馬車の中で、私は落ち着いて座席に身を沈める。
馬車はセストラルの力強い引きで、高速で空中を飛び、眼下には薄く雲が広がる。思っていたよりも馬車の揺れは少なく、セストラルの皮膜の風切り音が心地良い。
雲の途切れ目からは、先ほどまで見えていた中世風の街並みでは無く海が広がる。
一面に広がる青い海に、真っ白い雲。太陽の光が反射し、キラキラと光り輝く。
天井に揺れるランプの明かりが、馬車内に光を落とす。
綺麗なものだな。自然のキラキラとした光と、馬車のランプの仄かな明かり。
なんというか、これからアズカバンに行くなど信じられん。
しばらく空の景色を堪能し、リラックスする。
「ご注意を。まもなく魔法境界線を通過します」
お! ついにか。外で手綱を握っている御者の声が天井付近から聞こえる。
深く息を吐き出すと、しっかり座席に座り直す。
それと同時に、馬車が一回大きく縦に揺れる。おそらく境界を超えたのだろう。
窓の外を覗くと、先ほどまでの綺麗な自然はどこへやら。
空は真っ黒な分厚い雲で覆われ、海は荒れ狂っていた。
白い霧がかかり、稲妻が光る。
馬車が強風に煽られ、ガタガタ振動する。
うわぁ、予想以上にやばそう。
普通の魔法使いはアズカバンなど訪れる機会はないだろうし、囚人の視察をするのも専ら魔法大臣とか闇払いとかだ。
国際協力部だった私にはとんと縁がない。アメリカの刑務所はMACUSA視察の際に見たけどね。
多分アズカバンの100倍はましだろう。
看守がむやみやたらに魂を吸おうとしない人間っていうだけでも。
馬車は急降下を始め、ぐんぐん速度を落とし始めた。
それと同時に、窓ガラスがピシピシと凍り始める。
ランプの光が不規則に点滅し、車内の温度が急に下がる。
「ま……着陸……ます。揺れ……でご注……さい」
御者がアナウンスをするが、雷の激しい音と風音に遮られ、ほとんど聞こえない。
やがて、ドーン! と馬車に衝撃が加わる。
しばらく徐行し、やがて馬車は完全に停止する。
窓の霜を手で拭き覗いてみると、石畳の通路の上に着陸したのがわかる。
どうやら無事にアズカバンに到着したようだ。
ドアを開け、トランクとボストンバッグを地面に降ろす。
私も馬車から飛び降りると御者に一礼する。
2人の御者は黙礼をすると、すぐに手綱を操りセストラルを飛ばして行ってしまった。
ここに長居はしたくない様子。そりゃそうか。
辺りを見回すと、私はアズカバンの屋上部分にいるようであった。
はるか下には、ゴツゴツとした岩々に波が打ち寄せ、激しく白波を立てているのが見える。
ッと、急に周りが異常なまでに寒くなる。
まずい! 吸魂鬼か!
「 エクスペクト・パトローナム!! 」
慌てて杖を振り、守護霊を生み出す。
いつの間にか私の周りにはかなりの数の吸魂鬼が集まっていた。
守護霊が生み出す波動が吸魂鬼から私を守ってくれているものの、正直この数はしんどい。どうしよう。困った。
ひとまず杖に魔力をこめながらこの状況を打開する方法を思案していると、誰かが叫ぶ声が聞こえた。
「ごらぁ、このバケモンどもが!! さっさと散れ、クソッタレ!!」
「 エクスペクト・パトローナム! 」
前方でまばゆい光が輝く。
誰かに生み出された、犬の守護霊。
私の守護霊よりもはるかに力強く、明るく光り輝いている。
ドーベルマンか?
