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時は2002年、7月30日。
その日のFCGビル内は、いつも通りであった。
昼間には賑わっていた展望台も、観光客はまばらになり、ぽつぽつと帰り始めている。
フジテレビの社員も、事務などの仕事をしているスタッフは帰宅の準備を始めているが、テレビスタッフはそうもいかない。
それぞれが担当している番組の編集作業に追われているからだ。
音響を入れたり、映像を切り張りしたり、とやることは沢山ある。
3時間取った映像が1時間に短縮される、なんてのもよくあることで、せっかく撮った面白い映像を泣く泣くカットしたり、どの映像を何処に持っていくかで他のスタッフと揉めたり……とにかく、よくある日常の一コマを、スタッフ達は過ごしていた。
その日、フジテレビの番組スタッフである地岡は、ディレクターとしての初仕事で撮った映像の編集をしていた。
番組名は「ふしぎ世界 ビリーブ・オア・ノット」という、いわゆる世界の謎やミステリーを特集したバラエティ番組で、今回放送するのが第1回目なのだ。
ディレクターになって最初の仕事、ということで地岡の気合の入れようと言ったら、知っている者が見れば苦笑するほどに入れ込んでおり、編集画面を見る目も真剣であった。
リポーター役の俳優が、いかにもという冒険スタイルの帽子を被っている。
何か……鳥のような影が画面を横切り、俳優の頭をスレスレで飛び去ったシーンの編集が終わり、場面は次のシーンへ。
「地岡ちゃ~ん。これってお祓いとか行ったの?」
年上の同僚が、地岡の指示通りに編集しながら、そんなことを言い出した。
「?いや、別に……何でです?」
「何か、こういうミステリー番組って、よく変なことが起こるじゃない?」
「変なこと?」
「幽霊とかがVTRに映っちゃってたとか」
そう言って茶化してくる年上の同僚の戯言を、地岡は煙草を咥えながら笑い飛ばす。
「あはははっ!この番組でそんなことあるわけ……っ!?」
しかし、地岡の言葉が最後まで紡がれることはなかった。
編集画面を見た地岡の顔から血の気が引き、咥えていた煙草がぽろりと落ちる。
ぱくぱく、とまるで酸素や餌を求めた金魚のように、口だけを動かして言葉が出てこない。
不思議に思った同僚が編集画面に目を戻すと……。
「…………っ!?」
「あ……あぁ……っ!!」
2人の声にならない悲鳴が、部屋の中だけに響いた。
8月1日は太一達にとって、何にも代えがたい日である。
時に仲間とぶつかり、時に励まし合い、何度も死の淵に立たされながら、誰も知らない世界で大冒険を繰り広げた。
かけがえのない相棒とも出会った。
2つの世界を巻き込む大事件を、たった8人と8匹で解決した後は離れ離れになってしまったが、それでもあの世界で出会ったかけがえのない相棒達のことを忘れることは出来ず、毎年8月1日にはみんなで集まって、あの世界での冒険の思い出話に花を咲かせていた。
その度に、相棒に逢いたい、もう1度あの世界に行きたい、と誰かしらそんなことを零していた。
そして。
新たなる脅威が現れたことで、新たに選定された子ども達のお陰で、デジタルワールドを自由に行き来できるようになり、相棒とも再会することが出来るようになった今年も、太一達は8月1日に集まることとなった。
最年少だったタケルも、途中参加のヒカリも、当然その集まりに参加する。
だから明日はデジタルワールドに行けない、と言うと、京がいーなーいーなーって羨ましがるものだから、タケルはせっかくだから3人も一緒に行こう、と誘ってくれた。
「楽しみだなぁ。デジタルワールドとかデジモンとか、断片的にしか聞いてねぇし、どんな冒険したんだろ」
『おりぇもたのしみ~!』
帰り道。
タケルと京、伊織とは途中で別れ、大輔とヒカリはそれぞれのパートナーを胸に抱いて家路につく。
