.
年季の入ったプロペラ機は、何処か頼りなく見えても確かに正規の航空機である。
移動距離が短めで、収容できる人数も少なく、更にお金がかからずに最短時間で移動できる手段が、それしかなかったのだ。
搭乗している間、常に響き渡っていた機体の軋む音に戦々恐々としながらも、無事目的地に辿り着いた大輔達が喜びのあまり互いに抱き合っているのを、操縦士に怪訝な目で見られたが知ったことではない。
飛び立つ飛行機を満面の笑みで見送ったのが、つい数十分前。
小さな飛行場を出てみれば、大輔達の目の前には草原に挟まれた長ーい一本道と、いつ作られたのか分からないほど錆びついている有刺鉄線。
草原の向こうに見える山脈は、その遠さを物語るように少し霞んで見えた。
流石の大輔も、アメリカの田舎となると場所は分からない。
家族旅行で何度か田舎に行ったことはあるが、それでもここまで広い田舎道まで繰り出したことはなかった。
不幸中の幸いは、大輔達が今いる場所からサマーメモリーへと向かう道は、目の前の道路しかないことだろう。
余計な曲道や十字路はほぼないので、ヒッチハイクさえ上手くいけば今日中に辿り着けるはずだ。
……田舎道故に、車が通ってくれるのかという心配を除けば、ではあるが。
考えていても始まらない、と3人は荷物をまとめ、本日2度目のヒッチハイクをしようとした時だ。
草原と道路を隔てるかのような、ちょっとした坂道を登った時、向かいの道路で大型のトラックが止まった。
まだ手を挙げていないのに何故、と思い駆け寄ると、どうやら大輔達の他にヒッチハイクをした者がいたらしい。
荷台の扉が開いて、そこに乗り込んだ姿がちょうど見えたので、どうせなら便乗しようと大輔が運転手に交渉すればOKをもらえた。
駆け寄ってきたチビモンをひょいと抱き上げて乗せてやり、自身も荷台に両手をついて腕を突っ張ってよじ登る。
京と伊織、ポロモンとウパモンも乗り込み、運転手に声をかけて荷台の引き戸を閉めた。
ブルン、とエンジンが鳴り、排気口から黒い煙が噴き出る。
振動と身体にかかるGで、トラックが出発したことを悟った。
腰を落ち着ける前に、荷台の壁に寄りかかり、他人事のように自分達を見つめてくる同乗者に声をかけようと、大輔が四つん這いで近寄っていった時、ふと奇妙な違和感を覚えた。
ヒッチハイクをしたのは、大輔と同年代らしい金髪碧眼の、典型的なアメリカ人の男の子だ。
顔立ちから、恐らくドイツ系と思われる。
アメリカは多民族国家だ。白人もいれば黒人もいる。
アジア人、ヒスパニック、ヨーロッパ、とにかく色んなところから人が集まって、アメリカという国になった。
だから少年に関しては、特段おかしなところはない。
確かに少年も気になるが、大輔が特に違和感を覚えたのは、少年の隣に鎮座しているぬいぐるみだ。
ぱっと見は、白いウサギのようだった。
ロップイヤーと呼ばれる垂れ耳のウサギに似ているが頭部に生えた短い1本の角と、人間のように2本足で立っているところを見ると、ただのウサギではなさそうだ。
円らな目はウパモンのものとよく似ている。
自立できるタイプのぬいぐるみ、のようにも見えるが、どうにも違和感が拭えず、大輔は首を傾げた。
何か親近感というか、既視感というか……何かを、忘れているような。
何処かで聞いたか、見たか、少年とそのぬいぐるみを見た瞬間、そんな感覚に陥ってしまった。
隣の少年が居心地悪そうにしていることにも気づかず、穴が開くほどにぬいぐるみを凝視していると、チビモンがぴょこぴょこ跳ねてぬいぐるみの匂いを嗅ぎ始めた。
大輔は慌ててチビモンを軽く小突き、少年に謝ろうとしたが、チビモンの方が早かった。
『だいしけ~、デジモ~ン!』
そう言いながら、チビモンは少年の隣に鎮座しているぬいぐるみを指し示した。
少年は目を見開き、ぬいぐるみの方からは微かに息を飲む音が聞こえた気がした。
「…………ああっ!!」
思わず、と言った様子で大きな声を出す大輔。
「じゃあ、この子が!?」
「タケルさん達が言ってた、男の子!」
京と伊織も立ち上がって、驚愕の声を上げる。
ヒカリから届いたメールに記載されていた、金髪碧眼に、赤系の上着と白いシャツを着た男の子。
一瞬だけ白い何かがいたのは見たが、少年が抱え上げて身体で隠すように何処かへと行ってしまったため、それが何なのかまでは分からなかったようだ。
白いウサギがデジモンならば、この子で間違いないだろう。
青い子猫のような生き物が喋ったことに驚いているのか、それとも……“素性がバレたこと”に驚いているのか。
少年と白いウサギは誤魔化すことも忘れて、互いに顔を見合わせたのだった。
サマーメモリーまでは、まだまだ距離がある。
しかし大輔達は、トラックから降りて再び草原に立っていた。
理由は簡単だ、トラックの行先がそこだったから。
ヒッチハイクのメリットはお金がかからないところだが、デメリットは運転手の目的地に依存するところである。
向かう先は同じでも、目的地がそこではなかったら、途中であっても降ろされるのは当然なので、次の親切な人の車に乗せてもらわなければならないのだ。
「日本にもデジモンがいるなんて、思わなかった」
先ほどまでの緊張した様子とは打って変わって、少年はニコリと人懐こそうな笑みを浮かべる。
彼と一緒にいたウサギのようなデジモンも、自分以外のデジモンは初めて見たのか、とても嬉しそうにチビモン達とじゃれ合っていた。
彼の名はウォレス。
今はニューヨークに住んでいるのだが、幼い頃はサマーメモリーに住んでいたらしい。
「意外とフレンドリーですね」