ともかく、吸魂鬼は2体の守護霊から遠ざかるように滑っていく。
しばしそのまま警戒を続けるが、吸魂鬼が戻ってこないことを確認し、守護霊を消す。
いやはや、本当に危なかった。
まさか新しい職場について早々、命というか魂の危険を感じるとは。
「おう、おまえさん。大丈夫か?」
大柄な男が前から歩いてきた。長い黒色のコートを羽織り、ブーツを履いている。
ポケットからは懐中時計の金の鎖が輝き、緩くカーブを描いて内ポケットに続いている。
彼が先ほど助けてくれたのだろう。
厳つい顔をしているが、目は彼の信念と優しさを表すように輝いていた。
直感的にこの人は信頼できる人だと思う。
なんというか、どこかホグワーツにいた頃のハグリッドを思い出す。
「えぇ、大丈夫です。助かりました、ありがとうございます」
「そうか、なら良い。俺はバクスターだ。ただのバクスター。ここの監獄長をやっとる」
なるほど、この人が監獄長か。私の直属の上司という訳だな。
アズカバンの監獄長なんてどんな人かと思っていたが、想像していたよりよっぽどマトモそうだ。
背筋を伸ばし、挨拶をする。
「私はアティカス・テイラーと申します! この度、監獄長補佐官の任につきました! 以降、どうぞよろしくお願い致します」
監獄長は頭を下げた私を値踏みするような目でみると、呆れたような、それでいて険しい表情で口を開く。
「フン、おまえさんが新しく来るっちゅう補佐官か。いいかテイラー、馬車で魔法境界線を超えた時から職場についてんだ。気を緩めてるんじゃねぇよ」
「俺達は吸魂鬼をしっかり管理して、アズカバンを守らなきゃなんねぇ。それなのにその吸魂鬼に襲われててどうすんだ? えぇ?」
「大体な、魔法境界線を超えた後に守護霊を出したか? 出してねぇだろ。確かに御者はおまえさんをここまで連れてくるのが仕事だ。だけどな、アズカバンはこっちの管轄なんだよ。そんだったら境界線を超えたら守護霊を出して、御者とセストラルに危険が及ばないようにするべきじゃあねぇのか?」
「それにテイラー、さっきの守護霊はなんだ? 有体ではあったようだが、あんな弱々しい守護霊じゃあっという間にやられちまうぞ?」
「いいか? 俺達はイギリス魔法界の砦だ。その意味がわかるな?」
……これはぐうの音も出ないな。バクスター監獄長のおっしゃる通りだ本当に。
私は、どこか浮ついた考えをしていたのかもしれない。
元々国際魔法協力部なのに魔法省側の手違いでアズカバンに来ることになった。
だから少しミスをしてもしょうがない。私はそう思っていたのだろうか。
バグノールド大臣にアズカバンに行くように言われた時、私はなんと返した?
精一杯やると、そう言ったはずだ。汽車の中でもアズカバンの危険性について読んだはずだ。
それなのにも関わらず、私はノリッジに着いてから空気がうまいなどと言い、観光気分だった。
挙句、馬車に乗る前には職員に軽口をとばし、車内ではすっかりくつろいでいた。これではまるで、MACUSAに研修に行く時と変わらないではないか。
ダメだな、これは。本当に。
魔法省に入省して、特に問題なく仕事を進め、欧州並びに北米地区長なんて大した肩書きを名乗っていた。だがそんなものアズカバンでは関係ない。
もはや私はただの職員ではない。イギリス魔法界を、イギリス中の魔法使いを、魔女を、スクイブもマグルも全員を脅威から守る立場にある。
それなのに、今まで何をしていた?
ああ、アティカス・テイラー。お前は本当にどうしようもないやつだ。
あまりに情けない。
「バクスター監獄長、私は.」
「ふん、なんだ? ずいぶん落ち込んだ顔しているじゃねぇか? まあ本当の意味でアズカバンがどんな所かは実際来なきゃ分かんねぇさ。説教した立場でなんだが、新人がミスをするのは当たり前よ。これから頑張りゃ良いのさ」
彼はガハハと笑うと、私の肩をポンポンと叩くと歩き出す。
「ほれ、着任早々疲れたろう? 俺たちの部屋を案内するから着いてきな」
監獄長について屋上から階段を降りると、何やらルーン文字が刻まれたドアがあった。
その先には非常に短い廊下があり、3つ扉が見える。
正面に1つと右側に2つだ。左側はただの壁のようだが、肖像画が何枚か飾られている。
「このスペースが俺たちの仕事場と居住スペースだ。一番奥の正面が俺の部屋。お前さんのは右奥の。右手前が仕事場だ」
「一旦少し休むと良い。いきなりあんだけの吸魂鬼に囲まれちゃあな。部屋の戸棚には常にチョコレートが入ってるから食べたらベッドで寝ときな」
「ありがとうございます」