あの冒険のことは、太一からもヒカリからも少しだけ聞いていたし、大輔はヒカリと同じで“色々視える”ため、他の2人よりは知っているものの、詳細までは教えてもらってはいない。
大輔がデジモンを知ったのは、8月2日から3日にかけて起こった“お台場霧事件”にて、デジタルワールドから現実世界を侵略しようと侵攻してきたデジモン達によって囚われた時だ。
両親も姉も、小さな大輔を護ろうと奮闘してくれたが、圧倒的な力の前に成す術もなく、無理やり別室に連れていかれた大輔を、ただ見送ることしか出来なかった。
連れていかれた別室には、大輔と同じような年齢の子や、お姉ちゃんより年下の子、小学生ぐらいの子ども達が集められており、無理やり並ばされて誰かの前に連れていかれた。
その誰かによって1人、また1人と列から外れていったのだが、まさかその誰かが隣を歩く幼馴染の女の子のパートナーデジモンなんて、誰が思うだろうか。
「思えば俺達、あの時逢ってたんだな」
『全然気づかなかったな……まあ、仕方ないと言えば、仕方ないんだが……』
あの時テイルモンは、取り戻した記憶によってヒカリを護ることに必死だった。
その上、大切な友人であるウィザーモンも、敵によって行方不明になってしまっていたため、色々テンパっていたのだろう。
そもそもほんの一瞬の出会いだったため、覚えている方が珍しい、と言うべきか。
『それで、タイチたちからはなしをきいたのか?』
「んー、まあな。あの後急に眠くなって、んで目が覚めたら空が大変なことになってて……」
空に映し出された、もう1つの世界。
“時たま視えていた不思議な生き物”と、“不思議な生き物と共に戦っている幼馴染と仲間達”。
お姉ちゃんと両親は、空に映った逆さまの世界しか見えていなかったようだったが、大輔にはちゃんと視えていたのである。
「ふふ、あの時のお兄ちゃん、今思い出してもおかしかったなぁ」
ヒカリが思い出し笑いをする。
全部終わった後、アグモン達との思い出に浸る間もなく、突撃してきた大輔によって質問攻めにあい、太一はタジタジだった。
空や光子郎に助けを求めていたが、2人とも大輔については完全に太一に丸投げしていたので、合掌されて見捨てられた時の、太一のあの顔は今思い出しても笑えるものである。
見かねたヒカリが、太一から大輔を引きはがして、代わりに説明してあげたことも。
「あん時は、すみませんでした」
「私も同じ立場だったら、ダイくんと同じことしたと思うから、大丈夫、大丈夫」
当事者であったとは言え、質問攻めにしたのは申し訳ないとは思っている、と大輔はヒカリに頭を下げる。
ヒカリは大輔の背中を軽く叩きながら、気にするなと言った。
「…………今年は行けそうにねぇな」
「……そうだね」
じっとりと纏わりつく、夏の空気。
その空気を裂くように歩きながら、大輔はぽつりと呟いた。
その言葉の意味を理解しているのは、その場ではヒカリだけだ。
先ほどまでの明るい表情は鳴りを潜め、少し寂しそうな笑顔を浮かべている。
ヒカリに抱かれているテイルモンは、そんなヒカリの顔を下から見ていた。
『だいしけ?』
『ヒカリ?』
2人は答えない。
答えない代わりに、頭を撫でてくれた。
それも嬉しいのだけど、でも大切なパートナーがそんな表情をしている理由を知りたかった。
でもきっと、2人は答えてくれないだろう。
「……来年、行くか」
「来年?」
「おう、来年。きっと今年いっぱいは、忙しいと思うんだ」
「ダイくんが言うなら、多分そうなんだろうね」
「変なところ勘がいいから、やめろってイチ兄にもよく言われっけど、こればっかりはなぁ~」
「ふふ、そうだよね。どうにもならないよね」
「……来年、行こう。“あの人”に隠し事とか、したくねぇし」
「テイルモン達のことも紹介したいもんね」
