Butterfly Effect   作:オルタンシア

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第七話

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それは、水に投じられた一石が生み出した波紋のように、静かに、しかし確実に広がっていく。

 

 

ピンポーン、と呼び鈴を鳴らせば、ドアの向こうからはーい、という穏やかな声が聞こえた。

ガチャリ、と開かれた扉から出てきたのは、穏やかな声を裏切らない、おっとりとした顔立ちの女性。

気が強くて、快活な自分の母とは大違いだ、なんて母が聞いたら間違いなく拳骨をもらうようなことを考えながら、大輔はサッカー部の先輩だった泉光子郎の母に招かれた。

 

「光子郎、後輩くんが来たわよ」

「はい!どうぞ!」

 

こんこん、と光子郎の部屋の扉をノックすれば、中から光子郎の声がした。

光子郎の母が扉を開ければ、光子郎は机の上にあるデスクトップパソコンと、小学4年生の頃から使っていた、パイナップルのマークがトレードマークのノートパソコンを交互に見ながら、忙しそうにキーボードを叩いている。

何度か遊びに来たことはあるが、いつもパソコンを弄っている気がする、と大輔は思ったが、今はそれを指摘する時間ではないので、何も言わないでおくとして。

 

「お邪魔しまーす」

「すみません、散らかってて……!」

 

部屋に入れば、光子郎の母はニッコリ笑って扉を閉めた。

それを見送り、再度光子郎の方を向くが、光子郎は相変わらず2台のパソコンと睨めっこしている。

手持ち無沙汰なので、大輔は適当に床に座り、肩にかけていたショルダーバッグを降ろす。

ジッパーを引いてバッグを開ければ、涎を垂らして豪快な寝相を披露しているチビモンが視界に入った。

出がけに鞄に押し込んだ時は、狭いだの息苦しいだの文句を言っていたのに、そう言えばいつの間にか静かになっていたな、と呆れながらチビモンを鞄からそっと取り出してやる。

うーんむにゃむにゃもうたべれない……とテンプレートな寝言まで披露してくれたので、最早笑うしかない。

しかし鬼気迫るようなオーラを背負いながら、パソコンを弄るまくる光子郎がすぐ傍にいるので、何とか堪える。

勝手に申し訳ないと思いつつも、ぐっすり寝こけているチビモンを光子郎のベッドに転がし、それからズボンのポケットに手を突っ込むと、ポケットに入れておいたものを握り、取り出した。

そっと手を開く。

そこには、小さなプレートがあった。

逆さまになった恐竜の脚のような模様が描かれたそのプレートは、ついこの前手に入れたものである。

デジモンカイザーこと、一乗寺賢との最終決戦は、まさに死闘と呼べるものであった。

沢山のデジモンのパーツを寄せ集めて作り出したデジモン・キメラモンを使い、本格的にデジタルワールドの侵略を開始したデジモンカイザーを止めるべく、大輔達はカイザーの基地に乗り込んだのだが、事はそう簡単に運ばれなかった。

キメラモンは、強すぎた。

デジモンの寄せ集めだからなのか、それぞれのデジモン達の強みを持って生まれたキメラモンは、進化をしても成熟期程度の力しか持たないアーマー体が5体集まっても、敵わなかったのだ。

傷つけるどころか、攻撃を届けることすら出来ず、一方的に蹂躙された子ども達は、一時撤退を考えたものの、大輔はそれを拒否した。

キメラモンに手を拱いている間にも、カイザーは侵略の手を緩めず、沢山の罪のないデジモン達の命を奪い、大地を、海を、森を壊していく。

それを止めるために、次のチャンスに甘えてはいけないのだ。

それに賛同したチビモンと共に向かった動力室。

そこに置かれていた黒いオブジェに触れた途端、カイザーの基地は停止し、黒いオブジェはまるで塗装が剥がれ落ちるようにその奥から黄金が姿を現わした。

眩い光はとてつもなく強い力を発し、チビモンに更なる力を与え、新たなアーマー体へと進化した。

マグナモン、と自称したそのデジモンは、ワームモンの力を借りながらキメラモンを消滅させた。

その時に手に入れたのが、このプレートだ。

力尽きて退化したチビモンが倒れ伏していた所に、もう1つ、賢の“優しさの紋章”と共に落ちていたプレート。

花の蕾のような模様をしている以外はそっくりだったので、このプレートも何かの紋章なのだろう、と思い、大輔はそれを持って帰ることにしたのだ。

帰ってからチビモンに聞いてみたが、あの時は無我夢中だったから、あんまり覚えてない、と言われてしまった。

タケルとヒカリも、もう受け継ぐ紋章はないはずだと言っていた。

だからこの紋章が何なのか、誰も知らないのである。

 

