目的地であるホルアドへと向かう馬車列の、その最後尾に配された車両に乗車したハジメと遠藤。その車中にて語り合う二人であるが、何時になく遠藤は饒になっておりアレやコレやと、話題を遡上に乗せてはハジメに話題を振っていた。
「しっかしなぁ、南雲の天職ってクリエイターだったっけ?作ろうと思えばいろんな魔法の効果をプログラム出来るんだよな。」
「そうだよね、まあ使う構造素材とか魔石の質とかに出力される際は左右されるけど、火とか水とかの基本的な魔法の再現ならある程度は行けるね。」
語るのは、二人でハジメの天職の可能性について。殊更遠藤が大きな身振りでハジメへ尋ねて、ハジメは平素は態度でそれに答える。そんな遠藤の様子をハジメは少しばかり訝しく思うも、取り敢えずは遠藤の話に乗ってみようと彼から繰り出される問に懇切丁寧答えるのだった。
そうして暫くの間続けられる質疑応答だったが、其処でふとハジメの天職に対して遠藤は自分が思っていた事を軽い調子で溢した。
「でもアレだな、この世界に来てからの南雲の仕事っぷりを見てるとさ、
それは遠藤としては、ちょっと軽口をたたいた程度の発言だったのだが、それを聞いてしまったはハジメは思わず身体が硬直してしまう程の衝撃的な発言だった。
遠藤の発言に僅かな時間フリーズしてしまったハジメだったが、その硬直から解かれてハジメは『さてこれはどうしたものやら』と思案するが、その思案の時間も十数秒で切り上げて意を決してひとつ頷くと、遠藤の顔を見据えて静かに口を開く。
「実はね遠藤君。ちょっとコレを見てほしいんだけど。」
言いながらはしは衣服の内懐から7cm×12cmサイズ銀色のプレート(ステータスプレート)を取り出して呟く。
「ステータスオープン!」
ハジメの言葉に反応して、ステータスプレートが輝き、何もない空間に浮き出る様に文字列と数値とがホログラム表示された。それを読み取った遠藤は思わぬ事態に呆気に取られ、その表示の一部分を何度も何度も確認し口に出して呟き、ハジメの顔とホログラムとの間を数往復した後、漸くハジメ自身にそれを問うのだった。
「なっ!?南雲、コレって!」
カップに淹れられたコーヒーに例えるならば小匙一杯の困惑と、それに数倍する杯数の興奮とをブレンドした様な声音で。
遠藤が確認したそれは、ハジメのステータスの天職の欄に記されていた文字にあった。一月前、このトータス世界に召喚されたハジメ達に手渡されたステータスプレート、その手渡されたプレートに記されていたハジメの天職は
しかし、今遠藤が見ているハジメのプレートのホログラムの天職の欄には、つい今しがた遠藤がジョークとして口にしたモノが在り在りと記されていた。
天職∶
「うん。遠藤君は冗談で言ったんだろうけど、正にそれが何時の間にか増えてたんだよね、ハハハ。」
「ハハハってお前なぁ……いや、マジでこんな事があり得るんだな。何てか冗談から駒が出たって感じだな。」
何とも言えない微妙な空気感が車内に漂う中『どうすりゃいいんだよコレ』と遠藤は気が遠くなりそうな思いに囚われ、それを伝えたハジメの方もまた数日前に自分のステータスに現れた変異に、彼と同様な思いに囚われていたのだった。しかしいくら考えても今現在はまだソレについて解答には辿り着けないだろうからと、取り敢えずこの問題は棚上げしておこうと言葉無く苦笑しつつ頷きあうが、ハジメは一つだけ頼り無いながらも行き着いた心当たりを遠藤に告げた。
「何年か前に父方の祖父ちゃんに教えてもらったんだけど、昔曾祖父ちゃんが鍛冶職人だったそうなんだけど、戦時中は海軍工廠で戦艦大和や武蔵の主砲の46サンチ砲の砲弾の加工を手掛けてたんだって。だから、もしかすると僕にも案外その血が流れていたのかも知れないね。」
「へぇ〜っ、そりゃすげぇな。でも案外、そう云うのも影響してる可能性も否定は出来ないよな。」
