わからない、わからないわからないわからない
忘れているんじゃなかったのか、全部思い出したのか、何なのかもう訳がわからない
「……え?覚えてるの?」
「いや……今、ぼんやりと。先輩の事だけは……」
「───っ!」
視線の先で、ユメ先輩は更に強くリンネを抱きしめている。抱きしめられているリンネの表情は───三年前と全く同じ、心の底から幸せそうな顔だった
理解した。骨崎リンネは、ユメ先輩の事だけはほぼ完璧に思い出したのだろう。でも───その中に、恐らく私はいない
何故?何が違う?私とユメ先輩で、何が違う?付き合いの長さは同じ筈。なのに何故? わからない。わからなくて気持ち悪い。何で、何で何で何で────
「………あ」
単純な話だった
あの日々の私のリンネに対する態度を考えれば、バカでも分かる話じゃないか
嫌われていたのだ、私は
「あ、あぁ……」
何かが壊れていく気がした。戻りたい。あの頃に戻りたい。また、リンネと私とユメ先輩で笑い合えていたあの日々に戻りたい。戻らないといけない
だって、私を覚えていないのだ
「やだ……」
───あぁそうだ。これは嫉妬だ。私に無かった絆を持っているユメ先輩が羨ましくてしょうがないんだ。でも、やっぱり一番はリンネだ
「嫌だよ……」
お願いだから、私を思い出して欲しい。その目の中に、私を映して欲しい。その声で、私の名前を呼んで欲しい
ダメだ、ダメだダメだダメだダメだダメだ
二人の事を見ていられない。頭がおかしくなりそうで、逃げ出したくて、私は咄嗟に立ち上がっていて、気づけばこの場から走り去っていた
驚いた二人の呼び声なんか聞かないで、ただ現実から逃れようとする。どうすれば、この気持ちが消えるのだろう。仕方ないと、そういうものだと割り切る?無理だ。何をどうやっても、このドス黒い感情は消えない
「ゔっ…」
もう限界だ。すぐさまトイレに駆け込んで、個室で膝をつく。胃の中から込み上げてくる物を吐き出した
「お"ぇ……っ、ぐ、ぅ……!」
───下がったままのものが下がった時と、上げて落とされた時。より辛く感じるのは後者である
リンネの死によって限界ギリギリを漂っていた小鳥遊ホシノの心は、リンネの生存という事実によって少し回復し───自分の事は忘れたまま、ユメの事だけを思い出したという事実によって、再び粉々に砕かれた
「やだ…やだっ……リンネぇ………っ」
嗚咽で滅茶苦茶な声で、彼女は必死にその名を呼んだ。返ってきたのは無慈悲な静寂だけであり───彼女の心を蝕む闇が消える事は無かった
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「先生、一旦シャーレに帰ろうと思う」
「そうなの?」
「仕事があるだろ。行って戻っては簡単だけど疲労する。せっかく二人いるんだから、フル活用した方がいい」
あれから、俺は先生にそう切り出した
ホシノは結局どこにいるのか分からなかった。校内にはいるんだろうが、俺は行った事……俺はホシノの事を知らない。何かあったように見えたけど、俺が行ってもどうすれば良いのかわからないし、下手に触れない方がいいと思う
「えー?帰っちゃうの?」
「また来ますよ。あっちょっとくすぐったいです」
「うーん……なるべく早く来てね?」
「……ていうか、リンネ、それは…」
「ん、皆困惑してる」
「「え?」」
確かに、皆俺たちを見て困惑したような表情をしていた。皆が見ているのは、ユメ先輩の膝に座った俺。そして、俺の頭を撫でているユメ先輩だ
「……えっと、元々アビドスの生徒だった…んですよね?」
「……そうらしい。全く何も…や、ユメ先輩の事以外は覚えてないけどね」
「その時に何かあったのかしら……」
「……ま、いいや。とりあえず俺は一旦戻る。こっちがヤバそうならすぐに戻ってくるから。それじゃ」
「あ、見送りするよ」
見送りしてくれる、との事で、俺はユメ先輩と共に校舎を出た。ユメ先輩の事は思い出した。どんな人だったか、どういう関係だったか、どんな事をしたのか
抱きしめてもらった事、水族館に行った事、覚えている。でも、その記憶の中には…人一人分の穴がある。恐らくそれがホシノなのだろう
「それじゃ、また今度です」
「……あ、ちょっと待って」
「はい?」
「こっちこっち」
ユメ先輩が手招きをするので近づくと、少し屈んで顔を近づけてくる。すると────
「……え?」
「それじゃ、またね〜」
「へ?あ、ちょ、ユメ先ぱ……行っちゃった」
頬に感じた温かな感触。最後に見たユメ先輩の顔は、今日一番の笑顔だった
「……戻ろ。シロコ、おいで」
校門を出て少し歩いたところでそう呟くと、横に並んで現れた俺が初めて出会った方のシロコ。アビドスにいた彼女の話はしない。わざわざ話すような事でもないだろうし
「……やっぱり、こっちでも仲良いんだね」
「ん?ユメ先輩の事?そっちの俺も仲良かったんだ。……てかさ、別に歩かなくても帰れるよね。シロコワープは?」
「……知らない。歩けばいい」
「なんか拗ねてるー?」
「……うるさい」
そう言って、少し先に歩いて行ってしまった。まず間違いなく拗ねている。恐らくというか確実にユメ先輩関連の事だろう
「歩くと結構遠いんだってー。疲れて死んじゃうよ…なんちゃって…」
……違和感
シロコの歩みが止まった。何も言わずに、いきなり。よく見ると、どこか手が震えているようにも見え───
「っ……!先っ…輩……!」
「え?ちょっ、力強っ!?」
呼吸を荒らげながら俺の肩を掴んだシロコ。目尻に浮かんだ涙───初めて出会った時と同じ感覚
「ごめんなさい…言う事聞かなくて、生意気言ってごめんなさい……何でもするから……だから……」
「シ、シロコ?」
「冗談でも、あんな事言わないで…!」
瞬間。俺の目の前が真っ暗になった いや違う、俺を抱きしめているんだ。子供のように泣きじゃくるシロコに抱きしめられた事で、視界が遮断されてしまったらしい
「ま、待って!落ち着いてって!」
「ごめんなさい……!ごめんっ……なさい……!」
こうなると長い。シロコの為にも、俺にできるのは彼女が安心できるようその体を抱きしめ続ける事だけだった
「……本当にごめんなさい。取り乱しちゃって」
「気にしないで。俺が無神経だった」
あれからどれくらい経ったか。シロコはようやく落ち着気を取り戻した。取り乱してしまったからか、あるいはもっと他の理由か、どこかへこんでいるように見える
記憶をなくす前の俺が何をしたのかは知らないが、あまりにも地雷が多い。気をつける必要がありそうだ
「でも、簡単に何でもするとか言っちゃ駄目だよ。シロコは可愛いんだから、そこら辺ちゃんとしないと」
「……誰にでも言うと思ってるの?」
心外、といった表情。むしろ俺以外の誰にも言わないようで安心できる
「いや、思ってはないけどさ」
「……そうだ。せっかくだから首輪でもつけてみる?」
「つけません」
「いつでも言ってね」
記憶は戻らない。わからない事だらけ。記憶を無くす前の俺が、どこか他人のような気すらして気持ち悪くなる。……だが、この子といる時は何故か居心地がいい
「シロコ」
「?」
「ありがとね」