作者B「(原作の時点でよくわからんし)まぁええやろ」
作者C「◇この作品の目的は…?」
RIKO 鷹を継ぐ女
「ねぇ理子知ってる?"裏山に住む仙人"の話!」
「仙人?」
正午過ぎ。
授業も終わり、各々が親しい友人の元へ、それぞれが用意した昼食を持ちながら歩き出す時間。
先ほど終わった授業が、予想以上に時間を食ってしまったせいで、昼休みも含め、時間にさほど余裕がない。
そのため、少しでも時間を節約しようと、皆が急いで食事を済ませて、少ない昼休みを堪能しようと躍起になっている。
それは、こうして話題を振られた少女、天内理子も例外ではなく。
箸を持ち、食事を始める丁度その頃に、突如として振られた"仙人"という話題に、天内は興味を示した。
「なにそれ、学校の七不思議とかそういうの?」
「ある意味それ以上かもね、話によると…マジで意味わかんないらしいよ」
「…?どういう意味?」
丁寧に切り揃えられた、その前髪を揺らして、「うーん…」と、少し考える。
天内は首を傾げて、目の前の友人の言葉を聞く。
「もう卒業しちゃった先輩なんだけどね?その人が言うに、授業をサボった時だったらしくて…」
神妙な顔つきで、
まだ幼さの残る、その可愛らしい声を、精一杯怖くしようと、低く喉を震わせる様子が、愛らしい。
「学校内じゃ、巡回中の先生に見つかっちゃうでしょ?でもだからといって、街中に制服で出たら不味いじゃん?」
「サボること自体が駄目だと思うんだけどなぁ…」
「それはそれ!てか今はそこじゃなくて…」
びしっ、そんな軽やかな音を立てながら、理子の肩をまるで、お笑い芸人のツッコミのように、軽く突いて言う。
そして2回ほど、
「そこで、先輩が目を付けたのが裏山よ」
「なんで?」
「知らない?今はもう伐採されちゃったって噂だけど…あそこには昔、それはもう綺麗な桜があったらしくてね…」
その言葉を聞きながら、天内は自然と、教室の窓に視線を向けて、硝子の向こうに見える、その噂の裏山を見る。
なんてことはない、緑と茶。そして代わり映えのしない、統一感を感じる木々の壁。
だがその緑の絨毯の中に一か所、不自然なほどに草木の生えていない、巨大な岩の壁を見た。
「ほら、あそこ見えるでしょ?あの
「ふぅん…」
彼女が言うに、天内がこの
そこにはかつて、それはもう美しい、立派に生えた桜があったのだという。
「裏山なんて、わざわざ学校が終わった後に行きたいなんて思わないでしょ?で、いい機会だから…ついでに見に行ってみようって思ったらしいの」
語りに熱中し、目の前に置かれた弁当に手をつけるのを忘れ、物語はここからだ、というように、声量を上げ始めた。
天内はそれを聞きながら、既に食べ終えた弁当を片して、目を向ける。
「で、やっぱり人の手が入ってないからなのかな、雑草も凄くて…でも折角見ようと思ったのと、あとはここで引き返したくないってプライド?で、必死に登ったらしいの」
「それで?」
「勿論!ちゃんと着いたよ?で、ここからなんだけど…」
唇を尖らせ、少し声量を落としてから、彼女は天内の耳に、その口を近づける。
深く、息を吸ってから、話した。
「それでね、やっと雑草の波を超えて、お目当ての桜が目の前に…とその時!」
そして、彼女は
声量を更に大きくして、一気に言葉のテンポを上げて、叫んだ。
「桜の下に!動物たちに囲まれた半裸の男が――」
「あっチャイム」
キーンコーンカーンコーン。
いかにもな間、そして一気に迫る行動や声、それらが見事に、昼休みの終わりを告げる、チャイムの音にかき消された。
目の前には、未だ半分以上残っている、彼女の弁当。
「次音楽だよ、礼拝堂、先行くね」
「あっ!ちょ…完全に忘れてたあああああっ!」
なんてことのない、ありふれた日常の中の、何気ない会話。
しかしこれが皮肉にも、彼女の運命を変えるに至る――
「またねー!」
「うん!また!」
日も傾き、再び鳴り響くチャイム、それを背後に、天内は歩き出す。
