TSテロリスト系改造済み少女兵士(原作知識持ち)   作:ウニダコ

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あっ なっ
と……投稿間隔が延びていくよォ~~!?



第五話

 

 

 

「なぜ奴らを仕留めるのに十発もかけた」

「ごめんなさい」

「来る日に備えて、武器弾薬の消費量は最小限に留めなければならないということを忘れたか。そのためにお前たちはあるんだぞ」

「申し訳ありません」

 

 あれから数日後。

 高度な改造を施されたハイデさんは、以前よりもより従順に──より楽しそうに──任務に努めるようになりました。

 

「なんだ、その顔は」

 

 詰め寄るコンラートさんの不機嫌な表情に対し、ハイデさんは喜色満面といった笑みで。

 喜びを心に抑えきれず、表情に出てしまったというような笑みで、ニカニカと彼に笑いかけていました。

 己の未熟さを痛感している口ぶりでありながら笑みを浮かべている彼女の有様は、誰がどう見ても奇妙としか言いようのない様子で。精神と肉体が剥離しているとしか思えない、異様さに満ちた光景でした。

 

「なんだその表情は、気味が悪い。俺を軽んじているのか?」

「申し訳ありません」

「……ふん、まぁいい。少なくとも使用期限が切れるまでは、全力で組織に貢献しろ」

 

 なぜ彼女は罵倒されつつも、悲しむのではなく笑うのでしょうか。

 年端もいかない少女を洗脳し、兵器利用するなどという非道が行われていることを知らない人間にとっては、まるで見当もつかないことでしょう。

 しかしこの世界の一部を知識としてメタ的に知っており、なおかつそれを己の肉体と精神で嫌というほど味わっていた自分にとっては、簡単すぎることでした。

 

 我々改造兵士は──強化のレベルが高まり、洗脳のレベルも高まると。管理人との関わりすべてに、悦楽を覚えるようになるのです。

 たとえ暴力や罵りであっても、それが彼らに与えられたものであるのなら。私たちは心の底から幸福を感じ、頬を朱く染めることでしょう。

 

「……大丈夫、ですか」

「? なにが?」

 

 後日。任務に同行した彼女の頬には、痛々しい痣が浮かび上がっていました。

 任務で不手際を演じてコンラートに折檻を受けたのか、それとも単に彼の機嫌が悪かっただけなのか。

 どちらにせよ、本来の彼女を知る身としては、その様子はとても、とても看過しがたいモノであったので。

 いらぬお世話だったとしても、声をかけずにはいられなかったのです。

 

「その、イヤじゃないんですか?」

「……あぁ、これ? 平気だよ!」

 

 彼女は数舜考えを巡らせると。

 いつか見たときのように、ニコニコとした笑みを浮かべました。

 

「確かにすこし痛かったけど……コンラートさんがつけてくれたんだもの。

 わたし、とても幸せ。なのにどうしてそれがイヤになるの?」

 

 屈託ない笑みで、そう発せられた言葉。

 情けなく。そして愚かしいことに、その時の私は。

 それに対して、否定も、肯定も、何一つ示すことができませんでした。

 

 

 

 

 

 

 カーチャの様子がおかしい。

 人形のようであった鉄面皮はほんのすこし鳴りを潜め、以前から感情が見え隠れするようにはなってきた彼女ではあるが──近頃は少々、度が過ぎる。

 

 先日。自宅──私生活と隠密のために組織よりあてがわれた、改造兵とその管理人用──にて、とある用で後姿の彼女を呼び留めた。

 しかし幾秒待とうとも、彼女はこちらを振り向くどころか、返事すら返すことはなく。

 忠実に、従順に()()されているはずの彼女が、反応すら示さない。不審に思い、停止したままの彼女を覗き込み──すこし、驚いた。

 自室の椅子にちょこんと腰かけ、何かを見つめうつむく彼女。

 微動だにせずただただ座り続けるその様子は、容姿も相まって、さながら玩具屋の店頭に並べられたビスクドールで。

 そんな彼女の視線の先にあり、小さな両手にしっかりと握られていたのは──彼女の手よりハイデに渡るはずであった、一枚のチケットだった。

 

