Butterfly Effect   作:オルタンシア

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第二話

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目の前に広がる景色を見た時、ジュンはすぐにこれが夢だと認識した。

現実ではあり得ないマーブル模様の背景、地面に足がついているはずなのに背中に当たる柔らかい感触、自分の意思では動かない身体。

夢を見ること自体は、別に珍しいことではない。

夢を夢と、夢の中で認識できる人も少なくはないだろう。

ただジュンがそれを夢だと認識した理由は、上記の理由だけではない。

 

《………………》

 

目の前に佇む、美しい少女。

濃い紫色の長い髪、総てを見透かす海のような蒼い目。

薄らと浮かべている微笑みは、安心や安堵よりも不安を煽る。

知っている、“この子”はそう言う子だ。

周辺が慌てふためいているのを、ケラケラ笑って傍観している、なかなかイイ性格をした“幼馴染”。

真実を知っているのに、それをあえて教えずに周りが退屈しないようにという余計な配慮をして、真実に辿り着くために遠回りをさせたり、真逆の真実に辿り着いても指摘しなかったりと、何度“彼女”に振り回されたことか。

しかし1つ、おかしなことがある。

“彼女”は本来、“幼馴染”と同い年の、14歳のはずだ。

だが目の前にいる“彼女”はどう見ても14歳ではない。

どちらかと言えば弟と同じ、10歳前後の顔立ちのように見える。

確かに最近はあまり会っていなかったが、今年の年明けに送られてきた年賀状に写っていた、14歳の“彼女”を見ているはずなのに、ジュンの目の前にいる“彼女”は10歳ぐらいの女の子だった。

夢から覚めれば、はてなと疑問に思えるだろうに、今は幻さえ本物になってしまう夢であるせいで、ジュンはその奇妙さに気づかない。

 

す、

 

そんな“彼女”が、何故自分の夢に出てきたのか。

考えることは出来ても、行動に移せないジュンの身体は、“彼女”が指し示した方向に、勝手に顔を向ける。

そこには、子どもが立っていた。

3人とも背を向けているため、顔はよく分からない。

しかしその後ろ姿は、ジュンもよく見慣れているものだった。

 

その足元にいる不思議な生き物さえいなければ。

 

1人はジュンと同じ、髪が爆発したように逆立っている男の子。

その隣には、まるで竜の子どものような、不思議な青い生き物がいた。

ジュンから見て左の方、男の子とは別の方向を見つめている女の子がいた。

その足元には、赤い鳥のような生き物。

そして右手側には、真ん中の男の子よりも小さい男の子がいる。

隣に佇む、黄色いアルマジロのような生き物。

“彼女”が指し示した時と同じように、顔が勝手に動いて再び正面を向く。

“彼女”は変わらず、妖艶な笑みを浮かべており、ゆっくりと口を開いて、そして──

 

 

 

 

空は濃紺とオレンジ色で半々に染まっており、夕飯の匂いが漂い始める時間帯。

自室にて音楽を聴きながら宿題をしていたジュンの耳に、ただいまーという弟の大輔が帰ってきた音がした。

自室のドアを開け、リビングを覗き込めば、大輔が母と二言三言会話を交わして、洗面所に入っていった。

一旦自室に戻り、音楽プレーヤーを停止させて、ヘッドフォンを外す。

軽く机の上を片付けて、自室を出れば、烏の行水のように適当に手を洗った大輔が洗面所から出てきた。

 

「お帰り。やけに遅かったわね。今日クラブなかったでしょ?」

 

喉が渇いたのか、大輔は自室には行かずにキッチンへと向かう。

母は鼻歌を歌いながら今日の夕飯を作っていたので、その後ろを通って、冷蔵庫へ。

アタシも何か飲も、と呟くと、それを拾ったらしい大輔は食器棚からジュンの分のコップを取り出してくれた。

冷蔵庫から麦茶を取り出し、2つのコップに注ぎ込む。

1つをジュンに渡し、もう一個は一気飲みして一息吐いた。

 