クラスメイトに別れを告げ、自宅へ戻ろうと、まずは目の前の赤の信号機に向かって、足を踏み入れた時だった。
『ォ オ オ オ …』
何かのうめき声、それが聞こえた瞬間、天内はサッと顔を下に、そしてゆっくりと、視線のみを動かし始める。
左だ、そのうめき声の正体に気づかれないよう、顔を動かさずに、器用に目だけを向けた。
『見、ミッ…み………ミ…』
真っ黒な泥、一言で表すならそうだろう。
天内の視線の先、そのアスファルトに染みのように、そしてビチャビチャと粘性の高い音を立てて、それは動いていた。
それを確認し終えてから、天内はそっと視線を元に戻して、軽くため息を吐く。
(呪霊…運悪いなぁ、まさか学校にいるなんて)
呪霊、それは人間の負の感情から生まれ、本能のままに牙を剥く存在。
普通、呪霊を見たり、その存在を認知できる人間はごくわずかで、今こうしている間も、天内以外に、その呪霊に気づいた者はいない。
目の前を走る車、その列を見ながら、いつ青信号になるのかと、天内はため息を吐く。
(早くどっか行ってよ…)
呪霊というのは大概、「見られた」という事実がトリガーとなり、その人間を襲う傾向がある。
故に目が合うのを避け、こちらが見えていないという風に演じ、呪霊に目を付けられないようにしないといけない。
これは、天内自身の実体験と、家に住み込みで勤めている、あるメイドの助言から得た対処法だ。
もう一度、ため息を吐いた――
(あー…早く青に…)
――その時だった。
『ア ッ …』
異変が起こる。
あの、生理的嫌悪を刺激するうめき声が、突如として苦しみの怨嗟へと変わり、泥のような身体が、たちまち四散していく。
いきなり起こったその異変に、天内は目が合ってしまうことも気にせず、呪霊に顔を向けて、そしていきさつを見守る。
たちまち、その身体と苦しみの声が縮小し、呪霊は最後に、ある方角に腕を伸ばして。
『バト…キン…』
――ザフッ!
呪霊が一言残し、そして消える。
呪霊特有の、あの独特な消失反応を見て、天内は目の前の出来事に、困惑を隠せなかった。
「消え…た」
呪霊は呪力でしか祓えない。
これは、天内のような、特殊な立ち位置に身を置く存在もそうだが、呪霊という社会の裏に潜む悪意、それに対処する特殊な人材、呪術師たちの常識でもある。
つまり、ある特殊な場所…それこそ神社などといった、呪いを跳ね除ける特殊な何かに入りでもしない限り、あのような反応は起こりえない。
「………」
消えた呪霊、それが先ほどまでいた場所は、何の偶然か、昼休みの時間に、天内が友人から聞いたあの場所の、入り口だ。
管理の行き届いていない、今も開けられたままの、鉄格子付きの扉。
――好奇。
「…裏山の、仙人」
危険すぎる、それは天内も充分に理解していた。
ただでさえ、呪霊が見える立場の人間であり、しかも自分は、日本という国を守るための、大切な人柱でもある。
もし自分の身に何かが起これば、立場を無視し、純粋に自分を慕ってくれている、あの優しいメイドの彼女にも、申し訳ない。
「………………」
だが、天内は足を踏み入れた。
「……………」
経年劣化で壊れた鍵、天内は扉を開け、裏山に一歩足を踏み入れる。
その時、全身をある違和感が包み込んだが、気のせいだと決めて、歩を進める。
腰まで伸びる雑草の波、それの間を器用に進み、頭上にある木の枝に、髪を引っかけないように歩く。
「…………」
坂を登る。
少し柔らかい、油断をすると足を滑らせてしまうような、そんな傾斜を越えていく。
できるだけ制服が汚れないよう、雑草を手でかき分けて。
「………」
雑草の波を越え、坂を登って…と、同じ動作を数回繰り返して。
やっと、その長い坂を登り切って、あの校舎から見た、不自然に草木のない地面に到着した。
天内は、ふーっ…と息を吐き切って――
「…………えっ」
そして前の景色に、目を奪われた。
崖の上に、男がいる。
筋肉質。天内がテレビでよく見る、ボディビルダーと比べれば、二回りは細めの身体だ。
