転生先が悪逆非道の血みどろ騎士モンスターで詰んだ男、過酷な迷宮で救いを見つける 作:飛び回る蜂
神秘を侵す血が滴る凶刃は幾度となく下される。だが当たらない。それでもいい。何度でも繰り返す。目の前にいるのは何時如何なる瞬間においても許されない犯罪者、法と倫理の大敵である。
それを前に退くという選択肢は存在しない。逃がせばいずれまた多くを殺す。進み続ければいずれその首に刃は届く。確実に、ここで、絶対に、殺す。
しかし男も然る者、致命的な一撃を含め彼の猛攻に対し完璧に回答して見せた。突進には地形を変え、小刻みに動くなら面で圧し、一転突破なら回避と目くらましでやり過ごす。そして緩手には尽く反撃を行い付け入る隙を与えない。既に目の前のモンスターへの対処を確立しつつある。
男にとって消耗戦は望むところだ。ここに探索者が2人もいるということは上の統率者は自分の存在に気付いているということ。頃合いを見て自分に対抗できる手練れが送り込まれるだろう。しかしこの状況を見ればまず間違いなくアレの対処を優先する。アレは人類にとって存在するべきではない異常存在となっているからだ。可能ならここで殺すのが本人の為でもあるだろう。
ついでに余計な証言をされても面倒だからそこの1体3人……否、1体
「フー……フゥ゛ーッ……!!」
「醜い、穢らわしい。お前は生まれるべきではなかった。いるだけで害悪だ」
所詮薄皮一枚剥がれれば素性を露わにして襲い掛かる獣でしかない。その点で言えば人もモンスターも大差はない。今日まで殺してきた連中もそうだった。目的を伝えれば「やらせん!」と声高々に叫んでは無意味に死に、近寄せまいと無視すれば勝手に訝しみ疑いの目を向ける。鬱陶しいあまり殺してしまった。あれは自分でも浅慮だったと理解している。
命が等しく無価値でも、それらが作り出す平穏は価値がある。世に混乱を齎す全ては存在するべきではない。そうしてこれまでも、世に仇なすであろう異分子を静かに処分してきた。
だというのに、この街は誰も彼もが率先してアレを受け入れようとしている。アレはダンジョンから生まれたものだ。神から生まれ神の手を離れた。生まれからして生物とは根本的に違う存在だ。ダンジョンの『宝箱』から世に放たれた財物が世界で何を引き起こしているのかを考えれば、その存在は到底許容されるべきものではない。
人がアレを受け入れた先に何が待っているのか、本当に分かっているのか?否、分かっていない。分かっていれば処分し、存在ごとなかったことにする筈なのだ。なのにそれをしない。やはりダンジョンを生業とする者は例外なく愚者なのだ。
この世に智者はあまりに少ない。故に我々のような識者が危険因子を未然に排除することで世界を平和に保つことができる。無垢だろうが善良だろうが関係ない。判断基準は危険か否かだ。
幾つもの人や物を、時には町や村そのものを歴史から抹消することになった。そうして何度も世界を救ってきた。いずれ世界に牙を剥くであろう存在を破壊し、消し去ることで守ってきたのだ。これはその一環に過ぎない。
「お前が死んだとて世は事も無し。理解できる頭があれば自死も選べるだろうに」
「(それをッ!お前が言うのかッ!?人殺しのお前がッ!!)」
「人の意を介するからなんだ?貴様に存在する意義はない。貴様のような己を善と信じて疑わないような奴こそが最も危険だ。疾く死ね」
この街に滞在した以上、このモンスターが人語を解する脳があることは知っている。だからこそ言葉を放ち続ける。それが有効な内は使うのがベターだ。
目論見通り、その言葉に騎士甲冑の怒りは増幅される。存在する理由なんて誰にもない。誰もが探している。自分がそれを心の底から欲してることくらい自覚している。人の手を借りなければ命を繋ぐことも出来ない身に生まれ、生まれ変われば恐ろしい怪物に成り代わり、ようやく出会えた人々には怪物だと恐怖され、ミリアムという特別が無ければ人と関わることも出来なかった化け物だ。
未知を外れた所に捨て置かれた人間が、ここにいていいよと言われることがどれ程心を救うことか。それを否定するこの男の性根がどれほど正しいというのか。人は互いを認め許し合うことで社会は成り立つ、それすら理解しようともせず、ただ悪性だけを見て否定する目の前の男が憎くて仕方がなかった。
