倫欠かもしれません。骨を食べる描写があります。
死体を埋める百合があるなら、墓を暴く百合があってもいいよなと思って書きました。
「あ、スパチャありがとう。バ、ジャー……ゲームさんだっけ。いつも読み方調べようと思って忘れちゃう。応援してます。って嬉しいな。チャンネル登録者数も増えて、嬉しいし助かってます。あのね、ツイッターで変なタグがあって、嫌がらせが止まらないんだよね。市村しほは◯人犯、とか、真犯人はしほ、とか。なんでこんなことになっちゃったのかなあ。あ、またスパチャ。信じてます! って嬉しい。コメントみんな優しいな。捜査で、これなんて読むの? けっぱく? 潔白が証明されてるのにね、だって。そうだよ、私ちゃんと全部知ってること話して、協力して、何度も同じこと聞かれて大変で、それで詐欺のキョウボウ? とか言われて、それは……悪いことだと思ったから反省してる。なんだっけ、タタタンタンっていうのになって、え? そうだ保護観察。でも本当に何も知らされていなかったの。いつも同じ話になっちゃってごめんね。何か楽しいこととか、聞いてみたいこととかあったらコメントしてね。うーんと、誰が犯人と思うか? 分かんないよ。そもそも私、二階堂さんとも和田垣さんとも仲良くなかったし。悪くもないけど、普通。ヤバ、すごいスパチャ来た。正直なところがいいって。うーん、アイドルなのにこんなんでいいのかな。でも、続けたいんだ。アイドル。だからありがとう。あ、ごめんね、通知音すごい。切り方分からなくて、なんかね、配信始めるとツイッターの方にDMがいっぱい来るの。なにがしたいんだろう。誰かのファンだったのかな。それとも元ミスキスっていうのがだめなのかな。アンチが多くて……。無視? してるよ。みんなに教えてもらったから返信はもうしないことにしたし。えーと、犯人の話だっけ。やめようよ事件の話は。私は本当になにも知らないんだから。繰り返し聞かれたのはね、二階堂さんが三矢さんを殺すとかそういうことを言ってなかったかってこと。やっぱり疑われるよね。証拠不十分って言っても。あ! だから別の人を犯人扱いしたくて、変なタグ作ってるのかな。ヤバくない? 私なんかセンター争いにも入ってないし、ずっと端っこで数合わせに踊ってるだけだったのに。私が三矢さんを殺してもなにも良いことないじゃんね。あるとしたらやっぱり、」
そこで市村しほの配信は途絶えた。配信に使用していたスマートフォンに着信があったため、iOSが自動で配信を中断したのだ。
着信画面の示す名前は二階堂ルイ。先程まで話題に上がっていた「二階堂さん」だ。市村は当然戸惑った。二階堂の判決はどうだったか、もう出所したというのか、考えを巡らせている間にもコール音は鳴り続ける。いるのは分かっているんだから、出なさいよ。そんな声が聞こえてくる。
「なにあの配信」
根負けして応答のアイコンをタップした市村の耳に飛び込んできた二階堂の第一声がそれだった。
「なにって、ファンのひと向けのおしゃべりだけど……ミスキスのときから続けてたやつ」
「配信中に通知こない設定にしておくとか、着信受け付けないようにしておくとか、基本中の基本じゃん。スルースキルも防御力も無さすぎ。はあ、なんでこんな人がアイドルやってんだろ」
「言い方ヤバ。そっちこそ、アイドルやるために犯罪までおかして、ヤバい自覚持ったほうがいいと思うけど。もう出てきたの?」
配信を見られていたという恥ずかしさと、二階堂のあけすけな物言いへの反発から、自分でも驚くほど強い言葉が出た。受話器の向こうで二階堂が息を飲む音がする。その少しの間が、もう二人はミステリーキッスではないのだということを市村に教えた。
同じグループにパッケージングされていたときは、仲は良くないまでもそれなりにお互いに気を使えていた。近づいたり、離れたりしながら、正しい距離をいつでも探り合っていた。土星の輪みたいに二人それぞれに体の周りに輪を持っていて、ぶつからないように気をつけていた。
その輪が外れて、しかも直接対面していないとなれば、互いに遠慮はもういらないのだ。そのときに市村が覚えたのは、つかみようの無い感情だ。せいせいした、とも違って、対等になったとか強くなった、とも違って、寂しいなんてこともあるわけがない。
「……出てきたよ、先月。知らないの? 家裁から検察に逆送。刑事罰は懲役4年執行猶予3年2ヶ月。要するに実際の収監は10ヶ月。さんざん報道されたはずだし、出所の日は野次馬もすごかったよ」
「私は私で、二階堂さんたちのせいで大変だったから、そんな細かいこと覚えてないもん」
そう言いながらも、二階堂の姿をカメラに収めようと、どこから漏れたやら知らないが、刑務所の周りに山とつらなる報道陣の映像がワイドショーで流れていたことを思い出している。
撮らないで、撮るな、下がって。
怒号とフラッシュの光、刑務官の腕の隙間から撮られた二階堂の後ろ姿、乗り込んだ車はレンタカーで、後ろの窓に大きくニコちゃんマークが貼られていた。その映像が繰り返し流されているのを、割れたチークをブラシに含ませて頬に乗せながら見た気がする。
「それでなんで私の配信なんか見て、電話してきたの? 配信中って分かってかけてきたってことでしょ、マジヤバい」
「見てらんなかったからだよ。ねえ、市村さんだってアイドルを続けるために犯罪したよね。美人局したよね。悪いと思ってるなんて言ってるけど、嘘でしょ。一人は死にました。一人は殺人と死体損壊遺棄容疑で逮捕されました。一人は別のところで殺人未遂を犯しました。四人いたミステリーキッスのうちで、残りの一人は詐欺の共謀罪です。どう? 相対的にどうでもいい軽い罪だと思ってるし思われてる。むしろ注目を浴びて、チャンネル登録者数が伸びて、なんとアンチまでつきました。つまんない愚痴配信で事件の話をすれば、コメントは盛り上がる。スパチャも飛んできて、すごいね、すっかりネットの有名人」
