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某月某日、三重県桑名市多度町にある多度明神神社にて。
「闇よりい出て闇より黒く、その呪いを禊ぎ祓え」
九遠翔は、特級相当の任務を承り、それをこなす為に其処へと訪れていた。
特級仮想怨霊「一目連」。天候を操る神としての側面と、一目連神社の祭神たる天目一箇神と同一視される片目が潰れた龍神。
一目連が神社を出て暴れると暴風が起きる―――という古くからの言い伝えからの恐怖によって呪いとなった、特級呪霊である。
「……」
一歩二歩と、翔は自分の眼の前に聳え立つ大木の下に建てられた、とても小さな社の前にしゃがみ込む。
一目連が祀られているとされる社。この社から一目連が出た時、暴風が起きると言い伝えられてきたのだ。
閉ざされた扉に手を掛けて、ゆっくりと引いた瞬間―――嵐の如き強風が、翔の体を通り抜けた。
呪力が籠もった強風は、本来ならばその対象の五体を粉々に切り刻む不可避の刃。
だが、その風刃が本来の役目を果たす事はなかった。人間という脆弱な存在の五体を切り刻む筈だった刃は、しかしそれら全てが―――九遠翔という人間に触れる直前で完全に停止していた。
夜空が宿った瞳が、空を舞う龍を捉える。
紺色の鱗。大きく長い肉体。片方の眼が鏡が割れた様に潰された龍―――一目連。
人でありながら、神の風を受けて尚も立ち続ける異様な人間に、隻眼の龍神は遠吠えを上げて神威を示す。
だが、現代最高の呪術師は決して怯える事などしなかった。
「俺の術式は、
『―――!!!!』
強風に屈する事もなく、開示する。
自らの口によって発せられるそれは、己の術式の開示。
術式の開示とは、呪術における誓約たる『縛り』の一つ。
縛りとは、何らかのリスクや制限を自身に掛ける事で、その引き換えに術式の性能の底上げや呪力の増加など、何らかのメリットを得るものだ。
術式の開示とは、自身でじしに科す縛りの例であり、縛りにおける基礎でもある。
相手に自らの術式の詳細を公開する事による―――術式効果と呪力の底上げ。
「俺の術式は、『最新』の術式らしくてな。歴史上類を見ない最高の陰陽師を祖先に持つ俺の家の歴史にも、俺と同じ術式を持った人間は存在しなかったと聞く」
「俺の術式は、無下限の対極にして相似。無限ではなく、『永遠』を現実にする術式だ」
永遠。それは、時間概念の一瞬。決して進む事も引く事もない、不変の時間。
ありとあらゆる変化を拒み、何にも干渉される事のない、ある意味では停止した世界。
万物の流転を拒絶し、永劫不変をこそ受け入れて愛す停止世界。
九遠翔の術式―――『无久廻呪術』は、その永遠を現実にする。
無下限呪術と何処までも似ていて、しかして何処までも異なる力。
あらゆる全てを遅くし続ける無限と、あらゆる全てを停止し続ける永遠。
最強の力と最高の力。対極にして相似の力。
それ故に―――彼らは同格なのだ。
「だが、これは壁じゃない。この永遠の影響は、俺の肉体にすら及ぶ」
無限と永遠には、決定的な違いがある。空間に関するものか時間に関するものか、という事ではなく、その能力の影響範囲に格差があるのだ。
無限は、例えるならば壁だ。自分の周囲360度に展開されるシールドの様なものだ。
だが、永遠は壁ではなく鎧。或いは衣服の様なものである。
外部の影響を受けないという永遠の術式効果は、己が肉体にすら及ぼされる。
無論、心臓は動く。血液も流れる。呼吸もしている。問題なのは、それ以外は決して変わらないという事だ。
簡単に言ってしまえば、肉体が疲れ果てる事がないのだ。肉体に負荷が掛かる事がないのだ。
心臓の鼓動が早まる事がなければ、心臓が停止する事もない。血液の流れが加速する事もなければ、血液の流れが停止する事もない。
永遠を身に纏うその間、九遠翔の肉体は常に万全を期す。どれだけ戦おうとも、決してその肉体が疲労する事がないのだ。
『――――――!!!!!!!!』
「まだ説明が済んでいないんだがな…早く遊びたいのか。せっかちなものだ―――だが、俺は悟の様な余裕はない。遊びではなく、本気で挑ませてもらう」
殺意が籠もる。夜空の瞳に、汚れなき純粋な殺意が宿される。
吼える龍神。解き放たれた神威は、ただそれだけで周囲の地盤をいとも容易く削り取る。
だが―――九遠翔が腰を落としたその次の瞬間。
ドゴンッッッ、バゴッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
まるで、装甲車が突っ込んだかの様な鈍い音が曇天に轟くと共に、龍神の体が地面へと叩き落される。
速い。速すぎる。
あまりにも、その打撃は速すぎた。それこそ、片目が潰れているとは言えど、神の側面を持つ目でさえも捉える事が出来ない程に。
呪力による肉体の強化? 九遠翔ならば、現代最高の呪術師ならば、それくらいの事も平然とやってのけるのかもしれないが、いや、それを考慮したとしても。
あの打撃は―――あまりにも、速すぎる。