ちらり、と大輔は光子郎を見やる。

まだ問題が対処できないのか、2台のパソコンとの睨めっこは継続中だった。

プレートをポケットに戻し、今度は鞄からD-ターミナルを取り出し、蓋を開いた。

ボタンを押して画面を操作し、ディスプレイに映し出されたのは、“3つの卵のような画像”。

あの日、大輔があの決戦の後に持ち帰ったのは、この紋章だけではなかった。

先代である太一達6人から、大輔達3人が受け継いだ紋章は2つずつ。

つまり所持しているデジメンタルも2つずつなのだが、あの戦いが終わった後、D-ターミナルを確認したら、あの戦いで使用した黄金のデジメンタルがちゃっかりと収納されていたのである。

しかしカイザーとの最終決戦から数日経ったが、黄金のデジメンタルはあの日以来うんともすんとも言わないのだ。

ボタン操作で選択しても、デジメンタルアップと唱えても、黄金のデジメンタルが飛び出してブイモンに力を与えることはなかった。

紋章もデジメンタルも使い方が分からない以上、京や伊織、タケルにもヒカリにもこのことは言っていなかった。

だが持っているだけなのも宝の持ち腐れ、と言う訳で、子ども達のブレーンである光子郎に、今日は相談をしに来た、と言うわけだ。

 

「……光子郎さん、大丈夫っすか?」

「ご、ごめんなさい。もうちょっと待ってください!」

 

あれー?おかしいな、とか言いながら光子郎は2台のパソコンを行ったり来たりしている。

こうなると長いんだよなぁ、とサッカー部の先輩でもあった光子郎のことはよく知っている大輔は、やれやれと言いたげに小さく溜息を吐いた。

こんなことなら相談があるとメールをした時に、紋章とデジメンタルのことを書いておけばよかった。

文字に起こすと説明しにくいから、と面倒くさがったのがいけなかったようだ。

少し喉も乾いてきたし、まだ時間もかかりそうだから、光子郎に断りを入れて飲み物でも……と大輔がぼんやり考えていた時である。

 

 

──ふぇ~ん、えぇ~ん、うえ~ん……

 

 

聞こえてきたのは、小さな泣き声。

 

「え?」

 

思わず顔を上げる。辺りを見渡す。

光子郎は相変わらずパソコンと向き合っていた。

光子郎には聞こえていなかったのか、それとも気のせいだったのか。

突然聞こえてきた声に、警戒から伸びていた背筋を再び緩めた時。

 

──えぇ~ん、うぇえ~ん……!

 

「っ、また……!」

 

先ほどと同じ泣き声が聞こえてきたので、大輔は今度こそ立ち上がる。

気のせいではない、外から聞こえてきたような、籠った声でも遠くから響く声でもない。

間違いなくこの部屋の中から聞こえている。

寝こけていたはずのチビモンも、その泣き声が聞こえたのか、ぱっちりと目を覚まして、がばっと身体を起こし、辺りを忙しなく見渡していた。

そこでようやく、光子郎は後輩達の異変に気付く。

大輔くん?とパソコンから目を離し、大人しく自分の作業が終わるのを待ってくれていたはずの後輩の方を見やった。

険しい表情をしながら部屋をキョロキョロ見回しているから、光子郎は目をパチパチさせている。

 

ピコピコピコピコ ピコピコピコピコ

 

同時に、独特の機械音が鳴り響いた。

デジモンと人間の、目に見える絆の証・デジヴァイスだ。

そのデジヴァイスのディスプレイが赤く点滅している。

まさか、テントモンに何かあったのだろうか、と光子郎は大輔の謎の行動への疑問がすぽーんと頭から抜け、デジヴァイスに手を伸ばす。

その指先がデジヴァイスに触れた瞬間、それを見ていないはずの大輔が、ほぼ同時に、何かに反応した。

 

 

ぞわり

 

 

