突然に何の断りもなく連れて来られた異世界で、その首謀者と言える宗教団体のトップである老人イシュタルにより告げられた、あまりにも身勝手が過ぎる要請にハジメは心の内で暫し悪態を吐くと、この後をどうするべきかと気持ちを切り替えてこの場での流れを考慮に入れつつ、考えを巡らす。
「うわ……南雲が言った通りの事を言ってるな、あの爺さん。」
ハジメが語った幾つかの推察のうちの一つとして提言された『他民族との紛争に駆り出される可能性』と云う話が現実として突き付けられ、遠藤がウンザリとした気持ちを込めてそう吐き捨てる。但しその声はかなり小さく抑えられており、隣りにいるハジメにしか聴こえない音量の声音である。
ハジメ程では無いにしろ遠藤も多少は創作物に触れていて、其処で身に着けた知識として一神教の国家での迂闊な発言は後々面倒事となるとの印象を持っている為である。
まあしかしそれは、イシュタルが語った話があまりにも現代日本人的な価値観から逸脱した話であったが為に、周りのクラスメート達の戸惑いの思いが乗ったざわめきの声がこの空間に溢れている為に存在感の薄い遠藤の声は、ただでさえ他者に伝わりにくいと云う事もあり杞憂に過ぎないのだが。
「うん、創作物ではわりとよくある展開だからね、問題はこれからだよ遠藤君。僕達としては上手く立ち回って少しでも生き残れる可能性を上げなくっちゃね。」
「だよなぁ。」
生き残る可能性を上げる。望まずして押し付けられたこの現実からの解放こそが、ハジメ達にとっての最大の命題である。
「ふざけないで下さいっ、貴方達は結局この子達に戦争させようと言っているのでしょう!そんなの許しません!ええ、私は絶対に許しませんよ!あなた達のしていることはただの誘拐です、それは人道にもとる行為です、許されざる行為です。それを理解しているのなら私達を早く帰して下さい!きっと、ご家族も心配しているはずです!」
ドンッとテーブルを叩き椅子から立ち上がり、ハジメ達と共にこの誘拐拉致的召喚に巻き込まれた畑山教諭が憤怒の念も顕に、イシュタルに抗議の声を上げる。それは地球的な現代社会の概念からすれば当然の意思表示ではあるものの。
『先生の言ってる事は正論なんだろうけど、現代社会とは違う価値観の連中には通用しないんだろうな。何せ僕らは向こうから勝手に呼びつけられたんだから。』
ハジメは冷静に畑山教諭の発言がこのトータス世界の宗教的価値観には通じないだろうと、達観した視点で見る。
『イシュタルって人、畑山先生の言葉にすっごい意外って顔してるよね。さしずめ神の意志で召喚された僕達が、その意に反する事を口にしたのが彼的にはあり得ないってところなんだろうな。』
次いで、ポカンと呆気に取られた様な表情を見せるイシュタルを観察して、ハジメは現在の彼の心境を推察してみる。神の意志が総てに優先される、そんな世界の神の代弁者である老人から見れば、畑山教諭の言葉こそが奇異なモノとして捉えられているのだろう。
しかし其処は海千山千の老獪と言ったところか。イシュタルは直ぐ様表情を切り替え、努めて同情的な表情と声音を持って畑山教諭に応えるのだった。
「お気持ちはお察ししますが。しかし、皆様方の帰還は現状では不可能なのです。」
優しい眼差しを畑山教諭に向けて語り掛け、その言葉を終える時には目を伏せて首を振る。本当に芝居掛かってるなと、ハジメなどは冷めた目でイシュタルを観察する。
「ふ、不可能って、どっ、どう云う事ですか!喚べたのなら帰せるでしょう!?」
目を伏せて沈鬱な表情を見せるイシュタルに畑山教諭は両手をテーブルに着けて、勢い着けて身を乗り出して問い質すが。
「先ほど言ったように、あなた方を召喚したのはエヒト様です。我々人間には異世界に干渉するような魔法は使えませんのでな、あなた方が帰還できるかどうかもエヒト様の御意思次第ということなのです。」