「まだ油断できねぇぞ」
「日本語も喋れるんだー」
ヒッチハイク用のスケッチブックに、目的地の地名を書きながら伊織が言う。
大輔の方は、少しだけ警戒心を抱いて、ウォレスを見ていた。
デジモンと一緒にいるだけでも驚きだというのに、もしかしたら今回の騒動の関係者かもしれない人物なのだ。
大輔が警戒してしまうのも無理はない。
が、そんな大輔を一蹴するように、京が興味津々な眼差しをウォレスに向けるから、大輔は小さく溜息を吐いた。
そう言えばこの幼馴染は、イケメンに弱いミーハーだったな。
「前に日本人のガールフレンドがいたんだ」
『ウォレス、一生懸命日本語勉強したんだよ』
勿論僕もね、と胸を張る白いウサギは、グミモンと言うらしい。
そう聞いた時、チビモンとポロモンとウパモンが、はてなと言いたげにキョトンとしていたのだが、何となく関係ないだろうなと思い、大輔はそれをスルーした。
「じゃあ、太一さん達をおかしな世界に引きずり込んだのは、貴方達じゃないのね?」
トラックの中で、ある程度の事情は話してある。
その時、ウォレスもグミモンも一瞬だけ表情を強張らせたのだが、今はまるでそんなことなどなかったかのように、笑みを振りまいていた。
それだけでも大輔が警戒する理由になったのだが、今見せている態度も、まあまあ気に入らない。
何故なら、
「ウォレスって呼んで?君はミヤコって言ったっけ?その長い髪、綺麗だね」
「……んな話をしてんじゃねぇだろぉ?」
日本人男性ならば絶対言わないような、歯の浮くようなセリフをサラリと言ってのけるものだから、ミーハーな京はあっさりと堕ちてしまった。
それだけでも頭が痛いというのに、この男ときたら。
「女性を褒めるのはマナーだよ」
なんて言い放ちやがったので、大輔は天を仰いだ。
「……お前、ドイツ系かと思ってたけど、イタリア系なのか?」
「正真正銘、ドイツ系だよ」
でもよく分かったね、とウォレスが言うと、見りゃ分かんだろ、と大輔はさらりと言い返した。
それを聞いたウォレスは目を丸くし、更に口を開こうとしたが、伊織の方が早かった。
「ウォレスさんは何処でグミモンと出会ったんですか?」
「あ、ママのパソコンから卵が出てきたんだ。ママ、インターネット通販にハマっててさ」
チビモン達と戯れるグミモンを、懐かしいものを思い出すような眼差しで見つめるウォレス。
あの時のことは、今でも鮮明に思い出せる。
家の敷地が分からないぐらい広い庭に、ご近所が数キロメートル離れた先、というぐらいには田舎だったウォレスの生家。
買い物だって車を使わなければいけない距離だし、1週間分の食料を買いこまなければならない。
そんなド田舎の家に嫌気がさして、当時としては最新型のパソコンが設置されたのは当然の結果である。
一歩も家から出ることなく、専用のホームページで買いたいものをマウス1つでぽちりと押すだけ、お金だってそのサイトの個人情報で登録しておけば済むので、ウォレスの母はどんどんハマっていった。
ハマりすぎてお金を使いすぎてしまい、父親から叱られた時は流石に反省したらしいが、それでも1度便利なものを手に入れてしまったら、後戻りはなかなかできないだろう。
グミモンは、そんな母の愛用していたパソコンから、卵として突然やってきた。
「デジタルワールドには行ったことないの?」
これは当然の疑問である。
ウォレスの下にグミモンが来た、ということは、ウォレスは“選ばれし子ども”である、という可能性が高い。
少し前、8月1日の記念日に、太一達から聞いた前日譚。
8人の選ばれし子ども達が光が丘に住んでいた時の、早すぎる出会いの物語。
その出来事があって、8人は選ばれた。
その8人から始まり、少しずつデジモンとパートナー関係を結んだ子ども達が現れた。
大輔達も、そのうちの1人である。
選ばれた子ども達は、何かしらの役目を担う。
以前ミミがアメリカから連れてきたマイケルという少年も、大輔達が冒険する1年前、2001年にデジタルワールドを冒険した。
だからウォレスも当然、デジタルワールドを冒険した、またはしていると思っていたのだが……。
「デジタルワールド?何それ?」
返ってきたのは、予想外の答え。
京は面食らったようにウォレスを見やるが、当の本人は真剣に聞いていないのか、目を丸くしている京にゆっくりと近づき、覗き込みながら微笑む。
「真剣な顔も、また素敵だね、ミヤコ」
「お前やっぱドイツ系って嘘だろっ!!」
何だその歯の浮くようなセリフ!と、京とウォレスの間に割って入る大輔。
こちらは真面目な話をしようとしているというのに、こうやって質問するたびに茶化されるのは、たまったものではない。
大輔の苛立ちを感じ取った伊織は、目的地を書いたスケッチブックを掲げながら、次の質問をウォレスに投げかける。
「ウォレスさんはもう1匹のデジモンのこと、知ってるんですか?」
その質問で、余裕そうだったウォレスの表情が一瞬で曇った。
背後でウパモンとポロモンと戯れていたグミモンも、その言葉を聞いた瞬間に切なそうな表情を浮かべ、よそ見をしていたこともあり、ひっくり返ってしまった。
グミモンの自在に動く耳に抱えられていたウパモンとポロモンは、その拍子にぶん投げられたように転がっていく。
「………初めて知った。あいつが、デジモンを連れている子ども達を、何処かに連れ去ってたなんて」
「……やっぱ何か知ってんだな?」
大輔の声のトーンが下がる。
風に乗って電波のように伝わってきたのは、焦燥感と喪失感。
哀しみと、そしてほんの少しの希望。