市村はそこでスマホをベッドに投げた。布団に吸収されてもわもわと広がる音でも、二階堂が話し続けているのが分かる。輪っかの外れた二階堂さんは怖い。生物の本能のところで彼女を恐れる気持ちが湧き上がってきて、市村はベッドに沈むスマホに近寄れなくなった。
こんな時は風呂だ。
1Kの部屋の逃げ場は風呂しかない。バス・トイレ別を必須条件にして選んだ部屋は、築年数は古かったが古い間取りの分、水回りのスペースが広くとられている。リフォームもされていて、快適なユニットバスだったのが契約の決め手だった。部屋の契約は、和田垣がタクシー運転手への殺人未遂を犯す前、大手事務所に移ってすぐにした。
足を伸ばせる風呂に入って、つま先を湯船からちょこんと出すのが好きだ。入居した日にそれを写真にとってインスタに上げたら、今までにないくらいのいいねがついた。フォロワーも増えていて、成功の景色が見えた気がした。
その日と同じように、いま風呂のふちにつま先をかけて湯船に浸かっている。それなのにいい気分にはなれそうに無かった。居場所がなくて風呂にこもっていた実家と同じだ。部屋はスマホに――風呂にも持ち込んでいたはずのスマホに――占拠されている。二階堂はどのくらいの時間で諦めてくれるだろうか。
「慣れてるもん、長風呂。好きだし」
呟きが高い天井に反響するのを確かめてから、息を止めて風呂に頭まで潜る。
――一人は死にました。
そう、三矢ユキは死んだ。殺された。そのことをあまり考えていなかったなと思いながら、湯のなかで目を閉じて、数をかぞえてみて、20も数えないうちに苦しくなって顔を上げた。
風呂から上がると、ベッドの上のスマホは沈黙していた。通知のランプが光っている。いやな予感があった。画面を点けると、予感の通りに二階堂からのLINEの通知がポップアップで表示される。
『三矢さんのことについて話したい。』
一言だけのメッセージだ。
ポップアップで確認して、無視しても良かった。それでも開いて既読をつけてしまったのは、三矢ユキの死について、ミステリーキッスとして考えなくてはならない気がしたからだ。
ミステリーキッスは解散したが、三矢ユキはいまだミステリーキッスのままで、それは永劫変わらない。ミステリーキッスのメンバーのまま三矢ユキの時間は止まったからだ。
三矢が別世界の人間だということは出会ってすぐに分かった。二階堂とまた違う意味で別世界なのだ。二階堂よりも優しくて話しやすいけれど、苦手ではあった。
自分がつまらない、何もない人間だと分からされる感じがあるからだ。
二階堂が力で分からせてくる一方で、三矢は市村に自ら気付かせるようにさせる。どちらが悲しいかというと、三矢に気付かされる瞬間の方が悲しかったのかもしれない。
そんなわけで市村としては距離をおきたかった。しかし三矢の側は仲良くなりたそうだった。三矢の態度は二階堂に対しても同様で、フラットに、しかし踏み込みすぎず、同じグループのメンバーというのを一つのチームとしてとらえているように見えた。チームとして努力して、チームとして結果を出す。
チームワークのためのコミュニケーションといえばそれまでだが、それ以上の、心的な繋がりを求めているようだった。青春、部活、そんなキーワードが浮かぶ。
そんなわけで三矢と話すたびに、お金のためにアイドルになろうとした自分と三矢のギャップをいちいち見せつけられるのだが、三矢は市村と話すのを心から楽しんでいそうだった。
それを疎んでいた自分、三矢ユキの死というものを深く考えていなかった自分にあらためて気づくきっかけが二階堂ルイからの電話とLINEだ。だから返信してしまった。
二階堂の指定した待ち合わせ場所は、品川駅の中央改札だった。平日朝8時半、改札を出てすぐの時計の下に、二階堂は待っていた。印象的なライダース姿ではなく、地味なグレーのワンピースに目深に日除けの黒の帽子を被り、白の不織布マスク姿の二階堂は、出勤する人々の色調にまぎれて初めは見つけられなかった。
いつもの服装の市村を先に見つけた二階堂が控えめに手を振って、やっと気付いたのだった。
「なんでこんな混む時間なの、人ヤバ」
改札から大量の人が出てきて、立ち止まる二人をめがけて血液のように通路へと流れ込んでくるのが見える。邪魔にならないようにと、ぐっと二階堂に身を寄せると、ライブのあとでステージに三人並んで肩を寄せ合って客席に手を振ったことを思い出す。そのときと同じ、二階堂の右側の立ち位置にいた。
「混む時間だからいいんだよ。誰も他人なんか見てないから。ていうかいつも通りの服装で来るって『ヤバ』だね。有名人のくせに」
それだけ言うと二階堂は背を向けて、人波を縫うようにさっさと歩きだしてしまった。後を追う市村のトートバッグがサラリーマンにぶつかったような、ぶつかられたような感じで揺れて落ちる。とっさに謝るともう先に行っていて、後から来た人が舌打ちしながらトートバッグを避けた。
バッグを踏まれなかっただけマシだ、と拾い上げて顔を上げると、グレーのスーツの群れだけがある。焦って目を凝らすと、二階堂の黒い大きな帽子だけが見えた。
帽子は構内にあるコーヒーショップへの階段を上がっていった。人の流れに乗りながら、それでも少しだけ階段の方に逸れながら、市村はやっと階段にたどり着いた。