「あーサッカー部はなかったけど、パソコン部の方がさ。ほら、京部長じゃん?俺、数合わせの幽霊部員だけど、サッカー部ないなら顔出せーって引っ張られて……」

「あらま、だから安請け合いすんなって言ったのよ」

「うん、失敗したかなとは思ってる……」

 

はあ、と溜息を吐いてから、大輔は麦茶を飲み干したコップを軽く洗って、食器ラックに置いた。

自分もコップを洗って同じように食器ラックに置き、キッチンを出て行く。

自分の部屋へと向かう大輔の後を追って、ジュンも彼の部屋に一緒に入った。

キョトンとする大輔。

八神家ほどではないものの、そこそこ仲のいい2人だったが、異性の姉弟と言うこともあって、用事がある時以外で互いの部屋を行き来することはあまりない。

その用事も、大体は部屋に入らずに済ませることが多かった。

歳の差も6歳あるということもあって、あんまりべったりしないから、こうして自分についてきて一緒に部屋に入ってくるのはとても珍しい。

……自分としては、“今”はちょっと都合が悪い。

ランドセルを机の上に置き、中で“出られる”のを待っているであろう存在に、心の中で謝罪しながら、用事をさっさと済ませてしまおうと思い、姉に声をかけようとしたが、姉の方が早かった。

 

「……で?」

「は?」

「ホントのとこはどうなの?今なら母さん達も聞いてないわよ」

「……何言ってんだよ、姉ちゃん」

 

大輔の断りなく、勝手にベッドに座り込んで半目になりながら大輔を見やる姉の言葉に、大輔の心臓が跳ね上がる。

一瞬言葉に詰まったのを何とか取り繕った大輔だったが、ジュンはそんな大輔を気にすることなく、話を続ける。

 

「……夢にさぁ、“あの子”出てきたんだよね」

「っ!?」

「“あの子”だけじゃないわ。アンタも、京ちゃんも伊織くんも出てきた……傍に、不思議な生き物と一緒に」

「………………」

「あれさ、3年前お台場を襲った生き物と同じような感じがしたんだ。でもあの時みたいに、怖いとは思わなかったの、何でか。んで、アンタ昨日の朝は様子がおかしかったのに、帰ってきた頃にはケロッとしてたじゃない?なんかあったんでしょ、あの生き物関連で」

 

じ、と自分を見つめてくる姉の目は、いつになく真剣だった。

“あの子”と言うのは、間違いなく“あの人”のことだろう。

つい先日、“かけがえのない存在”と出会った日に、自分の夢にも出てきた“あの人”。

“あの人”は不思議な人だった。

自分と3つしか違わない、幼馴染と同い年の少女のはずなのに、何処か達観した価値観を持っていて、その癖普段は年上の男の子すら打ち負かすほどパワフルで。

かと思えば、普通の女の子と変わらない繊細なところもあって。

“あの人”には一体何が“視”えているのか、時々呪文にも似た言葉を紡ぐこともあった。

……そんな“あの人”が、自分達姉弟の夢の中に、立て続けに現れた。

これはもう言い逃れはできないな、と悟った大輔は、机の上に置いたランドセルを開ける。

中を覗き込むと、ずっと息を潜めていた“ソレ”が、目をパチパチしながら大輔を見上げていた。

ランドセルに手を入れ、“ソレ”を抱き上げる。

ベッドに座る姉の隣に座って、“ソレ”を見せてやった。

 

『うにゅ?』

「あら、夢で見たのと随分違うけど、なかなか可愛いじゃない?」

 