タケルとヒカリが見たデジモンと対峙していて、デジモンを連れていて、更にここにいるのだから、今更無関係ですなんて言うのは不自然すぎる。
そもそも自分達の大切な仲間で、頼もしい先輩である太一達が姿を消しているのだ。
何も知らない、では済まない時点まで来ているのだから、こちらとしても情報がなければ困る。
ききぃ、とゴムが硬い地面を擦るような音がした。
スケッチブックを掲げた伊織を見た人が、車を止めてくれたのだ。
その話は車に乗ってからだ、と京は大輔とウォレスを引っ張る。
車の後ろが荷台になっている、ピックアップトラックと呼ばれるタイプの車だ。
英語は話せないが、全く知らないという訳ではないので、京は拙いながらも運転手に人数を伝えれば、運転手は言葉を発さなかったものの小さく頷いた。
「僕は先を急いでる」
「っ、あのなぁ、話聞いてなかったのか?俺達だって急いでイチ兄達を助け出したいんだよ。目的は一緒だっての!」
「大輔、早く!その話は車の上で!」
これ以上踏み込まれたくない、と言いたげなウォレスの態度に、大輔の苛立ちは更に募る。
責めているわけではない。怒っているわけでもない。
ただ知りたいだけなのだ。
ウォレスが対峙していたデジモンは一体何なのか、何故太一達は消えたのか。
それを知りたいのに、太一達を助けたいだけなのに、ウォレスの態度はまるで……。
「……大体、お前何でこんなとこでヒッチハイクしてんだ?サマーメモリーに行ったんじゃねぇのかよ」
『それはねぇ、ママに電話するために途中で汽車降りたんだよぉ!』
「グミモン!」
大輔の質問に答えたのは、ウォレスではなくグミモンだった。
ウォレスが咎めるが、時すでに遅しという奴で、グミモンは悪気なくペロッと舌を出して誤魔化している。
どんな理由があるのかと思えば、母親に電話って……と大輔が可哀そうなものを見る目でウォレスを見ていたら、ふわっと浮遊感を覚えた。
寄りかかっていたものがすーっと滑るように進み、体重を預けていた大輔の身体は重力に逆らえず、そのまま道路にひっくり返ってしまった。
何が起こった!?と急いで起き上がり、後ろを振り返ってみてみれば。
「大輔ぇ!サマーメモリーで待ってるー!」
「早く来てくださいねぇー!」
遠ざかっていく車と、京と伊織の声。
運転手は全員乗ったと思ったのか、それとも京が出発してもいいとでも言ったのか、まだ大輔達が乗っていないのに発進してしまった。
呆然となる大輔に、涙目で手を伸ばすチビモン。
グミモンとウォレスは、相変わらずのんびりとしていた。
『ウォレスー、走れば間に合ったよ?』
「ダイスケくん1人じゃ、可哀そうだし」
「……あいつら、覚えてろよぉおおお!」
大輔の叫び声が、虚しく響き渡った。
幾ら願ったところで、時間は戻らない。
哀しみも、苦しみも、抱えてはくれない。
共に歩んではくれないし、自分を支えてはくれない。
懐かしい想い出も、戻りたい過去も、その瞬間に置き去りにされてしまうのだ。
振り返ることは出来ても、かえることはできないのだ。
それでももし、過去へ、昔へ、想い出へ戻りたいと願ってしまった時……。
世界は、どうなってしまうのだろうか。
グミモンはデジモンだが、デジタルワールドを知らない。
自分と“あいつ”以外のデジモンも、見たことがなかった。
だからデジモンに関する知識は、殆どないと言ってもいい。
何故なら通常のデジモン達は、デジタルワールドで生まれた時に、自動的にデジモンやデジタルワールドのデータがダウンロードされるのだ。
これはデジタルワールド特有の現象で、デジモンのみに与えられるものである。
デジモンは緻密なデータの集まりだ。
デジタルな存在だ。
子ども達の心の力を、デジヴァイスでデータに変換し、それをダウンロードすることで己の更なる進化の糧とする。
だからデジタルワールドではなく、現実世界で生まれたグミモンは、自分の本当の名前も知らなかった。
グミモン、というのが名前だと思っていたし、そもそも己がデジモンであるという認識も薄かった。
その代わり、人間界に関する知識は人間並みに持っていた。
アメリカの地図も読めるし、文字だって理解できる。
だからグミモンは、道路標識に書かれている文字を読んで愕然とした。
『ウォレスゥ、遠回りになってるよ?』
硬い鉄の棒に設置されているプレートに書かれているのは、“INTERSTATE 90”という文字。
その間には、SOUTH DAKOTAと書かれていた。
これは州間高速道路90号線の意味で、ワシントン州のシアトルから、マサチューセッツ州ボストンまでを結ぶ州間高速道路である。
SOUTH DAKOTAということは、ここはサウスダコタ州。
目的地であるコロラドからは570マイル、920キロ近く離れている。
やはり車が来たからと言って、闇雲に乗るものではない、とグミモンは呑気に電話をしているウォレスを見上げた。
「……No, it's not like that! Just listen to me for a second mom!」
トラックが通り過ぎた際に生まれた風で、土から抜けた草が舞い上がる。
ウォレスってば、と再度話しかけるが、彼は母親からの追求にどう言い訳をしようかと対処している真っ最中なので、ちっともグミモンの話を聞いてくれなかった。
いつもこうだ、とグミモンはむくれながら、傍らにいたチビモンに愚痴り始める。
『ウォレスってば僕の言うこと、ちっとも聞かないんだ。でもものすごくドジなんだぁ』
『だいしけなんてぇ、おおドジドジィ!』
うきゃきゃ、とチビモンは楽しそうにパートナーのことを教えてやる。
