書いたけど連載させるほどではなかった短編集 作:タスマニアたけしMK1a
俺は妖精を見たことがある。
親や友人に言っても必ず、巫山戯てるだけと一蹴されるが、確かに俺は見たのだ。
まだ俺が小学校に上がる前、田舎にあるじいちゃん家に遊びに行った時のことだった。
普段見ることの無い豊かな自然に心踊った俺はうっかり森の奥深くへと足を踏み入れてしまった。
気がついた時には辺りはどこを見ても木、木、木。ここにきて漸く状況を理解した俺は寂しさと恐怖で泣き始めた。
その時だった。俺の正面、僅か数メートル程先に、当時の俺に比べると大きい、多分150cmくらい?の女の子が木陰からコチラの様子を伺っている事に気が付いた。
驚いた俺は直ぐに泣きやみ、暫くの沈黙の末、彼女の元へ歩み寄り始めた。
俺が近付いていっても逃げたりこちらに危害を加えようとする様子は特に見せなかった、俺が目の前に立ってもそれは変わらない。
切り出したのは、彼女だった。
「迷ったの?」
「うん」
「そっか...怪我、してるみたいだから、私のお家においで。手当くらいしてあげるよ」
どうやら、森を彷徨う内に擦り傷や切り傷が出来ていたようで、彼女はそれを手当しようと提案してきた。
俺は、人に出会えた安心感からか、特に彼女を疑うでもなくついて行った。
歩く事数分、俺の視界を覆ったのは、なんとも美しい花畑だった。
花の種類だとかは分からなかったけれど、ただ、美しいと感じた。
なんというか、あまりに現実味のない事が連続して起こったせいなのか、気が付けば彼女の家での処置は終わっていて、すでに帰路に着いている途中だった。
たぶん、彼女が道を教えてくれたのだと思う。
じいちゃん家に帰ってからというもの、その日はずっと、縁側でボケっと座り込んでいたらしく、母親が俺になにか会ったんじゃないかと心配していたらしい。
この村に俺の見た女性らしき人はいないらしかった。やはり妖精だったのだろうか
その日は、涼しい春の風の吹く日だった。
それから暫くして、また爺ちゃん家に遊びに行く機会があった。
学校で彼女の事を話しても誰にも信じて貰えなかった俺は躍起になって「なら写真を撮ってきてやる!」と啖呵を切ってしまっていた。
ただ、あの時は森で迷った末にたまたま彼女に出会ったのであって、こちらから意図的に会う方法なんて知るはずもなく、その果てに、愚かな俺はわざと森に迷うという方法をとった。
まあ結果から言えば出会えたのだが。
「ふふふ!私に会うためにわざと迷ったの?面白い子」
初めてあった時は物静かな印象を受けたが、本当は結構活発な性格をしていたようで、突飛な方法で自らに会いに来た俺を笑ってくれた。
それから、道を教えて貰った。彼女の家に向かう道を。
「私に会うために毎回迷う子供を見るのは心苦しいから」
と語っていた。
結局、その日は夕方まで彼女と話したり、お茶を飲んだりして過ごしていた。
うっかり帰りが少し遅くなってしまって、親に拳骨を落とされたのは特に鮮明に覚えている。
次に会ったのは、前回よりもさらに期間を空けたある年の春。
その年は遊びに行くのではなく、じいちゃんの葬儀に向かったのだ。
少し不器用だけど、優しいじいちゃんだった。農業をやってたため出来た、ゴツゴツとした手で乱暴に撫でられるのが結構好きだった。
かなり悲しんだおれは相当泣いた。涙を流したまま彼女の所に向かった
「そっか...」
話を聞いた彼女はそれ以上なにも言わずただ横にいてくれた。
まるで春の陽気をそのまま閉じ込めたかのように、彼女の体はポカポカとしていて、そばに居るだけで心地よかった。
泣き疲れて彼女に寄りかかるように眠ってしまったが、目を覚ますと家に居た。送ってくれたのだろう
相変わらずポカポカとした春のある日だった。
次にあったのは...もう16歳の時だったか、無計画なのは何も変わってなかった俺は、新幹線で移動するような距離にあったじいちゃん家に原付で向かった。
