奇跡とは何だろうか。
起こり得ない出来事が降って湧いた現実の物となることか。それとも、数々の努力の積み重ねの果てに実を結ぶ物なのか。
少なくとも、星野アクアにとっては前者だ。
前世において雨宮吾郎という名の医者だった彼は、何の因果か患者だった少女の推しである「アイ」の子供として転生していた。しかも、双子として共に生まれた妹のルビーまでもがアクア同様転生者だった。
いくら努力したところで叶うはずのないことを、アクアは身をもって経験していた。
だから、心のどこかで願ってしまう。
自分たちの推しアイドルであると同時に、母親でもある「アイ」――星野アイがどこかで転生していて欲しいと。もう一度巡り会って、ストーカーによってアイが殺されてしまったあの日の続きが来て欲しいと。
「ねえ、お兄ちゃん。こんなのが事務所に来てたんだけど」
アクアがリビングでココアを飲みつつスマホを見ていると、ちょうどレッスンから戻って来たらしい私服姿のルビーがぱたぱたと歩いてきた。
ルビーは自分のスマホを操作した後、画面をアクアに見せる。
「何だ、仕事のメールか?」
「うん。ミヤコさんのパソコンに届いてたみたいなんだけど、何でか私とお兄ちゃんを直で指名してたんだよね」
ミヤコ――アクアとルビーの今の育ての親でもあり、二人が所属する苺プロの社長でもある彼女の使うパソコンの画面が、写真に写っていた。よくよく見ると確かに、苺プロへの正式な依頼の文書のようだった。
「……衣装のモデル撮影? 俺とルビーが一緒にか」
「そうなんだよね。でも、色々と変なんだよ」
ルビーにスマホを差し出されたので受け取り、写真をよくよく見てみる。文章自体はそこまで違和感はないが……。
「聞いたことが無い雑誌名だし、ドメインがめちゃくちゃだな。何だこれは。詐欺メールか? ……いや、これは」
差出人のメールアドレスはどう考えても怪しい物だったが、それ以上に問題だったのはメールの文面だった。
『アイ様の実子で双子のご兄妹であるお二人の参加を願っております』
その文章を見て、アクアは形の良い眉を顰めた。
「俺たちが兄妹だっていうのは、まだ発表してなかったはずだ。アイの実子なのを知っている関係者も限られる……」
ふと、あの日の惨劇が脳裏を過る。
かつて、自分の前世である雨宮吾郎を殺した男が、今度は自分の目の前でアイを刺し殺したあの瞬間。
だんだんと薄れていく意識の中、自分とルビーに「愛してる」と口にしたこと。
自分を抱きしめた腕が、腹が、胸が、時間を追うごとに暖かさを失っていく感覚。おびただしい量の血と、臭い。
「……お兄ちゃん、顔、真っ青だよ?」
「……ああ、悪い」
心配して顔を覗き込むルビーに謝りつつ、アクアは頭を振ってあの日の記憶を無理やり振り払った。
この記憶は未だに消化しきれず、思い出すだけで吐き出したくて、泣き叫びたくなる衝動に駆られる。
でもそれは、全てを終わらせてからだ。
アイを殺した男は自殺した。けれど、彼にアイの居場所を教えた人物がいる。
そして、アイに二人の子供がいるのを知っているのは、情報を徹底して隠していたこともあってごく一部だ。
その中でも考え得る限り最も有力なのが、自分たちの父親だ。
アクアはその男を探し出すために、芸能界に飛び込んだといっても過言ではない。
今回のこのメールも、男の関係者かあるいは本人だと考えるのが自然だ。
「受けるか、この仕事」
考えを巡らせてから決断するのに、そう時間はかからなかった。
「え!? でもこれ、明後日だよ!?」
「ミヤコさんに相談する」
「うーん、ミヤコさん嫌な顔しそうだなあ……」
「今日あま」や「今ガチ」以降、アクアは仕事を受ける機会が出てきている。大きな仕事としては「東京ブレイド」の舞台も控えている状況だ。稽古もじきに始まるだろう。
そんな中で、よく分からない相手からの飛び込み案件を受けるのは、普通に考えればリスクでしかない。
「だろうな。ルビーはどうする?」
依頼があったのはアクアだけでなく、ルビーも一緒だ。ようやく新生B小町としての活動が本格化してきた状況で、この案件はあまり受けては欲しくない。
