから二か月──その間に私たちが殺害した要人の数は、13人にも上ります。国防省はこの異常事態の背景に、我々のような極右組織の存在を嗅ぎ取りました。そして国防軍第一軍に、首都での治安維持に務め警戒態勢を敷くように命じたのです。
そしてその第一軍の司令官こそ、今現在、私の98年式ライフルの照準にその身を捉えられている、グスタフ将軍その人でした。
「北東から微風、速度は約5メートル毎秒。
気温・湿度は変化なし」
「分かりました」
隣で双眼鏡を覗くアルベルトさんが、環境の情報を伝えます。
狙撃には、風向きやその速度はもちろんのこと、気温や湿度ですら強く影響します。それら全てを考慮し、ようやく弾丸は標的に命中するのです。しかもそれらは緻密な計算を要し、ふつうはスポッターの方にそれを任せるのが一般的です。
しかしこの体は、数値を聞いただけで瞬時に、冷静に、冷徹に、修正の計算を始めました。
己の感情とは別に淡々と脳が計算を進めるのを感じ、思わず一抹の恐怖を覚えます。しかし手を止めることなど許されるはずもないため、黙ってそれに従いました。
強化された脳がはじき出した数値をもとに、照準装置のミルを調節。標的の歩行を捕捉し、偏差を照準に編入。狙うは胴体。この距離なら、胴体でも出血多量で死に至る。スコープは反射するので使わない。偏流を考慮し、角度調整。息を止め、4秒。4,3,2,1。
ばん。
銃声とともに標的が崩れ落ち、周囲の兵士たちが慌てて駆け寄ります。胸を貫通する銃創を確認した兵士たちは彼を急いで兵舎へと運び込みましたが、あの傷では助かるはずもないでしょう。
「命中しました」
「ああ、らしいな」
双眼鏡を外したアルベルトさんが、ふぅと息を吐きました。
ライフルのボルトを引き、空薬きょうを排莢します。金色の薬莢が、ピーンと音を発てて床に転がりました。
「よし、任務完了だ。薬莢は拾い忘れるな、車に戻るぞ。
……それと、カーチャ」
「はい? なんでしょうか」
「よくやったな」
落ちている空薬きょうを拾う自分に、突然アルベルトさんがそんなことを言いました。
瞬間、強化された脳が歓喜の悲鳴を上げます。ほめてくれた、ほめてくれた。うれしいな、うれしいな、うれしいな。
「……ありがとうございます。アルベルトさんにそう言っていただけて、とても嬉しいです」
「……そうか」
今にも緩みそうになる頬を固定し、全力で無表情を保っていた私の言葉は、さぞかし無感情に聞こえたでしょう。
アルベルトさんは私が感情のままに、喜び笑みを浮かべる姿を期待していたのかもしれません。薬莢を投げ捨て犬のようにすり寄り、全力で抱き着くのを期待していたのかもしれません。
しかしそれは私の本心ではなく、あくまで洗脳が生みだした感情。洗脳という外付けによって不自然に強化されているそれは、身を委ねすぎると暴走する可能性が増す危険な代物でもあるのです。
原作のバッドエンドの一つ。狂奔する感情を抑えられなくなった改造少女は、衝動的に主人公を射殺します。そして主を失った絶望と、主人公を独り占めにできたという快感に包まれながら、彼女は己のこめかみを銃弾で貫くのです。
そんな終わり方を知っている以上、洗脳の感情に身を委ねることなど到底考えられないものでした。
だから我慢します。どれだけ笑いかけたくても、どれだけ抱き着きたくても、全力で我慢します。
何が洗脳で何が洗脳じゃないか、頭で理解できている間は。
「カーチャ」
「はい」
前を歩いている彼が、またもや呼びかけてきました。
期待と疲労感が、相反して浮かび上がります。何を言われてもいいように頬を固く締め、心をできる限り深く沈めます。これでもう大丈夫。私はこれまで、こうしてどんなことにも耐えてきました。何を言われても、絶対安全──