返ってきたのは、そんな人を食った様な答えで、それを聞かされた畑山教諭は『そんな……』と絶句し、力無くストンと椅子に腰を落としてしまった。そしてクラスメート達も畑山教諭と同様に力無く途方に暮れる者、ヒステリックに叫ぶ者と様々な反応を見せるが。
『やっぱりそんなところだろう』とハジメだけはイシュタルの返答が予め解っていた様で、パニックを起こす事もなくそう心中に呟いた。
『問題はトール達がこの世界に辿り着くまでにどれくらい掛かるかだよね。この世界のエヒトとかって神が、トール達を妨害とかして来なけりゃ言いけど。』
それはハジメが身近に、異なる世界を往来出来る存在が居るお陰もあってのモノで、今話の冒頭でも遠藤に言った様に上手く立ち回ってトール達の迎えが来るまで生き残る事さえ出来れば、このイカれた世界からの帰還が叶うと知っているからこその反応であり、且つまた決意の表明でもあった。
『そうなると、一応はイシュタルさんの要請に従う振りをしておく必要もあるかもだよね。この世界の国家体制とか判らないけど、独裁国家とか宗教の影響力とかが高いと、一個人の人権とか無いだろうし。』
方針がそうと決まればどう行動を起こすべきかとハジメは思案し、イシュタルの要請を受ける方向で考えてみる。寄る辺のないこの異界で生き残るには何より先ずは、衣食住が必要不可欠であり、その保証を得るには形だけでもイシュタルの要請に従った方が都合がいいだろう。
ハジメが口元を手で隠し、そう思考を巡らせていると、カタッと小さな音をたてて椅子から一人の男子生徒が立ち上がり、堂々とした態度でクラスメートに呼び掛けた。
「皆、ここでイシュタルさんに文句を言っても意味がない。彼にだってどうしようもないんだ。」
それは、ハジメ達のクラスに於いてクラスメート達からの信頼が最も厚いであろう、漫画的な爽やかイケメン男子を一見見事に具現化した様な人物。天之河光輝の声だった。
確かに天之河の言う様に、イシュタルに文句を言っても意味はないだろう。この場合、イシュタル自身は神とやらの声を代弁するだけの存在なのだろうから。
「俺は、俺は戦おうと思う。この世界の人達が滅亡の危機にあるのは事実なんだ、それを知って放っておくなんて俺にはできない。」
そして、天之河光輝はこの世界の人々の為に戦うと宣言する。その彼の発言を聴けば、何とも義侠心と正義感に溢れた美しい事を言っている様ではあるが、しかし『この世界の人達が滅亡の危機にある』と言う事は、自らの目で確認するまでは決して事実だとは言えないだろう。
それがただ単にイシュタルがハジメ達を都合良く使い倒す為にでっち上げた、虚言である可能性もあるのだから。
『天之河君は、その辺りに思い至って無いのかな。いやまあ本当のところは天之河君の方が事実を見抜いていて、逆に僕の方がアレコレ考え過ぎて疑心暗鬼になってる可能性もあるかもだけど。』
天之河のひとり語りの決意を聴きつつ自身の考察と比較して、ハジメは自分の考えが独り善がりになり過ぎてしまって無いかと自省する。
この案内された室内で、この世界を見ずして一人の人間から語られた話だけで全てを決めるには、何と言っても見知らぬ世界で生きて行くには足りないものが多過ぎる。
「それに、人間を救うために召喚されたのなら、救済さえ終われば帰してくれるかもしれないだろう。イシュタルさん、どうですか?」
「そうですな。エヒト様も救世主の願いを無下にはしますまいて。」
ならば、向こう暫くの間は天之河の扇動に乗ってみせるのも一つの手段だろうかと、ハジメはイシュタルと天之河との会話を聴きつつその様に今後の方針を固めるのだった。そう決めて、ハジメは二人の間で交わされる話を聴く。
天之河が言うには彼はこの世界に来てから、どうやらその身から力が漲っているのを感じるのだとか。