しかし"肉"が違う、一切の無駄も、隙間も存在しない、極限まで凝縮された、真に意味を発揮する筋肉の芸術。
袴に似た、ゆとりのある黒ズボンの隙間から、その異様な気配を醸し出す"
鳥が、風が鳴いている。
男は腕を広げていた。
風を、大地を、この
リスが、蝶が、鳥が、あらゆる森の生命が。男を祝福するかのように、男を囲って、そのいきさつを見守っていた。
――その男は、1万人の強者を相手に、たった1人で闘い抜いた。
「…うむ、客人か」
男は、招かれざる客であろう天内に向けて、その瞳を向ける。
だがそこには、敵意といった悪感情はない。
「ここに人が来るのも久しい…鉄格子は閉めてあったはずなのだが…」
男は、十数mはあるだろう、その崖から飛び降りる。
崖にある、ほんの少しの突起に
それはまるで、風を切るが如き、疾く空を飛ぶ
「…学生か、だがもう下校の時間のはずだが…」
右手に持つ、道着に似た上着を羽織りながら、男はそう言う。
ただ立っているだけ、だがその佇まいから、人体を超えた美しさがある。
――その男は、いかなる苦境にも決して逃げなかったと。
「しかし、先に気づけてよかった」
少し白の混じった、黒い長髪を後ろで纏めている。
しかし、それによる老いを感じさせないほど、生命力に満ちたその立ち姿と顔。
"静かなる虎"は語る。彼こそが、この世で最も高潔なる魂を持つ男――
「寄り道は感心しないな、早く帰った方がいい」
――偉大なる長男、
「ウアアア不審者ジャーッ助ケテクレーッ」
「なにっ」
哀しき現在…
――満月まで、あと3日。
着実に近づく時。それは天内理子という人間の、その価値が最大に、そして最後に輝く時。
一週間、あとたった72時間で、この学校とも、クラスメイトとも別れ、この国を守護する要となる。
そんな時期に、自分はあれと出会ってしまったのだ。
それは偶然の出会いで、そして流れるように形成された、この奇妙な関係。
あの日、己の直感…好奇に従って、この裏山を登ったことが、どう影響を及ぼすのかはわからない。
彼は術師なのか、それとも呪術を知らない一般人なのか、そもそも味方なのか。
国を守る要であるはずの自分が、今こうして、あの謎の男と会ってもいいのか、それが本当に正しいことのかはわからない。
「ふぅ…」
が、間違いなく言えることは。
「尊鷹ー!いるー?」
「君か、飽きないな」
――彼は、かなり面白い男だということ。
「今日は焼きそばパン持ってきたよ、どう?」
「いただこう」
右手に握る、その焼きそばパンを持ち上げて叫ぶと、すぐに返事が返ってきた。
ひゅうう…あの肌を撫でる心地よい風が吹いて、軽やかな音を立てて、天内の目の前に、あの男が、彼が降り立つ。
辺りに広がるソースの匂いと、そして動物たちの去る動き、それの気配を感じる。
「焼きそばパンか…それにこの匂いは…」
「ガーリックパウダーが入ってるんだって、新作らしいよ」
「ほう、ガーリック…それにソース自体の香りもいい。フン、
天内から受け取った、その焼きそばパンを眺めながら、彼…尊鷹はまるで懐かしいと、目を細めてそう呟いた。
その様子を見て、天内は相変わらず、あの浮世離れした気配もそうだが、変に俗っぽい、この奇妙な喋り方もだ。
「命を…いただきます」
「焼きそばパンにも言うんだ」
――変な人。
ファーストコンタクトの時点で薄々察していたが、尊鷹という男の性格を、一言で表すならこうだろう。
「それで、今日はどんな話をしてくれるの?」
「ん、そうだな…年に一度開かれる国際的格闘祭のハイパー…」
「やめて、ついこの間"
もう勘弁だと、手を目の前でいやいやと振る。
心なしか、少し落ち込むような空気を纏った彼に、ほんの少しの罪悪感を抱く。
聞いたところ彼は、ある代々続く武術の継承者なのだという。
1つ聞けば3つ出る、一応非術師であるはずの彼と、その家族たちの摩訶不思議な世界。