コーヒーショップに入ると、二階堂は既に注文を終えて席についている。下を行き交う通勤客が見下ろせる位置にある席で、それ自体は悪くない気分だった。下とは流れている時間が違う。モノクロの人々は、始業時刻の針に追い立てられている。生きている人々の時間だ。
死んだ人の話をするのに、生きている人々を眺めるようにせり出したコーヒーショップの席は、ふさわしいと思えた。
「三矢さんの話ってなに」
カフェラテにケーキをつけられる懐の余裕に嬉しくなっていた市村の声は、場面に合わず弾んだ調子を含んでしまった。
「それよりそのケーキなに? マスク外さないと食べられないじゃん。ほんと考えなしで馬鹿だよね。だからあんな配信出来るんだよね」
冷たく告げる二階堂は一番小さいサイズのコーヒーだけを頼んでいて、それに手をつける気は無いようだった。
「別に私は犯罪者じゃないし」
「詐欺の共謀犯」
「……させておいてよく言えるね」
季節限定のパンプキンケーキを崩して、マスクを一瞬ずらして口に入れてみる。
「引き受けたのは自分でしょ。罪になることしてるなんて自分で分かるでしょ。分かったうえでやったんでしょ」
「事務所のためにって言われたんだよ? それが大嘘だったんじゃん。嘘つきだ」
飲み下したパンプキンケーキはしっかりと甘い。上ずりそうになる声を抑えて、それでも正面から二階堂に言い返せていることに感動する。
「私は嘘はつかない。あれは山本さんが言い始めたことで、それに乗っただけ。事務所のためなのはそうじゃん。ミスキスの存続のためだった。あの時点では本当のことだった」
「いや、あれは嘘だよ。分かってるでしょ、二階堂さんは嘘つきだよ」
「なに? 疑ってんの? 公判で言ったこと、全部本当のことだから」
「別に。『考えなしの馬鹿』だから分からない。それより三矢さんの話しに来たんじゃないの」
地味な服に帽子にマスク姿でも二階堂の放つ光は衰えていない。それに圧されないように目線をカフェラテに移す。流れで手にとって、小さな反発心からマスクを思い切り顎まで下げて飲んだ。
「三矢さんについてどう思うかを話したかった。誰かに殺されてしまったこと。それをメンバーとマネージャーが解体して海に捨てたこと。あのあと市村さんの過去配信見たけど、三矢さんに起こったことをどう思ってるのか全然話してなかったね」
「それは、そうでしょ。何を言えるってわけ」
「私だったら、……私も配信から活動を再開しようと思ってるんだけど、私だったら三矢さんのことを最初に話す。謝罪する。仲間だったってことを言う。市村さんは当事者じゃないから謝罪はする必要ないかもしれないけど、仲間だったってことにあまりに無頓着じゃない? 続けて見てたら毎回同じ話、自分自分自分。頭痛くなった」
丸テーブルの下、二階堂の手がかたく組まれているのが見えた。マスクを顎に引き下げたまま、市村は二口目のパンプキンケーキを頬張る。食べている間は返事をしなくてよい。沢山噛むと頭がよくなる、と子供のころに聞かされた気がする。沢山噛んで、返事を考えることにした。
うつむいた二階堂の顔が帽子で全て隠れる。つま先がゆらゆらと揺れ始める。ここまで顔を隠して外出しなければいけない人が、活動を再開すると言った。先程の言葉から市村への誹謗を除いてみると、つまり、そういうことを言ったということに気付いて、ケーキを飲み込んだ。
「再開? マジで? ヤバ」
「本気だよ。私はまだ終わってない。だからまず謝罪から始める。三矢さんのことを誠心誠意考えて、話す。配信ってそういうことだと思う。三矢さんのことを、犯した罪のほかに、メンバーとしてちゃんと考えないといけない」
「でもさあ、」
三刀目でケーキの縁が崩れた。
そういえばケーキを撮らなかったな、というか、スマホを触ってなかったな、と気付いた。気付いたらツイッターをチェックしたい気持ちがカフェラテの湯気みたいに立ち上がってきて、市村の左手はテーブルに置かれたスマホに伸びる。
「謝罪動画って結局動画のための台本じゃん。それが誠心誠意になるの? それと謝るのとは違くない?」
二階堂が顔を上げた。CGみたいに整った、市村が整形しても手に入れられなかった瞳がまっすぐ睨んでくる。揺れていたつま先は、きれいに揃えられ動きを止めた。
「動画だけじゃない、直接謝りに行こうって考えてる。メンバーとして、ちゃんと三矢さんに向き合って話しかけたいと思ってる」
「そんなこと出来るの?」
出来なかったら嘘だよ、と続けようとした時だった。スマホを起動した手を掴まれて、そのままテーブルに伏せられる。ちょっと痛かった。
「出来るよ。見てみなよ、嘘じゃないってこと」
二階堂の言う「直接謝りに行く」とはつまり墓参のことで、それに付き合わされることになってしまった。嘘つき、と言った手前断れなかったのだ。
「三矢さんへの言葉、市村さんも考えておくことだよ」
宿題を押し付けられて、その日は解散した。
改札から吐き出される人の流れは緩やかになったものの、途絶えることはない。二階堂はすぐに人の海にまぎれて、どこの線に乗って帰ったのかも分からなかった。
10月9日の夕方、二人は三矢家の墓のある霊園にいた。命日である10月4日には墓参者が沢山あるだろうということ、平日にあまり出かけないで欲しいと家族に言われているらしい二階堂の都合、以上を考慮の末9日の土曜日にしたわけだが、土曜日の日中は平日に仕事のある墓参者がくる可能性もある。ということで薄暗くなってからの集合となった。
日が傾いてからも日中から続く蒸し暑さは続いている。市村は淡色の半袖ブラウスに薄手のロングスカート、履き慣れたサンダルで、首からは小型扇風機を下げて顔に送風し続けている。一方で二階堂は黒の長袖ブラウスとパンツ、ヒール姿で見ているだけで暑苦しい。いつもは荷物の少ない二階堂だが、今日は珍しくグレーのナイロン製のエコバッグを下げている。そこから花束が覗いていて、ああ墓参りってそういう準備が必要なものなんだと初めて気付いた。
