転生先が悪逆非道の血みどろ騎士モンスターで詰んだ男、過酷な迷宮で救いを見つける 作:飛び回る蜂
「ごめんなさい。何故でしょうね。涙が、止まらないんです……」
「(……私はなんて無力なんだ。目の前で妻が泣いているというのに、涙を拭うことすら叶わない。家族を置いて先に逝った男に、お似合いの末路じゃあないか……はは……)」
突然涙を流し始めたリナ・ミラン。彼女の胸の内から溢れる悲しみはしとしとと、氷雨のように部屋の空気を冷たくしていく。
それを受け止めているのは専用の椅子に腰かけて俯いたまま一切話せない少年、そして同じく来客用の椅子に座りできるだけ目を逸らすミリアムだった。
「(重い……空気が重いよぉ……)」
「(我慢しなさい、今は耐えるの。子供はこういう時じっと耐えるのが仕事なの。何も考えてはダメよ)」
「(分かります……分かりました……)」
子供達が気を遣って必死に声を押さえる中、大人2人は会えなかった時間を想い涙を流していた。再会を喜ぶのに20年という年月はあまりに長く、全てを話し、聞き終えた2人の古傷は痛むばかりだ。
しかし子供達からすれば親の恋愛模様になどあまり興味がない。ミリアムは自分からダンジョンに行きたいと言った引け目がある分黙って話を聞くべきだと思っている。
少年は完全なとばっちりである。リューベルと一心同体であるがゆえに回避できない。しかも今にも泣き出しかねない男の悲哀は少年の心にダイレクトに伝わる。まだ自分が味わったことのないタイプの悲しみに居心地の悪さばかり覚える。
今は自分とリナのことで手一杯なのか、少年がミリアムと交信していることに反応できない程憔悴している。ここまで落ち込んでいるリューベルを見るのは少年にとっても初めての事だった。
困惑のあまりミリアムに助けを求めるも、返ってくるテレパシーは「ここは耐え」のみ。悲しみの波は時間で引く、ならここは待つのがい最善。
そして姉貴分の言葉には従うのが弟分の役目である。リューベルとリナが泣き止むまでじっと沈黙することを選んだ。
その時神の一手が舞い降りた、玄関の呼び鈴が室内に鳴り響いたのだ。
仲間達は既に帰った、残る鍵持ちはヘレスだけ。となれば……?そう思いミリアムがさっとその場を抜け出し確認に向かう。
この時少年から(あっ、ズルい!)と思考越しに言われるも、ミリアムもまた(ごめんねっ!)と言い残し出来るだけ早くその場を後にした。いずれにせよリューベルと一緒の少年はあそこから動けないのは織り込み済みである。姉は強かなのだ。
そうして玄関に辿り着くと既に魔力鍵が解錠されている。となれば外にいる人物は確定だ。物理鍵を開け躊躇せずドアを開く。
「会長!こんにちは!」
「こんにちは。アポも無しに申し訳ありません。少々お邪魔しても?」
「い、今?今はその、ちょっと、ママが……」
「リナの到着は知っています。悲観的な彼女の事です、そろそろ話が進まなくなる頃合いでしょう。私が対応しますよ」
普段に比べて幾分表情の柔らかいヘレスの来訪である。彼女はつい最近まで忙殺されていたとミリアムは聞いていたのだが、様子を見るにかなり落ち着いているようだ。
しかし元々今日来訪の予定はなかった筈だ。一体何の用か訝しんでいる内にリビングへと辿り着く。
ヘレスはこの家に到着してから、相変わらず感覚がおかしくなりそうな家だと感じた。この家は背丈が2m以上ある『徘徊者』の背丈に合わせて作っている為天井がかなり高い。家具もそれに合わせて用意しており、縮尺が一般的なそれではなく感覚が狂いそうになるのだ。
ドアノブも高い所に1つ、低い所に1つ。ドア自体が大きい為開閉も一苦労だ。わざわざ来客用に脚立を複数用意してあるくらいだ。只人がこの家で暮らすのは中々に苦労することだろう。
室内に入るとやはり、リナは泣き腫らし『徘徊者』が正座のままじっと地面を見て座り込んでいる。