それでも参加するかしないかを決めるのは、ルビーだ。彼女の意志を確認しておくのは必要だった。
「正直このメール、気味が悪いと思う。ママのこと、何で知ってるのって思うし。――でも、わざわざそう言ってきたってことは、何か意味があるんじゃないかな」
「まあ、初対面の相手に普通、ここまでプライベートに踏み込みながら依頼する奴はいないだろうしな」
「だから、私も行ってみようと思う。怖がってちゃ、何も出来ないから。そんなの私は嫌」
「……そうか」
真っすぐ自分を見つめる力強い目に、どこか懐かしさを覚える。
アクアは立ち上がって、今世の妹の前に立った。
「それじゃ、ミヤコさんに話をつけに行こうか」
「いいの? お兄ちゃん」
「今回は事が事だからな。お前は言っても止まらなそうだし、一緒にいた方が安全だろ」
「やっぱシスコンだね、お兄ちゃん」
ルビーのことが心配なのは事実で反論するつもりもないアクアは、黙って歩き出す。
その後を、ルビーも慌てたようにぱたぱたと付いていくのだった。
「来ちゃったね」
「ああ、来ちまったな」
二日後、渋々といった様子のミヤコから許可を貰ったアクアとルビーは、都内のとある撮影スタジオに来ていた。
天井には撮影用の照明が吊るされ、機材の類も整然と置かれている。部屋の奥には白いバックスクリーンが準備されていて、いつでも撮影が始められそうな状況だった。
「ママもこういうところで撮影してたんだよね」
ルビーは、目を輝かせてスタジオをきょろきょろと見回していた。
「まあ、機会ならいくらでもあっただろうな」
アイは、かつて一世を風靡した伝説のアイドルだ。歌番組やライブだけでなく、バラエティやグラビア撮影といった沢山の仕事をこなす中で、こういうスタジオに来たのも一度や二度じゃないだろう。
「っていうかさ、スタッフさん全然見ないよね」
「確かに、妙だよな。集合時間も今くらいのはずなんだが」
ビルに入ってからこのスタジオに着くまで、アクアとルビーは誰ともすれ違っていない。場所を間違えた、なんてこともない。
二人で訝しんでると、ふと背後の扉が開く音がした。
「ああ、おはようございます。ルビーさんとアクアさんですね?」
そこに立っていたのは、何故か全身黒子スタイルの背の高い男だった。
「そうですが……。貴方は誰ですか」
「ああ、これは失礼しました」
見るからに怪しいというか、奇天烈な恰好をしている男をアクアが警戒していると、男は肩を竦めて歩み寄ってきた。
ルビーの半歩前に立って、アクアは目の前の男を見上げる。
「私、“マモル”という者です」
マモルと名乗った男は、懐から名刺を取り出してアクアとルビーに一枚ずつ手渡していく。
「……この名前で活動されてるんですか」
「はい。よく言われるんですよ、シンプルで覚えやすいとね」
アクアが手に取った名刺には、ただ「マモル」とだけ書かれていた。あとは連絡先があるくらいで、見やすいといえば見やすい。
「事務所にあのメールを送ったのは?」
「ああ、私が送ったのを見てくれたんですね。いや、見てなかったらそもそもここに来てませんか」
マモルはそう言って笑い声を上げるが、顔が黒布で隠れているので表情までは分からない。
初対面にも関わらず、彼は一切自分の素顔を見せる気が無いようだ。態度と合わさって、男に対してアクアは余計に警戒感を抱く。
「何で、俺たちのことを知ってるんです? あの内容は、ごく限られた関係者しか知らないはずだ」
「その辺はノーコメントで。ああ、先にお二人の懸念を潰させていただきますが、私は病院の関係者でもなければ苺プロにいたこともありません。ストーカーの類でもありませんよ。それから、
全てを見透かしたような物言いに、アクアは背筋が凍るような思いがした。特に、父親に関してはアクアの方をしっかりと見ながらこの男は話していた。
マモルと名乗る男はいったい何者なのか。警戒心ばかりが募っていく。
「あの、マモルさんの目的って、本当に撮影なんですか?」
ルビーが警戒心を滲ませながら、アクアの後ろから男に問いかける。
