■ ■
无久廻呪術は呪術界において類を見ない最新の術式にして稀有な術式であり、その全貌を知るのは所有者である九遠翔ただ一人である。
永遠と時間を操る術式。
一般的には、そういった認識で知られている強力なものだ。それこそ、五条・禪院・加茂の御三家相伝の術式にも匹敵する。
だが、最新であるが故に他の術式に比べて、デメリットが存在する。
御三家の術式のメリットは、『取説』がある事だ。取説がある事によって多くに周知され、多くに周知されるが故に縛りによって能力が底上げされている。
だが、无久廻呪術は最新の術式。取説はおろか、情報すら碌に知れ渡っていないのだ。
御三家の術式に比べれば、その知名度は低い。知名度が低いという事は、つまり縛りによる術式能力の底上げの効力も低いという事だ。
だが、そうであっても九遠翔が五条悟に並ぶ『現代最高の呪術師』である事に変わりはなく、その術式が今でも十分に強力である事も変わらない。
それ故に、「夏油傑」は真人・漏瑚・花御・陀艮の四匹に、何度も忠告として伝えていた。
「九遠翔は五条悟に並ぶ唯一の存在だ。術式の底知れなさで言えば、九遠翔はどの術師よりも危険だ」
術式の底知れなさ。最新の術式であるが故の情報の不確定。
対策の仕様がない相手程、戦闘において厄介なものはない。その相手が五条悟に並ぶ術師であるならば尚更である。
まぁ、特級呪術師は忙しいという。そう簡単に出会う事はないだろう―――そう、真人は思っていた。
「―――報告にあった呪霊とは別だな」
粉々に砕かれ、煙りを巻く校舎の壁。それと同時にその空間を奔る、錨の様に重たい圧力。
帳を通し、月光に彩られる金髪。夜空を思わせる、色鮮やかな紫紺の瞳。
天眼。物事の本質、根底を見通す瞳は、真人の魂を見抜く。どこまでも人間らしく、どこまでも狡猾である事を。
ぞわり―――と。背筋が凍る様な感覚に、真人は襲われた。
初めての感覚。魂を触り、見るのではなく、魂の在り方を見抜かれ、見通され、見透かされ、掴まれる。
初対面の人間に、自分の全てを理解される。それがどれだけ凄く、しかし相手にとってどれだけ恐ろしく気持ち悪い事だろう。
確かな殺意が、魂に恐怖を走らせた。
「九遠先生!」
「悠仁。無事だったか」
「先生、こいつを、順平を助けてくれ!」
紫色の肉塊。呪霊の様に変質した肉体。弄くられた様な歪な魂の形。
コレが、吉野順平。伊地知の報告にあった、宿儺の指の被害にあった母親の息子。
そして―――悠仁の友人。
「……分かった。全力を尽くそう」
「治せるの!?」
「反転術式なら俺も扱える。他人に使うのは初めてだが…生徒の頼みだ。有言実行で為してみせる」
反転術式。人を癒やし、術式の効果を反転させ、また術式を中和する技術。
通常の呪力とは、いわば負のエネルギーであり、それを用いて発動する術式の効果は、主に人を傷つける事や攻撃する事に特化する。
だが、反転術式は負のエネルギーと負のエネルギーを掛け合わせる事で「正のエネルギー」を生み出す。
正のエネルギーを用いる反転術式は、人を癒やす回復術として有名だが、それは主に自分に対して行われるものであり、他人への使用は非常に困難である。
通常の倍の呪力を消費する上に扱いが難しい高度な技術。あの五条悟ですら、未だ他人への反転術式の使用は出来ていないのだ。
だが、だからと言って、五条悟が出来ないからと言って、九遠翔も出来ないと断言していい理由はない。
生徒に頼られた。今まで頼られなかった自分に、初めて生徒が頼ってくれた。それだけで―――全力を出すには十分だろう。
「現代最高の肩書なぞ知るか。生徒に頼られたなら、教師は信頼に応えるまでだ…!」
黒い呪力が肉塊を包む。その魂を、正の呪力が覆っていく。
九遠翔が最高たる所以―――それは、天眼による呪力や術式に対する完全なる理解である。
物事の本質と根底を見通し、理解する眼。それがもたらす恩恵は大きく、理論的に言うならば『見るだけで黒閃を発動した状態以上の状態』になれる。
黒閃を経験したかそうでないかで、呪力への核心との距離に天と地程の差があるという。
天眼の場合、呪力を見れば呪力の扱い方を全て理解する。それこそ、反転術式も扱えるまで。つまり、見ただけで呪力の核心を掴む事が出来る状態になるのだ。
術式を見れば、術式の解釈の仕方すらも鮮明に記憶される。同時に、術式の対策の仕方も理解出来る。
だが、理解出来たからと言ってそれを実践出来るかどうかは所有者の技量次第である。
ただの勉強であるなら、やり方を理解すれば簡単だ。だが、戦場ともなれば簡単にはいかない。
戦い方を理解したところで、実際の戦場でまともに戦えるかどうかと聞かれれば、答えは否である。
だが―――九遠翔は、別だ。
「おいおい…マジか」
「順平…!」
ありのままの人間の肉体が、其処に現れる。
治療―――完了。
安堵の息を吐く。全身全霊を注いだ治療は、どうにか成功したらしい。
疲労が体に伸し掛かる。精密な呪力操作を行ったというのに、こうも疲れるとは…硝子は凄まじいな。翔は同級生の技術の高さを改めて認識した。
「―――さて。本業に戻るとするか」
最高の術師が、人の姿をした呪霊へと目線を突き刺す。
魂が叫ぶ。逃げろ―――と。
だが、その魂が叫ぶよりも―――九遠翔の接近の方が速かった。
「久遠・亀の甲・暁 術式進転『時』」
ドゴッ、バギッ、ドゴドゴドゴドゴバギバギバギッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!