 現状、任務でそれが尾を引いている様子は見受けられない。

 しかしいつか影響が露骨に現れるのは明白であり、組織の一員として万が一のことがないようにするべきなのは当然のことで。

 なにより、落ち込んでいる彼女をそのままにしておくのは──管理人として、気が引けることであった。

 

「というわけで、なにか策をくれ」

「……策?」

 

 こちらの相談に、目の前で相対する男──ヴォルフガングは、顎に手を当て机に肘をつきながら呆れた様子でそう吐いた。

 

「策も何も……カーチャちゃんのことを一番知っているのはお前だろ? 俺に聞かれてもな……」

「……あの子の好みなんて俺は知らない。お前はリーザとうまくやっていると聞いたから、参考にと思って」

「そう言われてもな……」

 

 ヴォルフガングは改造少女リーザの管理人で、己と同年代の男である。

 大戦初期から従軍していた人間で──ともに任務に就いた経験から言えば、とても優秀な男というのが正当な評価であった。

 任務の前に、彼に任務成功に向けて親交を深めるため、という名目の呑みに誘われたことがある。

 それがどれだけ任務の完了に帰依したかは分からないが……少なくとも、彼が人づきあいを大切にするタイプだということは理解できた。

 事実、改造少女と──ふつうの少女の扱いに関しては、彼が上位に入るだろう。

 

 大戦後の不況で半ばささくれ立っていた己の心だが、それをある程度緩和してくれたのが彼であることは間違いない。

 なにせ己は、大戦後に誰かと杯を交わしたことなどなかったのだから。

 

 つまるところ、現状彼こそが、自分の相談相手として最もふさわしいことに疑いはなかった。

 

「というか、何で俺なんだよ。うまくやってる組は他にもあるだろ」

「……相談できるような人間がいないからだ。多少見知ったお前なら話しやすい」

「あれ。でもお前って突撃兵だったよな? この組織、元突撃兵の人多いんだし、だったら知人で管理人な人間の一人くらいは」

「俺が突撃兵だったのは攻勢前後の時期だったんだよ。その間に知り合った人間なんてほんの数人だし、それも全員死んでるさ」

「あぁ。なるほど。

 ……そう、だなぁ」

 

 彼は手を顎に当て、数秒沈黙した後。

 目線をこちらに向け、ついに口を開いた。

 

「とりあえず、かわいい服着せて食事にでも連れてけ。といってもレストランみたいなお堅いのはダメだぞ。キャバレーとかカフェにしとけ」

「思ったより単純だ……でもなんで堅いのはダメなんだ? いちおう褒美として、任務ごとにオペラに連れて行っているんだが……」

「ダメだね。というか、任務ごとって。まさか、一回ウケたからって馬鹿正直に続けたわけじゃないよな?」

「? 問題があるのか?」

 

 小首をかしげて問い返した俺に、彼はハァとため息を吐いた。

 ……どうやら、いくら彼女があれを好んでいたとしても、延々それだけを与え続けるのは良くなかったらしい。

 

「最初はウケがよかったとしても、それが続けば委縮しちまうし飽きもくる。長続きしないよ、高尚なのは。まぁ、あくまでもフツーの女の子向けの話だけどな」

「いや、いいんだ。参考になったよ、ありがとう」

 

 荷物をまとめ、席を立つ。

 しかしそのまま立ち去ろうとする己の背に、声が投げかけられた。

 

「……あの子たちは全員、俺たちに盲従するよう教育されている。なに与えてやってもどうせ喜ぶさ。なんでそんなに頑張るかね」

「……」

 

 足を止め、彼の方角へ振り返らんとする。

 しかし直後、若干の照れくささが勝り──体は、前を向き続けていた。

 

「いつも銃を代わりに持たせて、汚れ仕事をさせているんだ。テキトーな贈り物では失礼だろう。

 それに」

 

 あの子に甘えているだけじゃ、あまりにも甲斐性がない。

 

 

 

 

 

 

「カーチャちゃんはどっちがいい?」

「あの」

 