その言葉に頷きイシュタルがハジメ達地球人はこの世界の人間と比較して数倍から数十倍の力があるのだとか。何とも都合の良過ぎる話である事かと、ハジメは声と表情に出さない様に気を使いつつも呆れた気持ちを抱かずにはいられない気分を味わった。しかし其処でハジメはハッと気が付く。
『うん?ちょっと待てよ。あの魔方陣の光に包まれた後、何だかよく覚えて無いけど何かに自分の身体をイジられた様な気がしたんだけど。アレってもしかして……』
ハジメはこの世界の召喚される直前の不可思議な空間での事を朧に思い出した、あの何とも気持ちの悪い感触を。もしあの空間でエルマから貰ったお守りと自分の身の内から湧き上がるトールの感触の様なモノを感じられ無ければ、今頃自分はどうなっていたのだろうかと。
『うわっ……もしかして僕って相当にヤバかったのかも!』
そう思うとハジメは何だか背筋がゾクリと寒くなるのを感じ、左右の手を組み二の腕辺りを擦ってしまうのだった。
だが、やはりと言うべきだろうか、カリスマ男子天之河の参戦表明とイシュタルから伝えられた、この世界の人間と比して自分達が遥かに強いとの発言によりクラスメート達は調子が良い事に、えも言えぬ優越感と幼稚なヒロイズムに中てられたのか次々と天之河に続いて参戦表明を宣言していった。
因みに明記しておくと、最初にそれを宣言したの天之河一派の幼馴染み組だった。クラスのヒーローポジション天之河の相棒である脳筋野郎と、そしてクラスのニ大ヒロインの宣言が結果生徒達の背中を押したのだった。
「皆さん本当に良いんですか。私達は戦争に加担する事になるんですよ、どうか考え直して下さい!」
その場のノリだけで、大事な命を懸ける事となる戦争に加担しようとする生徒達に思い留まる様にと畑山教諭は呼び掛けるが、しかしこんな世界に不当に連れ去られた現状を都合良く忘れられ、ヒロイズムによる高揚感と無敵感に心を染められた生徒達にその声は届かない。
「うわっ……マジかよみんな、そんなに簡単に決めていいのかよ。」
そんな中にあって、この存在感の薄い同級生の遠藤は皆が酔いしれている高揚感に中てられてはいないのは大したものだが、しかし戦への参戦と云う一大事に不安を隠しきれない。
「うんまあ、しょうが無いと思うよ遠藤君。現状僕達に選べる選択肢はコレしか無いからね。」
ハジメは現況の不安感故かも知れないが、他のクラスメート達と違い状況に酔い痴れる事の出来無い遠藤に同情し慰めにも気休めにもなら無いが、せめて一言でもと優しく気を遣い声を掛けてみた。
「南雲……南雲の言う通りそうかもだけどさ、けど怖いのは変わらないだろう。でも南雲は凄いよな、こんな状況なのに冷静に周りの様子を見てるんだから。」
「そうかな、実は僕も結構不安に思ってるんだよ。でもこんな状況だから少しでも生き残れる可能性を考えて動かなきゃって必死に頭を働かせてるんだ。」
遠藤もハジメの言う通りで、現状では選択肢が無いと言う事は理解している。しかしそれでもこの状況を怖いと思う正常な精神も失わずにいる事に、ハジメは遠藤を高く評価すると共に遠藤も自分を高く評価してくれている事を申し訳無く思うのだった。
それは、ハジメがこの状況にあって正気を保てているのは、何れトールが迎えに来てくれるだろうと解っているから、この場の誰も知らない日本への帰還方法を自分だけが知っていると云う事実と、それをなしてくれるであろうトールへの絶対的な信頼感が担保となって、ハジメは正常な感覚を失わずに済んでいるのだと自覚しているから。
現実逃避の成分を多量に含んだ、一見前向きな様に見えるクラスメート達の喧騒をハジメは仰視する。個人的にはあまり親しくしようとは思わないが、天之河は文武両道にして高身長且つ爽やかな見た目のハンサム少年だけあり、男女問わず人気者だ。そして帰れないと絶望感に打ちひしがれていたクラスメート達にちょっとした希望を与えてこの様に仕向けた事から、一流のアジテーターとしても稀有な才を持っているのかも知れない。