2人にしか通じない会話を繰り広げる大輔とヒカリに、何となく面白くなく感じたチビモンとテイルモンは構えと訴えるように、それぞれのパートナーの顔に飛びついたのだった。
毎年、8月1日から3日の3日間、皆で集まって思い出話に花を咲かせた後、タケルはヤマトの家に泊まりに行っている。
両親の仲たがいによって離れ離れになってしまったヤマトとタケルは、それまでも定期的に会ってはいた。
しかしそこに両親が揃うことはなく、またタケルが父と兄の住むマンションに行くだけで、ヤマトが母とタケルの住むマンションに来たことは、これまで1度もなかった。
それが3年前の事件を機に、ほんの少しだけ状況が変わった。
あれだけ頑なに逢うことを避けていた父と母が、ヤマトとタケルが繰り広げた大冒険を見守っていた中、ほんの僅かだったが和解したのだ。
今でも互いにギクシャクしてはいるものの、定期的な面会で、数回に1度は4人揃って何処かに出かけたり、少し高級なレストランで食事をするようになった。
去年なんかは、母と2人で父と兄が住むマンションへ行き、数日だけお泊りもした。
家族仲良く、みんなで暮らしていた時みたいで、タケルはとても喜んだ。
そして今年、母は何を思ったのか、拠点をお台場に移した。
何かあった時のために、とか、パソコンさえあれば仕事場になるから、なんてごちゃごちゃ言っていたけれど、多分母の中で父に対するわだかまりとか怒りとかが、ほんの少しだけ薄れたのだと思っている。
始めは純粋に嬉しかったのだが、しかしデジタルワールドに再び選ばれし子どもとして選ばれた今、徒歩圏内に仲間達がいるというのはとても助かる状況だった。
3年前の事件で、母にはデジモンのことは話してあるし、父も結構がっつりデジモンと関わってしまっているので、何かあったとしても事情を誤魔化さなくて済む。
他の子ども達のように、デジモンをこそこそ隠す必要がないのは、とても気楽であった。
いつ来ても散らかっている、父と兄が暮らすマンションの一室。
兄が夕飯を作っている間に、床に投げ出されたTシャツ類を洗濯機に放り込み、ダイニングテーブルに出しっぱなしの食器をシンクへ置き、手持無沙汰に待っていれば、出てきたのはカレーだった。
日本が誇るカレーの固形ルーに混ぜ込まれた、スパイスのいい匂いがする。
いただきます、と両手を合わせて、一口食べて悲鳴を上げた。
辛い、辛すぎる。
幾ら辛口のカレーでも、ここまで辛くないはずなのに、と思って兄を見れば、にやにやとした悪戯っ子の笑みを浮かべていた。
お兄ちゃんが作るものなら何でもいい、と言ってしまったことが、どうやら仇になったようだ。
3年前なら大泣きして食べれないと喚いていただろうが、小学5年生になった今、男の意地というものが出てきたタケルは、何度も水をお代わりしながら、何とか完食した。
「ごっ、ごちそうさま……っ!父さん、いつもこんなの食べてるの……っ!?」
舌が痛い、ひりひりする。
パタモンが食べなくてよかった、と思いつつ、空になったコップを叩きつけながら、恨みがましい目を兄に向けた。
笑いを堪えて肩を震わせたヤマトは、首を横に振る。
「いや、今日は特別。タケル様ご招待スペシャルディナー」
「スペシャル……!?普通でよかったのに……!」
どうやらタケルのために張り切って作ってくれたらしいのだが、それにしたって辛すぎだ。
呆れた眼差しをヤマトに向けるが、ヤマトは全く悪びれる様子はなかった。
「そういう訳にはいかんだろ。1年に1度の夕べなわけだし、七夕の織姫と彦星みたいなもんなんだから」
「織姫と彦星が聞いたら怒るよ……?」
祖父譲りの日本人離れした容姿のお陰で、肩を竦める大げさなジェスチャーが様になっているが、言っていることで台無しである。
頭を抱えて兄の言葉に突っ込みを入れた直後、玄関の扉が開く音がした。
父が帰ってきたらしい。
お帰り、と明るく迎え入れるも、父は元気がなかった。
と言うより、憔悴していた。