こてん、と首を傾げるちっこくて青い生き物のほっぺを、ジュンはケラケラ笑いながら指でツンツンと突いてやる。

擽ったかったのか、ちっこくて青いのはうきゃうきゃと笑って、大輔の膝にころりと転がった。

夢に出てきた青いのは、大輔の腰辺りまで大きかったはずだが、これはこれで可愛いとジュンはちっこいのの頬っぺたをムニムニしてやる。

名前はチビモン、というらしく、デジタルワールドという世界の生き物だという。

デジタルワールドにはデジモン、というチビモンのような、人間とは違う独自の生態系を保った生き物が暮らしており、その世界に訪れる資格を持った者には1人につき1体、“パートナーデジモン”と呼ばれるパートナーを得るのだそうだ。

パソコンを介して訪れることが出来る異世界なのだが、誰でも訪れることができる、というわけではなく、特別な道具がないと行けないらしい。

 

「何かよく分かんねぇんだけど、デジタルワールドにいた時は大きかったんだけど、こっちに来てからこの姿になったんだよなぁ。イチ兄とヒーから“せいちょうき”?とか“ようねんき”?とか教えてもらったんだけど、明日もっかい聞こうと思ってる」

「そーしときなさい。何か厄介なことに巻き込まれちゃったみたいだし、必要なことは全部聞いておいた方がいいわよ」

 

デジタルワールドに行くための特別な道具、という手のひらサイズの機械を見せてもらいながら、2人は会話を交わす。

どうやら弟は、自分の想像がつかないような、とんでもない使命のようなものを背負ってしまったようだ、とジュンは何となく悟った。

3年前、お台場に襲い掛かった未曽有の出来事を、ジュンは忘れていない。

あの時、大輔は8歳、自分は14歳だった。

見たことのない生き物に、不思議な力で圧倒され、大人達でさえ抵抗することを許されず、ただ大人しく時が過ぎるのを待っていることしか出来なかった。

その内10歳前後の子ども達が別室へと連れていかれたのだが、目の前で弟を連れ去られたジュンの心に、その時のことがまだ“しこり”のように残っている。

なかなか戻ってこない弟に、ジュンは珍しく取り乱して泣きじゃくっていたのだが、気がついた時には意識を失っており、次に目を覚ました時には総てが終わっていた。

何か大きなものが派手に暴れたように、ビッグサイトやフジテレビを中心とした周辺の建物がぐちゃぐちゃに崩れていたものの、今やその傷跡は何処にも見当たらない。

3年経って、人々の記憶からも風化されつつあるが、ジュンはきっと一生忘れないだろう。

ジュンが今でも気にしている“あの日”の出来事に関係した生き物が、ジュンの目の前にいる。

また“あの日”の出来事が、繰り返されるかもしれない。

 

「ねえ、今日もそのデジタルワールドに行ったんでしょ?何があったのか教えてよ」

 

それでも、それが大輔のやるべきことで、使命だというのなら、ジュンは応援してやるだけだ。

自分はどう頑張っても、大輔を護ってやることが出来ない。

本当はしてほしくない。大輔じゃなくてもいいじゃないって、声を大にして言いたい。

しかし弟の話によれば、幼馴染達も大輔と同じ使命を背負っていると言うではないか。

幼馴染が頑張っているのに、自分は何もしないなんて、大輔がそんなこと耐えられるはずがない。

だったら、自分に出来ることは。

 

「……デジモンカイザー、ね」

「そ。俺、すっげー頭に来ちゃってさ。あいつを何とかしないと、デジタルワールドが大変なことになるんだと」

「アンタも大変ねぇ、サッカーにパソコンにデジタルワールド?時間幾らあっても足りないっしょ」

「……何とかする!」

「お莫迦」

 

計画性のない、見切り発車なところは御愛嬌。

勢いだけは一人前の弟の頭を軽く小突いてやり(その際、チビモンに抗議をされたので、お腹をわしゃわしゃしてやった)、しょうがないわねと溜息を吐いた。

 

「とりあえず、何かあったらDターミナルで連絡しなさい。お母さんやお父さんにはアタシが上手く言っといてあげるから」

「……へい」

 