「暑くないの」
「暑いよ、汗気持ち悪い」
そう言いながらも二階堂の顔は涼しげで、たとえば前髪がぺったり額にはりつくなどということもなく、女優って顔に汗かかないんだっけ、となんとなく思った。じゃあどこに汗をかいているのかな、顔はお人形さんみたいだけれど首から下、ブラウスの下にはむわっとした人間の熱と臭いがこもっていて、ブラとショーツがはりついていたりするのだろうか。
入り口の脇で、2つの手桶に水を入れて運ぶように言いつけられて、それを下げて歩いている。女優に仕えるマネージャーのようだ。
先を行く二階堂は広い霊園を迷わず進んでいく。手には印刷したらしき霊園のマップがある。薄暗い中、前を行く二階堂の背中や尻のあたりに汗じみが見えたりしないだろうか、と目を凝らしていると唐突に二階堂が立ち止まった。
「ダッサ」
吐き捨てる二階堂の背中から覗き込むと、低い石で囲われた広い敷地に二段ほどの階段があり、市村の実家の浴室よりも広い空間のつきあたりに、高い塔のような形の真新しい墓があった。三矢家、と墓石に彫られたそれは間違いなく三矢ユキの眠る墓で、周りには花立に入り切らない花束が積まれている。
なにかダサい要素があるのだろうか、と見渡すと、墓の右側にふやふやとした、韓国インテリアの鏡みたいな(それは3COINSで購入して市村も愛用している)形の石碑があり『心』と彫られていた。その脇には市村が両手で抱えられるほどの大きなくまのぬいぐるみがラッピングされて置かれており、まるで小さな子供の事故現場みたいに見える。
「ダッサ」がどちらにかかるのか、どちらにもかかるのか、はたまた別のものを指すのか、市村には分からない。ただ三矢さんがこのお墓を見たら困ったように笑いそうだな、とは思った。
「お金持ちのお墓だね、都内の墓地って高いんでしょ。うちはお父さんの地元の、なんか山のなかのお寺で、行くのが大変。ていうか誰も行ってない」
「霊園の土地は先に買ってあったんだって。だからすぐに立派なお墓が建てられた。呑楽が自分の墓活で買った土地に、娘が一番最初に入るお墓を建てることになるなんてね。呑楽の顔と一緒に、ニュースバラエティーが嬉しそうに報道してたよ」
「かわいそう」
「……ドラマチックなひと。死んでもひとに物語を見せるんだから、ずるいんだ。私は三矢さんの父親としての呑楽に同情しない。そんな部外者みたいな見方はしない。解体と遺棄については当事者として深く――なんて言っていいかわからないけど、身に迫った罪として実感するし、申し訳ないと思う」
二階堂は短い階段を登ると、墓の前に進み出る。お参りの邪魔にならないように、芝台と香炉の前の花を整理する。花立はいっぱいだが、中には萎れ始めているものもある。萎れた花を取り除いて、それから花立の古い水を捨てて洗った。きれいな水を入れると、まだ活き活きとしている花を選んで差す。その隙間に、二階堂は持参した花束の花の茎を切って差し込んだ。
花立はぎゅうぎゅうで、他の花束と同じように脇におけばいいのにと思ったが、当事者として、例えばぬいぐるみを供えるような誰かと同じ場所に花を置きたくないであろうことは分かるので黙っておいた。
手際のよい二階堂は、墓参りから縁遠い市村とは違う育ちなのだという気がして、なにか口出しをしてはいけないオーラを纏っている。
続いて二階堂は蝋燭立てに蝋燭を立てて、マッチで火を付けようとした。晴れてはいるが風が強く、なかなか火がつかない。市村が手で風を遮ってみるも、熱いだけでなににもならなかった。
仕方ない、とエコバッグの底からチャッカマンを取り出して蝋燭に火をつけようとするも、それでもうまくつかなかった。正確にはつけたそばから消えてしまった。
最終的にはチャッカマンで直接線香の束に火をつけた。初めからそうすればいいだろうと思っても、当然なにも言いようがなかった。なにか知らない決まりや常識がこの世には溢れていて、不用意に口にすると呆れられるだけだと身に沁みて知っている。二階堂が手を合わせる間、しほはなんとなくスマホを起動して、youtubeの登録者数をチェックした。
二階堂ルイが配信を初めたら、話題性は相当なものだろう。市村の登録者数など一瞬でも抜いてしまうかもしれない。登録者数の画面を、スクショして保存した。
二階堂が振り向いて、「撮ったの?」と呟いた。怒った顔には見えなかったが、責めるつもりだというのは分かる。「いや、youtubeのスクショ」と画面を見せると、半目で市村を睨んだあと、「次」と線香とチャッカマンを押し付けてきた。
線香の煙に包まれてむせながら、しゃがみこんで手を合わせる。スカートの裾が地面にそのまま引きずられる。こういうときに膝に巻き込むということを誰かに注意された気もするが、いつも引きずってから思い出す。
三矢さんについて考えてきたこと。それは二人の思い出だった。
三矢さんのお家は多分お金持ちで、頭も良くて、美人で、髪の毛もサラサラだった。
「ストレートパーマかけてるの? どこの美容院? トリートメントって何使ってるの」とたずねたら困った顔で笑って、「お母さんが通ってる美容院だよ。シャンプーとトリートメントは美容院で勧められたのをずっと使ってるけど、ストレートはかけてないよ」と返ってきた。
あとで美容院の名前を検索したら青山にあって、髪の毛のためだけに青山に行くなんてびっくりしたし、ホットペッパーに出てないし、高いし、有名なお店っぽかった。市村はその場で反応出来なかったが、おしゃれな子ならすぐに「えーあそこー!?すごいね!!」という反応があるのだろう。知らなかった市村はただ「へえーきれいな髪だよね」と答えた。