疲れた様子でどっかりと椅子に座るなり、大きな溜息を吐いて頭を抱える。
あからさまなその態度に、ヤマトは眉を顰めながら、ぶっきらぼうに何だよ、と問いかけると、
「こう、廊下を歩いている人がいたらどう思う?」
何て変なことを聞いてきた。
その姿勢が猫背で、何処か草臥れているような恰好だったので、兄弟はますます変な顔をしてしまった。
「どうって……何処行くんだろうなー、とかさ」
「そうだよな?思うよな?で、こうさ、覗き込むわけよ。何処行くんだろうなーって。するとさ……」
「すると?」
「今人が歩いてたと思った廊下に……」
誰もないんだよ……。
意味ありげに声を潜める父を変だと思いつつも、タケルは言う。
「最初に人がいると思ったのが、錯覚だったんでしょ?」
「そうだよなぁ……錯覚だよなぁ……」
至極当然の考えを言えば、父も一瞬は納得する。
しかしそれでも腑に落ちないのか、今度は別の質問をしてきた。
「じゃあさ、これはどう思うよ?いいか、編集している画面に映したはずのない影が映ってる……」
「収録した時に気づかなかっただけだろ?」
それも当然の返答である。
付き合ってられない、と言いたげの声色のヤマトに気づかずに、父は続ける。
「そう?そう思う?」
「そうでしょ、普通」
「そうだよなぁ……そうだといいなぁ……」
腕を組み、表情をしかめる父を見て、タケルはようやくピンときた。
父が言っているのは、もしかして。
「何、幽霊騒ぎ?」
ちょっとだけ、声が浮足立っているのは内緒だ。
兄からは呆れられたような目を向けられたけど。
「そうなんだよ……それが1人2人だったら錯覚で済むんだけどな?10人20人になると、こんな……」
はぁああ、って海よりも深そうな溜息を吐く父。
フジテレビに限らず、何処のテレビ局も夏になれば心霊特集が組まれるものだ。
父が担当しているのは報道番組なので、心霊特集を撮ったことはないものの、やはり仕事柄そう言った話は自然と耳に入ってくる。
番組が作られる前と後で、その番組制作に関わったスタッフはもれなく全員が近くの寺や神社でお祓いなんかを受けるし、父もそんなことは百も承知のはずなのだが……どうやら今回はこれまでのものとは少し毛色が違うようだ。
「父さん、そのMD何?」
気の毒に思いながら、ふとテーブルを見やると、買ったばかりと思われるMDプレーヤーが鎮座していた。
音楽鑑賞の趣味なんてあっただろうか、と思いつつ尋ねると、どうやら職場の同僚がコピーしてくれたお経のカセットらしい。
気休めに聞いているらしいのだが、さっぱり効果がないようだった。
そんなものに縋るほど参っている様子の父を、しかしヤマトは莫迦莫迦しい、と切り捨てた。
3年前、かけがえのないパートナーと出会い、誰も知らない世界で見たこともない生き物を沢山見てきたヤマトにとって、幽霊なぞ恐怖の対象にもならないのである。
姿を見せない幽霊なんかより、命を奪うほどの高威力の技を持つデジモン達の方が、ヤマトにはよっぽど怖いのだ。
この話は終わりだ、とでも言うように、さっさと退散してしまった兄の背中を見て、タケルは風呂に入る、と気まずそうに足早で退散する。
冷たいなぁ、と、3年前の2人ならきっと怖がりながらもきゃあきゃあ言って、父に話をせがんできただろうに、なんて幻想を抱きながら、長男が用意してくれていたカレーを一口。
今日のカレーは一味違うことを言い忘れていたことをタケルが思い出したのは、父の悲鳴が響き渡った時だった。
フジテレビの前身とも呼べる富士テレビが設立されたのは、1957年のことである。
放送が開始されたのは2年後の1959年3月1日、東京都で4番目のテレビ局として開局した。
その時の本社はお台場ではなく、現在の新宿区河田町に当たる、新宿区市谷河田町と言うところにあり、現在の特徴的な球体の展望台が有名なビルが建設されたのは1996年。
今からたった6年前のことだ。