「オペラを観に行かないか。
その、ちょうどチケットが二枚、ここにあるんだ。
いやもちろん、お前が良かったらの話なん、だが」
「は」
──言っていることが、よくわかりません。
常に無表情で、無感動。その鉄面皮は分厚くて、めったに感情を見せることはない──ゲームの中やこの世界での彼は、まさしくそう表すのにふさわしい男でした。最近は、妙な優しさを見せるようになってきましたが。
そんな彼が、彼に比べて幼いとはいえ、一応は女性であるこの私を、オペラに誘う。
にわかには信じがたい話でした。
「いや、イヤならいいんだ。
すまなかったな、変なことを口走ってしまって」
「い、いえ、そんなことはありません、です。
……ちなみに、なんのオペラですか?」
彼は懐からチケットを取り出すと、その書面を凝視し──目を逸らしながら、こう答えました。
「あー、その」
「……」
「れ、恋愛物だ。今一番人気の、大作らしい」
れんあいもの。
……。
……。
……。
すいません。
ちょっとそれは、予想外でした。
『おおエリザよ! 貴女から離れてゆかなければならないことの、なんと辛く悲しいことか!』
壇上の、白金の鎧を身にまとったテノールの騎士──フォーエンドゥリンが叫びます。
それに対し声を上げるのは、白いドレスを着用したソプラノの女性──エリザ・フォン・ブラドバン姫でした。
『あなた! いやです! 行かせません!
悔いあらためますから、ここにいて見守って!
悔いあらためますから、どうかお行きにならないでください!』
中世、ブラドバン公国。
その公女であるエリザ姫のもとに、ある日とある騎士が現れます。
白鳥の曳く小舟に乗った、白金の鎧に身を包む眉目秀麗の謎の騎士。
騎士は、自分の名前や出身を明かさず、ただエリザ姫を愛していると言います。姫は騎士の正体に興味を持ちますが、彼の優しさと勇気に惹かれて、結婚を承諾します。
二人は幸せな日々を送りますが、姫の兄であるブラドバン公は騎士に疑いの目を向けました。騎士は何者なのか。白鳥とどんな関係があるのか。溜まりに溜まる疑念を抑えきれなくなった公は、とうとう問い詰めます。
騎士は答えることがしませんでしたが、公は納得せず、姫にも騎士の秘密を探るように促します。
姫は騎士に対する信頼と好奇心との間で揺れ動きますが、ついにある夜、騎士が眠っている間に彼の鎧や武器を調べてしまいます。すると、白鳥が現れて、姫に怒りの声をあげました。
いわく、白鳥は騎士の兄であり、呪いによって白鳥に変えられたのだと言います。そしてその呪いは、弟の騎士がその正体を知られることなく、その上でブラドバン公国の姫と、婚姻を結ぶことによって解かれる、というようなものでした。
白鳥はそのまま、騎士は白鳥を救うためにやってきたのだと言います。そして、姫が騎士の秘密を知ったことで、呪いは解けずに永遠に白鳥のままであることを、怒りのままに告げました。
姫は悲しみと後悔に打ちひしがれますが、もう遅すぎました。目覚めた騎士は姫に別れを告げて、白鳥の曳く小舟に乗って去っていきます。
『罰するというのなら、甘んじて受けますわ!』
『それはできないのだ! 私がここにいる意味は、もはや尽きたのだ! 可愛い妻よ!
もはや私は……ああ! あなたのもとを去るしかないのです!』
『ああ! 悲しい! 貴方が去って行かねばならぬとは……。
私の知っているとおりの神聖なお人ならば、神のような恩寵を忘れないでください!
悲しみの中で重い罪を償う、哀れでみじめな私なのです……慈悲の心で近くにいてください!