Dターミナルとは、3年前の“あの事件”で起こった通信障害のことがあって開発された通信機器だ。

対象年齢は中学生以下の、お台場に住んでいる子どもで、D-ターミナルが配布されたのはお台場霧事件の1年後、ジュンが中学3年生の時だ。

その時既にPHS(ピッチ)を持っていたジュンだったが、通信障害のせいで友達と連絡することも叶わず、対象年齢がギリギリだったこともあり、PHSが使えなかった時のためにもらっておいたのだ。

この3年間、障害らしい障害もなく、殆ど出番がないまま押し入れの肥やしになっていたのだが、まさか3年前と同じ存在によって引っ張り出すことになろうとは。

その後の話し合いにより、何らかのトラブルで連絡が取れない可能性もあるので、5時を過ぎても連絡がなかった場合はトラブルに巻き込まれたと判断して、両親に誤魔化してもらう、という算段になった。

 

 

 

 

 

 

暗闇の中で揺蕩っていた意識が、浮上していくのを感じる。

まだ眠いのに覚醒していく意識を苛立たしく思いながら、大輔は再度暗闇の中に意識を沈めようと何度か寝返りを打ったが、一度浮上してしまうと再び潜るのは難しい。

うっすらと、しかし確実に、瞼は開かれてしまった。

“眠い”と“起きた”が半分ずつ同居している中で、大輔は頭上にあるはずの時計を見やる。

針の先に塗られた蛍光塗料が指し示しているのは、2と3の間と、6の数字を少し過ぎたあたり。

窓の外も、まだまだ星達が囁いている頃だ。

このまま半覚醒状態が続いたら、明日の授業で大変なことになってしまう。

チクショウ、と心の中で悪態を吐いたと同時に、ふと何かが聞こえた。

何かを堪えるような、啜るような音。

耳を澄ませてみれば、それは大輔のすぐ後ろから聞こえてくる。

まさか、と一瞬身体を強張らせたが、“それらしい気配”を感じないので、ほっと胸を撫で下ろす。

ならば誰だ、と大輔は意を決して寝返りを打ち、後ろを振り返った。

 

『ひっく、ひっく……』

 

薄暗い部屋の中、ベッドの片隅で、小さくて青い陰が泣いている。

小さな身体を小刻みに震わせ、しゃくり上げているのは、つい昨日その存在を知った命、チビモン。

どうしたんだ、と両親を起こさないように声を潜めながら訊ねれば、ビクッと一際身体を震わせ、恐る恐ると言った様子でこちらを振り向いた。

愛嬌のいい顔を歪ませ、大きな赤い目からぼたぼたと沢山の水分が溢れていた。

ギョッとなった大輔は、布団を蹴り飛ばす勢いで起き上がり、チビモンを抱き上げた。

 

『ぅう~……!』

「どっ、どうしたんだよ、チビモン?」

 

べしょべしょとぐずっているチビモンをあやすように、大輔はチビモンの背を摩ったり軽く叩いたり、身体を上下にゆすったりして見たが、チビモンが泣き止む気配はない。

それどころか、

 

『ひっ、うっ……だっ、だいしけぇ……!お、おりぇ……!おりぇ、ここにいる?ちゃんと、ここにいる?』

「……は?」

『だいしけはっ、ひっく、ここにいる?ゆっ、ゆめじゃ、ゆめじゃない、ひっく、よね?』

「………………」

 

ひ、ひ、と喉を鳴らしながら、チビモンはそんなことを言いだしたので、大輔は硬直してしまった。

 

『おりぇ、ここにいる?ちゃんといる?だいしけはここにいる?あれ?ここってなんだっけ?なんで、おりぇ、ここにいるんだっけ?おりぇ?おりぇってだれ?』

「お、おい、チビモン!?」

『こわいよぅ、こわいよぅ、まっくらやだよぅ、ううっ、うぇええ~ん……!』

 