それから3年後、今から3年前、フジテレビのビルを中心として、お台場が謎の霧に包まれ大規模なネット障害が起きた、通称“お台場霧事件”にて、お台場は壊滅寸前にまで追い込まれた。
その事件が、異世界からやってきた人間とは違う生き物が、たった1人の人間の少女を抹殺するためだった、ということを知る者は殆どいないだろう。
8月2日。
放映を明後日に迎えた、地岡のディレクターとしての初めての番組を、地岡と同僚は目の下に隈を作りながら、穴が開くほどに見つめる。
今度こそは、と願いながらリポーターがジャングルの中を歩くシーンには、願い虚しく不気味な影が映ったままだ。
これで何度目だろう、と2人は脱力する。
2人がその影に気づいたのは、今から3日前の7月30日だ。
少々オカルトめいた内容の番組だったのだが、幽霊と言うよりもUMA寄りの内容だったため、いつもなら行っているお祓いを地岡はサボったのだ。
そのせいなのかは分からないが、シーンに映った謎の影は、テレビ業界に長く勤めている者も首を傾げる、変な影であった。
まず、動きに規則性がない。
何度再生しても、影はその度に違う動きを見せる。
オンエアまで1週間を切ってしまっているし、そもそもロケ地はアメリカだし、今から取り直しなんて絶対に無理だ。
また、異変は地岡が担当している番組だけではない。
これから放映を控えている、フジテレビ内の全ての番組に、謎の影が映っていた。
そして地岡の番組と同じく、再生するたびに違う動きを見せる。
すわ呪いか、と一部のスタッフが震えあがるが、3年前の事件で破壊されたFCGビルは今年建て直しが終わったばかりだ。
導入された機材だって新しいものばかりだし、この辺りで死亡事件や事故もまだ起きていない。
いわくつきの怪談だって聞いたことがない。
しかし実際、奇妙な影は映りこんでしまっている。
スタッフ総出で原因を追究しているが、まるで手がかりがなく、お手上げ状態だという。
「このままじゃ埒が明かないよ。明後日だろ、この番組!?」
「んなこと言ったって、このままオンエア出来んでしょ!?」
「んだぁああああ!!どうしたらいいんだ!!」
2人とも3徹目に突入しているせいか、テンションもおかしい。
苛立つ気持ちも抑えられず、解決法も見当たらず、頭を抱えるしかなかった。
地岡なんぞは、ディレクター初仕事なのに!めちゃめちゃ凝って撮ったのに!!と人目も憚らず泣きながら喚いている。
「やっぱ流しとこうか?お経」
そんな2人に、マイペースに声をかけてきたのは、櫻田である。
心を落ち着かせるためにお経を聞く、と言う一風変わった趣味を持つ櫻田だが、実はその趣味のお陰で、3年前に窮地を脱したことがあった。
仕事で忙殺されて、その時の出来事も記憶の彼方ではあるが、彼は益々お経のありがたさにのめり込み、今回の幽霊騒ぎでも自分がいつも聞いているお経のコピーを社員達に配り歩いていたし、今もMDコンポを片手にノイローゼ気味になっている個所を回っていた。
「お前……MDに変えても聞くのはそれかよ……」
「この際何でもいい!試してみようぜ!」
「ええ……」
地岡の悲鳴を聞いて駆けつけてきてくれたことは嬉しいが、櫻田が見せたMDコンポに、地岡の口元が引きつる。
が、色々限界だった同僚は、藁にも縋る思いで櫻田の提案に乗った。
嬉々としてMDをセットし、再生ボタンを押すが、そこで更なる異変に襲われることになる。
「……あれ?音出ないよ?壊れてない?」
「ええ?そんなはずは……このMDデッキ買ったばかりなんすよ?」
《……ぇ~~ぃ~~ぅ~~ぉ~~~~………》
お経は、流れなかった。
その代わり、低く不気味な音が流れた。
ギョッとなる3人。
随分変わったお経だな、と同僚は口元を引きつらせながら櫻田に言うが……振り返った櫻田の顔は真っ青だった。
「ち……違います……!このデッキから出てる声じゃありませんよ……!