足元からまるで螺旋を描くように駆け上ってきた悪寒。

ぶわり、と溢れ出てきた冷や汗は、パソコンの熱を冷ますためにつけた冷房のせいではないだろう。

ば、と大輔とチビモンは一斉に、光子郎の方を見た。

 

カラカラカラ……

 

椅子についているキャスターが、軽い音を立てながら横にずれていく。

冷房から送られてくる風とは、また違う風の筋が一瞬だけ見えた時、光子郎の姿はそこから消えていた。

 

「…………光子郎、さん?」

 

呆然としたような、愕然としたような大輔の声が、冷房の稼働音が響く部屋の中でぽとりと落とされる。

答える者は、誰もいない。

何故なら、何もないところから生み出された不自然な一筋の風が、彼らを攫ってしまったからだ。

 

お台場小学校のサッカークラブのOBとして、試合の見学に来た太一も。

 

母から華道の手ほどきを受け、1人で花を活けていた空も。

 

バンドの練習のために、ギターの調整をしていたヤマトも。

 

高校受験に向けて、最後の頑張りのために塾の夏期講習に参加していた丈も。

 

そして……遊びに来ていたタケルとヒカリのために、ニューヨークを案内していたミミも。

 

 

 

 

ニューヨークの、とある街角。

賑やかな大都会だが、細い路地に1歩足を踏み入れれば、喧噪とは程遠い静寂に包まれる。

犯罪件数が日本の何十倍とされているアメリカにて、昼であっても油断はならない。

人通りの多い表通りでさえ、危害を加える輩はいるのだ。

そこから1本離れた路地など、誰が何をしているか分かったものではない。

だがそんな、人っ子1人見当たらない、表通りの1つ隣の路地に、1人の少年がいた。

金髪碧眼の、典型的なドイツ系アメリカ人の少年であった。

州によって法律は違うものの、未成年の1人歩きは基本的に禁止されている。

例え1人しかいないように見えても、必ず近くに親や保護者がいるだが、人気のない通りは何処を見渡しても少年の親や保護者は見当たらない。

 

ヒュオオオ……

 

風が吹く。

不自然なほどに、少年に纏わりついてくる風を、少年はするりと躱した。

その風が物体を撫でるように吹くとゴミ箱がひしゃげ、縦並びの信号機が歪み、火花を散らせる。

落書きで汚れたシャッターは、ガシガシという音を立てて揺れた。

古く、赤く錆びて、風に揺れる度に不快な金属音を掻き鳴らす、菱形のフェンス。

ばさり、と何処からか風に乗って漂っていたポスターの紙が、フェンスに引っかかった。

ばさばさ、と薄く頼りない紙が風とフェンスに挟まれて、メロディにもならない音を鳴らす。

数秒もしないうちに、風に負けたフェンスの菱形を通り抜けて、破けたポスターは何処かへと飛んでいった。

 

ヒュオオオオオオ…………

 

歪んだ空間。

フェンスを隔てた向こう側に、少年は“闇”を見た。

 

 

 

 

 

さみしいよ、さみしいよ

 

どこにいるの?どこにいっちゃったの?

 

ぼくはどこへいけばいいの?どこへかえればいいの?

 

あいたい、きみにあいたいよ

 

なのにきみは、どこにもいない

 

あいたいのに、あいたいだけなのに

 

どこにいけば、ぼくはきみにあえるの?

 

 

ねえ、───

 

 

 

 

 

サマータイム、と呼ばれる期間がある。

主に北半球の夏期に実施されている時間で、1年の内日中の時間が長くなる夏を中心とした時期に、日中の明るい時間を有効利用するための時間制度だ。

北極では白夜と呼ばれる、太陽が1日中沈まない時期があるため、北極に近い国、例えばイギリスでも夜の9時頃まで昼間のように明るい時間帯があるので、全国の標準時刻よりも1時間程を進める制度を、サマータイムと呼ぶのである。

日本でもかつてサマータイムが導入されたことがあったが、サマータイム時は10時ごろまで明るい国があるヨーロッパと違い、日本の夏の日没時間はどんなに遅くとも7時半頃だ。

よって早々にサマータイムは廃止された。

アメリカでもハワイ州とアリゾナ州を除き、全ての州でサマータイムが導入されている。

つまり、今のアメリカはサマータイムで、日本との時差は普段よりも1時間短い、14時間ほどである。

 

