南雲さんちのメイドラゴン   作:佐世保の中年ライダー

47 / 52
お待たせしました。
誤字報告毎度ありがとうございます。

トールの逆鱗に触れたヒュドラ君の顛末です。


第四十七話

 

 空と地上、共に南雲ハジメに想いを寄せる二人の美しき少女の視線が互いを捉えて絡み合う。畏敬、尊崇、そして驚愕、複雑な思いに揺れる瞳が空を見上げる。

 訝しみ、嫉妬、そして幾許かの感心の思いを抱き、その思いを三白眼に現して、じとりと睨む瞳が見下ろす。

 それは僅か数秒程の時間であった。目を離したのはトールの方からで、彼女はもう一度周囲の状況を見渡す。少し離れた柱の陰に伏して横たわる想い人たるハジメの姿を見留めて、その状態にトールは忸怩たる思いに駆られる。もっと早くハジメの元に駆けつけられていればと。

 三ヶ月余りの別離の末に出会えたハジメは左腕を失い、その代わりに装着していたと思われる金属の義手も破壊されてしまい、根元付近にその残滓が若干残されているだけと言う何とも無残な物だ。コレだけでもトールの中の怒りの電流を迸らせる要件は充分に満たしているが、ハジメの身に降り掛かった災難はそれだけでは無かった。どうやら顔の右半分を焼かれ、大きく焼け爛れており、しかもそれにより右目が消失してしまっている様だ。何某かの治療が施されているのか、シュウシュウと蒸気を上げながらハジメの肉体の再生はなされている様だが、その魔法なのか治療薬かは定かでは無いが、失ってしまった四肢や眼球の再生までは担いきれない様だ。

 “ブチリ”とトールは自分の中で決定的な何かが切れる音を自覚する。そして沸々と湧き上がる怒りの電流が全身を迸る。

 それは物理的な質量を伴っているかの如く瞬く間に空間を圧して行き、空間全体を震撼される。ガタガタと揺らぐ地面の影響で、戦いにより破損し撒き散らされた建造物の残骸がヴァイブレーション効果で小刻みにカタカタと揺れ動き、更に小さな破片がピンポン球の様に大きく跳ね跳ぶ。それは恰も彼女の感情の強さを遍く総ての者に知らしめる様に。

 

 「…………」

 

 ユエは目を離せないでいた。この空間を震わせるほどのエネルギーの迸りを、それを発しているトールの事を畏敬の思いを込めて見つめ続ける。いつか会いたいと思っていた存在の、何と偉大な事かと。しかしユエは知らなかった。

 コレでもまだトールがその怒りのエネルギーの総てを解放していないと言う事に。そんな事をしてしまえば想い人たるハジメをも巻き添えにしてしまう為に、敢えてその力をセーブしていると言う事を。

 

 怒りの感情を抑えつつ、ゆったりとトールはその地に着地する。一連の事態に訳も解らず戸惑っている様子のヒュドラに鋭く“ギロリ”と怒りを込めた一瞥をくれる。その眼光はこれから滅する相手に対して一切の慈悲などかけるものかと、これから貴様を屠るのだと無言の宣告をしていた。

 眼前の矮小な存在をこれから屠る。その前にトールは、へたり込み未だ動かぬ金髪の少女に振り返る事無く声を掛ける。

 

 「今すぐ、貴女は其処から下がって離れなさい。」

 

 その場に居られたとしても、これから殺る事に何らの影響もありはしないし、彼女の身にも被害を与える事もありはしないが、取りあえずはハジメの事を任せる者が必要だと判断しての事だ。

 キョトンと、狐につままれた様な表情を浮かべてユエはトールの後頭部を見つめる。ユエは、まさか此処でトールが自分に呼び掛けてくるとは思っていなかったのだから、それも致し方無かろう。

 

 「その足に受けた傷も少しは癒えたでしょう。歩くくらいなら問題無いはず。」

 

 チラリと一度後ろを振り返って、トールはユエに彼女の先に状態を見ており、十分に動けるだろう事を把握してておりユエに念を押す様にそう告げたのだ。そう言われ己の足の状態を確認し、その言葉にユエも従うべく立ち上がり、後退に移る。だがそこで『待ちなさい』と、トールに呼び止められる。

 

 「………?」

 

 訝しみつつもユエは顔だけをトールの方へと向けて、彼女の言葉を待つ。ヒュドラから目を離して振り返り、トールは如何にも不本意であると言う感情も露わにユエを見つめて告げる。

 

 「はぁ………よくハジメさんの事を守ってくれましたね。」

 