訓練初日に天職と言うのは個人の才能を表した物だとメルド団長に説明を受けたが、中にはその天職が表れない者も居るとも聞いた。しかしその天職が複数、しかもその内の一つが後に現れた者はこれまでに存在していたのだろうか。その様な事例があれば良いのだが、もしもそれが稀でイレギュラーな出来事なのだとすると、その発覚によって何が起こるか判った物では無い。ならばこの事は秘匿し伝えない方が良かろうと二人はそう結論つけた。
世界7大迷宮の一つとして知られる『オルクス大迷宮』その迷宮へと挑戦する者達の為に設けられたと言っても良い宿場町『ホルアド』にやがてハジメ達勇者一行は到着した。その日は王国が手配した宿屋に宿泊し旅の垢を落とし、翌日は件の迷宮へとアタックする事となる。
基本二人一部屋として割り当てられた結果、男子には端数が出た都合上ハジメは一人部屋へと割り当てられてしまい、少しだけ寂しくも感じたのだがプライベートな時間を過ごすのならば、一人部屋の方が気楽だし何かと都合が良いだろうと気を改めるのだった。
ホルアドの宿場町に到着した時は夕暮れ時であり、各人暫しの休息を取ると直ぐに日は暮れてあっと言う間に夕食時となった。ハジメは部屋に持ち込んだ荷物を置きっ放しに、一応宿の従業員から借りた鍵を掛けてから宿の食堂へ向かう。すると既に多くの生徒が各々グループを作り着席していた。
「お〜い、南雲。此方が空いてあるぞ!」
座れる席は何処かと見渡していたハジメに気が付き、遠藤が椅子から立ち上がって手を振りなごらハジメに声を掛けて誘ってくれた。ボッチ飯にならずに済んだ事に、内心に遠藤に感謝の念を送りつつハジメは軽く右手を上げ応えると、遠藤達が囲っているテーブルへと向かう。
そのテーブルには遠藤以外に四人の男女が着席しており、その誰もがハジメに対して友好的な態度で彼を迎え入れるのだった。
「ありがとう遠藤君、永山君、野村君、吉野さん、辻さん。」
相席するクラスメート達に謝辞を述べてハジメは空いている椅子に腰掛ける。名を呼ばれたクラスメート達は笑顔でそんなハジメを迎え、それから暫くすると夕食が提供され全員揃ってそれを頂く。ガヤガヤとした喧騒と呼べる程は五月蝿くは無いが、各所で生徒達も騎士団員達も楽しげに会話を交わしながら夕食の時間は過ぎていった。
三々五々に食事を終えた生徒達は思いのままに、早々に食堂を後にする者とその場に残ってまったりと食後のお茶を楽しむ者とに別れる。ハジメ達の場合は後者で、全員が居残りお茶や果実水を飲みながら語らっていた。その話題は彼等の置かれた状況からして明日から始まる実戦訓練の話題が中心となるのは必然と言えるだろう。
「はぁ……いよいよ明日は実戦訓練か、俺達ちゃんと出来るかな?」
始めは皆気楽に自信あふれる言葉を口にしていたが、クラスメートの男子の一人、野村健太郎がそんな中で少しばかりの不安を口にすれば、それに釣られるように次第に不安を口にする者も出始める。
「そうだよね。メルド団長や騎士団の人達は二十階層位なら今の私達なら、余裕でクリア出来るって言ってくれてるけど、やっぱり初めての事だし何が起こるか分かんないもんねぇ。」
追従する如く、女子の一人吉野真央がそれに続いて言えば、このグループのリーダー格である巨漢の永山重吾も彼女の言葉に頷く。
「同感だなぁ。いくら太鼓判をもらってもやっぱちょっとは私も不安って言うか、緊張とかは感じてるよ。」
永山と同じく辻綾子が頷き、溜め息混じりに弱音を吐くが、それも致し方無かろう。彼等彼女等はチート級の力を持っていようとも、所詮は未だ実戦経験皆無の未熟な子供なのだから。
「でもみんなこの一ヶ月、真面目に訓練を受けて実力的には合格点をもらえてるんだよね。それに団長だって僕らのレベルに合わせて訓練内容をチョイスしている筈だから、油断さえしなきゃ大丈夫だよ。団長や騎士団の人達も言ってたでしょう、生産特化の僕と違って、今の時点でもみんなの戦闘訓練は順調に進んでいるし実力は折り紙付きだって。」
そんなこの場の雰囲気と皆の気持ちの落ち込みを思いやって、ハジメは殊更に楽観論を交えて励ます。しかしこの言葉はハジメとしても間違った事を伝えているつもりは無く、事実として彼等の実力の向上は騎士団員達をして目を見張るモノがあると、生徒達を評価している。