そのアメリカの地に、大輔とチビモンは降り立っていた。

日本よりは乾燥しているが、それでも暑い日差しが肌に突き刺さるようで、じんわりと汗が滲み出てくる。

 

「ふはぁ~、やっと着いたぁ!14時間も座りっぱなしで、疲れちゃったぁ」

『おちゅかれしゃまでしゅ、ミヤコしゃん』

「ウパモン、疲れてないかい?」

『だいじょうぶだぎゃ~』

 

後ろには選ばれし子どもとしての仲間である京と伊織、そしてそのパートナー達。

今回の騒動を聞き、太一達を救い出すため、大輔と共にアメリカの地へと降り立った。

 

太一達が行方不明になった、と大輔達が知ったのは、ヒカリから送られてきたメールによってだ。

タケルと共にアメリカへ赴き、ミミの案内でニューヨークを観光していたヒカリだったが、誰かが嘆き悲しむ声が聞こえてきた直後、目の前にいたミミが忽然と消えたらしい。

その時の様子が、まるでデジタルワールドに飛ばされたような消え方だったため、何か異変が起こっていると感じたヒカリは、ミミが消える直前と直後に聞こえた声と、不自然に纏わりついた風を頼りに追いかけた。

そして、とある空き地で大きなデジモンと対峙していた同年代ほどの少年と、そのパートナーらしきデジモンを見かけたという。

タケルが声をかけたのだが、少年はタケルとヒカリが連れていたパタモンとテイルモンに気づかなかったようで、パートナーらしきデジモンを連れて何処かへと走り去ってしまったらしい。

空を飛べるパタモンが後を追い、人間達に見つからないように少年の後を追うと、公衆電話で何処かへと電話を掛けたのを見た。

この国の言葉は分からなかったが、辛うじて拾った“サマーメモリー”という単語。

その単語を、大輔は知っていた。

 

サマーメモリーは、ニューヨークから車で28時間ほどかかる距離にある、コロラド州にある地名だ。

州都であるデンバーと違い、果てしなく続く代わり映えのない緑の草原を縦断するように敷かれたコンクリートロードがあるだけの、典型的なアメリカの田舎町。

特出して観光するようなものがないような田舎だから、大輔が知っているのは地名だけだ。

それも、ドラマのロケ地かなんかで使われた程度のものだったので、それ以上の情報はない。

ただ……一面に広がる美しい花畑があったことだけは、覚えていた。

母と姉が、1度でいいからこの花畑に行ってみたい、ときゃあきゃあはしゃいでいたのを見ていたから。

 

アメリカでは未成年のみの行動は、基本的に違法とされている。

しかし事情が事情なので、大輔達は大人に頼ることが出来ない。

最初は姉に保護者を頼もうかと思ったが、姉も未成年の17歳だ。

入国は出来ても、ホテルを取ることが出来ないし、何よりデジモン関係のことなので観光が目的ではない。

大輔達が太一達を救い出すために彼方此方奔走するのを連れ回すわけにはいかないし、かといって保護者として連れてきてもらっておいて、姉ちゃんは留守番!というのも気が引ける。

苦肉の策で、入国の際は「アメリカに住んでいる友人の家に遊びに来た」と言う、架空の友人をでっちあげることにした。

否、アメリカに友人がいるのは確かなので、嘘は言っていない。嘘は。

諸事情で大人に頼れない大輔達は、もちろん飛行機代なんて、子どもの小遣いから捻出できるはずもない。

3人寄れば文殊の知恵、と額を突き合わせてうんうん唸っていた時、京がひらめいたのはマイレージを使うこと。

確かに自分達の親には頼れないが、2人だけ、頼ることが出来る大人を知っている。

ヤマトとタケルの両親だ。

特に父親である裕明は、1999年のお台場霧事件にて、事件の渦中にいた人物でもあるため、デジモンのことも子ども達から聞いている。

事情を話せば快く受け入れてくれ、飛行機の手配もしてくれた。

更に裕明から事情を聞いた元妻の奈津子が、保護者を買って出てくれたが、運悪くルポルタージュの仕事が入ってしまったため、断念。

高石田夫妻に見送られながら、大輔達は日本を発った、と言う訳だ。

が、運がよかったのはここまで。

お金がないのでタクシーが使えない大輔達は、ヒッチハイクでコロラドへ向かうことにしたのだが、乗せてくれたアメリカ人のおじさんがこれまたお調子者のおじさんで、大輔達が日本から来たと知るや否や、乗っている車が日本製であることを自慢し、奇声を発しながらアメリカの道路を爆走してしまったため、目的地であったデンバーを通り過ぎてしまった。