 一つ溜め息を吐いて、トールはユエに感謝の言葉を告げる。その溜め息に彼女の複雑な心境が如実に表れている。差し詰め、ハジメに近寄る他の女など以ての外と切り捨てたいところなのだろう。

 

 「本当に、業腹ではありますが(・・・・・・・・・)、少しの間ハジメさんの事を貴女に任せますよ“アレーティア”」

 

 「!?」

 

 伝える事は伝えたと、トールはユエから目を背けて再度ヒュドラへと向きなおる。一方トールの言葉にユエは驚愕し其処で暫し立ち竦む。それはトールの口から紡がれた、ハジメを任せるとの言葉と共に捨てた筈のユエの真の名をトールが口にしたからだ。ハジメも誰も知らない筈の昔の名を。

 

 「っ、トール姉さま………」

 

 その名で呼ばれてユエは、愕然としてトールの後ろ姿を見つめる。瞳と声を微かに震わせ、複雑な思いが胸の裡に去来し、心臓の鼓動が早鐘の様に鳴り響いて、ユエは自分の心が、深く昏く黒く染め上げられる様な思いに駆られる。

 ガン決まりの鋭い眼光をヒュドラに向けていたトールだったが、直ぐ側でユエが動きを止めてしまった事を気配で気付き、彼女が動きを止めてしまった理由を何となく察する。初めて会った相手に名乗ってもいない名前を呼ばれたのだから、戸惑うのも仕方無かろうと(それは的を外しているのだが)推察し、トールは仕方無いですねと内心溜め息を吐きつつ。

 

 「訊きたい事もあるでしょうけど、話は後です。さあ早く行きなさいッ!」

 

 ユエを促す。トールの声音からユエは、トールが自分に対して悪意と言える様な感情を抱いていない事を何となく察する。尤もいつの間にかハジメの側にくっついている、邪魔な女くらいには思っているかも知れないが。

 

 「っ……ん!」

 

 小さいながらも、はっきりとユエはトールの言葉に返答しハジメの身を隠している柱の方へと小走りに去って行く。足に負ったダメージも完全回復とまでは行かず、且つ肉弾戦を得意としているタイプでも無い為に、そのスピードは決して速くは無いが。

 

 

 

 

 ヒュドラは思う、一体この気持ちは何なのだろうか。突如己の眼前に降り立った、得体の知れない小さな存在から感じられる威は、ヒュドラがこれまで感じた事のない程の強大な圧力を放ち、己はそれに竦ませられて身動きも出来ないでいる。

 コレが『恐怖』と言うものなのだろうか。その前に相手をしていた二体の小さな者達との戦いに於いて、危うい場面に遭遇し冷や汗をかく場面に遭遇したが、しかしその戦いに於いてさえもコレ程までの脅威を感じはしなかったにもか拘らずにだ。

 

 『……………』

 

 空から飛来した小さき者と、己がトドメを下そうとしていたもう一体の小さき者と何かの意思疎通を図っている様だ。今ならばこの二体の息の根を止められるのではないか!

 そう思いヒュドラは慎重に事を運ぼうとしたのだが、しかし空より飛来した小さき者が己を一睨みされてしまい、ヒュドラはそれを行う事能わず、しかも更に何か根源的な恐れを抱かされ萎縮し、身動きを封じられてしまったのだった。

 

 『何なのだ!?自分はコレから一体どうなってしまうのだ…………』

 

 生態が違いすぎる魔物、ヒュドラがその様な事を考えているのかなど、トールにとってはどうでも良い事である。ただ彼女にとってこの眼前の魔物など。

 

 「さてと、ハジメさんを私から奪ったこの世界のエヒトとか言う神擬きを抹殺するのは決定事項ですが………」

 

 「その前に、ハジメさんをッ!あんな目に遭わせたお前の、チリひとつとてこの世には残さん!」

 

 怒りに暴発しそうになる感情を抑えつつ、トールはヒュドラに対する死刑宣告を下すのだった。しかしまあ、これから彼女がやる事の前は、ちょっとした清掃作業程度の手間にも及ばぬ瑣末事でしか無いのだが。

 なるだけ早くハジメと共に日本へと帰還して、大切な皆と再会する事を第一義とし、序にエヒトとか言うこの世界の神をプチッと捻り潰して報復し、二度とハジメに対してチョッカイを掛けられない様にする事。

 

 「まあ、これから先も私達の邪魔をするならいっその事、この世界自体をブチ壊してしまっても構わないですけど。」

 