そのとき三矢は「ありがとう、市村さんの髪もきれいだよ」と、今度は本当にそう思ってるという顔で笑った。困った顔ではなくなった。
今思えば、三矢さんの周りにはおしゃれな子が沢山いて、自分の反応がめずらしかったのかもしれないと市村は考えた。それがある種、気楽さをもたらした、みたいなことはあるのかもしれない。無意識に下に見られているという勘繰りも出来るが、三矢の性格からしたら、ただ純粋に周りに居ないタイプが新鮮だったということかもしれない。
市村さんの髪もきれいだよ、にどう答えたんだっけ。手を合わせながら市村は考える。
ドラッグストアのシャンプーだしトリートメントはちょっと奮発したけどfinoだし、でもインスタですごい評判いいんだよ、って画面を見せて、髪の毛は地毛で茶色くて、そこは気に入ってるけど、なんか普通じゃない? というようなことを答えた気がする。恥ずかしくなっていじった毛先を、三矢さんは手を重ねるようにして梳いて、「きれいだし、似合ってるよ」ともう一度言った。
「ごめんね。三矢さんが殺されたってこと、ずっと遠い世界のことに思ってた。同じグループで、友達になろうとしてくれてたのに、なんで今さらいないことが悲しくて泣いてるんだろう」
顔をあげて高い高い墓石を見上げながら言うと、後ろに立っていた二階堂が肩に手を置いて、隣にしゃがみこんだ。
「そこじゃない。三矢さんがいるのは、ここ」
香炉の下にはめられた石を指して、二階堂が囁いた。
「石棺はここ。ここに三矢さんがいる」
「でも、お墓って墓石がメインじゃないの」
「こんなのは、ただの石」
ちょっとどいて、と言われて墓の前から退くと、二階堂は階段の手前まで下がって墓の全体を写真に収めた。それから寄って、先程指さした石棺のあるあたりをもう一枚撮った。
二階堂の家は都下の、聞いたことのない駅の、そこからさらに離れたマンションだった。開発された街らしく、広い歩道は石畳風で、外国の街をイメージした街頭が灯り、水の絶えた噴水跡に座るカップルが居た。塾帰りの高校生だろうか。
流れで家までついてきてしまったしほは、二階堂ルイの部屋に通された。両親と同居だというが、出てはこなかった。
廊下に積まれていた段ボールが、二階堂の部屋にも開封した状態で二つあった。部屋の広さに対して家具が多すぎ、窓を塞ぐ形でキャビネットが置かれていた。
「引っ越したばかりだから片付かなくて。適当に座って」
と二階堂が言ったとき、クッションを指されていたのだが市村はそれに気付かずベッドに腰掛けた。ベージュトーンで揃えられた落ち着いたカバーの寝具だった。
「クッション」
「へ?」
「クッションに座って。地面にすれたスカートでベッドに座ってほしくないの」
早速スマホをいじり始めていた市村に、二階堂は遠慮なしの言葉を放つ。あるいは市村の頭の回転がもう少し早ければ、死体遺棄って潔癖の人でも出来るんだ、と返せたかもしれないが、市村から出たのはため息だけだった。
「これ見て。これなら開けられるんだよ。新しいお墓だっていうし、報道で出た映像から見てもそうかなって感じはしてた」
そういってフローリングに直接座り込んだ二階堂が見せてきたスマホの画面には、墓の仕組みを図解したサイトが表示されていた。
「これなら開けられるってどういうこと」
「地下式と丘式で仕組みが違う。地下式だと石屋じゃないと開けられない。丘式なら私たちでも開けられる」
画像フォルダを開いて、三矢家の墓を撮った画像を表示しながら二階堂が言う。
「私たち、って何」
「私と市村さんに決まってるじゃん。開けるんだよ。石拝んだってしょうがないじゃん。チェキ飾るファンと違うんだよ、私たちはグループだったんだから。私は重い体を持った。重い体を投げた。骨を見て、骨に謝るんだよ」
「それってやって良いことなの」
唯一出た返答がそれだった。二階堂の言うことが一から十まで分からなかった。
「墳墓発掘罪。2年以下の懲役」
「ヤバ、調べてる」
「ねえ、手伝ってよ。私、今日謝ろうと思ったこと、三矢さんとの思い出、何も出てこなかった。ちゃんと考えてたけど、墓石見たらやっぱり違うと思った。骨だよ。骨に謝るしかないんだよ。謝罪をしろって言ったの市村さんじゃん」
二階堂は本気のようだ。
部屋には二人きり、マンション内には両親らしき人の気配はあるが、二階堂の部屋には近づいてきそうにない。実際に死体を見て、それを捨てることが出来た人がすぐ隣に居るということが、市村は急に恐ろしくなった。
殺害の夜に三矢を事務所に呼び出したのは二階堂で、それは本人が認めている。殺害については
そんな恐ろしい人が、『あんたになにが出来るの?』と美人局を迫ったその勢いで、また市村を犯罪に巻き込もうとしている。流されてはいけない、と思った。
流されるだけだったから、今の自分になっているのだ。断らなければ。もうなにも関係のない、元同じグループの前科者を相手にすることなどない。
「私は、何もかもなくした二階堂さんみたいにめちゃくちゃなことは出来ない。なんで私まで共犯にならないといけないの」
声がみるみるしぼんでいくのが分かる。最後はほぼ息だけになりながらも、なんとか言葉をしぼりつくした。
「一人だと石を動かすのに見張りが居ないからだよ」
「骨を見たいだけで人を巻き込まないでよ。ヤバいひとじゃん。私は三矢さんの体の重さなんて知らないし、捨ててもない。だから骨なんて知らない」