熱血が過ぎて空回りすることなんて、しょっちゅうだ。
でも真面目な時は本当に真剣で、デジモンカイザーだってそのおかげでやっつけることが出来た。
だがそれを伝えると長くなるから、チビモンは口を噤む。
──……いまごろ、どうしてるのかなぁ
闇に魅入られ、堕ちるところまで堕ちそうになった人間の少年。
それを救ったのは自分のパートナーだったけれど、最後まで彼を信じ続けた存在があったからこそ、元に戻ることが出来たのだろう、とも思う。
文字通り命をかけて、最後の力を振り絞って、キメラモンを止めるために戦っていたチビモンに力をくれたのは、あの世界を壊そうとした人間のパートナーデジモン。
力尽きて死んでしまったパートナーを目の当たりにしたカイザーこと一乗寺賢は、茫然自失のまま人間界へと帰っていった。
その後どうなったのか、チビモンは知らない。
興味がない、と言えば噓になるが、チビモンにとって大切なのは大輔だから、大輔が何も言わないのなら何も詮索しないのだ。
『ウォレスと似てるんだね、ダイスケ』
グミモンは何処となく嬉しそうだった。
つられてそちらに目を向けると、ウォレスはまだ電話をしている。
母親の追求から逃れられるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
「Please stop worrying so much mom. I'm fine, ok? You're already skinny, but you'll be even skinnier」
それを聞いたグミモンは、ぷっと吹き出し、口元を両手で押さえて笑いを堪える。
どうしたの?ってチビモンが聞けば、グミモンは内緒話をするように、こしょこしょとウォレスの言葉を翻訳してやった。
「……早くしろよぉ。京達追いかけなきゃなんないんだからさぁ」
手持ち無沙汰に大輔がポールに寄りかかる。
グミモンは内緒話を終えると、すうっと大きく息を吸った。
『ウォレスのママねぇ、こーんなんだよ!』
吸い込んだ息で腹と頬を膨らませる。
なるほど、ウォレスの母親は典型的なアメリカ人女性のようだ。
小さい頃、家族で出かけた際に、父親がその典型的なアメリカ人の女性とぶつかって、吹っ飛ばされたことを思い出した大輔は、きゃらきゃら笑うチビモンにつられてクツクツと笑った。
「No, mon. I did not run away from home. I just want to travel and grow up」
「……ママに電話してる時点で大人も何もないだろっての」
「Hey, shut up! Oh, no, I didn't mean you mom, no, really! I'll call you back later, ok?」
やっと母親を説得できたのか、ウォレスは電話を切った。
いや、恐らくこれ以上追求されるとぼろが出ると判断して、強制的に終わらせただけだろう。
恐らくウォレスは、グミモンのことを家族には言っていないのだ。
パソコンから卵が出てきて、それが生まれたなんて、普通の大人なら悲鳴を上げて追い出す案件である。
ウォレスもそれを分かっていたから、これまで家族に内緒にしていたのだ。
自分にも覚えがあるので、それに関しては理解している。
が、いちいち母親に電話をするぐらいなら、最初からグミモンのことを話すなり、最後まで言わないと貫き通すなりすればいいのに、中途半端だなぁと大輔は思った。
もしもこの場に“あの人”がいれば、その中途半端なウォレスの態度に苛立って、ケツでも蹴っ飛ばしていただろうに。
『ウォレスのママ、怖いんだぁ』
『そっかぁ、たいへんだねぇ』
そこもだいしけに似てるなぁ、とチビモンは笑う。
大輔もよく服を汚したりして、母親に叱られているのを、チビモンは鞄の中からこっそり見ていたから、“ハハオヤ”というものは怖いのだというのは、よーく分かっていた。
「お喋りだなぁ、お前」
『ウォレスもねぇ』
「もーお、いいから早く行こうぜぇ。お前これから行く先々で電話見つける度に、ママに電話する気か?」
「………I guess you, who can't take care of your family, don't understand」
ぼそりと呟かれたウォレスの言葉を、大輔は聞き逃さなかった。
「!Excuse me!? What did you just say!?」
ぐるん、と勢いよくウォレスの方を振り返る。
その顔は怒り、と言うより不愉快に満ちていた。
「Are you trying to pick a fight with me!?」
「No, no! I’m really sorry for that! I didn’t mean to!」
「So, what did you mean by that!? Did you think that the Japanese would not be offended by anything you said!?」
「No, please Daisuke! Listen to me……」
詰め寄る大輔を、ウォレスは必死で宥める。
しかし大輔は留まるどころか、更にウォレスに詰め寄るので、ウォレスはたじたじになってしまった。
だから、“気が付かなかった”。
気が付いたのは、グミモンとチビモンだ。
“ウォレスと大輔の意思疎通ができている”ことに。
『……ダイスケ』
1歩、グミモンが踏みだす。
さわり…………