 ルートヴィヒ先生の診療所は、一階が仕事場で、二階が居住範囲となっています。彼は妹のエーデさんと共に、そこで寝泊まりする生活を送っているのです。

 そして今現在。私はその二階の、エーデさんの部屋にあり。

 両手にそれぞれ紺色のコートと赤いジャケットを携え、好奇と喜悦に満ちた顔をした彼女に詰められているのでした。

 

 なぜ、どうしてこうなったのかというと。主な要因は、アルベルトさんにありました。

 任務を終え、いつも通りに検査を受けた後。突飛にも彼は、私にこうおっしゃったのです。

 曰く、『この後ベルリア市内のカフェへと赴く。服装は常のものではなく、場に似合ったものに変えろ。それに関してはエーデさんに一任する』と。

 

 そう言い終えた直後、楽し気な雰囲気を漂わせるエーデさんが現れて。そのまま私はなし崩しに、彼女の部屋へと連れ込まれたのです。

 

「最近ずっと不景気だからねー。全部私のお下がりになっちゃうけど、サイズは問題ないと思うよ」

「あっはい……あの、これも着るんですか」

「当然!」

 

 赤いジャケットを抱える私に、彼女は細身でストレッチが効いた黒いパンツと、白地に小さな花柄が散らばっているブラウスを追加で渡してきました。

 ファッションに造詣が深いわけでもない己では、言語化することは叶いませんが──とても可愛らしく、そして似合っているというのは、なんとなく理解ができる組み合わせでした。

 

「うんうん似合ってる。カーチャちゃんいつもパリッとした服しか着てないからさー。あれ、アルベルトさんに貰ったの?」

「はい。とても着やすくて、重宝しています」

「もっと可愛いのあげればいいのにー」

 

 でもそんなところも不器用でいい! と叫ぶと、エーデさんは部屋の隅の木箱から、赤いパンプスを取り出してきました。

 

「サイズどう? 痛くないかな」

「……いいんですか? とても高価なものに見えますけど」

「どうせ私にはもう小さくて履けないから。ささ、どーぞ」

 

 躊躇しながらも勧められるままに履き、サイズを確かめます。

 上等に、そして艶やかに光るそれは、靴擦れなど到底起こしようもないほどに、ピッタリと私の足にハマりました。

 

「うん、やっぱり似合う。前々からこれが見たいと思ってたんだぁ」

「……エーデさんは」

「ん?」

 

 エーデさんは、どうしてそんなに善くしてくれるんですか? 

 

 いくら彼女が、彼女が好いている人から頼まれたからとはいえ。ここまで至れり尽くせりなのは、少々予想外でした。

 彼女が私を、彼の妹か娘だと思い込んでいるにしても。自分が惚れているアルベルトさんとカフェに行く人間のコーディネイトを手伝い、あまつさえ自分のお古を着させるなんて。

 もし私と彼女が逆の立場だったなら。私にかけられた暗示が嫉妬で暴走し、彼女を殺すという最悪の結果に繋がりえないほどに、複雑なことだったのです。

 

 元が男などという存在の私では彼に釣り合わず、もっとまっとうな女性──目の前のエーデさんのような──が彼を支えるべきだと考えている自分にとって、それはなによりも避けるべき事態でした。

 

「……私さ、五歳くらいの頃に両親が死んじゃって。遺産はたくさんあったからなんとかやっていけたし、兄さんも医者になれたけど。でも兄さん忙しくて」

 

 クローゼットを漁りながら、彼女はしょうがなそうに言います。

 その様子を私は、ただただ見つめるほかありません。

 

「家に私以外の人がいたこと、あんまりなかったんだ。学校に友達はたくさんいるし、周りの人も優しかったけど。でもやっぱり、ちょっと足りなかった」

 

 クローゼットから取り出されたのは、黒いベレー帽と赤いスカーフ。

 彼女に視線を向けながら、それを受け取ります。

 

「それで、兄さんが従軍医師として戦争に行って、それも決定的になったんだ。帰ってきてくれた今なら分かる。やっぱり、人には家族が必要なんだよ」

 

