「…貴様、まだ生きていたのか。全く、相変わらず面妖だな」
「数百年ぶりに再会したというのに、酷い言い草だね。もっと感動的に言えないものかな」
「戯け。私と貴様は其の様な仲ではあるまいよ…して、時期か?」
「あぁ。本筋に乗るまでに色々と準備はあるけどね」
「そうか。ならば、その準備までに色々と慣らしておかねばな」
「頑張ってよ。君は彼への傷になってもらいたいんだから」
「…まさか本当に子孫が居るとはな。晴明め、色恋沙汰には無関心だとばかり思っていたが…しかし、何故この体なのだ? 受肉するなら他にもあったろう。しかも、この体は魂まで残っている」
「その方が効き目があるからね。とことん、絶望してもらわないと」
「悪よなぁ。私が嫌いな悪だ」
「厳しいね」
「嫌いだと言っただろ」
■ ■
姉妹校交流会の観戦中、九遠翔は東京校の生徒ではなく京都校の生徒に目をつけた。
三輪霞―――京都校の二年生。シン・陰流の使い手である。
「三輪霞…彼女、中々やりますね。一般家庭ですよね?」
「えぇ。でも、中学の頃にシン・陰流の最高師範にスカウトされてる。かなり出来る子よ」
「剣の腕はそれなり。戦闘経験が少ないからか…? かなり伸びるな」
「……ちょっと、まさかあの子に剣術指南するつもりじゃないでしょうね?」
「……ダメでしょうか?」
「ダメよ! アンタ、訓練だろうと全然容赦しないじゃない! 私、今でも根に持ってんだからね!?」
「そう言われましても…こんな世界ですから。少しでも生き残る確率を上げる為に、厳しくしているまでです。それに、行き過ぎた訓練はしていませんよ」
「だから余計に質が悪いのよ、アンタ…!」
呪術師という仕事をしている以上、いつ死ぬか分からない。任務の内容に誤りがあって死ぬケースもある―――彼の後輩がそうだったのだ。
故に、容赦はしない。訓練にも全力を出すのだ。それが1%であろうと、生き残る確率を上げる為に。
「それに、ただ厳しくしている訳じゃありません。容赦はしませんが、手加減はしています。生徒が飲み込めるレベルの技を、出来る限り分かりやすく教え込んでいる。ただ優しく言葉で言うだけでは、取れるものも取れないし、取れたとしても実戦で使えるかも定かじゃない」
「それは…そうだけど」
「相手をするのは呪霊や呪詛師です。女だから、と手加減する様な存在じゃない。だから教ええる事が出来る術を、教え込めるだけ教え込むんです。例えそれで嫌われようと、生徒の為にした事なら後悔はしない」
「……ねぇ翔、やっぱアンタ担任した方が良いわよ。五条、翔と立場変わりなさいよ」
「えー、やだよ。翔の授業はつまんないでしょ」
「それはそうだ。だから副担任に就いてる。授業は分かりやすく、それでいて面白い方が憶え易い。その面では、不真面目な悟の方が適任だ」
「それ褒めてる? それとも貶してる?」
「安心しろ、褒めてる。八割な」
「二割貶してんじゃねぇか!」
穏やかに笑う翔と、口調が学生時代に戻りかけている五条。
変わったな―――夜蛾正道は、二人を見てそう思った。
翔も五条も、“友”を失って以降から大きく変わった。特に変わったのは翔だ。
昔は傲りが目立っていた翔は、今となっては冷静沈着で誰よりも仲間を想う人間になった。
(薫…此処にお前が居たら、喜んでいただろうな)
竜胆薫。翔の今や亡き友にして―――九遠翔という人間にとって、最も大切だった人物。
幼い頃から共に過ごし、青春を謳歌してきた親友。翔は彼女を失ってから、まるで生まれ変わった様に人が変わった。
人を想う心が、より一層強くなった。
『翔は強いんだからさ、もっと人を助けなよ。五条もそうだけど、自分だけが強くても意味ないんだから』
その助言が、翔を変えた。
呪いではなく、ただの言葉として。
優しく、それ故に歪だった少女の言葉が、一人の天才を確かに変えたのだ。
「……」
だからこそ、そうだからこそ、夜蛾にとってそれは複雑だった。
竜胆薫の死には―――翔自身が関わっているのだから。
「闇より出て闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え」