あの五条悟の打撃ですら、収束する無限を纏う打撃ですら、決して目で捉えられない程のものではない。
「術式進転『
時間への干渉によって引き起こされる、時間の加速。それによる打撃の超強化。
打撃を強くする要素は、決してその拳を鍛える事だけには限られない。ボクシングなどでは、それがよく分かる。
腕を鍛える事は決して悪くはない。寧ろして当たり前の事と言えるだろう。だが、それだけでは意味がない。
どれだけ拳が大きかろうと、速さと力が伴っていなければ、それは単なる動作にしかならず、決して攻撃にはならない。脅威になり得ない。
打撃を強力足らしめる半分の要素とは、即ち速さ。加速による勢いが付けば、拳に込める力が弱くとも確かな攻撃となる。
九遠翔の場合、その加速が他の術師とは比べるのも憚られる程に違いがある。
九遠翔と五条悟の強さをよく知る一級呪術師―――七海健人曰く。
「五条さんは『蒼』の吸引で、私のクリティカルヒットをジャブ感覚で打ち出します。ですが九遠さんの場合は、クリティカルヒットを打ち出す訳ではありません。
…そうですね。マッハに到達した戦闘機に突っ込まれた様な激痛を与える打撃を、連続で繰り出します」
ドゴッ、ドゴドゴドゴドゴッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
顔面。顎。体。五体全てに次々と撃ち込まれる、回避不能の神速の打撃。
それは一切の容赦なく、まるで当然の如く特級呪霊の体を尽く破壊していく。
術式の開示による術式の底上げ。それによって得られる恩恵は、即ち加速の上昇。もはやら音速など生温い。それこそ正しく、神速と呼ぶに相応しい領域だ。
だが―――そうまでしても尚、神速という領域に至っても尚、加速は止まない。
「久遠 亀の甲 暁」
呪詞という動作が、呪術には存在する。
それはいわゆる詠唱であり、その詠唱を行う事で、その術式は威力を増加させる。
だが、呪術師の世界において呪詞を唱える者は数少ない。
何故ならば、呪術を極めるという事は引き算を極めるという事だからである。
術式の構成、或いは発動させるまでの手順を如何に省略させる事が出来るかによって術師の腕が決まるのだという。
だが、今この時、九遠翔は呪詞を省かない。
掌印すら省かずに呪詞を唱えられた術式は―――今以上に、速度と力を上げる。
「―――」
驚愕。驚愕。驚愕。
驚愕驚愕驚愕驚愕驚愕驚愕驚愕驚愕驚愕驚愕驚愕驚愕驚愕!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
何だコイツは! 何なんだコイツは!
曲りなりにも神。曲りなりなりにも龍神。曲りなりなりにも特級。
敬い奉られ、そして恐れられてきた自分を、古の昔より神と呪いの二つの側面を畏怖されてきたこの一目連を、何故たかが一人の人間が叩き潰している!?
あらゆる攻撃が、奴には届かない。あらゆる全ての事象が、奴に届かない!
この風も、神威すらもが、神の威光すらもがだ! あの男に触れる寸前の所で、まるで時を止められたかの如く停止している!
「ッ!」
振り上げられた右足が、まだ光を失っていない確かな瞳へと振り抜かれる。
パキッ、と。罅が入る様に、爪先がついぞ龍神の両目を潰した。
『Gaaaaaaaaaaaa―――――――――――――――!!!!!!!!!!!』
上がるのは、吠え上げるのは、絶叫。
神威などではなく、それは単なる悲鳴だった。龍が苦しく鳴いたのだ。
神速を遥かに上回る速度から放たれた蹴り。それによって、生きていた眼を潰された事により発生した激痛。
今の今まで味わった事のない痛み。決して味わいたくないと思ってしまう程の激痛。
まるで、地獄の釜に茹でられながら針で全身をくまなく突き刺されているかの様な苦痛……!!!
これが死か。これが死への恐怖か。この人間に殺されたくないという抗いの意思か!
不思議だ。今ならば、この時にならば、何か出来なかった事が、なし得なかった事が成せるという確信がある!
『―――領域展開「災天覆滅」』
世界が生まれ変わる。塗り替わり、入れ替わる。
領域展開。呪術戦の極致。呪術という技における奥義。
自身の生得領域、つまり心象世界に術式を付与し、結界術で具現化し相手を閉じ込める技。
この領域内において、術式は必中。決して回避は不可能な上、術式は中和されてしまう為に如何なる強力な術式を持とうと、領域内では無力となる。
つまり―――九遠翔の永遠は、この領域内においては無いも同然である…!
「領域展開か。特級とは言え、そう簡単に使えるものではない筈だが…いや、だからこそ流石は特級呪霊と言うべきか」
九遠翔は、何処までも冷静だった。
永遠が失われ、自身に攻撃が当たる事になったというに、しかし彼は冷静さを保ったままだった。
さして驚く事もなく。ただ静かに、これかと反応を示しただけで、慌てふためく事もなかった。
とにかく冷静に―――次の手を“撃った”。
「須臾」
加速が止む。
「流転」
呪力が奔る。
「刹那の空」
一瞬を刻む。
「“
見えもしない黒い弾丸が、大社を消し去った。