そして、その"縛り"から逃れ、自由に生きたいと悟った彼には、生まれつき役割の決まっていた自分とは別の、ある一種の敬意を持っていた。
ただその結果が、今のこの山籠りなのは少々疑問だが。
「あぁそうだ、椅子も用意したんだ、座っていいぞ」
「うわっ…岩の断面って、こんなに綺麗になるものなんだ…」
自慢げにそう言いながら、彼が示すその物体を見て、天内は感心した声を漏らす。
目の前に鎮座するのは、彼女が学校で使用している椅子、それとさほど変わらない高さの岩。
しかし特筆するべきは、その鋭く、滑らかに削られた岩の上部。
まるでやすりで磨いた木片のような、誤差数ミリ未満で仕上げた、金属加工品のような、芸術的な美しさだ。
「でもなんで今更?このタイミングで椅子なんて…」
「レディファーストというのだったか、女性に対して思いやりを…と、パソコンで調べたら出てきたんだ」
「パソコン持ってるの!?」
「スマート・ウォッチも持ってるぞ」
そう言いながら、彼は服の袖を捲って、その右手首に巻かれたそれを見せる。
基本は灰色で、黒色の控えめな装飾の施された、山に籠る変人が選んだとは思えない、割と洒落たデザインの時計。
そう、これこそがスマートウォッチである。
「うわぁ…似合わない……」
「むむ…」
浮世離れした空気を纏っているくせに、スマートウォッチやらパソコンやら…文明の利器に興味津々な彼の仕草は、どうにもシュールな笑いが産まれる。
そんなことを思っている天内の顔を見て、彼は不満そうな顔をした。
あの、偶然の出会いが数日前のこと。
今でも天内は断言できる。突如降りてきた半裸の男、そして山に住んでいるという事実からも、彼は間違いなく不審者そのものだ。
ある種の恐怖で慌てる天内を前に、どう説得しようかと、困ったような顔をした彼。
その、変に愛嬌すら感じる仕草を見たおかげで、すぐに誤解は解けた。
しかし数年前から山に籠る、彼のその異常行動には絶句したが。
「そういえばさ、尊鷹はいつまでここにいるの?」
「むっ」
整えられた岩に座って、パンを一口齧ってから、天内は尊鷹にそう問う。
彼は、少し考えるように頷いてから、呟く。
「そうだな…ここも充分住んだ、あと3日ほど滞在するつもりだ」
「…そっか、じゃあ丁度いいね」
「というと?」
「私もね、3日後には…もう学校に来れなくなるの」
――満月まで、あと3日。
天内理子は"星漿体"である。呪霊の発生抑制、そして人を守る術師たち、それらの結界術の底上げを行い、この国を守護する偉大な術師天元。
しかし天元、"彼女"は不老だが不死ではない、そのため肉体情報が一致し、そして適合の資格を持った人間…すなわち星漿体が、国を守るための生贄となる。
つまりその時がくれば――
「…住居を移すのか?」
「あ~…大体合ってるかな、家の都合でね」
「そうか」
嘘だ。
ほんの少し、心が痛む。
「ふむ、少し寂しくなるな」
「またまた~動物たちと仲良くやってたくせに」
彼は、
呪霊も術師も、そして
いくら常識の外にいる、浮世離れした変わり者だとしても、彼は真の意味での理解者には成り得ない。
(…もし)
もし全部話せたら、少しは気が紛れるのだろうか。
(…いや)
何を馬鹿なことを。
「ね、今日はどんな技を見せてくれるの?」
頭に思い浮かぶ、その一瞬の気の迷いを振り払い、天内は目の前の彼に、そう笑いながら問う。
一度、頭から消したその感情を、決して勘付かれないよう、なんとか自然な顔を意識して。
彼は相変わらず、何を考えているのかわからない、どこか達観したあの瞳を向けて。
「見世物ではないのだが…」
「いいでしょ、ただ見るだけなんだから」
「しかしな…」
彼は、ある有名な一族の長男で、今では死んだことになっているらしい。
天内は以前、彼が語ったその身の上話を思い返しながら、目の前に立つ彼へ、話しかけた。
「いいなぁ、1個くらい私にも教えてよ」
「いやっ家のしがらみを脱したのは確かにそうだが…それでも、一子相伝の技術をそう易々…」
「けち~~~!」