スピーカーに耳を近づけたから分かる。
ノイズも音も、スピーカーから全く聞こえてこない。
それなのに不気味な声が部屋中に響いている。
それは、つまり……。
事態は急展開を迎える。
幽霊騒ぎとしてフジテレビ内のみで騒がれていた現象を、フジテレビで働く父を持つヤマトとタケルは、会話のネタとしてそれを聞き流してしまったため、まさかそれが自分達に関係するものだなんて思ってもいなかった。
3年前の8月3日、長いようで短かった束の間の休息の、最終日。
最後の仲間だったヒカリとテイルモンを護るために、子ども達が総動員で敵と戦いを繰り広げたFCGビルに、12人は来ていた。
8月1日は12人みんなで集まって、3年前の冒険の詳細を聞いた。
次の日の8月2日は、各々行きたいところややらなければならないことを優先した。
そして今日、8月3日。
その日も、8人の子ども達にとってはとても忘れられない日であったため、大輔達を含めた12人でFCGビルにやってきたのである。
ヒカリの腕には綺麗な花束が抱えられていた。
それ何、と大輔が尋ねたら、ちょっとね、と曖昧に微笑まれて返されたので、それ以上追求はしなかった。
12人がフジテレビに到着したのと同時に、空模様が変わった。
灰色の雲が、青い空を覆い隠すように現れたのである。
一雨来そうだな、と誰かが言った時だった。
ピシャアアアアアアアアアアアン!!
強い音と光が、灰色の雲から降ってきたかと思うと、FCGビルを包み込んだ。
ギョッとなる子ども達。
雷が落ちたのだと気づいたのは、FCGビルの明かりが全て消えたのを確認した時である。
しばらくすると、ビルで働いている人達や観光客、見学者などが、警備員に誘導されながらビルから出てきた。
恐怖や焦りで慄いた悲鳴を上げながら逃げてきた人たちを、子ども達が呆然と見つめていると、テイルモンが突然走り出した。
逃げ惑う群衆の波を逆らいながら、ビルの中へと入っていくテイルモンの後を、子ども達は追う。
もう殆どの人が避難したのか、すれ違う者は誰もいない。
エスカレーターや階段を駆使して登っていくテイルモンは、デジモンなだけあって疲れる様子を見せなかった。
運動部に所属している子ども達ですら息を切らしているというのに、ヒカリが待って、止まってテイルモン、と何度も呼びかけているのに、テイルモンは一心不乱に走る。
数分後、辿り着いたのは球体が特徴の展望台。
観光客や見学者がいなくなり、がらんどうとなった展望台にぽつんと佇む、1台のパソコン。
スリープ状態となっていたパソコンが、突如として起動する。
そこで子ども達が見たのは、半円状の天井をぐるぐると回る謎の影。
その影に連動して、パソコンに文字の羅列が走ったり、机や椅子がガタガタと動いたり、机の上に置かれたチラシが風もないのに散らばった。
ここでようやく、ヤマトとタケルは父親が言っていた幽霊騒動が、気のせいの類ではなかったのだと気づいた。
『アタシは……っ、ここよっ!!』
唖然とする子ども達を他所に、テイルモンがその影に向かって叫ぶ。
『もういい!アタシは、ここよっ!』
再度、テイルモンは呼びかける。
その声色は、何処か切なげであった。
『これは、デジモンのしわざだっ!』
そう言うと、チビモンは大輔の腕から飛び出す。
その表情は険しく、ウパモンとポロモンも同じように興奮しながら影を睨みつけていた。
『そうだっ!まちがいにゃー!』
「どうしてそんなこと分かるのよぉ!?」
『おなじデジモンです!わかります!』
何が何だか分からない、と少々パニックに陥っている京が言うと、ポロモンがそう返した。
姿は見えないが、デジモン達に備わっている察知能力が、この影がデジモンだと訴えてくる。
パートナーを護るべく、幼年期だったチビモン達は成長期に進化した。