不自然な風が2人と2匹を取り巻くように吹いた。
ピコピコピコピコ ピコピコピコピコ
ズボンにひっかけていたウォレスのデジヴァイスが、独特の電子音を奏でる。
詰め寄ってくる大輔に苦笑いをしていたウォレスは、それに気づいて視線をデジヴァイスに向けた。
ひゅるり……
一筋の風が、景色を歪ませながらウォレスの周りで遊んでいる。
──ぇえ~ん……
「泣いてる……」
『だいしけ!』
ウォレスに詰め寄っていた大輔は、風が吹いたのと同時に聞こえてきた泣き声に、咄嗟に構える。
チビモンが急いで大輔に駆け寄った時、どしん、と背後の方で重たい何かが落ちるような音がした。
デジヴァイスは鳴りやまず、風も少しずつ強くなっていく。
グミモンは何を感じ取ったのか、つぶらな瞳を吊り上げて小さく唸った。
ぐしゃり、と先ほどまでグミモンが見上げていた道路標識が設置されている硬い鉄の棒が、紙くずのようにいとも簡単に折れ曲がった。
20世紀にアメリカで創作された架空の神話で、“クトゥルフ神話”と言うものがある。
パルプ・マガジンという、20世紀初頭から1950年代にかけて、主にアメリカで広く出版された、安価な大衆向けの雑誌の中の小説を元にした神話で、太古の地球を支配していた旧支配者と呼ばれる、異形の神々が現代に蘇ることを共通のテーマとして、複数の作家によって生み出されたものだ。
クトゥルフ神話に出てくる神で、“風に乗りて歩む者”という異名を持つイタカ、またはイタクァという名の神がいる。
またの名を“ウェンディゴ”。
氷雪の夜に森林地帯を徘徊し、風に乗って目にもとまらぬ速さで現れ、人間を攫って行く精霊だ。
クトゥルフ神話の神のモデルが、イカやタコなどの軟体動物が多い中、このウェンディゴはカナダ南部やアメリカ北端のインディアンに伝わる魔物がモデルとなっており、ウェンディゴの伝説がアレンジされて、クトゥルフ神話の中では風を擬人化した悪霊となった。
そんな神話の精霊を彷彿とさせるような、不自然な風が大輔達を捉えて離さない。
ゆらり…………
遮るものが何もない、広い縹色の背景に浮かんだのは、場違いな仄暗い水たまり。
黒と白の絵具が水の中で溶け合うことなく、マーブル模様のように彩られ、それが縹色の空に落とされた一滴が広がるが如く、ぐにゃりぐにゃりと歪みながら、何かの形になっていく。
現れたのは、赤黒い毛並みの、大きな怪物。
毒々しい赤い目は、チビモンのそれとは全く似ても似つかない。
吹き荒れる風の中で悍ましい唸り声をあげたそれを、ウォレスが見上げながら呟いた。
「チョコモン……」
不自然に吹き荒れていた風が止む。
草原の緑や縹色の空の中で、血のように赤黒い体毛は嫌に目立った。
「……泣いていた、デジモン」
ウォレスと対峙する化け物を彼の背後から見た大輔が、小さく呟いた。
それを拾ったのはチビモンだけで、チビモンもそいつから目を離さずに頷く。
光子郎が目の前で消える前に聞こえた、小さな女の子が泣いているような声。
その声とは似ても似つかないような、血のように赤黒い体毛と異様に長い手、そしてルビーを嵌め込んだような真っ赤な目をしているのに、大輔は目の前に現れたこの化け物こそが、自分とヒカリが聴いた泣き声の主だと理解った。
でも……。
「っ、チビモン!」
『チビモン進化!ブイモン!』
大輔がチビモンを呼ぶと、心得たとばかりに飛び出していくチビモン。
D-3から漏れた進化の光がチビモンを包み込み、ブイモンへと進化する。
同時に、怪物のルビーのような目から光が消えた。
勢いを付けてジャンプし、必殺技として使えるほどに硬い頭で、怪物の腹に頭突きを食らわせれば、怪物は痛みと胃を圧迫された苦しみで嘔吐いた。
その瞬間、怪物はブイモンを敵として認識したようで、長い手を思い切り振り上げ、ブイモンの身体を引き裂こうとするように勢いよく振り下ろした。
しかしブイモンは古代種の中でも、肉弾戦に特化した戦闘種族である。
軽い身のこなしでそれを避けると、まるで風に乗るように怪物の背に着地し、その背を踏み台にして高く跳躍した。
「デジメンタルアップ!」
追撃は終わらない。
古代の進化アイテム・デジメンタルを起動させ、ブイモンはフレイドラモンへと進化した。
ブイモンの力を100%引き出す炎の勇気を身にまとい、フレイドラモンは幾つもの炎の塊を怪物に向かって撃ち落とした。
唖然とフレイドラモンを見上げていたウォレスとグミモンの手を引き、大輔は坂になっている草原の陰に隠れて、炎上から身を護る。
炎に包まれた怪物は、しかしそれを物ともせず、逆に怒りを滲ませながら炎を搔き消し、空中で身動きが取れないフレイドラモンへと向かって跳んだ。
その気持ちをダイレクトに受け取ってしまった大輔は、まずい、と焦り顔でフレイドラモンを呼ぶが、フレイドラモンは至って冷静であった。
跳躍してきた怪物が伸ばした手に乗せるように両手を置き、柔軟な体勢で身を捩らせながらそれを避けると、その回転を利用して怪物を蹴り飛ばしたのである。
吹っ飛んだ怪物は設置されている看板にぶち当たり、濛々と砂煙を上げた。
ほっとした大輔は、ウォレスとグミモンを伴ってそれを追い、吹っ飛ばされた怪物に対して叫ぶ。
「おらっ!お前の目的が何なのか知らねぇけどなっ!イチ兄達は関係ないだろっ!とっとと返しやがれ!」
しかし怪物は聞いていないようで、舞い上がる砂煙の中、のっそりと起き上がると、空中から迫ってきたフレイドラモンに、何と右腕を鞭のように伸ばして叩き落した。
にたり、と笑った時、大輔の背筋に悪寒が走った。
──何だ、今の……?
