少し遅めの昼休憩も挟みつつ、撮影会は無事に終了となった。
アクアたちは衣装を返却して元の服に着替え直し、休憩スペースに集まっていた。マモルの方は機材の片づけがあると言って、まだスタジオに残っている。
「二人とも、お疲れ」
アクアは備え付けの自販機で買った缶ジュースを、二人に配りつつルビーの隣に座る。アイはルビーを挟んで反対側の方に座っていた。
「ありがとね、アクア」
「ありがとう、お兄ちゃん」
二人がジュースを手に取ったのを確認してから、アクアも自分の分の缶を開け、一口飲む。
気が付けば小休憩や昼休憩を除いて、ほとんどぶっ通しで撮影を続けていたせいか、甘いジュースが体に沁みるようだ。合間に互いの服についてあれこれ言っていたのも、撮影が長時間に及んだ理由の一つだろう。
あの黒子の男はこうなることも見越して、撮影時間を長めに取っていたのか。窓の外を見れば、日はすっかりと落ちていた。
「二人とも、よく撮れてるな」
マモルから借りたノートパソコンにUSBを差して、写真データを確認していく。
やはりと言うべきか、アイはどの瞬間を切り取っても可愛いという言葉が自然と浮かんでくるほどの写りだった。ルビーもアイからの指導もあってか、初めての撮影にしては悪くない出来だ。経験を積めば、確実に化けるだろうと確信出来る。
「アクアもよく写ってるよ」
「確かに。我が兄ながら結構イケてると思う。ちょっと複雑だけど」
二人からの評価も、そこまで悪い物ではなかったようだ。
それはそれとして、アイとルビーは他にも写真を見たそうにしていたので、パソコンを譲って缶ジュースをもう一口飲む。
仲良く感想を言いながら写真を見ていく二人は、傍から見ればまるで姉妹のようだった。
アイは20歳手前でもその美しさと愛らしさは衰えることなく、寧ろ輝きを増していっている。そんなアイの娘であるルビーは、母の面影を残しつつ贔屓目無しに見ても美人に育ったと言えるだろう。
もう少しだけ、せめてあと一日くらいはこの状況が続いてしまえばいいのにと、アクアはふと考えてしまう。
撮影会は終わり、いざ解散となればアクアとルビーはもう、今度こそアイと二度と会えなくなる。アイも、成長したアクアたちを見ることが叶わずその命を散らしてしまう運命が待ち構えている。
あの男だって、それは分かっているはずだ。分かっていながら何故、自分たちを引き合わせたのか。
「……家族、か」
かつて雨宮吾郎として生きていたころ、多くの家族を見てきた。
退院を喜ぶ家族もいれば、関係が最悪な家族、天涯孤独になってしまった人、様々な境遇があった。吾郎自身も家庭事情は込み入っていて、ある種の“飢え”のようなものがあった。
アクアとして生まれ変わってからは、少なくともアイからは相当な愛情を貰っていた記憶がある。最期に「愛してる」と言っていたことからも、それは確かだろう。
その意味では飢えは満たされていたのだろう。あのまま普段通りの日常を重ねられていたら、アイのことを心の底から母だと慕えるようになっていたかもしれない。
けれど自分は転生者で、数いるアイのファンの一人だったに過ぎない。ファンになったきっかけも、天童寺さりなから布教されたからだ。その認識は、根本的なところで変わっていなかった。そんな自分が、アイを家族だと言ってもいいのだろうか。
「アクア、どしたの?」
「わっ」
物思いに耽っていると、いつの間にか至近距離にアイの顔があって、アクアは椅子から転げ落ちそうになった。
「顔、暗いよ?」
アイはその愛らしい顔でアクアを覗き込んで、アクアの頭をそっと撫でる。セットされた髪が崩れないように優しくそっと触れられる手が、少しだけ心地いい。
「ママと離れるのが嫌なんじゃない? それは私もだけど」
「やっぱりアクアも、まだ甘えてたいお年頃なのかな?」
「別に、そういうわけじゃ……」
出会いがあれば、別れも必然的にやってくる。それは、アクアが何度も経験してきたことだ。
しかし経験したからといって、そう何度も同じ思いをしたいわけではない。
アイとは、今生の別れになってしまう。それだけでも辛いのに、アイの復讐をするための道を突き進まないといけなくなる。それが、たまらなく嫌だった。
――不意に、額に湿ったような感覚がした。
俯きかけていた顔を咄嗟に上げると、アイの微笑みが目に入る。
「わーっ!? お兄ちゃんがおでこにキスされた!?」
「どう? 少しは元気になった?」
若干の照れが残りつつも浮かべられていた笑みは、慈愛に満ちたものだった。
ルビーの言葉で何をされたのか遅れて理解しつつ、アクアは自分の額を軽く触れる。