明確に言語化できているわけではない。ただ怒りが溶岩のように噴き出している。ただ目の前の男を殺せと後押しされている。それを拒む気が起きない。今自分の身に何が起きているのかを気にする余裕など一片も無かった。手段は問わず、ただ目の前の敵を殺してやるという感情に突き動かされ続けている。
「───ッ!!」
「チッ」
並の探索者程度なら動けなくして獲物を奪い止めを刺せる。しかし本職相手に接近戦はいくらなんでも分が悪い。だからこそここまで徹底して近づけないことを最優先にしていた男であったが、それを観察していた騎士甲冑が突如機敏な動きを見せる。低めに放たれる魔力の波を見てから跳躍。右壁面に跳び張り付き、脚力任せに壁を蹴り飛ばし推力を経て空中から突撃したのだ。
如何に筋量があろうと重量を考慮すればそのような機動をするはずがない。しかしモンスターにその常識は適用されない。骨のみで動き、体格に見合わない翼で飛び、意志を持つ石像が動くのはダンジョン独自の法則によるものだ。この場所で生まれた者はこの場所の法則によって稼働する。他のモンスターに比べ分かりにくいものではあるが彼も例外ではない。
壁から急降下して剣を突き出し男へ襲い掛かる。一瞬反応が遅れた男の頬を僅かに切り裂き血が垂れる。致命傷には程遠いが一手目は確かに騎士甲冑が取った。
「……図に乗るんじゃあないぞッ!!」
油断はしていなかった。そうすべき相手ではないことも理解していた。その上で傷をつけられたことが男を酷く苛立たせた。まるで自分の首に手が届くことを確信されたような気がした。青二才の厄災風情が自分を殺せると本気で考えているのだと想像したらそれだけで苛立つ。
自分は殺す側。相手は殺される側である。奇しくも相反する2人の立場に反し、その思考は一致していた。
「お前のような奴を世界から消し去るッ!それこそが安寧だッ!!死ね害悪がッ!!」
「(知ったことかッ!お前が死ねッ!!)」
男の杖が光り輝くも一手遅い。この距離であれば引き戻した剣を再度振る方が早い。
魔法も斬った。土壁も斬った。間合いも斬った。障害となるものは全て斬った。そして今、人を斬る。
一切の迷いなく、心のまま、正しいことの為に剣を振るい悪を滅することのなんと気分のいいことか。
その引き戻した剣を顔に向け突き出す。これで全てが終わり───。
「(───やめてくれぇッ!!)」
「ダメッ!!」
いつの間にかすぐ傍から、止める人の声が聞こえた。誰よりも真っ先に自分を信じ、姉と呼ぶことを許してくれた大切な人の声。ある日ようやく人と会えた時、涙を流して喜んだ弟分を人殺しにしたくない一心で叫んだ。本当の意味で手遅れになる前に、それが自分への致命的なダメージになるとしてもそれだけはあってはならないと心が身体を突き動かした。
苦楽を共にした父にも等しい恩人の声が脳裏に響く。かつて親の似姿をその手で殺めさせ絶望の淵に追いやってしまった少年が、今度は自ら進んで殺人を犯そうとしている。あまりに耐えがたい絶望が慟哭となる。お願いだ。それだけはやめてくれ。痛みも絶望も全て自分が請け負う、だから!そう乞い願い、その声はようやく辛うじて届いたのだ。
「それをしたらッ、もう後戻りできないッ!!積み上げて来たもの全部!アンタ自身の手で壊してしまうのッ!!」
だからなんだろうか。何故自分を庇い止めるのだろうか。やめる理由が思い当たらない。止める理由が手の届く範囲に存在しない。剣を止める理由が無い。ここで止めたら皆が危険に晒されるだけだ。止めるメリットが上回らない。
何より自分がそうしたい。今すぐこいつの首を刎ねたい、いや刎ねなくては。
「───ッ!」
けれどその手は止まってた。この手を止めなくてはならないと理解してしまった。たった2人の悲鳴が荒れ狂う本能と相殺した。荒れ狂う激情を折れ曲げさせることに成功したのだ。
その代価は細い一本のデッドライン、それを踏み越えずに済むこと。その代償は致命的な隙。敵は既に魔力の充填、発動まで完了している。
「どこまでも愚かだ」
発光した杖から迸るのは破壊の波動。面で放つ破壊の魔力、そう見えてしまう程密に編み込まれた線の攻撃、無数の細い棘を前方半円状に放つ奥義。正面から人に放てば無数の穴が開き、触れた先から塵になる極めて危険な術だ。