その瞬間、ほんの一瞬だけ。
大輔はその怪物が
『う゛ぅ゛~………』
呻くように唸った怪物は、どすどすどす、と重たい足音を鳴らしながら吹っ飛ばされたフレイドラモンの下へ駆けつけ、大地を踏みしめてジャンプする。
フレイドラモンの真上まで飛び上がり、全体重をかけてフレイドラモンを踏み潰そうとしたが、フレイドラモンは片手を地面につけると、側転の要領でそれを避け、空中へ跳んで逃げた。
しかしそれがいけなかった。
怪物の背中にある幾つもの穴から、無数の小さなエネルギー弾が発射される。
飛行能力を持たないフレイドラモンは、それらを全て避けきることは出来なかった。
1つ命中すればその瞬間身体が硬直し、芋づる式にエネルギー弾が次々命中する。
「負けんな!フレイドラモン!」
大輔がエールを送るも、フレイドラモンは虚しく地面に落下する。
思ったよりもダメージがあったらしく、フレイドラモンが纏っていた炎の鎧は解除され、パートナーである大輔の下へ光の玉になって還っていった。
黒煙と砂煙が混じって、つんとした臭いが鼻の奥に充満した。
『う゛ぁあ゛ーっ!!』
にたりと嗤って、怪物が唸る。
どす、どす、と怪物が、落下の衝撃で草が舞い上がり、地面がめくれた中心で倒れているブイモンに近づこうとしている。
「やめろぉおおっ!!」
置いてけぼりにされかけていたウォレスが、悲痛な面持ちで叫びながらブイモンを庇うように怪物の前に立ちはだかった。
「チョコモン!お前も止せ!」
ウォレスが叫ぶが、怪物は止まらない。
遅れて駆け付けたグミモンが、隣に並んだ。
『ウォレス、危ないよ!』
「お前、日本人の子ども達を何処へやったんだ?何でそんなことするんだ……」
溢れ出てきそうな涙を必死にこらえ、ウォレスはグミモンの忠告を無視して怪物……チョコモンに問いかける。
立ち止まり、自分を見下ろしてくるチョコモンの無機質な顔が、ほんの少しだけ歪んだ気がした。
『ダメだよ、ウォレス……こいつはもう、あの頃のチョコモンじゃない……!』
グミモンがウォレスの脚にしがみ付きながら言った。
風に乗るように、チョコモンからひしひしと伝わってくる感情に、グミモンは戸惑っている。
いなくなった後も、辛うじて繋がっていた細い細い糸から、チョコモンの存在は微かでも朧気でもちゃんと感じていたのに、その細い糸から分かるのはチョコモンの気持ちなどではなかった。
しかしウォレスは、希望を捨てきれない。
「チョコモン……僕が分かるだろう?ウォレスだよ」
あの頃と姿形は違っても、チョコモンが覚えていなくとも、ウォレスはずっと覚えている。
左手に巻かれている白い布が、この怪物がチョコモンだと証明している。
長い間離れ離れになってしまって、ウォレスはあの頃よりもすっかり大きくなってしまったけれど、1日だってチョコモンを忘れたことはなかった。
だが……。
『ぅ、うぉれ、す……ぅう、ちがう、うぉれすじゃ、ない……うぉれす、どこ、いったぁ!』
希望は無残に砕け散る。
振り上げられた右手が真っすぐ、ウォレスに向かって振り下ろされた。
グミモンが咄嗟に体当たりをして、ウォレスをその場から退かすと、チョコモンが振り下ろした右手がいとも簡単に草原の地面を凹ませた。
舞い上がる砂煙に、チョコモンは、否、怪物は本気でウォレスを叩き潰そうとしたことを悟り、グミモンは怪物を睨みつける。
それでも、ウォレスは諦めきれない。
「チョコモン、僕のこと分からないの?チョコモン……!」
目の前にいるのに、ウォレスは姿形が違ったって目の前の怪物が大切な友達で、家族だったチョコモンだって分かったのに、チョコモンは分かってくれない。
敵意と悪意に満ちた目でウォレスを見つめ、ずしん、ずしん、と重たい音を立てて近づいてくる。
……グミモンは、決めた。
『ウォレス……!』
チョコモンは大事だ。
でもウォレスはもっと大事だ。
だからグミモンは決めた。
回転しながら大きく跳躍し、太陽を背に受けながらチョコモンを見下ろせる位置で停止する。
グミモンの決意と、ウォレスの哀しみを受け止めたデジヴァイスが光った。
グミモンの身体を、デジヴァイスから漏れた光が包み込む。
まん丸い光の玉になり、薄いガラスが包み込んだグミモンを映し出した。
パリン、とガラスの膜が割れ、中から大きくなったグミモンが現れた。
ジーンズのようなものを履いており、更に両手はバルカン砲になっていた。
怪物は進化をしたグミモンに向かって左腕を伸ばす。
気を付けの体勢で空中から怪物に向かって落下し、バルカン砲がはめられた右手を振り上げ、怪物の頭を殴りつけた。
脳天を殴られた怪物は、視界が揺さぶられ、動きが一瞬止まる。