「……驚きすぎて心臓が止まるかと思った」
「あ、あれ? 私やりすぎちゃった?」
「そんなことない。心配させてごめん」
「そう? それなら良かった」
ほっと息を吐いて笑ったアイは、ルビーのおでこにもキスをしてから、そっと後ろに下がった。
突然のキスに顔をにやけさせるルビーを半目で見やりながらも、アクアはアイの様子を伺う。その表情に、僅かな陰りが見えたような気がしたからだ。
「アイ?」
「ねえ。アクア、ルビー」
「ママ?」
両手を後ろで組んだアイに、アクアとルビーの視線が集まる。
アイはやや躊躇うような素振りを見せてから、意を決したように二人のことを見た。
「君たちの傍にはもう、私はいないんだよね?」
「あ――」
隣で、ルビーが息を呑む気配があった。
「……どうして、そう思うんだ?」
「強いて言うなら最初から、何となくかな」
「まあ、そうだよな」
成長した我が子二人がいきなり自分の前に現れて、再会したことを喜ばれれば誰だって気付く。
ルビーは仕方がないが、自分の方は少し迂闊だったかとアクアは思う。それでも、もう一度会いたかったというのは紛れもない本心だった。そこに嘘を吐くことは出来なかった。
「ママ、気づいてたんだ……」
「ごめんね、ルビー」
「ママが悪いわけじゃないよ。謝らないでっ」
そう言って首を振ったルビーの目尻には、僅かに涙が浮かんでいた。
「ありがとう、ルビー。でも、そっかあ。あっちに戻ったら私、高校生になった二人を見られないんだね」
天井を見上げたアイの表情には、諦観が浮かんでいた。
アクアとルビーからすれば奇跡的な再会だったが、アイからすればどう思うか。
未来には自分がいなくて、最愛の子供たちが寂しがっていたのを知ることは、残酷でしかない。
「ごめん、アイ」
「いいの、アクア。いつかはそうなるのかなって覚悟はあったから。寂しいけど……、きっとこれでいいんだよ」
小さく微笑みながら、アイは瞼を閉じる。
「……帰ったらいつか、別れの日が来るのに?」
「うん。やっぱり母親としては、子供が元気でいることの方が大事だから。二人と一緒にいられないのは寂しいし、アイドルを続けられないのも皆に申し訳ないけど、私にはそれが一番大事なことなんだ」
それは、アクアの知らない母親の在り方だった。他人に向けられているのを見たことはあっても、こうして純粋な愛情を向けられたのは記憶にある限り、アイが初めてだ。
「マ、マ……」
アクアの隣で、ルビーが口元を抑えて嗚咽を漏らし始める。ルビーはルビーで、何か感じることがあったのだろう。
華奢な彼女の背中に、アクアはそっと手を添えて無言のまま擦る。
「ね、私は二人に最期、何て言ってたのか教えてくれる? 死に方はあんまり知りたくないけど、それだけは知っておきたいな」
あの時のアイの死に方を考えると、目の前のアイ本人に死因を教えるのは流石のアクアにも出来なかった。でも、死に際に贈ってくれた言葉は今でも覚えている。
ルビーは涙を拭いながら、アイの目を見た。
「――ママは私に、将来はアイドルかなって言ってくれてたよ」
「だからアイドルになってくれたんだ。嬉しいな。アクアは?」
「アクアは役者さんかな、って言ってた」
「じゃあアクアも、本当に役者さんになってくれたんだ」
アクアとルビーから聞いた言葉に、アイは目を細めていた。
けれど、アイが兄妹に贈った言葉は一つだけじゃない。
「……こうも言ってた。――“愛してる。これは絶対、嘘じゃない”って」
嘘はとびきりの愛と言っていたアイが最期の最期に告げた、嘘偽りのない愛。この言葉を二人に言ってから、アイは息絶えていた。
果たしてそれを聞いて、目の前のアイはどう思うのか。
「――そっか。私、言えたんだ……」
目から涙を流しながら、アイは笑っていた。
「うん。私も、聞こえてたよ」
「そっか。――えらいな、未来の私は」
さっと目元を拭い、何事も無かったかのように笑いながらアイは言う。もっと取り乱してしまうかとも思ったが、アイドルとしてやってきただけあってか切り替えも早かった。
「ああ。最期までずっと、アイは俺たちの母親だったよ」
突き詰めればアクアもルビーも、血は繋がっていたが中身は全く別の人間だ。そういう意味で、アクアたちは生まれたときから嘘を吐き続けている。
それでも親子として共に生きた時間は本物だった。
もがいてもがいて、小さな自分たちのためにアイドルを続けたアイの愛情だけは、紛れもない本物だった。
「アクアさんは気付いているようですが、一応言っておきますね。このビルから出たら、お三方はそれぞれ元の過ごしていた時間に帰ることになります」