「…はぁ、あくまでも見せるだけだぞ」
「お~!」
やれやれと首を振って、彼はゆっくりと起き上がりながら、天内の目の前に立つ。
そこから一歩、更に二歩と距離を離して、深く腰を落とした。
足が、大地が、尊鷹という武人の肉体に宿る、その力の波を余すことなく、地面に向けて垂直に放たれる。
「しゃあっ」
――跳躍。
人体の限界を超えた、人間の壁を破る、常軌を逸したその動き。
まるで風に吹かれる羽毛、本来人間が持つはずの、体重の影響すら見られない。
瞬きする間に、彼はその理外の跳躍力で、地上から数mほど浮くように滞空、そして足を振りかぶる。
重力を無視した、高い次元での瞬間移動、そしてそこから放たれる――
「"灘神影流"…」
刹那。
「"
足を振り、その鍛え上げられた筋肉が捻じれ、そして
バオッ!と、まるでビュンビュンゴマを回した時の、あの小さく鋭い空気の切断音が、人間の足から発生した。
そして一周。彼がその凶器と化した足を回転させ、空中に月輪を形成すると、すぐに異変は起こった。
――ミシリ
「お~…」
メキッ!バキッ!
彼が跳躍したその周りに生えていた木々、それらがまるで、金属製の刃物で削られたように幹が抉れている。
年輪の奥、バランスを崩し、直立ができなくなるほどのダメージを負った木々は、彼が地面に降り立つと同時に、一気に6本もの木々が、その命を失う。
その光景に、天内は拍手をしながら、呆気に取られて呟いた。
「すっご…呪力使ってるのかな…」
「…?どうした?」
「なんでもない」
――あと3日。
たった72時間で、自分はこの学校とも、こうして放課後に裏山を登る時間とも、全てと別れを告げないといけない。
これも全て、この国のため。
――でも、せめて最後が来るまでに。
「ねぇ、どうしても教えてくれないの?」
「…
「そっか」
一度くらい、真似してみたかった。
今更そんな、普通の子供みたいなことを考えた自分に、天内は少し、苦い嫌悪の色を感じた。
「ただいまー!」
午後6時過ぎ。
白く塗装された玄関、その扉を開いて、天内は右足のローファーに指を引っかけながら、声を出す。
普段は授業が終わってからすぐ、自宅に帰るまでの数十分の余裕の間に、裏山を登って彼と会うことにしているため、いつもより長居していた今日は、時間が押していて結構危なかったことは秘密だ。
天内は星漿体。その命の価値は天秤では測れない、故に少しでも安全な時間を増やすため、学校以外の外出はほとんどできないのだ。
だからこそ、この唯一自由を許された時間の内に、あの奇妙な彼と会う。
しがらみに生きる自分とは違う、あの自由な彼と。
「黒井ー!今日の晩ご…」
「理子様」
フローリングを滑るように歩き、そしてリビングに出た天内を待っていたのは、普段より更に真面目な顔をした彼女。
天内が事故で親と別れ、それからの幼少期をずっと、共に過ごした大切な存在。
黒井美里、その美しく皴の1つも存在しないメイド服の姿のまま、苦虫を嚙み潰したような表情で、すぐに頭を下げた。
「申し訳ございません…理子様の所在が、どうやら外部に漏れたようで…」
「…えっ?」
「これからすぐに、呪術高専と連絡を取ります。護衛の人間が来るまでの間…あるホテルに隠れて欲しいと」
――嗚呼、やっぱりもっと聞くべきだった。
「学校も…やはり厳しいかと思います、もし護衛の方が…」
「うん、わかった」
時計の針が進む音、そして自分の発する声。
それが妙に鮮明に、リビングに響いたように感じた。
「ほら、とりあえずごはん食べよ?早く出た方がいいんでしょ?」
「…理子様」
「護衛かぁ、どんな人なんだろうね」
せめて、最後に一度。
「学校、行けたらいいな」
そう呟く天内に黒井は表情を暗くし、強くスカートを握りながら「はい」と、絞り出すように言う。
天内を幼少期から見守り、そして外出も自由にできない不自由な生き方も、だからこそ唯一それができる、学校への登校がどれほど大事なものかも。