そう言ってスマホの画面を見ようとした市村の手首を、二階堂が掴み、後ろから抱きすくめるようにしてもう一方の手で画面を隠した。背中に黒いブラウスの胸があてられて、その熱のなかに湿り気があった。やっぱり胸には汗をかくんだ、と思った。
手首を握る力が強くなっていって、桜色の爪が食い込んだ。
「……なんで私なの……」
「ミステリーキッスだからだよ。ね、見張ってくれるだけでいい。それなら罪にならないよ」
三人グループをつくるための一人、最後には仮面を被せられていた数合わせの一人なのに、所属グループの名はどこまでもついてくる。
「……いつ、行くの」
「人が来ない日がいいし、イブの夜がいいんじゃない? 私が逮捕された日の前々日だよ」
あはは、と二階堂が笑う息が耳にかかって不快だった。
「やだよ、配信するもん。イブの夜に配信しなかったら彼氏いるとか色々言われるんだよ」
「美人局アイドルにそんなの求めるファン居るの?」
今度はあっはは! と声をあげて笑う二階堂の胸が背中にはりついたまま揺れた。こんなに胸が大きかったろうか、と考えたところで、二階堂が少し太ったのだとやっと気付いた。
「行為は無かったし、被害者の人とも和解済みなの。だからクリーンなの。芸人との同棲まで一緒にバレた人と違う。マジでまだやり直せると思ってるの、おかしいから。ヤバいどころじゃないから」
「私は全部手に入れるから。今どきママアイドルだっているんだから、前科者芸人同棲アイドルが居たっていいんだよ」
手首を掴む力は緩まない。二階堂の体重はどんどんと背中にかけられていく。体が前に折れ曲がりそうだった。汗の臭いがして、その臭いがやけに甘ったるく香るので、市村の胸をむかつかせた。
「……イブじゃなくて、クリスマスの夜ならいいよ。とにかくイブは無理」
「じゃあ決定」
あっさりと体を離した二階堂が、立ち上がって部屋の戸を開ける。帰っていいということだ。ひどい扱いには慣れているつもりだったが、それにしてもこうまでされる筋合いがないと思う。
二度と来ない、と決意してマンションの扉を閉める瞬間、「LINEブロックとかしたら、部屋行くからね」という二階堂の声が聞こえた。
結局流されてしまった。変われなかった。
知らない街を歩きながら、背中に残る汗の感覚を逃すようにブラウスを裾から出してぬるい風を送った。
クリスマスの夜、イブの盛り上がりの名残が寂寞とした印象を強めている繁華街を歩く。昼に降った雨が道路を濡らし、不規則に出来た細長い水溜りが街灯の明かりを反射している。
街は早くも新年の準備へと移行しつつあり、クリスマスの装飾は吊られたままゴミに変わりつあった。
夜空を覆う雲の隙間から三分の一ほど欠けた月が弱々しい光をにじませていて、墓暴きによい夜だった。
霊園の前に、またしても二階堂は先についていた。黒のトレーニングウエアの上下、キャップ、マスク姿の二階堂に、「犯罪者みたい」と思ったままの言葉が出る。
市村は普段着ではあるが、珍しく紺色のワンピースを着ていた。買ってみたもののしっくりこなくて、一度も着ていない。夜闇にまぎれるこの日のために買っていたのかもしれない、と思った。
「私が三矢さんを捨てた日の服だよ。この服が私の謝罪のための服。私が最低だったって告白するための服」
そこから話すことは特に無かった。
夜の霊園は怖いかといえば、一番に出るべきは三矢の霊であるはずなので、三矢の霊が出ない以上は他の霊の存在も否定出来る。そして三矢の霊が出たとしたら、それは「会えた」ということなので恐ろしいことはない。少なくとも市村は三矢に呪われると思っていないので、二階堂が盾になるだろうと思いながら二階堂の手元を懐中電灯で照らした。
墓石は濡れて色を濃くしていた。軍手をはめた二階堂が、ひざまづいて石を動かしにかかっている。
「土下座みたい」
「……黙って、周り、見てなよ」
石は重いらしい。息を切らしながらも、石の右側が動き、左側が動き、それを繰り返しながら少しずつ前方にせり出してきている。見るともなく見ながら、周りの気配に耳をすませる。クリスマスの夜に墓参りに来ようという者はいそうにないので、見張りというていで巻き込まれただけだとやっと気付いた。
「物理でさ、やったでしょ。物の動き始めに一番力が必要で、動き始めたら軽くなるみたいなの」
ぜえぜえという息の音とともになぜか全く関係のない物理の話をされたが、物理の授業のことなど覚えていない市村は黙っていた。
「実際あのヤクザが来て、死体を捨てるってなってから、動き出しちゃってからはなんか、軽かった。どんどん転がってった」
石同士のこすれる嫌な音がして、右、左、右、と徐々に角を滑らせながらせり出してくるものの、開くには程遠いように見える。
と、二階堂が大きく息を吐いて、石の動きが止まった。濡れた軍手を外して手首を回すのをなんとなく照らすと、手のひらは真っ赤に腫れている。
市村は香炉の上に懐中電灯を置くと、石の端に指をかけた。軍手をはめなおした二階堂が、同じ側を掴む。
「いいの? 動くってことは力が働くってことだよ。私の力と、市村さんの力、それで石が滑り出したら、さらにもうひとつの力が加わるってことだよ」
「馬鹿だから、物理とか分からない。力が足りないと石が動き始めないっていうのと、もう巻き込まれ済みだってことだけは分かる」
石の右側が大きくずれ、石棺から冷えた空気が漏れた気がした。
続けて左側も。石に食い込む素手の指の、関節のところが痛かった。
蓋となっていた石を傾ける。石は一段下に置いておいた大きな平たい石に乗り、角度がついた石は重い音をたてながら滑っていく。石棺の入り口が開ききった。
「慣性の法則だけなら動き続ける。動摩擦力によってやがて止まる。って式もなにも全部忘れたけど、世界の法則がある。見えない力がある。いろんなことが、そういう見えないけど決められてる力に支配されてる。そういう世界で生きてるんだと思わない?」