突き放さないで! どんなに私の犯した罪が重くとも!』
壇上の白いドレスを身にまとった女性──エリザが、泣き崩れながら懇願します。
その先に、白鳥の曳く船に乗り、今まさに去ろうとしている騎士──フォーエンドゥリンの姿がありました。
『もはや希望は尽きた……
あなたの犯した罪への罰はただ一つだ。
ですが、ああ! その罰は、私をも激しく苦しめる!
私達は、離れ離れにならねばならない……
それが罰であり、それが罪の償いだ!』
フォーエンドゥリンの嘆きとともに、曲の盛り上がりが絶頂へと導かれます。
光に包まれながら、池の水面を進むフォーエンドゥリン。やがて光が一転に集中し──フォーエンドゥリンは、光の中に消えました。
「……」
「……」
劇場からの帰り道。私たちの間には、気まずい沈黙が漂っていました。
重苦しいラストが尾を引いたのか、劇場での静寂がそのまま持ち越されていたのです。しかも、それでいて、私やアルベルトさんは自分から積極的に話を振るタイプでもありません。当然、感想を語り合うなどできるはずもありませんでした。
結果、劇場から車までの路で、一言も喋らずに歩き続ける無表情の少女と男性という、不気味な人間の組み合わせが完成したのです。
「……なぁ、カーチャ」
「はい、アルベルトさん」
「その、なんだ……楽しめたか?」
さすがに沈黙に耐えかねたのか、アルベルトさんが気まずそうな顔をしながら、そう声をかけてきました。
なんとなく聞かれるだろうと、予想していた質問。それに対して、あらかじめ頭の中で組み立てていた正解答を答えます。
「とても面白かったです。アルベルトさんがくださったものなら、私はなんでも」
「そうじゃない」
だしぬけに、言葉を遮られました。
やや困惑しながら彼を見ると、そこには普段の無表情とはまるで違う、篤実な顔がありました。目には光が灯り、その表情筋には感情が乗せられています。これまで見たことのない、正真正銘、初めて見る顔でした。
「俺が与えたからじゃない。おまえ自身の気持ちを、聞いている。
どうだった。お前は、お前自身は、どんなことを思ったんだ」
彼はこちらを真剣な表情で見つめたまま、そう一息にまくし立てました。あまりの気迫に、強化され多少のことには怯みもしなくなったはずの体が、ピクッと跳ねました。
「わたしの、きもち……」
私の気持ちって、なんでしょう。
洗脳で歪められた、アルベルトさんへの好意に満ちた気持ちか。洗脳を抜きにした、純粋な私の気持ちか。それとも──前世の、男としての気持ちか。
私の気持ち。
私自身の気持ち。
私だけの、気持ち。
気づけば、言葉が口を衝いて出ていました。
「とても、理不尽な話だったと、思います」
「……」
考えるときはいつも感じていた、頭の中をかき混ぜられるような感覚。
思考は常に管理官、そして組織の利益になる方向に流され、そこに自分の意志など介在しない。すべては組織のために優先され、場合によっては身を投げ出すことも厭わない。改造された少女たちは、例外なくその感覚に悩まされます。
しかし今だけはなぜか、それを感じていません。
澄んだ頭で言葉を紡ぎだし、それを出力し続けます。とても新鮮で、事新しい感覚でした。
「エリザ姫はちょっと知りたかっただけなのに、それだけのせいでフォーエングリンと別れることになるなんて。なんだか少し、ひどすぎるって思いました」
「……そうか」
アルベルトさんはそう呟いたあと、それ以上はもう何も言いませんでした。
そんな彼の姿を見て、なんだか私はとても恥ずかしくなってきました。
これでも一応は、前世で20年間を男として生きてきた人間です。そこそこ裕福な家庭に産まれ、現代社会の高等教育を受け、最後にはそれなりの大学まで行った身でした。
それなのに私が考えた感想は、小学生でも言えるような、稚拙で浅い内容でした。精神が肉体に引っ張られているのか、前世としての自分が摩耗し始めているのかは分かりませんが──とても、釈明をしたい気分になりました。