 

「……だって」

「はぁ~あ……」

 

パソコンを弄っているヒカリから預かったテイルモンを、パタモンと一緒に抱えながらタケルは溜息を吐く。

届いたメールに書かれていた、悲壮感たっぷりの文章に怒ればいいのか、笑えばいいのか。

やっぱデンバー空港に直接降りればよかった、マイレージとはいえタケルの父親から借りたものだから、なるべく安く抑えようとしたのがいけなかった、と書かれていることからも、大輔が頭を抱えながらこのメールの文章を打ったことは、想像に容易い。

やっちまったものはしょうがない、とヒカリは軽くフォローを入れながら、とにかく現地で会おうという文を最後に書いて、メールを送信しようとした時だった。

 

ピコン、ピコン、ピコン、ピコン

 

ズボンにつっかけていたヒカリのD-3が、何かに反応して音を鳴らす。

ディスプレイからピンク色の光が漏れた。

直後、列車内に異変が起こる。

いや、この場合は列車内と言っていいのだろうか。

突然視界がピンク色に染まったかと思うと、窓の外から見えていたはずの深い緑の森の樹々や、澄み渡る青い空、壮大な山岳は消え去り、まるでデジタル空間を突っ切っているような、ピンクや紫の斑な景色が映し出されたのである。

ギョッとなって、思わず立ち上がったタケルを、気にするものは誰もいない。

ただ、ただならぬ気配を察したのか、寝こけていたテイルモンはばっちりと目を覚まし、パタモンと共に警戒心を剥き出しにして辺りを見回した。

 

ゆらり

 

ピンク色の視界に気を取られていたタケルとヒカリは気づかない。

 

「……あっ!」

 

ピンク色の景色と、白い線が走る中を突っ切っていく列車の窓の向こうで、ヒカリは見た。

全身赤黒い毛むくじゃらの怪物が、窓の向こうからのっそりとした足取りで近づいてくるのを。

列車は走っているのに、振動も確かに足元から身体に伝わっているのに、毛むくじゃらの怪物は置いてけぼりにされることなく、流れる景色を無視してこちらに歩み寄ってくる。

ヒカリも思わず立ち上がり、窓から距離を取った。

 

──う゛ぅ……う゛ー……

 

低く、空気を擦るような、唸り声。

テイルモンとパタモンは戦闘態勢に入る。

 

キュィイーン……

 

D-3の聖なる光が、タケルとヒカリを包み込んだ。

 

ギギィーッ!!

 

遠くから鳴り響いたのは、不快な金属音。

青と赤の火花を散らしながら、回転を止めた外輪が線路を滑る。

突然のことで、タケルは咄嗟に踏ん張ることも許されずに、放り投げられるような形で通路を転げ回った。

ヒカリも、身体が宙を舞って、前の座席の背もたれに乗り上げられる。

脚をバタバタさせ、何とか座席に両手をつき、お兄ちゃんや幼馴染、“従姉”と遊んで鍛えた体幹と身のこなしで、何とか背もたれから降りる。

列車は、完全に停まった。

 

「……いない」

 

転んだ拍子に頭から落ちてしまった帽子を拾おうとしたタケルが、気づいた。

列車は山と山を繋ぐ鉄橋で完全に停車してしまっている。

それなのに、車内は完全に静まり返っていた。

普通なら急ブレーキがかかった時点で何事かとざわつくだろうに、タケルがひっくり返って転がったのを見た誰かが心配して声をかけるだろうに、喧噪とは真逆の空間となっている。

タケルとヒカリ、パタモンとテイルモン以外の乗客が1人残らず、全員姿を消していたのだ。

この列車に乗った時、確かにまばらでも乗客は乗っていたのに。

 

ひゅるり……

 

閉まり切っている空間に、クーラーから吐き出される風とはまた違う、不自然な風の流れを感じたヒカリは、急いで座席から立ち上がると、貫通扉に手をかけ、開けた。

列車が走っている時の揺れや、カーブを曲がる際の遠心力などで簡単に開かないように設計されている貫通扉は、両手で持ち、下半身に力を入れて踏ん張らなければならない。

その動作ももどかしく、ヒカリは力任せに貫通扉を開け、後ろの車両へと飛び込んだ。

ひゅるり、と目に見える不自然な一筋の風が、追いかけてきたヒカリを弄ぶように、車両の奥へと消えていった。

 