 胸元付近で両手を併せて、世紀末救世主伝説の人の様に指をポキポキと鳴らしながら、トールは中々に物騒な事をさも何でもないと言わんばかりに呟く。そして。

 

 「はァーっ、ふんッ!」

 

 右掌を空へと向けて掲げ、その掌に力を込める。裂帛の気合いの声と共に、その掌に球形の何かが形作られる。その球形のモノは次第に体積を増し、遂には直径が十メートル程にまで巨大に膨れ上がり、フワリと揺蕩う様にトールの掌から十センチ程離れた空間に浮いている。

 

 「お前の罪を数える必要も無い。ハジメさんを傷付けた、私にとっては、唯それだけで万死に値する!」

 

 球状物体を形成した右手を空高く掲げて、トールはヒュドラに宣告する。抗う事も、避ける事も出来ない消滅と言う結果のみをを与える為に。

 

 

 

 

 ハジメの元へと辿り着いたユエは、横たわるハジメの頭を自らの太腿に乗せてヒュドラと対峙するトールを見つめる。ヒュドラに対した斜に構えた体勢で右手に巨大な光球を作り出しているトールの姿を。

 

 「………っ。」

 

 未だ戻らぬ意識のハジメがユエの膝の上に頭を抱かれた状態で身体を小さく痙攣させ、微かな苦鳴を上げる。ユエはトールから目を離し、苦しげな様子のハジメの頭を優しく撫でる。神水の効力により少しづつ傷が癒えていくハジメをいたわる様に。

 

 「ハジメ、もう大丈夫。トール姉さまが来てくれた。」

 

 そして彼を安心させる為に、今この場にトールが駆け付けて来てくれた事を伝える。ハジメのその意識は未だ戻らないが、それでもユエは彼に伝わるだろうと確信して。そうしてユエは再度その目を戦うトールへと戻す。タイミング良く、その時トールが作り上げた光球をヒュドラへと向かい、放つ所だった。

 

 

 

 「コレに飲まれて消え失せろ!」

 

 高く掲げた右腕にトールは怒りと力を込めて構え、そして前方へとその腕を突き出す。それに合わせてトールの掌から生まれた球状の物体が、押される様にフワりと静かにヒュドラへと向かい進み行く。

 

 『あぎゃッ!!??』

 

 徐々に迫りくる光球に底知れぬ恐怖を感じてか、ヒュドラは慌てふためき間抜けな声を上げて後退るのだが、逃げ場など在ろう筈もなく進退窮まってしまう。

 

 「間抜けが、逃げ場など何処にも無い!」

 

 冷淡な表情と声音で、無様を晒すヒュドラを嘲笑うでも無く、トールは唯其処にある、ヒュドラにとっては残酷な事実のみを淡々と告げる。そして、その言葉が現実となる瞬間が訪れる。

 トールが放った光球がヒュドラに接触すると、その触れた場所が消え去ってしまった。徐々に徐々にと、触れられる毎に消え去って行くヒュドラの身体は、トールの宣告通りに世界から少しづつ消え失せて行く。チリひとつこの世界に残す事無く少しずつ。

 

 『アっ、ぎゃアァぁずッ!!』

 

 ヒュドラに言語を司る能力があるのかは定かでは無いが、今ヒュドラが発した恐怖の鳴き声は、言語化すればこう言っているのかも知れない。『きっ、消えて行く、この俺の身体が、この光球に触れた場所から徐々に消えていく。まるであの光に身体が削り取られ、この世から消え去って行く様に!?嫌だ、こんな死に方有り得ないッ!』とでも。

 それは結局、ヒュドラにとっての断末魔の声となり、遂には端からこの世に存在していなかったかの如くヒュドラの肉体の全てが、トールが生んだ球体に飲み込まれ消え失せてしまうのだった。

 

 ヒュドラが消えて何も無くなった空間に、ヒュオォォっ、と何処からとも無く風が吹きトールの長いスカートが揺蕩う。前方へと突き出していた右腕を下ろし、もう此処には用無しとばかりに、トールは踵を返してハジメの元へと向かい歩く。最初はゆっくりと、しかし直ぐに、もう一刻たりとも待てないと急ぎ駆け出す。

 

 「ハジメさんッ!!」

 

 戦いを終え、それまで発していた怒りや威圧を消し、深愛の情に溢れた力強く熱い声音でトールは想い人の名を、万感の想いを込め呼んだ。

 

 「トール……姉さま、ハジメまだ、目を覚さない……起きない。」

 