だが未だタケルの腕にいるパタモンは、首を傾げた。
確かに、ブイモン達の言う通りデジモンの気配はする。
しかしデジモンの気配はしても、敵意や悪意を感じないのだ。
どちらかと言うと、あの冒険の日々で出会ったレオモンとかメラモンとか……エレキモンとか、パタモン達に力を貸してくれたデジモンのような感じがするのだ。
それも、何処かで会ったことのある気配。
誰だっけ、誰だったっけ……。
うんうん唸っている間にも、事態は進んでいく。
戦闘態勢に入ったブイモン達だったが、それをテイルモンが止める。
アタシはここ、ここにいる、と必死になって影に呼びかけた。
《テ イ ル モ ン … …》
声がした。
その声は、大輔とヒカリにだけ聴こえる、わけではなかった。
いつもの癖で2人が辺りを見渡した際に、他の子ども達もキョロキョロと見回したのだ。
ということは、視えない何かではない、と言うことにほっとして、ヒカリはテイルモンを見つめる。
展望台を駆け巡るように動き回っていた影は、やがてテイルモンの声に反応してテイルモンの前に移動する。
ああ、と、テイルモンは泣きそうな表情を浮かべ、言った。
『ウィザーモン……!』
愕然とする8人の子ども達。
大輔とブイモン、京とホークモン、伊織とアルマジモンは、訳が分からない。
しかしそれを尋ねることは、できなかった。
黒い影からすーっと現れた、半透明の存在。
魔法使いが被るようなトンガリ帽子、口元を隠すように襟が立ったマント。
その見てくれは、魔導士の少年のようだった。
《テイルモン……》
それは、8人目の選ばれし子どもであるヒカリと、そのパートナーデジモンを護るために命を散らせたというデジモン、ウィザーモンであった。
死んだはずのデジモンが、何故ここフジテレビに?
テイルモンが尋ねると、ウィザーモンは言った。
《敵には、今君達が持っている力だけでは勝てない。敵は、今見えているだけの相手ではない。もっともっと大きな闇を引き込んでいる。闇は、力だけで追い払うことは出来ない。闇に飲み込まれた者を本来の姿に戻すには……》
──優しさが闇に堕ちた時、奇跡の輝きが生まれる。
「奇跡の輝きが……」
「生まれる……?」
子ども達は顔を見合わせる。
ウィザーモンは、構わず続けた。
《……優しさだけではいけない。それだけでは……奇跡の輝きが必要なんだ》
急いで、君達。
そう言って、ウィザーモンはブイモン達を、大輔達を見る。
まるで、その輝きを生み出すのが誰なのか、分かっているかのように。
『ウィザーモン……!』
テイルモンが手を伸ばす。
ウィザーモンも、その手を取るように伸ばすが……。
するり
当然と言うべきか、テイルモンの手はウィザーモンの手をすり抜けた。
当然だ、ウィザーモンは既にこの世の者ではないのだ。
執念のような感情で、この世に姿を現したに過ぎない。
このメッセージを届けるために。
……テイルモンに、もう1度会うために。
『ウィザーモン!』
何という、運命の悪戯だろうか。
もう2度と会えないのに、もう2度と触れ合えないのに、ウィザーモンはテイルモン達に言うべきことを言って、その姿を消してしまった。
まるでそれが、それだけが、ウィザーモンの役目だったとでも言わんばかりに。
テイルモンは泣いた。
ボロボロと大粒の涙を零し、ウィザーモンとテイルモンを阻んだガラスの板に縋るように、泣き崩れた。
テイルモンの気持ちが痛いほどに分かるヒカリは、テイルモンに寄り添い、共に涙を流す。
自分達を護るために、その命を散らせた勇敢なデジモン。
きっと一生、テイルモンとヒカリは忘れない。
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