「乗客が……誰もいない……?」

 

ただの1人も、乗客はいなかった。

この様子では恐らく、運転手も消えているだろう。

列車のシステムがどうなっているのかは分からないが、運転手が手を離したり席を立ったりすると、自動ブレーキがかかるようプログラムされているのだろうか。

いずれにしても、今タケル達がいるのは、山岳地帯のど真ん中、鉄橋の上で列車は停止している。

ここからサマーメモリーがあるコロラドまでは、まだまだ距離がある。

警察に言うべきか、それとも素知らぬ顔をして列車から脱出し、そのままコロラドへと向かうべきか……。

英語が話せないために、警察を呼ぶという選択肢など初めから存在しない、ということに気づくまで、タケルとヒカリは途方に暮れるのだった。

 

 

 

 

 

アメリカの貨物列車と言えば、洋画やドキュメンタリーなどで、1度はお目にかかったことはあるはずだ。

何もない広大な田舎の土地を数キロメートルにも及ぶコンテナを引いて、ゆっくりと走行する様は、目の当たりにすれば圧巻だろう。

いつ開くか分からない踏切を、のんびりと待つのも醍醐味である。

そして貨物列車は、貨物を運ぶから貨物列車と言うのだ。

人を乗せるのが目的ではない。

しかし彼は、ウォレスは“金がない”と言う理由で貨物列車に乗り込んでいた。

途中までは地下鉄で移動していたのだが、それ以上の移動手段はバスか長距離電車、飛行機しかない。

いずれもウォレスの小遣いなど雀の涙にもならないようなお値段なので、ウォレスは早々に諦めた。

ヒッチハイクと言う手段も残っているが、上手くいけば直接行けるものの、全ては相手の行先次第、途中で降りる・降ろされる可能性もあるため、その度にヒッチハイクをしなければならないのが欠点だ。

ならばギリギリのところまで貨物列車に乗った方が安全だろう。

見つかれば怒られるどころでは済まないことは分かっているが、手段は選んでいられない。

運のいいことに、何もない、空っぽのコンテナを見つけたウォレスは、周りに誰もいないことを確認してコンテナに乗り込んだ。

 

 

はずだったのだが。

 

 

『暑い……暑い……暑い……』

 

人どころか車の1台すらも通らない、夏の陽射しがアスファルトを照り付け、熱を反射してゆらゆらとした蜃気楼を作り出している、何処まで続いているのか分からないような道の上を、ウォレスはのろのろとした足取りで歩いていた。

その直ぐ背後には、ロップイヤーのように長く垂れた耳の、白いウサギのような生き物が、恨みがましい声を上げながらついてきている。

ウサギのような、と形容したのは、そのウサギが四足歩行ではなく二足歩行で移動しているからだ。

それだけでなく、人間であるウォレスとの意思疎通も可能で、言葉も人間と変わらないレベルで操っている。

普通の人が見れば化け物と腰を抜かす存在だが、ウォレスにとっては“普通”だった。

ぬいぐるみのように愛くるしい姿をしていても、ウォレスにとっては昔からの、“1番の友達”で、お父さんにもお母さんにも内緒の、秘密のお友達なのだ。

初めて出逢った時からこれまでずっと、ウォレスとその生き物は一緒だった。

何処へ行くにも、何処へ行こうとも、ウォレスはずっと一緒だと“約束”したのである。

その約束があったから、ウォレスは今ここにいる。

アメリカに住むアメリカ人だ、この国の危険度など十分分かっている。

それでも、未成年のウォレスが危険な1人旅に出られたのは、この生き物がいてくれたから、と言っても過言ではないだろう。

 

……それだけが理由、と言う訳では勿論ないのだけれど。

 

『暑い、暑い、暑い、暑い、暑い、暑い、暑いぃ~……』

 