「難しいこと、分からないって知ってて言うのヤバい嫌味」
二人で覗き込んだ石棺には、手前に花の描かれた白い木綿の袋がある。袋はまだいきいきとした白さを保っていて、懐中電灯の光をまっすぐに跳ね返した。
「星みたいな形の花だね」
「桔梗だよ」
自分は何も知らないな、と市村は思った。まず袋が入っているとも思わなかった。布に包まれた桐箱がそのまま鎮座しているところを想像していたので、袋が目に入らずずっと奥を照らしていた。
懐中電灯を持つ市村の手を取って手前を照らさせたのは二階堂だ。二階堂は初めから、そこにそうした形であるだろうと予測していたようだった。
「桔梗でまだ良かった。『やすらかに』とか書かれてたら、ダサすぎて泣くところだった」
そうつぶやくルイの声が詰まっていき、最後の方は嗚咽になって消えた。
「三矢さん、三矢さん、なんでこんなところにいるの、なんで海にいてくれなかったの。海にいたら、『三矢ユキ』は生きてたのに。こんなお墓で、花をたむけられて、わけわからない。勝ち逃げじゃん。私の後ろで踊ってよ、コーラスしてよ、大嫌い、大嫌い!」
二階堂の言うことこそわけが分からなかった。ただ、この涙は本当だと思った。
二階堂の腕が伸びて、木綿の袋を掴む。かさかさ、と、ごろごろ、の間の音がして、にわかに市村は恐ろしくなる。
「ヤバいよ、手を合わせて帰ろうよ。三矢さんへの気持ちも分かったから、ヤバすぎるよ」
市村の声など耳に入らないというように、二階堂は袋の結び目を解く。中には当然骨がある。市村にとって、初めて見る人間の骨だった。
真っ白じゃないんだ。
まずそう思った。ところどころ、ピンクや青の色がついているものもある。興味をひかれて覗き込むと、スカスカの断面をのぞかせる骨があり、気分が悪くなった。
二階堂は袋から小さな、どこかの関節みたいな丸みのある骨を取った。両手のひらに乗せて見つめたあと、骨に口付けるほど唇を寄せて小声で繰り返した。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――」
「ごめんね、三矢さん」
三矢の死の証拠を現前に見せられた市村の口にも、自然とそんな言葉が浮かんだ。
石を戻すのには苦労した。でも開けるよりはマシだった。二人がかりだったというのと、平たい大きな石の上に傾いだ石の扉を元の台に乗せるのに、てこの原理を思い出したからだ。
ただその際にがったんと大きな音がして、「ヤバ」と思わず声が漏れた。共犯という言葉が実体を持って、その音を鳴らした気がした。二階堂はなに罪と言っていただろうか、懲役何年以下と言っていただろうか、そもそもメンバーの墓を勝手に開けたことを世間はどう見るか。二階堂といると、クリーンでない場所に連れて行かれる、と改めて思った。
石をもとに戻して、霊園からの帰り道。二階堂はコンビニでスミノフアイスを買った。市村の分も買おうとしたので、「もう巻き込まないで」と断った。
「強要はしてないよ、ずっとね」
そんな言葉はごまかしだと分かっているはずなのに、分かった上で平然と言う二階堂は市村を置いて大人の世界に行こうとしていた。アイドルとして地道に名前を売ろうと配信をする市村の夢見るアイドル像と、二階堂の目指すアイドル像はもう乖離しているだろう。少なくともミステリーキッスのときには、同じステージの光を見ていたはずなのに。
「ずっと飲んでたの? その、彼氏とかと」
「まさか、現役アイドルがお酒なんて飲まないよ。出所後は親の目があるし。さりげなく監視してくる感じ。そのわりに話しあおうなんてしない感じ。怒ってくれたら、私だって謝れるのに。だからこれが初飲酒」
「馬場さんとはまだ続いてるの」
「うん。会えて無いけど。今はそれより返り咲くこと。それは彼も分かってくれてる。なんでもしてやるんだ。だって私は殺してないし、悪い大人にそそのかされた可哀想な、頭空っぽの、未成年のアイドルだったんだから。ねえ、私、市村さんには苛々する。何も持ってないし何もしなかっただけなのに私よりいい位置にいて、それなのにそれをうまく使えてない。全然頑張れてない。いつだって自分、自分、自分だよね。私に言われてやっと三矢さんのことも考えた。三矢さん可哀想」
そう言って二階堂はジャケットのポケットから出した小さな石のようなものを酒の瓶に入れた。
「まさかと思うけど、それ」
「三矢さんだよ」
そう言って二階堂は瓶に口をつけて勢いよく飲む。顎から垂れた雫を袖でふく動作も、なぜか清涼飲料水のCMみたいに決まっていて、山本の言う原石というのは本当かもしれないと思った。
瓶の傾きに合わせて、骨が行ったり来たりした。家にあった古いお土産のボールペンを思い出した。軸を傾ける度に三毛猫が行ったり来たりする。インクが切れてもずっとペン立てに差しっぱなしになっている。
「ヤバ、骨入れてるの」
「たかが骨されど骨。私は三矢さんを飲んで、一緒にトップをとる」
わかる? と寄せられた顔が異様に近い。酔っているのだろうか。
「トップって、本気で言ってるならヤバすぎ。メンバーの死体遺棄して、前科持ちで、しかも芸人さんと付き合ってたのがバレた人がアイドルのトップ? もしかして私より馬鹿なんじゃないの」
もうこんな子と付き合うのは本当にやめよう。コンビニの駐車場の車止めに座る二階堂の隣に流れで座っていた市村は、今度こそ流されないという意志を固めた。LINEも電話もブロックする。何を言われようと何をされようと、無視しつづけよう。そう思った。