「やっぱりか」
「ええ。そこまでの力は、私にはありませんから。その代わりと言っては何ですが、写真のデータは全てこちらに入ってますのでお受け取りください」
ビルのエントランスで、アクアたちはマモルから一本のUSBを渡された。この中に、あの膨大な量になってしまった写真のデータが入っているようだ。
「いいのか?」
「ええ、構いません。管理の問題もあるので一本しかお渡し出来ませんが、どなたかが持ち帰っていただければと」
「なら。――アイ、持っててくれるか」
「え、私?」
アクアからUSBを渡されて、アイは目を見開きながら自分を指差した。
「俺たちは帰ってもアイの写真が残ってるけど、そっちの時間軸だと今の俺たちの写真は無いだろ。――見るのが辛かったら、俺が預かるけど」
「ううん、貰うよ」
即答して、アイはアクアからUSBを受け取った。
「ママ、大丈夫なの?」
「平気だよ。これでいつでも、大きくなった二人のこと見れるんだから」
大事な宝物のように、アイはUSBを胸元に当てる。
思っていたよりかは、後々高校生の自分たちの写真を見ることに抵抗が無いことを悟って、アクアは密かにほっとする。渡しておいて重荷になってしまったら、流石に申し訳が立たないところだった。
「――水を差すようで恐縮なのですが」
口を挟んできた黒子の男に、アクアは胡乱な目を向ける。ここに来て、まだ何かあると言うのだろうか。
「何だよ」
「渡しておいて無責任な自覚はあるんですが、貴方たちはそれぞれの時間軸に戻った後、記憶は残りません」
「……は?」
「猶予はあっても、1日程度。明日寝て、次の日起きたときには綺麗さっぱり忘れているはずです」
淡々と告げてきたマモルの胸倉を、アクアは気付けば衝動的に掴んでいた。
「何で今言うんだ。いくら何でもタチが悪いだろ」
「私はあくまでも
「ふざけてるのか」
「ではここに貴方がたを呼び込んだタイミングで言ったとして、何かが変わるとでも?」
「それはっ……!」
自分の都合で勝手に呼び出しておいて、別の時間に住むアクアたちを再会させておきながら、無かったことにする。目の前の男が言い放ったのは、そういうことだ。
夢オチと言えば聞こえは良いが、それにしたって身勝手にも程があるだろう。人を弄ぶのも大概にしろと、アクアは男を睨みつける。
折角アイとまた会えたのに、この記憶を忘れろと言うのかと。
「いいんだよ、アクア」
「……アイ」
男の胸倉を掴んだ手に、アイの手がそっと重ねられた。
アクアは手に入る力を緩めて男から離れながら、アイを見る。
「私はいいの。ここにいる私は、こうしてアクアとルビーに会えただけで十分。このUSBがあったら、記憶には残らなくても君たちに会えたんだって、向こうの私も分かるはずだから」
「……私も、それがいいと思う。私も忘れたくはないけど……。皆とこうやって揃うことが出来ただけで、私は嬉しいよ」
「ルビー……」
やるせなさは残るが、それが二人の考えだというのならアクアも従うしかない。
今回のことを綺麗さっぱり忘れて、自分が復讐の道に舞い戻ることになったとしても、二人が受け入れているのなら、今のアクアにはもうどうすることも出来なかった。
「あ、そうだ。アクア、いっこお願いがあるんだけど」
「何?」
「――お母さんって呼んでくれる? アクア、ずっと私のこと呼び捨てにしてたから」
「それは、向こうに帰ってからでも出来るだろ」
「ううん、あっちのアクアは照れちゃって絶対に呼んでくれそうにないから。
小首を傾げて見上げてくるアイに、アクアは唾を飲みこむ。
確かにかつての自分は、対外的なことも勿論あるがアイに対して母親呼びをしたことがあまりなかった。
今以上に中身が前世に寄っていたこともあって、推しの子供に転生しただけでは飽き足らず母と呼び慕うのは如何なものかと思ったからだ。
けれど今こうして、アイに頼まれてしまっては断るわけにもいかなかった。
「――か、母さん……」
「うっわあ、お兄ちゃんめちゃめちゃ照れてる」
ルビーが何やらドン引きしていたが、お前は推しをママ呼びしてバブってたじゃねーか、と心の中でツッコむ。
「うん。もう一回言って?」
「母さん」
「もう一回」
「――もういいだろ」
何をそんなに楽しいのか、アイはニコニコとしている。途中から楽しんでないかこの人、とアクアは思った。
「ごめんごめん、アクアが可愛くてつい。謝るついでに、えいっと」
「あー!」
唐突に、アイがアクアを抱きしめたのを見て、ルビーが大声を上げていた。
肩の辺りに顔を埋めるアイに、アクアは戸惑う。
「アイ?」