なので気持ちが萎縮してしまってはその力も発揮出来ないだろう。但し、其処に油断や慢心が加わってしまえば、その実力も活かされず最悪のケースを迎える可能性も多いにあるのだが。
ハジメの励ましの言葉にグループの皆は互いに目線を交わし合い其々の心中でその言葉を咀嚼し、若さ故かそれにより沈みゆく精神を押し上げ、テンションの向上をなしゆくのだった。
「そう言えば南雲って学校でもそうだったけど、何か何時も自然体って言うかドッシリ構えてるって言うか、あんまり緊張とか恐怖心とか感じて無いみたいだよな。何か精神修養とか心構えとかあるのか?」
自分達の事を気遣い助言をくれたハジメに、永山が心中にて謝意を感じつつ自身の彼に対する評価を伝え同時に、永山が感じてたハジメの精神的な強さが、何処から来るのかを純粋な疑問として知りたいと思い尋ねる。ハジメは剣技や基礎的な訓練では決して優秀とは言い難いが、精神面に於いてはクラスメートの誰よりも勁いと永山はハジメを評価していた。そして自分達の現状から、よりベスト或いはベターな状況を導き出し、その為の手を打つ堅実さなど見倣うべき物であると。
「あっ、それ解る!コッチに来た時も南雲君ってみんながこれからの事を不安に感じてた時に南雲君一人だけ言いなりになるんじゃ無く、ビシッと教皇に意見してたもんね。」
「うんうん!それだけじゃ無くて王国の貴族達にプレゼンしてる時だって、南雲君ってやり手の営業マンみたいな巧みなトークと冷静な態度で上手く対応してたし。あの時私、南雲君って案外大物なんじゃって思ったもん!」
永山の言葉に追随する様に二人の女子もハジメを高く評価してくれていて、何ともハジメは彼等からの評価や好意にちょっとしたむず痒さ、面映ゆさを感じずにはいれない。要するにハジメは彼らからの、その評価が照れ臭くて仕方が無いのだ。
「えっ!?そうかな。これでも一応は緊張してるんだけどな。明日の事もだけど、あの時だって下手に教会の言いなりに全部を受け入れちゃあ、僕達どんな扱いされるか解った物じゃ無いって思ったからね。相手は如何にも遣り手の年長者だし迂闊な発言は僕らの立場を悪くする結果になるかもだし、どうするかって必死に頭を働かせてたんだよ。」
左手を後頭部に当てて照れながら言い訳の様に、ハジメは自分の取っているスタンスに付いて説明する。この世界へと拉致られてからずっとハジメの基本方針はトールが迎えに来てくれるまで、出来ればクラスメート達(仲良く出来ない者達も存在しているが)全員に犠牲者を出せずに地球へと帰還する事を第一義としているのだから。
「これから先僕等の実力が増していけば、何れは本格的に魔人族との戦争に参戦させられる日が来るだろうけど、でも生きて日本に帰れる様にしようね。」
もうこれ以上みんなから持ち上げられるのもハジメ的には精神衛生的によろしくない、なのでこの話はもう切り上げようとハジメはそう締め括った。
「じゃあ、俺達も今日は早く寝るとするか。」
「だな。明日の為にコンディションを整えないとな。」
「みんな、おやすみ。」
それを期に挨拶を交わし、皆も割り当てられた部屋へと向う。この暫しの語らいの時間を持てた事により皆の抱えていた緊張や鬱屈も幾らかは解消出来た様で、ハジメには彼等の表情が柔和な物になったと感じられ、この会合の時間が意義のあるものだったと実感ができた。
「ぷはぁ……何か精神的に疲れたなぁ。」
部屋のベッドへとダイブしてハジメは溜め息と共に独り言ちる。王城のベッドの様な華美な装い等無い、庶民向けな宿屋のベッドと寝具が小市民なハジメには心地良く、きっと何も考えていなければ直ぐにハジメは眠りの園へと導かれるだろうが、未だハジメはその思考を手放してはおらず、今もなお苦労性よろしくアレコレと考えをめぐらしていた。
トータスへと喚ばれてから今日まで、実はハジメには一つ悩んでいる事がある。それはクラスメート全員に対して秘密にしている事、トールの存在である。世界を渡る力を持つ異界のドラゴンであり、家族であるトールが自分を探す為に今も捜索を続けているだろう。