傍目には正座の甲冑の前で泣く貴婦人。しかしその実態は泣いている2人の大人とそれに巻き込まれた全く無関係の少年である。
「(ミリアムさん……僕を置いて逃げた……)」
「(ごめんって!でもほら!応援連れてきたから!)」
さっそく思考越しに言葉が投げかけられた、ミリアムが申し訳なさそうな表情をする。文字通り血を分け合った義理の兄弟にのみ許される血液間コミュニケーションだ。
ふぅ、と一度息を吐いてからヘレスは早速リナの向かいに座る。このテーブルと椅子は来客用の一般的なものである。
この家では椅子はともかく食事等でテーブルを使うことがほとんどない為、こちらは全て一般サイズの物で統一されている。これらについてケインからは「これからよく使うんだし、もうちょっといい物にしないか?」と打診されており、その内ソファとそれに合わせたテーブルが用意される予定だ。誤解されがちだがここは寄り合い所ではなく人の家である。
「お久しぶりですね、リナ」
「あぁ……ヘレスさん……私、私は……」
ポロポロと涙を溢すリナの目元をハンカチで拭う。まるで泣く子をあやすように優しく、擦らないように柔らかく涙だけを掬う。
ヘレスからすればリナもリューベルも年齢で言えば子供、ともすれば孫とそう変わらない。手慣れた動きでケアをすると仕方なさそうに笑って言った。
「構いません。貴方が涙脆いのは昔からの事。ふふ、思えば貴方達家族との付き合いも長くなりましたね」
「そう……ですね……いつもミリアムがお世話になっています……」
「ええ、お世話をしています。ここ最近はパーティリーダーを務めてもらっていることもあってか、やんちゃも比較的鳴りを潜めていて有難い限りです」
ミリアムは先程の話を受けるまで、母とヘレスが友人関係であることなど全く知らなかった。『徘徊者』の血を取り込んでからと言うもの、多大な苦労をかけているヘレスと実母の初めて見る邂逅に、今度はミリアムが気まずそうにする番であった。
少年は(助かった……)とげんなりした状態から回復している。友達の母親が自分を見てしくしくと泣いているのを黙ってじっと受け止め続けるのは、とても心苦しく気まずい場面であった。
リューベルの様子はミリアムから観測することはできないが、少年の意識が優先されていることから意気消沈して沈黙しているのだろうと予想した。
恋愛をしたことのないミリアムにとって、女性としての母の顔は正直に言って理解が難しかった。時間さえあれば強くあろうと、噂話の中でだけ会える父を追い越してやろうと鍛え続けていたのだから分からないのも無理はない。
実際に会った父親は(娘と知らず接していたとはいえ)非常に不器用で、知らない間に男の子と融合していて、思っていたよりもずっと等身大の人間である。それが嬉しいかと言われると、まだ分からなかった。
「今日は彼、『少年』の方に少し用がありまして」
「(僕に?なんでしょう)」
きょとんと(しているように見える)『徘徊者』に向け、ヘレスの手から一枚の書類が差し出される。
受け取ってまじまじと眺めていると、ヘレスが笑顔で話しかけた。
「驚かせてしまいましたか?これは貴方の実績に基づくダンジョン協会会長としての判断です。貴方さえよければ是非───」
そこまで告げた所で『徘徊者』の手が天高く伸びる。手を挙げて質問の意だ。
どこか嬉しそうに目を輝かせているようにも見える。
「(はい!全く読めません!)」
「読めないみたいです」
「(うわぁ、本当に異世界の言語だぁ……全然読めない、すごーい……!)」
ヘレスの笑顔がピシリと固まる。少年はまだこの世界の字が読めなかった。
少年は常日頃からこの世界を勉強するために本が欲しいと考えていたのだが、言語の壁が常に立ちはだかっていた。
これについて解決するべき教本、初等教育にあたる教科書があればぜひ欲しいと考えていた。
日の当たる所で暮らせるようになったのだ。ならば次は勉強に励むべきだ。これから隣人となる相手の事、この世界の事、ダンジョンの事、全部知りたい。知ることで自分の世界は広がり他人と関われるのだから。