洋画でも見たことがある、何もない広大な田舎道に、ポツンと佇むガソリンスタンドを尻目に、ウォレスは歩き続ける。

その後ろをついてくる生き物……グミモンは、何も言わずに歩き続けるウォレスに、当てつけのように譫言を吐き散らかしていた。

そのことで少々苛ついてしまったのは申し訳ない、とは思うものの、だからって立ち止まった自分の足元を掬い上げるような形で押し通ってくるとは思わないじゃないか。

グミモンのせいで1回転してひっくり返ってしまったウォレスに気づいているのかいないのか、グミモンはしばらく歩いて立ち止まると、呆れた声色で言い放つ。

 

『途中で貨車を降りなくてもよかったのに……それも、ママに電話するためだけにさ』

「……いいだろ、別に」

 

元はと言えばグミモンのせいなのに、と思いながらもそれは口にせずに、ウォレスはふてくされたように言った。

ここに来るまでの間、ウォレスとグミモンはまともに会話をしていない。

ニューヨークで出会った、あの大きな毛むくじゃらの怪物。

あれは、多分、いや、間違いなく“あの子”だ。

ずっと前に、離れ離れになってしまった、ウォレスとグミモンにとって、とても大切な“あの子”。

姿形は随分変貌してしまっていたが、でもウォレス達には分かっていた。

分かっていたから、ウォレスは何もできなかった。

分かっていたから、グミモンは何とかしようとした。

その決定的な違いが、2人の間に溝を生んだ。

グミモンは護りたかった。ウォレスは話がしたかった。

しかしあれは、“あの子”はウォレス達の前から、再び姿を消してしまった。

 

「……なあ、あいつがチョコモンなら、絶対あの花畑に現れるよな……」

 

それは祈りにも似た願い。

あれは、絶対に“あの子”だ。

だってグミモンを手にかけようとした時に立ちはだかった自分を見て、たじろいでいたのだから。

だからウォレスは一縷の望みをかけて、母や妹を心配させることも覚悟して、グミモンと2人だけでここまで来たのだ。

でも……そうだとして、

 

「そしたら……何て言えばいいんだろう……」

 

本当にあれがチョコモンだとして、何と声をかけるのが正しいのか、幾ら考えてもウォレスには見当もつかない。

ずっとずっと逢いたかったのに、探しに行きたかったのに、この国の決まりが、それを許してくれなかった。

 

『……チョコモン、暑いの苦手だったね』

 

夏の陽射しで滲み出てきた汗を拭うウォレスを見て、グミモンが返したのは質問の答えではなかった。

遠い日の懐かしい思い出の1ページ。

ウォレスの仕草でそれを思い出してしまったグミモンを見て、ウォレスは何も言わずに歩き出す。

恋しいのは、自分だけではない。

逢いたいのは、ウォレスだけではないのだ。

 

『ウォーレースッ!』

「うわっ!?」

 

先ほどとは打って変わって、明るい声色を出しながら、グミモンは自在に動く耳をぶわりと広げ、大きく跳躍し、ウォレスの頭めがけて滑空する。

突然頭に襲い掛かった重みにびっくりしたウォレスは、ぽかんとしながら頭部に乗っかってきたグミモンを見上げた。

 

「……何やってんだ、お前?」

『ぼーし!』

「はぁ?」

 

ニッコリ笑って、グミモンは言った。

 

『僕がウォレスの帽子になってあげる!』

 

そういうと、先ほどのように耳を左右に持ち上げ、ぶわりと膨らませる。

暑い日差しがグミモンの広がった耳によって遮られたので、なるほど、帽子、とウォレスは納得した。

納得したのだが……。

 

「……重い」

 

小さな見た目であっても、命ある生き物である。

某ポケットサイズのボールに収まるモンスターの主人公格である黄色い電気ネズミすら、あの見た目で6キロあるのだ。

成人男性の頭部の平均的な重さ、と言えば具体的な想像はつくだろう。

グミモンも、あの電気ネズミほどではないだろうが、それなりに重い。

ずっしりとした重みが、まだ子どものウォレスの首と肩に伸し掛かってきたし、下を見下ろすことも出来ないので、ウォレスの足元は覚束なかった。

車の通りは殆どないとはいえ、バランスを崩して転んで、道路に飛び出したりすれば危ないから、ウォレスは何とか草原側を歩こうと必死になる。

何考えてるんだか、と呆れながらも、その心遣いが、とても嬉しい。

グミモンが疲れるのが先か、電話を見つけるのが先か……。

ウォレスは口元に笑みを浮かべながら、真っすぐで平坦なアメリカの道を歩き続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

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