このままでは飛び込んできたミリアムに害が及ぶ。剣を捨て速やかに位置を調整、ミリアムの壁となるべく気配を頼りに無我夢中で抱き寄せる。咄嗟の防御行動は何も取れず、精々が腕を交差させるだけに終わる。ミリアムも籠手を前面に出し防御の構えを取る。全身を守るにはあまりに不十分だが何もしない選択肢はない。
真正面から受けたミリアムと騎士甲冑は当然ただで済まない。重鎧と血液に阻まれながらもその光は身体を蝕み灼き尽くす。2人の腕は最早使い物にならない程焼け爛れた。
「い゛ッ……あ、あああああ゛───ッ!!!」
「ガァッ、ア゛ァ───ッ!!」
「馬鹿も極まれば道化だ。そのまま首を刎ねていれば事は終わっていた」
一瞬感じた焦りを即座に隠し、男は嘲笑を浮かべ愚弄を吐き出す。男はそれを愚策、優柔不断の結果であると断じた。
立つことも出来ず地に蹲り、両腕を魔力で焼き切られた無残な姿。ほんの僅かな躊躇さえなければそうなっていたのは自分だったかもしれない。しかしそうはならなかった。ならば結果が全てだ。男は勝利し、モンスターが敗北した。このダンジョンで数多繰り返されてきたことの焼き増しだ。
男がゆらりと動く。随分苦戦させられたが目的は問題なく達成可能だ。このモンスターの危険度を甘く見積もっていたのは否定できない。確実に殺していく。ついでに愚かな小娘と雑魚と足手纏いをこの地に散らして全て終わり。適当に回復を待って地上を制圧すれば何も問題ない。
それにしても、
「お前は愚かだ。私情で勝利を捨てた。女も愚かだ。味方を自称しながら死に追いやる。護る為と嘯きながら敗北する。無様極まりないな」
「(僕は、ハァッ……今……ちが、ミリ、アムさんが危ない……ッ!)」
「ぎっ……ぐっ、熱っ……!!」
覇を強く噛み締め苦しみもがく2人を見下ろし、早々に始末して終いにしようと思った矢先。ふと男の脳裏に小さな疑問が過る。
先程起動した魔法は破壊の波動そのもの。膨大な魔力を圧縮し詰め込み、予め設定してある形状に変化させ放出するものだ。そして完璧に起動した、その証拠が目の前で転がる2人の筈。
実際の所これを起動するのは初めてのことだ。元よりこの機能『バースト』と呼称している機能は発動する機会が非常に限定的だ。魔法をふんだんに使う自分相手に接近戦まで持ち込み、かつ決め手に欠ける相手が乾坤一擲に身を投じた時、カウンターとして使う為のものである。
万が一の手段として杖に与えた機能の一つだが、これまで自分と近距離で戦闘出来る程肉薄できる手など全くいなかった。あって損は無いから外さずにつけておいたものがようやく功を奏した形となる。
代償も決して小さくない。周囲の魔力に頼れず、自分の体内にある魔力の半分を注ぎ込んでそれを爆発させる都合余力が必要になる。不利な状況を早期に判断し、余力全てを使い切って意表を突き、生き残っても追撃することで反撃を許さず圧殺する為の機能だ。おかげで保有魔力は2割を切った。
……それが
モンスターの方はまだ理解できる。身体そのものに魔法への耐性があっても不思議ではない。だが赤髪の女の方はどうだ?見た所特別な防護を纏っている訳でもない。腕につけている籠手が赤く輝いてはいるが、特別神秘性を感じさせる物ではない。
男は自分の力量を疑っていない。少なくとも低くは見積もらない。自分が弱いなどと考えていたら救えるものも救えない、殺せるものも殺せない。自負は必要だ。
ならば何故。蹲る2人を前にして悠長に思考を回していたが故の隙。その他は障害にはなり得ないと考える余白すら作らなかった傲慢。その隙を見逃さなかった。掲げたスクロールから放たれた光弾が男の背後を強襲する。
「なッ、貴様ァッ!」
「ダンジョンではお喋りも考え事もご法度だ。勉強になったな?」
ヴァズはまず『ハマヤ』を引き留め、最悪男と接近戦に持ち込めるミリアムを軸に作戦を立てた。日頃モンスターを確実に安全に狩り尽くす為に観察するその観察眼は伊達ではない。ミリアムの働き次第で行動が分岐する非常に危うい綱渡りであるが、これが最も確実に事を為せると判断した。
男はこちらが眼中に入らない程絶対的に見下している。事実実力差と言う意味ならそれは正しい。ならば狙うは『ハマヤ』が追い詰められた瞬間……ではない。こちらの最大戦力であるミリアムを下した瞬間だ、意志を折ったと確信するであろうその瞬間なら必ず隙を見せる。