 彼女は、私の首にスカーフを巻き始めました。

 その手は優しくて温かくて、スカーフの端が私の頬に触れました。彼女の手つきは器用で素早くて、スカーフの色はコートにぴったりでした。

 

「だから家族のカーチャちゃんに、あの人を元気にしてあげてほしいの。退役兵はみんなそうだけど、あの人どこか辛そうだし。そういうの癒してあげられるの、家族だけだからさ」

 

 最後に、ベレー帽を適切な角度に整えて。

 私の頭を一度撫でると、彼女はニコリと笑いました。

 

「おしまい。さ、お兄さんに見せに行こう」

「は、はい。ありがとうございました」

「いいっていいって」

 

 とん、と肩を押され。彼女にされるがままに、階下の彼の元へ向かいます。

 診察室に続く廊下。その端っこに、彼は所在なさげに立っていました。

 階段から響く音を聞いたのか、彼が流し目を送ります。退屈に塗れていたその表情は──私を視界に入れた途端、わかりやすく変貌していきました。

 

「どうですかこの傑作! まるでお人形さんみたいでしょ!」

「……」

「アルベルトさん?」

「……いや、その」

 

 色々と、想像以上で。

 

 彼は目を大きく見開き、手で口を覆い隠しながら、そう捻りだすように言いました。

 

「感謝します。やはり、エーデさんに任せて正解でした」

「これからはいつものパリッとしたやつじゃなくて、ちゃんと可愛い服も着せてあげてくださいねっ」

「はい」

「その服はもうあげますので! じゃあ、よい時間を!」

 

 彼女はそう言うと、私たちの後姿に手を振ります。

 私はそれに一礼し、アルベルトさんと車に乗り込みました。

 

「……銃は」

 

 走り出してから、約五分。

 突然、彼の呟きが車内に響きました。

 

「銃は、似合わないな……」

 

 

 

 

 

 

 共和国首都、ベルリア。

 かつての厳格な帝国首都から一変したその街は、いまや多様な文化や娯楽が溢れる熱狂の都市となっていました。

 ナイトクラブやキャバレーといった大衆文化から、芸術や文学などの学問文化まで。敗戦とそれによる君主制の廃止は、皮肉にも新たな文化が花開く転機となったのです。

 

 しかし当然、光あるところには影があります。

 

 大戦の敗北と、それに伴う領土縮小。課せられた賠償金は天文学的な数字で、支払い目的での大量の紙幣発行を誘発。当然通貨の価値は暴落し、破滅的なインフレーションが発生しました。

 人心は乱れに乱れ、政情は不安定を極めます。華やかな街の裏では売春・ドラッグ・暴力が横行し、水面下では政府に敵対する極右・極左両勢力が、その勢力を大きく拡大させていました。

 

 煌びやかな文明と、その裏で暗躍する深い闇。

 共和国の時代とは、豊かでありながら貧しく、大胆でありながら抑鬱的で、開放的でありながら反動的な、とても二面性の激しい混沌の時代だったのです。

 

 それを考えると、現在アルベルトさんと私がいるこの建物は、そんな時代の光の側面に産み出されたものなのでしょう。

 赤い屋根が白い壁に映える、可愛らしくて素朴なカフェでした。

 通されたテーブルには白いテーブルクロスと、上等な銀のカトラリー。看板や窓辺の花以外に、これといった装飾は見えず。

 そういったことには前世で、そして今世でも疎い自分でも──純粋に好印象を持てる店構えでした。

 

「なんでも頼んでくれ。金は、気にしないでいい」

 

 アルベルトさんはそう言うと、とても真剣そうな表情で、ウェイターから受け取ったメニュー表を渡してきました。

 彼は私の管理人で、すべてを彼に捧げる。

 そう刷り込まれた私の頭は当然、『アルベルトさんが食えとおっしゃったものを頂きます』という答えを導き出しました。

 思い浮かんだ言葉を一字一句たがわず、そのままアルベルトさんに伝えようとし──寸前で、口を噤みます。

 思えばこれは、彼の気遣いによる状況なわけで。単なる食事などではないことは、いくら洗脳を受けている私でも察することができました。

 ならばここは、おとなしく彼の好意に甘えるというのが、ここで取るべき選択のはずです。「はい」と肯定の意を示し、白い紙に印刷された黒い文字に目を巡らせます。

 