エイプ50。初めてしたアルバイトの給料を半年貯めて買った思い出の愛車でトコトコトコトコ、田舎を走る鈍行列車のように、事故を起こさない程度に辺りを鑑賞しながら長い時間をかけて到着した。
祖母は祖父の亡くなる10年以上前に亡くなっていたため、祖父を失ったこの家はあるべき主を失い、ほとんど放置されていた。
一応親戚の人がたまに掃除に来てくれていたらしいが、頻度はかなり低いので大分汚れていた。
後で掃除してあげようと決意し、彼女の元に向かった。
「おお、大きくなったね。大人に近付いてる!」
彼女は初めてあった時と何も変わらない姿で俺を迎えてくれた。
久方ぶりに味わう彼女お手製のお茶を嗜みながら、高校について、進路について、色々話した。
どんな話をしても楽しそうに彼女が聞いてくれるものだから、つい話し込んでしまった。
日も暮れかけていたので、さて帰ろうと腰を上げた時、彼女に引き止められた。
「実はね...」
俺が大人になったその時から、俺は彼女を認識出来なくなる。と
大人になる。穢れを知る、神秘を失う。俺には少しばかり難しい話であったが。いずれは彼女と会えなくなる、その1点だけはしっかりと俺の胸に刻み込まれた。
次に会ったのは19歳の時。
彼女と会えなくなることに対するやるせなさ、どこにやればいいのか分からない激情。それらの整理に随分時間が掛かってしまったが故にこれだけ遅くなった。
高校を卒業し、進学はせずに働き始めた俺には新たな愛車があったが、なんだか無性にアイツに乗りたくなって、またもやあの原付で出発をした。
社会に揉まれ、親の偉大さを知り。己の至らなさに涙する日々。久しぶりに取れた休暇だ。せめて最後に、彼女に会いたかった。
「久しぶり!また大きくなったね!」
彼女は変わらずそこに居た。あの陽だまりのような笑顔を俺に向け、何も変わらぬ姿で俺を家に招いた。
「今は...へぇ!あそこで働いてるんだ。あそこの創業者の人見た事あるよ!もう何十年もまえだけどね」
他愛もない話をずっとした。時間の許す限りし続けた。それは深夜まで続いた。日付の変わる、その時まで。
辺りに民家などない。満点の星空が放つ美しい光は、人類の作り上げた知恵の光に阻まれることも無く今この場所を照らしている。
「もう、お別れだね」
そうだ。もう、あと数十秒で、俺は大人になる。
俺の初恋はあと少しで終わる。
覚悟を決め、受け入れていたはずなのに、どうしてか涙は出る。心は揺らぐ。
頬を伝う涙を拭ったのは、彼女の手だった。
「誕生日おめでとう...そして、さようなら。」
彼女はまるで、花弁を散らす花々の様に。その形を崩していく。
最後まで触れられていた頬には、未だ彼女の温かみが残っている。
「さようなら、春の妖精さん」
彼女の居た場所には、季節外れのネリネの花がポツンとあった。
今振り返ると、俺の人生は怒涛の勢いで進んできたと思う。
転職、昇任、結婚、出産、子供の独り立ち、からの初孫、思い返しても、いつもどこかで何か大きなことがあった。
ただ、大半は笑顔がそこにあった。
妻は2年前に先立ってしまった。元より体が少し弱かったのが災いしたのか、62にして病で逝ってしまった。
子供たちにはとても心配されたが、心の整理はもう着いている。最期まで妻の隣にいられて、看取る事が出来たのだから。
だが、妻が居ないと、やはり寂しいのは確かで、家にいてもボーッと過ごすことが多くなった。何をするでもなく外を眺め、流れる外の日常を怠惰に瞳に映す。
だが、ある春の日、1枚の桜の花弁が庭に飛んできたことがあった。風に運ばれフワフワと揺蕩うそれは、庭の片隅に眠るかつての愛車のシートにゆっくりと着陸した。
一念発起、俺は修理を開始した。いや、もはやレストアレベルの酷い有様だった。
ただ、時間だけはたっぷりとあるのだ。のんびりと、のんびりと作業を進めて行った。
そうしてかつての愛車が再び唸りを上げた頃には既に夏になっていた。
どうせ行くなら、春に。と考え、もう1年待つことにした。