「ええ、そうですよ。まあ、撮影を始めるのは全員揃ってからになりますが」
「――全員って、他のスタッフが後から来るってことですか」
アクアの問いに、黒子の男はゆるゆると首を振った。
「いいえ、スタッフは私一人です。今日はもう一人、貴方たちと一緒に撮影に臨んでくれる方がいらっしゃるんですよ」
「俺たち以外に?」
ここに来て初耳の情報に、アクアとルビーは顔を見合わせる。
思えば、依頼があってからこの方、ずっと不可解なことばかりだ。
先日の不審なメールのことも、男以外スタッフが誰一人としていないことも。それに加えて、当日になって撮影モデルが一人増えるなんてことは今初めて聞かされたことだ。普通の仕事なら、こんな対応などあり得ない。仮にあったとしても、もう一度一緒に仕事をしたいかと言われたら微妙なところだ。
「いったい、誰が来るんです?」
「すぐに分かりますよ。――と、噂をすればですかね。私は準備があるので、いったん失礼します」
扉の向こうの足音を聞いた男が、一礼して去っていく。歩いていく先を見るに、スタジオの端にまとめて置かれた機材の方のようだった。
「……何か、妙な奴だな」
「やっぱお兄ちゃんもそう思うよね」
「まあいい。挨拶しに行くぞ、ルビー」
「うん」
およそ社会人とは思えない行動ばかりする男のことは頭の隅に追いやって、アクアはルビーと共に扉の方へと向かった。
「どんな人が来るんだろうね。マモルさんみたいな怪しいカンジの人じゃないといいけど」
「それは俺も同感だ」
ルビーの率直な物言いにアクアも同意しつつ、スタジオのドアノブに手をかけようとする。
それと同時に、ドアノブががちゃりと音を立ててひとりでに下がった。どうやら向こうが先にドアノブに手をかけたらしい。
アクアは察して、ルビーと共に数歩下がる。
――1秒後、ドアが開いた。
「…………は?」
「…………え?」
そこにいた人物を目にしてアクアもルビーも、何も言葉が出てこなかった。
地味な服装をしていたが、それでも見間違うはずがなかった。
「マモルさんって人からお仕事貰ったんですけど、ここで合ってます?」
誰もを惹き付ける天性の瞳と、よく整った顔立ち。均整の取れたスタイルに、艶やかな髪。
一度たりとも忘れたことのない、少女と大人の境目にある女性。
立ち尽くすアクアとルビーに、その人物は怪訝そうに首を傾げていた。
「あの、聞こえてますか?」
「あ、ああ、えっと、合ってる」
綺麗な瞳に覗き込まれながら、アクアは掠れかけた声で辛うじて答える。
目の前で起こっていることに、まるで理解が追い付かない。ただ醜態を晒さないように気を引き締めるので精一杯だった。
そんなアクアの内心を知らない女性は、ほっとしたような笑みを浮かべる。
「良かったあ。急なお仕事だったから、場所が合ってるか少し不安で。あ、今日一緒に撮影をする人たちですか?」
「多分、そうだと思う」
「そうなんですね。私は――」
ふとアクアの視界の端で長い金髪が揺れたかと思うと、ルビーが女性に抱きついていた。
「ママ! ママぁ……!!」
縋りつくように女性の胸元に飛び込んで嗚咽を漏らすルビーを、誰が止められようか。
「え、え? ママ? え?」
ルビーに抱きしめられた女性――アイは、あの日とほとんど変わらない姿をしていた。
「ママ、私! 私……!」
「えっと、これ、どういう状況……? え、ええ……?」
嗚咽を漏らしながらしがみつくルビーに、アイはただただ困惑している様子だった。
アイにとっては、今のアクアとルビーは初対面の相手になるのだろう。そんな相手の片方から「ママ」と言われて泣きつかれたら、そんな反応になるのも無理はなかった。
昔、一緒に暮らしていた頃にはあまり見たことのない珍しいアイの表情は、年相応の女性ようだった。
「……ルビー、アイが困ってる」
「……うん。ごめん、アクア」
二人の様子を見つつもいくらか平静さを取り戻して、アクアはルビーの肩を叩く。ルビーは涙を拭いながら、アイから離れる。
永遠に失われたはずの相手が突然目の前に現れたら、取り乱したくなる気持ちも分からないわけではない。