何があったのか、大輔は知らない。

だってチビモンのことも、ブイモンのことも、デジタルワールドのことも、隣り合わせの世界と命を知ったのは、つい一昨日のことなのだ。

だからブイモンがどういう生き物で、何が好きで、何が嫌いなのか、何も知らない。

知っているのは、大輔を待って、あの洞窟の中で眠っていたということだけ。

デジメンタルと呼ばれるアイテムを使って、炎の力を使う竜人となり、デジモンカイザーに操られて襲ってきたデジモンに、果敢に攻めていったことだけ。

……チビモンが何に怯えているのか、大輔は何も知らないのだ。

 

「……大丈夫だよ、お前はちゃんとここにいる。ここは俺の部屋だ。俺は、お前のパートナーの、大輔だ。言っただろ?会いたかったって。何度でも言うよ。会いたかった、チビモン」

『ひっ、ひっ……こ、ここ、だいしけの、へや?だいしけ?おりぇの、ぱーとなーで、ぱーとなーって、なんだっけ?ゆめ?ほんと?どっちがゆめ?どっちもゆめ?わかんない、わかんないよぅ……』

「こっちが、本当だ。夢なんかじゃねぇ。大丈夫だから……」

 

大輔はチビモンを抱き上げたまま、ベッドから降りる。

譫言のように何度も同じことを呟くチビモンを落ち着かせてやろうと、優しく背中を擦りながら、大輔は一昨日のことを思い出した。

夢に出てきたチビモンことブイモンと、“あの人”が言っていた言葉。

“助けてやって欲しい”、と“あの人”は言っていた。

デジモンのことも、デジタルワールドのことも、幼馴染の兄妹からの又聞きでよく分かっていなかったし、ブイモンがデジモンだということもすぐには結び付かなかった。

だが運命の日、同い年の幼馴染と親しい様子の男子が転校してきた、一昨日のこと。

3つ上の幼馴染から送られてきた、意味深な文章が書かれたメール。

それを見て顔色を変えた同い年の幼馴染とその仲間達の様子から、大輔は色々と察した。

てっきりブイモンが困っているのだと、“あの人”が言っていたのはこのことなのだと思って、無理やりにでも連れて行ってもらおうと懇願した。

ダメなのだろう、と言うことなど、そんなことはとっくに分かっていたことだ。

ダメではなかったら、最初から大輔だって幼馴染の兄妹やその仲間達と同じように行けたはずだ。

しかしそんなものは、大輔にとって何の理由にもならなかった。

だって夢で“あの人”が言っていたのだ、“助けてやって欲しい”と。

未知の世界へ足を踏み入れる理由など、大輔にとってはそれだけで十分だった。

 

結局、大輔は幼馴染の兄妹とその仲間達と同じ“証”をもらったことで、デジタルワールドに行くことが出来たのだが、予想に反して困っていたのはブイモンではなく、デジタルワールドという世界そのものであった。

洞窟の中で眠っていたブイモンと出会い、後は知っての通り、無我夢中だった。

総てが終わってから、何かとんでもないことに巻き込まれたなぁと頭を抱えたけれど、持ち前のポジティブシンキングで、まあいいかと深く考えないことにした。

 

しかし世界は、運命とは、大輔が思っていたよりもずっと残酷で、無慈悲だった。

 

次の日、デジモンと出会ったことを羨ましがった1つ年上の幼馴染と、2つ下の弟分も同じように選ばれたということで、2度目の訪問を果たしたが、少し浮かれていたのは否めない。