「……あの、すいません。私、こういうの観るのは初めてで……あまり楽しめませんでしたし、感想とか、うまく思いつきませんでした。すいません」
「いや、謝るようなことじゃない。お前が楽しめなかったのなら、それは単に合っていなかっただけの話だろう。
それに」
俺もオペラは初めてだ。
彼はこちらから視線を外したかと思うと──照れくさそうな声色で、そう呟きを漏らしました。
街中にある、何の変哲もない小さな病院。
その診察室で、私はいつものように、先生からの検査を受けていました。
「──よし、今日も問題なしだ。もう終わりだよ」
「ありがとうございました、先生」
いつもどおりの検査が終わり、ルードヴィヒ先生が聴診器を下げます。特別な装置の類は使わずに、聴診器のような単純な道具で私のような存在を検査できるのかはいささか疑問に思いますが、それは専門家にしかわからないことなのでしょう、たぶん。
「カーチャ、今日はオペラに行ったんだってね。楽しかったかい?」
「え、あ、はい。すこしですが、楽しめました。よく分からないところも、ありましたけど」
突然の問いに驚きながらも、なんとか答えを返します。
どうやって、私たちがオペラに行ったと知ったのでしょうか。
「なぜ知っているのか、解せないって顔だね。
彼がエーデに聞いたのさ。年頃の女の子を連れて行くのにはどこがいいかって。今どきの女の子は、どんなことで喜ぶのかってね。それでオペラを薦められたというわけ」
「……そう、だったんですか」
驚きはせず、ただただ納得のいった話でした。
原作で彼は、17歳からの四年間を、硝煙ただよう戦場で過ごしてきたと言っていました。一度しかない青春を、彼は薄汚い塹壕の中で過ごしてきたのです。当然、戦地から遠く離れた健全な世界での女性の扱い方や、女の子の流行りなどを知るはずがありません。
その結果、知人のなかで最も一般人であり女性であるエーデさんを頼ったのでしょう。
……しかし最近のアルベルトさんは、色々と変です。
先生からのアドバイスで飴を与えることを始めたのか、それとも罪悪感を紛らわせるためにやっているのか。
しかしどちらにせよ、彼のそれはいささか節操がないように感じます。どんなことにも矢鱈とご褒美を与えてくるのは、少しバランスが悪いと言わざるを得ません。
もっとも、前世でとくに恋愛経験のなかった自分の言えることではありませんが。
いや、それも、彼の背景を考えれば仕方のないことでしょう。
アルベルトさんは、まだ21歳。年齢だけで言えば前世の自分より若く、しかも四年間を戦争のなかで兵士として生きてきた人間です。その体験は詳しく語られていませんが、とにかく言葉も出ないほど凄惨であったと、ゲーム内では表現されていました。
ロスト・ジェネレーションという言葉があります。
それは、一つの世代を指す言葉。端的に言えば戦争──それも従来の戦争を大きく超えた、これまでの価値観をすべて粉砕するような戦争。そんな戦争に心を大きくすり減らされ、生きる意志や人生の価値を見失った世代のことです。
彼らは得てして、社会との大きいズレを抱えています。戦争の犠牲となり、無力感や希望の欠如を抱えて戦後の混乱した社会に生きることとなったのです。経済的な困難や心の傷、失われた人生の可能性などが彼らの日常を覆い、社会的な不満や不信感を抱えているのです。
そして彼も、そんな世代の一人です。
だからそれは、不器用な彼なりの気遣いであったのでしょう。
「あぁ先生……どうした、カーチャ」
「アルベルトくん。どうやら彼女に今回の作品は似合わなかったみたいだね」
「は? って、まさか」
診察室に入ってきたアルベルトさんは、先生の言葉に目を丸くすると、私を見つめて素っ頓狂にそう言いました。