「……では、これとこれを」

「コーヒーとケーキか。それだけでいいのか?」

「はい」

 

 アルベルトさんの問いに、何も考えず反射的に答え──数秒後、後悔しました。

 彼の不思議そうな意の混ざる口ぶりからして、もしかしたら、コーヒーとケーキだけというのは、いささか少なすぎたのかもしれません。

 しかし、言い訳をさせてもらうとすれば、元男の身で、こういった場面において女性が頼むふさわしい量など、知っているわけがないというのが理由でしょう。

 異性との食事に慣れていない自分には、ここで採るべき適切な選択なんてわかりっこありません。

 

 ですが慣れていないのは、どうやら自分だけではないようでした。

 アルベルトさんはテーブルに座っていたけれど、落ち着いている様子ではありませんでした。

 メニューを触ったかと思えば、おもむろに手を離し。テーブルの横の窓に流し目を送り、窓から入る光に目を細め。窓から視線を外したら、周りのテーブルの人々をちらりと見回して。

 その不慣れな様子を見て、思わず抱いていた盲従に親近感が加わります。

 とにかく、今の彼は手持無沙汰という表現が、いかにも適切な有様でした。

 

 しかしそれも、仕方のないことなのかもしれません。

 彼は子供とも言える年齢で戦場に赴き、二度と経験できることのない貴重な青春を、血と泥濘の坩堝で過ごしたのですから。

 異性──といっても、恋愛対象などでは絶対にありませんが──との食事など、西部戦線ではそうそうなかったでしょう。もしかしたら、これが彼にとっての初めてになったかもしれません。

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……初めて。

 

 できれば彼には、こんな偏屈で、怠惰で、臆病な元男などではなく。

 もっとちゃんとした、普通の女の人と、こういうことをしてもらいたかったものです。

 

 ハイデさんからその居場所を奪い取り、彼に一途なエーデさんを差し置いて、彼の厚意を最も多く受けている。

 そんな私はさしずめ、寄生虫といったところでしょう。

 

「どうした? 体調が優れないのか?」

「……いえ、大丈夫です」

 

 暗く考え込んでいるのが悟られたのか、アルベルトさんは深刻そうな表情で気にかけてきてくれました。

 

「本当に?」

「はい」

「……顔色が、悪いぞ」

 

 何を思ったのか、その後も何度も大丈夫と唱える私に、何度も食い下がる彼。

 少しだけうっとうしく、そして自分の至らなさに腹が立ってきた私は、気づけば彼にこう言っていました。

 

「次は、私でなく。どうかエーデさんと、一緒に行ってあげてくれませんか」

 

 自分で言っておきながら、またもや後悔しました。頬と鼻に熱がたまり、鏡を見ていなくても、朱くなっていると確信できます。

 肝心の彼はというと、そんな私の言葉に目を白黒させ。困ったような表情で、こちらに目線を向けていました。

 

「あぁ、約束する。

 でもな。今日、俺はお前とこうしたかったんだ。どうかそれだけは、わかっていてほしい」

「……」

 

 恥も臆面もなく、まじめ一辺倒な声色。

 顔の温度と、朱の濃度がますます高まるのを感じ。私は声も出せずに、ただコクリと頷くのみでした。

 

 不慣れなようでありながら、不意に見せるこういった一面。

 彼がエーデさんから好かれる理由の一つは、きっとこれなのでしょう。

 

 そんな彼に、そう言ってもらえたこと。彼の親愛を独り占めしていること。

 

 気を抜けばたちまち頬が緩んでいたであろう、有り余るほどの幸福が私を襲います。

 

 これが本心か、それとも暗示によるものなのか。

 歪んでしまった自分では、どうにも判断がつきませんでした。

 

 とこりとこりと、私たちのテーブルへ向けて響く足音を、強化された聴覚が拾います。

 目を滑らすとそこには、水が入った二つのグラスを抱えたウェイターさんがありました。

 