そのせいでデジモンカイザーに捕まって、危うく得たばかりのパートナーを奪われるところだった。

同じようにパートナーと出会った1つ上の幼馴染と、2つ下の弟分のお陰で事なきを得たものの、大輔は改めて“選ばれし子ども”と言う意味と重みを知った1日となった。

同時に、ブイモンの気持ちも少しだけ分かった。

デジモンカイザーに囚われ、パートナーを奪われかけたあの時、ブイモンは言っていた。

大輔が来るのを、ずっとずっと待っていたと。

あんな状況でも、ブイモンは諦めなかったし、気丈に振舞っていた。

あの時はデジモンカイザーに対する怒りと、ブイモンに迫る危機への焦りで、ブイモンの言葉をそこまで深く考えていなかったが、今。

こうして泣きじゃくって、だいしけだいしけって縋ってくる小さなパートナーを見下ろしながら、あの言葉の意味を大輔は考える。

ずっとずっと、ブイモンはあの暗い洞窟の中で、大輔が来るのを待っていたと言っていた。

大輔がデジモンのことを、ブイモンのことを知ったのはたった一昨日のことだったけれど、ブイモンはどれだけの時間を、あの洞窟で過ごしていたのだろうか。

何も知らないから、想像することすら大輔には出来ないけれど、この取り乱しようから見ても、少なくない年数であることは何となく分かる。

しかし飽くまでも“何となく”であり、大輔の主観でしかない。

自分達は出会ったばかりだ。これから先に待っているものが何であれ、大輔はブイモンと、仲間達と力を合わせて立ち向かっていかなければならない。

いつの日か、今のチビモンを苦しめているものが立ちはだかって、足踏みをしてしまうかもしれない。

そんな時に、チビモンのことは何も知らないので、何もできません、では話にならないのだ。

 

……知りたいと思った。

 

知らなければならないと思った。

 

チビモンが抱えているものを、背負っているものを。

自分がこれから担っていく運命も、総て。

 

「………………」

 

少しずつ治まってはいるものの、チビモンは未だにしゃくり上げている。

ぎゅ、と大輔のパジャマを掴んで離さない。

うとうとしては、は、と我に返るように震え、ぶんぶんと何度も頭を振っているのは、再び暗闇の中に身を投じたくないからだろう。

大輔はチビモンを抱え直すと、そっと足音を忍ばせながら、ドアノブに手をかけた。

両親や姉を起こさないよう、ゆっくりとドアノブを下ろす。

カチャ、とドアのラッチがやけに大きく響いて、大輔は意味がないと分かっていても息を止めてしまった。

先ほどよりも更に動きをゆっくりにして、大輔はドアを開ける。

ほんの数センチだけ開けて、リビングが暗いことを確認した。

姉ならまだしも、両親がトイレとか喉が渇いたとかで起きてきたら、誤魔化しようがない。

大輔は自分の身体が通るぐらいの隙間を開けて、滑り込ませるように自室を出る。

背を扉に預けるようにそっと扉を閉めて、大輔は更に息を潜めて窓辺へと歩み寄った。

チビモンは未だにぐすぐす言っている。

片手で抱え直し、窓の鍵に手をかけ、これもそっと降ろした。

静かに、時間をかけて窓と網戸を開ける。

1、2分ほどかけて開けた窓の外に置いたサンダルに足をつっかけ、ベランダに出た。

ひょお、と春の肌寒い風が、大輔の頬を撫で、ボサついた髪の毛がふわふわと靡く。

さむ、と呟き、チビモンを抱え直して、手すり壁の方へ。

ベランダから覗ける東京港、そこにかかったレインボーブリッジは、真夜中だというのに煌々と明かりが灯っていた。

空を見上げたが、思った通り、レインボーブリッジや街明かりのせいで星が見えない。

大輔が小学校に上がる前まで住んでいた場所では、田舎とも都会とも呼べない中途半端なところだったが、そこでは星が見えていたのにな、と幼い頃に見上げた星空を懐かしく思いながら、大輔はゆっくりと息を吸い込んだ。

 

「♪~♪♪~~♪~~」

 