そんな彼に私は、ただこくりと頷きます。
「先生まさかバラしたんですか」
「いいじゃないか別に。たとえ情報源がエーデでも、君が自発的にあれに聞いたのは確かだ。それに、君が朝早くから列に並んで、二枚分のチケットを買ったことに変わりはないのだからね」
「いや、そうかもしれませんが……それでは少々恰好がつかないじゃないですか……」
「これまで生きてきてオペラの一つも観なかった人間がなにを言うのかね」
「う……」
「あ、あの、アルベルトさん」
突然の私の声にアルベルトさんは振り向くと、驚いたようにこちらを見つめました。
「今日の劇は、あまり楽しめませんでしたけど……それでも、アルベルトさんと一緒に観られたのは、楽しかった、です。だからまた、一緒に観たいです」
アルベルトさんは意外だというような表情で。先生はへぇ、というような表情で。それぞれが私の方を向いていました。
無理もありません。改造兵は基本的に、自分の意志を露にすることはないのです。管理人と組織のためなら、喜んで自分の意志など二の次にします。
だからこそ、自分から発言して、自分から願いを申し出るなど、通常であれば考えられないものでした。実際のところ私でさえ、この自分の行動に少しばかり困惑しています。なぜこんなことを、口走ったのでしょうか。
「そ、そうか……
なら、今度また一緒に行こう。場所は同じでいいな?」
「は、はい。ありがとうございます……」
「気にするな。むしろ今までが遠慮しすぎていたんだ。もっと気軽になれ」
「はい……」
「あっアルベルトさん! どうでしたかーあの作品はー? 私的にはちょっと展開が唐突すぎたような気がしましたね。でも演出は今まで観てきた中で一番だったと思います! 特にフォーエンドゥリン登場のところなんかもう──」
診察室に入った途端アルベルトさんに言葉をまくし立てたのは、先生の妹で件の女性、エーデさんでした。
エーデさんのすさまじい押しに、彼はただただ尻込みするだけでした。途中で先生に助けを求める視線を送っていましたが、先生はすげなく無視。極悪非道の先生でも、妹さんのことは怖いみたいですね。
「カーチャちゃんこんにちは! 今ね、ジャガイモのパンケーキを焼いたんだ。みんなで一緒に食べない? 問題ないでしょ、兄さん?」
「あぁ、それぐらいなら彼女は大丈夫だ。問題ないよ」
「ですって! 今日のは結構自信作だからね、期待していてよ!
アルベルトさんも、ぜひご一緒していってください!」
「え、ああ、はい。じゃあ、せっかくなので……」
あれよあれよという間にテーブルがセットされ、お茶会が始まりました。エーデさんは最近の出来事を続々と語り、先生は笑いながらそれを聞いています。アルベルトさんはお茶会自体が初めてなのか、落ち着かない様子です。
私はというと、黙々と眼前のパンケーキを貪っていました。エーデさんのケーキは質素ではあったけど、国内の不況を忘れさせるほど温かみに満ちていました。
思えば、いまだ戦時の食料不足が糸を引いている国内で、これでさえ作るだけの材料をそろえるのは容易ではなかったでしょう。それもこれも、すべてアルベルトさんへの思いがあったからこそ、ということなのでしょうか。
人体を改造することに長けた医者に、元兵士の過激派組織構成員。洗脳と改造を受け、ただひたすらに組織の命に従う子ども。そして、何の変哲もない、少し夢見がちで家庭的な少女。
はたから見れば頭に疑問符が浮かぶような構成でも、当時の自分にはとても心地よく感じていました。
数十人を殺し、感情を極限まですり減らされた私でも──その時の光景は、とてもキレイに思えたのです。自分がそこにいたことが、まるで奇跡のようでした。
こんな人殺しでも。どうしようもない人間でも。
こんな日々が続けばいいのに、と願ってしまうほど、心地の良いところだったのです。
そんなことは許されないと、分かっていても。