もしこの場に一人でいたら、アクアもきっと似たような反応をしていた。
「――え?」
二人の会話を聞いていたアイが、目を見開いていた。
「アクアとルビーって……。でも二人は今頃家にいるはずで……。こんなに大きくなくて……」
「――星野アクアマリン。俺の名前だ」
「……星野、ルビーだよ。ママ」
未だ目元を拭うルビーと共に、この世で二つとない名前を告げた。
アクアもルビーも、あまりに特殊な名前をしている。そして名前を付けたのは、今目の前にいるアイだ。フルネームで伝えれば、流石のアイも信じられるだろうと思ってのことだった。あとは、容姿から面影を感じ取ってもらえればいい。
「本当に……? 二人とも、急に大きくなっちゃったとかじゃなくて?」
「流石にそれは無理がある。いや、この状況がそもそも無理あるが……。今の俺たちは16歳だ」
「16歳……」
時が経つのは早いもので、気が付けばアイがアクアたちを産んだときの年齢になっていた。
「そうだよ。私たち、16歳になったんだよ。ママ」
瞳を潤ませながら、ルビーは積年の思いと共にアイに語りかける。
そんなルビーを見たからか、アイも戸惑いは残しつつ状況を飲み込もうとしている様子だった。
「二人は、未来から来たの?」
「分からない。事務所に変なメールが届いて、ルビーと一緒にここに来たら……アイが来た」
「じゃあ、私が未来に来ちゃったの?」
「それも断定は出来ない。……ただ」
「ただ?」
「俺たちがこうして会えたのは、奇跡なんだと思う」
何度も、頭を過った光景がある。
もし、犯人にアイの居場所が知られなかったら。もし、あの時アイを助けることが出来ていたのなら。
そんなたらればを心の中で繰り返す度、そんなことはあり得ないと否定する自分がいた。
いくら双子が転生者だからと言って、奇跡なんてものは何度も起こるものではないからだ。
「あれかな、お兄ちゃん。私たち、すっごい変な空間に飛ばされちゃったとか」
「科学的にあり得ないと言いたいが、そうとも言い切れないのが何ともな」
「マモルさんに聞いてみる?」
「そうしたいのは山々なんだが、アイツ、どっか行ったみたいだぞ」
先ほど彼が歩いていった方を振り返ってると、そこはもぬけの殻となっていた。まるで、初めから誰もいなかったかのように。
この現象は不可解なことばかりだが、どうやら答えを得ることは出来なさそうだった。
代わりに念のため一つ、アクアは確認を取ることにした。
「アイ。そっちの俺たちは、今何歳?」
「私の知ってるアクアとルビーのこと? ついこの間、3歳になったばかりだよ」
そうなると、目の前にいるアイは19歳になるかならないかの時期ということになる。向こうの自分たちがアイと一緒にいられるのは、残り1年あるか無いかといったところか。
あの絶望を味わうことになると考えると落ち着かない気分だが、恐らく自分たちは干渉することが出来ない。そんな直感がアクアの中にあった。
「3歳になったときくらいだから……。お兄ちゃんがママと一種に初めてドラマに出た後?」
「ああ、有馬と初めて会ったときの」
「そうそう。重曹を舐める天才子役って言われてた頃の先輩と会ったとき!」
「それ言ってたのお前だけだからな」
「10秒で泣ける天才子役!!」とキレ気味に突っ込む有馬かなの姿を想像しつつ、ルビーの言葉であの頃の記憶が脳裏に過る。
「アイにもカントクにも散々気味が悪いって言われたけど、出ておいて正解だったかもしれないな」
あの伝説的なアイドル、アイと共演したという意味でも、彼女亡き後の復讐のための足掛かりとなったという意味でも、アクアの人生において明確な分岐点の一つだっただろう。
「……本当に、アクアなの?」
「……ああ」
未だに信じられないといった様子のアイだが、その瞳は微かに揺れているように見えた。
「……じゃあ、君は本当にルビーなの?」
「うん。『転ぶのを怖がったら、もっと転んじゃうものなんだよ』――あの時ママが言ってくれた言葉、今も覚えてるよ」
ルビーを見つめる目が、大きく見開かれた。アイの中で驚きや戸惑いだけじゃない、色んな感情が去来しているのを、アクアは何となく察した。