紡ぎ出される音は、お世辞にもうまいとは言えなかった。

言葉はなく、ただ音がリズムに乗っているだけの歌で、春の少し肌寒い夜の風に運ばれる。

ぐすぐすと鼻を啜っていたチビモンは、突然歌いだしたパートナーを、キョトンとしながら見上げた。

 

「♪♪~~」

 

大輔は歌う。

座学と同じ、得意とは言えない音楽の授業は、5段階評価なら2の成績だが、この歌だけは自信があった。

同い年の幼馴染と一緒に、子守歌替わりに聞いていた歌。

今でも手持無沙汰になったり、作業に集中していたりすると、気が付くと口ずさんでいる時がある。

傍に同い年の幼馴染がいれば、一緒に乗ってくれる時もある、大輔にとってとても大切な思い出のメロディー。

だからチビモンにも聞かせてやりたいと思った。

チビモンのことをもっと知りたいのなら、自分のことももっと知ってもらわなければ。

週末になったら、チビモンと沢山話そう。

そうだ、どうせなら仲間達も呼ぼう。

これから始まるであろう冒険をともに歩いていくのだから、親睦会を開くのはいいかもしれない。

 

「♪~……」

 

最後の一節を歌い終え、大輔は目を閉じながら、ふうと息を吐いた。

一拍置き、目を開けて腕の中のチビモンを見下ろせば、目元を赤く腫らしながらも、静かな寝息を立てて眠っていた。

落ち着いたようで安心した、と大輔は再度溜息を吐く。

ひゅう、と風が吹く。

途端に、大輔は寒さを感じて、全身を震わせた。

歌っている時は気づかなかったが、春の夜は思っていた以上に寒かった。

このままでは明日風邪を引いてしまう、と大輔は急いでリビングに入る。

からからから、と窓を静かに閉めて鍵をかけ、念のため洗面所に行って手を洗ってから部屋に戻った。

起きた時に布団を捲ったままにしてしまったせいで、自分の体温で温まっていたはずのベッドのクッションはすっかり冷えていた。

くそ、と小さく悪態を吐きながらも大輔は眠ってくれたチビモンをそっとベッドに置き、自身も横たわった。

春の夜風で冷え込んだ身体を温めるために、口元まで布団を被ってからチビモンを抱き寄せた。

少しだけ強張っていたチビモンの身体が、大輔の手が添えられた途端ふっと力が抜ける。

……なあ、チビモン。

 

「お前は一体、何を背負ってんだ……?」

 

夢の中の“あの人”は、《助けてやって欲しい》と言っていた。

赴いた世界で垣間見た危機に、ブイモンではなくこの世界のことを言っていたのかと思っていたが、きっと違う。

《助けてやって欲しい》というのは、両方を差していたのだ。

デジタルワールドのことも、チビモンのことも、どっちも助けてやって欲しいと。

何故“あの人”がそう言ったのかは分からない。

ただの夢、で片づけられない内容だからこそ、夢に出てきたのが何故“あの人”なのか。

3年前からデジモンのことを知っている幼馴染の兄妹なら、まだ理解できる。

しかしその幼馴染の兄妹も、デジタルワールドの危機を知ったのは一昨日のこと、自分がチビモンと初めて出会った時だ。

チビモンのことだって知らなかったのだから、《助けてやって欲しい》と夢の中であっても言ってくる理由はない。

が、デジモンのこともデジタルワールドのことも知らないはずの“あの人”が出てくる理由も、もっとない。

確認したくとも、デジモンの存在は秘密だから、むやみに連絡をとることも出来ない。

……そこまで考えて、止めた。

例え夢に“あの人”が出てこようが、夢でチビモンのことを知ろうが、夢は夢でしかないのだ。

やらなければならないこと、考えなければならないことは、夢のこと以外に沢山ある。

最優先すべきは、あの世界の危機を退けることだから、一旦夢のことは置いておこう。

 

 

……朝寝坊しませんように、と願いながら、大輔は暗闇の中に意識を沈ませた。

 

 

 

 

 

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