 ウェイターさんは、私たちのテーブルに近づいてきましたが──突然、バランスを崩してしまいました。その拍子に、ウェイターさんの手に持っていた水のグラスがひっくり返り。水は、私たちのテーブルに向かって飛び散りました。

 位置の関係で私はことなきを得ましたが、アルベルトさんに限っては話が別で。

 改造兵としての超人的な反射神経でも、防ぐ暇はなく。水は容赦なく、アルベルトさんの顔や服にかかりました。

 

 冷たそうな水。

 濡れてしまったアルベルトさん。

 彼を守るべき私は濡れず、彼だけが濡れている。

 よくも、よくも、よくも!! 

 誰。

 誰。

 濡らしたのは、誰? 

 こいつだ。

 

「カーチャ、抑えるんだ」

 

 赤く染まりゆく意識の中に割って入ったのは、彼の険しさが混じる声でした。

 気づけば私の右手には、無機質に光る銀のカトラリーがあり。

 目線は、アルベルトさんに向けて謝り続けるウェイターさんにありました。

 

「……はい」

 

 彼の諭しにおとなしく従い、手の内のフォークを元の場所へと戻します。

 そのまま深く深呼吸をし──いまだに暴走しかけている意識を、ゆっくりと正常へと戻しました。

 アルベルトさんの諫めがなければ、この凶暴な精神は暗示の赴くままに暴走し、今頃一人の遺体を作りあげていたことでしょう。

 

 後先を考えず暴走し、ただただ彼が濡らされたからという理由で殺害をもくろむ。

 改めて、自分にかけられている暗示の強さを思い知りました。

 

 いぜん微かに昂っている体を落ち着かせつつ、なにとなしにアルベルトさんへと視線を向けます。

 

 水は、彼のコートに浸透しているようでした。

 彼はウェイターをひとまず下がらせると、ゆっくりとコートを脱ぎ始めます。

 きらり、と何かが光りました。

 注視して見てみると、彼の首には。光に反射して輝く小さな金属のプレートがぶら下がっていたのです。

 

 アルミ製の楕円形で、長軸には折りやすさを目的とした、上下を分かつ切れ目。上下にはそれぞれ名前・生年月日・出身地が刻印されていました。

 それはまさしく、旧帝国軍で制式に用いられていた認識票(ドッグタグ)だったのです。

 

 私がそれを見つめる中──彼はおもむろにそのドッグタグを掴むと、指で撫でながら付着した水分を拭き取り始めました。

 その様子は、ただ身に着けていたものに水が付いたから拭く、なんて単純そうな雰囲気ではなくて。

 なにかに思いを馳せているような目が、ますますそれを強めていました。

 

 たしかに彼が戦争に行っていたことは『本編』で語られていたし、知っていたことですが。ドッグタグにまつわるエピソードなんて、記憶の限りでは見当たりません。

 なにか私の知らない過去があるのでしょうか。

 

 ……いや、考えてみれば当然のことです。

 

 今、こここそが私にとっての現実で。

 目の前にいるのは、キャラクターという記号ではなく。意志を持ち、動き、生きている、れっきとした一人の人間なのですから。

 他人の知らないことの一つや二つ、あって当たり前なのでしょう。

 

 自分のことさえ、完全に理解してはいないのですから。

 

「楽しめたか? なにしろ、こういったことにはてんで疎くてな。至らないところがあったなら、謝ろう」

 

 カフェからの、帰り道。

 彼は何気なしに

 通常なら

 

「いいえ。私とっても、幸せでした」

 

 でも

 

「でも、アルベルトさん。この幸せが、暗示か本心かが分からないんです。

 嬉しいのは間違いないはずなのに。あのウェイターさんを殺しかねなかったのも、紛れもない事実なんです。

 ねぇ、アルベルトさん。

 幸福って、なんなんでしょうね」

 

 そんな私の問いに。彼は目をわずかに見開いたあと、静かに俯いて。

 その後も何一つ、言葉を発することはありませんでした

 

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