しかし、その友人のカテゴリ内に、ある高潔なる鷹が入っていることは、まだ知らない。
――満月まで、あと1日。
重い空気が、身を包み込んでいる。
不快…というわけではない、むしろこの、全身を包む感覚、どこか湿った空気の毛布が、この場所では心地の良いものだった。
「…………」
青い。
目の前にいっぱいに広がる、透明な水槽の向こうにある、もう1つの世界。
青く、蒼く、その藍い水槽という、偽りの世界に生きるものたち。
それらが生み出す、生命のエネルギーというべきだろうか、そんな漠然とした圧迫感が、天内の身体を支配した。
「………きれい」
同化までの2日、その間に経験した、そして聞いた世界。
アスファルトの上から眺める空と、県を越えた海の中から見つめる空が、こんなにも違って見える。
花も、学校に生えていたものとは違う、そして何より――
「明日、か」
この世界の秘密、それをいつの間にか自分は、知っている側の人間だと勘違いしていた。
違う、この国は、世界は術師、非術師…呪霊といった、たった3つで分けられるものではないのだと。
あの出会いが、そして彼の生き方が、教えてくれた。
(もう、山降りたのかな)
いきなり来なくなって、彼は自分を心配しているだろうか、それとも気にしないで、またあの不思議な日光浴でもするのだろうか。
呪詛師の襲来、そして自分にかけられた懸賞金のせいで、最後まで学校生活を続けることは叶わなかった。
しかし、いくら自分が信頼しているとはいえ、あの護衛の2人を、特に現代呪術界最強と言われている、あの男…五条とは会わせたくなかった。
家のしがらみから解放され、今も自由に生きている彼に、無駄な負担はかけたくなかった。
(元気にしてるかな)
ヴーッヴーッ!
懐かしい思い出に浸っていると、ポケットに入れていた携帯が震える。
誰からだろう、もしかして黒井かな。そう首を傾げながら、送られてきたメールを確認する。
新着の未開封のメールが2つ、まず最初は上から二番目の、最初に送られてきたメールの内容を確認しようと操作する。
「なんだろ…」
そして、メールに添付された、謎の動画ファイルを選択し、それを開く。
一瞬動作が停止し、すぐに再開されると同時に、天内の携帯に、ある場面が映し出された。
――そこには、上半身で裸筋骨隆々な、歯茎が剥き出しとなったグロテスクなマスクを被った、マッスルポーズをとる謎の男。
「私はキャプテン・マッスル。このメールを見てる君は選ばれし者、3000万円を掴むチャンスを与えられた強き者。単刀直入に言おう、日本にいるある少女をぶちのめしてほしい。名は天内理子。星漿体で"天元との適合"を可能とする少女だ、もちろんめちゃくちゃ弱い。しかもこの戦いには、絶対守らなければならない条件がある。天内を倒すには呪術でなければならない、銃や刃物などの猿の使う武器は使用禁止。なぜなら万が一にも"融合"をさせてはいけないからだ、何よりも"融合阻止"が大事なんだ。ぶっちゃけこのガキの命なんてどうでもいいんだ、"融合"さえ阻止できればなぁ。さぁ腕に自信のある者は今すぐ日本へ行け、天内を失神KOさせろ。急げっ乗り遅れるな、3000万円を掴むんだ。"セイショウタイ・ラッシュ"だ」
「誰からのメールかな」
流れるような動作で、すぐに動画ファイルを閉じて、もう用済みとなったスパム・メールを削除した。
もう今の天内の脳内には、先ほど見た動画の存在など微塵も存在しない、完全に記憶を消去し、もはや思い出すこともないだろう。
ダチョウもビックリ天もビックリ、明日は大雨警戒注意報な、そんな切り替えの早さである。
「…これ」
もう1つのメール、それも先ほどと同じ、動画ファイル以外は全て「unknown」で統一されたもの。
ただ少し違うのは、今回のメールを送ってきた相手が、何故か「アンノウン」とカタカナ表記なことだろう。
再びの硬直、そして動画の再生が始まり、その内容が明らかとなる。
「…山?」