 ハラハラと瞳を潤ませてユエが意識の戻らぬハジメの状況を、途切れ途切れに言葉を詰まらせながらトールに伝える。先にも確認したが、トールの目から見てもハジメの状態は酷いものだ。否、この世界で変貌する前のハジメを知っているからこそ、現在の変わり果てたハジメの現況を酷いものだと、トールの目には映るのだ。

 その左腕は肩口から数センチ程を残して断ち切られ、右目も存在そのものを消失してしまい。髪の色も失われ真っ白に、そしてその肉体の処々に、得体の知れぬ魔力の流れを司る赤黒いラインが刻まれている。ハジメの肉体は明らかに人間から逸脱してしまっているのだ。

 

 「ハジメさん………」

 

 心の底からトールは後悔する。何故自分はもっと早くハジメの元へ駆け付ける事が出来なかったのかと。自分がこの世界へ来るのが遅れてしまったから、ハジメがこんなになってしまったのだと。トールは己の心が根本からポキリとへし折られてしまいそうな思いに囚われそうになる。

 

 「トール姉さま……」

 

 そんなトールの様子にユエが心配気な目を向けて、もう一度トールに呼び掛ける。その声にトールは、はたと我に返る。今はこんな悔恨の念に囚われている場合では無い。変わり果てた姿になって居ようとも、ハジメがハジメである事に変わりなど無いのだ。

 

 「心配をかけました。アレーティア。」

 

 これまでハジメと共にこの忌まわしいダンジョンの攻略を行なってきたであろう、吸血姫の少女。その二人の攻略の過程がどの様なものであったのか、想像する事しか出来ぬトールだが、きっと二人は互いに協力し合って此処まで戦って来たのだろう。もし、この吸血姫が居なければ、ハジメの攻略行はもっと厳しい物になっていた可能性もあるのだ。

 元来は人間とは違う価値観を持つトールだったが、南雲家の皆と共に過ごした一年余りの月日の中で、次第に人の持つ価値観に対する理解も進み、それを尊重する気持ちも芽生えた。だからこそトールはユエの事を、いつの間にかハジメの側にちゃっかり居た不届きな女だと思いながらも、彼女に対して此処で謝意を伝える事が出来たのだろう。

 

 「ん。」

 

 態度を軟化させたトールにユエはホッと安堵して、小さく頷いた。しかし目覚めぬハジメの対し、今の自分にはもう施してあげられる事は残っておらず、ユエはコレからどうするべきか分からずハジメの頭を撫でながら戸惑うばかりである。

 ユエの膝枕で眠るハジメを先と同じ様に、トールはじっと見つめる。彼の呼吸は止まってはいない事が、薄く開いた口から小さく漏れる呼気から窺い知れる。

 

 「ハジメさんは兎も角生きている。なら大丈夫、生きているのなら。代わりなさい後は私が。」

 

 その事だけは不幸中の幸いである。そしてトールには打つ手はあった。ユエとポジションを交代してトールは眠るハジメを、慈しみを持って右腕で胸元に抱き寄せ、左打腕で彼の腹部をそっと撫でる。

 伝わってる想い人の体温とその肉体の重さに、トールは複雑な感情の中に喜びが溢れ出てくる事を抑えるきれず、瞳を潤ませる。

 

 「待ってて下さいね、今!」

 

 ハジメの顔を潤んだ瞳で見つめて、トールはハジメにそう呼び掛ける。意識のない彼からの返事が返ってくる事は無いが、今の彼女にはそれでも構わなかった。何故ならトールはこの状態のハジメを救う術を持たされていたからだ。

 

 「使わなければ、それに越したことは無いと思っていましたけど、コレはファフニールさんに感謝しなければですね。」

 

 そう言いながらトールは左手を伸ばして、とある世界で身に着けた空間収納から、出立前に南雲家を訪れたファフニールから託された小さな小瓶を取り出した。ガラスの封をされた瓶の中で、琥珀色の液体が波打ち揺蕩っている。

 その小瓶を一瞥すると、それを自分の口元へと運んでトールは小瓶の封を歯に挟んで、折り取った。パキッと小さな音を立てて封を切り、それを少し行儀は悪いがトールはぺっと吐き捨てて、その小瓶の中の琥珀色の液体を呷り口に含んだ。その口中に何とも言えない奇妙な味わいを感じるが、それは我慢。

 

 『ハジメさん。ちょっと変な味ですけど我慢してくださいね』

 

 口内に液体を含んでいる為に声に出しては言えないが、トールは胸中でそうハジメに呼び掛けると、彼の唇に自らの唇をそっと触れさせて、その液体を口移しでハジメの口中へと送り込むのだった。