それをクラスメート達に伝えるべきかと言う事である。このトータスへと喚ばれた事によらみんなも異世界というのが、フィクションの中の物では無く現実に存在しているのだと認知した訳で、ならばもう一年近く南雲家には異世界から来訪したドラゴンであるトールいる事も伝えても良いのではないか、それを知る事で馴れぬ異世界での生活と戦争へと参加させられるかも知れない不安な現状に希望を見出だせるだろうと。
だがしかし、それを皆に伝えるのならばトールの存在をトータス世界の者達に一切漏らさぬ様に全員が一枚岩となり、その秘密を守り切る事が出来るとの確証がなければならないだろう。クラスメート一人一人の顔を思い浮かべて、それは無理だとハジメは断定する。
幼いヒロイズムに酔って、この世界の為にとヤル気を出している天之河や、以前からハジメを敵視している檜山達などが秘密を守るだろうか、それは否であろう。
天之河ならば、この世界の為に為す事を為さぬ内に地球へと帰還すべきではないと、自分の価値観からハジメを断罪しやがてトールがこの世界に訪れる事を国王や教会に報告するだろうし、檜山達ならば嬉々として悪意を以てハジメを貶める為に教会に密告するだろう。
「うわぁ……改めて考えてみて、間違い無く彼等ならそう動きそうだよな。確かこの世界では竜人族って人達が反逆者扱いを受けていたそうだから、ドラゴンであるトールと僕が繋がっていると知られたら即刻異端認定されるよな。」
ならば遠藤や八重樫の様に信頼の置けるクラスメート限定でそれを伝えるのはどうだろうか。人間的には信に能う二人ではあるが、トールの到着が何時になるのかは誰にも、捜索を続けているトールにも分からないだろう。なのでそんな不確定な要素を伝えたとしても、希望を何時までも持ち続ける事が出来るのか、迎えが遅くなればなるほどに希望が焦燥へと置き換わり、やがては待ち続ける事に膿み絶望へと。
「僕はトールに絶対の信頼を持っているけど、クラスのみんなもそうだって訳じゃ無いし。やっぱり中途半端な希望は、持たせない方が良いだろうな。その人達は信頼出来たとしても、壁に耳あり障子に目あり、秘密は何処から漏れるか解らないからね。」
トールの秘密は現状みんなに話すべきでは無いと結論付け、ハジメは今日のところは此処までと思考を放棄する。いい加減考える事が多すぎてハジメは『肉体よりも精神的疲労が溜まっているな』と自己分析し、もうこのまま意識も手放し寝てしまおうと目を閉じた。きっと羊の数を数える必要も無く直ぐに微睡みから深く静かな闇が訪れて、眠りの外へと
と、思っていた時間がハジメにもありました。が、その思いは儚くも砕け散ってしまったのだった。
『コンコンコン』とあまり厚みを感じない木製のドアを、その音量からも多少遠慮気味に叩かれた事を伺い知れる程度の力加減で叩かれたその音は、ハジメの元に訪問者が訪れた事を報せる音である。
「ん……ふぁ〜っ……もう、誰だよ全く……勘弁して欲しいんだけどなぁ。」
人類の三大欲求の一つを満たすべくベッドの上でうつらうつらと、その瞬間の訪れを楽しみにしていたにも拘らず、その楽しみを妨害された事にハジメは内心腹立たしく思ったのだが、もしも訪問者の要件が緊急の要件であったのならば対応しない訳にはいかないだろう。
ハジメはボヤキながらも気を改めてゆっくりではあるがその体を、今この時間だけは他のどの様な存在よりも、それこそ絶対に自分を探し求めてくれている誰よりも信頼するドラゴン娘よりも恋しい、ベッドとの別れを心のなかで告げて起き上がった。
「ふぁ〜い、今行きます……」
脳の活動が半ば沈みかけていた影響で、若干口調に可怪しさがあるもののドアの向こうの訪問者に返事をしながら、ハジメはノロノロと扉へと向かい歩く。
然程広ない部屋故に、ほんの十歩にも満たない歩数でハジメは部屋の扉へと到着し、金属製のドアノブに手を掛けて内開きになっているドアを引くと。
「あっ、こんな時間にごめんね南雲君……!?」