少年はこれからの未来をそう考え、今後報酬で本が貰えないかを提案する予定だったのだ。
「……そうでしたね、貴方は異界の言語しか読み書き出来ないのでしたね……リューベル、読んであげなさい。読みは出来るでしょう」
「(わ、分かった……ほぉ……これは……!)」
声を掛けられ悲しみの海から立ち上がったリューベルが少年の視界に映ったそれを見て思わず感嘆の声を上げる。
遂にこれを少年に差し出すのか。会長自らが持って来たのか。それを世間は許したのか。
そういった幾重もの驚きと喜びでリューベルの声が上ずった。
「(なんて書いてあるんです?)」
「(この単語は「
非常に長い単語の羅列に少年の思考がぼんやりとしてしまう。書類の正式名称というものは学生だった少年にとってまったく慣れ親しみの無い物だ。
リューベルにとっても馴染みの無い物ではあるが、一応辛うじて最低限騎士としてやっていける程度の教養は身に着けている。本人曰く「身につけさせられた」とのこと。
そんな彼だが読みはある程度出来る。これはリナ・ミランとの結婚に際し「契約書が読めない」という明確な弱点として克服が必要だったからだ。
この世界の国家公務員とも言える財務官リナにとって契約書の重要性は言うまでもない。学や教養を一切身に着けてこず腕力だけでのし上がってきた男にとって、大人になってからの勉学は想像を絶する苦難だった。それでも妻の負担を減らす為にも死ぬ気で身に着けたのだ。
そうして身につけた教養が今、少年の心を大きく揺さぶろうとしている。だとするなら学び、覚えた甲斐もあったと言うものだ。
「(君の故郷で言う所の免許証や住民票の申請書になるか。これが受理されれば君は1人の『探索者』として活動できるようになる)」
「(……つまり?)」
「(色々な特典もあるが……いや、そういうことではないな。何より大切なことは、この街に住む1人の人間として認められるということだ)」
その言葉を聞いた『徘徊者』の視線が書類とヘレスを忙しなく行ったり来たりする。聞いた言葉が信じられない様だった。
まるでプレゼントを「本当に貰っていいの?」と言わんばかりの姿を見てようやくヘレスの顔にへなりとした笑顔が浮かぶ。
予想していたリアクションを一回すかされて力が抜けたヘレスは、一度咳払いを挟んでから改めて話し始めた。
「それは一枚の書類ではありますが、多くの魔法と魔術式が込められています。偽造も量産も出来ない正真正銘ダンジョン協会発行のもの。それはたった1枚の紙切れかもしれません。ですがその1枚には数多の職人達の心血が注ぎ込まれています。違う歴史を歩んだ貴方ならきっと、それを分かってくれることでしょう」
「(……積み重ね)」
「その紙だけじゃありません。ダンジョンが生まれてから今日に至るまで、沢山の人の協力があってこの街は育ちました。そして今日をもって、貴方をこの街の一員として正式に迎え入れたいのです」
そう告げるヘレスの目は本気だ。そこに冗談や笑いは一切ない。
全てはこの街の未来の為に。そこに暮らす人々の為に。目の前で多大な献身を胸に抱いた少年を仲間として認める為に。
彼をダンジョンタウンにおける法の元、個人として認めること。彷徨える人々に安寧を与えしその高潔な精神を持つ
ヘレスという一個人として出来る最大限の斟酌として出来ること、それこそが
「(モンスターが商取引、そこから3段飛ばして市民権獲得か。ふっ……最高だな、少年)」
「(はい……凄く嬉しいです……!リューベルさんも喜んでくれますか?)」
「(ああ、私も心から嬉しく思う。君が報われること、その為に私は第二の生を使うつもりだったからな……感無量だよ)」
ここに今、2人の努力は結ばれたのだ。
長い長い時間と孤独の牢獄から這い出て今、彼らはようやく人としての権利を取り戻す機会を得た。