確かに疲れが溜まっているようだし、若干ながら体温が低いようだ。
ここは素直に少し休むべきだろう。
「おっとそうだ。一個だけ。ここの廊下に入るためのドア、あれにルーンが刻まれてたのは気づいたか? あれはな、一応の防御魔法全般と闇の生物、つまりは吸魂鬼に対する魔法が刻まれてる。あんまし効果はないかもしれないが、吸魂鬼からしたらわざわざ居心地が悪いところに来て生気を吸おうとはしない。牢屋に捕まってる連中で十分な訳だし。だからまあ、この廊下と3つの部屋はアズカバン唯一の安全な場所だ。安心して眠りな」
どうやら私が気を張っているのが伝わったらしい。わざわざ体を休める前に伝えてくださったのだろう。
「ありがとうございます」
もう一度礼を言ってから、部屋に入る。
置かれたベッドに倒れ込むと、すぐに睡魔が私を襲った。
目が覚め、慌てて時刻を確認する。どうやら1時間ほど眠っていたようだ。
今は16時を10分ほど過ぎたところ。
ベッドから起き上がり、身なりを整える。
部屋のドアをあけ、先ほど教わった事務所のドアを開けてみる。
中ではバクスター監獄長が何か書類を読んでいるようだった。
扉の開く音で私に気づいたのか、顔をあげる。
「おう、起きたかテイラー。よし、それじゃあ早速だが色々説明していくぞ」
「まず、俺たちの主な業務は警備と管理の2つに分けられる。前者はわかりやすいだろ? アズカバンが襲撃されたり、誰かが脱獄したりとかそういう事に対処する。最も、実際襲撃なんかがあった場合はすぐにここの廊下に来て、肖像画から魔法省に連絡をしろ。一人で対応しようとするなよ? んで、管理の方。これは、魔法省から通知される囚人が……」
怒涛の勢いで始まった説明に、私は慌てて手帳にメモをする。
あらかた説明が終了すると、デクスター監獄長はコーヒーを入れ、どうやら休憩に入るようだった。
「ふぅ〜。さっきは結構キツめに説教したけどな、俺はお前さんが来てくれて嬉しいだぜ?」
彼は両手でマグカップを見つめながら語り出す。
「俺は此処に来て大体一年だけどよ? その間ずーっと一人だった。常に吸魂鬼に気を配らなきゃいけないし、話相手もいない。囚人より先に気が狂うかと思ったさ」
「だけどこの前、バグノールド大臣から連絡が来てさ、一人補佐官が決まったって。嬉しかったさ。お前さんが思うよりずっと。詳しい事情は聞いてないがなんでも間違って此処に配属されたんだって?」
「えぇ、そうです。元々は国際協力部にいたのですが、ちょっとしたトラブルがありまして。えーっと」
件の手紙について話しても良いものか迷い口籠ると、監獄長が遮る。
「いいさ、言わなくて。厄介ごとはごめんだしな」
ガハハと豪快に笑う。
「ま、諸々事情があるにせよ、せっかく俺の唯一の部下な訳だ。そ、こ、で!! 今日は着任祝いだ──!!」
「へ? いや、それは嬉しいのですがバクスター監獄長。その、警戒をした方が良いのでは?」
先ほど彼自身が言っていたはずだ。俺たちはイギリス魔法界の砦だ、って。
そういうと監獄長は呆れた顔でこちらを見る。
「あほ。確かにそう言ったがな、2人きりでずっと警戒するのはさすがにしんどいだろ。それ以外にも諸々業務がある訳だし。というかずっと警戒なんてやってたら1日の労働時間がアホみたいな時間になるぞ?」
……確かに。2人のみで常に警戒しろってのは流石に無理があるか。
「こんな職場だからな。勤務時間はしっかりやる! そうじゃない時はしっかり休む! それが重要なんだよ。分かったらほれ、俺の部屋行って準備しといてくれ。俺も書類の整理が終わったらすぐに行って、美味い料理作ってやるからな!」
この職場ははっきり言って地獄だ。常に魂の危険があるし、人間は2人だけだし。
お給料は以前と比べてめちゃくちゃ上がったけど、アズカバン常在なんて誰だって嫌だろう。
けれどこうした良い出会いがあるのなら、ちょっぴり悪くはないなと思う。
思わず浮かんだ笑みはそのままに、返事を返す。
「承知いたしました、監獄長! おまかせを!」
その日の晩は人生の中でも最悪の場所で、楽しく笑いながら時間が過ぎていった。
お読みくださりありがとうございます。
やっとアズカバンが登場です。
バクスター監獄長、口調は荒いですが良い方です。テイラー氏、頑張っていただきたいものです。
次回投稿は1週間ほど後になると思います。よろしくお願い致します。
追伸:現在大幅に一週間以上経過してしまっていますが、鋭意執筆中ですので少々お待ちいただければと思います。よろしくお願い致します。(8月15日追記)