草原に渡った青年
サカ。
八神将の一人、神騎兵ハノンが生まれた地であり、エレブ大陸では最も広大な草原を有する地方である。西端のエトルリア王国国境のタラス地方や、東端にあるイリア・リキア・ベルンの三国の国境の交わる位置に築かれた交易都市ブルガルには、他の国々と同じ石造りの建造物が存在するが、国土の九割以上は草原である。明確な国家を持たず、幾多の民族が広大な草原を駆け回る遊牧生活を送っている。それは戦前戦後も不変だ。
かつての動乱において、当時のベルン三大将軍「三竜将」の一人、賢者ブルーニャが指揮するベルン西方軍の侵攻により、ブルガルは壊滅。さらにその傘下に入った有力部族ジュテ族の手によって、クトラ族をはじめ多数の反ベルン派部族が駆逐された。動乱終結後もその傷跡は未だに深く、人口は動乱前の七割に届かず、ブルガルもどうにか交易の中継点としての体を成し始めたぐらいだった。
そんなサカに、戦後一人の青年がリキアから渡っていた。
「こんにちわ」
ある日。その青年は、ブルガルで開かれている市場の、ある店に顔を出した。
「お~。これはクトラの。また、弓でも見に来たか?」
「ええ。おもしろいものが手に入ったと聞きましたから」
青年の言葉にニヤリとした店主は、奥から一つの弓と矢を持ってきた。
「・・・すごく硬い矢ですね。石でも貫けそうな・・・。それに、弓弦も普通の弓より頑丈な感じがしますね」
「そう。まさに『貫きの弓』さ。弓使いってのは、分厚い鎧を着こんだ連中には傷を負わせられなかったが、こいつでこの矢を打てば、鎧ごと貫けるって寸法さ。それに、こいつも見てくれ」
「これは・・・変わった形ですね」
「弩(いしゆみ)ってやつさ。台座に固定した矢を、この引き金で撃てるようになってる。射程は短いが、懐に入られても撃てるんだ」
店主が紹介する武器に、青年は興味津々に見入る。そしてふと笑う。
「でも、今はなかなか使う機会がありませんけどね」
「ハッハッハ。ま、こういう実戦向きなのは特にな。弓矢で狙うのは、獣や鳥で十分ってわけだ。おかげでこいつらは買い手のつかないガラクタってことさ。で、ものは相談だが、もらっちゃくれねえか?」
「え!こんな珍しいものを?」
「ああ。『リキアの鷹』とも言われたあんたには、ここで商売を始めてからはひいきにしてもらってるからな。こいつは、その礼だと思ってくれ。押し付けるようで悪いが、あんたなら他の使い道も思いつくだろう」
「そうですか・・・。じゃあ、遠慮なくいただきます」
「また来てくれよ。ウォルトの旦那」
その青年、ウォルトはサカの民ではない。リキア諸侯の一つ、フェレ家の出身で、現諸侯ロイの乳母レベッカの息子だ。つまりロイとは乳兄弟の間柄である。
かつての動乱の際は、フェレ軍の弓兵として参戦した。戦いを経て弓兵として力をつけた彼は、終戦時にはリキア同盟軍の弓兵部隊の要となり「リキアの鷹」と称されるようになった。当然、終戦後は故郷に戻り、ロイを支える重臣として生きていくと誰もが思っていたし、そう嘱望されていた。
だが彼は故郷に帰らず、サカで生きることを決めた。
きっかけは一人の少女、のちに伴侶となる女性との出会いだった。
「おかえり、ウォルト」
ブルガルから馬を飛ばして、ゲルが点在する一つの集落に戻ると、その女性が出迎えてきた。豊かな長い深緑の髪が印象的な、いかにもサカの民と思わせるエキゾチックな雰囲気を醸し出している。
「ただいま、スー。ラクトは」
「静かに寝てるわ。さっきまでじじに遊んでもらってたから、疲れたみたい」
ウォルトがサカに残った理由、それはこの女性、スーとの出会いだった。
動乱の最中、リキア諸侯の一人、トリア前公爵の館にて親ベルン一派の姦計を打ち破った際、助け出されたのがスーだった。サカの戦火を脱してリキアに落ち延びたスーは、以後リキア同盟軍に同行。その際、同じ弓使いとして馬に乗らなかったウォルトにスーは関心を持ち、互いの考えを理解し合う過程で興味が好意、やがて愛に変わり、終戦後はスーの方からウォルトをサカに誘った。ウォルトもまた同じように、スーに惹かれていき、悩んだ末に初めて恋心を抱いたスーのもとに移ることを決断した。
やがて、ウォルトはクトラ族の一員として迎えられ、ブルガルをはじめとしたサカ地方の立て直しにリキアとの外交役として尽力する日々を過ごし、のちにスーと結ばれた。そして一昨年、愛の結晶である息子が生まれたのだ。
(いい弓をもらったけど・・・この子が安らかに過ごせる世界には、使われないほうがいいのかもな)
天幕で静かに寝息を立てている息子を見て、ウォルトはそう思った。そこに、一人の遊牧民がやってきた。
「我はキルス族の者なり!クトラの長はおられるか!!」
その男は、新たな火種を持ってきたのであった。