そんな想いとは裏腹に、開戦の狼煙は上がる。
『―――■■■■■■■■』
「行って来い」
死が、其処に辿り着く。
ボゥ、と。京都校の札が一気に燃え上がる。それと同時に、翔の『天眼』が事態を見据える。
呪詛師によって帳が降ろされた。それを察知した瞬間に、翔は腰に差した日本刀―――特級呪具「小烏丸」を抜刀し、
「久遠 亀の甲 暁―――術式進転『
術式を発動して、その場から一瞬にして消え失せた。
術式進転「時」。九遠翔自身、或いは九遠翔が触れるもの全ての時間を加速させる術式だ。
いつもの様に呪詞を省略しないだけでなく、印すらも省かずに発動した術式は、翔を一瞬で神速へと導いた。
「はやっ…」
「刀を握ったまま印を結ぶとは…ふふ、やはり彼は凄いね。我々が行く必要はないんじゃないのかい?」
「そうもいかないよ、冥さん。生徒達の危機だし、翔だと呪詛師を殺しかねない」
敵と味方の区別化。九遠翔は、味方には最大限甘く優しいが、逆に言えば敵には一切の容赦をしない。
善性と冷静と冷酷さ。この三つを両立させているからこそ、翔は異常であると家入硝子から断言されたのだ。
味方に対する優しさ。物事に対する冷静さ。敵に対する冷酷さ。
忘れてはならない。
今でこそ生徒である虎杖を気にかけているが、当初は宿儺の器である虎杖悠仁を全力で消し去ろうとしていたのだ。
容赦なく敵対者を殺す事が出来るその冷酷さ故に、五条は翔を一人にはしておけないと判断した。
呪詛師を捕らえる事が出来れば情報を得る事が出来る。もしかすれば、内通者についても。
「ほら、おじいちゃん。お散歩の時間ですよ。昼食はさっき食べたでしょ」
「…」
「今から出て、追い着くのかしら…?」
「さぁね」
追い着く事は、ないだろう。
「――――――」
『―――■■■■■□□□■■■■□□■□■□』
視点は変わり、翔。
視界にあるのは、黒。
或いは、闇。
或いは、死。
黒い靄は死の象り。形を持たないそれの全身には、ありとあらゆる死が漂っている。
報告にあった特級呪霊。それを目撃した補助監督や術師が例外なく消息を経ったとされる未登録の特級。
天眼で見ずとも分かる。この呪霊が、何から生まれたかなど一目瞭然だ。
人間が抱く、あらゆる死への恐怖が生み出した呪霊。それ以外にない。
(消息不明ではなく、“死滅”か…あの瘴気の様なものが術式。死を身に纏う術式…しかも、まだ成長過程。厄介だな)
『―――■□□□□■■』
靄が蠢く。言語の様なものを吐き捨ててこそいるが、それは既に言語としての機能が死滅している。
理解不能。だが、敵である事は分かる。
刀を構える。迅速に、かつ確実に祓い、すぐにこの帳を破壊する。
「―――」
宝剣が、死へと刃を向ける。
特級呪具「小烏丸」。平家において重宝された宝剣にして名剣。
七星剣・丙子椒林剣に並ぶ古剣と言っても過言ではないそれが持つ力は、『呪詛返し』。
小烏丸が触れた術式、或いは切り捨てた術式の効果を倍にして相手へと跳ね返す。
だが―――
『■■■―――?????』
呪霊は、それをものともしなかった。
小烏丸は瘴気を切り捨て、呪詛返しを発動してあらゆる死が倍になって降り掛かったというにも関わらず、呪霊は平然としていた。
死ぬ事はなく。苦しむ事もなく。ただ疑問に思う様に、ゆらゆらと靄の体を揺らす。
チッ…と、翔は舌を打って数歩下がった。
(小烏丸の呪詛返しが効かない…いや、違うな。そもそも死ぬ『肉体』が存在しないから、呪詛返ししても意味がないのか)
『■■■■■■―――□□■□□□□■』
(肉体は存在しない…にも関わらず実体はある、か。死の具現であるが故の実体。ある意味では術式が一人歩きしている様なものだが…自分でも術式を理解していないらしいな。なら、今が好機か―――成長される前に、祓う)
小烏丸を鞘に納め、徒手空拳で構えを取る。
呪詛返しが効かないなら、小烏丸を振るう意味はない。術式が一人歩きしている様な存在なら、どんな物体も意味を為さない。
術式と呪力。この二つの技術だけを用いて、眼の前の呪霊を迅速に祓う。