連携して討ち取れるならそれでいい。だがどんな奥の手を持っているか分からない以上、安心しきった不意を打つのが最善手。もっともミリアムが感情に任せ飛び出して庇うのはいくらなんでも想定していなかった。
「命掛けて保証のねぇ博打なんかしやがって。見てるこっちが死ぬかと思ったわ。二度とやるなよ」
「同じ、状況なら、やる。コイツを、人殺しにはさせない……っ!!」
2人共両腕が衣装の上から真っ黒に変色している。ミリアムの方は見るからに重傷だ。籠手は焼け焦げ、肌が見えている部分は赤く爛れ、肩で息をしており出血が止まっていない。
『ハマヤ』は甲冑の各所がボロボロに崩れかけており、完全に割れた部分から流血が見られる。フェニエが2人のすぐ傍に駆け寄り治療を始め、それを『ハマヤ』は拒否しミリアムを優先させる。何故と問う必要はなかった、その視線は今も目の前の敵に向けられているからだ。
「とんだ馬鹿野郎だ、無謀が過ぎるぞ。嫌いじゃねぇ。……さて、大分予定が狂ったがどうしたもんかね。もう魔力はほぼ空だろ?降参はどうだ?オススメだ」
「……愚弄するか、矮小の分際で」
「どうだかな」
『魔力消滅』が成功したからと言って油断はできない。男は既に懐から一本のナイフを取り出しそれを左手に、もう片方の空いた手にはどこからか取り出した古いランタンが握られている。
一同はそのランタンが何か瞬時に判別できなかった。しかしほんの僅かな間を置き、ヴァズはそれが『墓守のランタン』であることに気付いた。燃料を必要とせず薄い光を放つランタンであるが、それは普通の使い方をすればの話である。
このランタンは数年に渡って光り続ける。埃を払う以外にメンテナンスも不要と言う非常に優れた品だ。そして放つ光は火ではなく魔力を元に発生する疑似的な光。
つまりこれは大型の魔力タンクでもある。騒動のどさくさに紛れてくすねて来たに違いない。男はそのランタンを迷うことなく砕き、あふれ出た魔力をそのまま操作し自分の身体へと誘導する。
身体の外から急激に魔力を取り込むのは、気道や肺の容量を越えて空気を吸い込むようなもので負荷が非常に大きく、決して行ってはならないことが知られている。
しかし男はそれを無視した。そもそもその身体は魔力に対し非常に高い親和性を持つ。痛みや違和感さえ無視すれば身体は持つ。今はこの狼藉者たちをこの場で皆殺しにしてやりたいという気持ちで溢れかえっていた。
「必死になって殺意剥き出しにするほど俺達が嫌いか?」
「私は、世界の安寧を守るために存在している……ッ。貴様らのような愚物から、我らが歴史を守っている!それが何故理解できないッ!!」
「知らねぇな。明日の昼飯よりどうでもいい。嬢ちゃん!ここが正念場だ、踏ん張れ。ミリアム、お前はそいつの裏から出るな。……言うまでもねぇが守れよ。恩は返せ」
「ごめ、ん……」
「(謝るのは僕の方です。絶対に、ミリアムさんを守ります)」
砕いたランタンから急速に魔力を取り込み始める。ヒトが皮膚から酸素を取り込むような無茶を通し、みるみるうちに体内に魔力が充填されていく。
先程までにはないにせよ、迂闊に近づいても魔法の波に襲われる。即興ではあるが連携を組まなくてはならない。前衛にミリアムと『ハマヤ』を当てにしていただけに今の状況はかなり苦しい。だがやるしかない。ヴァズは内心で毒を吐きつつ、ダンジョンで死ぬならそう悪くはないと腹を括った。ここからが本当の意味での始まりだと、誰もがそう信じて疑わなかった。
立ち向かう彼らを皆殺しにせんと息巻く男でさえもだ。
「……な……?」
魔力を取り込んでいた男の右眼から、つぅっと血が流れた。そう間を置かず左目からも同様に。一同が身構える。
だがそれは男にとっても不測の事態であり、自らの頬に触れてそれを認識する。痛みはない。ただそれは温い涙のように頬を伝うだけだ。
「(これは、なんだ。常ならばこの程度で反動が起こることはない。痛みもない……ッ!?)」
ただ一度、ほんの僅かなのやり取りであってもそれは致命的であった。頬に作った傷から入り、男は血を取り込んでしまった。
それはもう身体を巡ってしまった。自らの意志で取り込み、循環させ、自分の一部としてしまった。神秘を侵す猛毒の血を、神秘を主とする身体に取り込んだのだ。
感じるのは全身を襲う虚脱感。ナイフを取り落す。足から力が抜ける。視界に靄がかかり前後不覚に陥る。