携帯画面に映るのは、辺りが真っ黒に染められた、木々で囲われた謎の場所。
撮影したのが夜だった、としてもだ、この暗闇の濃さはありえない。
ビルも、住宅街も、文明の光の主張を、どこからも感じない。
「…あっ」
――思えば、この時点で、誰から送られたのかを、わかっていたのかもしれない。
『初めまして』
あの、道着に似た衣服と、1つに纏められた黒の長髪。
画面の向こうの、暗闇のベールをかいくぐるように、彼の姿が、露わになる。
空を駆ける鷹のように素早く、そして力強いその足と。
――謎のマスク。
『私はバトル・キング』
「いや尊鷹じゃん」
『
「尊鷹だよね?」
『我が名はバトル・キング』
いや、よく見れば顔の骨格が違うか、いやそれでも、あの独特な衣服と髪型はそのままで。
よく聞けば少しだけ声も違う…が、それでも共通点は多く、何よりあの奇人特有の雰囲気が、全く同じものだった。
しかしそれでも、既に録画し終えたメールだというのに、こうして会話が成立していること自体がおかしいのだが。
『私がこれから教えるのは、ある古武術の奥義』
「………」
『
不器用というか、屁理屈上手というか。
まさかこんな方法で、そしてこんな形で、別れも告げずに消えてしまった自分の為に、彼が身を削って学んだその技術。
その1つが、ここに。
『こんなものしか与えられんが、それでもいいなら…』
彼が画面の中で、頭上から垂れる糸を引く。
すると突然、カコンッと木片の擦れる音が聞こえて、すぐにその異変の全貌が明らかとなる。
『盗んで見せろ』
一斉に上空から落ち、そして一定の高度を保ったまま固定された、無数の弓。
それが一斉に、両手を前にした彼に向かって、一斉に矢を放つ。
彼は、それを――
――満月まで、残り数時間。
「帰ろう、理子ちゃん」
「……えっ」
最後の別れ、今までずっとそばにいてくれた、もう1人の家族である黒井。
互いに涙を零しながら、抱き合うその姿を見て、彼はそう言った。
「なん、で」
「悟とも既に話は終わってある、それに…君はずっとこの2日間、どこか辛そうに見えたから」
星漿体の護衛、それに選ばれた男、夏油傑はそう言う。
「悟は"おセンチだと思ったら"…なんて言ってたけど、私はそうは見えなかった、やりたいこと、もっと沢山あるんじゃないかな」
「…しかし、それでは」
「大丈夫です」
とても…涙で晴れた目を向けて黒井がそう言うが、夏油は何も心配いらないと、力強く笑って、手を差し伸べる。
「君たちの未来は私たちが保証する、誰が来ようとも、何が襲って来ようともね」
「…いいの?」
天内がそう問うと、夏油はより表情を優しく、そして安心感を与えるように、天内の両手を握る。
――消えた足音が、1つ。
「"君は昔から特別だ"って言われてた…でも最近ね、本当はもっと色んなことをしてみたいって」
「うん」
「思っちゃ駄目なのに、皆の為に、同化しなくちゃいけないのに」
「うん」
夏油、そして黒井も静かに、天内の独白を聞き、そして受け入れる。
――消えた装填音が、1つ。
「もっと皆と、一緒にいたい!」
「…うん」
――消えた音が、静かに狙いを定めた。
「もっと皆と色んな場所に行って、色んな物を見て…」
「…うん、わかってる…だから」
"男"は静かに、その顔を勝利の確信で歪め、その引き金を引く。
そして、その凶器が――
「帰ろう、理子ちゃん」
「…うん!」
天内の脳天を。
「ハイお疲れ」
無情に、貫い――
鮮血が飛び散る。
その異常事態に、コンマ遅れて反応したのは夏油。
黒井は未だに、何が起こったのかを理解できていない。
スローモーションになる視界。その中で、夏油は額から血を流し、そして身体のバランスが崩れ、身体が回る天内を見て――
(はっ?)
音からして、彼女を襲ったのは拳銃。しかしいくら小さいものとはいえ、呪術を使えない彼女にとっては、絶命不可避の一撃だ。
だがおかしい、いくら拳銃とはいえ、いくら彼女が一般人とはいえ。
――ここまで、勢いよく回るものか?