死を纏う術式。それは確かに厄介で、並大抵の術師であれば即死してしまうものだろうが―――術式である以上、対策は出来る。
『ッッッ!!!!!』
「―――術式逆転『
黒い弾丸が空間を駆け抜ける。獲物を狩る為に野原を走る猟犬の如く、それは死へと向かって行った。
刹那。それは、生物には決して認識する事が出来ない一瞬の時間。永劫不変の概念ではなく、騏驥過隙の概念。
術式逆転「刻」は、正のエネルギーによって永遠を刹那へと逆転させ、それを一点に収束させて弾丸として放つ技だ。
それ故に、その刹那の弾丸を回避する事など決して不可能だ。
『■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
収束された一瞬が、死を穿ち天高く吹き飛ばす。
声にもならない絶叫が、澄み渡る青空に木霊する。
霧散し掛ける死の実体。呻き声を上げながら、具現した死は苦しむ様に靄を揺らしている。
肉体こそないが実体は其処にある。呪霊として生まれている以上、存在そのものはその空間に存在している。
なればこそ、攻撃は通る。
しかし―――
「……『刻』を受けて尚、生き永らえるか。流石は特級だ。だが、同じく特級である俺がこうではな…いっその事、『刻』も載まで極めるか…?」
載。それは、術式の各技の出力を最大限まで上昇させたもの。事実上、通常技の極限状態となる訳だが、個々の通常技をそこまで極める者自体が非常に少ないのだ。
翔が極めているのは、術式進転「時」のみ。術式逆転「刻」は未だ載にまで至らせていない。
「……それは後か。取り敢えずは、あの呪霊を祓わないとな」
あの呪霊は危険だ。野放しにしておけば、今より多くの犠牲者が出る。
翔はすぐにそれを理解した。加えて、帳の中の様子も気になる所だ。
決着は―――一瞬で。
「久遠 亀の甲 暁」
久遠・亀の甲・暁。この三つが、術式進転「時」本来の呪詞であり、それ以上は存在しない。
それは載も同じ。載とは、あくまでもその術式の最大強化の領域でしかなく、決して進化ではないのだ。
だが、九遠翔はそこにアレンジという形で縛りを加えた。
『術式進転「時」・載を使用する際の呪詞を増やす代わりに、術式効果の向上』―――という縛りを。
「逢魔ヶ刻 宵の流星 境界の果て―――術式進転『時』・載」
もはや、それを形容するのは難しい。そう断言してしまう程の速度で、九遠翔は空を舞った。
神速。そう言っても良かったのかもしれないが、しかしその速さは神速と形容する事すらも正しいと確信を持てるものではなかった。
敢えて例えるなら、そう。次元を飛び越えてしまう程の超神速―――と言ったところだろう。普通の神速を越えた神速というのも、訳が分からないが。
もはや人が辿り着ける世界ではない。それこそ、神の世界と言うべき領域なのだろう。
だが―――それ故に、この術式は危険極まりない。
「ッッッ………!!!!」
『□□■■□■■■■□■□ッッッ!!!!!』
「さけ、ぶ、な!」
肉体が、その加速に耐え切れない。速度に関する技であれば、必ず打つかってしまう絶対的な壁である。
そもそも、人間の体では光の速度にすら耐えられない。それを遥かに越える速度を以てするなど、論外も良いところだ。
通常の『時』ですら音速に並び、手順省略無しの完全なる『時』は神速へと達する。この時点で、人の肉体は耐えられない。
翔は超緻密な呪力操作による身体強化によって、音速と神速に耐えられる体を作っていたが、載の『時』はそうもいかない。
崩壊とまではいかずとも、その体には多大なる負荷が掛かる。数ヶ月もの間、筋肉が悲鳴を上げる程度で済めば優しい方だろう。
「っっっ、ぅぅぅ!!!!」
ぎぎぎぎ―――と、その超神速の加速に似合わぬ、まるでバネを引っ張るかの様に重たく振り上げた拳が、解き放たれ―――
「反射」
呆気なく、弾かれた。
「は―――?」
「悪いが、此奴を失う訳にはいかないのでな」
遠くの丘で、敵は言う。それが翔に聞こえる事はなく、
「吸収」
死は、翔の前から消え失せた。