すかさず、グミモンは左のバルカン砲で怪物の頬をぶん殴った。
怪物は溜まらず吹っ飛び、別の看板をぶっ壊して転がっていく。
穴が開いた看板を潜り抜け、グミモンは両腕のバルカン砲を怪物に向けると、無数の弾丸をぶっ放した。
「やめろぉおっ!!」
上がる砂煙に、ウォレスが悲鳴のような制止の声を上げた。
グミモンはウォレスの声を聞いて動きを止めたが、戦闘態勢は崩さず、怪物を睨みつけたままだ。
ウォレスは分からない。
ウォレスには分からない。
友達なのに、家族だったのに、どうしてチョコモンもグミモンも争ったりするんだ。
昨日だってそうだった。
ウォレスの前に突然現れたチョコモンに、グミモンはウォレスの制止を振り切って攻撃をしかけた。
グミモンは、本気でウォレスのことを襲おうとした、何て言っていたけれど、そんなはずない。
チョコモンは家族なんだ。友達なんだ。
ウォレスやグミモンを傷つけようとするはずない。
もしもそう見えたのなら、きっとチョコモンが勘違いをしちゃっただけだ。
自分達がチョコモンを攻撃したから、チョコモンはびっくりしちゃっただけだ。
そうだ、きっとそうだ。
そうじゃなきゃチョコモンが、あの優しくて泣き虫で、甘えん坊だったチョコモンが、こんなことするはず……。
ひゅるり……
不自然な風が吹く。
チョコモンが現れた時と、同じ風。
少しずつ強く、大きくなって、チョコモンに纏わりついている。
「Chocomon, we'll be waiting for you in the flower garden.……っ!I’m waiting for you!」
風の中で揺らぐチョコモンを見て、ウォレスは必死に叫んだ。
チョコモンは何も言わない。
ただ強く大きくなっていくつむじ風の中に消え、何処かへと奔り去ってしまった。
……その風を見送る大輔に、電波のようにひしひしと伝わった感情。
そよぐ風、縹色の空に、綿あめのような雲、色とりどりの花々と、漂う甘い匂い。
ほんの一瞬だけ、太一達がその花畑にいるのが視えた。
どうやら無事らしい、ということは分かったので、ひとまずほっと胸を撫でおろす。
「………………」
怪物がいた個所をしばらく見つめていたウォレスは、やがてすいっと背を向けて、道路に向かって歩き出す。
「……何で邪魔したんだ?それにお前、無謀だぜ?あんな化け物の前に飛び出すなんて」
「……君には関係ない」
ウォレスの物言いに少しむっとしたが、大輔の目の前を通り過ぎ、緩い斜面になっている草原を歩くウォレスの横顔が、何処となく寂しそうに見えた。
「………………」
「……泣いていたデジモン、チョコモンって言うんだな」
ぴたり、とウォレスの足が止まる。
「……泣いて、いた?」
ゆっくりと大輔の方を振り向いたウォレスの顔は、戸惑いに満ちていた。
大輔を見つめるアクアマリンの目が、分かりやすいほどに揺れている。
泣いていた、って、どういうことだろう。
ウォレスと対峙したチョコモンは、果たしてあの毒々しい真っ赤な目に、涙を浮かべていただろうか。
思い出す。
思い出して、否定する。
何度記憶を再生しても、先ほど対峙していたチョコモンの目から、涙なんか流れていなかった。
ただただ無機質に、無感情にウォレスを、グミモンを見下ろしていただけだ。
むしろウォレスを見て怒っていたようにしか見えなかった。
そんなチョコモンを、大輔も見ていたはずなのに、それなのにどうして大輔はチョコモンが泣いていたなんて言い出したのだろう。
……それが本当だとして、どうしてチョコモンは泣いていたのだろう。
口を開きかけたウォレスだったが、それは叶わなかった。
『ダイスケー!』
ブイモンの元気な声が響いた。
チョコモンと激しい戦闘を繰り広げて、アーマー進化が解除されてしまうほどのダメージを受けたはずなのに、それを感じさせないほどの明るい声だった。
ウォレスから目を離してそちらに顔を向けると、いつの間にか退化をしていたらしいグミモンを頭部に乗っけて斜面を走るブイモンがいた。
いや、頭に乗せるというより、グミモンの足を掴んでいる、と言った方が正しいか。
何してんだ、と声をかけると、ブイモンはぴょいとジャンプをして、浮かび上がった。
グミモンは自身の身体の1.5倍近く長い両耳を膨らませて、風に乗って飛ぶことが出来る。
飛ぶ、というよりも滑空に近い飛び方だが、上手く風に乗れば何百メートルも移動することが可能だ。
そんなグミモンの足を掴んで、ブイモンは宙を滑空していた。
つい先ほどまで死闘を繰り広げていたとは思えないほど、ほのぼのとした光景に、ウォレスは毒気を抜かれる。
「ははっ、おっもしろそー!俺も乗せろー!」