そんな事を考えながらハジメはクラスメート達や畑山教諭や、そしてこの場に集うトータス世界のエヒト神に使える司祭や司教達に次々と目を向けてみる。クラスメート達の様子は前述の通りだが、畑山教諭はオロオロとしながらも生徒達に思い止まる様にと呼び掛け、司祭達は皆判で押した様な極力感情を押し殺した無表情で。
しかしその中にあって唯一人だけ笑って否、嗤っている教会関係者がいた。それは誰あろう、この教会の最高責任者であるイシュタルその人であった。
イシュタルの視線は不自然なまでに天之河一人を捉えて離さず、彼の一挙手一投足と為人までもを観察しているかの様に視続けていた。天之河の先の発言、この世界の紛争に参加するといち早く宣言した事によりクラスメート達がこぞって彼に続いたことから、イシュタルは天之河さえ動かせればクラスメート達をまとめて己の望む方向へと動かす事が出来ると認識したのだろう。
『だからこそ嗤ってるのか。』
イシュタルの嘲笑の様な嗤いは、既に天之河光輝と云う少年の為人を確りと把握したうえで、その独善的なヒロイズムを少しばかり刺激してやればどうとでも動かせるとでも思ったのだろう。何せクラスメートの大半は今日の様なこう言った緊急事態に陥った時に咄嗟に対応する事も儘ならず右往左往してしまった様に、自ら意思決定し動くと云う事も放棄してしまう様な主体性の無い者達揃いの様だし。そう思われても仕方無かろう。
『ああ、もう。何かこのままじゃ不味いかもな。現状イシュタルさん達の要請を飲まざるを得ないのは仕方無いとしても。しょうが無いかなぁ、あまり目立ちたくは無いんだけどな。』
このままでは不味い、老獪なイシュタルに乗せられてしまえば良くも悪くも真っ直ぐ過ぎる天之河では、際限なくこの世界の厄介事の全てをおっ被ってしまう羽目に陥ってしまいそうだ。
「あのイシュタルさん、ちょっと質問しても構いませんか?」
ハジメはあまりにもお気楽なクラスメート達の様子に今後の事態の推移に危機感を覚え、多少なりとも彼らに、決して自分達の立場が安楽な状況では無いのだと自覚してもらう為にもここは一つ敢えてそれを皆に突き付けようと立ち上がった。特に天之河にはその辺りを理解して欲しいと願いつつ。
「ふむ、何ですかな。私に答えられる類の質問ならば、よろしいのですが。」
好々爺然として、イシュタルは鷹揚に頷きハジメの言葉に頷く。勇者の一団とは言えども青二才の小僧っ子の質問など、如何様にでもあしらえるとでも思っているのだろうか。
「はい、それで構いません。」
「それじゃあですね、先ずはイシュタルさん達は僕らに魔人族との争いに於いて、具体的には何処までの事をさせようとしているんでしょうか?」
ハジメの質問の意図が掴めないのだろうクラスメート達の大半はその顔に『コイツ何言ってるんだ』とでも言いたそうな顔をしている。
しかしイシュタルはクラスメート達とは違いハジメの質問の意図を見抜いている様で、皆には気付かれない程度に眼光を鋭くしてハジメに目を向けてくる。まだ様子見程度だろうが、イシュタルは天之河と違いハジメは少しばかり扱いが厄介な相手だと思ったのかも知れないと。
「……はて、それはどう言う意味でしょうかな?」
しかし其処はこの遣手の老人。その様な警戒心などおくびにも出さずに、韜晦してみせる。ハジメの方もそんな老人の態度など知らぬとばかりに質問を続ける。
「そうですね。今回イシュタルさん達が崇める神様は、魔人族とのパワーバランスが崩れたから僕達を召喚したんですよね。だったらさっき言った魔物を使役する者を皆殺しにして、そのバランスが取れたら魔人族側と協定でも結んで終戦。僕らはお役御免となるのか。それとも敵の戦力を徹底的に叩いて壊滅させて魔人族側が降伏を申し込むまでなのか、それともこの世界の人間族にとって魔人族は不倶戴天の敵として、戦争に関わらない一般の魔人族、それこそ老若男女一人残さず、全ての魔人族を殺し尽くさせるのか。その辺りどうなんでしょうかね?」