「しゃあっ」
「なにっ」
靴底が擦れ、ゴムが削れる甲高い悲鳴、そんな音が響き渡る。
それは彼女の肉体が生み出す回転エネルギーを全て、地面が吸収し受け止めたことで、軽く熱すら生まれたことで発生した音色。
まるでスイッチが切り替わったように、声を上げて笑う天内。
その、赤色に塗れた顔面と血走った目は、まるで悪魔のように輝いていた。
「…マジか」
あまりにも予想外。
目の前の光景に、隙を晒すという考えすら忘れて、侵入者の男、"術師殺し"伏黒甚爾は、呆気に取られてそう呟く。
「おいおい、間違いなく頭を撃ったはずなんだが?どんなトリ…」
――違う、避けていない。
よく見れば、天内の額には線を刻むように、額に走る銃弾の痕がある。
決して少なくない出血量と、そして肉体に掛かる負荷、呪力強化もままならない、ただの一般人が何故。
「…まさか」
そうだ、確かに自分は額を撃ったはずだった。
それなのに結果はこうだ、まるで彼女の額に当たった瞬間、銃弾が軌道を変えでもしたかのような。
なにより、甚爾は思い当たる存在があった。
その突きは、人体だけならず岩をも砕く。
その関節技は、人間だけに飽き足らず、あらゆる肉食動物までもを支配する。
ある血縁者にまで影響を及ぼす、毎夜襲う幻覚の蝕み。
これら全てが、非術師の生み出した技術。
それが本当に存在したのか、それとも結局、これらも術師が作っただけの技術と歴史なのか。
真相は誰にもわからず、その名前と中身だけが、人々の間で語られてきた。
一子相伝の暗殺拳、そしてその奥義の名は――
「"
「
――これこそ、灘神影流、奥義"弾丸すべり"
スリッピングアウェーというものがある。
相手の拳の勢いに合わせ、自身も肉体の回転を挟み、そして衝撃を受け流す、ボクシングでよく見られる技術だ。
今回天内の命を救ったのはそう、銃弾の勢いに合わせ、自身も回転することで弾を受け流す技。
だがありえない、それなりの鍛錬を積んだ武術家が、見様見真似でやってみたでもない。
今回は少女。今まで戦いというものを知らなかった、ただの一般人の少女が、秘匿された一子相伝の技術を知り、そして今体現したのだ。
「ガキ、それ誰に教えてもらった」
そう問うと、天内はニコリと、満足そうに笑う。
「バトル・キング。スマート・ウォッチも持ってるけどね」
「ハッ、ふざけやがって」
答えるつもりはない…ということか。
ならもはや完全に用はない、もう一度頭を狙って引き金を――
「させるとでも?」
「チッ…」
しかしこの一瞬が、甚爾にとっては死活問題だった。
――射線を遮られた。
今の会話数秒で、完全に意識を戦闘に戻した夏油が、複数の呪霊を一気に出して、そして彼女たちを守っている。
こういう時、下手に揺さぶるのは危険でしかない。
守れない、力を持った子供がそう焦ると、計算外のことをする確率が高い。
(面倒臭ェ…少しずつ削って、それで隙を見て…)
「あっ」
「あっ…」
「ア?」
内心でそう愚痴る甚爾の前でぽかんと、先ほどまで険しい表情をしていた夏油、そして黒井が目を丸くして、完全に動きを止める。
その視線は、甚爾の背後に向けられており――
背後から感じる、圧倒的なプレッシャー。
ありえない、確かに
甚爾がまさかと顔を青くして、振り向いた先には、一番信じたくない光景が広がっていた。
「…………おいおい」
――青。
全身を血だらけに、そしてギラギラとした殺意と瞳を向けながら。
――現代術師最強、五条悟は立っていた。
「よぉ、久しぶり」
「…マジか」
そう言葉を漏らして、甚爾は手に持つ呪具を、八つ当たり気味に更に強く握る。
その、勝ち目の薄い戦いに、己の身を投げ出して――
そして甚爾は絶命した。
リモート・授業で弾丸滑りを会得した偉大なる星漿体…天内理子