真剣な表情を浮かべていた大輔も、空を滑空しているグミモンとブイモンを見た瞬間に成りを潜め、年相応の笑みを浮かべながら2体の後を追って走る。
「危ないぞ、グミモン」
『ウォレス!平気、平気ー!』
自分の1.5倍ほどの身長のブイモンに足を掴まれているのに、グミモンはケロッとした表情で滑空している。
普段からのんびりしている、とは思っていたが、ついさっきあったことなんか微塵も感じさせないような態度をとれるなんて、とウォレスはぼーっとその光景を眺めるだけだった。
「……君も危ないよ」
「乗せろー!」
ウォレスは大輔にも注意するが、大輔は滑空しているブイモンとグミモンしか見えていないようだった。
自分の目の前を横切り、グミモン達を追いかける大輔をただじっと眺め……。
「……だから言ったのに」
どしーん、という派手な音が響いた。
ウォレスの視界の先にはひっくり返っているブイモンとグミモン、そして大きな看板に激突して痛みで顔を抑えている大輔がいた。
まあ、お約束、というか、グミモンとブイモンは滑空するのに夢中になって、大輔はそんな2体しか視界に入っていなくて、看板が目の前にあることに気づかず、ぶつかってしまったのだ。
「もっと感情込めて言えよ!」
『ウォレス、いつもはっきりしないから……』
「うるさい、グミモン!」
呆れたように呟いたウォレスに、大輔は至極当然のツッコミを入れる。
グミモンはグミモンで、やれやれと言いたげにウォレスの悪癖を暴露した。
どうやらウォレス、アメリカ人には珍しく、あまり表立って自己主張はしない方らしい。
だからママにいつも押し切られたり、妹に押し付けられたりするんだよ、とグミモンは看板にぶつかって赤く腫れた頬を撫でる。
再度ウォレスはうるさい、と言い放った。
「それより、大丈夫か?」
『平気、平気~』
「俺は平気じゃねぇ……!」
グミモン同様、赤く腫れた頬を抑えながら立ち上がる大輔。
その割には元気そうな声だ、とウォレスは溜息を吐きながら背を向ける。
「日本の子どもって頑丈にできてるんだなぁ……」
「……あーそうだな、少なくとも年がら年中食いもん食って、ボールみたいになってる奴らよりマシかもな」
「……Are you trying to pick a fight with me?」
「You were the first to pick a fight, weren’t you?」
ハッ、と鼻で笑い、肩を竦める大輔に、ウォレスは閉口する。
そもそも今は喧嘩をしている場合ではないのだ。
ここは自分が大人になって、これ以上の会話は終わらせよう、とウォレスは自分のことを棚に上げた。
「…………お前も、ああいう進化できるんだね、グミモン」
ぽつり、と落とされたようにウォレスの口から飛び出してきた、ほんの少しの寂しさが滲んだ言葉は、大輔には届かないほど小さかった。
しかし電波になって、その寂しさは大輔の下に届く。
自分の知らないパートナーの一面を見たウォレスは、明らかに戸惑っていた。
グミモンだけじゃない。
大輔が言った、“チョコモンが泣いていた”という事実も、ウォレスを困惑させるには十分だった。
「さっ、ヒッチハイクの続きだ!早く車止めないと!」
だが今は、ここで立ち止まっている場合ではない。
一刻も早く、あの花畑に向かわなければならないのだ。
ウォレスとグミモンと、チョコモンと一緒に遊んだあの花畑に行って、チョコモンを迎えに行って、それで、それで──。
『ウォレス!』
不自然なぐらいに、元気な声で言ったウォレスを、グミモンが呼び止める。
振り返ったウォレスに、グミモンは首を傾げながら言った。
『多分、車来ないよ?』
道、穴ぼこだらけだもの。
そこでようやく、ウォレスと大輔は周囲の状況を理解する。
コンクリートロードと、草原の斜面に開けられた、幾つもの攻撃の跡。
所々砂煙が立ち上っているし、そこかしこに建っている看板も、幾つかぶっ壊れている。
大輔とウォレスの顔から、さあっと血の気が引いた。
車なんか殆ど通らない、アメリカの田舎道。
とはいえ、車の通りは0ではない。
大輔達がここまで来たのも、数少ない車の通りがあったからだ。
こんな穴だらけの道路や草原、誰かが通ったら間違いなく警察に通報ものである。
いや、そもそも戦闘中に誰かが通りかかっていたら……想像しただけで鳥肌ものだ。
ぱし、と。
呆然としているウォレスの右手を、誰かが掴む。
小さくて、僅かに暖かいそれに視線を下に向けると、ニコニコ顔のグミモンがウォレスの手を取って立っていた。
『ウォレスがもうちょっと小さいと、僕と一緒に飛べたのにね!』
その光景が、大輔は何故だかやけに眩しく見えた。
.