「そんなの、やりようだし。いい? 私はダイヤモンドなの。山本さんはおかしな人だったけど、それだけは本当」
「でも三矢さんがセンターになるところだったじゃん。それって三矢さんの方がダイヤモンドだったってことじゃないの」
二階堂が黙り込んで、スミノフアイスを派手に傾けた。半分以上はこぼれたみたいに見えた。最後の一口で骨を口に入れると、音をたてて噛み砕いた。それを飲み込む喉の動きを、市村はつい見てしまった。
「ダイヤなんて骨からだって作れる。人工ならね。人工と天然の違いなんて、鑑定士でもなきゃ分からないよ」
酒の甘い臭いを染み込ませた二階堂が、空瓶を道路に転がした。
「骨、ただのカルシウムの味だった。骨は骨だね、ただの骨。やっぱり三矢さんは見つからないほうが良かった。名前だけでも生きてなきゃだめだ」
その骨にすがって泣いていたのは誰だよ、と思うが、もう関わりたくない市村は何も言わない。瓶を拾って、コンビニの中のゴミ箱に捨てると、そのまま霊園に向かって一人戻った。
お金持ちになりたくて始めたアイドル、紆余曲折はあったものの、一時は大きな事務所に所属したし、名前は売れているし、チャンネル登録者数も伸びている。コラボ企画も来ている。
ミステリーキッスをやっていた時代よりもずっと稼げているし、なにより仮面を外して市村しほとして応援してもらえるのが嬉しいとは思う。
しかしその道の先に、いつか二階堂ルイが現れる。
あの狂気となりふり構わないやり方は、とても真似出来そうにない。それでも、戦い方があると思った。
通知と着信を切る設定があるというのも、二階堂との会話で知ったので、自力で調べて設定する気になった。今までの自分ならきっと面倒くさいし「よく分からない」と思って調べなかったか、配信で誰かに聞いたかもしれない。でもこれは配信で聞くわけにはいかない。だってこれからの配信を二階堂に見られる可能性もあるからだ。
もちろん既に二階堂のLINEもブロック済みだし電話も着信拒否済みだけれど、他の方法で邪魔される可能性もある。だれかの携帯を借りるとか。
「こんばんは。突発でライブ配信しちゃうよ。二日連続だけど、クリスマスの夜ってなんか寂しいよねえ。ケーキ、昨日は小さいの買ったんだけど、今日は割引されてたからホールで買ってきちゃった。ヤバ、太るかも。でもさあ、一人の夜、シングルベルっていうんだっけ? なんか昭和の話テレビでやってたから見たよ。シングルベルだからホールケーキ食べていいかなって。ホールケーキ食べるのって夢だよねえ。あ、コメント来てる。そう、これ。サンタさんと家が乗ってるやつ。チョコだと、もたれそうだから生クリーム。やっぱり夢だった? 独り占めっていいよね。兄弟多いからチョコプレートもサンタさんも取り合いだし、小さいホールだからなんならいちごも人数分ないし。あはは、でも今日は全部一人で食べちゃいまーす。それで食べながら、今日はミステリーキッスの思い出話をしようと思う。ミステリーキッスのデビュー予定の日だったんだから! 特にね、三矢さんの思い出を話したい。ずっとね、考えてなかったの。避けてたわけじゃなくて、なんだかいきなり事件になっちゃって、知らないことが出てくるたびに遠いことになっていって、友達の――そう友達の死っていうふうにね、受け止められていなかったの。それを、話そうと、思います」
言いながら、ホールケーキのど真ん中にフォークを突き刺した。サンタも家もプレートもなぎ倒して、ショベルカーみたいに掘り返してやる。口に入り切らないくらいのかたまりになったケーキを口に運ぶと、やっぱりケーキは口からこぼれた。
「ぅんむ、む、おいひい。あははクリームまみれ、ヤバ。でもこれ最高に楽しいよ。みんな今からコンビニとか行けば売ってるんじゃない? あ、このくまちゃん? かわいいでしょ。今日から配信の仲間にしようと思います。コンニチハ! アタシノナマエボシュウチュウダヨ! コメントシテネ! ……なんてね。私はミステリーキッスに入れたことが凄い奇跡だったと思ってる。普通の、クラスで何番目かに可愛いくらいの、別に器用なわけでもない、頭もよくない、つまんない話しか出来ない人間で、それが二階堂さんとか三矢さんみたいにきらきらした人たちと一緒のグループに居られたから。でね、三矢さんについて、報道で家族とかクラスメイトとかからエピソードも出てるけど、私の知ってる、やさしい三矢さん、かわいい三矢さん、そういうのを話したいと思います」
ケーキをまた掘り返す。サンタをフォークに乗せて、齧る。
齧られたあとのサンタの体はケーキのクリームの上に落下した。可愛い角度やきれいな食べ方、そんなこと全く忘れて顎を前に突き出すようにして食べ進める。
「砂糖のサンタ、初めて食べたけどまずいね。お姉ちゃんは美味しそうに食べてたけどなあ。子供のころの特別感みたいなのあるのかな。あ、くまちゃんの名前書いてくれてる人がいる。しほニ号。ヤバ。くまちゃんは分身じゃなくてくまちゃんだから。ふわふわちゃん。かわいい〜。プーさんちゃん。ヤバ、アウトでしょ。ユキちゃん。あは、ブラックジョークヤバ。あ、スパチャもありがとう。ねえバジャーゲームさん、配信の前にね、やっと調べたよ。美人局って意味だったんだね。ずっとからかって馬鹿にしてたんだね、スパチャまでして。それでいいけどね、別に。あ、いちごおいひい。甘いと酸っぱいが混ざるのっていいよね。もうバジャーゲームさんは私に夢中だし、これからもっと夢中にさせてあげるよ。そうだね、だからくまちゃんの名前も採用してあげる。このこはユキちゃん。ご挨拶しようかユキちゃん。ヨロシクネ、ユキダヨ。
膝に乗せたくまをお辞儀させて、クリームまみれの顔の市村しほが微笑んだ。