 

 「……………」

 

 二人の交わした口づけをユエは複雑な心境を抱えながら無言で見つめる。トールがハジメに施したものが何らかの回復薬であると言う事は、容易に想像出来るのだが、それを飲ませる為の方法がユエの乙女心に複雑さを掻き立てられているのだ。ユエの想いはハジメにある。しかしハジメの心がトールに向いている事を彼女は知っており、その胸がチクリと痛む。

 

 「………ぷはっ。」

 

 トールの口から吐息が漏れる。その口に含んでいた液体を全てハジメに移し終えたトールが、ハジメの唇から自分の唇を離すと二人の唇の間にキラリとした微かな光を放つ銀色の細い架け橋が掛かる。しかし二人の距離が離れると、その橋も途切れて分断され静かに消え去った。

 

 それから数秒、トールによって胃の腑まで液体を送り込まれたハジメの身体が小さくピクリと痙攣を起こした様に跳ねる。

 

 「うっ………カハッ………」

 

 それをきっかけとしてかハジメの口から苦しげな吐息とが漏れ、続け様に嘔吐感に苛まれたのか小さく咳き込んだ。その様子にトールは安堵の表情を浮かべるが、ユエは逆に不安そうな表情をして事を見守っている。

 

 「ハァ……はぁッ………ぐッ……」

 

 二人が見守る中、徐々にハジメの呼吸が荒くなり、苦鳴を上げながら身悶える。

 

 「ハジメッ!!」

 

 「黙って待ってなさいッ!」

 

 苦しむハジメを見かねて彼に駆け寄ろうとするユエをトールが心配無用と制止する。そう言われたとて、ハジメが苦しんでいるのをユエは辛くて見ていられないと、トールへ詰め寄ろうとするのだが。

 

 「大丈夫、薬が効き始めただけです。」

 

 トールはユエを諭す様に穏やかな口調でそう告げる。そう一言告げ、トールは苦しむハジメの胸元を左手で優しく撫でる。そんな二人をユエは黙って見ている事しか出来ず、そんな自分がもどかしく、そして心苦しい。

 やがて、ハァハァと息苦しそうに呼吸を続けるハジメの身に劇的な変化が起こる。

 

 「ぐっ……ぐはぁッ!!」

 

 トールの腕の中で、これまでに無い程の痙攣と苦鳴を漏らすハジメの全身が突如眩い光を放ち始めた。ハジメの身体から放たれた輝きは数秒間数える程度の時間で治まりを見せると、ハジメの口から発せられていた苦鳴の声も同時に治まり、落ち着いた静かな呼気がハジメの口から漏れはじめ、ユエもその様子にほっと人心地がつく。

 しかしハジメの変化は更に続く、再びハジメの口から『うっ』と少し苦し気な小さな吐息が漏れると、ハジメの左腕に残されていた義手の残骸が弾け飛び池に落ちた。

 やがて、その腕の切断面の肉がモコモコと蠢き始める。それと同時にハジメの顔面の右目の周囲の肉も同じ様にモコモコと蠢いはじめる。未だ意識の戻らぬハジメだが、もしもこの時意識があったならば、我が身から感じられる奇妙な疼痛にむず痒さと肉体の変貌による僅かな痛みとを感じ珍妙な声を上げていたかも知れない。

 話を戻そう。ハジメの左腕の蠢きはやがて真っ直ぐにハジメの臀部付近まで伸びると、外観に見える筋肉の筋などを顕し、先端部分は平たく伸ばされたかと思うと、五つに枝分かれしして五指を形成し始めた。

 

 「ハジメの腕が!」

 

 その劇的な肉体の形成にユエは驚愕と歓喜の入り混じった声を上げる。しかし、ハジメの変化はそれだけに留まらず、顔面にも及んでいる。消失した眼球付近が自然な形を取り戻し、瞼や睫毛などが新たに生まれ出る。

 その瞼は閉じられたままであり、確認は出来ないが間違い無く、その奥には失われた眼球が蘇っている事だろう。

 

 「ハジメ………ハジメッ!!」

 

 もうこれで安心だ。ユエの口からは何度もハジメの名が紡ぎ出され、その瞳からは温かな涙が溢れ出て暫くは止まりそうに無い。

 

 「ハジメさん。」

 

 一方でトールは、ハジメの腕と眼球が再生した事に安堵はしたものの、その顔には何処か浮かない思いが感じられる表情をしているのだった。

 




ヒュドラ散る

オルクス大迷宮に栄光あれ!とは言いませんが。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。