神速の連撃が、継ぎ接ぎの五体に叩き込まれる。肉を凹ませ、骨を砕き、魂を殴り続ける。
呪詞と手印を省かない完全手順の術式進転「時」。神速まで到達する時間の加速。
際限なく加速する時間の勢いを乗せた打撃は、容赦なく真人を破壊する。
「フッ」
ガゴッッッ!!!! と、振り上げられた右足が意識を失った真人の側頭部を捉え、校舎の壁を破壊してグラウンドへと吹き飛ばす。
骨は砕けた。脳もぐちゃぐちゃだ。魂すらもが、傷だらけになっている。
(特級呪術師…九遠翔、バケモノだな。夏油が何度も忠告するのも分かる―――コイツは、マジでヤバい……!!!!)
「これが、死…! 死にたくないという意識か!」
「…死のインスピレーション、その体現か。となると領域展開か――――――間抜けにも程があるぞ」
バゴッ、ドゴッッ!!!
開かれた口に拳を突っ込み、その舌を掴んで引き抜く。口内に走るのは、神速によって生じるソニックムーブ。龍神の鱗すらも砕く一撃の加速から発生する、絶大な威力を持った衝撃波。
もはや見ることすら悍ましい、ズタズタの口からは源泉の如き鮮血が湧き出た。
領域展開を発動する上で必要不可欠なのは、その領域を表す掌印。掌印を結ぶ事が出来なければ、領域展開は発動出来ない。
呪術を極める事という事は引き算を極めるという事。如何に手順を省略出来るか否かだが、あの呪いの王である両面宿儺ですら、領域展開の掌印は省いていない。
なればこそ―――たかが産まれて間もない呪霊。掌印を潰されれば、領域展開を発動出来る訳がない。
「ごっ、はがごっっ!?」
「領域展開なぞさせる訳がないだろ―――貴様ら呪霊には、一切の隙も与えん」
がしっ、と。翔の左腕が真人の首を力強く掴み、こともなげに持ち上げる。
本来ならば、真人には通常の攻撃は効かない。
何故ならば、怪我を負ったとしてもそれはあくまでも『肉体』が傷付いただけであって、『魂』が傷付いた訳ではないからだ。
だが―――九遠翔は、魂の形を把握している。天眼によってあらゆる全ての魂をその目に写し、理解している。
故に―――虎杖悠仁以上の天敵…!
「術式は、正のエネルギーによってその効果を反転させる」
(術式の開示か! 早く逃げなきゃいけないのに―――どういう訳か、体が動かない!)
「悟の場合、術式反転『赫』。収束する無限を『発散』する無限に反転させる。だが、俺の場合だと反転するのはそこじゃない」
右腕が上がる。掌を真上にし、人差し指を中指の上に乗せる様な印を結ぶ。
奔るは黒い呪力。黒閃のそれとは異なる、反転術式の正のエネルギーによって術式効果が反転した事によって生み出せる呪力。
「永遠の逆転。即ち『刹那』。誰にも認識されず、誰にも知覚されない一瞬の時間。常に時を刻み続ける流転の時間。俺はそれを弾丸として放つ」
(くそっ、こうなったら、『無為転変』で…!)
壊れかけの腕を必死に動かし、九遠翔へと手を伸ばす―――が、それは九遠翔に触れる寸前の所で停止する。
无久廻呪術。それによって生み出される『永遠』の壁が、真人の手を呆気なく拒んだのだ。
「術式逆転『刻』」
収束された一瞬の黒い弾丸が、真人の体を遥か彼方へと吹き飛ばす。
術式逆転『刻』。正のエネルギーによって術式効果である『永遠』を逆転させ、『刹那』を生み出し、それを収束して弾丸にする事で質量を持たせ、放つ。
『刹那』とは、ありとあらゆる生物が知覚する事の出来ない程の一瞬の時間。人間があらゆる意識を解放してようやく輪郭を捉える事が出来るかどうかの時間。
術式逆転『刻』は、その刹那を一点に集中させる事で質量を持たせ、鋭い形を保ったまま弾丸として放つ術式である。
それを喰らえば、普通の呪霊であれば即死だが…
「チッ…仕留め損ねたか」
真人の術式は『無為転変』。
魂の形状を操作する事で、対象の肉体を形状と質量を無視して思うがままに変形・改造出来るという強力な術式だ。
それは、反転術式で治療出来ない先天的傷病や肉体の欠損の完治にも利用する事が出来る。
真人は攻撃を諦め、無為転変を自分に用い、自らの魂の改造による肉体の回復に全神経を注いだ。
結果、真人は刹那の弾丸に殺されながらも生きながらえたのだ。
「先の爆音…やはり九遠さんでしたか」
「健人か」
一級呪術師、七海健人。
高専時代の後輩であり今の同僚。元社会人なだけあり、呪術師の中でもマトモで人望のある呪術師である。
彼も真人を追ってきたのだろう。
「祓えましたか?」
「…いや、仕留め損ねた。魂を操る術式で肉体を常時修復し続け、生き延びた様だ」
「…九遠さんの『刻』を食らっても生きますか」
「言い訳にはなるが、呪詞を破棄したからだろう。だが、呪詞の完全詠唱は周囲に甚大な被害をもたらす。致命傷は与えられた、十分だ―――次は確実に祓う」
「そうしてください…それはそれとして。九遠さんは何故此処に?」
「任務だ。新たな特級が確認されたから、それを祓いに来た」
「…さっきの人型呪霊とは別のですか」
「あぁ。恐らく、奴よりも厄介な敵になる」
『―――■■■■■■■■』
死は、未だ歩みを止めない。