ゆっくりと言語明瞭にハジメがイシュタルに質問の言葉を投げ掛けると、その途中から徐々にクラスメート達の顔色が変化し始めた。天之河の扇動により、この後の展開などこの世界の住人よりもスペックが高い自分達に掛かれば楽勝ムードと、高を括っていたところに現実を突き付けたハジメに、ある者は雰囲気をブチ壊すなとでも言いたげに。またある者は皆殺しと言う言葉に恐れをなして怖気づき。またある者は、南雲の癖に格好着けてんじゃ無ぇとでも言いたげに反応は人夫々だ。
「おい南雲ッ!!お前は何て事を言い出すんだ!いくら戦う相手だからって殺すなんて、そんなあまりにも酷過ぎる発想をするなんて、お前は本当に人間なのかッ!?」
しかし其処に、あまりにも現実の見えていない幼な過ぎる憤りをハジメにぶつけて来る者が居た。誰あろうか、それは真っ先にこの世界の争い事に首を突っ込むと宣言をした少年であった。
「何て事って、変な事を言うね天之河君。僕が今イシュタルさんに尋ねているのは、極当たり前の事で、しかも極めて重要な事の筈だよ。君が最初に音頭を取ってみんなもその流れに乗って魔人族との戦争に参加表明をした訳だけどさ。なら僕らは近い内に戦場に駆り出される事になるのは必然じゃないかな。そうすると嫌が応にも相手方と殺し合いになる訳だし、僕としても本当は嫌だけど、今の内から人を殺す事を覚悟しなきゃならないんだよ。」
戦うと宣言しながら全く覚悟の出来ていない天之河の言葉に、ハジメは呆れながらも言わなければならない事は言っておかねばと、まるで年少の子どもに諭す様に懇切丁寧に話して聞かせるが。
「だからと言って戦って殺すなんて言葉が出てくるなんて、とても
残念ながらハジメの思いは天之河には伝わらず、寧ろ気持ちを拗らせた幼子の様に甘過ぎる、某大国の肥満体を増殖させる原因の一つであるであろう、油と甘味を大量にブチ込んだお菓子の様な思考を披露した。
「そうですよねッ!イシュタルさんッ!!」
そして、この場に居るトータス人の中で最上位にして、ハジメ達を戦場へと赴く事を促す張本人であるイシュタルに同意を求めるのだが。
「………それは、ですな……」
然しもの彼も天之河の言動には一抹以上の不安感を覚え、しどろに口を開くが、その問の答えに窮してしまうのも已む無しか。そして思うのだった、この少年に任せても良いモノだろうかと。
「イヤイヤイヤ、流石にそんな都合良く行くわけないでしょ。いくら僕達がこの世界の人達より基本的なスペックが高いって云っても、所詮僕達は軍人でも無ければプロの傭兵でも無いんだから、この中には魔物って言っても他の命を奪うって行為自体に対して忌避感を持つ人もきっといる筈だよ。それこそ多分だけどみんな日本では食べる為に鶏を絞め殺した事さえ無いだろうし、そんな僕らが戦いを前にして平静でいられるかな。」
其処で一度口を閉じてハジメはクラスメート達を見渡すが、ハジメに口論を仕掛けた天之河でさえも反論の言葉が咄嗟には出なかった様で、テーブルの上の両手を悔しげに握り締めた。夢見がちな天之河としてはハジメの発言を決して認めたくなど無いのだが、しかし認めざるを得ない部分もあると理解はしているのだろう。生憎と人の心情などを読む事は出来ないが、それでもハジメの発言を聞いたクラスメート達も今後の行動を人任せだけにせず、少しだけでも能動的に動いてくれればとハジメは願い話を続ける。少しでも生き残れる可能性を高める為に。