「グゥッ……なッ、なんだ、何が、起きている……ッ!?」
魔法使いの寿命は長い。それは細胞の役割を魔力が代替するからである。劣化した細胞を自身の魔力が一部構成し補助することで魔法使いは長寿を得ている。腸や肝臓、消化器を魔力が代替するようになるとやがて食事を必要とせず魔力のみで生存できるようになる。
男も例外ではない。魔力と親和性の高いエルフの種族特性もあり、体表から体内の臓器までを漏れなく魔力が補助をしている。中でも男は
そんな身体で神秘を破壊する猛毒となった血を少量でも取り込めばどうなるか。否、むしろ少量だからこそ致命的となり得る。
「身体が、何故だッ。何故歪むッ、何故何も見えん、感じん……ッ」
身体の機能を取って代わるほど多量であったのなら、極々僅かな可能性とは言え全ての魔力をそれに置換するという未来も掴めたかもしれない。
しかし少量ではダメだ。体中の細胞が拒絶反応を起こし取り込んだ血を拒絶している。現代で言うなら全身で重篤なアレルギー症状が発生しているようだものだ。それは既に目の毛細血管の損傷と言う形から見え始め、首や指先が赤黒く変色していくことから明らかだ。
それには痛みが伴わず、その代わりより重篤な症状となった。細胞の停止、多数の臓器の停止と神経の死による皮膚感覚の喪失だ。
「何故だ、何故だ、何、故、何……故……」
幾つもの時代を目撃した者。他者の追随を許さなかった強者の終わりとしてはあまりに呆気ない。自分に何が起きているかを理解する間もなく、虚しく、静かに息を引き取った。
魔力の霧散した遺体はみるみる内に色を喪い、やがて少量の血液と細い骨、皮と遺品だけが残った。
対峙する4人は急な事態に唖然とし、咄嗟の判断が出来ず時間を要してしまった。助ける暇も無く、介錯する間もなく、問い詰める時間すらなかった。
こんなものをどう報告すればいいのか。しかし一先ず脅威は去ったと判断することは出来た。一連の事件の犯人は死んだことを理解し、一同は肩の力を抜いた。
「勝ちでも負けでもない。嫌な感じね」
「生き残った方が勝ちだ」
「……あの人はどうしましょう」
すぐに復帰した4人に対しもう1人、未だ心ここにあらずと言った様子の女が一人座り込んだまま呆けている。彼女は既に自分が何をするべきか、どうしたらいいかを見失っている。その姿は家を放り出されて途方に暮れる子供に似ていた。
何をすればいいか、何ができるか分からない。立って歩くことはできる。けどどこに向かって歩けばいいか分からない。
そんな子供のような女をここに放置していい筈も無い。人道的にも、万が一復讐心に芽生えて探索者を襲いかねないというリスクの面から見てもだ。
「連れてくしかねぇ。万が一が起きたらそこまでだな。暴れるそいつを取り押さえられる余力はねぇ。杖は没収しとくからお前らが頑張れ」
「こっち今両腕使えないんだけど」
「俺じゃ両腕あっても勝負になんねぇ。足が使える分お前の方が強い」
「な、情けな……まぁ私強いからね」
未だ冷めやらぬ熱と興奮、死から逃れられた幸運を噛み締めるとともに彼らは地上へと戻ろうとする。
しかし『ハマヤ』、もとい少年はその場から動くことが出来なかった。
「……ハァ、動きそうもねぇな」
ヴァズは溜息を吐いた。ミリアムとフェニエは沈痛な面持ちで少年を見つめた。彼は皆が思っている以上に自分の立場を弁えていた。こうなってしまった以上、腹は決まっていた。
自分を見失い暴走した、というわけではない。自らの意志で、悪人を決して許すべきではないという自分の中の指針に従い、その手段を衝動に委ねた。理性を手放し本能で行動する獣となった。1人の生命を殺すことに一切の躊躇を取り払ってしまった。
言葉にはできなくとも少年は直感的に理解している。やむを得ないことはある。しかし進んでやってしまえば話は別だ。
少年は、今の自分が地上に出ることは絶対にダメだと考えた。
「(僕をどうするべきか、決まったら教えてください。それまで、ずっとここで待ちます。どんな結果でも受け入れます)」
「……大丈夫だから。絶対にアンタを守ってあげる。だから安心して待ってなさい」
「(ありがとうございます。楽しい時間でした、どうかお元気で)」
彼は小さく会釈をし、それを別れの挨拶とした。それに笑顔で返すことは、誰にもできなかった。
こうして事件は歯切れ悪く、しかし確かに幕を下ろした。