ハジメの部屋の前に立つ訪問者、それは意外にもハジメが全く予想もしていなかった相手であった。その訪問者『白崎香織』は頬が僅かに上気した朱に染まっており、その整った顔立ちも相まって大層魅力的で世の多くの男子の理性の箍を一発で破壊させてしまいそうな程に魅力的である。
『なっ……なんでやねん。』
更にその魅力を幾重にも底上げするかの様に彼女の纏う衣服が、思春期男子にとっては非常“ヤヴァい”と言わざるを得ないのだ。ちょっと透け感のある純白のネグリジェに、軽くカーディガンをボタンも留めずに羽織っただけの姿で立っているのである。
もしもハジメに彼女に対して好意以上の想いを抱いていたのならば、その扇情的なまでの魅力に彼女をこの場で押し倒していただろうし、彼女の方もそれを嬉々としてと迄は言わないが、間違い無く受け入れていただろう。そうならなかったのは偏にハジメの心に深い絆によって結ばれている存在が住まっているからに他ならず、それは白崎にとってはある意味不幸な事実であった。
しかしそんなこんなハジメをしても彼女の姿は、思春期少年のリビドーに訴えるモノがあり、それを打ち払う為にかハジメは心の中で関西近畿方面の方言で突っ込みを入れざるを得なかったのだった。それは所謂煩悩退散の呪文の代替である。
「あ……あぁ、その何か用かな白崎さん?」
その呪文の効果は覿面で、ハジメの身の
「うん。あの、ちょっと南雲君とお話がしたかったから、こんな時間だけど“今しか”無くて。」
この様な時間に訪れた事に対する謝罪の意味も込めてか、白崎は小さく頭を下げながら来訪の用件を告げた。彼女のその言葉にハジメはほんの少しだけ真剣な彼女の想いを感じ取ったのだが、夜遅くに女子とマンツーでしかも内側から鍵の掛けられる個室での会合を持つ事に些かながらの抵抗感を感じていた。
「えっ、それって明日じゃ駄目なのかなぁ?」
であれば、ハジメが彼女に対し翌日への先送りを提案する事は至極当然の行動であろう。しかし、彼女はハジメの返答に少しの逡巡も見せずにしっかりとハジメの目を見据えてコクリと頷き。
「うん……明日じゃもう間に合わないから。」
『うん』と答えて、僅かの
「まあ、こんな所じゃ何だから、中にどうぞ。」
昼間馬車の車中で、これまでの彼女のハジメに対する言動に付いて考えていた事を思い出し、彼女の話を聞きつつ同時に少しだけでも彼女の心の内の一端でも知りたいと云う欲求が芽生えた事もあり、ハジメは彼女を部屋の中へと迎え入れた。
「あっ、ありがとう南雲君。じゃあ、お邪魔します。」
ハジメの内心の感情を読み取る事は出来ないが、彼が自分を拒絶せず迎え入れてくれた事に香織はホッと安堵したが、少々の緊張感も持って少し怖ず怖ずとしながら促されるままに想い人な宛てがわれた部屋へと入室して行った。
パタンと音を立てて閉じられたハジメの部屋のドアを、そのドアが開かれる前から閉じられる迄の一部始終を、その場から少し離れた場所から見届けた者が居た。ハジメと香織に、否正確には香織に見咎められない様にと姿を隠しながらその場まで彼女を尾行してきたのだが、その尾行者は今宿屋の廊下の壁に着いた右腕をギリギリと歪んだ怒りに震わせながら、小さな声でブツブツとその者にしか意味の解らぬ呪詛を呟く。
「何でだよ……何で……白崎、何で南雲なんだよ……イツばっかり何で!?死ねば良いのに、アイツが、南雲が居なけりゃ……」
そして、やがて感情の昂ぶりが頂点に達した尾行者は壁からその腕を一端離し、グッと腕に力を込めて離れたばかりの何の罪も無い壁に叩き付けた。
「畜生ぅッ………」
罪無き壁を叩いて、悔しさにその身を震わせるている
グラリグラリとまるで夢遊病患者の様な足取りで歩きする檜山の後ろ姿を、先の檜山の様に姿を隠しながらその様子を窺う者が居た。薄暗い廊下の影から
「フフフ……あらあら何だか良い場面に出くわしちゃったな♪いやぁ、コレは思わぬ拾い物かも………」
等とさも愉しげに愉悦に口を歪めてそう独り言を漏らすと、静かに距離を置きながら歩き去る檜山の後を追いかけ始めるのだった。ハジメの知らぬ場で深く静かに事態は動き始めていた。