「そう居られる様になるにはそれなりの期間の訓練が必要だし、だけど訓練したからってみんながみんな一流の兵士になれるかってのも未知数だよ。よしんばその辺をクリアして戦場を経験してさ、其処で命のやり取りを体験して恐ろしさとか気持ち悪さとかその他諸々引っ括めて、人によってはそれでPTSDを発症したりとかって事態だって考えられるよ。まあ偉そうにこんな事を言ってる僕だって、いざその時が来たらそうなるかもだしね。」
『うわ、恥ずかしい。何か格好着けて色々言ったけどみんなドン引きしてないかな』と思いつつもハジメは言うべき事は言い終えたと、そのまま椅子に着席しつつ内心は冷や汗タラタラだった。
さて、これを受けてイシュタル老人はどう答えるか。自身の願う方向の答えをイシュタルから引き出せればと願う。
「その辺りは心配ありませんぞ皆様方、これからこの神山を降りていただきます下界の国において、皆様方には騎士団による教練をお受けいただく手筈となっております。その教練に於いて、心身共に実戦に耐えうるまで成長出来たと教官となる者の判が下るまでは戦場にはお出ししませんので、御安心くだされ。我らとしても元よりそのつもりでありましたからな。」
『ヨシ、来た!』と内心ハジメはガッツポーズでも取りそうな気持ちだったが、グッとその気持ちを抑える。イシュタルが言う様に当然トータス人により戦闘訓練くらいは行われるとは予想していたが、最悪それは形だけに終わり直ぐ様にもハジメ達を戦場へ投入する流れになるのではと危惧していたが、イシュタルの発言によりハジメ達に対して確りとした訓練を施してくれるとの言質を取れたのだから。
この場に居るクラスメートと畑山教諭、日本からこの場に連れ去られた全員がその発言を聴いたのだから、それをおいそれとは覆してしまう事は相当に困難であろう。幾らイシュタルが遣手の策士だったとしてもだ。
しかし最後までハジメ達に対して戦場に於いて、何処までの役割をやらせるかに付いての言及は避けていた事はイシュタルの老獪さの面目躍如と言ったところだろうか。だがハジメとしては一先ず相応の時間を稼げた事でこの場は良しとするべきだろうと判断し、イシュタルにはぐらかされたままとする。必要以上に言及して要らぬ警戒心を抱かれるのも面白く無い事態を招きかねないしね、とハジメは自分を戒める。
「そうですよね、普通に考えてそれが当然でしょう。と言う訳だけど天之河君、僕としては甚だ不本意だけど、それでも僕らが生き残るにはやらなきゃいけないんだ。それに敵だって戦争なんだから此方を殺す気で攻めて来るだろうし、其処に遠慮会釈は無いよ。だったら自分の手を血で汚す覚悟はしておいた方が良いと思うよ。」
もう一度天之河に覚悟を念押しする様に促すが、天之河は答えない。
「そうですな。当方としても皆様方に我が世界の命運を託す以上は、皆様方には万全の態勢で挑んで頂かねばなりませんからな。」
口を開かない天之河を置いて、代わると言う訳では無いがイシュタルがそう告げて天之河と、次いでハジメとに視線を送ってから他のクラスメート達にも朗らかな好々爺の顔を見せる。これから戦地に赴かせる子供等に形だけでも安心せよと言い聞かすように。
「だが、それでもきっと……」
力無く椅子に腰を落とし天之河は呟くが、その声は小さ過ぎて誰にも聴こえなかった。
「南雲君すごいね、格好良い。」
うっとりとした表情で白崎がハジメを見つめて褒めそやす。えっ何処が格好良かったの?と白崎の評価にハジメは背中に冷たい汗が伝い落ちる思いを味わうが、しかしハジメの自己評価は兎も角として老獪なイシュタルに意見をしそれなりの譲歩を勝ち取ったハジメに対して、クラスメート達の評価は一部の人間を除き上昇しているのだが、それに本人は気が付いていなかった。
同時に『アレ、天之河って意外と残念なヤツだったのかも?』と思う生徒もチラホラと現れていた。
そして、イシュタルからもハジメは一定の評価を得ていた。天之河とは違う意味でクラスメート達の思考を軌道修正して見せた事によって。しかし、其処には多少の警戒心を含んでいるのだが。