「おう、寛治や。おりゃちょっと出来てくるでな。家の事頼むぞ」
「出かける?どこにさ?」
「妖精さんのとこ」
身長の伸びきった俺には少しばかり不格好かもしれないが、それでもコイツで良かったと思う。
久しぶりのバイクだったので上手く運転出来るか不安だったが、やはり体は中々忘れないものらしく、すんなりと出立に成功した。
海沿いの道、かなり捻らないと登れないような峠道、思わず目を奪われる桜並木などをゆっくりと進む。
流れゆく景色を見ていると。俺が生きてきた64年間が脳裏を走っていく。本のページを捲るように、1枚、1枚。また1枚。
でもやっぱり、一際目立つ栞がまだ、俺の心のしこりとして残り続けていた。
もしかしたらもうあの森にすら居ないのかもしれない。それでも、あの場所へ。せめて、出来ることをして。
春風を捕まえたあの場所へ。
なにも...変わってない。辺り一面に広がる多種多様な花たち。山々から吹き下ろされる春風に揺らされるそれらの音がなんとも良いもので、気が付けば、座り込んでただ音に耳を傾けてしまっていた。
その美しさのせいで、ふと言葉が零れた。
『ああ、綺麗だなぁ』
息が止まった。そんなまさか、ても、私が彼女の声を聞き間違うはずがない。
恐る恐る横を見ると、あの日から何も変わらぬ彼女が、驚いた表情で、そこに居た。
お互いに口をパクパク、餌をねだる鯉のようにパクパク。しばらくそうしていたが、流石に段々落ち着いてくる。そうして私が最初に口に出したのは
「こんにちは、春の妖精さん」
「あぁ、....なんで...いや、まさか....あなた」
全てを悟ったのか、彼女は何も言わずに、ゆっくりと寝転がるように倒れ込む俺を、その膝で受け止めてくれた。
子供とは、未だその自我がハッキリと形成されていない未熟な時期である。それゆえ、神や妖怪、幽霊との境界が大人より幾分か曖昧で、だから時折不思議な事に出会ったりするのだと、俺は考えた。
境界に近付くには、より自分を不安定な存在にする事で、体を子供のそれと変わりない状態に出来るのではと、大した学もない俺なりに推察した。
つまるところ...死にかけるのだ。まさか、本当に上手くいくとは思わなんだ
「もう...!なんでわざわざ会いに来るの...最期くらい、家族に看取らせてあげなよ...!」
「ははは...家族には本当に申し訳ないと思っているよ。でも、最後にどうしても、また君に会いたかった...」
「...」
「あの日、森で迷ってしまった私の前に現れた君を見て、こう思ったんだ。『美しい』って」
「...また会っちゃったら、ずっと隣に居たくなっちゃうから、死の直前に近付く境界の事は...言ってなかったのに。もう!本当にバカ!」
「ごめんね...どうしようもなく独りよがりで。」
「本当だよ...!本当に....本当に...」
「あぁ、ごめん。でも、どうか泣かないで。最期は、君に笑って送ってほしいんだ」
「もう、本当にワガママね...」
少し呆れられてしまっただろうか。まあ、それも仕方の無い事だろう。せっかくの彼女の決意を俺は無駄にしてしまったのだから。俺の願いの為に、彼女を泣かせてしまった。
家のことは...まあ、手紙も残してあるし。あの子達ならあっさり乗り切ってくれるだろう。この場所の事はあまり広めたくは無かったが、俺の腐臭でこの美しい大地を汚したくはない。直ぐにここに来て然るべき対応をしてくれると信じている。
あぁ、さっきから何もかもを背負わせすぎだな。彼女の事も、子供たちの事も、妻のことも。きっと妻の所に行ったら浮気だと蹴られるに違いない。
「もう...眠いの?」
そろそろ瞼が重くなってきた...。ここが俺の人生の終点だ。
「なあ、妖精さん。」
「どうしたの?」
「おやすみなさい」
「......ええ、おやすみなさい」
暖かな春の風に身を任せ、その意識を遥か彼方へと。
春の妖精に身を委ね。
空の向こうに
ネリネの花言葉「華やか」「幸せな思い出」「輝き」「また会う日を楽しみに」「忍耐」