「ほら、私たちもうすぐお別れでしょ? だから最後にこうしておきたくって」
「ママ、私も!」
「いいよ。こっちにおいで」
アイは右腕でアクアを抱きしめたまま、左腕を広げる。そこに、ルビーが飛び込んでいった。
きっとこの温もりを感じられるのは最後だ。息遣いも、匂いも、声も、向こうに戻ったらいずれ忘れてしまう。だからルビーと共に、アクアはアイを強く抱きしめた。
「ママ、大好き」
「私もだよー、ルビー」
「ほら、お兄ちゃんも言ったら? どうせ気持ちなんてバレてるんだから」
「俺は……」
本当にそんなことを言っていいのか、アクアは迷う。その資格が今の自分にあるのかと。
けれどそんな不安を打ち消したのは、またもアイだった。
「アクアは私のこと、好き?」
「――――っ。ああ。本当に、大切だと思ってる」
アクアにとっては、アイに対する感情は“好き”では片付けられない。しかしその感情は複雑で、“愛してる”という言葉も少し違う気がする。故に出てきたのは、その言葉だった。
「――ん。二人とも、ありがとね」
ぎゅっとアクアとルビーを抱きしめ、アイは二人から離れた。
満足そうに笑って、出口の方へ後ろ足で一歩進む。
「アクア、ルビー。二人に会えて嬉しかった」
「俺もだよ、アイ」
「私も会えて嬉しかったよ、ママ!」
アクアとルビーからの言葉を受け取って、微笑みながらアイは出口の方を振り返った。
このまま歩き出せば、今度こそアイと出会うことは叶わない。今からでも、引き留めたい気持ちはあった。けれど、アイには幼い自分たちがいる。アクアたちも、元の日常がある。
だから最後は、せめて自分も笑って見送ろう。その方が、アイも安心して帰れるだろう。
「お兄ちゃん……」
アクアの横顔を見ていたルビーが、自分も意を決したように真っすぐとアイの背中を見つめる。
二人の視線の先で自動ドアが開き、その向こうにアイが足を踏み出した。
それから一度立ち止まって振り返り、アクアとルビーに飛び切りの笑顔を見せた。
「アクア、ルビー、愛してる!」
そう叫んで、二人が何か言う前にまた振り返ると、アイは夜の向こうへと駆けだしていったのだった。
「行っちゃったね、お兄ちゃん」
「そうだな、ルビー」
アイはまた幸せな日常に戻って、そしていつかそれを突然奪われる日がやってくるのだろう。
アクアたちが一緒に行ければ、変えられることがあったのかもしれない。けれど過去は結局、過去で変えられるものじゃない。それが摂理だ。
だからアクアは帰ったら今の自分に出来ることを――。アイを殺した奴への復讐を成し遂げるつもりだ。
「お兄ちゃん、気づいてた?」
「何がだ?」
「今日のお兄ちゃん、ママが死んじゃってから今まで一番、いい笑顔してたよ」
「……そうか。そうかもな」
自分が今まで、どれだけ笑えていたかは分からない。そんなことを考える暇もなく、復讐に時間を費やしてきた。けれどルビーにそこまで言われるということは、余程笑えていなかったのだろう。
「――俺たちも帰るか」
「そうだね」
撮影会は終わった上アイもいなくなった以上、ここに留まる理由はない。
アクアはルビーと共に、マモルの方を振り返った。
「もう、よろしいのですね?」
「ああ。アンタのことは気に食わないが……。世話になった」
「私も。ママともう一度会わせてくれて、ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をするルビーの隣で、アクアは粗雑ながらも一応の礼は述べる。
どこからどこまでが彼のやったことか分からないにしても、この男がいなければアイとの再会は叶わなかったのも事実だ。
二人の言葉を受け取ったマモルが、小さく肩を竦める。
「それではお二人とも、今日はもう遅いのでお気を付けてお帰りください」
「ああ。それじゃ」
「今日はお世話になりました! 失礼しまーす!」
男に別れを告げて、アクアとルビーも歩き出した。
アクアは、いつ終わるとも分からない長い復讐の道へ帰るために。
ルビーは、母を継いでアイドルとして上り詰めるために。
一番星の遺児たちは、自らの目的地を目指す。
その道が例えどんなに暗くなろうとも、きっと彼らは進み続ける。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この後もマモル視点とかその後の話とか書こうとも思ったのですが、蛇足なのと自分のモチベ的にもここが一番の区切りなので、これにて完結とさせていただきます。
それにしても、推しの子面白いですね!
アニメも良いですが、最近は原作もアツくて次週が楽しみで仕方ないです。