「本当に、そうなんだ……」
アイはルビーの傍に寄って、自分よりも少しだけ背が高くなった娘の頬を撫でる。
「ママの手、あったかい」
自分の頬に触れる手の温もりに、ルビーは目を細めていた。
互いの存在を確かめ合う二人を邪魔しないように、アクアは一歩引いたところで見守る。きっと、もう一度アイに触れたいと思っていたのはルビーも同じだ。
「ルビー、おっきくなったね。あと、私に似てすっごい美人」
「えへへ、そうでしょ」
はにかむルビーに、アイはここに来て初めて笑顔を見せた。それからアイは手を引いて、今度はアクアに視線を向ける。
「アクアはもっと大きくなったね。なんていうかこう、すっごいイケメン」
「褒め言葉にしては浅くないか?」
「そんなことないよ。流石私の息子だなあって。やっぱり私が産んだ子だからかな?」
「相変わらずの自信家だ」
前世で初めてアイに会ったときも、彼女は自信満々に笑っていたなと懐かしい気持ちになる。
「自信が無いと、アイドルは出来ないからね。それよりほら、おいで」
「……は?」
ぱっと両手を広げたアイに、アクアは虚を突かれた。
アイが何をして欲しいのかは、一目瞭然だ。しかしここはスタジオで、さっきの男が見ているかもしれない状況で、加えて目の前にルビーもいる。
それから自分は精神年齢的にはずっと大人で、そんな男が推しのアイドルと抱擁なんて交わしていいのか。いや、今の自分は実の子でもあったなと、1秒にも満たない時間で思考が廻っていく。
アクアは、アイから抱きしめられたことはあっても自分から抱きしめに行ったことがない。今の自分に、そんなことが許されるのだろうか。
しかしアイは、躊躇するアクアの心を解きほぐすように、柔らかく微笑みかける。
「アクア、自分じゃ気付いてないかもしれないけど……。すごく寂しそうだよ? だから、ほら」
「――――っ」
今の姿で会うのは初めてだろうに、アイはアクアの本心をピタリと言い当ててきた。それはまさしく、本当の母のようで――。
「……ずっと」
「うん」
「ずっと、もう一度会いたかった。アイ」
気が付けばアクアは、自分からアイを抱きしめに行っていた。
目頭に熱い物を感じながら、自分よりも小柄なアイの身体を、アクアは目一杯に抱きしめる。アイの細い腕が自分の背中に回される。何度願っても戻らなかった温もりが、ここにあった。
ああ言われてはもう、自分の中にある感情を堪えることが出来なかった。
恥も外聞もない。後々ルビーにドン引きされてもいい。
今はただ、己の心に従いたかった。
「アクアって、意外と甘えん坊さんなんだね」
「……ごめん」
ぽんぽんと背中を叩いてくるアイに、アクアはただそう答えることしか出来なかった。
それは、16歳にもなってみっともなく泣いてることなのか。それとも、あの日助けられなかったことを悔いてのものなのか。
きっと両方なのだろうと、アイの腕の中で思う。
「いいんだよ。私、お母さんなんだから。私の知ってるアクアは、小さいのに妙に自立してたし」
「…………そうだったかな」
自分の中ではある程度誤魔化せていたと思っていたが、意外とよく見られていたことにアクアは内心気まずかったが、顔には出さない。
「そうだよ。私やルビーと一緒にお風呂に入るとよく目を閉じてたし、カントクには早熟って言われるし、ルビーによく気を遣ってたし。ルビーもそうだけど、うちの子って天才って思ったよ」
「ほとんど見られてるじゃねえか」
感動の抱擁のはずが、何故だか親バカ談義に流れが変わっていた。
言動そのものはアクアが転生者な上、赤子の頃からしっかりと自意識を持っていたせいだが、それを差し引いたとしてもよく見ている。
「そりゃあ、私の息子だもん」
抱擁を解きながら、アイはアクアを見上げて微笑む。
それは、誰もが羨む無敵の天才アイドルでも普通の少女でもなく、母としての慈愛の笑みだった。
「ルビーもこっちにおいで。さっきは驚いちゃってごめんね」
「――ママ!」
嬉しそうに飛びつくルビーと、優しい笑みを浮かべて抱き留めるアイ。
そんな二人を見て、アクアは小さく口角を上げたのだった。